世田谷一家四人殺害事件から7年が経ち、警視庁幹部と捜査員による献花が現場で行われた由。どのように事件を受け止めていたのかと当時の滴水録を参照。事件に関しては、年が明けた01年1月13日に、仙台の北陵クリニック病院での筋弛緩剤殺人事件とあわせて書かれている。一方は未解決事件、もう一方は冤罪の疑いが濃厚になりつつある事件。

 前後を読むと、当時はインターネット公開など考えていなかったこともあり、日々の記載は仕事・家族の関係のボリュームの方が遙かに大きく、政治・事件・社会などについての記述はずいぶんあっさりとしている。本来、日記というのはそういうものだろう。どうも最近は「公開」ということに引っ張られすぎているようだ。「社会をどのように見るか」ということにこだわるのか、それとももう少し「自分の内面にどのように映ずるか」ということにこだわるのか、意識して選び直しをした方がいいかもしれない。(12/30/2007)

 いま枕元に置いてある本、米原万里の「必笑小咄のテクニック」。寝る前に一章ずつ読む。だいたい一回から二回、声を出して笑うことになる。**(家内)から「うるさい」と言われるが、反射的に出てくる笑いは押さえられるものではない。

 彼女はロシア語の通訳であり、翻訳者だった。書名だけでニヤリと笑わせる洒落た本はそうそうないものだが、「不実な美女か、貞淑な醜女か」というタイトルは著者が通訳・翻訳を生業としていると聞けば、そのセンスに読む前から脱帽してしまう。

 中からコンパクトな奴をひとつ。

可奈ちゃんがお客さんに挨拶すると、お客さんはさかんに可奈ちゃんの髪の毛を褒めた。
「まあ、なんてきれいな艶々した髪なんでしょう。きっと、これはママ譲りね」
「ううん、パパ譲りだと思うわ。だって、パパの頭には、一本も髪の毛が残ってないんですもの」

 少し長いけれど、むちゃくちゃに笑った奴をひとつ。

とある婦人が美容整形外科医に訴える。
「先生、四十歳を過ぎましたら、とたんにシワが目立つようになって。鏡を見るのが辛くて悲しくて」
「では、最新シワ取り術を施しましょう。美容外科の最先端の方法では、メスで顔を傷つけたりしません。再手術の必要もないんです。頭のてっぺんにネジを取り付けます。あっ、ご心配なく。髪の毛で巧く隠しますから他人には分かりません。ネジを巻くと皮膚が引っ張られてシワが伸びるという寸法です。シワが増えるたびにネジを締め上げればシワは消えます」
ネジを取り付けてもらい、上機嫌で婦人は帰っていった。一週間後、婦人がまたやって来た。
「先生、大満足ですわ。皮膚はまるで赤ちゃんみたいにすべすべになりました。ただ一つだけ気になることが。目の下に大きな袋が出来てしまって。どうしましょう」
「奥さん、ネジの巻きすぎですよ。そりゃ袋じゃなくて、奥さんご自身の乳房です。その調子でネジを巻いていくと、もうすぐ顎髭が現れますよ」

 各章のおしまいには小咄に仕立てる課題が出ている。回答は読まずにスタンドを消し、しきりに仕上げを考えるうちに、いつのまにか眠りにつく。それがここ一週間の日課となっている。

 思いきり笑わせてくれるこの本のあとがきには次のように書かれている。

 ようやく二〇〇三年の夏、原稿書き直しに着手して、スイスイと筆の滑りもスムーズになってきた頃、二十年間介護してきた母の容態が急変し、同時に、わたし自身は腹の激痛に襲われ、母と同じ入院先で卵巣嚢腫の診断を受けて摘出手術を受けた。母が危篤に陥ったと知らされた翌日、摘出したわたしの卵巣は悪性腫瘍に冒されていたと告げられてしまった。亡くなった母とともに退院したわたしは、生きる気力やエネルギーを減退させ、執筆意欲も最低になった。その上、術後一年四カ月経った頃、痛の左鼠径部リンパ節への転移が判明した。

 彼女が逝ったのは去年5月25日のことだった。(12/29/2007)

 昨夜、「半落ち」を見ているとき、パキスタン人民党党首ブット元首相が暗殺されたというニュース速報が入った。一般的にはブットはムシャラフ独裁を牽制するためにアメリカの肝いりで帰国したと説明されている。クリスマスが終わったというのにまだ休暇中のブッシュ大統領は、「パキスタンの民主主義を妨害しようとする過激派による卑劣な行為を強く非難する」、「パキスタンの民主主義を台無しにしようとする残忍な過激派がテロを実行した」、「犯罪にかかわった者は裁きにかけられなければならない」と述べ、最後に「アメリカはパキスタン政府の捜査に全面的に協力する用意がある」と付け加えた由。

 美辞麗句は語る人によっていくらでも相貌を変えるものだ。それにしても「全面的に協力する用意がある」とは笑わせる。「テロとの戦い」という呪文をとなえてありとあらゆるものをポケットから取り出してきたブッシュには、いつで使える都合のよい「アルカイダ情報」がたんと仕入れてあるのだろう。

 対するムシャラフもなかなかのやり手だ。核不拡散条約の範疇外にいて核保有国になったパキスタンの核をアメリカのダブルスタンダードにつけ込んで既成事実化したお手並みはみごとだった。

 一筋縄ではいきそうもない彼にはこんな台本も似合うかもしれない。

§

「閣下、人民党の集会に爆弾テロを計画しているグループがいるとの情報があがってきました」
「いつだ?」
「27日夕方の集会だそうです」
「そうか、この間は黙認したのだったな」
「はい」
「あの事件の後、ファンダメンタリストのサルから、えらく怒られたぞ」
「では、今回は事前に・・・」
「いや、待て、選挙は来月だ・・・これはチャンスだ」
「どういうことでしょう」
「黙認しろ」
「やらせてもいいのですか?」
「いい。ところで、あいつ、使えるようになっているか?」
「彼・・・ですか?」
「そうだ。自爆テロ騒ぎで右往左往しているときに、彼女を始末すればいい」
「また、あのスジからクレームが・・・」
「つくだろうな。だが木は森の中に隠すのがいい、政治的なテロは無差別テロの中に隠すのが一番だ」

(12/28/2007)

 沖縄住民集団自決に関する高校歴史教科書の記述問題、文科省はなんとしても「軍の強制」は認めたくなかったようで「軍の関与」という記述修正で決着させた。厚労省の薬害肝炎担当官僚同様、文科省の役人も「公的機関の責任はいかなる経過があろうと絶対に認めない」と固く決心しているらしい。まあ役所だとか、警察だとか、軍隊だとかはそんなものだ。

 この修正にお怒りの人々がいらっしゃるらしい。彼らは文科省が「軍による命令、強制を証明するものがない」としたことを真に受けて「歴史を歪曲するな」と怒っている。そういえば「従軍慰安婦」に関する意見広告をワシントン・ポスト紙に掲載した人々も「従軍慰安婦の存在を証明する資料がない」ということを根拠としてアメリカ市民に「ねぇ、分かるでしょ」と呼びかけていた。

 こういう主張を聞くといつも浮かぶ疑問がある。この人たちはここ半年ほど大騒ぎになっている消えた年金記録問題に対してはどう考えているのだろうか、と。

 もし彼らの中に「消えた年金」の被害者がいたとしよう。彼らは「・・・を証明する資料がない」ということはすぐに百%「・・・という事実がなかったということだ」と考え、かつそれを大声で主張してきたのだから、社会保険庁が「この間の支払い記録は見つかりません」といえば、百%「お役所」の説明を認めるのだろうから、「あるはずだ」と窓口に出かけることはしないし、その期間に相当する年金請求をするなどという「ふとどきな行為」も絶対にしない・・・のかしらん、ホントかな?

 社会保険庁ほど杜撰な役所はないというかもしれないが、少なくとも社会保険庁は資料を意図的に焼却したりはしなかった。だからこそ「消えた五千万件」があるということが露見したわけだ。

 だが大日本帝国の軍隊(当時は天皇陛下の軍隊という意味で「皇軍」と呼ばれていた)は敗戦の前後に大量の書類を焼却などの手段で処分した。これは広範に行われたことだから否定する(できる)者はいない。証拠書類などなくて当たり前といってよい。そんなことも理解できない頭の不自由な人が・・・、いるんだね、この世の中には。(12/27/2007)

 勤続休暇に入っているのだが完全にオフというわけにはゆかない。旅費精算の決裁が滞っては申し訳ないから、VPN接続でイントラに入り申請の有無を確認する。ついでにメールチェックをすれば、それなりにレスポンスを返したくなるから、結局、小一時間はかかってしまう。これを朝昼晩の三回繰り返せば、毎回一時間とはゆかないもののそれなりの時間は使うことになる。リモートでつなげるのは便利なようで不便でもある。

 それでもゆっくりと新聞を拡げる時間があるのはうれしい。久しぶりに朝刊掲載になった「論壇時評」に目をとられた。書き出しが「・・・竹内好への関心が高まっている」だったからだ。

 中国研究を通じて近代日本を論じ、30年前に没した、竹内好への関心が高まっている。西洋は東洋を侵すことで、東洋はそれに抵抗することで、アイデンティティーを確立した。その中で日本は、どちらにも徹しきれなかったために、「何ものでもな」くなったのではないか。子安宣邦は、竹内の問題意識をこう描く。
 子安によれば、竹内は、中国の作家魯迅のような「ほんもの」の抵抗者が「ドレイであることを拒否し、同時に解放の幻想を拒否」しようとしたのに対し、日本は「もう一人の主人に支配されながら、自分がドレイであることさえ知らない、いわばにせものの主人というドレイ」であると考えた。

 子安がサマリしたのはおそらく「魯迅を手がかりとして」という副題をもつ「中国の近代と日本の近代」という小論だろう。手許の「竹内好評論集第三巻」によれば、この小論は1948年に書かれている。

 きょうの「時評」は、自覚なき「ドレイ」たる近代日本の思想がどのように「西欧」の「近代」と対峙しなければならなかったか、ひいては前の戦争がどのようなものであったか、そしてどのように位置づけられるかについての論議について、中島岳志の「パール判事」をめぐっての応酬を紹介し、最後に「グローバル化」の渦の中でかつてのような「近代の超克」のような課題意識が再び頭をもたげつつあるのではないかと書いている。

 竹内が終始批判したものはそっくりそのままいまも生きている。没して30年、「中国の近代と日本の近代」が書かれて60年が経とうというのに、いまだにこの国では「もう一人の主人に支配されながら、自分がドレイである」認識すらないという状況はまったく変わっていない。むしろ「従軍慰安婦」問題などを見ていると、「もう一人の主人」のみならず素のままのアジア人として立派に自立した国々の人々から、侮蔑のまなざしを浴びていることに気づこうともしないで、「ドレイ」の顔に一生懸命おしろいを塗りたくっている鈍感な子供へと退歩しつつあるのではないかと思わせる。(12/26/2007)

 一年ほど前、安倍政権はABF病にかかっていると書いた。Anything But Clinton、クリントンへの反発がほとんど唯一の政策の指針、そのように見えたブッシュ政権の異常さに通底するものが安倍政権に見られたからだ。してみると、福田政権が稚拙な安倍政権が浅知恵から繰り出した「政策」を棚晒しにし、あるいは廃棄するのは当然なのかもしれない。

 日本版NSCと呼ばれ安倍晋三が入れ込んでいた「国家安全保障会議」の創設が福田首相の指示により見送られることになったそうだ。

 福田は「現在、NSCのような機能がないかと言ったらそうではない」とコメントした由。それはその通りで中曽根内閣の頃から「安全保障会議」というものが設置されている。この2月にはNSCの設置を検討した報告書が出ている。報告書には「JNSCは現行の安全保障会議と同様に首相の諮問機関であり外務省や防衛省など関係官庁の権限を変更するものではない」とあったそうだ。なんのことはない日本版NSCは最初から屋上屋を架す、いかにも役人が「ポストが増えた」と大喜びしそうな組織として「新設」する方針だったわけだ。当時の報道によれば、安全保障会議の存続、関係官庁の権限を変えない方針などはすべて安倍の指示によるものだった。根本の所では八方美人をやめられないじつに安倍らしい間の抜けた話と大嗤いしたものだ。

 ところで町村官房長官はきのうの記者会見で「参院の与野党逆転状況を考えると法案審議の状況にもなく成立の見込みも極めて乏しい。安倍氏を含め関係者の了解は取っている」と説明したそうだ。今更、「国家の安全」などより「自分の健康」(?)を優先させて、後先のことも一切考えずに総理の椅子を無責任に放り出した人間のクズ、安倍晋三のメンツなど思いやってやることなどなかろうと思ったが、ひょっとすると設置検討会の委員に名を連ねていた、岡崎久彦、柳井俊二、佐々淳行、森本敏、・・・といったゾンビのような連中が、ギャーギャー騒ぎまわることを恐れていたのかもしれない。町村らしい小心さが嗤える。

 オスカー・ピーターソンが、23日、トロント郊外の自宅で亡くなった由。腎不全、82歳。(12/25/2007)

 新座でBフレッツの引込工事。あわせて電話も「ひかり電話」に。インターホン共用接続が気になったのだが問題なくクリア。工事業者は回線品質の確認を終えるとすぐに帰って行った。

 所沢から持参したノートPCでインターネット接続を確認しようとして問題がふたつ。NTTが設置したルータ設定ソフトとASAHIネットのID。

 ルータには取説とCDがついているのだが、モバイルノートにはCDドライブがない。NTTのホームページからダウンロードしてもよいが、そのためにはインターネット接続が必要というトートロジー。これはいよいよCDをコピーするためだけに所沢に戻るしかないかと覚悟したところでノートの無線LANをオンにしてみた。どういうわけかこれがつながる。**さんか、**さんか、どこかのうちがセキュリティ設定なしに無線LANを使用しているらしい。ありがたく借用させていただいて設定ソフトをダウンロードした。

 ASAHIネットのIDは郵便での通知が来ていないので分からない。新しい郵便会社はじつに律儀に居住者チェックをしており居住者不在で返送したらしい。電話問合せ(ひかり電話は0570が使えないので03ルートでコール)でIDを確認。なんとか「開通」できた。これでいつ新座に戻ってもOK。二世帯分の回線費負担は少し無駄のような気もするが仕方がないだろう。(12/24/2007)

 きのうのTBSニュースが「時事放談」の収録で与謝野馨が「薬害肝炎訴訟への政府・与党の対応について、議員立法も視野に政治的な救済措置を考えるべきという認識をもっている」という意見を述べたと報じたとき、「エッ、与謝野が?」と思った。

 昼前に「福田首相、薬害肝炎、一律救済」というニュース速報が流れた。その後のニュースを総合すると、福田は「首相」としてではなく「自民党総裁」として「全員一律救済の線で議員立法するよう」自民党に指示したということ。「現在の行政の枠内で答えが出ないかと思ったができないということなので、局面の打開のため議員立法で考える」由。一見すじの通った話のように思えるが、行政のトップにいる者の言葉としてはおかしい。なんとも情けない総理大臣もいたものだ。最初、そんな風に思った。

 「ええ、私は行政府の長ではありますが、役人が『俺たちに責任がある』という前提では頑として『やらない』と申しておりますので、仕方がありません、新しいやり方で進めようというのです」という風に聞こえたからだ。自分たちがかつて行った「犯罪行為」――手許に資料がありながらその情報を対象者に伝えない・通知しないことによって、対象者が肝炎を原因とするさまざまの疾患により死んでしまうことがあってもそれはそれでいいとしたことは「未必の故意」による殺人だろう――を認めることはもちろん反省することもしない厚労省の役人というのはなんと厚顔無恥なことか。それに腹が立った。

 しかし福田のねらいはまさにそこにあったようだ。つまり「悪玉厚労省の鼻を善玉自民党が明かした」ように見せることこそが福田のねらいだったのかもしれぬ。落ち目の自民党に政党として花を持たせる。与謝野の「時事放談」での話はその前振りだったのだろう。これで二度目の会期延長でインド洋無料給油スタンドだけがクローズアップされるブザマを糊塗できるとすれば一石二鳥。(12/23/2007)

 **・**両ヤング・ファミリーのお子さんたちに絵本でも送ろうかという話になって**(家内)と池袋へ。それぞれのお兄ちゃんたちには山渓の「首都圏の電車」を、生まれたばかりのお嬢ちゃんたちには偕成社の「いないいないばあ」を買う。

 こちらはユニクロでコーデュロイのスラックスを二本、**(家内)はなんとかいうブランドのバッグを一つ。いくつかあるのにどう使い分けするんだろうなどと思う。接客をした店員はキリッとした美人、東ちづるに草刈民代をブレンドした感じかな。退屈するとどうしてもそういうところに目がいってしまうのは歳のせい・・・、どこか**さんに似ている・・・、そういえばこの頃年賀状が来ない、喪中欠礼が一年おきとなると途切れるのも無理はない・・・、などなど連想は転がる。

 クリスマスを控えた連休初日。混雑する店内を歩くのは相当に疲れる。本屋にまわる頃には新刊本を物色する気力もなくなってしまった。(12/22/2007)

 来週は勤続休暇をとるので、きょうがことし最後の出勤日。

 よる、横浜で旭丘のローカル忘年会。メンバーは***(省略)***。少し遅れて**先輩も参加。はやしていたヒゲがないのはリタイヤして突っかかってゆく対象がなくなったからと想像するのは、あまりに自分に引き寄せた解釈かしらん。

 ほとんどのメンバーはあらかじめ予約済みの二次会へなだれ込むことにしたようだが乗り切れず、あした配転のことで呼び出しを受けているという**と一緒に会場を出た。乗り継ぎは比較的順調で思ったより少し早く秋津に着いた。

 なんということはなく少し遠回りをする気になった。薬科大の脇の道、まるでいたずらのように肩に落ち葉がかかった。「肩さきにこぼれる寒そな枯葉」。なんだっけ?・・・団地脇の坂にさしかかるところでメロディーもろともに思い出した。「・・・どこまで送ろか真冬の帰り道、このままどこまでも歩いていたい・・・」。

 そういえば、この坂で玉電松原から下高井戸までの「あの道」を思い出すのは「すこし、ヘン」だといわれたっけ。だが思い出してしまうものは仕方がない。いやいや、いい歳の男が思い出す歌としては、この歌の方が「だいぶ、ヘン」かもしれぬと苦笑した。でも思い出してしまうものは仕方がない。(12/21/2007)

 韓国次期大統領に李明博(イ・ミョンバク)。得票率47.99%、二位の鄭東泳(チョン・ドンヨン)が26.81%、三位の李会昌(イ・フェチャン)が15.19%であるから圧勝と言える。

 しかし投票率は62.9%で前回の70.8%を大幅に下回り過去最低を更新した由。朝刊には「中央選管が9日に行った有権者意識調査では、必ず投票すると答えた人は67%で、前回選挙前より低下。投票に行かない理由は『投票したい候補者がいない』が29.6%と最多で、『投票しても変わらない』(20.4%)、『相互批判などで選挙運動に失望した』(15.5%)と続いた」とある。

 ウィークデーを投票日として休日にし、かつ、「熱い選挙」で知られる韓国にして投票率が低下し、こういう声が出てきたということは、軍事政権に戻る可能性がきわめて低くなったことを意味していると見ていいだろう。

 我が国の「保守」人士の中には、10年ぶりの保守系という看板にずいぶん「期待」をしている連中がいるようだが、軍事政権が返り咲く可能性が絶望的になったということは、彼らの時代錯誤的な「期待」は早晩裏切られることを意味している。もうこの地域では「社会主義(共産主義)であるか否か」などというものさし、つまり「反共」などというイデオロギーはとっくに意味のないものになっているのに違いない。(12/20/2007)

 朝刊にミサイル迎撃実験に関する写真が二枚載っている。一枚は迎撃ミサイルSM3がイージス艦「こんごう」から発射される瞬間、もう一枚は攻撃ミサイルに命中した瞬間と称する写真。

 実験内容とその状況に関するものはきのうの夕刊に載っていた。

【見出し】海上MD迎撃実験成功/海自艦、米以外で初
 【カウアイ島(米ハワイ州)望月洋嗣】弾道ミサイル防衛(BMD)の海上配備型迎撃ミサイル(SM3)を搭載した海上自衛隊のイージス艦「こんごう」は17日正午すぎ(日本時間18日早朝)、米ハワイ沖で初の実射訓練を実施し、標的のミサイルを大気圏外で迎撃するのに成功した。ハワイ・カウアイ島の米軍施設で防衛省が発表した。米国以外の国が、SM3の実射実験をしたのは初めて。
 こんごうは来年1月上旬、海自佐世保基地(長崎県佐世保市)に実戦配備される。地対空ミサイルとイージス艦による日本のBMDは、新たな段階に入った。
 米軍が現地時間の17日午後0時5分、標的となる模擬弾道ミサイルを発射。その4分後、カウアイ島沖のこんごうがSM3を発射し、0時12分、上空100キロ以上の大気圏外で迎撃した。・・・(中略)・・・
 実験後に米軍施設内で会見した江渡聡徳防衛副大臣は「この成功は、日米両国が今後も継続する技術・運用面の協力の成果だ。同盟関係の変革を表すもので、日米同盟にとって記念すべき歴史の一ページになった」と述べた。同席した米ミサイル防衛局のオベリング局長は「日米の協力のうえでとても重要なできごとだ。日本は大きな一歩を踏み出した」とした。
 こうした整備には1兆円を超す費用がかかる見通しだ。実験は初期段階に入ったばかりで今後も続く。米軍は新装備の開発で日本にも負担を求めており、出費はさらにかさむ。このため、巨額な負担を伴うBMD整備をどこまで続けるのか、疑問視する声もある。

 けさ、社説でこれを取り上げたのは毎日とサンケイの二紙だった。毎日は「まるで夢の防衛システムが誕生したかのようだが、今回の実験成功によってMDシステムをめぐる数々の問題が解決されたと考えるのは、あまりに早計だ。まず技術的な問題がある。ハワイでの実験は、天気の良い条件で行われた。しかも、海自はあらかじめ米軍から模擬ミサイルの発射時間を知らされていた。このため、予期できない状況での有効性が証明されたわけではない」と書いている。これがまっとうなセンスだろう。

 サンケイはどう書いたか。「日米共同防衛なくして今の日本の平和と安全は守れない。しかし、日本政府は迎撃対象を『日本に向けて現に飛来する弾道ミサイルなど』に限っている。集団的自衛権の行使は憲法上禁じられているとの解釈によるものだ。安倍前政権では、米国に向かうミサイルを撃ち落とすことが集団的自衛権に当たるのかどうか検討するため『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』を発足させた。だが、政権交代もあってか、いまだに報告書は提出されぬままたなざらしになっている」と、まあ、技術が確立されたかどうかについて一切こだわりなく、能天気にその先の「夢」を見ている。

 なぜ「夢」か。その理由は、去年、既に書いた。ここでは神浦元彰の「軍事情報センター」から書き写しておく。

 また(NHKニュースは)海自イージス艦のSM3が配備されることで、アメリカに向かう弾道ミサイルの迎撃が日本の海自で可能になり、日本の集団的自衛権の問題が議論されると解説していたが、そんな馬鹿馬鹿しいことはないので心配は無用である。なぜなら仮に北朝鮮がアメリカ本土に到達できる長距離弾道ミサイルを開発できても、北朝鮮から発射すれば北海道のはるか北を飛翔するコースで、イージス艦のSM3が迎撃できる可能性はまったくない。・・・(中略)・・・また日本の到達する北朝鮮のノドン・ミサイルは移動式の発射台に載っている。トンネルや地下に隠されたノドンが、発射のために地上に出てくれば、数時間で日本に向かって発射可能である。佐世保基地にいる「こんごう」が、異常を察知して飛翔するノドンの弾道下(海上)に移動したいと思っても間に合わない。だから私は日本のMDはインチキだと言っているのである。国民の税金が1兆円も使ってMDシステムを作るというが、こんな無駄なものを作って喜ぶのは、山田洋行のような「国防を口実に儲ける企業」と、軍事企業からワイロが入る防衛族政治家、それに守屋前防衛事務次官のような汚職官僚だけである。日本国民にとってはグアム利権と同様に迷惑千万な利権兵器なのである。

 神浦は記事の最後をこう締めくくっている。

 メディアの記者諸君、もっと真面目に取材をしようよ。ウソ八百の官僚や政治家の話を集めて、それで国民を騙すようでは、インチキ兵器の片棒を担がされてしまう。

 的確な指摘なのだが、我が国の「平和」と「安全」は「日米共同防衛なくして」は実現できないという催眠術にかかっている連中の耳には届くまい。サンケイの社説の末尾、「日米の同盟関係はインド洋での海自による給油支援撤収、在日米軍駐留経費負担、テロ支援国家指定問題などで双方が疑心暗鬼に陥っているとされる。ミサイル迎撃成功は同盟を後退させないことの重みを物語る」となっている。このくだり、最近横行するヒーリング詐欺師の口上に一脈通じている。(12/19/2007)

 三重工場で品質保証部会。9時26分東京発ののぞみに乗る。

 期待したほどのクリアさはないものの真白き富士の嶺が車窓いっぱいに。青空を背景にした富士が呼び覚ます記憶はいつも同じ。名古屋から東京に引っ越したとき、食堂車から見た富士の鮮やかな姿と大声ではしゃいだ**(弟)の声。あのときの家族は、祖母、父、母、**(弟)の五人家族だった。みんな逝ってしまった。2003年の**(弟)からは一年おき。残ったのはオレ一人だ。

 2009年がオレだとすると、定年後の待ちに待った読書三昧の日々がおとずれる、ちょうどのその頃ということになる。少しばかり残念な気がしないでもないが、最近、そうなったなら、それはそれでもいいかなと思えるようになった。年々、春先の花粉症の憂鬱、夏のしつこい蒸し暑さ、そのふたつを我慢するのがしんどくなってきている。

 いや、でも、ウフィツィ、プラド、エルミタージュぐらいは観ておきたい。オペラ座などとはいわないけれど、楽友協会の大ホールの音を一度くらいは聴いておきたい。たったこれだけか? もう少し、欲望を掻き立てておかないと・・・などと思う傍らの通路をキュッとウェストの引き締まった女性が通り過ぎた。思わず見惚れる後ろ姿だった。・・・大丈夫、まだ、十分に「執着」はあるようだ。(12/18/2007)

 新宿の工学院大学で失敗学会の年次総会。トリをとった畑村会長の話が一番面白かった。一時間を超える講演だったが長さを感じさせない。まず、中越沖地震で柏崎刈羽原発に何が起きたか、そしてその視点で中部電力浜岡原発の施設はどう見えるか、さらに先日(13日)防災科学技術研究所兵庫耐震工学センターで行った実物大橋脚破壊実験の知見と続いた。

 柏崎刈羽の施設は炉とタービン発電機を収容した建屋の基礎は岩盤まで達するものとしているものの、その他付帯施設とみなされるものはすべて通常の建造物程度の基礎の上に作られ、それが原子炉建屋と屋外変圧器を結ぶ箇所での火災の原因となった。原子炉建屋を岩盤とリンクさせる構造が賢明なのかどうかは多少議論があっていいのではないかと思うが、原子炉だけを特別に配慮してその他は通常通りでいいとする「設計思想」は安直に過ぎるだろう。

 浜岡は大地震の予測されている東海地震の震源地にわざわざ建設した原発だけにすべてが岩盤に基礎を打ち込む構造になっているとのこと。その他、耐震性に関してはかなり神経の行き届いたものになっているばかりか、阪神淡路や中越の地震が発生するごとにその知見を入れて改修されているとのことだった。しかし畑村会長も「糸魚川構造線と柏崎刈羽原発の位置関係を諏訪あたりを中心にして、ぐるりと回転すると浜岡原発の位置にぴったり重なる」と言っていた。中部電力関係者は大自然に向けて手袋を投げたわけだが、その傲岸不遜な考え方に鉄槌が下されることがないよう祈っておきたい。

 印象に残っていることをひとつ。原子炉建屋の天井クレーンの構造の話。「クレーン台車のブレーキがどうなっていると思います? 機械屋のセンスからは信じられないことだが車輪を直接止めるブレーキはないんですよ。駆動モーターの所にディスクブレーキがあってこれだけなんだね。だから1000ガルで振られて台車が暴走し壊れてしまった。クレーン設計技術と車両技術を結びつける知恵はないんだね。技術の育ち方によって考慮されるべきことがすっぽり抜けることがある、考えなきゃいかんですよ」ということだった。(12/17/2007)

 夕方5時半からのTBS報道特集は「安倍前首相すべてを語る」だった。安倍辞任はやはり「謎」だろう。なぜ「謎」か。どこが「謎」か。安倍晋三ファンは安倍本人によく似たバカが多いから、書いておいた方がいいかもしれない。

 安倍は所信表明演説を行いながら、その翌々日、さあこれから代表質問という直前に、「小沢さんがあってくれない」ということを理由にして辞任を発表した。これほどいい加減な話となるとなかなか適当な例を持ち出すことは難しいが、あえていうなら、株主総会の日、開催一時間前になって社長を辞任するようなもので、どれほど世間が広くてもこんな社長は絶対にいない。タイミングも「謎」だし、子供の言い訳のような理由にならない理由をあげたことも「謎」だ。

 もう一つ書けば、所信表明演説の前日、安倍はシドニーで「インド洋の給油活動に職を賭す」と宣言していた。「職を賭す」というのは、賭すとした対象のことがらが為しえなかったときに辞めることを意味していて、そのことがらになにひとつチャレンジもしないうちに辞めることは意味していない。どのようなつもりがあっての発言だったのか、これも「謎」だ。

 番組のサブタイトルは「大連立と辞任の真相」。本人が語る、「自白する」というのだから、聞かないであれこれいうわけにもゆくまいとテレビの前に座り込んだ。

 結論を書くと、じつに安倍らしい「お話」ぶりだった。最悪のタイミングで辞任発表をすることになってしまったのは、体が持たないことを悟ったのが所信表明演説を行った後だったからで、「職を賭す」発言をしたときも、所信表明演説をしたときも、まだ「戦闘モード」だったのだそうだ。

 所信表明演説の後に、体調がもたないと思ったが、内閣法第九条によると臨時代理は総理大臣が事故に遭うか、死なない限りはたてられないと聞き、辞任することにした、と、こう言っていた。さらに面白いことも。「体力の消耗があって、そうなると判断力も低下する、長時間の委員会審議にも耐えられない」云々。安倍の判断力なんぞ、就任時から並みのサラリーマン以下だった。状勢判断の拙劣さについては、閣僚の罷免、年金問題の扱い方、・・・、なにを見ても一目瞭然。まあたしかに、あれ以上の判断力の低下があったら、みんなが迷惑したことは間違いのないところだが。

 下痢腹で終着駅までノンストップの通勤電車に乗り続けるかどうかということで、ウジウジ悩んだ末に動き始めた電車から飛び降りた、と、こういうことか。だったら最初から下痢腹で電車に乗らなければいいだけのことだ。ウスノロが総理の椅子を望んだことがそもそも大間違いだったわけだ。

 辞めることを決めたのはいつかと質問されて、「小沢さんとの党首会談が実現できていれば、行けるところまで頑張ろうと・・・」と答えていたのも嗤えた。小沢と会談が持てようが持てまいが、体調の悪さに変わりがあろうはずはなかろう。あえて言えば、気力を振りしぼることの可否には影響があるかもしれないが、インド洋の給油活動ではその気力がわかなかったというのなら、職を賭すとしたことがらがずいぶんと軽いものだったということになってしまう。

 こちらが「謎」と思ったのは、公人意識があることを前提にしているからのことで、そういう責任感が最初からないような人物なら「謎」でもなんでもない。体がしんどければ株主総会当日に社長を辞めるような根性なしの人間のクズには「謎」などない。

 さらに可笑しかったのは小沢との大連立について自分も考えていたと言ったこと。小沢からも話はなかったし、自分からも話を持ちかけたわけではなかったと言いながら、「シミュレーションをやりました。わたしの頭の中で、ですが・・・」と言った。頭の中で考えた程度のことを「シミュレーション」などというのか、このバカは、と思うと腹の底からあらためて軽侮がこみ上げてきた。

 人間としてどうかということは別だが、政治家としての安倍晋三は一刻も早く死ぬべきだ。そう思わせるインタビューだった。(12/16/2007)

 きのう、夜、佐世保のスポーツクラブで男が散弾銃を乱射し、2人が死亡、6人が負傷する事件が起きた。この手の犯罪報道・裁判報道はいまやMSNサンケイサイトの得意分野になっていて、じつに面白、可笑しく、そして時に扇情的かつ情緒たっぷりに事件のあれこれを伝えてくれる。

 昨夜、寝る間際の記事には「銃を乱射した男は外国人らしく、亡くなった美人(これはこちらの勝手な判断)のインストラクターは、最近、外国人につきまとわれていた」とあった。(もちろんサンケイもいちおう新聞の端くれではあるから、「『外国人のようだった』との目撃情報もあることが分かった」とか、「関係者によると、倉本さんは最近、外国人につきまとわれていたという情報もある」という書き方にはしてあったが)

 けさ、起きてくると、**(家内)が「犯人自殺したって、佐世保の事件」。「外人だって?」、「違うわよ」、「なんだ、日本人?」、「そうよ」。「犯人、亡くなった人の友達だったんだって」、「別れ話のもつれ?」、「なに、言ってんの、亡くなった男の人の高校時代の同級生よ」、「?!」。

 サンケイサイトのおかげで、すっかりこの事件を先日の函館のストーカー殺人のようなものと決めつけていたために、事実を正確に頭の中に組み立て直すためにずいぶん時間がかかってしまった。やっぱり使えない新聞だね、サンケイ新聞は。社会面だって「丸出だめ夫」くんだ。もっとも、最近のマスコミの質的低下はサンケイに限ったことではないのだが・・・。

 年賀状の受付開始。**(弟)、**(父)さん、**(母)さんと続き、ここのところは一年おきに喪中欠礼を出している。しかし、気のせいか、ことしは例年よりも喪中欠礼の葉書が幾分多いような気がする。(12/15/2007)

 きのう、EU議会が慰安婦問題に対する日本政府の公式謝罪を決議した。朝日のサイトの記事をコピーしておく。

【見出し】欧州議会が慰安婦非難決議:「20世紀最大の人身売買」
 旧日本軍による従軍慰安婦問題について、欧州連合(EU)の欧州議会は13日の本会議で、日本政府に公式の謝罪などを求める決議案を賛成多数で可決した。議会の定数は785だが、決議案への投票数は57で、賛成54、棄権3だった。決議に拘束力はない。
 1930年代から第2次大戦にかけて、日本政府が公式に慰安婦獲得を命じたとし、20世紀最大の人身売買だと認定。そのうえで歴史的、法的責任を認め、被害者に賠償金の支払いを求めた。
 決議案は最大会派の欧州人民民主党や第二会派の欧州社会党など5会派の議員が提案。米国やオランダ、カナダの下院も同じような決議を採択しており、それに追随した形だ。

 定数に比べると決議に加わった圧倒的に少ないのが不思議な感じがするが、アメリカ下院と同様の議会規則があるのかもしれない。

 ただこういうことには留意しておくべきだ。もし議会の大勢がこの決議を一部の極端な勢力による好ましくないものであると考えていたなら、反対する議員はすべて出席し動議を否決したに違いない。しかし投票総数は57で、賛成は54、棄権は3だった。日本政府はこれを欧州議会の暗黙のメッセージだと考えるべきだ。「全会一致にはしませんでした、しかし反対はゼロだったんですよ」ということだ。

 この意味をしっかりと受け止めなくては、今後、少なくともこの種の問題では、日本は永久に世界の孤児になるだろう。

 ではその決議の内容はどのようなものだったか、決議要旨は共同電が伝えている。

【ブリュッセル13日共同】欧州連合(EU)欧州議会が採択した従軍慰安婦決議の要旨は次の通り。
▽事実認定など
一、第2次大戦終戦まで日本政府は軍に対する性的労働のため、慰安婦徴用に関与。
一、20世紀最大の人身売買の1つ。
一、数十件の訴訟が日本の法廷で棄却。
一、1993年の河野洋平官房長官、94年の村山富市首相の談話を歓迎。
一、日本の一部政治家が談話を希薄化、無効化する意見を表明。
一、日本の一部学校教科書が慰安婦問題を矮小化。
▽対日要求
一、公式な被害認定、謝罪を行い、明確な形で歴史的、法的な責任を負うことを日本政府に要求。
   すべての元慰安婦、遺族らへの賠償を要求。
一、慰安婦問題が存在しないとする主張に対する公式な否定を要求。
一、日本の国会に賠償請求の障害を除去する立法措置を要求。
一、日本国民と政府に、自国の歴史を十分に認識することを奨励し、将来にわたる教育を要求。

 サンケイの古森義久は決議のたびに「中国の陰謀」と書き続けてきた。欧州議会のこの決議についても彼はまた同じことを書くのだろうか。陰謀論の中に逃げ込むのは自閉症の幼児のようなものなのだが。(12/14/2007)

 帰宅したときには既に浦和レッズ対ACミランは終わっていた。0対1だった由。もっと点差がつくことだろうと思っていた。善戦したということか。試合そのものをあれこれ論ずるほどサッカーに詳しいわけでもないし、さして深い関心があるわけでもない。しかしトヨタカップで見られる試合が教えてくれたことがある。それはふだん見ているものは「サッカーのようなもの」だということ。見られなかった試合はあきらめて、日曜日の決勝戦を楽しみにしよう。

 今年の漢字は「偽」だった。別に今年だけのことではない。いわゆる新自由主義なるものが定位置を占めてからというものは世の中の主流は「偽」になった。市場競争に勝つことがすべてというのが新自由主義から必然的に導き出される生き方だ。新自由主義はルールを守ることを正面切って否定はしないが、もともとルールは無いに等しいほど緩く(これを「規制緩和」と呼ぶ)設定し、審判(多くは公の組織が努めるはずだが)などは可能な限りなく(それを「小さな政府」などと表現する)少なくし、何でもありの振る舞い(これを「市場原理」と呼ぶ)で市場における競争に勝つことだけをめざす。

 それでもマキャベリが言う程度には体面を保ち、「信頼の幻想」だけは確保しようとする。フリードマン先生は「儲けられるときに儲けるのが『ジェントルマン』だ」と言ったそうだが、このことは先生も「ジェントルマン」という「仮面」だけは大切にしたかったということだろう。

 市場競争における勝利は競合品を駆逐し、寡占状況において最大の利潤を確保することによって得られる。そのためならば何でもする。競争優位を確実なものにするために「偽物」を売って資本を充実させるのもありだし、「信義」を捨てても「効率」はあげなくてはならない。ただ「信頼の幻想」は確保しておきたいので、ルールを守っている、あるいは商道徳を守っているふりだけはするというわけだ。それが数々の「偽装」になっている。

 ところで「偽装」というのは本来「本物を装うこと」ではない。広辞苑には「ほかの物とよく似た色や形にして人目をあざむくこと」とある。錯覚を利用して「偽物ではない」と気づかせないこと、それが「偽装」だ。つまり、昔ながらのまっとうな会社ではないのに、信義に厚い、手堅い仕事をしていると思わせることが、今年見られた数々の「偽装」事件の核心だったということだ。(12/13/2007)

 03年に導入された証券優遇税制、自民党と公明党は、年間の株式売却益は500万円、配当は100万円を上限に現在の軽減税率(10%)をさらに2年間延長することに決めた由。「金持ち優遇」との批判を回避するため、上限設定をすることにしたという。

 **(息子)は**(母)さんからの遺贈分に自分の貯金を加えて株の売買を始めたらしい。そういう時代だから「株式保有」イコール「金持ち」という式が成り立たないことは分かる。だが、一方では定率減税、老年者非課税措置、配偶者控除、地震保険以外の火災保険控除、・・・、すべてが廃止された。

 「特例措置だったのだから、期限が来たので廃止する」というが、証券優遇税制と呼ばれるものの税率軽減も、天井価格を更新中のガソリンにかけている揮発油税の上乗せ分も特例措置で期限が来ていることは同じ。減免する特例は期限が来ればきっちり廃止するが、余分に課税しているものは期限が来てもきっちり延長する、やらずぼったくりのお手本のようなやり方だ。

 配偶者控除の廃止は「勤労意欲を制限することになるから」であり、老年者非課税の廃止は「現役世代の課税最低所得ラインを上回って不公平だから」という。後者の理屈は最低賃金を理由に生活保護費の切り下げをはかる理由に似ている。「Aに比べてBはプラスになっているのが不公平だ」というなら、「AをBに見合う程度にプラスする」という方法もあろうものを必ず「Bのプラス分をカットする」話にする。もともと実質的な公平負担に対してはさして熱心でないくせに形式的な公平性についてはやけに熱心だという姿勢が嗤わせる。それぞれの廃止理由は一見もっともらしい。だが所得階層にコストを負担させる方向にベクトルがそろっているのはどういうわけだろう。

 夕刊にはいわゆる「思いやり予算」のうちから光熱費の負担が年間数億円削減されるという記事が載っている。記事には今年度の思いやり予算は2,173億円とある。直近の国会の「最重要課題」はインド洋での無料の石油スタンドの継続問題だ。こういう費用については財源があるかないかなどということは問題にもされない。ところがことが国民福祉やら公共投資の話になると「そんな財源がどこにある」から始まって、「ばらまき行政は大問題」という話になる。アメリカ軍の無駄遣いを支援するのを自国の生活困窮者支援や社会資本の充実よりも大事だと言って憚らないセンスはなかなか理解しがたいものだ。

 きのう、「ずるいよね、福田くんは、・・・、安倍くんに比べると」と書いたが、さすがに福田も頬被りはできぬと観念した(「この日記を覗き見したのは誰かな?」)か、福田首相、年金記録照合問題についてコメント。その言い方がすごい。曰く「公約違反というほど大げさなことなのかどうか・・・」。たしかに想像力のかけらもない前任のノータリン首相が口走ったできもしない「公約」をまじめに「公約」と受け止める気持ちになれない事情にはおおいに同情するが、あれだけ街頭演説で連呼した以上は立派な「公党の公約」だ。なにがしかの釈明は必要だろう。それとも森派の伝統は「公約」などは常に「この程度のもの」(by コイズミ)なのだろうか。そうかもしれぬ、同じ森派の町村官房長官(いやいや、森派ではなかった町村派になっていたのだった)も「選挙の時ですからね、簡素化して言ってしまった」と釈明していた。町村が飲み込んだ言葉は「・・・バカな選挙民に分かりやすく話すのは当たり前でしょう」といったところだったのか。これぞ清和会の伝統と知れば、それほど「大げさなこと」ではない。(12/12/2007)

 いわゆる「宙に浮いた五千万件」。朝刊に現状の見通しが表にまとめられている。

統合できそうな年金受給者の記録 300万件 5.9%
統合できそうな現役加入者の記録 800万件 15.7%
統合済みや統合の必要のない記録 1,550万件 30.4%
入力ミスや婚姻後の氏名が不明になるなど今後解明が必要な記録 1,975万件 38.8%
氏名が欠落した記録 470万件 9.2%
5,095万件

 ことごとく現実に対する反応の鈍かった安倍前首相。彼が参議院選を控えあわてふためいてこの問題への「対策」を打ち出したのは、ほんの半年前のことだった。繰り出した対策にもならぬ「対策」を聞いて、ある程度の思考能力を持った人々は嗤ったし、多少、想像力に乏しい人々も「大丈夫かいな」と疑問を持ったものだった。それは、「掛ける五千万」というファクターがどれほどのものか、十年以上も放置し続けざるを得なかったシステムのままで何ができるものか、「フツー」の頭を持つ者は解決できるわけがないことは明らかだったからだ。しかし知的能力が「フツー」ではなかった(優れていたのか、劣っていたのかは書くまでもなかろう)安倍は、選挙期間中、よせばいいのに印象に残るバカ丁寧な敬語を使って、「最後のおひとりに至るまで、責任を持って年金をお支払いすることを、お誓い申し上げます」、そしてそれを「来年の三月までにやります」と連呼し続けた。安倍が政権を投げ出した真の原因はいまも分からないが、あのまま総理の座に座り続けていたらいまのこの結果を受けてどのように釈明しただろうかと思うと少しばかり残念な気がする。

 きょう桝添厚労相は記者からの質問攻めに対して「三月までにすべての問題を片付けるなどとは言った覚えはない」と答えた。就任最初、やたらに威勢がよく歯切れもよかっただけに、最近の桝添は逆に嘲笑の的になりつつある。そういえば、あの暗愚の宰相は「・・・なんていつ言いましたか」とか、「この本のどこにそんなことが書いてありますか」とかいう子供っぽい言い方が三度の飯より好きだったっけ。いまごろ、またぞろ自分の能力もわきまえずにテレビの前で切歯扼腕しているかもしれぬ。

 桝添くん、残念だったねぇ、安倍くんが総理だったら、きょう君が演じたブザマな役割は彼が演じてくれていたかもしれない。ずるいよね、福田くんは、・・・、安倍くんに比べると。(12/11/2007)

 日科技連千駄ヶ谷でSQuBOK(Software Quality Body of Knowledge)ガイド第一版の発表記念講演会を聴く。体系的に何かを積み上げる、こういうことにこの国は徹底して弱い。その意味ではソフトウェア品質を対象とする分野に旗を立てる試みは評価されていい。

 講演もひとつひとつはそれなりに興味深い話だったが、パネルディスカッションはあまり知的刺激のないものでつまらなかった。刊行されたガイドブック販売の初段ロケットの役割を果たす催し物といえば、こんなものかもしれない。だが「このくらいのものでいい」などというのは品質が看板の主催者としては少し情けなくはないか。

 日科技連や品質管理学会がいまひとつ低調なのはそういう感じが否定できないところにある。(12/10/2007)

 protonic solidのことが思い出されて「原亨和」で検索をかけてみた。いつも見ているサイエンスポータルのサイト、「科学者になる方法」の第23回に登場していた。にわかに時の人になった山中伸弥も登場している東京書籍(懐かしい出版社だ)から同名の本が出ている。さっそく購入することにしてたどったアマゾン、カスターレビューにこんなものがあった。

 本書には一番大事なことが書かれていない。就職のことである。今や日本の博士学位取得者は圧倒的な供給過剰であり、よって超買い手市場である。修士・博士を最短の5年で終えたとしても、よほどの資産家の御曹司でなければ、本人はその間に数百万の借金を抱えることになる。しかし博士課程修了者を雇う企業は少なく、研究機関の職はさらに少ない。今や任期付きの使い捨ての仕事であっても、奪い合いという惨状である。
 ところが本書はこの点を「なんとかなるものです。」「ポスドク1万人計画というものが実施されているので、ポストドクトラル・フェローの仕事は増えています」としか解説していない。そのポスドク1万人計画こそが博士号取得者の棄民とも言える阿鼻叫喚を招いているのに、である。

 「ドクターとかけて、足の裏の飯粒ととく」、そのココロは「とっても食えない、とらなきゃ気持ちが悪い」。笑い事ではない。深刻な現実だ。だが、しかし、・・・と、思うのだ。

 最初からスポットライトがあたるような工夫の中でないとボクサーが育てられない。あるいは国技と称してきた相撲の最高位を占めている二人はともに日本人ではなくモンゴル人・・・。そういう状況をさして最近は「ハングリー精神がなくなった」という。

 そうなのだ、35人の科学者が語る「科学の面白さ」の話を読んで、「でも食えないんだよな」という感想の方が先立ってしまう現実はどこから来るか。それは身の回りの世界があまりにも「洗練されている」からだろう。十分な教育投資にはそれにふさわしいリターン(他人が羨む待遇が与えられる「就職」ということなのかしら)がなければ「やってらんない」という気持ち、これが「時代精神」か。

 そういえば、OECDの学力調査結果が発表されるや、サイエンスポータルにはこんな記事が載った。

 ・・・(前略)・・・最近、有馬朗人氏(元文部科学相、元理化学研究所理事長、元東京大学総長)もあちこちで、日本の教育、研究開発に投じる金の少なさを指摘し、科学技術軽視の日本社会の仕組みや国民意識に警鐘を鳴らしている。氏は、政治家にも高級官僚にも大企業の役員にも理系出身者が非常に少ないといった例を並べて、文系出身が圧倒的に優位な日本の社会構造をよくやり玉に上げる。こうした現実に手を付けず、さらに教育、科学技術にかける費用も抑えて、どうして理数系の勉強や研究が大事だなどと子どもたちや若者に言えるか、というわけだ。・・・(後略)・・・

 理科系出身者としては、改善されるべきだと心の底からそう思うけれど、高級官僚や大企業役員になれるというインセンティブで理系に進んでもらおうというのはどこかおかしい。

 自然の仕組みの探求や、見つけたからくりの応用や、どこまでも深い世界の構造にドキドキする感覚を覚えたらもうそれだけでかなり満足できてしまう、それが科学者であり技術者だ。田中耕一はノーベル賞を受けなくても十分に満足した日々を送っていたのではないかと、いまも信じている。

 食える・食えない、投資にリターンが見合う・見合わない、「ハングリーな時代」はそんなことは考えなかったろう。この国の人々は物質的、経済的に豊かになった分だけ、それらの価値に直結しない「面白さ」などに一生懸命になるのは「ムダ」と思うようになってしまったようだ。

 なるほど、人の無知につけ込むことに頭の良さを発揮すれば、カネはたんまり稼ぐことができるに違いないけれど。(12/9/2007)

 ニュースを見ていたら、安倍晋三が「お国入り」、墓参をするさまが報ぜられていた。あきれつつ見ていると、「総理就任を父の墓前に報告」というアナウンス、思わず吹き出してしまった。

 折しも都庁では人権週間における北朝鮮アピールとして拉致被害者と家族のパネル写真を展示する催しが始まっているとか。「拉致の安倍」で売り出しておいて、この手の問題に関する催し物にはつきあいもしないのか、利用するだけ利用したからもういい、と、そういうことか。

 父・晋太郎は晋三の「報告」をどう聞いているだろう。父は息子の墓参を諒としただろうか。

 こんな男が、一年弱もの間、宰相だったのだ。そして選挙をすれば、また代議士として赤絨毯を踏むのだ、暗然たらざるを得ぬ。(12/8/2007)

 「選択」という雑誌がある。書店販売はしていない。毎月一日の発行。新聞広告を出す。最新号の見出しには「『イラン空爆』の公算強まる」というものがあった。リードには「謎深まる『9・6事件』:『アルジャジーラ』によると『戦術核兵器を搭載した米戦闘爆撃機2機がイスラエルの戦闘機の護衛のもとシリアを攻撃し、1発の核兵器投下で目標は完全に破砕された』という。しかし、関係各国は沈黙のまま」とあったが購読はしていないので記事内容は不明。

 だが皮肉なことに「選択」が購読者の手に取られた直後に、アメリカ情報機関がその見解をまとめた「国家情報評価」報告で「03年の秋以来、イランは核兵器開発を中止している」と発表したというニュースが報ぜられた。どれほどブッシュがイデオロギーにあわせて情報をねじ曲げる人物だとしても、これほど明確に情報機関の見解が示された以上は「『イラン空爆』の公算は」弱まってしまったと見ていい。

 では「選択」の観測記事がガセだったかというと必ずしもそうは言えないだろう。おそらくブッシュ政権内部ではいまだに「イラン討つべし」の声はけっして小さくはなく、大統領はイラン空爆などに踏み切れば、またまた国民の拍手喝采が期待できるかもしれないなどと見果てぬ夢を見ているのかもしれぬ。しかし、既にレイムダック化しつつある政権に引き摺られて再び大恥をかきたくないというのがCIAをはじめとする情報機関の正直な気持ち(CIAは例のイラクの大量破壊兵器の件でテネット長官が詰め腹を切らされた)で、「戦争をやりたいならホワイトハウス単独の責任でやってくださいな」と、こういうことなのだろう。

 「国家安全評価」報告が発表された後のブッシュの記者会見はじつにみじめなものだった。会場の記者たちのほとんどは、サルヅラの大統領が立ち往生し、お愛想笑いに終始するのを冷ややかな眼で見ていた。その眼は「大統領、あなたはオオカミ少年の前科持ちなんですよ」といわんばかり。

 そしてきょう、東京新聞にはこんな記事が載っている。

【見出し】イラン核断念『8月に報告済み』:米大統領窮地に
 【ワシントン=小栗康之】イランが2003年秋に核兵器開発を中断した問題で、ブッシュ米大統領はこうした情報を8月の段階で知っていた可能性が6日、出てきた。ロイター通信が報じた。
 イランが核兵器開発を中断したとする国家情報評価(NIE)は3日に発表された。ブッシュ大統領は4日の記者会見で8月にマコネル国家情報長官から「新たな情報がある」と伝えられたと説明。ただ、この段階ではどんな情報かは説明されず、事実を知ったのは先週のことだと述べていた。
 これに対しペリーノ大統領報道官は5日、「マコネル国家情報長官は8月の段階でイランが核兵器開発を中断したかもしれないと大統領に伝えた」と発言。大統領の説明と矛盾し、事実であれば大統領は中断の可能性を知りながらも、これを伏せ、イランの核兵器開発を批判し対決姿勢を意図的に強めていたことになり、野党・民主党から厳しく追及されそうだ。

 その場限りのウソを平気でつく輩、それがアメリカの大統領か。・・・記事は続く。

【中見出し】イスラエル困惑
 【カイロ=萩文明】米国の国家情報評価(NIE)が、イランが2003年に核兵器開発計画を中断したと結論付けたことでイスラエルに困惑が広がっている。ブッシュ米政権の強硬姿勢に同調して「イランの脅威」を訴えてきただけに、はしごを外された形だ。
 イスラエルは「イランは核兵器開発を中断の二年後に再開し、現在も継続中」と分析。早ければ09年末に兵器製造能力を持つとみている。それだけに政界筋が「イスラエルの情報の信用性が損なわれた。政治的にも情報面でも痛撃」と述べるなどNIEへの衝撃は大きく「孤立と失望」との報道もある。
 イスラエルは従来、自国が突出して「イスラエル対イラン」の政治構図に陥ることを警戒。外交解決を目指す国際社会を「後方から支える」立場で、イラン制裁に慎重なロシアや中国にはオルメルト首相らが説得に当たってきた。だが今後、制裁論議は鈍りそう。圧力強化を訴えても事態打開につながりにくい。
 米国が近い将来、イラン攻撃に出る可能性は低くなったとみられるが、イスラエルも軍事手段の選択肢を排除していない。米シンクタンク代表の核専門家オルブライト氏はAP通信に「イスラエルが『イランが一線を越えた』と判断した時、状況は緊迫化する」と述べ、イスラエル単独攻撃の可能性を指摘している。

 アメリカをたきつけて目的を達してきた狡猾なイスラエルの伝統的手法もそろそろ曲がり角にさしかかっているのかもしれない。(12/7/2007)

 きょうはエジソンが自分が発明した蓄音機にはじめて録音・再生することに成功した日だとか、朝のラジオで月尾嘉男が紹介していた。月尾は続けて・・・、エジソンの最初の発明は21歳の時、電気投票機だった。彼は各州の議会のみならず連邦議会にも装置を持ち込み売り込みを図った。しかし結論から言うと、件の投票機は売れなかった。エジソンの売り込みを一通り聞いたのちに、連邦議会の議長はエジソンにこう言ったという。「お若いの、この機械は我々が一番不要だと思っているものなんだよ。なぜなら、この機械は少数党の議会における唯一のアピール機会を奪うものだし、多数党にとっても将来自分たちが少数党になった時を考えれば、やはりチャンスを奪うものだからね」。以来、エジソンは確実に人々のニーズがあるもののみを発明のターゲットにしたという。

 きょう、自民・公明・民主三党は電子投票を国政選挙に使用することを認める特例法案を今国会中に成立させることで合意した由。電子投票には常に票を操作しているのではないかという「陰謀疑惑」がつきまとう。それは「目に見えないプロセス」が介在するからだ。選挙が民主主義の基盤になるためには、記名された投票用紙という「目に見えるもの」が残り、必要に応じて再検証可能である、だから不正な操作はできないし、したとしても偽りによってもたらされた結果は修正することができるという保証が絶対に必要だ。コンピュータの中でプログラムのいくつかのステップを書き換えるだけで、権力の所在は何とでもなるのだという認識の上には民主主義は成立しない。

 「無駄の中に無限の豊かさがある」というのはカレル・チャペックの遺した言葉はこんなところで活きている。我々の社会を動かす仕組みの「無駄」はメカにおける「ガタ」同様の意味を持っている。コンピュータシステムはこの「無駄」を効率化することに利用してはいけない。そんなところに社会システムのニーズはない。

 それにしてもこんなことを理解しない「保守主義」は保守主義ではないということが保守を看板にする政党の頭に浮かばないのはもはや保守の堕落ではないか。(12/6/2007)

 朝刊トップはOECDの15歳学力調査で数学的応用力が前回6位から10位に落ちたというニュース。この調査は3回目。前々回は2000年32カ国中1位、前回は2003年41カ国中6位、今回は2006年の実施で57カ国中10位ということ。調査そのものは他に科学的応用力や読解力があり、それぞれ5位(前回1位)、15位(14位)。参加国が増えているわけだから僅差での順位変動はさほどのこととは思えぬが、スコアが一貫して低下していることは事実であり、総体として「地盤沈下」していることは否定できない。

 この記事をトップにもってきたのは朝日だけではなかったらしい。およそ論理的思考とは縁遠いサンケイのような新聞までが一丁前に大騒ぎをしているかと思うと大嗤いしたくなる。これでまたぞろ「ゆとり教育」がやり玉に挙がることだろうが、そもそもこの順位変動に囚われることにどんな意味があるか、また「ゆとり教育」はどこまで実現して、その「内容」がどのように関係してこの調査結果の「現実」に結びついたのか、論理的に読み解いた上での「批判」と「反省」がなされたという話はとんと聞かない。瓜の蔓に茄子はならない。つまり、端からこの国のアベレージの論理思考力はこの調査結果とさして掛け違っていないのではないか、そんな気さえする。

 過去三回の調査のすべてで上位を占め続けたフィンランドには、前回の調査後、日本からの「視察団」が押しかけたという。未読だがフィンランドの教育環境を紹介した「競争やめたら学力世界一」とかいう皮肉な題名の本も見かけたことがある。

 思わず吹き出してしまうほど愉快なデータが文科省のホームページに掲載されている。「図表で見る教育:OECDインディケータ」。その「初等・中等教育学校の生徒の標準事業時間数」という項には2005年のデータとしてこんな数値が載っている。

  年  齢     日  本    フィンランド 
7~8歳 707時間 530時間
9歳~11歳 774時間 654時間
12歳~14歳 869時間 796時間

Table D1.1 Compulsory instruction time in public institutions (2005)

 この表を見るだけで、どれほど軸のない、非論理的で、愚かしい空騒ぎをしているか分かるだろう。こういうバカバカしい右往左往がますますこの国の「地盤沈下」を早めるに違いない。(12/5/2007)

 四大学連合文化講演会を聴講。四大学とは東工大、一橋大、医科歯科大、外語大。去年に続いて第二回目になる由。それぞれなかなか面白かったが、東工大応用セラミックス研究所・原亨和の「持続可能な社会のための資源・エネルギー生産」が特に興味深いものだった。

 一国の化学工業の水準を見る一番簡便な指標は硫酸の消費量だといわれた。理由は簡単だ。加水分解、水和反応、エステル化などさまざまの場面で触媒として使われるからだ。触媒である以上、目的のプロセスが終了次第、除去するわけだが、これが大変。硫酸は劇物であるし、副生成物である硫酸塩の分離と廃棄、腐食性故にプラントの建設も管理の問題も大きい。もしこれが取り扱いやすい個体の酸であったなら、これらの問題は一気に解決する。それが「protonic solid」。例の亀の子が多数つながった高分子のあちこちにスルホ基(SOH)がくっついたもの(多環式芳香族炭化水素というらしい)。

 特徴は、①ほとんどの溶媒に溶けないこと(触媒が容易に分離できることを意味している)、②熱的にも化学的にも安定であること、③安価な材料(セルロース、タール、アスファルトなど)から簡単に合成できる(「焼いて煮るだけ」と言っていた)こと、④(にもかかわらず)硫酸をしのぐ触媒性能が得られること、・・・とまあウソのような話。

 そしてこの触媒を使ってセルロースのグリコシド結合を切り、オリゴ糖を経て、単糖へと分解する技術により現在化石燃料に依存しているエネルギーや樹脂製品を、どこにでも生えている雑草などのたぐいから、つまりトウモロコシなどの食用作物によらずに作り出すことが可能になるというわけ。

 一橋からは渡辺努「バーコードから見た物価安定社会」(これは出だしは引きつけられたのだが、続く話がよく分からなかった)、医科歯科からは小川佳宏「脂肪組織の驚異とメタボリックシンドローム」(妊娠中の栄養不良が生まれた子供の中年になってからの肥満の引き金になる話が妙に記憶に残っている)、外語からは黒木英充「『新たな戦争』の時代における人間の安全と安心」。

 最後の黒木の話は話題の本、「イスラエルロビーとアメリカの外交政策」(翻訳が副島隆彦でなければ、もっと注目されていい本だが)を思い出させるものだったが、それを別にしてイスラム文化に関する部分だけでも強烈な興味をかきたてられる素晴らしい話だった。

 備忘用としてキーワードをメモしておく。「ハワーラ」、「ムバーダラ」、「ワクフ」。ますます定年後の日々が楽しみになってきたぞ。(12/4/2007)

 東京・横浜・川崎地区のタクシー運賃がきょうから値上げ。内容は次の通り。初乗り、2キロまで710円(きのうまで660円)。加算は288メートルごとに90円(274メートルごと80円)。夜間割り増しは3割増しを2割増しに改定する代わりに23時から5時までだったものを22時から5時とした。もともとの通常走行の値上げ率が1割近いのだから、割増率を1割下げたところでどうということはない。割増し時間帯が早めに開始される分だけあがりは十分とれる。じつに巧妙な値上げ設定だ。

 値上げの理由は「タクシー運転手の賃金引き上げ」だとされている。国交省資料によると1955年528万円だったタクシードライバーの平均年収は2005年には406万円と2割以上もダウンしている由。しかし、かりに値上げの影響による売上高の減少が皆無だったとしても、この値上げが賃金引き上げに回ることはないだろう。

 そもそも運転手の収入低下のトリガーを引いたのは「規制緩和」だった。規制緩和が行われることによって、市場競争が進み、市場が活性化し、提供されるサービスの質が向上する、これが「市場原理主義者」たちが宣うた「お話」だったが、タクシーが提供するサービスが10年前に比べて素晴らしくよくなったという人がいたらお目にかかりたいものだ。タクシー運転手の待遇が劇的に悪化したこと以外は何も変わってはいない。どうやらあれは市場源主義者の皆さんがまことしやかに語った作り話だったようだ。

 起きていることはこういうことだ。賃金引き下げという第一段階の目的は達成し確保できて、これからはいよいよ恒常的な値上げ体制を復活させるという第二段階に入った。つまり、この国の経済のリストラは低賃金体制の固定化が完成し、ふたたび持続的経済成長のための適度なインフレ性向の実現に向かって動き始めたというひと。タクシー運賃値上げはその先駆けに過ぎない。

 いずれ日常生活品の値上げが徐々に頭をもたげてくるだろう。大衆がそれと気づかない程度の緩やかさで始まるのか、そんな我慢をするのはやめて「中国が資源を買い占めているからだ」とか「発展途上国の需要が爆発的に拡大しているからだ」とかといったナショナリズム的感情論を目眩ましに使って一気に値上げ攻勢をかけるのか、さあ、支配層はどちらの道を選択するのかな?(12/3/2007)

 さっきからずっと二枚の写真を見ている。写っているのは昭和天皇と香淳皇后だ。二人ともまだかなり若い。こぼれるような、満面の笑み。こちらまで幸せが伝染してきそうないい表情だ。裕仁にも良子にもこのような表情があったのかと驚くほど、人間味にあふれたスナップショットだ。

 だが最初の印象は「失礼しちゃうな」というものだった。同時に「媚び」という言葉も浮かんだ。そんな風に思ったのは本のタイトルが同時に目に入ったからだ。「GHQカメラマンが撮った戦後ニッポン」

 いくら記憶を反芻してみても、昭和天皇夫妻のこういう表情は浮かんでこない。おそらく日本人のカメラマンにこういう表情をとらえたものはないだろう。「失礼しちゃうな」という印象はそこからくる。

 この表情は占領軍に地位の安泰が保証されたという安心感によるものであり、庇護者に対する精一杯のサービスの表情にも見える。「媚び」というのはそういう想像からくるものだ。

 妙に引っかかったのはこの二枚ぐらいで、収められている他の写真は子供の頃の記憶を呼び覚ましてくれるものばかり。それにしてもこの子供たちの表情の明るさはどうしたことかと思わせる。(12/2/2007)

 きのうの夕方、テレビは朝青龍の帰国・謝罪会見に異常なほど時間を割いていた。かなりの人々は朝青龍が国技である相撲の権威に泥を塗ったと思っているらしいが、一連の騒動は日本人の狭量さによるものだと断言してよい。

 朝青龍をけしからんという人は、①仮病を使って地方巡業をさぼったということ、②にもかかわらずモンゴルに帰ってサッカーをしていたこと、このふたつをあげる。①の「仮病である」ということの根拠は②の「サッカーをした」ことによっている。論理は循環している。つまるところ、「けしからん」のも「ゆるせない」のも、ただひとつ①に絞られるといってよい。(「仮病であったかどうかは問題ではない、サッカーをしたことが許せないのだ」という②に絞った批判はこの一連の騒動の中では聞かれなかった)

 一方、地方巡業に参加しないでモンゴルに一時帰国することは、ほかでもない相撲協会が許可したことだ。朝青龍が口頭で「腰が痛いので地方巡業を休みます」といって協会が許可するわけはなく、朝青龍は医師(おそらくは協会が認定した病院の然るべき医師であろう)の診断書をつけて願い出たに違いない。しかし相撲協会も大騒ぎをしているマスコミも、件の医師の「技量(仮病を見抜けなかったこと)」についても「悪意(朝青龍に頼まれてニセの診断をしたこと)」についても一切ふれていない。単に「サッカーをすることができた」のだから、「朝青龍は仮病をつかっている違いない」という素人の常識による判断を下しているだけのことだ。

 とすると、問題は朝青龍にあるのではなく、診断書による休業申請のチェック体制、あるいは休業中の力士にどのような義務を課し、どのような制限を加えるかについての管理ルールの問題であるという気がしてくる。入門したての力士を「事故死」させるような、現在の相撲協会の管理水準では難しい問題なのかもしれないが。

 ただそれだけのことが、これほどの騒ぎになったのは朝青龍が「ガイジン」、しかも「黄色いガイジン」だったからにほかならない。朝青龍をけしからんという人に共通してあるのは、彼がモンゴル人を妻にし、日本国籍に帰化しようとしないことに対する無意識の反感だ。まつらうことのない有色人種を基本的に日本人は許すことができないのだ。それがこの島国の住人の度し難い狭量だ。

 朝青龍の帰国・謝罪会見のかげでちゃっかり同様の謝罪会見を開いていたのが亀田大毅。(朝青龍に話題が集まることを計算してこっそり目立たないように逃げ切ろうという卑しさは、あの小泉訪朝の日に原発圧力容器のひび割れに関する社内調査結果の発表をぶつけた東京電力の狡猾さに通ずるものがある)

 亀田大毅についてはひとことで足りるだろう。彼は「ゼロからのスタート」といっていたが、心得違いをしてはいけない。亀田はそもそも明らかなボクシングルール違反をしたという点で、モラルに反した朝青龍とは比較にならないのだ。亀田大毅よ、おまえは「マイナスからのスタート」であることを肝に銘じなくてはならないのだ。(12/1/2007)

 朝刊トップはかなり興味深い記事。

【見出し】山田洋行 防衛族団体側に1億円か
 軍需専門商社「山田洋行」が、旧陸軍の毒ガス弾処理事業の下請け受注などにからんで、社団法人「日米平和・文化交流協会」常勤理事を務める秋山直紀氏が関係する米国の団体に対し、関係会社を通じて業務協力費として計90万ドル(約1億円)を支出したとする文書を朝日新聞社は29日までに入手した。事情を知る山田洋行関係者は「社内で作成された文書」と話している。

 毒ガス弾処理事業というのは00年福岡県苅田町の苅田港の海底で見つかった毒ガス弾の引き揚げ作業のこと。04年度に始まる第1期から第2期までは防衛庁所管。06年度第3期以降は国交省が引き継いで本年度は第4期事業が継続中。事業は03年11月の一般競争入札により大手鉄鋼メーカーが落札、山田洋行は引き揚げ作業を行うアメリカ人潜水士の手配を担当する代理店として下請けに入っている。

 件の文書には第1期・第2期工事をあわせて「当社売上 約18億円」「粗利 約5.6億円」とし、下請け受注のための「業務協力費」として、秋山直紀が所長をしている「安全保障研究所」へ山田洋行の在米関係会社から安全保障研究所の在米関係団体に100万ドル(03~04年ごろのレートで約1億1000万円)を支払うことが書かれている由。

 記事によれば、秋山直紀は日米の軍需産業と政界を結ぶパイプ役で、「日米平和・文化協会」の理事には久間章生元防衛相らが名を連ねており、過去には額賀福志郎財務相や石破茂防衛相も理事を務めていた。また「安全保証研究所」は日米の国防族議員を集めて定期的に「日米安全保障戦略会議」を開催している「安全保障議員協議会」と実質的に同一の団体であるとか。

 日米安全保障戦略会議の参加メンバーと開催実態、その運営費用と秋山直紀の関係、などがFACTAの12月号、「防衛利権『聖域』三菱に特捜は迫れるか」に書かれていた。どうやら、守屋が「他にももっと悪い奴がいる」とした本命はこちらのようだ。しかし政府側の飼い犬に堕した最近の検察がやれることは、山田洋行程度の規模の関係者を血祭りに上げて、巨悪に対して節度を守るように警告する程度のことになってしまったのだろう。自らの堕落を慰めるために検察が口にするのは「一罰百戒」。だが本来本命であるべき連中はそんな検察の怯懦を嗤っているに違いない。(11/30/2007)

 最近の社会面の広告欄は食品不祥事に関するものであふれかえっている。きのうの朝刊にはマクドナルドの「お詫び広告」が載っていたし、きょうの朝刊にもディズニーアンバサダーホテルで販売したパンの賞味期限表示が誤っていたというものと、ひたちなか市の干し芋屋が返品商品の賞味期限を書き換えて出荷したという「お詫び広告」が載っている。

 きのう報ぜられた崎陽軒の回収騒ぎなどは、「どこか、変だなぁ、間違ってるんじゃない」と思わせるようなものだった。

 崎陽軒が発表したことは次の通り。シューマイ・おかゆ・カレーなど10種22品目の食品表示で、JAS法の規定によれば原材料の表示を重量順にすべきところ、そうなっていなかったというもの。シューマイを例にとると「豚肉、帆立貝柱、たまねぎ、グリンピース、澱粉、小麦粉、・・・」と表記していたが、本来は「豚肉、たまねぎ、澱粉、小麦粉、干帆立貝柱、グリンピース、・・・」と表記すべきであった、とこういうこと。これで崎陽軒は対象商品全品を店頭から回収し、表記を訂正したパッケージの準備が整うまで販売を停止するという。商品の賞味期限と訂正包装紙ができあがるまでの時間関係によっては、回収した商品は廃棄処分せざるを得まい。この対策は形式的には完璧だ。だが食品およびJAS法の要求の意味を考えるならば、単に店頭に原材料表記順を訂正したポスターでも貼ればそれで目的は十分に達せられるはずだ。にもかかわらず回収・廃棄をするのは「過剰対応」だろう。

 ひねくれ者などはかえって他に隠したい事実があるのではないかなどと邪推したくなる。どうやらいまこの国で動いている原理は「形式の完璧さ」だけであり、「その形式を定めた精神の空洞化」はどんどん進行している。(11/29/2007)

 守屋前防衛省事務次官が逮捕された。参議院財政金融委員会がきのう守屋と額賀財務相の証人喚問を決めたばかり。宮崎元伸が逮捕されたのも参議院外交防衛委員会が参考人招致を決めた直後の逮捕だった。東京地検特捜部の捜査能力が低下したとか、決断力がなく勘も鈍い凡庸な人物が捜査指揮をとっているとか、そういうことは考えにくい以上、政治状況を見て逮捕のタイミングを決めているのではないか、そんな気がする。

 検察が斟酌しているのは政治状況だけではなさそうだ。マスコミ報道の流れまで検察は考慮して(あえて「作っている」とまでは書かぬ)いる。

 特捜部が逮捕したのは守屋武昌だけではなかった。その妻、守屋幸子も逮捕された。夫の収賄容疑は分かるとしても妻の容疑は何か。「身分なき共犯」というのだそうだ。該当条文は以下の通り。刑法第65条「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯とする」。なるほど、伝えられるようにゴルフ接待のすべてに同行していたというのだから共犯だといわれればそんな気もするが、「加功」という言葉が「犯罪を手伝う行為」(広辞苑)であるとすれば、「おこぼれ」に与ったことをもって「手伝った」というのは少しばかり恣意的な匂いがする。検察のねらいは守屋武昌に「ある種の圧力」をかけること、そしてワイドショーを代表とするイエロー・ジャーナリズムをあおり「ミスディレクション効果」を発揮させることにあると考えられる。守屋幸子はその目的を達すれば最終的には起訴猶予になるだろう。(11/28/2007)

 香川で5歳と3歳の女児とその祖母が行方不明になったのは先々週金曜16日のことだった。姉妹は祖母の家に「お泊まり」に来ていた。「お泊まり」といってもニュース映像で見ると同じ敷地内にある家で、おそらく「離れのおばあちゃんちで寝る」というくらいの気持ちだったろう。行方不明とはいうものの、彼女たちが姿を消したのが16日深夜から未明の間だということ、祖母の寝室や玄関には血痕があり、カーペットの一部が切り取られていたことから、最初から凶悪事件に巻き込まれたのではないかということははっきりしていた。

 マスコミは例によって励起状態に入り、秋田の事件(現在は「秋田連続児童殺害事件」という呼称になっている)で畠山鈴香を「あげた」という意識も手伝ってのことか、もうほとんど刑事気取りの「犯人捜し」を始めた。ターゲットになったのは姉妹の父親だった。無職ということに加えて、ごつい体つき、風貌がどこかあの亀田パパに似ていることもあって、先週あたりからこちらはもうほとんど犯人であるかのような報ぜられ方になった。

 こういうことがはやり始めたのは和歌山毒物カレー事件あたりだったろうか。以来、マスコミは予断的に「あいつが怪しい」という人物を決め、その人物に対しシャワーのような「取材」をかけはじめる。そして、「彼」または「彼女」の一挙手一投足、その片言隻句を伝え、そこにわずかな疵を見つけてはそれをつき、・・・、こづきまわす。そのさまはもう岡っ引き根性そのもの。そして逮捕に結びつけば、我が方の取材が事件解決に役立ったかのように誇り、逮捕後は警察発表の線で報道内容を埋め、裁判まで世間の関心を引っ張り、公判廷の証言まであれこれと報ずる。

 だが、今回は「ハズレ」だった。坂出署が今夕逮捕したのはマスコミの視野の中には入っていなかった祖母の義理の弟だった。きょうのところでは逮捕された義弟が「ただ一人の真犯人」であるか否かはまだ分からない。あしたワイドショーやその他のメディアで盛んに父親を怪しいと連呼していた連中がどのように取り繕うのか興味がある。おそらくこづきまわした父親については口をぬぐって何も言わず、お上が逮捕した義弟についてあれやこれやの周辺情報をこれまた洪水のように流してお茶を濁すに違いない。恥知らずめ。

 こういったいまのこの国の風潮は「ヴィクトリア朝的」とでもいうべきものだ。形式的道徳や作法についての「正当意識」は強いにも関わらず、本当のところは下品で粗野で、精神性の高さなどは欠片もないという点で。こんな国で「裁判員制度」が始まろうとしている。おそらく数多くの悲劇が、いや、いずれ時間がたてばいたたまれぬほど滑稽な喜劇がいくつも演じられることだろう。(11/27/2007)

 オーストラリアの総選挙。ハワード首相の率いる保守連合が大敗を喫した。選挙前の87議席から56議席、ただの大敗ではない地滑り的大敗。ハワード首相自身が落選したというおまけまでついている。現職首相の落選はどこの国でも珍しいものだが、オーストラリアでは二回目、1929年以来の椿事とのこと。

 イタリア・ベルルスコーニ、スペイン・アスナール、イギリス・ブレア、日本・小泉、・・・、これでイラク戦争に「有志連合」として名を連ねた主だった国の首脳はすべて権力の座から去ったことになる。

 当時、ブッシュ陣営に与しなかったフランスがサルコジ、ドイツがメルケルと反米色を薄めたのは皮肉な成り行き。もっともメルケルは連立政権の帽子だから「忠犬ポチ」の代わりにはなるまい。サルコジは豪華なバカンス旅行でもさせてやれば尻尾を振って番犬になるタイプだが、そんなことにでもなれば寝かしつけられたゴーリズムが目覚め、乞食根性の没落貴族サルコジは馘になるだろう。

 ハワードの惨敗はイラク戦争よりは環境問題に原因があるのだろうが、それは「ブッシュ的なもの」、つまりは節度のない帝国アメリカに対する「ノー」の意思表示だ。アメリカにくっついていれば権威と権力を保つことができた時代はドルの凋落とともに確実に夕暮れを迎えている。(11/26/2007)

 思いついて、「ジェームズ・アワー」で検索をかけてみた。彼が何を読んでいるか、彼が誰を評価しているかで、おおよそその人物の評価もできるものだが、逆に「彼」を誰が評価しているかによってもそれは分かる。

 岡崎久彦に、古森義久か。これで「お里」は知れたようなものだが、エビデンスとして、たまたま引っかかった「正論」の書き出しと末尾近くを一部を書き写しておく。

 7月の最初の10日を東京で過ごした私は、日本のメディアの多くが安倍内閣に否定的な見解を示しているのを知り、驚いた。もし、私が日本のことをよく知らなかったら日本経済がきわめて悪い状態にあるからに違いない、あるいは日本にとって通常最も重要な国内問題である経済と、外交問題での日米関係の処理を安倍首相が誤ったからに違いない、と思っただろう。
 しかし、これら経済、外交などの面で安倍内閣はうまくやっているように思える。日本経済は劇的ではないにしても堅調な成長を続けており、株式市場も上向きだ。米国で聞いたように、私は日本でも超富裕層と一般庶民の間の格差があまりにも大きく、より大きくなってきているとの不満の声を聞いた。グローバリゼーションは日本や他の先進国で超富裕層を生みだしつつあるようだが、中流層もなお、うまくやっているようにみえる。ほとんどの日本人が自身を中流だと考えているのは、いうまでもない。
・・・(中略)・・・
 久間防衛相の辞任は、私が東京にいるときに起きた。しかし、これまでと同様、安倍首相は早まったり、感情的になったりせず、慎重に公正に行動した。そして、安倍首相は辞任を受容する時だと判断したとき、非常に有能な小池百合子氏を後任に選んだ。
 私は小池氏がアラビア語や英語を流暢に話すというだけの理由で「有能だ」と言うわけではない。彼女が国家安全保障の専門家で、十分な政治的指導力を発揮していたから「有能」と言うのである。
 私は米国テネシー州の我が家に戻り、中高年の人々に日米関係を教えている。学生の1人が私に尋ねた。日本の女性は、今も男性と平等の社会的地位を与えられていないのか、と。私はアメリカにはいまだかつて女性の国防相がいたことはないと答えた。

 ここで7月とあるのはことしの7月であって80年代のある年の7月ではない。たしかにあの頃は「一億総中流」意識があった。アワー氏の日本経済に関する知識と経済一般に関する識見はあまり高くはないようだ。また、アメリカにもまだ生まれていない女性の国防相が、この記事が掲載された後に「賢明な」安倍総理の引立てにどのように報いたのか想起すれば、アワー氏の人物評価の眼力がどの程度のものかということもおおよそ分かる。

 もっともこの二点をもってアワー氏が無能であると断ずるのは早計かもしれない。ひょっとすると、アワー氏はこの一文が掲載されるサンケイ新聞の読者層を意識して「ほとんどの日本人が自身を中流だと考えているのはいうまでもない」とおべんちゃらを書き、小池百合子はせいぜい田中真紀子クラスだということは十分に見極めた上で、アメリカの国益にとって望ましいという意識で、小池の安全保障の専門性とリーダーシップに「トリプルA」をつけたのかもしれない。ちょうどサブプライム証券に高評価をつけた彼の国の格付け会社のように。

 アワー氏はこの一文を次のように結んだ。「私は7月29日の参院選投票日前に、日本の有権者たちが真に重要なことは何かを熟考するように期待する」と。しかしアワー氏の期待は外れた。岡崎久彦や古森義久はたやすく幇間アワーの芸に乗せられたようだが、我が日本国民の過半数は「真に熟考」して安倍晋三の愚かさに「ノー」を突きつけてしまったのだから。(11/25/2007)

 去年の12月4日、当時山田洋行専務だった宮崎元伸が元国防総省日本部長の肩書きを持つジェームズ・アワーを人形町の料亭(「濱田屋」と報ぜられている)でもてなした宴席に、守屋武昌と額賀福志郎も同席していたという件について、額賀財務相がえらく突っ張っている。

 おとといの参院財政金融委員会で民主党の辻泰宏が「同席したメンバーから額賀氏が参加したとの証言を得ている」とし、さらに「守屋氏の向かいにアワー氏が座って、その隣に宮崎氏らが座っていた。だが、額賀氏が遅れてきたので、宮崎氏らが左側にずれたと聞いている。それでも記憶はないか」と追及したことに対して、額賀は「プライベートな日程までオープンにして自らの潔白を証明した」、「国会で質問するのなら、事実に基づいて質問してほしい。国会の品性を欠くものだ」とした上で、「証人が誰で、座席表がどうなっているのかを示すのが当然だ」と主張している由。

 一応の理屈は通っている。しかしなぜ額賀は宴席の出欠ていどのことにこれほどこだわるのだろう?

 政治家が宴席に顔を出すことそのものは別に珍しいことではなかろう。「よく憶えておりませんが、出席していたとおっしゃる方がいらっしゃるのなら、出ていたのかも知れませんな、アハハハ。せっかく来日されたということであれば、旧交を温めて防衛に関する意見交換ぐらいはするでしょう。特別の請託などあるわけないでしょう。アワーさんがいたんでしょ、ねえ、アハハハ」ですむことのように思われる。ムキになって「記録を調べたがない」などという生硬な否定の仕方(「記憶にない」という言い方が普通だろう)はいささか異常でさえある。

 それともこの宴席の出欠は政治生命に関わるほど格別の事情につながっているのかな?

 もっとも民主党にはしっかりしたもくろみもなしにブラフをかけた前科がある。永田メール事件だ。

 額賀がやけに居丈高になっているのは、守屋証言が野党に向けて仕掛けられた罠だとか、あるいはたしかに宴席に額賀は出席していたのだが、それを証言できる人物が民主党の人間で氏名を明らかにすれば民主党も傷つくことを承知した上でのことと思えば、納得がゆかぬでもない。

 その同席者が永田メールの情報評価さえできなかったくせにやけに安全保障や防衛を語りたがる癖のある、あの前原だったりしたら、もうこれは爆笑ものの落ちになる。もちろん仮の話だが。(11/24/2007)

 **(家内)と森永卓郎の講演を聴きにホテル・グランドパレスへ。お題は「生活不安時代を楽しく生きる経済術」。講演は起承転結きっちりと組み立てられ、あいまには用意したグラフなども見せて分かりやすく語り、笑いをとる場面でのしゃべりはほとんど落語家並み。

 続くパネルディスカッションを聴くうちに寝てしまった。**(家内)の話では「森永さんの話に比べると退屈だったから、いいんじゃない。やっぱり素人よ、トヨタホームの社長さんは」。それはそうだろう、プロと比べてはかわいそうだ。

 帰り、寝室用の加湿器、**(家内)のFP受験用参考書などの買い物。三連休初日、天気は上々、会社によってはきのうが給与支給日、・・・、サンシャイン通りはすごい人出。最近は混雑だけで酔う。帰宅すると同時にどっと疲労感。よほど人嫌いが進行したのかもしれない。(11/23/2007)

 夕刊に国内で発生したBSE牛の感染源に関するニュースが載っている。

 国内で発生した牛海綿状脳症(BSE)の感染源は、子牛が飲む代用乳の原料のオランダ産油脂が有力とする調査結果を、吉川泰弘・東京大教授(獣医学)らの研究グループがまとめた。国内で感染牛7頭が確認された03年9月、農林水産省は英国産輸入牛で製造した肉骨粉やイタリアから輸入した肉骨粉の可能性を指摘し、代用乳には否定的な見解を示していたが、今回の研究成果は、それを覆すものだ。
 国内では、これまで33頭の感染牛が確認されている。代用乳に使う油脂は02年から輸入も含めて規制され、今は感染源になる恐れはないという。
 食品安全委員会プリオン専門調査会の座長を務める吉川教授によると、感染牛のうち13頭は95年12月から96年8月の短期間に生まれ、北海道と関東に集中していた。95年暮れにオランダから輸入された油脂で作った代用乳が13頭すべての体内に入った可能性が強いという。一方で英国やイタリア産牛の肉骨粉は、その販路をたどると13頭の牛がいずれも口にする可能性がなかった。
 吉川教授は、代用乳による感染牛がこれ以外におり、01年の全頭検査実施前に死んだため、見逃されて肉骨粉や代用乳用の油脂になったとみている。99年から約2年間に北海道で生まれた牛16頭が感染したのも、この飼料が原因と推定できるという。
 ただ、これだけ多くの牛が感染するには、数十頭の感染牛の油脂が代用乳に使われる必要があるが、オランダでの現地調査でも病原体が混入した確かな証拠が見あたらなかったという。
 吉川教授は「状況証拠はクロだが、油脂が相当高濃度に病原体に汚染されるなどの条件が必要だ。現状のデータでは、分からないことが多い」としている。

 記事には「キーワード」として「代用乳」に関する説明が加えられている。

 生まれて間もない動物に、親の乳の代わりに与える人工乳。牛の場合、ホルスタイン種はメスの乳を人の飲料用にするため、生後1~2カ月の子牛に与えている。栄養価を高めて成長を促すため、脱脂粉乳に動物性油脂やブドウ糖、食塩などを混ぜる。
 油脂は、内臓や骨から肉骨粉をつくる際にできる副産物。その中に含まれる不溶性不純物に異常プリオンたんばく質が混入する恐れがあり、国は01年暮れ、油脂に占める割合を0.15%から0.02%に規制した。

 現在のところは容疑濃厚というレベル。「動物性油脂」というラベルがつけられてしまうと、同一種どうしの共食い関係が隠されてしまうところなどは、いま世界経済を揺るがせている「再証券化されたサブプライムローン」に似ている。(11/22/2007)

 サイエンス・ポータルの新聞各紙科学ニュース紹介コーナー、きょうは朝毎読三紙すべてが「ヒト誘導多能性幹(iPS:induced pluripotent stem)細胞」のニュースでそろった。去年の夏、マウスでの成功が発表されたときに比べると一段と扱いが大きくなったのが印象的。

 「科学者になる方法」という本の中で、山中伸弥はこんな風に語っている由。

 ES細胞の謎を解き、臨床医療の応用を図るもともと整形外科の臨床医だった私が研究者に転身するきっかけの一つは、ある重症リウマチの女性患者さんを担当したことでした。全身の関節が変形し、ベッドの傍らに置かれた写真にあるかつての面影をほとんど残していないその姿に、ショックを受けたのです。そして、基礎研究を行えば、こういう患者さんも救える治療につながるかもしれないと考えるようになりました。現状の治療法には限界があるということも、痛いほどよくわかりました。新たな治療法を求めて研究していくことは、患者さんを実際に診療するのと同じくらい、もしくはそれ以上に患者さんを助けることになるかもしれないと考えました。
 こうして、臨床の世界を飛び出したわけです。最初は薬理学の研究から始めましたが、やがて、薬の効果を観察するだけでは限界があると悟ります。1990年代の初頭には、遺伝子操作マウスが普及しはじめていました。そこで、大学院修了後は、雑誌の求人広告に応募してアメリカへ渡り、遺伝子操作マウスを扱う研究室に入りました。留学も終わりに近づいた頃に未知の遺伝子を見つけます。そして、その遺伝子が、ES細胞(胚性幹細胞)の分化を左右する遺伝子であることが、ノックアウトマウスを使った実験によって偶然、確かめられました。その遺伝子を破壊することで、ES細胞が増殖はつづけるけれど分化能力を失うことがわかったのです。
 それがきっかけで、私はES細胞の研究に興味を持つようになりました。アメリカでヒトES細胞が培養され、医療に有効であるとわかった98年には、独自にES細胞にかかわるテーマを探し、本格的に研究をつづけていこうと決めました。

 専門の話も面白いが、どんな道筋をたどって何を感じ、何を考えながら、成果に到達したかという話はもっと面白い。たとえば、「ノックアウトマウスを使った実験によって偶然、確かめられました」という時の「偶然」とはどのようなものであったのか。できるなら一度話を聞きたいものだ。(11/21/2007)

 コヴェントリーは第二次大戦においてドイツの空爆を受け壊滅的な被害を受けた。その被害の大きさはドレスデンに並ぶもので、たぶんそれ故であろう、ある「伝説」を生んだ。

 ドイツ軍が使用していたエニグマ暗号はチューリングらの努力により解読されていた。ここまでは事実。「伝説」はこの先。この成果によりイギリス当局はコヴェントリー空襲(1940年11月14日、結果的には死者568、重軽傷者1266人)の情報を事前に知っていた。しかしチャーチルはこの情報を握りつぶした。エニグマ暗号解読の事実を隠し、ドイツの軍事情報を継続的に入手するためだったという。

 作り話か、真実か、真偽は分からない。だがこの話を「伝説」のレベルに引き上げているのは、「究極の選択」的な匂いがするからだろう。

 この伝説を思い出したのは大前研一が日経BPに書いた「"拉致問題は解決済み"という現実」を読んでのこと。

 日本が核問題に関与できていないのはなぜか。誤解を怖れずはっきり言おう。「拉致被害者は生きている」という建前があまりにも災いしているのだ。まず日本がやらなくてはいけないのは、「拉致問題は解決」と北朝鮮が言う理由を問いただすことである。そして、日本と北朝鮮の間にある大きなズレを修正するべきなのだ。
・・・(中略)・・・
 わたしは強調しておきたい。とにかく「解決済み」の理由を明確にし、日本にとってより重要な、開発済みの原爆とそれを搭載する可能性のあるミサイルの双方を無能力化することが先決だ、と主張することである。それをしないうちは、いつまで経っても、北朝鮮が日本にとって大きな脅威であるという状況が解消されない。

 至極まっとうな主張だ。たった数十人程度(拉致問題をメシのタネにしている職業的拉致専門家の主張するいささか眉唾の数百人としてもいっこうに差し支えはないが)の拉致被害者の問題のために自縄自縛に陥り、一億を超える人々の安全保障問題をなおざりにすることが許されるかと言えば、答えは自ずと明らかだ。わざわざコヴェントリーの「伝説」を引くまでのこともない。

 たしかにたった一人も保護することができなくて、一億人を守りうるかという論理は成り立ちうる。そういう理想論を忘れてはならない。しかし拉致問題と安全保障の二兎を追うことができたのは小泉の第二次訪朝までだったろう。いまや拉致問題はほとんど解決不能の問題になった。5年前の第一次訪朝時、金正日は自国機関による国家犯罪であることを認めた。それほど日本からの援助、そしてアメリカへの仲介を渇望していたわけだ。現在はどうか。既にアメリカとは直接交渉が実現しており、日本からの援助はあるに越したことはなかろうが身を屈してでも手に入れたいものではなくなった。金正日としては薄ら笑いを浮かべつつ「解決済み」を繰り返せばよくなってしまったのだ。

 5年が空費された。多くの拉致被害者は50歳を過ぎてしまった。北朝鮮の生活環境、外国人への処遇を考えれば、どれほどの生存者がいるか見通しは暗くなるばかりだ。拉致問題の解決は限りなくゼロに近くなったと考えることに感情的に反発し、口汚く批判した(大前の記事にすら、理屈にならないコメントを書き連ねる愚か者たちが相当数いた)としても現実が変わることはない。拉致被害者の不幸は安倍晋三という無能な野心家がこの問題を利用したことと、彼らの近親者たちがそれに騙されて方向を見失ってしまったこと、そしてそれに引き摺られた国民大衆に北朝鮮ヒステリーが蔓延し現実的な解決策が封ぜられてしまったことだった。気の毒という他はない。(11/20/2007)

 日本シリーズの中継を見ていたときだった。あいまのコマーシャルに江川が出てきた、小林とともに。度肝を抜かれたと書くと大げさすぎるがびっくりした。ちょうど**(息子)が来ていて、「これ、どこだろ、うちでもどこでも、すごいよ、これ、脱帽だね」と言った。

 夕刊に西村欣也が「空白の一日」と題して書いている。

 握手する江川卓の少し不自然な左手に、緊張の色が現れている。
 清酒メーカー・黄桜のCM撮りで2人は顔を合わせた。江川と小林繁が会話をかわすのは、実は初めてのことだった。
 ・・・(中略)・・・
 江川の現役時代、僕は幾度となく彼と「空白の一日」について話した。「野球協約の立法趣旨を考えれば、空白の一日など存在しない。巨人と契約したのは誤りだ」と僕は主張した。江川は生返事を繰り返していた。が、ある時こんな答えを返した。「分かってもらえないかもしれないけど、こういう状況だった。列車が知らないうちに走り始めていた。ひょっとしたら目的地が違うかもしれない。でも、その列車に僕は乗っていた。飛び降りれば、多くの人に迷惑がかかる。それでも飛び降りるという選択肢はあったかもしれないけど・・・」
 江川は小林に対して申し訳ない思いをずっと抱えていた。なぜなら、巨人に対して「トレードに際して、人的補償ではなく金銭で」という約束をかわしていた。自分の意思に反して小林の人生を大きく狂わせたという思いが消えなかった。
・・・(中略)・・・
 グラウンドではお互いがお互いをヤスリとした。小林は阪神に移ったシーズン、22勝をあげた。80年8月16日、雨の降る後楽園球場で2人は初めて投げ合った。江川は小林からタイムリーを打ち、176球で勝利を収めた。「僕がプロで登板した266試合の中で最も神経が張りつめていた試合だったかもしれない。負けたら、野球をやめなきゃいけないぐらいの思いだった」と江川は言う。小林はこの日から江川のことをそれまでの「あの子」ではなく「江川君」と呼ぶようになった。
 それでも、江川の小林に対する負い目は消えたわけではなかった。引退会見の時でさえ、「小林さんに迷惑をかけました」と発言した。江川135勝72敗、小林139勝95敗の現役生活だった。
 CM撮影の間中、江川はずっと硬い表情だった。「申し訳ありませんでした」と頭を下げた。
 「君が謝る必要はないよ。お互い、しんどかったなあ」と小林は応じた。「今日で一区切りつけていただけますか」と江川が言う。「うん、だけど2人の体の中には『空自の一日』というパーツが埋め込まれたままだよなあ。これは一生はずせない。お互いに死ぬまで持っていくしかない」と小林は話した。

 記事の中には江川と小林がステーキ店ですれ違う場面がある。「偶然、奥から出口に向かって、小林が歩いてきた。目が合った。小林が手で制するようなしぐさをした。江川は言葉を発することができなかった。・・・(中略)・・・そのシーンは小林も覚えていた。『うーん、あの時はまずい場面で会っちゃったという感じだった』。小林も言葉をかけられなかった」。ふたりが初対戦し小林が江川を「あの子」から「江川君」と呼ぶようになった試合があった80年の1月のことだった由。

 かりにその「ニアミス」と「試合」の順序が逆であったら、江川の方は固いままだったとしても、小林の方の対応は違っていただろうか。・・・などという想像をしたくなる。

 「空白の一日」をおおかたのジャイアンツファンはどのように考えたか。江川事件が起きた78年、ジャイアンツはリーグ優勝を逃した。そして79年、80年と優勝を逃し続け、80年の秋、長嶋は監督を解任された。辞任と発表されたが詰め腹を切らされたことは明らかで、直後から翌年にかけて読売新聞に対する不買運動が起き読売は販売部数を大幅に減らしたことがあった。だが江川事件ではそのようなことはなかった。これを見ればジャイアンツファンの性根が知れるというものだ。もっともその当時はオレもまだジャイアンツだったのだが。

 それにしてもあれから29年か・・・。ん?、「脱帽だね」などと一丁前のことを言った**(息子)、おまえ、まだ生まれてなかったぞ。(11/19/2007)

 **(家内)は大磯の友達のうちに招待されているとかで早々に出かけた。開放感のようなものがあるのはどういうわけだろう。**(家内)がいようがいまいがすることにあまり変わりはないのだが。

 それにしてもいい天気だ。パソコンの前で幾冊かの本をパラパラ繰るうちにお昼をまわった。障子越しの秋の日は柔らかい。この家のこの時期、この部屋のこの光が好きだ。

 思いついておととい御茶ノ水の駅に登る坂で思い出したうろ覚えの歌のことを検索してみた。いつものことだが、インターネットの検索機能というのはすごい。曲名は「お茶の水あたり」。歌っていたのは「江口有子」。「夕方になれば、学生の群れが、流れてゆく、流れてゆく、お茶の水・・・」。76年か。

 寝そびれた夜には「そらのふかさをのぞいてはいけない」。しかし昼間ならよかろう。転がる思いを転がるままにしてみた。秋の日の午後、心の輾転反側。(11/18/2007)

 買ったばかりの「空白の宰相-『チーム安倍』が追った理想と現実」に安倍内閣の一応の「成果」として書かれているのは「道路特定財源の一般財源化」と「公務員制度改革」のふたつである。

 7月の選挙の際、安倍は「誰も手をつけられなかった公務員制度改革をわたしはやりました」と言っていた。さすがに利害関係者が必ずしも評価しない選挙では連呼できなかったものの、道路特定財源についても安倍は「誰もできないと言われていた道路特定財源の一般財源化をわたしの内閣がやった」と言って胸を張っていたことがあった。

 安倍内閣は昨年の12月8日、与党との間で最終的に合意した見直しの具体案を閣議決定した。ポイントは次の四点に集約される。①真に必要な道路整備は計画的に進める、②2008年度以降も暫定税率による上乗せ分を含め、現行の税率水準を維持する、③税収の全額を道路整備に充てる現在の仕組みは、2008年の通常国会で法改正し、毎年度の予算で、道路歳出を上回る税収は一般財源とする、④国民が改革の成果を実感できるよう、高速道路料金の引き下げなどを講ずる

 今週火曜日、国交省はこの特定財源に関する試算を発表した。

 国土交通省は13日、08年度から10年間の道路整備中期計画の素案を発表した。道路整備に必要な国費は道路関連事業(3兆円)を含め35兆5000億円で、道路整備に使い道が限られる道路特定財源の収入31兆~34兆円(国交省試算)を使い切る計算。これまで通り道路建設を推し進め、高速道路など高規格幹線道路の未着工区間もすべて造るとした。政府が一般財源とする方針の道路特定財源の「余剰分」を生じさせない内容になっている。・・・(中略)・・・素案では道路特定財源を使い切ることになるため、国交省は、揮発油税(ガソリン税)など道路特定財源の税率を本来の約2倍に上乗せした税率(暫定税率)を来春の期限切れ後も維持する必要があるとし、08年度以降10年間延長するよう求めた。

 なるほど安倍内閣の閣議決定は①から④まですべて守られている。たまたま税収が道路歳出を上回るものとなりそうもないので③の一般財源に回すことが適わなかっただけのこと。こういう試算をしれっと出してくる官僚。それに対してザルもザル、大ザルの閣議決定を「誰もできなかったことをわたしがやった」とふんぞり返っていた安倍晋三。じつに嗤える話。

 ところで安倍晋三はこのニュースをどのように聞いたのだろうか。おそらくいまの彼には悔しさなどの気持ちはないのだろう。なにしろ死人同然の廃人なのだから。(11/17/2007)

 日経BP、ビジネスパーソンの迷惑対処術、第67回のタイトルは「秘匿を『ひじゃく』と読む会社のセキュリティは大丈夫か?」。抱腹絶倒、笑いすぎて涙が出てくるその一部。

 他のセキュリティ用語で、一般のビジネスパーソンが目にすることが多く誤読者が多いのは次の漢字である。
 字句を直してしまう「改竄(かいざん)」を「かいくう」と誤読する人がいる。筆者の知人は、ペットではあるまいし「かいねずみ」と読んだ。
 履歴書と3文字なら読めるのに、「操作履歴(そうさりれき)」だと「そうさふくれき」と誤読する人がいる。漢字を絵柄として、パターン認識で覚えているらしい。
 個人情報保護にかかわる文書に出てくる典型的なフレーズ「漏洩、滅失、毀損(ろうえい、めっしつ、きそん)」の後ろ2語を「げんしつ、やくそん」と誤読する人がいる。
 なお、「漏洩」は、過去には「ろうせつ」と読むべき漢字だった。今では「ろうえい」と読まないと通じない。言葉は生きているので、誤読する人が一定数を超えると、世の中で通用する読み自体が変わってしまうのだ。

 笑ってばかりはいられない。「漏洩」についていえば、「ろうせつ」と読むのが正しいとは知らなかった。広辞苑を引いてみると、「ろう‐えい【漏洩・漏泄】(ロウセツの慣用読み)」、「ろう‐せつ【漏洩・漏泄】→ろうえい」となっている。悔し紛れに「漏泄」と書かいてくれれば読めるのにといいたくなる。

 記事には出てこなかったが、誤った読み方で、誤った字の方がいまや主流という極めつけ、それは「独擅場」だ。「それから先はもう彼の独擅(せん)場さ」などと言おうものなら、逆に「それを言うなら独壇(だん)場だろ」と雑ぜ返されかねない。広辞苑にはまだ「どくだん‐じょう【独壇場】(「擅(セン)」の誤読からできた語)『どくせんじょう(独擅場)』に同じ」、「どくせん‐じょう【独擅場】その人だけが思うままに活躍できる所。ひとり舞台。誤って『独壇場(ドクダンジョウ)』ともいう」とあるが、某社の国語辞典などは誤読・誤字についての指摘はあるものの「どくせん‐じょう」の語釈は「どくだん‐じょうを見よ」となっている。もうこうなると間違ったもん勝ちということだ。

 所詮言葉はこうしたものだ。それくらいは分かっている。中には取り違えた結果と取り違える前が併存しているなどという絶句するような例だってある。「あたらし」といえば、「新し」つまり"new"ということだが、もともとこれは「あらたし」であった。その証拠に「気持ちもあらたに」という。けっして「気持ちもあたらに」とはいわない。では「あたらし」とはどういう意味であったか。

 貴乃花が横綱伝達式の口上で使った「不惜身命」の対語は「可惜身命」、体や命を厭うという意味。つまり「あたらし」とは「惜しむ、もったいない」というほどのこと。「あたら若い命を捨てて」といえば、すぐに納得できよう。この混同は広辞苑によれば平安時代からとか。同時に混同する前の用法も生き残っている・・・。言葉とはこういうもの。でも「本と親しむ」はどうでしょうねぇ。(11/16/2007)

 横田めぐみが拉致されて、きょうで30年になるのだそうだ。

 「行ってきます」といって、いつものように家を出た娘が学校から帰らない。その晩から30年、最初は心配に始まり、やがて徐々にその真相が明らかになって行くに従ってわき上がる怒り・・・。第三者にはこの程度の想像しかできないが、その心痛、いたたれなさ、腹立たしさを思うと同情に堪えない。それがれっきとした国家機関に属する者が行ったことだというのだから言葉を失うばかりだ。北朝鮮という全体主義国家の何と非道なことか。

 そこで我々は何を一番最初に目指すべきか。無法者国家北朝鮮の国家機関をとっちめることなのだろうか。それとも無法者国家北朝鮮の代表者を罰することなのだろうか。だが、拉致の実行犯が確実に国家機関なり、その代表者の命令を受け、それを忠実に実行したことについての立証なしに前記のふたつのいずれかを求めれば、その立証が行き詰まったときどうなるのか。たぶん、被害者横田めぐみの救出も行き詰まってしまうのではないか。

 では我々は拉致の実行犯の引き渡しを目指すべきなのだろうか。それともその実行犯の北朝鮮当局による処罰を目指すべきなのだろうか。答えははっきりしている。誘拐事件が発生したときに人質の解放を最初の目標にしない警察など世界中どこにもない。つまり横田めぐみに対する現状復帰こそが一番優先度の高い課題なのだ。そして現実的で意味のある目標なのだ。

 北朝鮮に対しては既にその要求はしている。しかし事態は横田めぐみのケースを含めてまったく進展していない。さればどのようにすべきかについて、朝刊に「救う会」副会長の西岡力とノンフィクション作家金賛汀の意見が載っている。西岡の意見は愚か者が陥る迷妄が、いかに事態を混乱させるものかの好例なので写しておく。

まず圧力が必要
 金正日政権を動かすにはまず圧力だ。北朝鮮が核開発を一度は凍結した90年代前半の核危機をみれば自明だ。米国は国連安保理で制裁をかけると言い、日本は本国への送金を止めるべく、厳しく取り締まった。
 政府は拉致の情報を持っていたが、世論の後押しがなく、問題提起しなかった。今回は、世論が醸成されている。今、日本がすべきことは拉致問題を6者協議のテーブルに載せ続けることだ。日本が譲歩しなければ、金正日政権が倒れることもあり得る。
 「日本が譲歩しなければ、交渉を壊しかねない」という声が与野党内にある。主権、人権の侵害を受けて、なぜ他国の利害に迎合しないといけないのか。タイ人や中国人、ルーマニア人の拉致も明らかになっており、問題の普遍性を訴えるべきだ。

 ひとくちに言えば論理性のない感情論。なにゆえ、わざわざ利害関係者のいない六カ国協議の場にこだわるのか。中国・ロシアが強力に日本を支持してくれる根拠はあるか。拉致被害者もいる代わりに拉致行為の実行者でもあった韓国が日本を支持してくれる確信はどこにあるか。核問題にプライオリティをおいているアメリカが日本を最後まで支持してくれると断言しうるか。そもそも六カ国協議はそういう場として利用できると主張する根拠はあるのか。

 金正日政権が倒れることは可能性としてはあるだろう。しかしそれは「日本が六カ国協議で譲歩しない」からそういう可能性が開けるわけではない。そんな可能性に比べれば「拉致問題は日朝二国間の問題」として切り離される可能性の方がはるかに高かろう。西岡はまず国際政治のイロハを勉強してからしゃべることだ。幼稚園児に世の中で起きている難しい問題を解けるわけはない。

 安倍晋三が拉致問題の専門家としてしゃしゃり出て、「救う会」と「家族会」が国民のヒステリーをあおり、一貫して「圧力」を強めてからいったい何年経ったろう。少なくとも日本は圧力をかけた。アメリカは「テロ国家指定」とか「金融資産凍結」とか、おそらく拉致問題とは別個の理由から圧力をかけた。安倍は、「救う会」は、「家族会」は、「圧力」というが、たったこれだけの「圧力」か。

 ちょうど2年ほど前、国連総会第三委員会(人権関係)は北朝鮮の人権状況に関する非難決議を可決した。決議の中には「強制的な失跡という形態の外国人拉致問題という未解決問題」という条項があった。政府はこれをステップボードに何をしたか。

 政府は先月アメリカの圧力に屈して棚晒しを続けていた国際刑事裁判所にようやく加盟した。先日APF通信の山路徹は長井健司の殺害に関してミャンマー政府を国際刑事裁判所に提訴するよう政府に要請することを明らかにした。政府は北朝鮮に対しても同様の提訴を行うべきだ。

 圧力は単一方向からだけかければそれで十分というものではない。複数の方向から圧力をかけることも重要だろう。

 もっともアメリカは一貫して国際刑事裁判所を敵視している(伝統的にアメリカの黒い機関に従属してきた一部マスコミはこういうニュースには冷淡であったり、ときに卑劣な手段をとることがあるらしい。週刊文春が最新号でとつぜん「ミャンマー銃撃死長井さんを喰い物にするAPF通信社代表」という記事を載せたのはその流れなのかもしれない)。

 「テロ指定国家」などというアメリカ・ローカルなものにこだわって裏切られるくらいなら、よりグローバルスタンダードである国際刑事裁判所提訴と国連総会第三委員会決議の方がはるかに広範な国の支持を期待できるはずだ。もちろん「天は自ら助くる者を助く」というから、制裁措置だけ発動しておけば足りるというような安易な姿勢に終始するうちは、拉致問題は永久に解決しないだろうが。

 それにしても西岡力のおバカぶりが目立った「ご意見開帳」だった。(11/15/2007)

 朝刊一面の写真。タイトルは「月面に『地球の入り』」。月探査機「かぐや」から撮ったハイビジョン映像。構図としては目新しい写真ではない。はじめて月を周回したアポロ8号から撮ったものがある。

 何年か前、ある講演会で国立天文台の川口則幸の講演を聴いた。彼は話の導入部でこの写真をスライド見せ、「こういう光景を見るためならば、ある程度の税金を使うことも許されるんじゃないですか」と話を始めた。手前には死んだような月の大地、そしてその上の漆黒の宇宙空間、そこに青と白に彩られた地球がぽっかりと何の支えもなく浮かんでいる。

 立花隆の「宇宙からの帰還」はまだ宇宙開発が米ソの競争であった時代に、アポロの搭乗者たちへのインタビューをまとめた本だった。立花はこんな風に書いている。「宇宙飛行士たちの宇宙における認識拡張体験の話をくり返し聞いているうちに、私は、宇宙飛行士とは、『神の眼』を持った人間なのだということに思いあたった」。またこんな宇宙飛行士の言葉も紹介している。"We do not realize what we have on earth untill we leave it."(地球を離れてみないと、我々が地球で持っているものが何であるのか、ほんとのところはよくわからないものだ)。

 少しばかり前に立ち読みした「1968―世界が揺れた年―」という本の末尾は、この写真を掲げ、ダンテの「神曲」とともに、宇宙飛行士(誰だったかは憶えていない)の言葉を引いていた。いずれも天の高みから見たときに地上での争いがどれほど小さく滑稽なものか、地上で争う者がふとその視線を憎むべき敵から外せば諍う自分たちがどれほど大きな世界の小さな一部分に過ぎないかを伝える言葉だったと記憶する。(立花の「宇宙からの帰還」にも「神曲」の引用があった)(11/14/2007)

 稲尾和久が亡くなった。けさ、午前1時過ぎのこと。

 西鉄ライオンズ黄金期のピッチャー。実際、彼が入団した昭和31年から西鉄は日本シリーズ三連覇を果たしている。伝説となったのが昭和33年の三連敗後の四連勝。「神様、仏様、稲尾様」のフレーズは「流行語大賞」などない時代の流行語になった。

 伝説の故にいつの間にか記録映像を自分の記憶のように思っているが、テレビの普及時期、当時の野球中継カード、西鉄ライオンズがパリーグであったことなどを考えると、おそらく稲尾の投球をリアルタイムかつ配球、攻め方などについてしっかり見た人は少ないのではないか。しかし、14年間で276勝137敗、通算防御率1.98、3年連続30勝以上、8年連続20勝以上、一シーズン20連勝、42勝などの数字を念頭に投球映像を見ると、誰でも鉄人ピッチャーのイメージをしっかりと持ちうる不世出の投手だった。

 稲尾は漁師の子で手伝いとして海に出ることもあったという。そういえばジャイアンツの西本聖の家も漁師だった。小舟で艪を漕ぐことはどこかピッチングに通ずるところがあるのかもしれない。では稲尾と西本の違いはどこにあったか。それは日本がどれほど貧しかったか、それ故、子供の働きにかけられる期待の度合いがどれほどのものであったか、その差であると思うのは偏見だろうか。(11/13/2007)

 昼一番で複線型雇用面接。対外的には「当社は政府指導に従って定年の年齢を65歳まで延長しております」なのだが、条件をつけない延長は組合員のみ。管理職はスタッフ管理職を含めて60歳のところでいったん線を引きますということ。理事は可能性としては正社員の資格での延長があるが、副理事以下は嘱託として再雇用するかあるいはそこで退職という選択になる。嘱託の待遇にも二種類ある。定年時の年俸の7割程度というコースか、年俸300万というコース。**ほどの働きをしていても後者だということだったから、前者は「見せ金」のようなものだと想像してよかろう。

 きょうの面接はまず本人の希望を聞くというもの。本人の希望と会社評価、組織事情により、再度の面接を経て決定になる。きょうのところはセンター長と人勤が希望聴取をする。

 60歳定年のその日をひたすら楽しみにしてきたのだから「Dコースでお願いします」と言う。センター長には資料が転送されたその日、会議室に向かうエレベーターの中で「60歳で退職したい」旨伝えてあった。通常はやりとりを聴くことに徹する人勤だが「はい、そうですか」では終わらせられなかったのか、いくつかの質問をしてきた。前任の**課長なら別にひとことと思うことがあったが、新任の課長に言うことでもない。

 可笑しかったのは「年金は60歳からはフルには・・・」と言葉。「わたしの場合は64歳からですよね、承知してます」と応ずると妙に安心したような顔になった。おそらく5分と要しなかったろう。(11/12/2007)

 オランダの下院が従軍慰安婦問題について日本政府に対し謝罪と賠償を求める決議を全会一致で可決したニュースがきのうの読売のサイトに出ている。検索をかけてみると、日経と東京新聞が共同電を伝えている。共同の配信を受けているはずのサンケイにはない。マイクロソフトよ、これでいいのかと思うが、当然載せていいはずの朝日にもこの記事はない。

 読売と日経の記事を書き写しておく。

【読売】
オランダ下院、従軍慰安婦問題で日本に謝罪要求決議
【ブリュッセル=尾関航也】オランダ下院は8日、第2次大戦中のいわゆる従軍慰安婦問題で、日本に謝罪や賠償を求める決議案を全会一致で採択した。
 この問題に関する議会決議は欧州では初めて。米下院が今年7月に同様の決議を採択したのが「飛び火」した形だ。
 地元メディアによると、8日の本会議で採択された決議は、旧日本軍が戦時中、アジア諸国や西欧出身の女性を「性的奴隷」として働かせたとして、日本政府に元慰安婦への謝罪、賠償を求めている。決議に法的拘束力はないが、フェルハーヘン外相は同日、決議を日本政府に伝達する意向を示した。
 オランダ国内では、日本占領下のインドネシアの慰安所で働かされたというオランダ人女性らが、日本に謝罪を求める活動を展開しており、日本政府の姿勢に批判的な世論が強い。

 記事中、「慰安所で働かされたというオランダ人女性」という書き方は読売なりの「工夫」なのだろうが、スラマン事件については例の「自爆意見広告」でさえ、その事実を認めた例なのだから、掲載する限りはあまりいじましい書き方はすべきではなかろう。かえって惨めになる。

【日経】
慰安婦で対日非難決議――オランダ下院、全会一致で採択
【ブリュッセル=共同】第二次大戦中の従軍慰安婦問題でオランダ下院本会議は9日までに、日本政府の対応を非難し、元慰安婦の女性らへの謝罪、賠償などを求める決議案を全会一致で採択した。
 同問題では米下院本会議が7月、日本政府に公式謝罪を求める決議案を可決しており、日本への不信感や怒りが米国だけでなく欧州にも募っていることを示した形だ。
 8日夜に採択された決議は、日本政府に(1)従軍慰安婦問題の全責任を認め、謝罪すること(2)元慰安婦女性に損害賠償を行うこと――などを求めた。また13日の本会議で、バルケネンデ首相らに今後の具体的な対日外交手段などに関する答弁を求めることも決めた。
 日本占領下のインドネシアで慰安婦にされた国民がいるオランダでは、安倍晋三前首相らの言動に対して政界などで不満の声が強まり、6月にはフェルベート下院議長が釈明を求める書簡を河野洋平衆院議長に送付していた。

 このニュースに関する検索をかけていて知ったのだが、先月4日から6日までUCLAで「日本軍『慰安婦』問題解決のための世界大会」なる大会が開催されていた。この問題に対して2000年に東京で開催された「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」以来の大規模なものだった由。安倍晋三と中川昭一がNHKに政治的圧力をかけた番組が取り上げていた催し。

 安倍晋三という宰相が遺したものはじわじわとこの国の国際的信用を低下させている。しかしマスコミの報道姿勢に現れているものに見る限り、この国の人々にその認識はほとんどない。インド洋での給油の取り止めよりは、こういう問題の方がよほど広範に国際的信用の失墜を招くのだということに思い至らないのだから、ずいぶんバカな国になったものだと嘆息するばかり。もっとも安倍程度の人物が首相になれる、そんな国に成り下がったのだから、当然の話といえばそれまでだが。(11/11/2007)

 朝刊のトップは「山田洋行元専務を逮捕/1.2億円横領の疑い/守屋氏との癒着焦点」。宮崎元伸がきのう逮捕されたという内容。そのすぐ下に「給油早期再開に期待感/米国防長官、首相らと協議」という見出し。いまこの時期にゲーツ米国防長官が来日中というのは、なんとも薄気味の悪いタイミング。

 きのう、ゲーツは福田首相、石破防衛相、高村外相、町村官房長官、きょうは額賀財務相と会っている。額賀との会見はまちがいなく駐留米軍の費用負担と米軍再編に伴う負担金の話なのだろうが、額賀の閣僚経験で一番長いのが防衛庁長官(福田内閣の閣僚名簿で財務相が額賀と知ったときには「何で額賀なのか」と思ったものだった)で、高村も短期ながら「安倍死に体内閣」で防衛相を努めていたことが気になる。気になるといえば久間の名前がないこと。もちろん、現在「緊急避難」入院をしているからというのが「公式理由」なのだろうが。

 宮崎の逮捕容疑は山田洋行米国法人からの資金横領となっている。おそらく宮崎と日本ミライズ関係のことばかりが取り上げられるだろう。しかしたかがゴルフ接待の資金に1億も2億も必要だったわけではなかろう。もし山田洋行が宮崎憎しでデータを出している理由が問われるところまでフェーズが進めば、シーメンス事件(1914年)・ロッキード事件(1976年)以来の大型「死の商人疑獄」になるのかもしれない。週刊新潮の今週号に「『第2の角栄だ』永田町を駆け巡った『アメリカにやられた!』」の見出しがあったが、そこまで拡がることがあれば、仮にそこに小沢が連座しているとしても民主党が負う傷よりは自民党が負う傷の方が大きく深いものになるに違いない。

 吉田武「オイラーの贈物」届く。うーん、こういう本が高校時代にあったらなぁ。(11/9/2007)

 武蔵野線に揺られながら偶然目に入った広告。大文字にて「読解力の崩壊」とあり、脇にこんなことが書いてある、「日本の生徒たちの読解力が大きく低下しています。読解力は国語だけでなく、数学などすべての強化(ママ)の基礎。ふだんから本と親しみたいものです」。

 栄光ゼミナールなる予備校の広告だけに嗤える。読解力だけではなく、正確な言葉遣い、とくに「てにおは」には気をつけたい。日本語の特質なのだから。

 これ、「安倍晋三現象」とでも名付くべし。無教養の愚か者が教育を語り、伝統も歴史も知らぬ者が美しい国などと連呼するに通底せり。この可笑しさよ。(11/8/2007)

朱記部分、「教科」の間違いじゃありませんかって、ご指摘がありました。

栄光ゼミナールのサイトを見ると、「強化」になっています。サイト掲載時のミスでしょうか。あした、電車車内広告の方、確認してみま~す。(11/12)

車内広告の方は、「日本の生徒たちの読解力が大きく低下しています。読解力は国語だけでなく、数学などすべての教科の基礎。ふだんから本と親しみたいものです」となっていました。サイト掲載時の誤変換なんでしょうね。

この広告からくみ取るべき、予備校的教訓。それは、「見直しは重要ですよ~」。

近頃の人々の日本語力に関する面白い話が、日経BPのサイトにありました。題して、「秘匿を『ひじゃく』と読む会社のセキュリティは大丈夫か?」。抱腹絶倒、やがて哀しき・・・お話です。(11/14)

 毎日のサイトに「欧州議会:元慰安婦が初証言/日本謝罪へ協力求める」の見出し。

【ブリュッセル福原直樹】欧州連合(EU・27カ国)に設置された欧州議会外交委員会は6日、旧日本軍に強制された従軍慰安婦だったと訴える女性3人を招き、聴聞会を開いた。3人は「日本は元慰安婦に公的な賠償を行っていない」と主張、日本政府に謝罪などを要請するため同議会の協力を求めた。慰安婦だったと名乗る人々が欧州議会で証言したのは初めて。
 証言したのはオランダ、韓国、フィリピン国籍の3人で、国際的な人権救済組織「アムネスティ・インターナショナル」の招きに応じた。
 3人のうち、ギル・ウォンオクさん(79)=韓国ソウル在住=とローラ・メネンさん(78)=フィリピン在住=は毎日新聞の取材に「元慰安婦らは年老いており、早急な日本政府の対応が必要」と訴えた。欧州議会決議に法的拘束力はないが、各国の政策に影響力がある。

 時事通信と毎日新聞のみの記事。ワシントン・ポスト紙に「THE FACTS」という広告を載せたあの「愛国者自爆派」の人々はどうしているのだろう。誰か教えてあげた方がいいだろう。

 (将来のための注:ワシントン・ポスト紙への「意見広告」は掲載に名を連ねた人々の「意図」と「期待」を裏切る結果になった。件の「意見広告」はアメリカの世論を硬化させ、かえって下院での「非難決議」の議決を促進する効果を発揮した。その様にはまるで「自爆テロ"suicide bombing"」を連想させるものがあり、彼らの「主張のピンぼけぶり」と「自己陶酔を原因とする現実感覚のなさ」を含め、彼らは「自爆派」と命名された。ただ自爆テロ犯は少なくとも意図が相手に伝わっているのに対し、自爆派の意図はまるきり相手に伝わっていないこと、また「ジバク」は「自縛」にも通じ、彼ら自身の視野狭窄をみごとに表していることなどを考え合わせると、その哀れさは倍加して、この時代のある種の人々の愚かさの標本になった)(11/7/2007)

 小沢、民主党代表辞任を撤回するらしい。つまり辞めるのを止めたということ。小沢は鳩山に「大変ご苦労をかけた。恥を晒すようだが、皆さんの意向を受け止めて、もう一度頑張りたい」と伝えた由。

 「恥を晒すようだが」というのは同様の経験を持つ身としてはよく分かる。しかし三十歳一歩手前の一介のサラリーマンと、それなりの組織のトップで人生の黄昏にさしかかった者の言葉が同じものであるわけはなく、逆に組織の末端の若造が抱いた感覚と同じ言葉を老獪な政治家が感慨として口にするのは少しばかりおかしい。

 先週の党首会談に始まってきょうの撤回まで、おかしなことばかりだ。

 最大の疑問は変わらない。小沢ほどの手練れが渡邉恒雄の仲介があったとはいえ、なぜ易々と党首会談に応じ連立の話までをしたのかということ。参議院の過半数というカードを持っているということは、武道でいうところの「後の先」をとることができるということだ。小沢一郎がそれを忘れるなどということはあり得ないし、それを忘失するようならば、もはや「役に立つ」政治家ではないということを意味している。

 おかしいのは民主党も同じ。たしかに小沢が手勢を引き連れて党を割る可能性への恐れはあるかもしれぬが、まさか一直線に自民党に合流することはない。一気にすべての状況が変わるわけではない。それでもなお、政権担当能力に欠け、次の選挙に勝てないと断じた小沢にすがりつくというのは、たとえそれが事実であったとしても、それを追認することになる。選挙に勝ちたいというのなら、泣いて馬謖を斬る以外の選択はないはず。

 おかしいのはそれだけではない。新聞社も同じ。なんとその新聞社はみずから台本を書き、政治家を演出し、演ぜられた芝居を事実として報道するというのだから恐れ入る。これは"presscracy"とでも名付けるのが適当か。なんとまあ恐ろしい時代になったものだ。その新聞社、読売新聞という。読売は発行部数が最大であることを選挙による支持と同等ないしはそれ以上のものと考えているらしい。なお、"presscracy"の本質と理想は次の言葉に尽くされているそうだ。「読売新聞の読売新聞による読売新聞のための政治」("government of the Yomiuri, by the Yomiuri, for the Yomiuri")。(11/6/2007)

 **(友人)と有楽町で飲む。いつぞやの飲み会の帰り山手線の中で「道元」の話から転がって「不確定性原理のおかげでスカスカの構造を持つ原子が壊れないんだ」と言った。「どういうこと?」というところで上野に着いて、続編を聞き損ねた。そのリターンマッチ。

 店にはいると注文もそこそこに、あらかじめ用意してくれた二枚程度のレジュメを取り出して説明。水素原子の成立条件から説明する方は直感的に分かったが、もう一方の光子のエネルギーからの説明はいまひとつぴんと来なかった。最大の理由は何となく「数学的帰納法」のような感じがしたからだ。いまだにあれは詐欺にかかったような気がして好きになれない証明法だ。それだけではない。位置と運動量の不確定の説明として引っ張り出した式の形にどこか見覚えがあって、それが気にかかったこともある。

 さっき、やっと調べ当てた。オイラーの公式。でも、これ、どういう関係にあるんだ?(11/5/2007)

 小沢が民主党党首を辞任すると言い出して大騒ぎになっている。ふと歴史の教科書にあった「此頃都ニハヤル物」という落首を思い出した。どうやら「放り出す」のは経験の深浅にかかわらず、とかくに天下国家を語りたがる連中の共通的な性癖らしい。しかし小沢までがこの病に罹っているとは思わなかった。

 安倍晋三が浅瀬でおぼれても不思議に思う者はおるまい、所詮、その程度の知力なのだと思い当たれば誰でも納得する。だが小沢一郎がこんなところでおぼれるのを見ると、ある種の感慨を覚えずにはおれなくなる。小沢にして「政権」の可能性の遠い足音を聞くと冷静ではいられなくなるのだなということか。

 7月の選挙の結果を「勝利」と受け止めればそういう判断になるのだろうが、あれは「民主党の勝利」ではなく「安倍の敗北」(「自民党の敗北」ですらない)だろう。だから民主党の政権担当能力はもちろん衆議院選の見込みなど聞かなくても答えは分かる。おめでたい民主党員の多くはともかくとして、小沢一郎にはそのくらいの現実認識はあると思っていた。

 そういう「現実」からどのような隘路を通って政権に至るか、その道筋をどのようにつけるか、それこそが小沢に期待することだった。7月の勝利を「ステップだ」と思ったのなら、問いたいものだ。「いつ、ホップをしたのか?」と。最大限譲歩するとしても、あれが「ホップ」。次の衆院選が「ステップ」、「ジャンプ」はその次、せいぜいそんなところだった。

 つまり誰も瞬時に頂上にテレポートすることなど期待していない。地道にベースキャンプから歩みを進める。ただし衆愚政治がはびこる時代だから、地道な歩みをどのように飾り立ててつなぐのか、「剛腕小沢」の「カリスマ性」はそこに期待されていたはずだ。アーア、がっかりしたよ、小沢一郎。(11/4/2007)

 昨夜、まず、福田首相が民主党の小沢党首に連立を提案したという速報が入った。小沢は党に持ち帰ったが、菅直人代表代行、鳩山由紀夫幹事長、輿石東参議院議員会長は一致して反対し、程なく小沢は拒否を福田に伝えたという続報が流れた。

 ただの「連立」ではない。衆議院の三分の一と参議院の過半数を握る勢力の連立、朝刊の解説記事によれば、衆議院は自民・公明・民主で449(共産・社民・国民新党:22)、参議院は224(12)。これは大政翼賛会以上、「大連立」という言葉を使う理由は誰にでも分かる。もちろん現状の小選挙区制での大連立などアクロバットそのものだが。朝刊の「時々刻々」にはこんな部分があった。

 ただ一方で、大連立の芽がついえたとも言い切れない。
 参院選大勝の余熱さめやらない8月3日、都内の小沢氏の個人事務所。
 「おれが自民党に手を突っ込むわけにはいかない。また『壊し屋』だと言われるから。でも向こうから言ってきたら、おれは乗るよ」
 小沢氏は、側近議員にこう漏らした。この議員は、ある政治学者が民主党の政権奪取への道筋についてまとめた「民主党の中長期戦略リポート」の要約版を小沢氏に届けたのだった。
 目を通した小沢氏が、とくに関心を寄せたのが「国会改革のための憲法部分改正や公務員制度改革などの問題のためだけに、短期間の連立か、それに代わる議論の場をつくる」というくだりだ。実質的な「大連立」の勧めだ。リポートには二院制のあり方や憲法改正などの大テーマを実現するための限定的な大連立構想が記されていた。
 「大連立は目的と期間を限定し、必ず総選挙によって、早期に終了するものでなければならない」とも記され、小沢氏は、この学者に丁重な礼状をしたためたという。

 もっとも今回の連立提案はもっぱら「給油継続対策」の次元にしか中心がないようだから、少しばかりこの政治学者様の推奨意図からは外れている。しかし民主党が政策遂行能力を身につけるためとすれば、時限措置的な連立にもまったく意味がないわけではない。小沢が言下に席を蹴らなかったのはそのせいかもしれない。(11/3/2007)

 「馬齢を重ねる」という言葉を痛切に感じた日だった。いとぢゅん(萩野純一郎くん)が亡くなった。MN_obメーリングリストで知った。

 仙川のマスターネット社の会議室でシスオペメンバーの会議に参加したことがあった。当時高校生だったいとぢゅんは書記を担当して議事録をキーイン。その内容をプロジェクタで確認しながら論議は進められた。「**さんのご意見はこういうことですよね、ボクはそのことについて・・・・・・と思うんですが」。しゃべっていることと全然別の「文章」を議事録としてタイプしてゆく手際に驚いた。あと数年もするとこんなことを平気でやれる連中が会社に入ってくるのだなァ、まさに後生畏るべしとはこのことだなと思ったものだった。

 夏休みの宿題レポートテーマ「朝鮮戦争」について書いたものを「すみません、アドバイスください」と書き添えて自宅に送ってきたこともあった。ほんの少しばかり本を読んでいるだけのただのサラリーマンだよとメールすると「それでも是非」と言ってきた。そんなことを頼めるほど気安い仲かいと思いつつも、彼の言葉にはなんとも言えないハートワームなところがあって、できる限りのことはと思ってしまうのだった。「そうか、これが新人類という種族なのか」とも思った。

 彼はエスカレーターに乗って、慶応の工学部を学士、修士、博士とすすみ、先進的ハッカーとして、「いとぢゅんさん」とも、「いとじゅん先生」とも呼ばれるようになっていたらしい。彼の業績をネットであたると溢れるばかりのものが見られる。

 享年37の由。まさに人生を駆け抜けていったのだ。村井純氏がプレスリリースとして書いたものをコピーしておく。

いとじゅん無しには成し遂げられなかった沢山のことがあります。
IETFやIAB、そして、WIDEメンバー、ボードとしてのコミュニティへの献身的な貢献への尊敬は、私たちの共通の想いでしょう。
ご存知の方も多いと思いますが、長い闘病生活からの復帰をめざし始めた時だったと思います。
多くのいとじゅんの偉大な業績、特に、IPv6に関するKAMEやIETFでの業績は、私たちWIDEにとって大きな誇りとなるものです。
いとじゅんの力を失うことは大変つらいのですが、あの明るいあたたかい笑顔と、深い知性、前向きで力強い姿勢を、残された私たちが心をこめて引き継ぎ、いとじゅんに少しでも安心して休んでもらいたいと思います。

 いとぢゅん、鮮やかなキミの想い出をオレは忘れない。合掌。(11/2/2007)

 ワールドシリーズは早々と月曜日にボストン・レッドソックスの4タテで決まってしまった。そして日本シリーズもこんやドラゴンズが勝って終わってしまった。ファイターズは第一戦に勝ったのみで四連敗。しかも今夜の試合は准パーフェクトゲームだった。

 ニュースとその後の「クローズアップ現代」を見て、BSに切り替えると回は既に8回表を迎えるところだった。ファイターズはダルビッシュ、ドラゴンズは山井。

 山井、ドラゴンズの中ではめだたないピッチャー。レギュラーシーズンの活躍の記憶はない。そのくせこいつには見覚えがあった。04年のライオンズとの日本シリーズに出てきて、ライオンズに苦杯をなめさせた奴だ。シリーズにだけ活躍する選手がいるが山井はその典型として記憶にあった。8回のトップはセギノール。「4番が8回のトップだって?」。なんと山井は7回までパーフェクトで来ていた。しかも1対0。パーフェクトゲームは1-0が多いのだ。

 オイオイと思うまもなく、期待されたセギノールは初球を打ってショートゴロ(これはほとんどセカンドベースの後ろ)。工藤は三振。代打に出た坪井もセンターフライ。

 **(家内)に言った。「裏の攻撃でドラゴンズが点は入らなくともランナーが出なかったら、落合、どうすると思う?」、「さあ」、「たぶん、ピッチャーを代えるね」、「どうして」、「1点差だからさ。つまり一発で同点になる。ヒットやファーボールならいいさ。その時点で岩瀬に代えればいいんだから。でもホームランならば、試合は一気に逆転してファイターズに流れる。・・・、落合はパーフェクト目前の試合を自分のホームランでひっくり返したことがある。斎藤雅樹、ジャイアンツの、憶えてる?」、「うん」、「たしか、中日球場で、斎藤は9回までパーフェクトできてたんだ、それをコツンとヒットを打たれて、ホームランでサヨナラ負けしたんだ、打ったのが落合さ。それが野球というものなのさ」。(注)

 8回裏、ドラゴンズは三者凡退。このシリーズ、ファイターズを応援している側としては山井の続投を願った。岩瀬よりは山井の方が限りなくゼロに近いファイターズの勝利確率が幾分か高くなる。ナゴヤドームの観衆からは山井コール。しかし落合は岩瀬にスイッチした。落合がオレが考えたことを考えていたかどうかは知らない。単にシーズンを通して押さえとして優勝に貢献した岩瀬に花を持たせたかっただけのことかもしれない。だがこれぞ「監督の決断」だった。

 岩瀬にはものすごいプレッシャーがかかったことだろう。パーフェクト・ピッチングのリリーフをしろといわれているのだから。しかもただの試合ではない。日本シリーズの優勝がかかった試合なのだから。そして、多くの人は気づかないだろうが、それは落合にだって言いしれぬプレッシャーなのだ。岩瀬が打たれたならば、落合はスクイズを命じてシリーズを失ったと喧伝された西本幸雄のようにいわれるに違いない。

 落合は勝った。ドラゴンズは1954年(**(弟)が生まれた年だ)以来の優勝をした。53年の「呪い」を解くためにはこのくらいの采配が仕上げのために必要だったということだ。あまり面白くないシリーズだった(それはヒルマン監督と高田GMに多大の責任がある)が、最後になかなかのドラマを見せてもらった。でも、・・・、山井が投げていたら、我々は日本シリーズでの完全試合という、とてつもないドラマを見たのかもしれない・・・、選択されなかった可能性であるが故に、それは「伝説」になる。(11/1/2007)

注)
 この試合は1989年8月12日。そして8回を終了してパーフェクトだったというのわたしの記憶違いで、この前にショート川相のエラーがあり、正確にはノーヒットノーランペースだった由。

 この試合を見て、斎藤・落合を思い出したのはわたしだけではなかったようで、検索をかけてみると、ごっそり同様の指摘が出てきました。

 で、その落合のサヨナラホームランにいたる試合の映像は、ここにあります。

 本来きょう行われるはずだった福田-小沢の党首討論は流れた。安倍が望んで実現しなかった首相・小沢の二者会談が週明け突然に行われることになった。週内にも次回が予定されているそうで、自動的に党首討論が中止になった。不思議な話だ。安倍の申し入れに対し「国会でオープンに議論すべきこと、密室で協議することはない」と言っていた小沢が真逆のことをやるというのだから。

 けさの各紙の社説をざっと読む。いつものごとくの色分けといえば、それまでだか、朝日、毎日、東京が党首討論の中止を批判しているのに対し、読売と日経が取りやめになった党首討論について一言も触れていない(サンケイは「両氏は週内に再会談する。これに伴い党首討論は延期となった」と事実のみ書いている)のが印象的だ。読売と日経はよほど誰にも見える公明正大な論議が嫌いらしい。

 サンケイを含めてこれらの新聞はもっぱらテロ特措法のことばかりに目を奪われているから、オープンな論議が棚上げになったことに違和感を持たないのだろう。つまり「給油というアメリカ貢献(彼らはこれを国際貢献という言葉にすり替えている)」をなんとかして再実現させなくては困るという強迫観念にとりつかれているから、当然見えていいことが見えないのだ。

 「オープンなところでできない話」をしなければならないからこそ「密室会談」を行うのだろう。単にどうやってインド洋でタダの油配りを続けるか(日経は「今国会の最大の焦点は給油継続新法案だが」と書いている、エコノミック・アニマルとはここまでバカになれるものらしい)とか、どうやって年金不安を解消するかという話なら人前でできないことではない。そんな話よりも以前のことか、話を決着させるプロセスに関わることか、そのあたりを話すからこその密室会談なのだろう。

 あれほど安倍につれなくした小沢が福田の申し入れにのったのはナゾだ。さらに、ここまで蹴飛ばし続けた会談の申し入れをなぜいま受け入れたのかもナゾだ。素人だけではなく玄人たるマスコミまでもが一様に眼を白黒させている。とすれば見えていないことを勘ぐりたくなる。その勘ぐりのひとつ。月曜日の守屋武昌の国会証言で田村秀昭の名前が出たことが理由になったのかもしれない。田村は自民党で初当選したが、小沢に付き従うかたちで新進党・自由党・民主党と移り、国民新党へ流れ着いている。この過程で小沢にも山田洋行資金が流れており、それが弱みになった可能性でもあればということ。だが所詮その程度のこととすれば、ここはマスコミ解説通り自民-民主の大連立ということなのか。(10/31/2007)

 「サイエンス・ポータル」のサイエンス・ニュースに「405年生きた二枚貝発見される:最長寿の生き物」の見出し。きのうの夕刊にあった記事。うるさい携帯メールに応答するうちに読み忘れていた。

 アイスランド沖の海底から引き上げられた貝の年齢(プランクトンが豊富な夏場の成長期に刻まれる貝殻の「年輪」を数えると分かる由)を調べたところ、これまでの記録より30歳以上年長の405歳から410歳と判明した。

 記事に紹介されている研究者のコメントが味わい深い。「この貝が若いころ、英国ではシェークスピアが『マクベス』や『ハムレット』を書いていたのだ」、「何もしない静かで安全な暮らしだったから長生きできたのだろう。恐ろしく退屈な一生だったはずだ」。災いに巻き込まれることなく、安全に暮らし長生きするためには"man of oyster"に徹する。仮にそれが「恐ろしく退屈な一生だった」としても。

 しかしこのコメント以上に味わい深かったのはそれに続く「死の真相」。記事はこう書いている。「採集時は生きていたが年齢を調べる時に肉をはがしたため偉大な生涯を終えたという」。寡黙に生きたとしても、ある日突然、災厄は訪れるということか。(10/30/2007)

 守屋武昌前防衛の衆議院テロ防止・イラク支援特別委員会への証人喚問。毎日のサイトの証言要約をざっと一覧してみる。やっと宮崎元伸や田村秀昭の名前が出てきた。あまり目新しいことはない。せいぜい宮崎による接待の場に政治家がいたことがあり、その中には防衛庁長官経験者もいたということぐらいが耳目を引くくらい。

 それにしてもうまいものだ。ゴルフ接待はすすんで証言しながら便宜供与は一貫して否定する。聞く側はゴルフ接待の回数に圧倒される。そして偽名を使ってまで行う話に思わず失笑する。なぜ失笑するかといえば、夫婦同伴、同じゴルフ場に頻繁に通うなど、頭隠して尻隠さずではないかと思うからだ。あきれながら聞くうちに、その証言の本質的な不自然さを看過してしまう。それがねらいなのかもしれない。それは守屋の容貌に似ている。ベビーフェース。ゴルフ遊びに夢中になる子供に見える。おそらく隠されたことがらは証言されたこととはかけ離れて醜悪なことなのだろう。(10/29/2007)

 午前中はワールドシリーズ第三戦。先発した松坂は初回先頭打者の松井稼頭央に右中間にヒット、ライトのエラーもあり、いきなりノーアウト二塁からのスタートになった。後続を三振、ピッチャーゴロ、サードゴロにとり無難に切り抜けた。三回表には自ら大リーグ初安打を三遊間に放って2打点。6回裏、先頭打者をサードゴロにとった後、二者連続の四球を与えたところで降板した。

 レッドソックスは一時、6対5と追いすがられたが8回と9回に追加点を取り、10対5で三連勝。松坂は勝ち投手になった。9時半に始まった試合の終了は14時。

 **(弟)の祥月命日。**(家内)と墓参り。買い物から戻ると日本シリーズ。

 アンパイヤの判定に左右された試合になった。先発のグリンは悪くなかったが、主審・渡田に崩された。

 ワールドシリーズの中継ではきわどい判定の後はかなり執拗にリプレイを流す。しかもいろいろな角度からとった映像を繰返し繰返しオンエアする。それに対しこちらの中継はさらっとしたものでアングルを変えた映像も撮っているはずなのにあまり流さない。

 判定にビデオを導入しろなどという気はさらさらない。あえていえば、誤審もゲームの要素だと思っている。

 しかしメジャーの中継のように疑問の判定に対してリプレイが繰り返されると分かっていれば、審判は嫌でも技能を磨こうとするだろう。それに対してこちらの中継は「ヌルい」。

 審判の権威を傷つけないという配慮だとすればそれは間違いだ。審判の権威は審判の技量に支えられている。「判定」と「事実」のギャップにチャレンジしてもらうためにも厳しいリプレイを常識化してもらいたい。

 ライオンズファンでファイターズファンではない。それでも書いておく。きょうの主審・渡田は試合の面白さを壊してくれた。試合を壊す審判には「恥をかかせる」べきだ。(10/28/2007)

 防衛庁守屋前事務次官が業者からゴルフ接待をはじめとする親密交際をしていたという件で先週あたりから大騒ぎをしている。ずっとニュースを見聞きしていて不思議なことがふたつ。

 ひとつは報ぜられるのはゴルフと麻雀と会食、その他には次女の留学だか就職に口利きをしてもらったと言うことくらいにとどまること。大金を受け取ったとか、家を建ててもらったとか、ベンツをもらったとかいういかにもありがちな「贈収賄」のイメージからはほど遠いこと。

 もうひとつはこれほど濃密に報道されながら、主要マスコミが贈賄側を「山田洋行の元専務」という表現で統一しており宮崎元伸という実名を一切報道していないということ。宮崎は、現在、山田洋行から部下と商権をぶんどって自ら設立した日本ミライズの社長だ。つまり実名報道がはばかられるとすれば、「山田洋行元専務」と呼ぶよりは「日本ミライズ社長」と呼ぶ方が自然なのだ。

 山田洋行という会社がなぜこれほど防衛庁に食い込むことができたのか、そのからくりは宮崎元伸とこの7月まで参議院議員を3期18年つとめた自民党・田村秀昭のコネクションにあったといわれている。宮崎が山田洋行アメリカ法人から調達していた年1億とも2億ともいわれている裏金が田村を経由あるいは田村の指示によりどのようなところに配られたのか、そういうところに報道が一切及ばないのはじつに不思議でならない。

 今晩のブロードキャスターに出演した岡本行夫が興味深いことをいっていた。ロッキード事件後、アメリカには企業が外国政府官庁に不正な働きかけをすることを禁ずる特別法を作った云々という話。岡本は守屋ゴルフ疑惑の文脈を無視してあえて少し飛躍した話をしたわけだ。聞きようによっては、これは山田洋行アメリカが宮崎に送金してカネがGEから出たものではないのかという可能性を指摘したものに聞こえる。(10/27/2007)

 咳がおさまらない。通勤途上のことを考えると自信がなくて休暇。

 英会話のNOVAが会社更生法の適用申請。未明の取締役会で欠席した猿橋社長を解任したうえでの適用申請。

 小さな会社がユニークなアイデアとPRであっという間に大きくなり、拡大路線に走り、マスコミの注目を浴びるうちに慢心し、顧客無視・従業員無視・ルール無視を繰り返す。市場競争に勝つために一番手っ取り早い方法はルールもマナーも守らないことなのだから、のし上がるのも勝ち組になるのも簡単なことだ。

 そして、ある日、踏みつけにされた顧客の怒りや、やすくこき使ってきた従業員の内部告発や、ほんのちょっとしたコンプライアンス問題につまずいて、あっという間に破綻する。最近、じつによく見る光景だ。さあ、今度はどの成り上がり企業がこけるかな?

 そうそう、NOVAの居直りに荷担していた自民党の中山泰秀、いまはどんな顔をしているのか見たいものだ。(10/26/2007)

 C型肝炎の発症原因のひとつに血液製剤があった。血液製剤の商品名はフィブリノゲン。製造元は現在の社名は田辺三菱製薬だが、その前は三菱ウェルファーマ、おおもとの社名はミドリ十字だ。

 納骨を終えて仙台から帰ってくる車の中で、どんな流れだったかは忘れたが、**(息子)とこんな会話をした。

 「でも、731部隊のそういうデータはある意味貴重だったということも言えるんでしょ」と**(息子)。

 「そうだろうね。普通の条件下では絶対にできない実験で得られたわけだから、そういうデータを持っていない医者に対してはぎりぎりのところで優位に立てるさ」。

 「そういうデータにより、医学が進歩したこともあったんじゃない」。

 「そうかもしれない。しかし個別の診療の場面ではそういう知見は生きるかもしれないが、医学の進歩のためには、論文を書き、専門家同士でディスカッションしなきゃならないだろ。その時、そのデータはどういうデータかと聞かれて、生体実験で得られた間違いのないデータだなどと言えるか?」。

 「そうかぁ」。

 「あとから研究を進める人々に正確な条件と結果を伝えられないようなデータは本当の医学の進歩には寄与しないさ。まあ、悪魔的な人体実験によって得られたものを役立てられるとしたら、さっきも言った診療の場面か、医薬品みたいな商品の開発だったろうね」。

 ミドリ十字の創業者である内藤良一は731部隊で石井四郎の片腕だった。ミドリ十字という会社には731部隊のDNAが引き継がれているようで、いくつかの「人体実験」疑惑を引き起こしてきた。そして旧厚生省はそのたびに事態の隠蔽に荷担してきた。この二者にとって名前を持つ一人一人の人間の健康など石ころと同じだったのだろう。田辺三菱製薬は旧ミドリ十字が持ち込んだこの悪魔のDNAをなるべく早い時期に剔抉しなくてはなるまい。(10/24/2007)

 出勤。調子が悪ければ、半休にして帰ろうと思っていたが、出れば出たでいろいろの雑件があり、フル出勤。定時で工場を出ると、真正面に月。十三夜。"Fly me to the moon, and let me play amang the stars ・・・" 人恋しい秋。

 クローズアップ現代を見る。「生産か存続か-第三セクター処理の行方」。中曽根民活に始まりバブル期にかけて大はやりにはやった「第三セクター」はいまや地方自治体のお荷物。もちろん赤字国鉄に切り捨てられた地方線などのように地方の存立のために必要なもの、つまり多少の赤字は覚悟の上でなんとか維持すべきとされているものもあるのだが、巨大なゴミと化したレジャーランドなど、無用の長物が多い。第三セクターの赤字は今に始まったことではないのだが、この6月に成立した「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」は来年度から地方自治体に自らの出資する第三セクターと連結決算することを義務づけた。いままでは多少の補助をすることによりお茶を濁してきた地方自治体も、本腰を入れて赤字の元凶と取り組まなければならなくなったわけだ。「では清算すればいいのでは」というのは誰でも思うこと。ところがほとんどの第三セクターは自治体が損失補償をする契約になっている。清算すれば自治体自体が破綻しかねないというのが今夜のテーマ。

 地方自治体と企業の共同出資による第三番目の企業形態、いわゆる第三セクターが雨後の竹の子のように作られたのは「民活」という政策が打ち出された頃。民間能力活用、略してミンカツ、中曽根内閣の頃に、小泉内閣における「郵政民営化」と同じように、この世の中のすべての悪さを一瞬にしてよくするオマジナイとして使われたものだった。このオマジナイは「ミンに任せれば、カンよりはまし」という根拠のない思いこみに基づく。(中曽根の使ったもう一つのオマジナイが「ソウケッサン」だった。「戦後政治の総決算」。こちらの方は少なくとも暗愚の宰相安倍のネゴト「戦後レジームからの脱却」よりは中身があった?)

 思い出す本がある。佐藤誠の「リゾート列島」だ。その一部を引く。

 1987年6月に施行された「リゾート法」(総合保養地域整備法)は、第二条に「良好な自然条件を有する」地域に「民間事業者の能力活用」でリゾート開発するとされている。その目的は「民活による内需拡大」「過疎化、自由化に揺れる地域の振興」「都市生活者にゆとりある余暇を」という一石三鳥を狙ったものである。貿易摩擦・農政・住宅問題を「リゾート」で解決しようというのである。そのための条件整備として、従来巨大開発のネックとなっていた環境保全に関する規制の大幅緩和と、補助金や税制の優遇措置が積極的にとられ、日本列島は自治体と民間企業あげてのリゾート・ブームとなっている。

「金太郎飴」の開発構想
 リゾート法が成立した87年秋のことだ。全国47都道府県のすべてが一斉にリゾート構想を打ち上げた。「進出企業のメドもつきました、用地取得も何とかできます」という条件(これがリゾート法で国の承認を得る前提条件、民活の「熱度」を測るモノサシである)を満たしているとの建前に立っての構想を作らねばならないというわけだからことは急を要した。
 ごく短期間に自治体(市町村)の企業もうでが始まり、企業進出のための好条件の提示合戦がすすんだ。自治体の企画部局は徹夜で土地の登記簿謄本を調べ、地権者に対して「ムラのために」安くまとめて土地売却を内諾するよう強要した。農業の先行き不安、借金苦の農業者の心は揺さぶられた。「就職をあっせんします、農産物も買い上げてもらうようにします」と、役場職員もチーム編成の上で、夜討ち朝駆けで同意書の判子取りに狂奔せざるを得なかった。都道府県庁も大わらわの奮闘で、企業との進出協定締結に走った。リゾート・ビジネスに参入する企業も、何が何だか分からないまま、とりあえずこのビッグ・チャンスに乗り遅れるわけにはいかないとヾハスに飛び乗った。
 景勝地の地域資源は限られているから、開発側にとってこの陣取り合戦に遅れをとることは愚の骨頂である。国立公園だろうと、農地だろうと、保安林だろうと、もはや開発規制の聖域は存在しなくなる。この国家プロジェクトに乗らないわけにはいかない。あらゆる領域の、畑違いの企業までもしのぎを削ってこのブームに参入した。東京のコンサルタント会社やシンクタンクも獅子奮迅の勢いで活躍した。

 なんとまあ愚かしいことを大まじめな「政策」として行っていたのかと嗤いたくなる。そしてそのツケがいま各地方自治体に回されているのだ。・・・と、もし、はやりのブログで書けば、きっと「それはバブルの破綻と失われた十年を知っているいまの我々がそう思うだけ、後知恵でエラそうなことを書くな」というコメントがつくだろう。一見派手な政治屋の手品に手もなく引っかかる連中に限って、自分のバカさ加減について意識することなく、そういうことをヘラヘラと書くのだ。

 佐藤の「リゾート列島」の奥付は1990年4月20日となっている。だからこの本には「バブル」という言葉は出てこない。しかしバブルの風景についてはたくさん書かれている。

 当時、なぜこの本を手に取ったか。記憶によれば、その頃、行く先々で聞かされた「・・・を起爆剤に・・・」というコンサルタント屋の言葉にうんざりするとともに、どこかうさんくささを感じていたからだ。つまり中曽根のオマジナイに引っかかった人は熱病のようにバブルに突っ込んでいったし、分析力を持った人には既に「何がどのようにおかしいのか」は分かっていたし、そこまでの洞察力を持たない陋巷の民にも感覚的に「これはどこか真っ当ではない」くらいのことは感じ取られていたということだ。

 「貿易摩擦・農政・住宅問題を『リゾート』で解決しようというのである」という慨嘆は少しばかりキーワードを変えれば現状の嘆きにもなりうる。むしろ狡猾な詐欺師の言葉に知恵のかけらすら持ち合わせないバカがのせられ、チャラチャラとおしゃべりをする雰囲気はいや増しつつあるといってもよい。(10/23/2007)

 咳がひどい。きのうの夜はほとんど眠れず、結局、休むことにした。自分でもどうしたのかと思うほど眠れる。夏以来の疲れが出ているのかもしれない。

 あいまに床の中でネット接続をしてみる。磯崎ブログにこんな話が載っていた。家族でアニメ「思い出ぽろぽろ」を見ていると、小学生の息子たちが「このシーン、おかしい」と言い出した。「だって、掃除をサボってるやつがいる」、「掃除くらい、サボる奴いるだろ」、「いや、いない。たいてい先生が見張ってるし、見張ってなくてもサボる奴はいない」という。

 小学生のお掃除タイムなどというものは、男子は適当にさぼり、女子の中の小うるさいのが「ちょっと、男子もちゃんとやりなさいよ!」などと目を三角にしているもんだろうと思う磯崎先生は、「たしかに全員ちゃんと掃除してるほうがコンプライアンスが徹底された『いい』状態なんだろうが、なぜかブキミな感じがしてしまうのは自分だけかと書いている。

 突然、ずいぶん前に読んだ働き蟻の話を思い出した。働き蟻の集団を観察すると全体の2割程度がさぼっている。ならばとその性悪の2割を取り去るとよく働いていた8割の中から2割がさぼり始める。そんな話だった。床の中にもかかわらず、「これが自然の摂理だとしたら、やはりこの状態は不気味だ」とコメントした。書き込みをしてから、いったい何で読んだのかと気になり始めた。蔵書録にあたり、西山賢一の「ニッチを求めて」だと分かった。

 本棚の端っこから本を取り出し、パラ読みしてみて愕然とした。そこにはこうあった。

 いま生物の行動を調べる研究が大きく進んでいます。働きアリの行動を調べた研究によると、全員働きアリの内せっせと働いているのは全体の20%ほどで、残りの80%はなまけているそうです。
 それでは働くかなまけるかは生まれつき定まっているのでしょうか。これを確かめるためには、せっせと働く20%となまける80%を分けて、それぞれの集団の行動を調べればよい。
 そうするとおどろくことに、20%の働きアリの集団からなまけるアリがでてくるのです。なまける80%の集団からは、せっせと働くアリがでてきます。集団をどう選んでも、いつも全員の内の20%ほどが平均以上に働き、残りはなまけているという関係になっているようです。

 よく働くのは全体の2割で、さぼるのが8割だった。その記憶違いもショックだったが、そのために当然関係づけられて然るべきであったことが全然関連づけられていなかったというショックが大きかった。つまりこれはパレートの法則そのものだったわけだ。それが頭の中でこのふたつは全然違う場所に分類されていた。おそらく8割もの働き蟻がさぼっていたのでは成り立たないという思いこみがあって、それが勝手に解釈を入れ替えていたのだろう。この本を読んだのは89年10月。なんとまあ二十年近くも損をしていたということ。自分で自分が嫌になる。とたんにまた頭が痛くなってきた。(10/22/2007)

 きのうのように日がな一日、寝ていたら、夜は眠れず、出勤に差し障りが出ると思って、起きることにした。いい天気なのだが、咳が止まらないし、頭がふらつく。

 きのうの朝刊、小林慶一郎の「けいざいノート」に興味深い話。

 金融商品とは、リスクを分散する手段だから、オプションなどのデリバティブ(金融派生商品)が増えれば、様々なタイプのリスクに対応する手段が増える。個人も企業も不測の事態に備えられる度合いが増す。その結果、当然、経済全体が安定化する、というのが経済学者の通念だ。
 この通念は多くの市場参加者にも共有されている。金融の発展は、途上国の金融危機やサブプライムローン問題のような動揺を一時的に引き起こすかもしれないが、究極的には経済の安定化に貢献している。そういう通念だ。
 しかし、この通念は素朴すぎるのかもしれない。そう考えさせる経済論文が10年前に発表された。その内容はこうだ。金融商品とは、何らかのリスクを分散することを意図して開発される。しかし新しい金融商品(たとえば株式などをあらかじめ決まった価格で買う権利を商品化したオプション)ができると、市場参加者は「オプションを使うか、使わないか」という新しい選択に直面する。オプションが行使される時とされない時では、株価の動きが異なる。それによって生じる株価変動は、新たなリスクだ。つまり、新しい金融商品が生まれると、それを使うかどうか、という新しいリスクが生み出される。その結果、経済が不安定化する。

 ここで小林は「リスクに対処するための金融商品自身が新たなリスクになる」という論文のロジックはゲーデルの不完全性定理と関係しているのではないかと書き、

 諭理学者ゲーデルは、このような自己言及的命題(自分自身について述べる命題)が、論理の体系の完全性を破壊してしまうため、いかなる数学体系も完全なものにできない、と証明した。これがゲーデルの不完全性定理だ。ゲーデルの定理は、「数学が発展すれば、完全な数学体系に到達できる」という数学者の素朴な通念を覆した。
 これと同じことが金融市場について言えるのではないか。金融が発展すれば究極的に経済は安定する、という経済学者の通念は幻想かもしれない。どこまで金融が発展しても、新たな金融商品が新たなリスクを生み出し、市場の不安定性はなくならないのかもしれない。・・・(中略)・・・サブプライムローンは、住宅価格が必ず上昇する、ということが前提になった貸し付けだった。住宅価格が上がるから、金融会社は住宅の担保価値を過大に評価し、低所得者に過剰な貸し付けをした。借り手は借金で消費を増やし、その消費のための支払いは、誰かの所得となった。今度は所得が増えた人が住宅を購入しようとして、住宅価格が上昇した。
 住宅価格の上昇が住宅担保ローンを増やし、そのローンによる消費がまた住宅価格を押し上げる、という自己言及的循環が起きていたわけだ。
 それが逆回転して破綻したのが、今回のサブプライムローン問題といえる。しかし、これは日本の土地バブルを始め、世界中の不動産バブルで繰り返し起きてきた。ゲーデルの定理が金融の世界でも成り立つのだとすると、バブルの発生と崩壊は、どんなに金融市場が発展しても無くなることはない、ということかもしれない。

と結んだ。「ゲーデルの定理」を持ち出すほどではないとしても、「自己言及的循環」は経済学に常につきまとう問題であることは確かだろう。(10/21/2007)

 風邪らしい。きのう、早手回しにもらった薬のせいか、眠れる。じつによく眠れる。夢ばかり、「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」とはこういう感じかなどと思いつつ。

 4時過ぎに一度小用に起きた。8時頃に薬を飲むためにトースト一枚とヨーグルトを食べ、「マスター・キートン」を見てから寝た。1時過ぎにうどんを食べて薬を飲み、7時頃起こされた。いったい、何時間寝ただろう。佐野洋の推理小説に何時間も寝せてアリバイの証言をさせる話があったなぁと思いつつ、降りてゆくと**(息子)が来た。

 見るともなくクライマックスシリーズを見る。ドラゴンズが日本シリーズにコマを進めた。去年と同じ組み合わせか。ドラゴンズはタイガースを2勝ストレート、ジャイアンツを3勝ストレートで破った。コロラド・ロッキーズに似ていないでもない。(10/20/2007)

 先週11日から柏崎刈羽原発7号機の制御棒引き抜き作業を開始した。きのうまでに106本の引き抜きが完了したが、107本目の制御棒の引き抜きができない状態(全数は205本)にあるという。原因としては落下防止用の歯止めに引っかかっているか、あるいは何らかの変形ないしは損傷の発生が考えられるという。これはけさのニュース。

 ちょうど一週間前、東電は1号機から7号機までの16の建屋がわずかに傾いたことを発表していた。その時、東電は最大の傾きがあった7号機の原子炉建屋でも100メートルあたり1.7センチの上下差であって一般の建築基準に照らして何ら問題はないというコメントを出していたはずだ。

 ふたつのニュースはすぐさまつながるものではないが、発見されていない事象、あるいは隠されている事象がないとは言えない。中越沖地震におけるダメージが想像以上に際どいものだった可能性は高い。(10/19/2007)

 サルコジ大統領とセシリア夫人が離婚した由。政治家の離婚など、本来、「エ・アロール」な問題だが、見てくれだとか世間体を極端に気にして、写真を修整させたり報道に圧力をかける常習犯のサルコジにとって「女に棄てられたコキュ」(ノミの夫婦の離婚はとかくあらぬ想像をかき立てるものだ)というシチュエーションはかなりショックなことだろう。

 セシリアは、数年前、ある実業家とニューヨークへの駆け落ちを敢行した。そのときサルコジはパトカーで空港まで追いかけたという。不思議なことに二人は復縁したわけだが、サルコジの「野望」を実現するまでは夫婦らしくするという「密約」でも取り交わされていたとすればそれはそれで納得できる。

 報道によるとフランス大統領の離婚はこれがはじめてだという。なるほどサルコジはアメリカナイズされた最初の大統領なのかもしれぬ。(10/18/2007)

 集団自決への軍の関与を巡っての教科書検定に抗議する県民集会が開かれたのは先月29日のことだった。この集会の参加者数についてサンケイ新聞が朝日新聞に噛みついた。11万人という数字の根拠がおかしいというのだ。11万人と報じたのは朝日だけではない。毎日も、読売も、日経も、「主催者発表11万」と報じた、もちろん朝日の記事も「参加者は主催者発表で11万人」と書いていたのだが、サンケイの記者はよほど頭に血が上ったのか、うっかり「主催者発表」というところを見落としたらしく「何を根拠に11万というのか」と「いちゃもん」(国会質問における菅直人の言葉)をつけた。

 さすがにサンケイの読者からも「主催者発表と書いてある」と指摘されたようで、振り上げた拳の下ろしどころに窮し、「沖縄県警関係者」だか、「公安関係者」だかによると「せいぜい2万人ていど」などと主張し始めた。これもはじめ頃の記事は4万人、徐々に切り下げて2万人にしてゆくあたりのプロセスが嗤える。

 いつも可笑しくて嗤えるのはこの国の程度の悪い右翼屋の心理だ。南京事件の被害者数などがその典型で「何十万人などというのはウソ、実際には数万人程度」などと主張する。では数万人なら「事件」ではないのか。もうずいぶん前のことになる。ニフティのフォーラムだったと記憶するが、この手の書き込みに「仮に南京でその数日の間に殺されたのがあなたのおっしゃる人数だとしましょう。ところで、あなたは北海道三笠市にお住まいとのことですが三笠市のきょう現在の人口は何人ですか。2万人前後ですよね。三笠市に住む赤ん坊からお年寄りまで全員が、たった二、三日で、殺され、すべてが死体になっても、あなたはたいした事件ではないとおっしゃいますか」とコメントした。件の書き込みをした人物からのレスポンスはなかった。

 今回もまったく同じ。仮に抗議の県民集会が2万人ならばたいしたことはないのか。「せいぜい2万人」しか集まらない集会だったというのなら、この主張に反対する人々に呼びかけて、宜野湾海浜公園で集会を開いてみたらどうだ。そして航空写真を撮って、「ほら、11万人じゃないぞ」と「証明」してみたらいかがか。ただしその「証明」をするためには最低でも2万人くらい集めなくてはならないが・・・。できるかな、呵々。(10/17/2007)

 毎日のサイトに面白い記事を見つけた。

【見出し】美しい国づくり:企画会議に4900万円:2回で解散
 安倍晋三前首相の肝いりで設置された政府の「『美しい国づくり』企画会議」に約4900万円の国費が投じられたことが、政府が16日に閣議決定した答弁書で明らかになった。同会議は日本画家の平山郁夫氏ら有識者12人を集めて4月に発足したが、2回会合を開いただけで、目立った成果もなく9月に解散した。
 喜納昌吉参院議員(民主)の質問主意書に答えた。それによると、同会議を運営するために内閣官房が支出した経費の内訳は、職員9人の人件費約1600万円▽事務所費約3100万円▽通信・交通費約200万円。一方で同会議の実績は、日本特有の生活様式や気質を問うアンケートだけだった。
 答弁書は「わが国の良さ、素晴らしさを国民が再認識する機会を作った」と意義を強調したが、政権を投げ出した代償は高いものとなった。

 首相官邸ホームページにはたった2回の開催で5千万ものカネを空費した「『美しい国づくり』企画会議」の残骸ともいうべき資料が掲載されている。

 4月に開催された第一回企画会議の後に「美しい日本の粋」というアンケートを公募したようだ。そのアンケートの中には「憲法」だとか「第九条」だとかにふれたものが結構あったようで、第二回の企画会議ではそのことにふれた発言が議事録に残っている。二人の出席者がこれにふれている。

弘兼憲史
 私はこの中で、「日本国憲法」「憲法9条」という意見が多いと思いました。これはそれぞれの意見がありまして、日本の平和は憲法9条があったからとは言い切れないところがありますので、私は日本国憲法9条というのはちょっと外して考えまして、その平和の「和」というところに着目しました。聖徳太子の十七条憲法の第1条「和を以って尊しとなす」というところに注目されている方が多かったと思いました。

荻野アンナ
 あともう一つ、これは御提案になるのですが、憲法9条というのが予想外に入っていました。感想を言わせていただきますと、憲法9条が思いやりやおかげさまと一緒に気質の中に分類されているというのが、これは我々当たり前というか余り気がつかないかもしれないですけれども、恐らく海外だと皆さんびっくりされると思います。それは善し悪しではなく、日本の独自性といいますか、理屈ではなく感性で、それこそ「和を尊ぶ」表現と思い、要するに全く政治色のつかない気質としての憲法第9条や憲法というのを、非常にニュートラルなこの場から発信し、問いかけることができるのではないかと思いました。気質として和を尊ぶ心があり、その中で憲法への関心が高いということで改めて気づいたのですが、私どもは憲法をきちんと読む機会が意外とありません。提案として、全くニュートラルな立場から憲法の読書感想文を応募してはいかがでしょうか。

 弘兼と荻野のそれぞれの発言には公募アンケートの「憲法」就中「第九条」への言及にうろたえた事務局の様が窺えてなかなか興味深い。メンバーの中には中西輝政がいた。予想外の「憲法」・「第九条」への「人気」に対して、どう反応したのだろうかと発言を探してみたが見つからない。なんと二回目にして中西は既におさぼりを決め込んでいた。キックオフは安倍が出席するから出たが、安倍が欠席となれば出る気にならなかったのか。(10/16/2007)

 日本ボクシングコミッション(JBC)が亀田ファミリーを処分。大毅選手には1年間のライセンス停止。史郎トレーナーにはセコンドライセンスの無期限停止。興毅選手には厳重戒告。あわせて所属する協栄ジムの金平桂一郎会長にもクラブオーナーライセンスの3カ月間停止とか。

 ボクシングの試合でレスリングまがいの行為に及んで、なお、ライセンスの「停止」ですませる理由が分からない。ライセンスを与えている前提に対する理解が足りないことがはっきりした以上、現在保有しているライセンスは「剥奪」するのが道理ではないのか。

 つまり、いったんプロボクサーではない状態に戻すこと。そして一定の期間をおいた後、ライセンスの再取得を妨げない、これがJBCとしてとるべき姿勢だったろう。それは大毅だけではなく、セコンドにつきながら反則行為をそそのかした史郎、そして興毅も同様。(10/15/2007)

 「オレ、あのころ、何であんなに人を好きになれたんやろな~」。きょうから始まったドラマ「ハタチの恋人」、明石家さんまが扮する中年のサラリーマンがカラオケルームで語る。部下たちは上司のいつもの話がはじまったと白けているが、おかまいもなくまくし立てる。実らなかった恋の顛末、さんまがしみじみと語るのが、この言葉だ。

 回想シーン。背景には山下達郎の「クリスマス・イブ」が流れ、画面は新幹線のホーム。最終で大阪に帰らねばならないさんま、それを送る恋人(おそらく小泉今日子:きょうのところは後ろ姿のみ)、言葉は交わされず、ドアが閉まりかける。「おれは、おまえのことが・・・プシュー(ドアが閉まる音)・・・好きや」、「好きや」というところがドアに遮られ、口パクになるところが得も言わずおかしい。「・・・きっと君は来ない、一人きりのクリスマス・イブ・・・」、このメロディーはいつ聴いても心をかきむしる。誰にでもかたちを変えてある青春の一こまだ。

 新幹線のホームといえば五輪真弓の「落日のテーマ」だ。浪人イヤー、折々、模擬試験のために上京した。いつだったろう、既に現役で大学生になっていた友達が送ってくれたことがあった。ほどほどの思いを残して走り始めたひかりの窓には、長い間、沈みきらない夕日が射込んでいた。西へ向かうせいか、それとも惑い続ける心のせいか、夕日はいつまでも沈まなかった。いろいろのことが心の中を行き来していた。思い直して手渡されたおにぎりをほおばると、それはほのあたたかく、少しばかり誇らしい気持ちとまったく矛盾する独特の欝陶しさのなかで柔らかく崩れた。「・・・どこまでも果てを知らない、空の谷間に、惑いの心を投げ棄てた・・・」。(10/14/2007)

 予定のない週末。廣枝は昼から生協の関係の寄り合いに出かけた。静かだ。整理しなければならないものがまだあるのだが、とりあえずきょうはボーッとしていることにした。

 読みさしの本、三冊、けりをつけようと思った。賴住光子「道元」白洲信哉「白洲次郎の青春」上杉隆「官邸崩壊」。・・・この取り合わせ、なんぼなんでも精神分裂病だなぁと苦笑。

 とりあえず「官邸崩壊」から一番嗤った部分を書き抜いておく。

 安倍が、渡辺への不信感を募らせたのには他にも理由がある。首相就任直前、両者の間にはこんなやりとりがあった。
 氏家は、若い政治家と会い、話すことを何よりも楽しみにしている。時間が空けば、与野党を問わず、若手政治家との会合に出掛ける。電話も多い。メールでのやり取りも頻繁だ。つまり、いつでも永田町の新鮮な情報に触れていたいのだ。
 そんな時、まもなく首相になろうという若い政治家が現れた。その政治家、安倍晋三を、東新橋の日本テレビの応接室に呼んだのは2006年9月のことだった。氏家はいつものように渡辺を誘う。渡辺にしてみれば、あの安倍晋太郎の息子と会うのを断る理由はない。渡辺は日本テレビまで足を運ぶ。
 安倍の著書『美しい国へ』はすでにベストセラーになり、話題になっている。渡辺は、自ら持参したその本を示して改めて絶賛する。
 なんとすばらしい。父上もさぞ喜んでいることだろう。このようなビジョンを示せる政治家はなかなかいない。他の政治家にはできない相談だ。とくに、あの小泉には決してできないだろう。
 笑いも交え、渡辺は一通り褒め称えた後、本を安倍に差し向ける。そして照れたようにこう言ったのだ。
「ぜひとも、サインをいただきたい」
 意外なことに、安倍は一向に嬉しそうなそぶりを見せない。むしろ不機嫌だ。怒った様子で自著にサインをしている。
 実は、安倍は知っていた。前日、山崎拓(元自民党副総裁)と会った渡辺が、安倍の『美しい国へ』を俎上にあげ、過去最低の政治家本だと罵っていたことを--。
 所詮、彼らもマスコミ側の人間なのだ。やはり彼らは信じることのできない人種だ。この出来事以来、安倍は渡辺との距離をとり始める。

 渡辺とは読売新聞の渡邉恒雄、氏家とは日本テレビの氏家斉一郎のこと。

 クズ本にプライドを持ち、それを隠すこともできない安倍も可笑しいし、クズ本をタネに口をぬぐってお追従を言う渡邉も可笑しい。同席した氏家は笑いをこらえるのに苦労したことだろうと想像するともっと可笑しい。それにしても、渡邉が山崎に語ったことを安倍にご注進した奴は誰だったのだろう。(10/13/2007)

 家を出る前に、JR・私鉄・地下鉄の自動改札機の電源が入らず、ほとんどの駅ではフリーパスにしているというニュースを聞いていた。ひっきりなしに放送していることと駅員が改札口のところに立っている以外は、際だった混乱などはなく電車の時間もいつも通りだった。

 夜のニュースによると、障害が発生したのは日本信号機製のゲートで、システムイニシャル時のプログラムのバグによるものだったらしい。去年の暮れに一度障害を起こし、この春にプログラム修正をしたということ。以来半年近く発生せずにけさということは必ずしも純粋なバグではなく回線絡みのものかもしれず、かなり手強い障害の可能性がある。

 JRがフリーパスにしたのは賢明な判断だったと思う。ここまで自動化が進んでいる現在、もはや改札口に駅員を立たせても何もできない。まず、乗降客の流れを滞らせることなく、切符に鋏を入れることができない。集札時に渡された切符の金額が適正であるかどうか瞬時に判断することができない。定期券を見て途中下車であっても適正な利用であるかどうか見て取ることができない。最近の駅員は精算金額すら短時間に算出できない。それらは既に不要になったスキルなのだから、彼らにそういう能力がないことは当たり前のことなのだ。

 何年か前に降雪により停電が発生したとき、多くの家庭で暖房ができずに困ったことがあった。エアコン、電気ごたつは当然として、石油ストーブまでが使えなかったのだ。最近の石油ストーブは灯油をガス化して燃やしている。そのために電気が必須になってしまっていた。高度な快適化とそれを支える仕組みの脆弱化はトレードオフの関係になっている。そういう脆弱さを十分に心得て、折々、レガシーな仕組みについて記憶を確認しておくことが必要なのだが・・・、無理だろう。(10/12/2007)

 亀田三兄弟の次男、大毅が世界タイトルに挑戦、相手は苦労人の内藤大助。ちょうど一年少し前、まだ、総理になる前の安倍晋三と亀田三兄弟の長男亀田興毅の不思議な相似について書いて以来、亀田が本当のところどの程度強いのかということにはずっと関心があった。その亀田がはじめて素性の知れた相手(つまり日本人ボクサーということだが)と闘うというのだから興味は津々、テレビ桟敷に座り込んだ。

 なんといったらいいか、異様な試合だった。異様なのは試合だけではなかった。中継するTBSのアナウンスも異様。オリンピックとか国際試合の中継のときによく聞くあの手法。そういう褒め方もあるのかという言い回しでだめな日本人選手をヨイショし、外国人選手の瑕疵を言い募る。あれをやっている。何ラウンドのことだったか、内藤が右目の上を切ると「出血でドクターストップになれば、亀田選手の勝利になりますね」と言って解説の鬼塚某に同意を求める。それに応ずる鬼塚とゲストの赤井英和。なんでもかんでも身びいきのタネにしてしまうのだ。

 だが両者の差は歴然としていた。亀田興毅もそうだったが大毅も案外オーソドックスなのだ。ただ大毅にいまあるのは「オーソドックスなガード」だけ。攻撃のテクニックは何もない。まさに亀さんそのもの。結果は三氏審判全員が内藤、うち二人はなんと10ポイント差。無理もない、最終の12ラウンドに大毅はレスリングでいうバックドロップを狙って内藤に組みかかり3ポイントもの減点をされたのだから。

 安倍と亀田。かつて、素人はこの二人を次の時代のホープでありチャンピオンだと根拠もなしにはやしたて、玄人の指摘する識見の低さと実力不足という声をかき消していると書いた。安倍は既に馬脚を現して退場した。あしたでちょうど1カ月になる。亀田大毅もどうやら張り子の虎だったようだ。

 安倍との違いは亀田家にはまだスペアが二人ほどいること。そしてあえていえば大毅はまだ18歳、「再チャレンジ」が可能だということか。安倍晋三はもう未来のない廃人だが、亀田大毅くん、キミには、心さえ入れ替えれば、まだ未来は可能性として残されている。(10/11/2007)

 ノーベル物理学賞、アルベール・フェール(パリ南大学教授)、ペーター・グリュンベルク(ドイツユーリヒ固体物理研究所教授)と聞いて、トムソンサイエンティフィック社の予想はずれたじゃないかと思っていた。ところがサイエンス・ポータルのトップニュースの見出しには「ノーベル物理学賞も米文献情報会社の予想者に」となっている。「どうして?」と思いながらアクセスしてみると、

 両教授は、米国の文献情報会社「トムソンサイエンティフィック」が、昨年、物理学賞受賞候補者として挙げていた人物。前日発表された医学生理学賞の受賞者3人も、同社が昨年、候補者として挙げていた研究者だった。1年遅れたとはいえ、医学生理学賞、物理学賞とも予想が当たったことで、文献が他の研究者にいかに引用されているというデータからノーベル賞に値する研究者を予想する、という同社の考え方の適切さが裏付けられた形となった。

とある。ということは、飯島澄男、あるいは戸塚洋二の来年の受賞確率はかなり高いということか。来年まで憶えていられるかな?(10/10/2007)

 先週の南北朝鮮首脳会談に盧武鉉大統領の随行員として参加した延世大の文正仁(ムン・ジョンイン)教授が、きのう、ソウルの外国人記者クラブで講演、「金正日総書記は盧大統領に『拉致日本人はもういない』と話したと聞いた」と述べた由。一方、政府は昨年の核実験後に閣議決定しこの4月に延長された制裁措置を、再度、半年間延長することにしたとか。

 この制裁処置はおまじないのようなものだ。呪いの言葉が相手にダメージを与えると信じている者はいないのだが何かしているという自己満足だけは得たい。その程度のことに過ぎない。呪われた相手がそれなりにプレッシャーを感じてくれればまだしもなのだが、現在のところ北朝鮮が痛痒を感じているようには見えない。理由は簡単だ。制裁処置以外にめぼしい行動を何一つとってこなかったし、とろうともしていないからだ。

 もっとも家族会や救う会は毅然と「制裁」をしてさえいれば何一つ前進がなくとも「反発」はしない。制裁処置の合わせ技として何をしようかなどと知恵を絞って「毅然と空を切ること」にのみ熱心な彼らのご機嫌をうっかり損ねてしまってはつまらないと政府関係者が考えても一概に責めることはできまい。

 あれほど熱心なふりをしていた安倍晋三からして総理になるやいなや拉致問題への関心を失い、拉致の「拉」の字についても一言もふれずに政権を放り出した。後を受けた福田康夫がかつて自分をつまずかせた彼らのために積極的な知恵を出す気になれるかどうかは大いに疑問だろう。

 拉致被害者の帰還の可能性が消えてなくなったといってはあまりにもお気の毒だから、早期の帰還の可能性は遠のいてしまったとでも書いておこう。(10/9/2007)

 朝刊に「沖縄返還時:『核密約』を示す米公文書」の見出し。日大教授の信夫隆司が、最近、アメリカの国立公文書館で2005年に機密指定解除された当時のキッシンジャー補佐官がニクソン大統領にあてた1969年11月12日付のメモに「返還後の沖縄への核兵器持ち込みと繊維問題に関する日米間の秘密合意に関連して、佐藤首相とあなた自身(ニクソン大統領)は次のような交渉のやりとりをする」という記述があるのを見つけたというもの。またメモに添付されている「手続きに関する申し合せ」には核兵器と繊維交渉の扱いに関するキッシンジャーと日本側秘密特使若泉敬との間でなされた秘密合意事項が書かれているとのこと。秘密合意については既に若泉敬が1994年に出した「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の中で明らかにしていたが今回の資料はそれを裏付けるものとなった。

 沖縄返還に際しうたわれた「核抜き・本土並み」を額面通り信じた素朴な人々がどれほどいたかはいまではもう分からない。まあ多少とも思考能力があれば、冷戦下で核の配備についてアメリカが譲歩する可能性はほとんどゼロに近いことは想像がついたはずだ。逆にいわゆる「本土」が「核抜き」の状態にあるかどうかも当時の状況ではあやしいもので、皮肉な言い方をすれば「核抜き」は別として「本土並み」というのはウソではなかったのかもしれない。

 今回確認された事実は現在の状況では「鮮度」はない。しかしそういう状況になるまで将来の「公開」に備えて資料を収集し、保存する施設を持つ国はうらやましい。先週の朝日のコラム「政態拝見」で星浩が「地味な福田流」というタイトルで福田新総理の一面を紹介していた。書き出しはこうだった。「あまり知られていないが、福田康夫首相が政治家として長く取り組んできた課題がある。本格的な国立公文書館をつくることだ」。福田はこんなことを言っていたそうだ。「米国の公文書館では2500人、英国では550人もの職員が働いているが、日本では、わずか42人。政府や自治体が持つ記録は、国民の共有財産なのだから、大事に保存して次世代に引き継がなくてはいけない」。

 断簡零墨を集め時代を超えて伝える。それは人間のみがなし得る業だ。たしかにそういう資料は一部の連中には都合の悪いものかもしれない。「愛国者」を名乗って歴史を修正しようという輩などにとっては残すべきではない資料などたんとあるに違いない。「従軍慰安婦の存在を証明する資料はない、だから従軍慰安婦などはいなかったのだ」などという屁理屈をこねるためには歴史資料はない方がいいという連中。「狭義の強制性」などという訳の分からないお坊ちゃま的論理を振り回した前宰相なども同類。

 安倍晋三が国立公文書館の充実というような地味なテーマに興味を示さなかった事情はよく分かる。彼は「人非人」だった。人間を人間たらしめるものに対する理解、それは「人で無し」に期待できるものではない。(10/8/2007)

 朝から、**(家内)の誕生日に高校時代の友人たちが集まり、おしゃべり。12時過ぎに豊里を出て三陸道を使い岩切で**(上の息子)と合流、仙台和泉から東北道に乗る。7時から中継が始まるフランス-ニュージーランド戦の試合開始になんとか間に合うように新座に帰着。運転はスタートとラストだけなので疲れはない。ただ、どうも花粉症らしく、眼が痒く、喉がヒリヒリし、全体に少し熱っぽい感じ。

 名義の書き換えもそろそろ上がってくるだろう。郵便貯金の払い戻しが終われば、**に振り込み、相続関係の通帳のコピーと遺言書の謄本を郵送してすべて完了になる。もう煩わしいこともそれで終わりだ。(10/7/2007)

 渋滞があってもいいように10時に豊里を出る。松島手前の愛宕の渋滞で20分ほどロスしたくらいで12時過ぎに永昌寺到着。**一家は既に到着していた。いつか以来、印象のよくない門前のウナギ屋で昼食をとり、まず、方丈さんに挨拶。

 繰り上げで四十九日と百箇日の法要。納骨。暑くも寒くもなく、秋の日射しが柔らかい。青い空に白い雲がぽっかりと浮かぶ。ともに戒名に「雲」の字を持つ夫婦にはぴったり。

 納骨スペース(なんと呼ぶものだろう)には**(祖父)、**(祖母)、**(父)の骨壺。並べて**(母)の新しい骨壺。まだ我々のスペースくらいはありそうだと思ってみていたら、石屋さんから骨壺は寒暖によって露を生じるので機会を捉えて布袋に詰め替えるよう市から指導が出ている旨の話があった。**(父)さんの七回忌の折にでも考えようかという話をする。これは備忘のため録す。

 田里津庵で会食。**兄は遅番の勤務とかで来られず。海は穏やか、夕日がかかる光景はなかなかの眺め。難をいえば対岸の火力発電所の彩色が華々しく下品なことか。(10/6/2007)

 あした納骨、きょうは移動のため休暇。**(上の息子)は休暇が取れたが、**(下の息子)は決算期なのか三連休はすべて出勤とかで来られず。

 **(母)さんの年金の廃止手続き書類を持って社会保険事務所へ。さすがに8時前となるとすいている。受付番号5番。8時半からスタート、順に呼び込み。廃止手続きそのものはすぐに終了。ついでに自分の関係の払込金額がどうなっているかデータを出してもらう。それでも9時前には終了。予定以上に早く終わったので散髪し、**(上の息子)を新座で拾って出発。

 全行程**(上の息子)の運転。運転は嫌いではないが、やはりしない方が楽でいい。順調に走って6時前に到着。(10/5/2007)

 「サイエンス・ポータル」のサイトに「ネット革命で新聞業界も大変革期に」という見出しで、月曜日に朝日、読売、日経が共同で発表した「ネットでのニュース配信」と「販売転換の協力体制」に関する話と、MSNがパートナーをサンケイに変えてスタートしたことを対比させて説明した記事が載っている。

 ネットサービス強化への転換で先行する動きを見せている新聞の反応はどうか。毎日は短い記事で要点を伝えただけだが、産経はトップ記事、さらに総合面でも3社社長の記者会見の質疑応答を伝えるという手厚い扱いだった。「3社の軸足はネットより紙媒体にある」と指摘し、「紙媒体の締め切り時間にとらわれず紙媒体以上の内容をネットに盛り込む」産経との違いを強調している。1日行われた秋田の連続児童殺害事件公判について「新聞紙上では掲載されない法廷でのナマのやりとりを速報」した結果、産経グループサイトへの閲覧者数が許容量を超え、「システム障害の一因となるほど加速度的に増加した」事実も伝えている。

 そういえば、サンケイはMSNサンケイオープンの翌日、「アクセスが集中し、つながりにくくご迷惑をかけました」と自慢げに「お詫び」を紙面に掲載した由。ラジオでこれを聞いて吹き出してしまった。前日、お昼休みに接続したとき、サイトトップ記事の見出しに赤面したことを思い出したからだ。

 「もう少し声を小さく、鈴香『寝ているから大丈夫』」、これが見出しだった。サブタイトルに「畠山鈴香被告の元カレが証言・・・」とあるから、それが「あのときの声」であることは誰でも分かる。昼休みとはいえ会社からのアクセスで読むのには気が引けた。「これじゃ、駅売りスポーツ紙なみだね」とあきれはてた。扇情的な見出しで客を惹くのはイエローペーパーの常套手段。

 まじめな「サイエンス・ポータル」は引っ掛かったようだが、「ネット対紙媒体論議」とは嗤わせる。サンケイ新聞のどこに「紙媒体」を云々するほどの「新聞」らしい「中身」があったというのだ。ここ一年などひたすら安倍晋三ファンクラブ機関誌のようなていたらくだったではないか。

 アクセス渋滞があったこと自体、常にページビューの水増しに腐心してきたサンケイサイトの姿勢を考慮すればマユツバもいいところ。仮に「渋滞」があったとして、アクセスが増加したのは「紙媒体の締め切り時間にとらわれず紙媒体以上の内容をネットに盛り込」んだことが然らしめたわけではなく、シモネタをちりばめれば、紙であろうがネットであろうが一定の「視聴率」はとれるという常套的な「マーケティング」に過ぎない。

 どうやらサンケイのサイトは「女子供のフジテレビ」路線を選択したようだ。きょう、お昼休みに見たときのサンケイのトップ記事は「エリカ様、涙で謝罪『すべてぶち壊してしまった』」だった。朝・毎・読・日経・東京の各紙がそろって盧武鉉と金正日による南北共同宣言に関するニュースをサイトのトップにかかげた午後3時のサンケイサイトのトップは「ちゃんこ番殴る 傷害容疑で部屋付き親方書類送検」だったし、終業時にアクセスしたときは「花田氏と離婚の美恵子さんブログで激白『少しホッとしました』」だった。イデオロギー新聞がマイクロソフトに牙を抜かれたのか、それとも安倍&バカ右翼の自爆に巻き添えを食って呆けてしまったのか、その双方かもしれぬ。どうだろう、この際、サンケイ本紙とサンケイスポーツと夕刊フジを一緒にして、得意の「経営の効率化」を図ったら。バカサンケイの一紙や二紙、消えてなくなっても誰も気づかないだろうよ。(10/4/2007)

 クレームだけは伝えておこうと「貯金事務センター」にかけてみた。会社の電話を使うわけにはゆかないから、一階までおりて公衆電話からかけた。予想したとおり、午前、午後、いずれも話し中でかからない。パソコンのソフトベンダー同様、「お問い合せください」としながら、そのくせ、ある程度の回線数を確保する気はないのだ。思いついて「ゆうちょ銀行」のホームページを見るとコールセンターの案内が掲載されている。フリーダイアル、自席の電話を使う。存外簡単につながった。

 コールセンターの感じはよかった。こちらの話をきちんと聞きとり確認する。的確に伝わったのだなと安心感を与える応対だった。

 「・・・ユーザーはこんな風に受け取っているんです。こんなややこしい『銀行』とおつきあいする気はないのでどうでもいいんですが、不満な点は不満な点としてお伝えしたわけ。ガス抜きにもなりましたし」と言うと、「分かりました、上の方に伝えて、検討いたします。お客様の整理番号をちょうだいできますか」と応じた。

 「いえ、わたしはネ、わたしの件の処理だけを速くしてくださいということで電話したんじゃないんです。民営化すれば、すべてうまく行くようなお為ごかしで、自分たちの効率化だけは図りながら、ユーザにとっての効率化は何も考えていない。それに腹が立つと言ってるんです。いいですか、二年前に父からの相続の手続きをしました。その時は郵便局の窓口に二回行くだけで同じことができたんですよ。それがこんどは全部事務センター経由でしょ、おたくのホームページによれば、それぞれ2週間程度かかる。それだけで1カ月、しかも窓口の話では手続き書類に不備がなくても1カ月程度は見てくれ、と・・・。民営化移行のこの時期だからでしょ、でもそれはおたくの事情。他の金融機関は都市銀行、地方銀行、農協、農林中金まで、おたくと同じ日かその後に手続きをして、全部、きれいに終わりましたよ。郵便局だけがまだ手続き書類を受け付けただけ、これから一カ月かかるから待てってふんぞり返っている。それだけじゃない、郵便局でしか通用しない金券を送るからそれが着いたら郵便局に来い、そしたら払ってやるって。また局まで足をはこべってことじゃないですか。民営化した銀行だっていうなら、なんで他行への振り込みができないの。手数料ぐらい誰でも負担するよ。一年以上も前に民営化することが分かっていて、銀行間振り込みの準備もしないなんて、どこが民間銀行なの。バカを言うなと怒るのはあたりまえじゃない? それをちゃんと認識して欲しいというのがこの電話の趣旨です・・・」。

 これはたぶんに偽善的な言い方、そりゃ、オレの分だけでも早く処理して欲しいに決まっている。それに対して、「おっしゃることは十分に分かります。それは上に上げさせていただきますが、もし、よろしければ、整理番号をちょうだいできないでしょうか」ときた。じつによく機微というものが分かっている、さすがに苦情処理窓口だけのことはある。「送られてきた案内には******、その後ろに①とありました」。「復唱させていただきます******のイチゼロでございますね」、「イチゼロではなくて、マルイチ、アットマークのように数字の1を丸で囲んだやつ」・・・。

 その電話を切ってから小一時間もしないうちに事務センターから電話がかかってきた。「島根コールセンターの**から話を受けました。お客様の書類は昨日こちらに届いておりまして、現在審査中です。内容に問題がない場合は、明日手続きが完了して、明後日くらいに金券が・・・」。よほど、先日の「案内書発送」に関する「そば屋の出前」風の対応について皮肉ってやろうかと思ったが、推量を交えた話はやめておき、金券について思いっきり文句を言ってやった。

 「うちは今回相続のための口座を新規に作ったの。相続の関係者全員に見える形にして、それから遺言書にしたがって分割したということがはっきり残るようにしたいから。振り込み事由がきちんと記入されるからね、ちゃんとした銀行間は。金券なんかやめてくれよ。郵便局で現金化して銀行の窓口まで運ばなくちゃいけないじゃない。そのリスクは誰が負うの? ユーザじゃないの。たしかに郵貯は建前上はマックス一千万だけどさ。普通の銀行はね、せいぜい数百円払えば、安全に送金できるんですよ」と。

 事務センターの方はひたすら恐縮している風のことをいうが、それならなぜ窓口に「一カ月程度かかる」などといわせるのだ。「民営化」、「民営化」、「改革」、「改革」、・・・まるでお経のように聞かされて、バカな選挙民の半分程度がコイズミにのせられた。「民営化」も「改革」もほとんどの利用者には「不便」しかもたらさなかった。手続きの時間は大幅にかかるようになり、顔見知りの郵便局員は「昔のようにしてあげたいんですが、できなくなったんですよ」と言い訳するばかり。

 窓口の局員をいじめても彼らにはもう当事者能力はない。ナントカ事務センターの看板に隠れて、集まった貯金と簡易保険金を効率的に「運用する」ことに腐心し、利用者のための効率化など端から考えてもいないというわけだ。まことにみごとな「改革」で涙が出てくるよ。(10/3/2007)

 午前半休をとった。先日の内視鏡検査の際の生検の結果を聞きに東京病院へ。変にチクチク痛むことがあるのでおっかなびっくりで呼び出しを待った。結果は「セーフ」。残り時間でみずほ銀行の分の相続手続きをして、代々木の日科技連へ。品質管理学会の講演会。テーマは「内部統制報告制度と品質保証」。5時前、まだ明るいうちに終了。

 少し時間があったので池袋で本屋をのぞく。すべてがずいぶん久しぶりの感じ。先月は購入ゼロだった反動もあって、あれこれとカゴに入れるうち十三冊にもなった。重いカバンを抱えていくのも気が進まなくて、賴住光子「道元」と片山杜秀「近代日本の右翼思想」のみを持ち帰りにして、あとは配送してもらうことにした。あさってまでに届けば、仙台行きには間に合う。

 「街の灯りチラチラ、あれは何をささやく・・・」などと鼻歌しているのに気がつく。これも久しぶりのこと。苦笑。ほんとに気の小さい奴・・・と。(10/2/2007)

 年度でみると上半期終了。先週、**さんが挨拶にみえた、「今月末で定年退職します」とのこと。こちらもあと一年半。週休二日の現在、土日だけで年に104日、祝祭日・年末年始・お盆、そして有給休暇をおよそ年間支給の半分程度取るものとすれば、出勤日は240日強。最近はもう絶えて休日出勤などないから、会社生活も正味で360日ほどを残すのみ。

 残された就業日の少なさに驚くことはない。人生に残されている日々にしても、それなりの精神生活を維持できる日数は4,000日もないかもしれないのだから。しかしこんな日数の勘定はしない方がいいらしい。ツィアビもいっていた、「(自分の歳を数えることには)大変な害がある。なぜなら、たいていの人間の一生に、幾たび月の数を数えられるかはわかっている。だからそうなると、だれでもきちんと計算を合わせてみて、もしもうたくさんの月が終わっていると、その人は言う。『じゃあ、私はまもなく死ぬに違いない』するともうどんな喜びも消え、彼はまもなく本当に死んでしまう」と。

 いまはただ生来の怠け者にとって業苦そのものであった「仕事の日々」が日一日と順調に少なくなっていることのみを喜ぶことにしよう。(10/1/2007)

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