外村 繁 とのむら・しげる(1902—1961)


 

本名=外村 茂(とのむら・しげる)
明治35年12月23日—昭和36年7月28日 
享年58歳(光海院釈了真)
滋賀県東近江市五個荘石馬寺町823 石馬寺(臨済宗)



小説家。滋賀県生。東京帝国大学卒。大学在学中の大正14年梶井基次郎、中谷孝雄らと同人誌『青空』を創刊。昭和2年父の急逝によって一時文学を断念したが、8年弟に家業を譲って『麒麟』同人となり、『鵜の物語』を発表。『澪標』で読売文学賞受賞。『草筏』『筏』『花筏』『夢幻泡影』などがある。



 



 翌年、私は今の妻、貞子を知り、結婚した。私は四十八、貞子は三十九である。
 私は先妻を亡くして慟哭した。その反動のように、私は今の妻を熱愛する。世間の人はそんな私を嘲笑する。というより、むしろ滑稽視する。全く当然である。阿呆なのである。阿呆と言われるのは当然のことである。
 私はこの慈悲の始終ないことは、徹底的に知らされている。泣くことの空しいと同様、愛することも至って空しい。しかし私は、私の妻への愛は、人間の愛そのものの否定の上に立っている、などと、ゆゆしげな理窟は言わない。愛などというものは悟りの中から生れるものではなく、むしろ迷いの中から自然に湧き出るようなものなのだから。
 言うならば、私の愛は、私という人間の無力さを痛感した、その低圧力の中へ、自然に、物理学的に滲透したのである。等しく私の力ではどうなるものでもない。唯異るところは、青年期のように無我夢中ではなく、年齢がそんな自分を客観視できることである。そして結果的には、私の今の妻に対する愛は、常に無常の中にあるということである。

(澪標)



 

 近江商人発祥の地、滋賀県南五個荘村金堂(現・東近江市五個荘金堂町)の旧家に生まれた外村繁。〈血といふものは何といふ不思議なものであらう。親も知らず、子も知らず、孫も知らない間に(略)倦み、疲れ、汚れ始めて、遂には家風だけが、蝉の抜殻のやうに、たゞ厳しく取残されてしまふ〉ことに苦悩しながら、両親の願いに反した作家への道に入った。
 昭和23年の冬、最初の妻とく子と死別、翌々年に再婚した妻ていは35年に乳がんを摘出、外村もまた上顎腫瘍の発見をうけてともに病魔と戦うことになったのだが、36年2月再発、7月病状悪化、7月28日午前0時40分、入院先の東京医科歯科大学医学部付属病院にて死去。初七日ののち、てい夫人も再発し、11月26日に没した。



 

 小さな掘割りがめぐり、白壁の塀をぐるりと回した旧家が立ち並ぶ近江商人の町五個荘金堂町の外れ、道は水田の中を西の衣笠山麓にむかって一筋にのびている。
 山の入口に立つ「石馬寺」の石標を見やりながら自然石の急階段を上っていく。かって繁が父と二人で休み休み上っていった石段の両側は古の出城石垣の名残をとどめて青々とした苔が生している。みんみん蝉とつくつく法師の合唱する木立の中、父吉太郞の建てた「外村累代墓」はある。花崗岩のまさに古色と苔生した墓、一代の住職が生涯一度だけ御開帳できるといわれる秘仏十一面千手観音菩薩像が厨子に納められ、安置された大方丈が真下に見えている。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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