峠 三吉 とうげ・さんきち(1917—1953)


 

本名=峠 三吉(とうげ・みつよし)
大正6年2月19日—昭和28年3月10日 
享年36歳 
広島県広島市中区中島町9–5 西応寺(浄土真宗)



詩人。大阪府生。広島商業学校(現・広島商業高等学校)卒。昭和17年キリスト教受洗。20年8月6日広島で被爆、原爆症の症状をみる。26年ガリ版の『原爆詩集』を自費出版。27年『原子雲の下より』を刊行、注目を集めた。『峠三吉作品集』がある。



 



ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを

へいわをかえせ       

 

(ちちをかえせ、ははをかえせ)



 

 昭和20年8月6日8時15分、終戦間近の広島に圧倒的な破壊力を持った原子爆弾が落ちた。峠三吉は爆心地より三キロほど離れた広島市翠町(現・南区翠町)で被爆、28歳だった。
 終戦後は広島で地域文化運動のリーダーとなり、平和への戦いに踏み出した。26年、薄暗い国立広島療養所(現・国立病院機構東広島医療センター)の一室でまとめた詩集。28年3月9日午後に始まった肺葉摘出手術は困難を極めたが、この孔版印刷の『原爆詩集』序の詩「ちちをかえせ ははをかえせ」が仲間たちからの励ましの声となって、手術台上で耐える彼の耳元に届いてきた。15時間の後、高原の朝日を見ることなく心臓衰弱によって死去した。



 

 〈髪にそよぐ風のように生き 燃えつくした炎のように死ぬ〉——フランスの抵抗詩人ルイ・アラゴンの詩句を愛した原爆詩人の墓前に佇んだ。
 大正時代に建てられた「峠家累代之墓」は被爆しており、碑の上部三分の一位のところに、横一筋の亀裂が痛ましく、花立て、香立ても大きく破損して見える。峠三吉の平和へのさらなる戦い、『原爆詩集』をもっと発展させた一大原爆叙事詩『広島』は、体力の回復をはかろうと臨んだ手術中に死んだことによって、ついに日の目を見ること能わなかったが、熱い広島の原爆ドームにも近い、この寺本堂裏の被爆墓石に呻きつづける三吉に伝えるべき吉報は持ち合わせていなかった。
 額からしたたる汗が台石の上にぽとぽとと落ち、しゅんしゅんと消えていく。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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