藤原俊成 ふじわらのとしなり(-しゅんぜい) 永久二年〜元久元年(1114-1204) 法号:釈阿 通称:五条三位

藤原道長の系譜を引く御子左(みこひだり)家の出。権中納言俊忠の子。母は藤原敦家女。藤原親忠女(美福門院加賀)との間に成家・定家を、為忠女との間に後白河院京極局を、六条院宣旨との間に八条院坊門局をもうけた。歌人の寂蓮(実の甥)・俊成女(実の孫)は養子である。御子左家系図
保安四年(1123)、十歳の時、父俊忠が死去し、この頃、義兄(姉の夫)にあたる権中納言藤原(葉室)顕頼の養子となる。これに伴い顕広と改名する。大治二年(1127)正月十九日、従五位下に叙され、美作守に任ぜられる。加賀守・遠江守を経て、久安元年(1145)十一月二十三日、三十二歳で従五位上に昇叙。同年三河守に遷り、のち丹後守を経て、久安六年(1150)正月六日、正五位下。同七年正月六日、従四位下。久寿二年(1155)十月二十三日、従四位上。保元二年(1157)十月二十二日、正四位下。仁安元年(1166)八月二十七日、従三位に叙せられ、五十三歳にして公卿の地位に就く。翌年正月二十八日、正三位。また同年、本流に復し、俊成と改名した。承安二年(1172)、皇太后宮大夫となり、姪にあたる後白河皇后忻子に仕える。安元二年(1176)、六十三歳の時、重病に臥し、出家して釈阿と号す。元久元年(1204)十一月三十日、病により薨去。九十一歳。
長承二年(1133)前後、丹後守為忠朝臣家百首に出詠し、歌人としての活動を本格的に始める。保延年間(1135〜41)には崇徳天皇に親近し、内裏歌壇の一員として歌会に参加した。保延四年、晩年の藤原基俊に入門。久安六年(1150)完成の『久安百首』に詠進し、また崇徳院に命ぜられて同百首和歌を部類に編集するなど、歌壇に確実な地歩を固めた。六条家の藤原清輔の勢力には圧倒されながらも、歌合判者の依頼を多く受けるようになる。治承元年(1177)、清輔が没すると、政界の実力者九条兼実に迎えられて、歌壇の重鎮としての地位を不動とする。寿永二年(1183)、後白河院の下命により七番目の勅撰和歌集『千載和歌集』の撰進に着手し、息子定家の助力も得て、文治四年(1188)に完成した。建久四年(1193)、『六百番歌合』判者。同八年、式子内親王の下命に応じ、歌論書『古来風躰抄』を献ずる。この頃歌壇は後鳥羽院の仙洞に中心を移すが、俊成は院からも厚遇され、建仁元年(1201)には『千五百番歌合』に詠進し、また判者を務めた。同三年、院より九十賀の宴を賜る。最晩年に至っても作歌活動は衰えなかった。詞花集に顕広の名で初入集、千載集には三十六首、新古今集には七十二首採られ、勅撰二十一代集には計四百二十二首を入集している。家集に自撰の『長秋詠藻』(子孫により増補)、『長秋草』(『俊成家集』とも。冷泉家に伝来した家集)、『保延のころほひ』、他撰の『続長秋詠藻』がある。歌論書には上述の『古来風躰抄』の外、『萬葉集時代考』『正治奏状』などがある。

俊頼が後には、釈阿・西行なり。釈阿は、やさしく艶に、心も深く、あはれなるところもありき。殊に愚意に庶幾する姿なり」(後鳥羽院「後鳥羽院御口伝」)。

「ただ釈阿・西行の言葉のみ、かりそめに言ひ散らされしあだなるたはぶれごとも、あはれなるところ多し。後鳥羽上皇の書かせたまひしものにも『これらは歌にまことありて、しかも悲しびを添ふる』とのたまひはべりしとかや。されば、この御言葉を力として、その細き一筋をたどり失ふことなかれ」(芭蕉「許六別離の詞」)。

以下には勅撰集入集歌と家集『長秋詠藻』『長秋草』から百首を抜萃した。雑部のみ制作年順に並べた。注釈のついていないテキスト。


  10首  6首  9首  7首  8首 悲傷 10首
  4首  15首  24首 神祇 4首 釈教 3首 計100首

入道前関白太政大臣、右大臣に侍りける時、百首歌よませ侍りけるに、立春の心を

今日といへば唐土(もろこし)までも行く春を都にのみと思ひけるかな(新古5)

【通釈】今日は立春であるというので、唐土まで行き渡る春であるのに、都にばかりと思っていたことよ。

【補記】詞書の「入道前関白太政大臣」は九条兼実。治承二年(1178)五月、兼実に詠進した百首歌である。立春の日、東海から訪れる春は、西海の彼方、遥かな唐土まで行き渡る。季節の運行を空間的に大きく捉えて詠み、丈高い立春歌となった。

【他出】長秋詠藻、題林愚抄

【本歌】大弐三位「千載集」
遥かなるもろこしまでも行く物は秋の寝覚の心なりけり

【主な派生歌】
霞しく松浦の沖にこぎ出でてもろこしまでの春を見るかな(慈円[新勅撰])
敷島ややまと島ねの朝霞もろこしまでも春は立つらし(後嵯峨院[続後撰])
日の本の光を見せてはるかなる唐土までも春や立つらむ(*細川幽斎)

刑部卿頼輔、歌合し侍りけるに、よみて遣はしける

聞く人ぞ涙はおつる帰る雁なきて行くなる曙の空(新古59)

【通釈】聞いている人の方こそ涙はこぼれ落ちるのだ。北へ帰る雁が鳴いて飛んでゆく曙の空よ。

【補記】古今集の本歌は、庭の萩の露を雁の涙かと見た歌。それを受けて、雁の声を聞く人こそ涙を落す、と本歌取りした。嘉応元年(1169)、藤原頼輔主催の歌合での作。

【他出】長秋詠藻、月詣集、定家八代抄、和漢兼作集、題林愚抄

【本歌】よみ人しらず「古今集」
鳴きわたる雁の涙や落ちつらむ物思ふ宿の萩の上の露

【主な派生歌】
雲がくれ鳴きてゆくなる初雁のはつかにみてぞ人はこひしき(源実朝)

久安六年崇徳院に百首の歌奉りけるに

ながめするみどりの空もかき曇りつれづれまさる春雨ぞふる(玉葉102)

【通釈】眺めて物思いに耽っていた青空もいつしか曇り、物憂い気分の一層まさる春雨が降ることよ。

【語釈】◇ながめする 物思いに耽りつつ眺める。◇みどりの空 青空。「みどり」は今より幅広い色相を指した。◇つれづれまさる 徒然な思いがいっそうまさる。「つれづれ」は単調で物憂い気分。

【補記】久安六年(1150)までに完成した崇徳院主催の久安百首。三十七歳だった俊成は精魂を傾けてこの百首歌を制作し、しばしば幽玄という語で評される自らの歌風を確立した。同百首中六十五首もが千載集以下の勅撰集に入集している。

崇徳院近衛殿にわたらせ給ひて、遠尋山花といふ題を講ぜられ侍りけるによみ侍りける

面影に花のすがたを先だてて幾重越えきぬ峯の白雲(新勅撰57)

【通釈】まだ桜は咲いていないのに、心がはやり、白雲を花と見なして、いくつの峰を越えて来たことだろう。

【補記】崇徳上皇が近衛殿(藤原忠通邸)に御幸した時催された歌会での作。康治二年(1143)頃の作かという(和歌文学大系『長秋詠藻』注)。山桜を白雲に見立てるという伝統的な趣向を、優美な詞遣いによって艶のある風姿に仕立てている。鴨長明の『無名抄』によれば、衆目一致して俊成の「おもて歌」とみなしていたが、俊成自身は「夕されば野辺の秋風…」を代表作と考えていたという。華やかな作風よりも、こまやかに心を砕き、感情の深く籠った作風をおのれの本領としたのである。

【他出】続詞花集、長秋詠藻、治承三十六人歌合、玄玉集、無名抄、井蛙抄、六華集、題林愚抄

【参考歌】藤原清輔「続古今集」(先後関係は不明)
ゆくままに花の梢になりにけりよそに見えつる峰の白雲

【主な派生歌】
面影はをしへし宿にさきだちて答へぬ風のまつに吹く声(藤原定家)
衣手にすずしき風をさきだてて曇りはじむる夕立の空(宮内卿[玉葉])
過ぎやすき時雨を風にさきだてて雲の跡行く冬の夜の月(中臣祐臣[続千載])
月さゆるをみの衣を先だてて霜におきふす雲の上人(洞院公賢[新千載])
木ずゑより散りかふ花を先だてて風の下行く志賀の山道(伏見院新宰相[新拾遺])
ともしびを花の光にさきだてて窓の白雪春いそぐなり(足利義尚)
行き行きておもふもかなし末遠くこえし高根の峰の白雲(後水尾院)

千五百番歌合に、春歌

いくとせの春に心をつくし来ぬあはれと思へみ吉野の花(新古100)

【通釈】幾年の春に心を尽くして来たのだろう。憐れと思ってくれ、吉野の桜の花よ。

【補記】正治二年(1200)の『千五百番歌合』、百十九番右持。左は源具親の「春風や梅のにほひをさそふらむ行方さだめぬ鶯の声」。判者藤原忠良の判詞は「あはれとおもへみよしのの花、かぎりなく見え侍るに、左、ゆくへさだめぬ鶯のこゑ、又心詞優にはべり、勝負難決」。

【他出】千五百番歌合、定家八代抄、歌枕名寄

【参考歌】行尊「金葉集」
もろともに哀れとおもへ山桜花よりほかにしる人もなし

十首の歌人々によませ侍りける時、花の歌とてよみ侍りける

み吉野の花のさかりをけふ見れば越の白根に春風ぞ吹く(千載76)

【通釈】吉野山の花の盛りを今日見ると、あたかも越の白山に春風が吹くかのようだ。

【語釈】◇越の白根 加賀白山。石川・岐阜県境。四時雪の消えない山とされた。

【補記】山桜の白と、雪の白の二重写し。聖地吉野の桜の白が、遥かなる聖山の雪の白さに置き換えられることで、ひときわ玲瓏なイメージに磨き上げられている。

【参考歌】作者不明「若狭守通宗朝臣女子達歌合」
桜咲く春の山べは雪きえぬ越の白根の心ちこそすれ

摂政太政大臣家に、五首歌よみ侍りけるに

またや見む交野(かたの)御野(みの)の桜がり花の雪ちる春の曙(新古114)

【通釈】再び見ることができるだろうか、こんな光景を。交野の禁野に桜を求めて逍遙していたところ、雪さながら花の散る春の曙に出遭った。

【語釈】◇またや見む 再び見ることができるだろうか。ヤは反語でなく疑問。◇交野 河内国の歌枕。今の大阪府枚方市あたり。禁野があった。カタに難い意を掛ける。◇桜がり 花見。冬にする鷹狩を桜狩に置き換えた趣向。

【補記】伊勢物語八十二段を踏まえる。「今狩する交野の渚の家、その院の桜ことにおもしろし云々」。建久六年(1195)二月、九条良経邸歌会での作。俊成八十二歳、最晩年の秀逸。『長秋詠藻』に文治六年(1190)女御入内御屏風和歌として以下のように掲載する歌を、改作したもの。
  野辺に鷹狩したる所
又もなほ人に見せばや御狩する交野の原の雪の朝を

【他出】慈鎮和尚自歌合、定家八代抄、近代秀歌、詠歌大概、詠歌一体、和漢兼作集、歌枕名寄、三五記、井蛙抄、六華集、耕雲口伝

【鑑賞】「めでたし、詞めでたし、狩は、雪のちる比する物なるを、その狩をさくらがりにいひなし、其雪を花の雪にいひなせる、いとおもしろし」(本居宣長『美濃の家苞(いえづと)』)。

【主な派生歌】
またや見む明石の瀬戸のうき枕波間の月のあけがたの影(藤原忠良[正治初度百首])
忘れめや片野の花もかつ見ゆる淀のわたりの春の明けぼの(千種有功)

法勝寺にて、人々花十首の歌よみ侍りけるに

花にあかでつひに消えなば山桜あたりをさらぬ霞とならむ(風雅1453)

【通釈】花に満足することなく結局この世から消えてしまったなら、山桜のあたりを去らずにいる霞となろう。

【語釈】◇法勝寺 京都市左京区岡崎にあった寺。承暦元年(1077)、白河天皇建立。巨大な毘盧遮那仏を本尊としたが、康永元年(1342)以後廃絶。桜の名所としてしばしば歌に詠まれている。

【補記】永暦元年(1160)〜永万元年(1165)の法勝寺十首会。俊恵の『林葉集』には「中納言成範歌よむ人々をすすめて、法勝寺にて十首歌よませ侍りしに」との詞書が見え、藤原成範主催の歌会か。霞に火葬の煙を暗示し、死してなお花に愛執せんとの思いを詠む。

百首歌奉りし時

駒とめてなほ水かはむ山吹の花の露そふ井手の玉川(新古159)

山吹の花 京都府綴喜郡井手町
井手の玉川と山吹

【通釈】馬を駐めて、さらに水を飲ませよう。山吹の花の露が落ち添う井手の玉川を見るために。

【語釈】◇水かはむ 馬に水を飲ませて休ませよう。◇井手の玉川 山城国の歌枕。井手は今の京都府綴喜郡井手町。木津川に注ぐ玉川が流れる。

【補記】下記本歌の詞書は「ひるめの歌」、すなわち天照大神を詠んだ歌で、檜隈川で水面に映る光を大神の姿として拝もうとの歌。掲出歌は「影」を山吹の花影に読み換え、馬の水やりを口実に井手の玉川の山吹を眺めてゆこうとの思いを婉曲に詠んでいる。文治六年(1190)成立の『五社百首』。

【他出】俊成五社百首、定家八代抄、歌枕名寄

【本歌】よみ人しらず「古今集」
ささのくま檜隈河に駒とめてしばし水かへ影をだに見む

【主な派生歌】
山吹の花の露そふ玉川のながれてはやき春の暮かな(後鳥羽院[風雅])
玉ふくむ井手の山吹あはれあはれ駒にかふちふ露なこぼしそ(和田厳足)

賀茂社へよみてたてまつりける百首歌に、やまぶきを

桜ちり春の暮れゆく物思ひも忘られぬべき山吹の花(玉葉270)

【通釈】桜が散り、春が暮れてゆく憂鬱も、思わず忘れてしまいそうなほど美しい山吹の花よ。

【補記】桜が散った後の虚しさを埋めてくれるように艶やかに咲く山吹を讃美する。文治六年(1190)三月に成った『俊成五社百首』の賀茂神社に奉納した百首和歌。この年俊成は七十七歳。

【参考歌】源道済「後拾遺集」
散り果ててのちや帰らむふるさとも忘られぬべき山桜かな

入道前関白、右大臣に侍りける時、百首歌よませ侍りける時、郭公の歌(二首)

昔思ふ草の(いほり)の夜の雨に涙な添へそ山ほととぎす(新古201)

【通釈】昔を思い出して過ごす草庵の夜――悲しげな鳴き声で、降る雨に涙を添えてくれるな、山時鳥よ。

【語釈】◇昔思ふ 草庵に住む人の立場で詠んでいるので、世間から退いた身にあって昔を懐かしんでいることになる。◇夜(よる)の雨 ほととぎすが鳴くのは五月雨の季節、すなわちこの雨は梅雨である。次句「涙な添へそ」により、この雨が話し手自身の涙でもあることが示される。◇涙な添へそ 涙を添えてくれるな。ほととぎすへの呼びかけ。その声を聞けば哀れを催してさらに涙が増えるから、鳴かないでくれと言っている。◇山ほととぎす ほととぎすは元来山に棲む鳥なので「山ほととぎす」とも呼ぶ。話し手自身も寂しい山中にいることを示すため、この「山」の一語は重い。

【補記】本説とされる白氏の詩は、役人として栄達した友人たちに対し、おのれは雨夜の草庵の中で逼塞している、かつて我等は友情を誓い合ったが、身分には雲泥の差が出来てしまった、と言い贈ったもの。治承二年(1178)の九条兼実主催、右大臣家百首。

【他出】長秋詠藻、自讃歌、定家十体(幽玄様)、桐火桶、三百六十首和歌、六華集、歌林良材

【本説】白居易「白氏文集」「和漢朗詠集」(→資料編
蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草菴中(蘭省の花の時錦帳の下 廬山の雨の夜草菴の中)

【鑑賞】「心としては、しみじみとした、即ちあはれなものであるが、詞(ことば)の続きの緊密さの上に、おのづから一種の艶(えん)があつて、荒涼のものとはなつてゐない。『涙なそへそ山ほととぎす』と言ふあたりは、むしろ艶であるとさへいへよう。あはれに艶のまじつたものである」(窪田空穂『新古今和歌集評釈』)

【主な派生歌】
風はやきあぶくま川の小夜千鳥涙なそへそ袖の氷に(後鳥羽院)
思ひ寝の涙なそへそ夜はの月くもるといはば人もこそしれ(藻壁門院少将[続古今])
昔思ふ高野の山のふかき夜に暁とほくすめる月かげ(藤原知家[続後撰])
きりぎりす涙なそへそ草の戸の露に袂はくたしはててき(加納諸平)

 

雨そそく花橘に風過ぎて山ほととぎす雲に鳴くなり(新古202)

橘の花 鎌倉市二階堂にて
橘の花

【通釈】雨の降りそそぐ橘の花に、風が吹いて過ぎる――すると、ほととぎすが雨雲の中で鳴いている。

【語釈】◇花橘(はなたちばな) 橘の花。「たちばな」は柑橘類の総称。夏に白い花を咲かせる。

【補記】前掲の歌と同じく治承二年(1178)の右大臣家百首、題は「郭公(ほととぎす)」。

【鑑賞】「此の歌は遠近二事を対(つい)にしたる歌なり。『雨そそぐ花たちばなに風過ぎて』は、ただここもとの事、『山郭公雲になくなり』は天涯の事にて、唐詩の対結といふおもかげあり」(石原正明『尾張の家苞』)。

摂政右大臣の時の歌合に、ほととぎすの歌とて

過ぎぬるか夜半の寝ざめのほととぎす声は枕にある心ちして(千載165)

【通釈】通り過ぎてしまったか。夜更けに目覚めて聞いたほととぎすは。声はまだ枕もとに残っている心持がするけれど。

【補記】治承三年(1179)十月に右大臣九条兼実の家で催された歌合での作。題は「郭公」、七番左持。初句切れ、第三句体言小休止、結句「て」止めの言いさし。構文の工夫によって情感を強め余情を深めようとしている。

【他出】定家十体(有一節様)、定家八代抄、正風体抄、題林愚抄

【主な派生歌】
まどろめば野をちかづけて枕べにあるここちする菫さわらび(*大隈言道)

後徳大寺左大臣家に、十首歌よみ侍りけるに、よみてつかはしける

我が心いかにせよとて時鳥雲間の月の影に鳴くらむ(新古210)

【通釈】私の心をどうせよというので、ほととぎすは雲間から漏れ出た月――それだけでも十分あわれ深い月影のもとで鳴くのだろう。

【補記】徳大寺実定家の歌会に「郭公」の題で出詠した作。雲間から漏れ出る月は趣深いものとされたが、その上ほととぎすの声が聞こえた(「月の影に鳴く」という言い方からは、鳥影が見えたとも想像し得る)――その時の耐え難いばかりの感動を詠んでいる。

【他出】長秋詠藻、三百六十番歌合、和漢兼作集、桐火桶、題林愚抄

【主な派生歌】
わが心いかにせよとか山吹のうつろふ花の嵐たつらむ(*源実朝)

題しらず

誰かまた花橘に思ひ出でむ我も昔の人となりなば(新古238)

【通釈】橘の花の香をかげば、亡き人を懐かしく思い出す――私も死んで過去の人となったならば、誰がまた橘の花に私を思い出してくれることだろうか。

【補記】『長秋詠藻』の詞書は「はなたちばなを人々よみけるに」。花橘を懐古の情に結びつけて詠むのは常套であるが、掲出歌は、昔を懐かしむ自分もいずれ昔の人となる、その時を仮想することで、次から次へ忘却の波にさらわれてゆく人の世の悲しみに迫っている。制作年未詳であるが、『歌仙落書』に採られているので承安二年(1172)以前の作か。

【他出】歌仙落書、長秋詠藻、月詣集、玄玉集、三百六十番歌合、定家八代抄、桐火桶、六華集

【本歌】よみ人しらず「古今集」
五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
【参考歌】藤原高遠「後拾遺集」
昔をば花橘のなかりせば何につけてか思ひ出でまし

【主な派生歌】
吹ききつる花橘の身にしめば我も昔の袖の香やする(小侍従)
しのばじな我もむかしの夕まぐれ花橘に風はすぐらむ(*藤原俊成女)

崇徳院に百首の歌奉りける時よめる

五月雨は()()のけぶりうちしめりしほたれまさる須磨の浦人(千載183)

【通釈】五月雨は海藻を焼く煙も湿らせて降り、一層塩水でぐっしょり濡れる須磨の浦人よ。

【語釈】◇焼く藻のけぶり 製塩のために藻を焼く、その煙。◇しほたれ しずくが垂れるほどぐっしょり濡れる。涙にくれるイメージ。◇須磨の浦人 須磨は摂津国の歌枕。流謫の地でもあり、この「人」は都の貴人を匂わせる。

【補記】久安六年(1150)完成の『久安百首』。煙が湿るという感覚表現が新鮮。「須磨の浦人」は源氏物語須磨巻を暗示して余情も深い。

【他出】久安百首、長秋詠藻、定家八代抄、詠歌大概、歌枕名寄、正風体抄

【参考歌】在原行平「古今集」
わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶとこたへよ

【主な派生歌】
五月雨は鹿火屋のけぶりうちしめり山田のくれにかはづ鳴くなり(藤原家隆)
降る雨に蚊遣りの煙うちしめりいぶせくみゆる薮浪(やぶなみ)の里(小沢蘆庵)

百首の歌奉りける時、秋立つ心をよめる

八重(むぐら)さしこもりにし蓬生(よもぎふ)にいかでか秋の分けて来つらむ(千載229)

【通釈】幾重も雑草が繁茂するまま、閉じこもって過ごしていた荒れ果てた家に、どうやって秋は分け入って訪ねて来たのだろう。

【語釈】◇八重葎 庭に生える雑草の類、特に蔓草の類を言う。◇さしこもりにし 戸を閉ざして家に籠る。「さし」には八重葎が伸びる意と錠を鎖す意を掛ける。◇蓬生 蓬などが繁った、荒れた場所。荒廃した家屋を指して言うことが多い。

【補記】逼塞して暮らす家にも秋は訪れ、いやましに寂寥を添える。源氏物語の「蓬生」の巻、末摘花を訪ねる光源氏の物語を暗示しているのだろう。

【他出】久安百首、長秋詠藻、定家八代抄、正風体抄、題林愚抄

【参考歌】よみ人しらず「拾遺集」
いかでかはたづねきつらむ蓬生の人もかよはぬ我が宿の道
  恵慶「拾遺集」
八重むぐらしげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり

【主な派生歌】
八重葎さしこもりにしふるさとは世を鶯のねをのみぞきく(飛鳥井雅有)

百首歌奉りし時

伏見山松の蔭より見わたせば明くる田の()に秋風ぞ吹く(新古291)

【通釈】伏見山の松の蔭から見渡すと、明けてゆく田の面に秋風が吹いている。

【語釈】◇伏見山 山城の歌枕。山麓には鳥羽田と呼ばれる広大な田がひろがっていた。伏見には「臥し見」を掛けることが多い。掲出歌では掛詞を意識する必要はないと思われるが、伏見山に庵を結んでいる人が「臥し見」た景と読むのも一興であろう(庵は松の下に結ぶことが多い)。また「伏す」は「明く」と縁のある語である。◇田の面 田の表面。稲の穂波。

【補記】下記好忠詠の影響が顕著であるが、俊成の歌は、「伏見山」という話し手の立つ位置を明確にした上で、ほの暗い「松の蔭」と、明るんでゆく「田の面」を対比して、より印象鮮明な叙景歌となっている。正治二年(1200)秋、後鳥羽院に詠進した正治初度百首。

【他出】正治初度百首、和歌口伝、井蛙抄、歌枕名寄

【参考歌】曾禰好忠「詞花集」
山城の鳥羽田の面をみわたせばほのかに今朝ぞ秋風は吹く

崇徳院に百首歌たてまつりける時

水渋(みしぶ)つき植ゑし山田に引板(ひた)はへてまた袖ぬらす秋は来にけり(新古301)

【通釈】夏、袖に水渋をつけて苗を植えた山田に、今や引板を張り渡して見張りをし、さらに袖を濡らす秋はやって来たのだ。

【語釈】◇水渋 水面に浮かぶ錆のようなもの。水錆。水垢。◇引板 吊るした板を引いて鳴らす、鳥獣よけの仕掛け。鳴子。

【補記】秋を迎えた農夫の心になっての詠。「また袖ぬらす」と言うのは朝露や夜露に濡れながら見張りをすることを言い、労働の辛さに涙を流す意が添わる。しかし窪田空穂が指摘するように(評釈)、「袖ぬらす秋」という語の慣用例からすれば、秋という季節の哀れさに涙を流すことをも思わせる。

【他出】久安百首、長秋詠藻、定家八代抄、色葉和難集、和漢兼作集、六華集

【本歌】作者不詳「万葉集」巻八
衣手に水渋付くまで植ゑし田を引板我が延へまもれる苦し

七夕の歌とてよみ侍りける

たなばたのとわたる舟の梶の葉にいく秋書きつ露の玉づさ(新古320)

【通釈】七夕の天の川の川門を渡る舟の梶――その梶の葉に、秋が来るたび何度書いたことだろう、葉に置いた露のように果敢ない願い文(ぶみ)を。

【語釈】◇たなばたのとわたる舟 七月七日の晩に天の川を渡る舟。「たなばた」は元来は棚機姫(たなばたつめ)、すなわち織姫のことであるが、ここは大まかに言っている。◇とわたる 天の川の川門(川幅の狭いところ)を渡る。◇梶の葉 「舟の」までが「梶」を導く序詞。「梶」は、前句からの続きとしては舟を漕ぐ梶、後への続きとしては植物の梶(梶の木)。七夕祭りの夜、梶の葉(あるいは梶から作った紙)に詩歌などを書いて供え、願い事をする習わしがあった。◇露の玉づさ 露は果敢ないものの譬え。玉づさは手紙のことであるが、ここでは恋の成就を祈った願文(がんもん)のこと。葉と露、露と玉はそれぞれ縁語。

【補記】文治六年(1190)三月に成った『俊成五社百首』のうち住吉社に奉納した百首歌。七夕の歌では彦星や織姫の身になって恋心を詠むのが常套であったが、掲出歌では話し手自身の恋心を詠んだ点が異色。無論作者の個人的な経験や感慨を歌にしたのではなく、古来人々が七夕に託した果敢ない想いを普遍的に捉えているのである。

【他出】俊成五社百首、玄玉集、定家八代抄、三百六十首和歌、題林愚抄

【本歌】上総乳母「後拾遺集」
天の川とわたる舟のかぢの葉におもふことをも書きつくるかな

【主な派生歌】
かきながす涙ながらぞ手向けつる物思ふ袖の露の玉づさ(九条良平女[続拾遺])
かぢの葉におきけるものをよしやさは水かげ草の露の玉づさ(正徹)

入道前関白太政大臣、右大臣に侍りける時、百首歌よませ侍りけるに

いとかくや袖はしをれし野辺に出でて昔も秋の花は見しかど(新古341)

【通釈】これほどひどく袖は涙に濡れ萎れたことがあったろうか。野辺に出て、昔も今のように秋の花々を眺めたことはあったけれど。

【語釈】◇いとかくや 「や」は反語。

【補記】治承二年(1178)の右大臣家百首。年齢を重ねるにつれ、秋野の草花への思いが深まってゆく。

百首歌奉りける時、秋歌とてよめる

夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里(千載259)

【通釈】夕方になると、野辺を吹く秋風が身に沁みて、鶉が鳴いている、この深草の里よ。

【語釈】◇深草の里 地名に草深い里の意を掛ける。◇鶉(うづら)鳴くなり 伊勢物語百二十三段、男に捨てられ、鶉に化身して野で鳴いていようと詠んだ女を暗示している。

【補記】鴨長明の『無名抄』の一章「俊成自讃歌事」によれば、俊恵が俊成に「御詠の中には、いづれをか優れたりとおぼす」と尋ねた時、俊成は「夕されば…」の歌を挙げ、「是をなん、身にとりてはおもて歌と思ひ給ふる」と語ったという。

【他出】久安百首、歌仙落書、長秋詠藻、古来風躰抄、無名抄、定家十体(濃様)、定家八代抄、和漢兼作集、歌枕名寄、愚秘抄、正風体抄、井蛙抄、六華集、兼載雑談

【本歌】「伊勢物語」百二十三段
野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ
(古今集ではよみ人しらずの歌として載り、語句に小異がある。)

【主な派生歌】
深草の里の夕風かよひきて伏見の小野にうづら啼くなり(藤原定家)
うづら鳴く夕べの空をなごりにて野となりにけり深草の里(藤原定家[新拾遺])
たづねても誰かはとはむ鶉鳴く野辺にあはれを深草の里(中山兼宗)
入日さす麓の尾花うちなびき誰が秋風に鶉鳴くらむ(*源通光[新古今])
里は荒れ野となる露の深草や鶉がねやをてらす月影(*太田道灌)

百首歌めしける時、月の歌とてよめる

(いし)ばしる水の白玉数見えて清滝川にすめる月影(千載284)

【通釈】石にほとばしる水の飛沫の白玉が、数えられるほどくっきりと見えて、清滝川に澄んだ月影が照っている。

清滝
清滝川 京都市右京区

【語釈】◇石ばしる 万葉集では「滝」などの枕詞として「いはばしる」が用いられている。それに由来する語。◇清滝川 京都愛宕山麓より保津川に注ぐ。名の通りの清い滝川(急流)の意をこめる。

【補記】月光に照らし出される急流の飛沫を、あたかもスローモーション映像のように捉えた、新鮮な感覚的把握。腰の句「数見えて」は後世多くの模倣を生む。

【他出】久安百首、続詞花集、長秋詠藻、治承三十六人歌合、歌枕名寄、正風体抄

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
白雲に羽うちかはし飛ぶ雁の数さへ見ゆる秋の夜の月

【主な派生歌】
かきくらす軒ばの空に数見えてながめもあへずおつる白雪(*藤原定家[玉葉])
石ばしる水のしら玉手にとりてかぞふばかりもすめる月かな(三条西実隆)

入道前関白太政大臣家に、百首歌よみ侍りけるに、紅葉

心とや紅葉はすらむ立田山松は時雨にぬれぬものかは(新古527)

【通釈】木々は自分の心から紅葉するのだろうか。立田山――その山の紅葉にまじる松はどうか、時雨に濡れなかっただろうか。そんなはずはないのだ。

【語釈】◇心とや 我が心とや。◇立田山(たつたやま) 竜田山とも。大和国(今の奈良県)の歌枕。生駒郡の竜田神社背後の山を指すかと言う。古来紅葉の名所とされた。

【他出】長秋詠藻、月詣集、三百六十番歌合、和漢兼作集、歌枕名寄、三百六十首和歌、六華集

【補記】時雨が木々の葉を紅葉させるとの当時の常識に基づく。治承二年(1178)の右大臣家百首。

【鑑賞】「心としては新しいものはない。しかし表現は、一句一句艶を含んで、粘りを持つた、落ちついたものとなつてゐる。力のある、優な姿の歌といふべきであらう」(窪田空穂『新古今集評釈』)。

崇徳院に百首の歌奉りける時、落葉の歌とてよめる

まばらなる槙の板屋に音はして漏らぬ時雨や木の葉なるらむ(千載404)

【通釈】隙間が多い槙の板葺き屋根に音はして、雨は漏ってこない――時雨と思ったのは木の葉なのだろうか。

【語釈】◇まばらなる 「隙間が多い(屋根)」「(音が)まばらである」意の掛詞。

【補記】久安百首。同百首や『長秋詠藻』など第五句を「木の葉なりけり」とする本が多い。

【他出】続詞花集、歌仙落書、長秋詠藻、治承三十六人歌合、定家八代抄、正風体抄、題林愚抄

【主な派生歌】
まばらなるまきの板屋に影もりて手にとるばかりすめる夜の月(後鳥羽院)

題しらず

かつ氷りかつはくだくる山川の岩間にむせぶ暁の声(新古631)

【通釈】氷っては砕け、砕けては氷る山川の水が、岩間に咽ぶような暁の声よ。

【語釈】◇かつ 二つの動作(この場合「こほる」と「くだく」)が並行して同時に存在することをあらわす。

【補記】最も寒気が厳しくなる、冬の暁の谷川の水音。文治六年(1190)三月に近江国日吉社に奉納された「日吉社百首和歌」。

【主な派生歌】
かつ氷りかつはたばしる霰かな月すむ河の波の白玉(山本春正)

守覚法親王、五十首歌よませ侍りけるに

ひとり見る池の氷にすむ月のやがて袖にもうつりぬるかな(新古640)

【通釈】独り見ていた池の氷にくっきりと照っていた月が、そのまま、涙に濡れた袖にも映ったのであるよ。

【語釈】◇うつりぬるかな 「うつり」は「移り」「映り」の両意を兼ねる。

【補記】池に張った氷に反映する月光を見ているうちに涙を催し、涙によって濡れた袖に月の光が移った(映った)、というのである。守覚法親王に召され、建久九年(1198)十二月から正治元年(1199)三月の間に詠まれた『御室五十首』。

【参考歌】よみ人しらず「拾遺集」
水のうへに思ひしものを冬の夜の氷は袖の物にぞありける

久安百首歌たてまつりける時、冬歌

月きよみ千鳥鳴くなり沖つ風ふけひの浦の明けがたの空(新勅撰404)

【通釈】月がさやかに照って、千鳥が鳴いている。沖の風が吹く吹飯の浦の明け方の空よ。

千鳥 具満タンフリー素材
千鳥

【語釈】◇月きよみ この「み」は上代のミ語法と呼ばれ、形容詞の語幹に付いて理由・原因をあらわすのが本来の用法であるが、王朝和歌では形容詞連用形と同じ使い方がなされることが多い。◇千鳥 イカルチドリ・コチドリなど千鳥の類の総称。嘴が細く、足が長いのが特徴。干潟や湖沼に棲み、昼は外海に、夜は渚近くにいる。和歌俳諧では冬の風物とされ、鳴き声は哀れ深いものとされた。◇ふけひの浦 吹飯の浦。和泉国の歌枕。今の大阪府泉南郡岬町のあたり。但し紀伊国の歌枕「吹上の浜」の異称として用いられることもある。「吹け」を掛ける。

【他出】久安百首、長秋詠藻、月詣集、歌枕名寄

【参考歌】右京大夫(源宗于)「大和物語」第三十段
沖つ風ふけゐの浦にたつ波のなごりにさへや我はしづまむ
  永縁「堀河百首」
沖つ風ふき上の浜のさむければ冬の夜すがら千鳥鳴くなり

【主な派生歌】
月きよみさ夜更け行けば伊勢島や一志の浦に千鳥鳴くなり(源実朝)

千鳥をよめる

須磨の関有明の空に鳴く千鳥かたぶく月は(なれ)もかなしや(千載425)

【通釈】須磨の関で有明の空に鳴く千鳥よ、沈もうとする月は、おまえも悲しく眺めるのか。

【語釈】◇須磨の関 須磨は神戸市須磨区の南。古く畿内と西国を隔てる関があった。◇汝 千鳥に呼びかける。

【補記】『長秋詠藻』の詞書は「左大将十首の題中に、暁天千鳥の題中に、暁天千鳥」。後徳大寺実定の十首題に応じた作。

【他出】長秋詠藻、定家八代抄、歌枕名寄、正風体抄

【本説】「源氏物語・須磨」
友千鳥もろ声に鳴く暁はひとり寝覚めの床も頼もし

【主な派生歌】
もしほやく難波の御津に鳴く千鳥からきうき世はなれもかなしや(宗尊親王)

雪のあした、後徳大寺左大臣の許に遣はしける

今日はもし君もや()ふと眺むれどまだ跡もなき庭の雪かな(新古664)

【通釈】今日はもしやあなたが訪ねて来るかと眺めるけれど、まだ足跡もない庭の雪であるよ。

【補記】『長秋詠藻』には詞書「極月の十日あまり雪のいとたかうふりたる朝に、左大将、新大納言ときこえし時おくりし」とある。後徳大寺実定の返歌は「いまぞきく心は跡もなかりけり雪かき分けておもひやれども」。

守覚法親王、五十首歌よませ侍りけるに

雪ふれば嶺の真榊(まさかき)うづもれて月にみがける天の香久山(新古677)

【通釈】雪が降ると、峰の榊の木々は埋もれてしまって、月光で以て磨いているかのように澄み切った天の香具山よ。

【語釈】◇月にみがける 雪をかぶって白くなった香久山を、月の光が煌々と照らし、さらに明澄に研ぎ澄ます。

【補記】建久九年(1198)十二月から正治元年(1199)三月の間に詠まれた『御室五十首』。「月にみがける」の句は後世多くの模倣を生んだ。

【他出】御室五十首、三百六十首和歌、定家八代抄、詠歌一体、和歌口伝、歌枕名寄、三五記、六華集

【主な派生歌】
このごろは色なき草に波こえて月にみがける野路の玉川(藤原為家)
かへるさのたが涙とはしらねども月にみがける道芝の露(順徳院)
卯の花の露に光をさしそへて月にみがける玉川の里(京極為教[玉葉])
みわたせば降りつむ雪を有明の月にみがける多摩の横山(橘千蔭)

後法性寺入道前関白、右大臣に侍りける時、家に百首歌よみ侍りけるに、雪を

まきもくの珠城(たまき)の宮に雪ふればさらに昔の(あした)をぞ見る(玉葉1001)

【通釈】巻向の珠城の宮に雪が降ると、こうして見ている現在の有様だけでなく、さらに遠い代の朝を眺めるような心持がするのだ。

【語釈】◇まきもく 巻向(纏向)。今の奈良県桜井市。◇珠城の宮 大和国纏向の珠城宮。垂仁天皇の宮。◇さらに昔の 現在に重ねて、さらに過去の。

【補記】治承二年(1178)五月の右大臣家百首。

【他出】長秋詠藻、万代集、歌枕名寄、夫木和歌抄

【参考歌】藤原実頼「日本紀竟宴和歌」「続古今集」
池水に国さかえける巻向のたまきの風はいまものこれり

百首の歌めしける時、旅の歌とてよませ給うける

浦づたふ磯の苫屋の梶枕聞きもならはぬ波の音かな(千載515)

【通釈】浦伝いに旅して来て、磯の苫屋で梶を枕に寝ていると、聞き慣れない波の音がすることよ。

【語釈】◇苫屋(とまや) 漁師の粗末な小屋。◇梶枕 梶を枕にして寝ること。普通、船中に泊まることを意味するが、掲出歌では海人の小屋を借りての旅寝をこのように言った。

【補記】磯に寄せる激しい波音を聞く旅人の心細さ。源氏物語須磨・明石を始め、貴種流離の物語を想い浮かべつつ鑑賞してこそ哀れ深い歌であろう。

【他出】久安百首、歌仙落書、長秋詠藻、宝物集、定家八代抄、正風体抄、井蛙抄

【参考歌】源俊頼「散木奇歌集」
伊勢の海人の苫屋の床の梶枕あらふさ波に目をさましつる

家に百首の歌よませ侍りける時、旅の歌とてよみ侍りける

あはれなる野島が崎のいほりかな露置く袖に浪もかけけり(千載531)

【通釈】哀れ深い野島が崎の旅の宿であるよ。涙が露のように置いた袖に、さらに波もかかるのだった。

【語釈】◇野島が崎 淡路の歌枕。万葉集の人麻呂歌に詠まれている「野島の崎」に同じ(下記【参考歌】はその異伝)。

【補記】治承二年(1178)五月、九条兼実主催の百首歌。詞書の「家に」とは、兼実の家に、の意。

【他出】長秋詠藻、月詣集、歌枕名寄、正風体抄、井蛙抄

【参考歌】「万葉集」巻十五(作者不詳古歌)
玉藻かるをとめを過ぎて夏草の野島が崎に廬す我は

久安百首歌たてまつりける旅の歌(二首)

我がおもふ人に見せばやもろともにすみだ川原の夕暮の空(新勅撰519)

【通釈】私が恋しく思う人に、この景色を見せたいものだ。隅田川の夕暮の空を。

【語釈】◇すみだ川 武蔵国の歌枕。◇もろともに 「住み」から「すみだ川」を導く枕詞的な用法の虚辞。「我がおもふ人」が共に住んでいる妻であることを暗示するはたらきも持つ。

【補記】伊勢物語の名歌の本歌取り。

【他出】久安百首、長秋詠藻、歌枕名寄

【本歌】「伊勢物語」、在原業平「古今集」
名にしおはばいざ事とはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

 

はるかなる芦屋の沖のうき寝にも夢路はちかき都なりけり(新勅撰520)

【通釈】遥かな芦屋の沖で、波に浮いて寝泊まりする――そんな夜にも、夢路では近い都なのであった。

【語釈】◇うき寝 浮き寝(船中に寝ること)と憂き寝の掛詞。

【他出】久安百首、長秋詠藻、三百六十番歌合、歌枕名寄、夫木抄

守覚法親王家に、五十首歌よませ侍りけるに、旅の歌(二首)

夏刈りの芦のかり寝もあはれなり玉江の月の明けがたの空(新古932)

【通釈】夏刈りの芦を刈り敷いての仮寝も興趣の深いものである。玉江に月が残る明け方の空よ。

【語釈】◇夏刈りの 「夏刈りとは蘆をば秋刈るを、とく生ひぬれば夏も刈るをいふなり」(藤原清輔『奥義抄』)。◇芦のかり寝 「芦の」までが「芦刈り」から「仮寝」を導く序詞であると共に、芦を折り伏せて仮の枕とする意を掛ける。◇あはれなり 景色に対し、しみじみとした哀感の籠る興趣を感じている。◇玉江 摂津・越前の両説がある。普通名詞としては「美しい入江」の意になる。

【補記】建久九年(1198)十二月から正治元年(1199)三月の間に詠まれた『御室五十首』。夏の短か夜、芦の名所である歌枕で眺める有明の月に旅寝の醍醐味を見ている。

【他出】御室五十首、三百六十番歌合、定家八代抄、歌枕名寄

【本歌】源重之「後拾遺集」
夏刈の玉江の芦をふみしだき群れゐる鳥のたつ空ぞなき

【主な派生歌】
かり寝する玉えの月のあけ方に声もさやかに鳴く千鳥かな(後鳥羽院)

 

立ちかへり又も来てみむ松島や雄島(をじま)の苫屋波に荒らすな(新古933)

【通釈】再び戻って来て見よう。それまで松島の雄島の苫屋を波に荒れるままにしないでくれ。

【語釈】◇立ちかへり 波の縁語。◇松島や 松島は陸奥国の歌枕。「待つ」の掛詞と見る説がある。◇雄島 陸奥国の歌枕。宮城県松島湾内の島。

【補記】海人の小屋を借りての旅寝。「荒らすな」は主人である海人への言葉と解される。

【他出】御室五十首、三百六十番歌合、自讃歌、定家十体(有一節様)、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、八代集秀逸、時代不同歌合、詠歌一体、歌枕名寄、三五記、井蛙抄

【本歌】源重之「後拾遺集」
松島や雄島の磯にあさりせし海人の袖こそかくは濡れしか

【主な派生歌】
たちかへり又も来て見むはし鷹のとやのをいづる秋の夜の月(藤原家隆)
波かくる雄島のとまや秋をへてあるじもしらず月やすむらん(津守国助[続千載])

入道前関白家百首歌に、旅の心を

難波人あし火たく屋に宿かりてすずろに袖のしほたるるかな(新古973)

【通釈】難波人が蘆火を焚く小屋に宿を借りて、わけもなく袖がぐっしょり濡れてしまうことよ。

【語釈】◇難波人(なにはびと) 難波の海人。◇あし火 芦を焼く焚火。

【補記】難波・あし・しほは縁語。治承二年(1178)の右大臣家百首。

【他出】長秋詠藻、自讃歌、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、歌枕名寄、愚見抄

【本歌】柿本人麻呂「拾遺集」(原歌は万葉集巻十一作者未詳歌)
難波人あし火たく屋はすすたれどおのが妻こそとこめづらなれ

述懐百首歌よみ侍りける、旅の歌

世の中は憂きふししげし篠原(しのはら)や旅にしあれば妹夢に見ゆ(新古976)

【通釈】篠竹に節が多いように、人生は辛い折節が多い。篠原で旅寝していれば、妻が夢に見えて、また辛くなる。

【語釈】◇世の中 人の一生。ここでは「世間」「社会」の意ではない。◇ふし 節(時の意)と、篠の節(茎のつなぎ目の意)を掛ける。「よ」「ふし」「篠」は縁語。

【補記】保延六(1140)、七年頃の堀河百首題による「述懐百首」。『長秋詠藻』よれば題は「旅恋」。

【鑑賞】「四五句の万葉風な詞つづきは、当時にあつては、新味のあつたものである」(窪田前掲書)。

悲傷

権中納言俊忠の遠忌に鳥部野の墓所の堂にまかりて、夜ふけて帰り侍りけるに、露のしげかりければ

分け来つる袖のしづくか鳥部野のなくなく帰る道芝の露(玉葉2386)

【通釈】草を分けて来た私の袖の雫が残っているのだろうか。亡き父を偲びつつ泣く泣く帰る鳥部野の道端の芝草にいっぱい置いた露は。

【語釈】◇俊忠 俊成の父。◇遠忌 十三回忌。保延元年(1135)七月九日。◇鳥部野(とりべの) 鳥辺野とも。京都東山。火葬の地。

【補記】『長秋詠藻』下巻の巻頭歌。詞書は「保延元年の事なるべし。七月九日、先人故中納言の忌日にとりべ野の墓所への堂にまゐりて、懺法にあひて夜深けてかへるに、草の露しげかりければ」。二十二歳の作。俊成は十歳の時父を亡くし、藤原氏の一流葉室家の養子となっていた。

母の思ひに侍りける秋、法輪寺にこもりて、嵐のいたく吹きければ

うき世には今はあらしの山風にこれや馴れ行くはじめなるらむ(新古795)

【通釈】辛い現世にはもう留まるまいと思って籠る嵐山の山風に、これが馴れてゆく始めなのだろうか。

【語釈】◇あらし 嵐・あらじの掛詞。

【補記】母の喪に服していた秋、法輪寺(嵐山東麓)に籠っていた時の作。『長秋詠藻』の詞書は「保延五年ばかりのことにや、母のぶくなりし年法輪寺にしばしこもりたりける時、よる嵐のいたく吹きければ」。保延五年(1139)は俊成二十六歳。

後白河院

かくて日頃のすぐるにも、つきせぬ心ちのみして、思ひつづけしことを誰にかは言ひやらむなど、思ふ給へしほどに、静賢法印こそはと、歎きのほども思ひやられて、三月つくる日つかはしける〔長歌略〕(二首)

思ひきやあるにもあらぬ身のはてに君なきのちの夢を見むとは(長秋草)

【通釈】思いもしなかった。生きているとも言えない身の終りにあって、院のおられない後の夢の世を生きようとは。

【語釈】◇思ひきや 「や」は反語。思っただろうか、いや思いもしなかった。

【補記】建久二年(1191)三月十三日、後白河院が崩御し、同月晦日、静賢法印に贈った歌。

 

なげくべきその数にだにあらねども思ひ知らぬは涙なりけり(長秋草)

【通釈】院の崩御を嘆いて然るべき、そんな人の数にも入らないような私だけれども、身の程を知らずに落ちるのは涙なのだった。

建久四年二月十三日、年頃のとも子共の母かくれて後、月日はかなく過ぎゆきて、六月つごもりがたになりにけりと、夕暮の空もことに昔の事ひとり思ひつづけて、ものに書き付く(二首)

おのづからしばし忘るる夢もあればおどろかれてぞさらに悲しき(長秋草)

【通釈】自然としばらく忘れる夢もあるので、目が覚めて妻の死は現実なのだと気づくと尚更悲しいのである。

【補記】建久四年(1193)、妻(定家の実母、美福門院加賀)が亡くなった時の悲傷歌六首より第三首。第一首は「くやしくぞ久しく人に馴れにける別れも深く悲しかりけり」。

 

いつまでかこの世の空をながめつつ夕べの雲をあはれとも見む(長秋草)

【通釈】いつまでこの世の空を眺めては、夕暮の雲を哀れ深いものと見るのだろうか。

【補記】妻の死に際して詠んだ連作、締めの一首。

又、法性寺の墓所にて(二首)

思ひかね草の原とてわけ来ても心をくだく苔の下かな(長秋草)

【通釈】恋しさに耐えかねて、草の原となった墓所を分けて来たけれども、墓の下の人を思えばさまざまに心は乱れるのだった。

【語釈】◇法性寺の墓所 亡妻の墓。◇苔の下 墓の下。亡骸。

【参考歌】源道済「詞花集」
思ひかね別れし野辺を来てみれば浅茅が原に秋風ぞ吹く

 

苔の下とどまる玉もありといふ行きけむ方はそこと教へよ(長秋草)

【通釈】亡骸にとどまっている魂もあるという。亡き人がどこへと行ったのか、そこであると教えてくれ。

【語釈】◇とどまる玉 亡骸に一部残っている魂。◇行きけむ方 亡魂が向かった方向。無事昇天したかどうか、「とどまる玉」に問う心。

定家朝臣母身まかりて後、秋頃、墓所ちかき堂にとまりてよみ侍りける

稀にくる夜半も悲しき松風をたえずや苔の下に聞くらむ(新古796)

【通釈】稀に訪れる夜でも悲しく聴こえる松風を、亡き妻は絶えず墓の下で聞くのだろうか。

【補記】妻の忌日、墓所の近くの堂に泊って詠んだ歌。『長秋草』では詞書「又の年二月十三日、忌日に法性寺にとまりたる夜、松の嵐はげしきを聞きて」、初句「かりそめの」として載る。

次の日、墓所にて

しのぶとて恋ふとてこの世かひぞなき長くて果てぬ苔の行方に(長秋草)

【通釈】墓はいつまでもこのままであり続けるのに、この世に残っている私がいくら偲ぼうと恋しがろうと、それは束の間のことで甲斐もない。

【語釈】◇長くて果てぬ 長く、果てることがない。◇苔の行方 墓の将来。

【補記】詞書の「次の日」は、『長秋草』における前歌の詞書「又の年二月十三日」を承けての謂。

文治六年女御入内屏風歌

山人の折る袖にほふ菊の露うちはらふにも千代は経ぬべし(新古719)

【通釈】仙人が花を折り取る、その袖を濡らして香る菊の露――それを打ち払う一瞬にも、千年が経ってしまうだろう。

【語釈】◇山人 仙人。山に住み、不老不死の法を修めた人。◇菊の露 菊の花についた露。長寿の効験があるとされた。◇千代は経ぬべし 仙界における一瞬は、人間界における千年にも相当する。

【補記】文治六年(1190)、九条兼実の息女である任子(のちの宜秋門院。良経の妹)が後鳥羽天皇に入内した折の屏風和歌。『長秋詠藻』の詞書には「山中菊さかりにひらけたり、仙人ありてこれをみる」とあり、屏風絵の仔細が判る。俊成は素性法師の本歌からめでたい菊の露を借り、千年もあっという間に経ってしまうことを歌って、長寿の祝意を籠めたのである。

【他出】文治六年女御入内和歌、長秋詠藻、自讃歌、定家十体(麗様)、定家八代抄、題林愚抄

【本歌】素性法師「古今集」
濡れてほす山路の菊の露の間にいつか千年を我は経にけむ

祝の心をよみ侍りける

君が代は千世ともささじ(あま)の戸や出づる月日のかぎりなければ(新古738)

【通釈】大君の御代は、千年とも限って言うまい。天の戸を開いて昇る太陽と月は限りなく在り続けるのだから。

【語釈】◇千世ともささじ 千年とは指して言うまい。千年に限定しない、ということ。「さし」は「戸」の縁語。

【補記】文治六年(1190)に成った『五社百首』の「伊勢大神宮百首和歌」。天皇の御代の恒久を予祝する歌。

【他出】長秋草、俊成五社百首、定家八代抄

仁安元年、大嘗会悠紀歌奉りけるに、稲舂歌

近江(あふみ)のや坂田の稲をかけ積みて道ある御代の始めにぞ()(新古753)

【通釈】近江の坂田の稲を積み重ねて掛け、正しい道理の通る御代の最初に舂くのである。

【語釈】◇坂田 近江国坂田郡。田の意を掛ける。この時の大嘗祭では近江国が悠紀方だった。◇かけ積みて 稲を稲架(とうか)に懸け、積んで。

【補記】仁安元年(1166)、六条天皇の大嘗会に際し、悠紀方の歌を奉るよう宣旨を受けての作。

【他出】長秋詠藻、月詣集、定家八代抄、歌枕名寄

【参考歌】大伴黒主「古今集」
近江のや鏡の山をたてたればかねてぞ見ゆる君が千歳は
  慶滋為政「栄花物語」
年えたる玉田の稲をかけ積みて千代の例に舂きぞはじむる

仁安元年の大嘗会の悠紀方の、巳の日の楽急、木綿園(ゆふその)

木綿園(ゆふその)の日影のかづらかざしもて楽しくもあるか豊の明りの(玉葉1099)

【通釈】木綿園に生える日影のかずらを冠に挿頭して、楽しいことよ、豊の明りの宴は。

【語釈】楽急 楽曲の急速なテンポの終楽章。◇木綿園 近江国の歌枕。大嘗会和歌の選定地。◇日影のかづら 美しい深緑色の羊歯。たすきや、冠の掛物などに用いられた。◇豊(とよ)の明り 豊明の節会。大嘗祭に際し、宮中で催される宴会で、五節の舞などが行われた。

【補記】仁安元年(1166)、前歌と同じく六条天皇の大嘗会に際しての歌。

【参考歌】仁徳天皇「古事記」
山県(やまがた)に蒔ける青菜も吉備人と共にし摘めば楽しくもあるか

忍恋(しのぶるこひ)

いかにせむ(むろ)八島(やしま)に宿もがな恋のけぶりを空にまがへむ(千載703)

【通釈】この思いをどうすればよいだろう。いつも蒸気で煙っているという室の八島に家があったなら。私の身から恋の煙を空に立ちのぼらせ、その湯気に紛らそうものを。

【語釈】◇室の八島 もとは宮中の大炊寮(おおいづかさ)の竃(かまど)のことを言ったらしい。「むろのやしまとは、竃をいふなり。かまをぬりこめたるを室といふ。(中略)釜をばやしまといふなり」(色葉和難集)。のち下野国の八島に付会され、歌枕となった。八島(今の栃木市惣社町あたり)には蒸気を発する清水があったという。

【補記】恋(こひ)という語が「ひ」を含む縁から、抑えても隠しきれない恋の思いをたちのぼる煙に喩え、歌枕を引き合いにして巧みにまとめている。流麗な七五調と軽妙な趣向に、当時流行した今様歌の影響が窺える。

【他出】長秋詠藻、定家八代抄、近代秀歌、歌枕名寄、正風体抄、井蛙抄

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
み吉野の山のあなたに宿もがな世の憂き時の隠れがにせむ
  作者不詳「古今和歌六帖」
下野やむろの八島に立つけぶり思ひありとも今こそは知れ
  藤原実方「詞花集」
いかでかは思ひありとも知らすべき室の八島の煙ならでは

法住寺殿にて五月の御供花の時、男ども歌よみ侍りけるに、契後隠恋といへる心をよみ侍りける

たのめこし野辺の道芝夏ふかしいづくなるらむ(もず)の草ぐき(千載795)

【通釈】約束をあてにしてやって来た野辺の道芝は、夏も深いこととて深く繁っている。あの人の住まいはどこなのだろう。まるで百舌が草の繁みに潜り込んだように行方が知れない。

【語釈】◇鵙の草ぐき 万葉集巻十に見える語。モズは春になると草にもぐり込んでしまうと考えられた。そのように隠れて出て来ない恋人を恨む歌。◇道芝 路傍の雑草。

【補記】後白河院が御所とした法住持で行われた供花会に際しての詠。題「契後隠恋」、契りを交したあと相手が姿を隠してしまった恋の心を詠む。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十
春されば鵙の草ぐき見えずとも我は見やらむ君があたりをば
  源俊頼「散木奇歌集」「続古今集」
とへかしな玉串の葉に身隠れて鵙の草ぐきめぢならずとも

法住寺殿の殿上の歌合に、臨期違約恋といへる心をよめる

思ひきや(しぢ)の端書き書きつめて百夜(ももよ)も同じまろ寝せむとは(千載779)

【通釈】思ってもみただろうか――昔、男が恋の成就を祈って榻の上に百夜丸寝し、その端に印を書き集めたというが、私もそんなふうに、百夜も同じ姿で独り寝しようとは。

【語釈】◇榻 轅(ながえ)をもたせかける台。◇まろ寝 着の身着のまま、独りで寝ること。

【補記】嘉応二年(1170)十月十六日、俊成自ら判者を務めた歌合。題「臨期違約恋」の一番右勝。判詞は「右歌、すがたことざまよろしきよし、人々定め侍りしかば、おさへ侍らむも又あやしくやとて、右の勝になりにしなるべし」。

【他出】建春門院北面歌合、長秋詠藻、月詣集、定家八代抄、近代秀歌、僻案抄、詠歌一体、夜の鶴、三五記、正風体抄、井蛙抄、題林愚抄

【本歌】「奥義抄」「袖中抄」などに引用される古歌
あかつきの榻の端書き百夜がき君が来ぬ夜は我ぞ数かく
(この歌は古今集の「暁の鴫の羽がき百羽がき君が来ぬ夜は我ぞ数かく」の異伝)

後朝の歌とてよみ侍りける

忘るなよ世々の契りを菅原や伏見の里の有明の空(千載839)

【通釈】忘れるなよ。後の世までもと誓い合い、夜ごと情を交し合ったことを。菅原の伏見の里で、共に臥しながら眺めた有明の空を――。

【語釈】◇世々の契(ちぎ) 今生(こんじょう)のみならず後世(ごせ)までもと誓い合った約束。「よよ」には「夜々」の意が掛かり、その場合「契り」は情交を指すことになる。◇菅原 大和国の歌枕。奈良市の西。動詞「す」を懸ける。◇伏見 大和国の歌枕。「臥し見」の意を掛ける。

【補記】治承二年(1178)の右大臣家百首。千載集巻十三、恋三の巻軸を飾る一首。

【他出】長秋詠藻、定家八代抄、歌枕名寄、正風体抄

【主な派生歌】
忘るなよ舟まつほどの川岸にことかたらふも世々の契りを(正徹)
忘るなよただ今のまの逢ふことも思へばさきの世々の契りを(中院通村)

崇徳院に百首歌奉りける時、恋の歌とてよめる

恋をのみ飾磨(しかま)(いち)に立つ民の絶えぬ思ひに身をや替へてむ(千載857)

【通釈】飾磨の市に現われる民衆が絶えないように、恋しいばかりで絶えずあなたを思う苦しさに、いっそ我が身を他人の身に替えてしまおう。

【語釈】◇飾磨 播磨国の歌枕。今の兵庫県姫路市。飾磨の市で有名だった。動詞「し」を掛ける。

【補記】「飾磨の市に立つ民の」は、市に現れる人波が絶えない意から「絶えぬ」を導く序詞。「替へてむ」の「替へ」は市の縁語。

【他出】久安百首、長秋詠藻、定家八代抄、歌枕名寄、正風体抄

【主な派生歌】
身にしめてなどあながちに恋をのみしかまの市にそめかへぬらむ(俊成女)

摂政右大臣の時、家の歌合に、恋の心をよめる

逢ふことは身を変へてとも待つべきを世々を隔てむほどぞかなしき(千載897)

【通釈】逢って思いを遂げることは、来世生まれ変わってでもと待つべきであるのに、今生(こんじょう)と来世(らいせ)とを隔てる時間が切ないのである。

【語釈】◇身を変へてとも 我が身が生まれ変わってからでもと。

【補記】治承三年(1179)十月十八日、九条兼実邸で催された歌合での作。俊成は判者も務めた。

【他出】右大臣家歌合(治承三年)、定家八代抄、正風体抄

百首歌めしける時、恋の歌とてよめる(二首)

奥山の岩垣沼(いはかきぬま)のうきぬなは深きこひぢになに乱れけむ(千載941)

【通釈】奥山の岩で囲まれた沼に生えている蓴菜(じゅんさい)は泥土の中に根を延ばしている――そのように私は恋路の深みにはまって、何を思い乱れていたのだろう。

【語釈】◇うきぬなは 水面に浮かんでいる蓴菜。地下茎は水底の泥の中にある。「うき」に「憂き」を響かせる。この句までが「深きこひぢ」を導く序。◇こひぢ 泥。「恋路」を掛ける。

【補記】恋の惑乱を後になって思い返した歌。久安六年(1150)完成の久安百首。

【他出】今撰集、長秋詠藻、定家八代抄、正風体抄

【参考歌】柿本人丸「拾遺集」
奥山の岩垣沼のみごもりに恋ひや渡らむ逢ふよしをなみ
  作者不明「古今和歌六帖」「万代集」
恋をのみますだの池のうきぬなはくるにぞ物の乱れとはなる

雨のふる日、女に遣はしける

思ひあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞふる(新古1107)

【通釈】思い悩むあまり、あなたの住む方の空を眺めると、霞を分けて春雨が降っている。

【補記】『長秋詠藻』の詞書は「春のころしのぶる事ある女のもとにつかはしける」。

【参考歌】藤原忠通「詞花集」
思ひかねそなたの空をながむればただ山の端にかかる白雲

【鑑賞】「心を主とし、その心を、ありのままの自然によつて具象し、しかも余情のある具象にしようとすることは、俊成の庶幾してゐた歌風である。この歌は、正にそれに叶つたものである」(窪田前掲書)。

【主な派生歌】
花は散りその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる(*式子内親王[新古今])

百首歌奉りし時

逢ふことはかた野の里の笹の(いほ)しのに露ちる夜半の床かな(新古1110)

【通釈】あの人に逢うことは難く、交野の里の笹葺きの庵の篠に散る露ではないが、しきりと涙がこぼれる夜の寝床であるよ。

【語釈】◇かた野 河内国の歌枕「交野」に「難い」意を掛ける。◇笹の庵 笹で葺いた粗末な庵。◇しのに 「篠に」「しきりと」の掛詞。

【補記】『千五百番歌合』の千三百四十二番右持。

【他出】千五百番歌合、定家十体(濃様)、歌枕名寄

四月一日頃雨ふりける夜、忍びて人に物いひ侍りて後、とかくびん悪しくて過ぎけるに、五月雨の頃申し遣はしける

袖ぬれしその夜の雨の名残よりやがて晴れせぬ五月雨の空(玉葉1626)

【通釈】袖が濡れたあの夜の雨――あの時の別れの名残惜しさから、そのまま晴れることなく五月雨の空になってしまいました。

【補記】四月一日頃の雨の夜に恋人と契りを交わした後、都合が悪くて逢えないまま過ぎ、五月雨の降る季節になって贈ったという歌。「五月雨の空」に涙にかき暮らす日々を暗示していること言うまでもない。『長秋詠藻』の詞書もほぼ同じである。

片思ひの心をよめる

憂き身をば我だに厭ふいとへただそをだに同じ心と思はむ(新古1143)

【通釈】辛い境遇のこの身を、自分自身さえ厭うています。あなたもひたすら厭うて下さい、せめてそれだけはあなたと心が一つだと思いましょう。

【補記】保延六年(1140)頃、堀河百首の題で詠んだ百首歌。

【他出】長秋詠藻、定家八代抄、愚問賢註、井蛙抄、題林愚抄

女に遣はしける

よしさらば後の世とだに頼めおけつらさに堪へぬ身ともこそなれ(新古1232)

【通釈】仕方ない、それなら、せめて来世だけでも約束して下さい。我が身は貴女のつらい仕打ちに堪えられず死んでしまいますから。

【語釈】◇後の世とだに せめて来世には、と。◇つらさに堪へぬ身 貴女のつらい仕打ちに堪えられず死んでしまう我が身。

【補記】藤原定家朝臣母の返歌は「頼めおかむたださばかりを契りにてうき世の中の夢になしてよ」。

【他出】歌仙落書、長秋詠藻、定家八代抄、和歌口伝

千五百番歌合に

あはれなりうたた寝にのみ見し夢の長き思ひに結ぼほれなむ(新古1389)

【通釈】はかないことである。転た寝に見ただけの短い夢のような逢瀬が、長い恋となって私は鬱屈した思いを抱き続けるのだろう。

【語釈】◇結ぼほれなむ 「結ぼほる」は糸が絡まり合うように心が鬱ぐ意。「なむ」は完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」に推量の助動詞「む」が付いたもの。

【補記】初句切れ。俊成は初句切れを好んで用い、後進の歌人は彼のこの句法を盛んに模倣した。

【他出】千五百番歌合、定家八代抄

崇徳院に百首歌奉りける時、恋歌

思ひわび見し面影はさておきて恋せざりけむ折ぞ恋しき(新古1394)

【通釈】歎き悲しむ今は、逢瀬の時に見た面影はさておいて、あの人をまだ恋していなかった頃のことが慕わしく思われるのである。

【補記】久安百首。恋に苦しむようになって、今や恋人の面影よりも、恋をしていなかった頃こそが懐かしい、との心。

【主な派生歌】
君をまだ見ず知らざりしいにしへの恋しきをさへ歎きつるかな(*式子内親王[続古今])

左大将の家に会すとて、歌加ふべきよしありし時、恋歌

恋せずは人の心もなからまし物のあはれもこれよりぞ知る(長秋詠藻)

【通釈】恋をしなかったなら、人には心というものもないだろう。「物のあはれ」も、この恋ということによって、人は知るのである。

【語釈】◇左大将 藤原実定◇物のあはれ 事象に触発されて心が動くこと、またそのような真心の発露としてのさまざまな情感・情趣。後世、本居宣長の言った《物のあはれ》とほとんど同意と考えてよい。

【他出】歌仙落書、拾遺風体抄

【主な派生歌】
恋せずはあはれも知らじとばかりの身をうの花の雨にかこちて(祇園梶子)

述懐百首歌中に、五月雨

五月雨は真屋の軒端の(あま)そそぎあまりなるまでぬるる袖かな(新古1492)

【通釈】五月雨は、真屋の軒端から落ちる雨垂れが余りひどいように、ひどく涙に濡れる袖であるよ。

【語釈】◇真屋 切妻造りの家。

【補記】保延六(1140)、七年頃、堀河題を述懐に寄せて詠んだ百首歌。掲出歌は「五月雨」に言寄せて歎きの思いを詠んでいる。上三句は「雨」から同音の「あまり」を導く序詞と見ることもできる。以下、雑歌はおおよそ年代順になるように排列した。

【本歌】催馬楽「東屋」
あづまやの真屋のあまりの雨そそき我立ち濡れぬ殿戸開かせ

【鑑賞】「『濡るる袖』は、序からの続きで見れば、五月雨かと思はせるものがある。心は歎きの涙であるのに、これをそれ程までに自然化したのである。随つて、味ひに幽かなところがある。音楽的なところと、この幽かさとは、この作者の特色を現したものといへる」(窪田空穂『新古今和歌集評釈』)。

述懐百首の歌よみ侍りける時、鹿の歌とてよめる

世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる(千載1151)

【通釈】辛いこの現世というものよ。そこから逃れる道はないのだ。深い思いをこめて入り込んだ山の奧でも、鹿が悲しげに啼いている。

【語釈】◇世の中よ ここで句切れ。◇道こそなけれ 後に来る「思ひ入る山の奧」という詞から、出家遁世をめぐる心情を詠んだ歌と判る。ゆえに、「(俗世間から)逃れる道がない」の意になる。◇入る 「思ひ入る(深く思い込む)」「(山に)入る」の掛詞。◇鹿ぞ鳴くなる 鹿の声は悲しげなものとされた。「なる」は伝聞推量の助動詞「なり」係助詞「ぞ」を承けて連体形で結んだもの。

【補記】たとえ山奧に入って俗世間と交渉を絶ったとしても、鹿の鳴き声から受けるような「情」の世界とは縁を切ることが出来ない。「世の中」を純粋に心の問題として詠んだ、思想の歌である。前歌と同じく保延六、七年頃の堀河百首題による「述懐百首」、俊成二十七歳頃の作。

【他出】長秋詠藻、定家八代抄、近代秀歌、八代集秀逸、時代不同歌合、百人一首、詠歌一体、三五記、桐火桶、正風体抄、井蛙抄、題林愚抄

【参考歌】よみ人しらず「古今集」、「猿丸大夫集」
奥山にもみぢふみわけなく鹿のこゑきく時ぞ秋はかなしき

【主な派生歌】
恋ひかぬる心のはてやみ吉野の山のおくにも思ひ入るべき(藤原公衡)
いづこにて風をも世をも恨みまし吉野の奧も花は散るなり(藤原定家)
思ひ入る人は絶えたる奥山になきても鹿のひとりすむらん(元政)

述懐百首歌よみける時、紅葉を

嵐吹く峯の紅葉の日にそへてもろくなりゆく我が涙かな(新古1803)

【通釈】嵐が吹き荒れる峰の紅葉が日に日に脆くなってゆくように、感じやすくなり、こぼれやすくなってゆく我が涙であるよ。

【補記】感傷的になり、涙もろくなってゆく心を紅葉に言寄せて詠む。同じく堀河題を述懐に寄せて詠んだ、若き日の百首歌。

【他出】長秋詠藻、自讃歌、定家十体(有一節様)

雪によせて、述懐の心をよめる

杣山(そまやま)や梢におもる雪折れにたへぬ歎きの身をくだくらむ(新古1582)

【通釈】杣山の木々の梢に雪が重く積もって枝が折れる――そのように、耐えられない嘆きが積もって我が身を砕くのであろう。

【語釈】◇杣山 材木を伐り出す山。◇歎き 「き」に木の意を掛ける。「杣」「梢」と縁語になる。

【補記】同じく堀川題に寄せて詠んだ述懐百首。初句を「杣山の」とする本もある。

暁の心を

暁とつげの枕をそばだてて聞くも悲しき鐘の音かな(新古1809)

【通釈】暁であると告げるのを、黄楊の枕をそばだてて聞いていると、何とも悲しい鐘の音であるよ。

【語釈】◇つげ 「告げ」「黄楊」の掛詞。◇枕をそばだてて 枕の一端を立て、傾けて。

【補記】前歌と同じ若き日の述懐百首。

【他出】長秋詠藻、定家十体(幽玄様)、定家八代抄

【参考】「白氏文集」「和漢朗詠集」(→資料編
遺愛寺鐘欹枕聴(遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴く)
  藤原為忠「為忠家後度百首」
さむしろにあやめの枕そばだてて聞くもすずしき時鳥かな

述懐百首歌よみ侍りけるに

いかにせむ(しづ)園生(そのふ)の奧の竹かきこもるとも世の中ぞかし(新古1673)

【通釈】どうしよう。賤しい我が園の奧の竹垣ではないが、深く引き籠って生きようとも、世間から逃れることはできないのだ。

【語釈】◇かきこもる 「かき」に垣の意を掛ける。

【補記】遁れ得ない現世に対する嘆きを詠み、主題は「世の中よ道こそなけれ…」と共通する。「竹」と「よ」は縁語。

【他出】長秋詠藻、定家十体(面白様)、三五記、題林愚抄

述懐百首歌の中に、夢の歌とてよめる

憂き夢はなごりまでこそ悲しけれ此の世ののちもなほや歎かむ(千載1127)

【通釈】辛い夢は、覚めたあとの名残までもが悲しいのだった。この世から生まれ変わっての後の世も、やはり歎き続けるのだろうか。

【補記】今生(こんじょう)の迷妄から覚めてのちの後世(ごせ)にあっても、夢のなごりのように歎きを繰り返すのかという思い。若き日の堀川題百首(述懐百首)。保延六(1140)、七年頃。

【他出】長秋詠藻、正風体抄、題林愚抄

永治元年、御譲位近くなりて、夜もすがら月を見てよみ侍りける

忘れじよ忘るなとだにいひてまし雲居の月の心ありせば(新古1509)

【通釈】私も忘れまい。おまえも忘れるなとだけは言っておきたいものだ。殿上から眺める月に心があったならば。

【語釈】◇御譲位 崇徳天皇の譲位。◇忘るなとだにいひてまし (月に対して)忘れるなと、せめてそれだけは言っておきたい。◇雲居の月 内裏で眺めた月。「雲居」には空の意もあるが、ここでは内裏の意が主となる。

【補記】『長秋詠藻』の詞書は「永治元年にや御譲位ちかく成りてのころ、しも月十余日月おもしろかりし夜、土御門内裏南殿御前に明がたまでありてよみける」。永治元年(1141)は俊成二十八歳。側近の歌人として仕えた崇徳天皇の譲位が迫り、宮廷を離れる悲しみを月に寄せて歌い上げている。

【他出】長秋詠藻、自讃歌、定家八代抄

【主な派生歌】
忘れじよ忘るなとだに言の葉にいはぬを残す水ぐきの跡(正徹)

崇徳院に百首歌奉りける、無常の歌

世の中を思ひつらねてながむればむなしき空に消ゆる白雲(新古1846)

【通釈】世の中のことを次から次へ思い続けて、外を眺めていると、虚空にはなかく消えてゆく白雲よ。

【語釈】◇むなしき空 漢語「虚空」を和語化したもので、仏教的陰影を帯びる語。

【他出】久安百首、続詞花集、今撰集、長秋詠藻、三百六十首和歌、内裏愚抄

【鑑賞】「実際に即した形をもつて詠んでゐる。『むなしき空に消ゆる白雲』は、実景で、同時に暗示的なもので、おのづから無常を思はせるものとなつてゐる。幽玄の趣を持つた余情である」(窪田空穂『新古今和歌集評釈』)。

山家月といへる心をよみ侍りける

住みわびて身を隠すべき山里にあまり隈なき夜半の月かな(千載988)

【通釈】浮世が住みづらくなって、隠遁しようと山里にやって来たが、あまりにも隈なく月が照っていて、身を隠すすべもないのだった。

【補記】『長秋詠藻』の詞書は「家に月の五首歌よみし時、山居月」。承安二年(1172)以前の作。

【他出】歌仙落書、長秋詠藻、定家十体(事可然様)、定家八代抄、近代秀歌、僻案抄、三五記、桐火桶、正風体抄、井蛙抄、歌林良材

安元弐年にや、九月廿日比より心ち例ならずおぼえて、廿七日にはかぎりになりければ、さまかへむとするほど、皇太后宮大夫辞し申すよしなど、左大将のもとに消息つかはす次にそへける歌

昔より秋の暮をば惜しみしが今年は我ぞ先立ちぬべき(長秋詠藻)

【通釈】昔から秋の暮を惜しんだものだが、今年は秋が終わる前に私の方が先に逝ってしまうことだろう。

【語釈】◇かぎり 臨終。◇さまかへむ 出家して法体となる。◇左大将 藤原実定。俊成の甥にあたる。

【補記】安元二年(1176)九月、重い病を患い、出家して官職を辞す旨、後徳大寺実定に書き贈った手紙に添えた歌。続後撰集にも載るが、詞書が精しい『長秋詠藻』より採った。

秋の暮に病にしづみて世をのがれ侍りにける、又の年の秋九月十余日、月くまなく侍りけるに、よみ侍りける

思ひきや別れし秋にめぐりあひて又もこの世の月を見むとは(新古1531)

【通釈】思いもしなかった。この世と訣別した秋に巡り逢って、再び生きて月を眺めようとは。

【補記】出家した翌年の治承元年(1177)の作。俊成の出家の機縁となったのは大病であった。ひとたびは死を覚悟したことが窺われる深みの感じられる歌。なお「めぐり」「月」は縁語。

【他出】長秋詠藻、玄玉集、定家八代抄

入道前関白太政大臣家、百首歌よませ侍りけるに、立春の心を

年暮れし涙のつららとけにけり苔の袖にも春や立つらむ(新古1436)

【通釈】年が暮れたのを惜しんで流した涙のつららも解けてしまった。苔の袖にも春が来たのであろうか。

【語釈】◇苔の袖 僧衣の袖。実際俊成は安元二年(1176)、六十三歳の時、大病を機縁として出家している。

【補記】治承二年(1178)の右大臣百首。もとは春歌として詠まれたものであるが、老境の述懐色が濃く、新古今集では巻十六「雑歌上」の巻頭を飾る。

【他出】長秋詠藻、定家十体(有心様)、定家八代抄、時代不同歌合、題林愚抄

【本歌】二条后「古今集」
雪のうちに春は来にけり鶯の氷れる涙いまやとくらむ

遁世ののち花の歌とてよめる

雲の上の春こそさらに忘られね花は数にも思ひ出でじを(千載1056)

【通釈】宮中で経験した春こそは絶えて忘れられない。禁裏の花は、私のことなど物の数にも思い出さないだろうに。

【語釈】◇雲の上の春 宮中での春。特に花の宴などを暗示。

【補記】治承二年(1178)の右大臣家百首。

【他出】長秋詠藻、定家十体(有心様)、定家八代抄、正風体抄、井蛙抄

世をのがれて後、百首歌よみ侍りけるに、花歌とて

今はわれ吉野の山の花をこそ宿の物とも見るべかりけれ(新古1466)

【通釈】出家した今、私は吉野山の桜を我が家のものとして眺めることができるのだ。

【語釈】◇宿の物 隠棲している我が家のもの。

【補記】出家前は遥かに憧れるだけであった名所の桜を思うままに眺められる喜びを、吉野山に庵を結んだ隠棲者の立場で詠んでいる。治承二年(1178)の右大臣家百首、題は「花」。新古今集の詞書では「世をのがれて後」という詞を添えて、俊成自身の境涯に重ねて読まれることを意図している。俊成が出家して二年後の作である。

【他出】長秋詠藻、定家八代抄、歌枕名寄

【本歌】よみ人しらず「古今集」
み吉野の山のあなたに宿もがな世のうき時のかくれがにせむ
  藤原仲実「金葉集」
もずのゐる櫨(はじ)の立ち枝のうす紅葉たれ我が宿の物と見るらむ

入道前関白太政大臣家の百首歌に

照る月も雲のよそにぞ行きめぐる花ぞこの世の光なりける(新古1468)

【通釈】美しく輝く月も、雲の彼方という遥か遠い世界を行き巡っている。それに対して桜の花こそはこの世界を照らす光なのだ。

【補記】月と花の優劣を取り上げた歌。月は雲の彼方をゆきめぐるが、花は地上にあってこの世を照らす。美に優劣はないとしても、地上の現実を尊ぶ思想から、花をより貴いものとしている。治承二年(1178)の右大臣家百首。新古今集の詞書は「同じ家の百首歌に」とあるのを改めた。

【参考歌】和泉式部「和泉式部続集」「風雅集」
あぢきなく春は命の惜しきかな花ぞこの世のほだしなりける

題しらず

老いぬとも又も逢はむと行く年に涙の玉を手向けつるかな(新古1586)

【通釈】老いてしまったけれども、再び春に巡り逢おうと、去り行く年に涙の玉を捧げたのであった。

【語釈】◇涙の玉 暮れてゆく年の名残惜しさに流した涙の雫を、高価なものである玉(真珠、水晶の玉など)に喩えている。◇手向けつるかな 去り行くものに餞(はなむけ)を贈る、神に捧げ物をする、の両意がある。掲出歌では生き永らえることを願っての「手向け」なので、どちらかと言えば後者に比重がある。

【補記】治承二年(1178)の右大臣家百首。題は「歳暮」。新古今集は老境の述懐歌として雑部に収めた。

入道前関白太政大臣家歌合に

春来ればなほこの世こそ偲ばるれいつかはかかる花を見るべき(新古1467)

【通釈】春が来ると、やはりこの現世こそが素晴らしいと心惹かれるのである。来世ではいつこのような花を見ることができようか。そんなことは分かりはしないのだから。

【補記】「いつかは」は「この世」に対して言っているので、死んで後の世のいつ…という意味になる。治承三年(1179)十月の右大臣家歌合に詠進した歌。

太神宮に奉りける百首歌中に、若菜をよめる

今日とてや磯菜つむらん伊勢島や一志(いちし)の浦のあまの乙女子(新古1612)

【通釈】今日は正月七日というので、若菜の代りに磯菜を摘んでいるのだろうか。伊勢島の一志の浦の海人の少女は。

【語釈】◇今日とてや 「今日」とは正月七日すなわち若菜摘みの日。◇磯菜 磯辺に生える、食用になる草。◇伊勢島 伊勢。大和を大和島とも言うのと同じ。◇一志の浦 伊勢の歌枕。伊勢湾の一部であろう。和歌では海人の住む土地として詠まれた。

【補記】都では晴れがましい正月の行事が、海人の里では侘しげであろうと想像し、哀れを催させる情景として詠んでいる。尤も、(俊成の歌の多くに当てはまることであるが)内容より調べが主の歌と言うべきで、「磯菜」「伊勢島」「一志」とイ音で頭韻を踏んでいるのも声調上の一工夫である。文治六年(1190)に清書が成り、七月二十五日に伊勢神宮に奉納された百首歌。もとは春歌として詠まれたものであるが、新古今集では海にまつわる雑歌として収録している。

【他出】俊成五社百首、定家八代抄、御裳濯集、歌枕名寄、題林愚抄

【参考歌】小弁「夫木和歌抄」(古来歌)
春はまた浦に出でてや三熊野の神の初もの磯菜つむらん
  道因法師「千載集」
伊勢島やいちしの浦の海人だにもかづかぬ袖はぬるるものかは

春日社にたてまつりける百首歌の中に、野を

春日野は()()若菜の春のあと都の嵯峨は秋萩の時(玉葉2062)

【通釈】春日野は、子の日の若菜摘みをした春の野遊びの跡が良い。都の嵯峨野は、秋萩の時が良い。

【語釈】◇春日野(かすがの) 大和国の歌枕。奈良市の春日山・若草山の西麓の台地。若菜の名所。◇嵯峨野 京都市右京区嵯峨あたりに広がっていた野。女郎花・尾花など秋の花の名所。

【補記】奈良旧京の春日野と京都の嵯峨野を対比させ、それぞれに春・秋の野遊びの楽しみを振り分けた。文治六年(1190)十一月、春日社に奉納された百首歌。

【他出】長秋草、俊成五社百首、玄玉集、歌枕名寄、六華集、題林愚抄

百首歌よみ侍りけるに、懐旧歌

昔だに昔と思ひしたらちねのなほ恋しきぞはかなかりける(新古1815)

【通釈】まだ若かった昔でさえ、亡くなったのは昔のことだと思っていた親――その親が今もなお恋しく思われるとは、はかないことである。

【語釈】◇たらちね 親。「母」の枕詞であった「たらちねの」に由来する語であるが、のち父についても「たらちね」と言うようになった。

【補記】文治六年(1190)成立の『俊成五社百首』の日吉社百首。父母を偲び続けた歳月の長さを詠んで、人生の儚さに思いを馳せている。因みに俊成は十歳で父を、二十六歳で母を亡くしている。

【他出】長秋草、俊成五社百首、定家八代抄

八十(やそぢ)におほくあまりて後、百首歌召ししに、よみて奉りし

しめおきて今やと思ふ秋山の蓬がもとにまつ虫のなく(新古1560)

【通釈】自身の墓と定めて置いて、今はもうその時かと思う秋山の、蓬(よもぎ)の繁る下で、私を待つ松虫が鳴いている。

【語釈】◇百首歌 千五百番歌合に詠進した百首のこと。◇しめおきて 墓所と決めて領有して。◇今やと思ふ 墓に入るのももうすぐだろうかと思う。◇蓬(よもぎ)がもと 近い将来入るべき墓の場所を指す。蓬は野に生える代表的な雑草として言う。◇まつ虫 松虫に「待つ」を掛ける。

【補記】建仁元年(1201)の千五百番歌合。同歌合では秋の部に入るが、新古今集では雑歌とし、秋山に寄せての老年述懐歌として排列されている。この点、次の歌も同じ。

【他出】千五百番歌合、自讃歌、定家十体(濃様)、愚見抄、桐火桶、正徹物語、心敬私語

千五百番歌合に

荒れわたる秋の庭こそ哀れなれまして消えなむ露の夕暮(新古1561)

【通釈】一面に荒れている秋の庭は哀れなものだ。まして、今にも消えそうな露が庭の草木に置いている夕暮時は、いっそう哀れ深い。

【語釈】◇まして消えなむ 「消え」には命が消える意が掛かる。◇露の夕暮 露がしげく置く夕暮。「露」は、はかない人の命の象徴でもある。

【補記】秋の庭の景に寄せて、老境の寂寥を詠む。千五百番歌合では秋歌であるが、新古今集では述懐歌として雑歌に収める。

【他出】千五百番歌合、定家十体(濃様)、六華集

山家松といふことを

今はとてつま木こるべき宿の松千世をば君となほ祈るかな(新古1637)

【通釈】今となっては、薪を伐って暮らすような隠棲の住まいにあって、その庭先に生える松に寄せて、千歳の齢を大君に実現せよと、なおも祈るのである。

【語釈】◇今はとて 今は世を捨てるとて。◇つま木 薪。特に、枝など、手で折り取った細い木。

【補記】建仁三年(1203)七月の八幡若宮撰歌合。俊成九十歳、死去前年の作。

【他出】八幡若宮撰歌合、定家十体(事可然様)、定家八代抄、僻案抄、題林愚抄、歌林良材

【本歌】在原業平「後撰集」
住みわびぬ今は限りと山里につま木こるべき宿もとめてむ

神祇

賀茂社の後番の歌合のとき、月歌とてよめる

貴船川たまちる瀬々の岩浪に氷をくだく秋の夜の月(千載1274)

【通釈】貴船川の瀬々の岩に寄せては玉と散る波――その波に、氷を砕くと見える秋の夜の月よ。

貴船川
貴船川 京都市左京区

【語釈】◇貴船(きふね) 京都の貴船神社付近を流れる川。鞍馬川と合流して賀茂川の上流となる。

【補記】元暦元年(1184)九月の賀茂社後番歌合。下記本歌は恋に破れて貴船神社を訪れた和泉式部が「物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂(たま)かとぞみる」と詠んだのに対し、貴船明神が返した歌と伝わる。俊成の歌はこれを承け、「玉散る」に魂が千々に乱れる意を、「氷をくだく」に心を砕く意を響かせて、心中の苦しさを神に訴えているのであろう。ゆえに俊成はこの歌を自身の編纂した千載集に神祇歌として収めたものと思われる。

【他出】歌枕名寄、正風体抄

【本歌】貴船明神「後拾遺集」
奥山にたぎりておつる滝つ瀬の玉ちるばかり物な思ひそ

【主な派生歌】
戸無瀬川玉ちる瀬々の月を見て心ぞ秋にうつりはてぬる(藤原定家)

入道前関白家、百首歌よみ侍りけるに

神風や五十鈴の川の宮柱いく千世すめとたてはじめけむ(新古1882)

【通釈】五十鈴川のほとりの内宮(ないくう)の宮柱は、川の水が幾千年も澄んでいるように幾千年神が鎮座されよと思って建て始めたのであろうか。

【語釈】◇神風や 本来、伊勢にかかる枕詞であるが、ここでは「五十鈴の川」の枕詞として用いる。◇五十鈴の川 伊勢内宮境内を流れる川。◇すめ 「(川の水が)澄め」「(神が)住め」の掛詞。また「すめ」は川の縁語。

【補記】伊勢神宮の宮柱を讃めることで天照大神を讃えた歌。治承二年(1178)の右大臣家百首。

【他出】長秋詠藻、玄玉集、定家八代抄、歌枕名寄

文治六年女御入内屏風に、臨時祭かける所をよみ侍りける

月さゆるみたらし川に影見えて氷にすれる山藍の袖(新古1889)

【通釈】澄み切った月が輝く御手洗川に、小忌衣(おみごろも)を着た人の影が映っていて、その氷で摺り付けたかのような山藍の袖よ。

【語釈】◇臨時祭 十一月の上賀茂神社の臨時祭。◇みたらし川 賀茂神社境内を流れる御手洗川。◇氷にすれる 氷で摺り付けてある。臨時祭の神人の袖は青摺であるが、その色が氷に映って冴え冴えとした光を発していることを、「氷に摺れる」と言いなした。◇山藍(やまあゐ)の袖 山藍(野生の藍)で染めた袖。臨時祭に奉仕する人の小忌衣(おみごろも)の袖。白麻の地に青摺で模様をつける。

【補記】文治六年(1190)、九条兼実の息女である任子(のちの宜秋門院。良経の妹)が後鳥羽天皇に入内した折の屏風和歌。臨時祭のさまを描いた屏風絵に添えた歌である。『長秋詠藻』の詞書は「賀茂臨時祭、上の御社の社頭儀式」。

【他出】長秋詠藻、玄玉集、慈鎮和尚自歌合、三百六十首和歌、定家十体(一本。濃様)、定家八代抄、続歌仙落書、歌枕名寄

【参考歌】厚見王「万葉集」
かはづ鳴く神奈備川に影見えて今や咲くらむ山吹の花
  藤原実方「実方集」「新古今集」
いにしへの山井の水に影みえてなほそのかみの袂恋しも

家に百首歌よみ侍りける時、神祇の心を

春日野のおどろの道の埋れ水すゑだに神のしるしあらはせ(新古1898)

【通釈】春日野の茨の繁る道にひっそり流れる水――そのように世間に埋もれている私ですが、せめて子孫にだけでも春日の神の霊験をあらわして下さい。

【語釈】◇春日野 氏社があることから藤原氏を暗示。◇おどろの道 茨などの茂った道。また「棘路(きょくろ)」の訓読語で、公卿の異称。◇すゑ 子孫。「道」と「すゑ」、「水」と「すゑ」がそれぞれ縁語となる。

【補記】治承二年(1178)の右大臣家百首。詞書の「家」は九条兼実の家。子孫(具体的には子の定家)が公卿(参議以上、または三位以上)となる願いを籠めた歌。俊成自身は仁安元年(1166)、五十三歳の時に従三位に叙せられ、公卿の地位を得ているが、ついに参議に就くことは叶わなかった。

【他出】長秋詠藻、月詣集、定家八代抄、野守鏡、歌枕名寄

釈教

法師品(ほつしほん)漸見湿土泥(ぜんげんしつどでい)決定知近水(けつじやうちごんすい)の心をよみ侍りける

武蔵野のほりかねの井もあるものをうれしく水の近づきにける(千載1241)

【通釈】武蔵野の堀兼の井のように掘るのが困難な井もあるものを、私が掘ってゆくと、嬉しいことに水脈が近づいてきたのだった。

【語釈】◇法師品 法華経第十品。◇漸見湿土泥、決定知近水 訓読すると「漸く湿(うるほ)へる土泥を見ては、決定(けつじょう)して水に近づきたりと知るがごとし」。井戸を掘る時、湿った土や泥を見て水脈が近いことを知るように、法華経を深く学ぶほどに真の仏智に近づくことを知る、といった意味。◇ほりかね 武蔵国の歌枕「堀兼」に「(土が固くて)掘りかね」の意を掛ける。◇水の近づき… この水は仏智をあらわす。

【補記】康治年間(1142〜1144)、待賢門院中納言(待賢門院璋子に仕えた女房。藤原定実の娘)が人々に法華経二十八品の歌を詠むよう勧めた時、それに応じて作った歌。

【他出】長秋詠藻、歌枕名寄、夫木和歌抄、正風体抄

勧発品(くわんぽつほん)の心をよみ侍りける

更にまた花ぞ降りしく鷲の山(のり)のむしろの暮れ方の空(千載1246)

【通釈】再びまた蓮華が降りしくのだ。釈迦が説法する霊鷲山(りょうじゅせん)の暮れかかる空から。

【語釈】◇勧発品 法華経の最終章、第二十八品。◇花ぞ降りしく 普賢菩薩が東方からやって来る時に通った諸国では、天から蓮華の花が雨のように降ったという。◇鷲の山 霊鷲山。釈迦が住み、説法した山。◇法のむしろ 釈迦の説法の場。

【補記】『長秋詠藻』下巻、法華経の「四要品」と「普賢品」(勧発品に同じ)を詠んだ連作五首の最後の一首。

【他出】長秋詠藻、定家八代抄、正風体抄

美福門院に、極楽六時讃の絵にかかるべき歌奉るべきよし侍りけるに、よみ侍りける、時に大衆法を聞きて(いよいよ)歓喜膽仰(せんがう)せむ

今ぞこれ入日を見ても思ひこし弥陀(みだ)御国(みくに)の夕暮の空(新古1967)

【通釈】今目の当りにしているのがそれなのだ、入日を眺めては思い憧れてきた、阿弥陀如来の御国、極楽浄土の夕暮の空よ。

【語釈】◇美福門院 藤原長実の娘、得子。鳥羽上皇に召され、近衛天皇を生んだ。俊成の妻はこの人に仕え、美福門院加賀と呼ばれた。◇極楽六時讃 極楽の六時(日没・初夜・中夜・後夜・晨朝・日中)を礼讃した、源信作と伝わる和讃。◇時に… 以下は極楽六時讃の「日没讃」の句。掲出歌は、この句にあたる絵画に添えた歌である。◇弥陀の御国 阿弥陀如来の御国。極楽浄土。

【補記】美福門院に召されて詠んだ、極楽六時讃の絵に添える歌。美福門院が亡くなったのは永暦元年(1160)なので、俊成四十七歳以前の作。

【他出】長秋詠藻、六華集


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成20年05月18日

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