豊島与志雄 とよしま・よしお(1890—1955)


 

本名=豊島与志雄(とよしま・よしお)
明治23年11月27日—昭和30年6月18日 
享年64歳 
東京都府中市多磨町4–628 多磨霊園7区2種17側 



小説家・翻訳家。福岡県生。東京帝国大学卒。大正3年芥川龍之介らと第三次『新思潮』を創刊。『湖水と彼等』『蠱惑』などを発表。認められる。『野ざらし』は代表作の一つ。『レ・ミゼラブル』『ジャン・クリストフ』の翻訳家としても著名。短編小説集『生あらば』、随筆集『書かれざる作品』などがある。



 



 母は悲しい眼付をして、なほじっと坐ってゐた。黄色っぽい薄ら明りがその全身を包んでゐた。けれど、今にも次第に暗くなってきさうだった。眼に見えるやうにじりじりと秋の日脚が傾いていった。冷々とした風が少し吹いて、さらさらと草の葉のそよぐ音がした。木和田五重五郎の位牌が、野中の十字架のやうに思はれた。雑草の中に一つぽつりと、灰白色の圓いものが見えた。野晒しの髑髏だった。その上を冷たい風が掠めていった。彼は堪らなく淋しい気持ちになって、我知らず口の中で繰返した。----野ざらしを心に風のしむ身かな。-----それをいくら止めようとしても、やはり機械的に繰返されるのだった。一生懸命に止めようと努力すると、気が遠くなって野原の真中に倒れた。胸がまるで空洞になって、風がさっさっと吹き過ぎた。自分の魂が髑髏のやうになって、胸の中に……野の中に轉ってゐた。
                                                              
(野ざらし) 



 

 ユゴーの『レ・ミゼラブル』やロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』の翻訳は今も名訳としての評価が高く読み継がれ、翻訳家としての名が知られているが、随筆・評論、小説、童話、戯曲などの作品も多く書いた。
 前衛的作風ゆえに一般には理解されなかった「孤高の文士」豊島与志雄は、昭和30年6月18日、東京・文京区千駄木の自宅で心筋梗塞のため亡くなった。
 彼の作品は生涯を通じて変わることなく素直に、自由に、愛を模索し、そして独りたちどまっているようにさえおもわれる。観念を主題にしたその難解な幻想的文学はニヒリストの様相をも呈している。夢と現実の狭間を行き来しながら、その人生は夢の中の孤独な風景を背負っているようでもあった。



 

 豊島与志雄独特の作風は読者に馴染みのないものであったが、晩年の太宰治は豊島を敬愛し、山崎富栄を伴って度々千駄木の自宅を訪れて酒を酌み交わしている。交わりは太宰の死までつづき、葬儀委員長も務めた。また、芥川龍之介は〈豊島は作品から受ける感じとよく似た男である。誰かがそれを洒落て「豊島は何時でも秋の中にいる」と形容した〉云々とその印象を記している 。
 ——緑の多いこの墓地にあって、立ち止まったこの部分だけが暗く光を遮っているような錯覚を覚えた。砂利石の散らばった敷地にどんと淡く青みがかった自然石を置き、その座禅する達磨大師のような石姿の中央に仏教で「縁」を意味する「○」だけが彫られていた。故人の名は無い。右手前にある石柱に「豊島家之墓」とのみあった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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