富安風生 とみやす・ふうせい(1885—1979)


 

本名=富安謙次(とみやす・けんじ)
明治18年4月16日—昭和54年2月22日 
享年93歳 ❖風生忌 
東京都東村山市萩山町1丁目16–1 小平霊園41区1側9番 



俳人。愛知県生。東京帝国大学卒。大学在学中に水原秋櫻子らと「東大俳句会」を興し、のち高浜虚子に師事。昭和3年勤務していた逓信省内の俳誌『若葉』の選者となり、のち自らの主宰誌とした。4年『ホトトギス』同人。句集『草の花』『走馬燈』、随筆集『艸魚集』などがある。



 



鍛冶の火を浴びて四葩の静かかな

一もとの姥子の宿の遅ざくら     

走馬燈へだてなければ話なし                  

老木の芽をいそげるをあはれみぬ

わが老をわがいとほしむ菊の前

老いぬれば蚊帳の別れも惜しまれて          

冬海といふ虚しくて充てるもの

身をもみて枯枝の影の苦しめる

死を怖れざりしはむかし老の春 
     

おのづから序ありて枯れてすべて枯る



 

 草木を愛する富安風生に弟子たちは「植富」というあだ名をつけたそうだが、〈よろこべばしきりに落つる木の実かな〉などは、まさにその通り風生なればこその俳句観を詠んだ句ではないか。
 「客観写生」、ただ「あるがまま」の人生観を持った高浜虚子に師事、その生き方を手本にした風生には〈花を眺めるのと同じに「老」というものを眺めている〉と自らが言ったように、老齢を詠んだ作品を数多く残しているのだが、辞世の句〈九十五齢とは後生極楽春の風〉は、昭和54年2月22日春先、動脈硬化症と肺炎により93歳の長命で逝った風生の、まさにその集大成であったのかも知れない。官吏としても俳人としても恵まれた生涯であった。



 

 『ホトトギス』の同人に推されてから4年後の昭和4年、風生48歳の第一句集『草の花』に寄せた師高浜虚子の序は、風生の句を〈中正・温雅〉、〈穏健・妥当な叙法〉と見ている。
 風生の眠る場所としては申し分のない自然味あふれた霊園。両手を広げてもまだまだ余りあるほど解放された石段の先に、〈走馬燈へだてなければ話なし〉の句碑がはめ込まれている。石積を背に、軽妙で平明典雅な作風に似ず、くっきりと大きな文字の「富安家」墓があった。
 ともに90余年の天命を全うし、敏子夫人と眠るこの塋域は、北鎌倉・寿福寺のやぐらにある〈風生と死の話して涼しさよ〉と詠んだ師高浜虚子の墓に比べて、何と明るい陽差しを浴びていることか。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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