**(母)さんの預貯金の関係、残っているのはみずほ銀行、農林中金、そして郵便局。みずほの口座は自動引き落としが絡んでいるから手続きそのものを保留している。農林中金は一部国債のみ名義書換にすることに変更したことが関係しているからこれも已むを得ないと納得できる。腹が立つのは郵便貯金だ。

 郵政公社のホームページの案内に従い、PDFフォーマットをダウンロードし必要事項を記入し「相続確認表兼郵便貯金等支払停止依頼書」を野塩の郵便局に提出したのは今月7日のことだった。貯金事務センターからの「必要書類のご案内」が来るのをひたすら待ったが待てど暮らせど来ない。件の「依頼書」の預かり証を見ると、2週間過ぎても来ない場合は提出した郵便局にお問い合せくださいとある。今週、火曜、しびれを切らして、郵便局に問合せをした。ついでに言ってやった。「同じ7日から翌週にかけて手続きした金融機関は民営だからですかね、とっくに手続きも終わって事由の記載つきで指定口座に振り込まれてますよ。そうそう、郵便局さんと似たような性格の農林中金さんですけどね、あちらもとっくに手続き書類の提出は終わってます。何と何を出せばいいとすぐに教えてくれましたからね」と。

 皮肉たっぷりの問合せにあわてたか、野塩の郵便局はすぐに確認してくれた。「昨日、ご案内の書類を配達証明つきで発送したとのことです」。聴きながら内心大嗤い。「きのうは休日だろう、バカ」、思うだけにしておいたが。「おおかたきょうこれからの発送なんだろうなぁ」と思った。案の定、水曜日は着かなかった。配達されたのは木曜日のことだった。ほう、二日もかかるということは貯金事務センターは北海道か沖縄にあるのかなと思い、届いた封筒に印刷された住所を確認した。なんと、まあ、さいたま市ではないか。重要郵便物はほんの数十キロの距離でもまるまる二日(最初の回答が本当だとすれば三日)以上かかるものらしい。カタツムリの方が早いぞ。これでは民営化後も民間の宅配業者に負けることは必定だ。大丈夫かいなと無用の心配。

 腹が立ったのはそんなことではない。「必要書類のご案内」の内容だ。他の金融機関と変わるものはほとんどない。公正証書遺言があるのだから格別のものが必要なわけはない。被相続人の死亡が記載されている戸籍謄本(うちの場合は母が戸籍記載の最後の生存者なので除籍謄本)と遺言執行者の印鑑証明、あとはこの通帳に関わるものを解約・相続しますという書類に遺言書。たったこれだけのほとんどバカでも分かることをわざわざ「お知らせを待ってください」などというのが郵便局の流儀。じつに20日間待たせて催促があってはじめて送るという仕事のやり方らしい。督促があれば、そば屋の言い訳よろしく「もう、出ました」と口から出任せを言うものと決めているのだろう。そんな根性が見え見えだ。農林中金を含めて他の金融機関は窓口に行って約30分でまったく同じ情報を伝えてくれる。

 「ご案内」が届いた翌日、委任状を持たせて**(家内)に野塩の局に必要書類を提出してもらった。窓口は「事務処理が終わって金券がお手元に着くまで1カ月ほどかかります」と言ったそうだ。たいしたものだ。他の金融機関ならば手続き書類を確認することを含めて、2回出向き、30分+1時間程度で終わることが、郵便貯金は50日もかかるということらしい。

 何のことはない、役所であったときも、公社になってからも、あしたからは民間会社になるということだが、事務の遅さと慇懃無礼さは、なにひとつ改善されたわけではないようだ。小泉改革の本丸と言われた郵政民営化は少なくとも利用者にとってはいいことはひとつもなさそうだ。あえていうなら、郵便局の役所としての「手堅さ」はこれからは民間並みになる、「ひょっとしたら郵便局のほうが安心」と思っていた幻想が確実・絶対になくなったわけだ。ならば、これからは未練を残さず銀行に行ける。手続きに数十倍の時間をかけて恥じない郵便貯金会社などに期待はしないし、利用もしたくない。(9/30/2007)

 けさのサンケイ抄はその筆者の発想法の卑しさを露呈してあまりある。冒頭から二節を引いておく。

 昭和40年代、過激派や全共闘の学生と機動隊とがしばしば衝突した。取材にいくとき先輩記者から「学生側に立て」と言われた。味方しろというのではない。学生たちは石を投げるが、機動隊は催涙弾を撃つぐらいだから学生側がより安全というわけだ。
 ミャンマーの反政府デモを取材中に銃弾を受け、死亡した長井健司さんも恐らく群衆の側にいたのだろう。日本と同じアジアの国で、治安部隊がいとも簡単に群衆に対し銃を撃つとは思わなかったのかもしれない。しかも至近距離で撃たれたという情報もある。

 長井健司という人物を直接には知らない。しかしおとといからニュースの中に流されている在りし日の彼の映像、言葉、そして彼が残した写真とビデオに見る限り、長井がデモ隊の側からカメラを構えた理由は、サンケイ抄子の指摘するような心根にあったとは思わない。

 また、あえて書けば、サンケイ抄子の先輩記者が「学生側に立て」といった真意も、この度し難い後輩の理解したものとは違ったろうと想像する。しかし品性が下卑た人間はこういう誤解をするものなのだろう。

 まさに「後生畏るべし」だ、もちろん子が曰われた意味とは違う意味でだが。それにしても、つくづくこのような後輩は持ちたくないものだ。(9/29/2007)

 プライベート、オフィシャルを取り混ぜて、飲み会というのはどうも特定の週に集中する傾向がある。きょうはオフィシャル版、比較的あっさりすませて帰宅。

 ミャンマーで取材中の日本人カメラマン長井健司がデモ鎮圧に出動している兵士に銃撃されて亡くなった。仰向けに倒れ、右手に持ったカメラを衝撃から守るように差し上げいている写真も衝撃的だが、夜のニュースでオンエアされた銃撃直前から直後までの動画はもっと衝撃的だった。

 その昔、まだデモ行進などというものがそれなりの規模と頻度が行われていたとき、こんな言葉を聞いた。「自衛隊の治安出動を機動隊の延長で考えてはいけない。警察はネズミを蹴散らすだけだが、軍隊はネズミを踏みつぶすのだ」。かつてこの国でも治安出動を要請した総理大臣がいた。最近、無責任極まる仕方で政権から逃げ出した卑劣漢の祖父、岸信介だ。要請した相手はその卑劣漢が農水相として選任した絆創膏漢の祖父、赤城宗徳だった。

 この安保騒動は、独立日本としての第一歩を踏み出し、保守合同がなり、新しい時代がはじまるときの分岐点であった。保守と革新、アメリカと日本、戦前と戦後のぶつかり合いともいえた。このとき自衛隊が出動すれば内乱にまで発展したろう。しかし、"孤独な権力者"としては、自衛隊を出動させてでもデモを鎮圧したかったと思われる。当時防衛庁長官であった赤城宗徳は、そのときを回想して、
「あれは、確か六月十五日のことだったと思う。わたしは南平台の岸総理の私邸に呼ばれ、じきじきに、自衛隊出動の強い要請を受けた。ときは、女子学生の樺美智子さんが国会の構内で死亡した日である。私邸の周りにもデモ隊がひしめいていた。わたしは、前からの理由で、自衛隊を出動させるべきでないことを直言した。岸総理は腕組みをしたまま、ただだまって開いていた。悲壮な息のつまる一瞬であった。翌十六日、閣議が開かれ、アイク訪日をとりやめてもらうことにしたいと発言した。もし、あの時、再度正式に要請されれば、わたしとしても承認せざるを得なかったろう。全く紙一重の決意であった」(『私の履歴書』日本経済新聞社)
 と、明確に書き記している。
岩川驕u巨魁−岸信介研究−」から

 幸い、安倍が嫌った「戦後レジーム」のもとでは自衛隊の治安出動はなされることはなかった。現行憲法の法体系の中でかなりのインチキ臭さはあるものの曲がりなりにも機能している戦後民主主義を安倍があれほど嫌ったのは、このときの岸の恨みを注入されて育ったからかもしれぬ。いずれにしても、安倍に代表される真に「反日」的(右翼的ということだ)な連中が夢見る場面、自衛隊員が主権者である国民に対して銃を向け、ミャンマーでの映像のごとく、銃撃する場面がこの国に訪れなかったことを平凡な国民は喜ぶべきだろう。(9/28/2007)

注)岩川驍フ「巨魁」には岸の方の反論も載っているのですが、ここでは省略。

 紙面には見あたらないのだが、朝日のサイトに「特ダネ、新聞より早くネットで配信:産経が新サイト」という見出しでこんな記事が載っている。

 産経新聞社は25日、同社のインターネットサイト「産経ウェブ」を10月1日から刷新すると発表した。速報性を重視し、特ダネも新聞より先にネットで配信する「ウェブ・ファースト」を、日本の大手新聞では最初に始めるという。マイクロソフト(MS)と提携し、サイト名は「MSN産経ニュース」になる。
 新聞社のニュースサイトは、紙媒体の価値を守る狙いから、特ダネは新聞の発行時間におおむね合わせて配信してきた。産経は、これを改め、原則として特ダネのすべてを記事にでき次第サイトに載せるという。分量の制約で、新聞紙面には載せきれない記事や写真も、積極的に配信する方針だ。産経は首都圏では夕刊を発行していない。
 すでに4人の編集長が輪番制で新聞とサイトの編集長を務める体制にし、両者の編集を一体化。ネット上での記事掲載期間も従来の2カ月から6カ月に延ばす。
 サイトの閲覧は無料で運営は広告収入で賄う。MSの知名度を生かし、現在4000万ページ程度といわれるサイトの月間閲覧数を、数倍に増やすことを目指す。
 MSの現在の提携先である毎日新聞社は、04年から共同運営している「MSN毎日インタラクティブ」を9月30日で終了。10月1日から新サイト「毎日jp」を開設する。

 新聞が深刻な岐路に立っていることは周知の事実。中でもサンケイ新聞の台所はかなり苦しいこともまた周知の事実。サンケイとしては失うものは何もないというところなのだろう。

 ところで記事の中に「現在4000万ページ程度といわれるサイトの月間閲覧数」というくだりが出てくるが、サンケイのサイトのホームは他の新聞サイトとは違って、一定時間で自動更新する仕様(googleニュースと同様)になっている。しかも相当短周期の設定になっているのでサンケイのホームを表示したままにしておくとブラウザの占有率が異常に高くなるようだ。これはおそらく広告クライアントに対してページビューの数値を水増しするためにサンケイがとっている苦肉の策なのだろう。

 MSNはページ編集に関して毎日と折り合いがつかずに契約を打ち切った由。しかしこの記事にあるように他紙のサイトよりも早い特ダネの掲載をマイクロソフトが期待しているとしたら、落胆するかもしれない。FACTA10月号にこんな記事が出ていた。見出しは「幅を利かす『お友達記者』」。

 内閣改造をめぐる報道は産経新聞の「完勝」だった。8月27日付朝刊1面トップで報じた二階俊博氏の総務会長起用や、増田寛也前岩手県知事の入閣も的中。「産経では仕方がない」とタメ息が漏れてくる。
 産経の「圧勝」は、首相本人や首席秘書官の井上義行氏からじかに話を聞いているからといわれる。官邸の主や側近がネタ元では勝ち目がない。これまで首相が交代するたびに、新聞、テレビの政治部は総理・総裁派閥に「食い込んだ記者」を官邸に送り込んできた。なかには首相秘書官に抜擢された記者もいた。しかし、これ見よがしに特定の新聞社に肩入れした首相は、これまでいなかった。
 首相はとにかく「産経」がお好きで、朝日、毎日は毛嫌いされているようだ。さもありなん。朝日は「安倍降ろし」の急先鋒だし、毎日は父、故安倍晋太郎氏が政治記者として籍を置いたにもかかわらず、足を引っ張ってばかりいる。自殺した松岡利勝農水相の後任に赤城徳彦氏を起用した際は、朝日と毎日には教えてやらず、特オチさせた。
 産経が首相に食い込めたのは「安倍支持」を鮮明にしているから。参院選でも「安倍政権の弱体化で喜んでいるのは北朝鮮だ」という論陣を張ったほど。しかし、産経記者がみなシンパなわけではない。「首相と個人的に親しい数人のお友達記者が、首相の耳となって情報を集める代わりに、ネタがもらえる仕組み」(読売の政治記者)とか。実は、産経だけではなく、テレビではNHKとTBSにお友達記者がいるそうだ。お友達閣僚は火達磨になったが、お友達記者はいつまで幅を利かすのか。

 安倍晋三とサンケイ新聞らしい、下品な「関係」、身も蓋もない「お話」だが、こういう「特別なチャネル」がなくなってしまった現在、サンケイ新聞が自力でどの程度の特ダネをものにすることができるか、マイクロソフトは見込みを間違ったのかもしれない。こういうコネのないところでサンケイができるスクープといえば、一昨年の春、大騒ぎした「フィリピン未帰還兵」やら、先月の「宇治山田商業学ラン騒ぎ」のような捏造記事くらいしか思い浮かばないという「おソマツ」なのだから。MSNもせいぜいサンケイに恥をかかされないように用心した方がいいだろう。(9/27/2007)

 まさにタイプという美人が電車に乗ってきたとする。運のいいことに自分のすぐ隣の席と真向かいの席が空いていたとする。そのとき隣に座ってくれるのと真向かいに座ってくれるのとどちらがいいか。そういうことを雨夜の品定め風にあれこれ話をして夜明かしをしたこともあった。もうそんなことにどきどきすることなどないと思っていたが・・・。

 そういうシチュエーションの時、クラリネット協奏曲K622はよく似合う。(9/26/2007)

 「父親は『フォーティー・ワン』。息子の方は『フォーティー・スリー』と呼ばれる。いや、人に呼ばれるだけではない、お互いを指してこう呼んでいるのだ・・・」。三浦俊章の「ブッシュのアメリカ」の書き出しだ。「米国の第43代大統領のジョージ・ウォーカー・ブッシュは、第41代大統領のジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ(在任1989−93年)の長男である。米国の歴史上、親子が大統領を務めた前例はひとつしかない。170年以上前にさかのぼる。第2代大統領のジョン・アダムズ(在任「1797−1801年)と第6代のジョン・クィンシー・アダムズ(在任1825−29年)である。父親の存命中に息子の政権が誕生した点でも共通する・・・」と続く。

 きょう、両院で首班指名が行われた。衆議院では福田康夫、参議院では決選投票により小沢一郎が指名され、憲法の規定により衆議院の指名にしたがい福田康夫が第91代の内閣総理大臣になった。父親の赳夫は第67代総理大臣だったから、この国ではじめて「親子宰相」が誕生したことになる。彼の国ではともに息子が政権の座につくところを見ることができたが、こちらはそうならなかった。

 きのうの天声人語は「安倍首相の投げ出した餅」を「家康よろしく座りしままに食う印象」と書いた。この印象はきょうになって増幅された。新しい福田内閣はまさに「据えられた餅」、別の言葉であらわすなら「居抜き内閣」だったから。新規に入閣したのは文科相・渡海紀三朗と防衛相・石破茂のみ、外務相だった町村が官房長官に、防衛相だった高村が外務相に横滑りした以外はすべて留任。

 福田は「国会開会中」を理由にしたが、ここまでみごとに手抜きをされると、ははあ、何か不祥事が露見したら、「なぜ大臣にしたか、ですか? 前任の安倍さんが選任したものをとりあえず留任させたまでのこと、大臣の的確性については安倍さんにお尋ねください」ととぼける気なのだなと勘ぐりたくなる。(9/25/2007)

 **(家内)、**(上の息子)とともに、**(弟)の墓参り。お彼岸ということもあり、団子屋まで店を出す混みぐあい。ノジマに回って、DVDレコーダー、HDディスク内蔵タイプとVHS内蔵タイプを購入。食事をしてから新座へ。**(上の息子)が申し込んだスカイパーフェクトの設置に立ち会い。そんなこんなであっという間の一日。

 帰ろうとテレビを「スカパー!」から地上波に切り替えると安倍が映っていた。画面右上に「Live」。慶応病院からの中継。

 参院選投票日の夜、はやばやと続投宣言をした安倍晋三を見ながら、「続投するがいいさ、いずれみんなが担いでいる御神輿を放り投げる、そのとき、二度と総理の座をうかがう力がなくなるほど複雑骨折するだろうから」と思ったものだったが、画面に映っていたのは複雑骨折どころではない、人間としてもう終わってしまった廃人だった。

 参院選から一月経った先月末、福田恆存の言葉を引きつつ「もう安倍晋三などは『敵』とするに足らない存在になったのではないか」と書いた。さすがにそれから二週間と経たぬうちに安倍が辞任発表をするとは思いもしなかった。それでもこんな書き方をしたのは、どこかに「風」あるいは「空気」の変化、それとは知らずにかすかに「死臭」を嗅いでいたからかもしれない。軽侮の対象であるにもかかわらずもはや生気を失っているものをいらうことに、どこか不健康さに通ずるものを感じて、畏れるような感覚が無意識に働いたのだろう。

 テレビに映る安倍晋三はそれでもなお議員として次の選挙には出ると言っていた。嗤った。本当にバカな男だ。「おまえはもう既に死んでいる」、もし自民党が次の選挙でおまえを公認するようならば、自民党も「既に死んでいる」ことになる。

 安倍よ、おまえに、埴谷雄高の言葉を贈ろう。「政治の裸かにされた原理は、敵を殺せ、の一語につきる」。おまえは祖父からこの「裸にされた政治の原理」について何も聞かされなかったのか。それとも聞かされていたにもかかわらず忘れてしまったのか。噛みしめてみるがいい、この会見でおまえが必死に否定して見せた「クーデター劇」こそ、ネクロフィラスな政治に入れ込んだおまえが招き寄せた必然だったということが分かるだろう。(9/24/2007)

 浜松町の**で**さん(母)の「思い出を語る会」をやる。・・・(省略)・・・

 世の中では、自民党総裁選。予定通り福田。福田330(議員票:254/都道府県票:76)に対し、麻生197(議員票:132/都道府県票:65)。マスコミは「麻生、善戦」、「旧態依然の派閥力学」とも伝えている。タカ派の主張を掲げた割には人間として最低限の信義すら守ろうとしなかった男を圧倒的に支持したのも自民党なら、タカ派的な主張に慎重だというだけでハト派のようにいわれているが実際のところはただ無難だというだけの男に雪崩をうったのも自民党。タカでもハトでも、権力にしがみつくことだけを自己目的にしている利権屋集団に過ぎぬ。(9/23/2007)

 月曜の夜、mixiの「日記」にこんなことを書いた。

 国会の会期を一日空費すると、いったいどれほどの税金が無駄遣いされることか。

 閣議に出てくる気がない無気力宰相など見捨てて、総理大臣代理を立て、やるべきことをちゃんとやるべきでしょう。

 また、こんな辞め方、本来「懲罰もの」です。したがって、総理退職金はゼロ、議員安倍の歳費も日割りにすべき。

 かつ、代表質問日の諸々の経費はすべて安倍晋三に賠償させるべきでしょう。

 辞めるなら、議員も辞めろ、安倍晋三。

 けさのラジオで、国会開会中の一日あたりの経費は2億8,200万であるといっていた。

 安倍が代表質問をすっぽかした日が12日だったから、きょうでまる11日。土日祭日も同額の費用がかかるのかどうかは知らぬが、少なく見て20億弱、多く見れば30億もの税金が、礼儀を知らぬ暗愚の宰相のわがままのために空費されたことになる。

 先日報ぜられた老人医療費の個人負担増を見送れば年に100億の財源が別に必要という試算が出ていた。この無駄遣いに比べれば、おそらく大概のものは「無駄遣い」でもなければ、「ばらまき」でもない。そうそうきのう書いたアメリカによる「かご抜け詐欺」の被害額もおおよそそれくらいにはなるだろう。公共事業といえば、最近は「無駄遣い」の代名詞扱いだが、あれはまだインフラが手元に残るだけまだましだ。アメリカに支払う「思いやり経費」だとか「タダの洋上スタンド」の方は何も我々の手元には残らない。あれこそ特上の「ばらまき」ではないか。(9/22/2007)

 16日の「サンデーモーニング」で大宅映子が「アフガン問題への国際協力のための『テロ特措法』と『イラク特措法』は別のもの。イラク戦争には問題があるとしても、アフガンでの活動は国連も認めたものなのだから、ごちゃごちゃにして反対してはいけない」と言っていた。この言葉には間違いはない。ただし「アフガニスタンでの活動」には、

@安保理決議により設置された国際治安支援部隊(International Security Assistance Force)
Aアメリカの対テロ作戦「不朽の自由」(Operation Enduring Freedom)

のふたつがある。大宅映子がこのふたつを「ごちゃごちゃにして」いないかどうかには疑問がある。

 Aについてはアメリカが自衛のための「戦争」と主張して行っているものだが、もとより「テロリストが犯罪者ではない」とか「テロリズムが国家の戦争権の行使だ」などという「奇説」は現在のアメリカのサルヅラ・サルアタマの大統領(アメリカ国民もずいぶんと恥ずかしい男を大統領に選んだものだ)が打ち出した「戦争のための口実」に過ぎない。アメリカ以外の国がこのようなことを主張したなら、おそらく世界中の誰も取り合うはずもなかったろう。その無理筋をなんとか後付けで取り繕うために、@の決議の前文にAに対する「謝意」などというバカバカしい文言をアメリカはねじ込んだ。アメリカの官僚はわざわざご丁寧に自国の大統領の愚かさを国際公文のなかに記録させたわけだ、嗤うべし。

 しかしここまでは前にも書いたこと。きのうからはもっと興味深いことが報ぜられている。

 横浜にあるNPO法人「ピースデポ」がアメリカの情報公開制度を利用して、アメリカ海軍の補給艦「ペコス」・空母「キティホーク」・巡洋艦「カウペンス」のそれぞれの航海日誌と「キティホーク」の03年司令官年次報告を入手し、その分析結果をきのう公表した。その内容は次のようなものだった。

 03年2月25日、海上自衛隊の補給艦「ときわ」はアメリカの補給艦「ペコス」に給油、「ペコス」はその日のうちにイラク作戦に従事していた空母「キティホーク」に給油をしていた。当時、防衛庁は20万ガロンと発表したが、「ときわ」が「ペコス」に給油した量は80万ガロンであり、「キティホーク」が「ペコス」から受けた給油量は80万ガロンであった。「ペコス」が「キティホーク」に給油したのは北緯25度19分・東経56度51分の海上であり、それはペルシャ湾口に近い場所だった。キティホークの司令官報告にはOEFに参加した記述はなく、航跡から判断する限り、当時の任務がイラク南方監視作戦(Operation Southern Watch)だったことは疑い得ない。そしてきょう防衛省はあわてて給油量に関するデータを訂正すると発表した。

 大宅映子は「テロ特措法」と「イラク特措法」をごちゃごちゃにすべきではないと言った。彼女としては「安保理決議のあるアフガンの活動を支えるテロ特措法の延長は当然のこと」と主張したかったのだろうが、皮肉なことに「テロ特措法」によって実現されている「作戦」は他でもないアメリカによって「ごちゃごちゃ」に取り扱われていたわけだ。大宅映子よ、発言の論理に従えば、当然、「テロ特措法の延長はすべきでない」、または「見直すべきだ」ということになるが、どうする?

 まあおまえのアメーバのごとき脳細胞では騙されるのも無理からぬ話かもしれぬが、ごく普通の常識を持つ大人は「かご抜け詐欺」の手口くらいは心得て用心しているものだよ。

 おめでたい大宅映子の粗雑なアタマに乾杯ッ。(9/21/2007)

 国連安全保障理事会でアフガニスタンの国際治安支援部隊(ISAFと略している由)の任務延長決議が可決された。911後にこの支援部隊の派遣を決議、毎年その更新決議を行ってきたが、今回初めて全会一致の原則が崩れた。ロシアが棄権したからだ。

 可笑しいのはNHKニュースを代表にテレビ各局はロシア代表があげた理由を「決議は国連のいくつかの特定国の国内事情を優先させた決定」と報じていること。この報道はもっぱら海上阻止行動への日本の給油支援に対する謝意表明に引っ張られた結果によるもの。(書くのもバカバカしいが、あとで読み直した際に分かるように書いておく。テロ特措法に反対する民主党の反対理由はアメリカなどの軍事行動が国連決議に基づかないものだというもの。窮した日本政府は国連によるアフガン国際治安支援活動の延長決議の前文にあるアメリカ主導の対テロ作戦「不朽の自由」(OEFと略している由)に対する謝意の文言に「海上阻止行動を含む」という一節を付加させ、日本の給油支援があたかも国連決議に基づくものであるかのように誤認させることをねらった)

 ロシアの棄権理由の根幹はそんな「情緒的」なものではない。そもそもアメリカと有志連合(イラク戦争における「参戦国」とほぼ重なる)によるOEFは911テロに対するアメリカの自衛権の発動であって「国連決議の枠外で行われている」軍事行動と解釈されている。ロシアのチュルキン国連大使はなぜかテレビのニュース映像には流されない部分でこう言っている、「アメリカによる軍事行動に対する海上支援活動について、安保理決議が謝意を表明することには国際法上の疑義がある」と。

 実際、ISAFに参加している国々からは、過度に報復的なアメリカのOEFがアフガニスタン国民の反発を招きタリバンの反攻を許し、そのために本来の治安支援活動そのものの危険性を増大させているという指摘がされているという。つまり最近のタリバンの復活状況を考慮すると、ISAF延長決議の前文にはむしろ成果を上げていないOEFに制限を加えISAFのためにはこれっぽっちも役立っていない日本の給油活動など愚の骨頂だと書きたいというのがホンネということだ。(9/20/2007)

 新聞各紙のニュースサイト。まずサンケイ新聞。

【見出し】潘事務総長国連総会開会前に会見:安倍首相退任を惜しむ
 【ニューヨーク=長戸雅子】国連の潘基文事務総長は18日開幕した第62回総会前に記者会見し、今総会の目玉となる24日の気候変動問題に関する首脳級会合について「12月にインドネシアのバリ島で開かれる交渉(国連気候変動枠組み条約第13回締約国会議)に向けて強い政治的メッセージを送りたい」と意欲を見せた。
 潘事務総長によると、24日の会合には154カ国が参加し、80カ国以上の首脳が出席するという。
 日本の安倍晋三首相が会合に出席できなくなったことについては「首相が政権を去らねばならなくなったことは残念だが、気候変動問題における重要国である日本が良い貢献を行うことを希望している」と述べ、「新しい首相と一緒に仕事ができることを楽しみにしている」と日本への期待を述べた。
 台湾の国連加盟申請問題については「(中華人民共和国を国連における中国の唯一の正統的代表とした)総会決議2758に照らし、事務局で慎重に考慮した結果、加盟申請書の受理は法的に不可能と判断した」と従来の主張を繰り返した。

 見出しというのは本文に引き込むためにつけるものだ。ではこの記事の潘基文の言葉のどこに「安倍」の「退任」を「惜しむ」ニュアンスがあるのだろう。どことなくセクシー美女の扇情的なパケ写でつりながら、終始これ以上崩しようのないおばさんしか登場しない食わせ物のアダルトビデオに似ている。サンケイ新聞の整理部は国語力の低い者ばかり雇う同紙の中でもことさら程度の低い連中ばかり配属しているのかしらん。

 リファレンスになるかどうかは分からないが、本件に関して、朝日はこう書いている。

【見出し】安倍首相欠席に「失望」:気候変動会合で国連事務総長
 国連の潘基文事務総長は18日記者会見し、24日に国連本部で開かれる気候変動のハイレベル会合に安倍首相が出席できなくなったことについて「(主要国首脳会議が開かれたドイツの)ハイリゲンダムで会ったときには、本人が出席できると聞いていた。首相が辞任したことには失望している」と語った。日本からの出席者については「元首相が特使として出席すると聞いており、歓迎したい」としている。国連筋によると、森喜朗元首相の名前も挙がっているという。
 気候変動ハイレベル会合には、世界の首脳約80人を含む150人以上の代表が出席する見通し。ブッシュ米大統領は温室効果ガスの主要排出国の首脳らが集まる夕食会合に出席する。サルコジ仏大統領、メルケル独首相らも顔をそろえる中、日本の存在感の薄さが際立ちそうだ。
 このほか事務総長の特別招待を受けた米カリフォルニア州のシュワルツェネッガー知事、ゴア元米副大統領も関連イベントに参加する。

 国連事務総長の立場にある潘基文が"disappoint"という言葉を使ったのか、それともあえて"regret"という言葉を使ったのか、ちょっとした興味がある。わざわざ紛れのある言葉を用いた可能性は低いように思うが・・・。

 サンケイ新聞は安倍辞任以来明らかに「変調」を来たしている。人間ならば「統合失調症」の初期段階。発行部数(「押し紙」により派手な「粉飾決算」を行っているので売上部数を用いるべき)の低下はサンケイに限った話ではないが、同紙の場合、とっくの昔に「全国紙」ではなくなっている。サンケイにとって、安倍の自爆は与えられた最後の転機だ。これを機に鹿内以来のイデオロギーを精算できない限り、既に中日新聞に大きく水をあけられているサンケイ新聞はせいぜい中流地方紙の下(その購読者のメインを占める階層同様、下流の上)といったところが定位置になるだろう。まあ女子供のフジテレビという生き方もあるのかもしれないが。(9/19/2007)

 「サイエンス・ポータル」のサイトに「トムソンサイエンティフィック社が予想することしのノーベル賞有力候補」という記事が載っている。

 トムソンサイエンティフィック社というのは「世界最大級の特許および学術文献情報データベース・分析システムを提供している会社」だそうで、全世界9,300の学術誌を集め、掲載論文における引用率をもとにノーベル賞選考委員が注目しているであろうテーマとその発見に功績の認められる人物を絞り込んでいる由。

 ことしの物理学分野での注目テーマは「物理、化学分野の革命を起こすきっかけとなったカーボンナノチューブの先駆的な研究」、「ニュートリノ振動および質量の発見における指導的役割」、「宇宙論、特に近年のガンマ線バーストに関する研究への貢献」で、カーボンナノチューブでは飯島澄男氏(名城大学教授、日本電気株式会社特別主席研究員)、ニュートリノ振動では戸塚洋二氏(高エネルギー加速器研究機構前機構長、東京大学・特別栄誉教授)、宇宙論ではイギリスの天文学者マーティン・リース氏ということになっている。どのテーマが王立アカデミーメンバーのことしの「ブーム」になるのか。そして、この予想通り日本からの受賞があるのかどうか。(9/18/2007)

 **(上の息子)からチケットをもらい、グッドウィルドーム(この呼称は嫌いだ)でライオンズ−イーグルス戦を観戦。初めてのボックスシート。先発は帆足(イーグルスはドミンゴ)。試合は片岡のスリーランなどで終始ライオンズペース。帆足はさしてよいようにも見えないのに終わってみれば完封。文句のつけようのない試合なのだが、なんだかいまひとつで、途中2イニングスほど寝てしまった。暑かったせいもあったかもしれない。

 5年前のきょう、当時の小泉総理は官房副長官だった安倍を伴って平壌を訪れ、金正日と会談をした。前日の滴水録には「北朝鮮政府の『拉致問題』などは存在しないなどとぬけぬけと言ってのける図々しさには腹が立つが、当政府もつらっとして『強制連行』はなかっただの『組織的な慰安婦狩り』などは公式記録にないなどと言っているではないか。それが国家というものだとふんぞり返っている手合いがいる限り、『国家犯罪』が被害家族の立場に立って解決されるはずはない」と書いた。残念なことに、末尾の「『国家犯罪』が被害家族の立場に立って解決されるはずはない」という見通しはあたった。しかし北朝鮮という国の「国体」を考え合わせれば、天皇に相当する「将軍様」が「国家犯罪」認めることはないだろうという予測は外れた。その日、こう書き出した。

 小泉首相訪朝の結果は意外なものだった。まず、金正日が「拉致問題」を認めそれを詫びたということ。そして、拉致された11人は4名を残してすべて死んでいるということ。驚きと衝撃。
 一般的に「国家犯罪」を認めないのは別に北朝鮮に限ったことではない。にもかかわらず金正日があえて「拉致問題」という言葉を使い、「特殊機関の一部が英雄主義に走って行ったこと。遺憾なことであったとお詫びする」とのべたということは、北朝鮮がこの会談を起死回生の機会にしようとしていることを如実に語るもの。

 驚きであった。拉致当時、ほとんどが20歳代でありながら、たった4人しか生存者がいないということが最大の驚きであり、それは必然的に「ウソだ」という声になった。

 陋巷の民ならば、それのみに捕われても致し方のないことだった。しかし我々はもう一つ別のことにももっと驚くべきだったのだ。それは金正日が「特殊機関の一部が英雄主義に走って行ったこと。遺憾なことであったとお詫びする」と「国家犯罪」を認めたことだ。

 小泉はなぜそこで「その英雄主義はあなたによって否定されたのですね。ならば拉致を行った者を我が国に引き渡していただきたい」とたたみかけなかったのだろう。悔やまれるのはその時点で我が国が国際刑事裁判所条約を未承認であったことだ。(ことし7月、やっと105番目の締約国になった)

 金正日が「英雄」を引き渡すことはなかったろう。それははっきりしている。しかし「国家犯罪」と認めた以上、そこにオブリゲーションが発生したことは事実で、彼らのいう「過去の清算」とともに、たとえいろいろな制約条件が天ぷらの衣のようにくっついたとしても、きょう現在の「毅然とした制裁は行ったが自己満足にとどまり、現実はカチンカチンに凍り付いた永久凍土状態」よりは、ましな状況を作り出すことができたに違いない。

 あの日、言葉を失った小泉の隣で、小躍りせんばかりに喜び、野心をつのらせたのは安倍晋三だった。官房長官以外の閣僚経験ゼロ、これといった能力も見識も持ち合わせていない正真正銘折り紙付きの南華が宰相になり得たのは、拉致問題を徹底的に利用して国民的北朝鮮ヒステリーを煽りたて、その火風にのることができたからに他ならない。

 半月前の読売新聞にこんな記事が載っていた。

【見出し】長引く拉致問題、家族会と調査会が緊縮財政
 北朝鮮による拉致問題の解決に見通しが立たず、家族会(横田滋代表)や支援団体の資金繰りに影を落としている。家族会の事務所が先月末、「費用軽減」などを理由に、東京都内の別の場所に移転。特定失踪者問題調査会(荒木和博代表)は来月、活動資金を捻出するため、フリーマーケットに出店する。家族会が事務所を移転したのは先月31日。JR飯田橋駅にほど近いビルから、文京区内の別のビルに移転した。家族会事務局長の増元照明さん(51)によると、広さはこれまでの半分程度。家賃も半分になった。引っ越しの際、入りきらない資料は整理し、廃棄したものもあるという。増元さんは「我々の活動はみなさんからの寄付で成り立っている」としたうえで、「問題解決にどのくらいの期間がかかるかわからない。浄財は大切に使わなければならず、費用を少しでも節約するために移転した」と明かす。
・・・(中略)・・・
 内閣官房も来年度予算の概算要求で、拉致問題対策推進費として5億5300万円を計上した。ただ、こうした資金から拠出されるのは、家族会のメンバーが海外渡航する際の旅費や、海外の拉致被害者の家族が日本に来るときの費用だけだ。内閣官房拉致問題対策本部事務局では、「要望があれば、(家族会や調査会の)活動への支援も前向きに検討していきたい」とするが、「用途を決めないまま資金だけ援助するのは難しい」とも話している。

 安倍が天下取りをめざした頃、豊かだった拉致関係団体の台所事情が、天下取りが成功してから急速に悪くなったのはどうしてか。拉致が単に天下取りに利用されただけのことだとすれば不思議でも何でもない、必然的な成り行きだったのだろう。

 安倍は辞任の前は当然としてそのあとも家族会に「挨拶」をしていないようだ。いずれにしても、「朝に夕べを謀る」ことができないような人物を頼ってしまった家族会は自分たちの不幸を複利で預けたわけだ。人の不幸につけ込む輩はどこにでもいる。愚かさにつけ込まれて倍加した不幸は自分で引き取る他はない。家族会には憐れみは感ずるがもはや同情する気にはなれない。(9/17/2007)

 ほんの一週間前のきょう、安倍晋三はAPEC終了直後の記者会見をシドニーのホテルで行い、一問一答の中で、インド洋での無償給油活動を「対外的な公約だ。私の責任は重たい」とか、「国際的な公約となった以上、私には大きな責任がある。職を賭して取り組む」とか言い、その言葉に続けて「当然、私は職責にしがみつくということはありません」と宣言した。(「職責にしがみつく」という言い方は安倍晋三の国語力の低さをそのままあらわしたもの。こんなバカが「教育改革」に熱心だったというのだからちょいとばかりお寒い話。もっともいわゆる「保守メディア」あるいは自称「保守主義者」たちの国語力、そして古典、漢籍などに対する知識はじつに貧弱で、いったい何を「保守」するつもりなのか不思議な気がすることが多い。・・・と、これは横道)

 しかし週半ばの水曜日、突如、安倍はなりふり構わず、敵前逃亡を図った。自民党の混乱は見ものだったが、その動きもまたある意味ですごかった。「次はオレ」のつもりで麻生が笑みを浮かべていたのは木曜日のお昼くらいまでだった。額賀が総裁選出馬を表明するのと前後して福田の名前が挙がると、あっという間に福田優勢が固まってしまった。金曜日になって額賀は降りた。

 卑怯な逃亡者・安倍晋三は与謝野官房長官に健康不安説を流布してもらうや、口ばかりは両院議員総会に出たいように語りながら、これもまたドタキャンし、木曜の午後、慶応病院に逃げ込んだ。医者がひねり出した病名は「機能性胃腸障害」。なんだか分からないけど胃腸が「しっかりと」動いてくれない状態、袖の下でも出さない限りふつう入院もできない「おさぼり病」だ。安倍にはよほど雲隠れしたい事情があるのだろう。(**(家内)は安倍のやり方を「かくれんぼをしていたのに、急に嫌になって、おうちに帰っちゃった鬼さんみたい」と評した)

 わずか一週間の間に舞台は回り、空気までもが入れ替わってしまった。最初19日に決まりかけた投開票日は23日になった。いまや麻生が期待するのは「地方の反転」によりあれよあれよという間に流れを作った2001年の総裁選の再現しかない。つまり、唯一の突破口は地方の予備選と週明けに出揃うマスコミ各社の世論調査の数字。しかしおそらく「風」は吹かないだろう。麻生には安倍という背後霊がべったりとついているから。

 もうこの土日は総裁選の話ばかりになってしまった。慶応病院に緊急避難した安倍晋三の名前は既に忘れ去られようとしている。(9/16/2007)

 最初、安倍晋三は「政権を放り出した」のだと思っていた。しかしどうも「政権から逃げ出した」のではないか。久しぶりに買った週刊現代の「安倍晋三『相続税3億円脱税』疑惑」という記事を読んでそう思った。

 内容は安倍晋太郎から晋三への資産相続にあたり政治団体を利用した「不正相続」があったのではないかというもの。もともといま発売されている週刊朝日が伝えたように、国会議員には政治資金指定団体に寄付をするとその金額がそのまま所得控除できるという、我々庶民にとっては「夢のような特権」がある。この控除は当時は上限がなかったため、安倍晋太郎はせっせせっせとこの制度を利用して献金額と同額の「還付金」をせしめていたという。安倍晋三は資産相続にあたり「指定団体」以外の政治団体も動員して晋太郎のカネを移転したのでないかという話。それだけではなく政治団体の「相続」の前後で不明金まである。安倍晋太郎が作った政治団体66の保有資産は90年末で6億6,896万円、ところが安倍晋三の受け継いだ政治団体は統合などもあり91年末で44団体、5億8,664万円になっている。1億8,522万円がまさに「消えて」いるわけだ。ただこの相続は91年のことだから既に時効になっている。

 これらについてコメントを求められた財務省主税局幹部はこう答えている。「政治団体に個人献金した資金が使われずに相続されれば、それは相続税法上の課税対象資産に該当します。政治団体がいくつもある場合は、合算した資産残高のうち献金された分が課税対象になります」。さらに個人的な意見として、「本来は、国税庁がきちんと見つけておくべき問題ですが、時効になった今は、税法上の徴税はできません。しかし、財政の窮状を行政上の長として考えて、ぜひ時効の利益を放棄して、自発的に納税していただきたいですね」とも言っている。

 資産家の安倍だもの3億円くらい払えないわけはない。一年前、安倍は総理就任時の記者会見で財政再建にふれて、「隗より始めよという、わたしの給与3割、閣僚給与1割をカットする」と宣言している。それくらい公に奉仕する気持ちがあったのだから、「ぜひ時効の利益を放棄して、自発的に納税していただきたい」という勧めに従わない手はなかろう。たしかに就任時のかっこつけと時効になった犯罪の始末金では比べものにならない事情は理解できるが。

 立花隆の「メディア・ソシオ・ポリティクス」には、安倍の職責放棄辞任があった夜、恫喝を得意とする安倍事務所が報道機関に対して発信したFAXが紹介されている。

(株)講談社「週刊現代」記事(掲載予定)及びこれに関する一部新聞報道について

1 毎日新聞の本日夕刊(4版)に「『脱税疑惑』取材進む」との見出しを付した上で、『週刊現代』が首相自身の政治団体を利用した『脱税疑惑』を追求する取材を進めていた」との記事を掲載し、あたかも安倍が「脱税疑惑」の取材追及をおそれて辞職したのではないかとの印象を強く与える記事が掲載されましたので、週刊現代の指摘及びこれを無思慮に報じた新聞記事が全くの誤りであることを明確に説明しておきます。

 こういう観測が生まれたのは、週刊現代が安倍辞任の日を期限として今週号の記事を書くに至ったデータに関する安倍の回答を迫ったという事実があったから。安倍事務所はそれには回答せず、こういうFAXで報道機関を恫喝したということだ。話は逆だ。安倍事務所はまず週刊現代に回答し、しかる後に「このような回答をしており事実無根」とふれるのが道理というものだ。主同様、事務所までがバカの巣窟とは恐れ入った話だ。

 既に参議院では与野党が逆転している。つまり参議院で民主党がこの件に関して国政調査権を発動して参考人招致あるいは証人喚問を求めた場合は、いままでのように適当にあしらうことはできない。場合によっては現職総理のまま「証人」として喚問されることも可能性としては十分にあるということだ。

 安倍事務所は「あたかも安倍が『脱税疑惑』の取材追及をおそれて辞職したのではないかとの印象を強く与える」などと書いているが、恐れたのがたかだか週刊誌の「取材追求」ではなかったとすると、所信表面演説をした後、代表質問を受ける前の突然の辞職のナゾは氷解する。

 安倍晋三が自ら政治生命を捨てても無様な辞任をしたのは、「総理の職責を投げ出した」のではなく、「総理という公人の椅子から逃げ出した」という方が正しいのかもしれない。(9/15/2007)

 胃の内視鏡検査を受けるため休暇。10時の予約。9時半に呼ばれ、胃の中をきれいにする薬、のどの部分麻酔薬、胃の蠕動を緩やかにする注射などの後、内視鏡の挿入。「きれいですね、20歳代と言ってもいい」などと安心を誘う。「ああ、ここだな・・・見たところ、ストレスでただれているだけかな・・・」、ややあって、「まあちょっとサンプルをとってみましょうかね」。3年前の時は写真を撮るだけだったなぁと思いながら出てくる。毎度のことだが、のどを通るときが辛い。

 支払い待ちのロビーで携帯をチェックすると**さんからメールが入っていた。グズグズと思っているままを書き送るとすぐに返事が来た。「男は病気に対して精神的にちょっと弱いところがあるからね」、はい、その通り。

 10時過ぎには支払いもすんで、みずほ銀行、農協を回ってきた。遺言が公正証書にしてあり、執行者を明記してあることがこれほど手続きを簡単にするとは思わなかった。まず法定相続人の確定のためにあれこれと戸籍謄本や除籍謄本を取る必要がない。基本的には被相続人の死亡と執行者の身元証明があれば、それで終わりなのだ。

 夕方、一年前、安倍晋三が自民党総裁になった頃の滴水録を読み返してみた。そこで「美しい国へ」を買い損ねていたことを思い出した。立ち読みで足りる本だったが、一時的にもせよ70パーセントを超える支持があったこの国の宰相がどの程度のものを自分の著作として出版したのかという「歴史的記録」として手元にあってもいいかなとは思った。いずれ古本屋の店先に一山100円の「ゾッキ本」として出るだろう、766円は高すぎる、そう思い、そのまま忘れていた。

 アマゾンでサーチ。ユーズド価格は1円。なんと考え得る最低価格、ゾッキ本以下だ。配送料が340円だから、その方が高い。嗤いながら、購入。1円の本を買うのは生涯最初で最後かもしれない。

 **(家内)に「例の安倍の本、美しい国、買った、アマゾンで。いくらだと思う」とクイズ。「100円」、「ブブー」、「50円」、「ブブー」、「エッ、10円?」、「ブブー、1円だよ」、「あら、まあ、でも、あれじゃない、安倍さんの事務所に行けば、ただでくれるんじゃない、交通費くらいは出してくれるわよ、困ってるから、場所ふさぎで」、「倉庫代がかさんで?」、大笑い。主婦感覚はすごい。(9/14/2007)

 楽しみにしたサンケイ抄の書き出しはこうだった。

そりゃあ、さぞ心労が重なっていたことだろう。就任以来、一部のメディアによるネガティブキャンペーンはすさまじかった。閣僚の度重なる不祥事に足を引っ張られ、官邸スタッフの不手際も目に余った。

 安倍はきのうの辞任発表で民主党の小沢が会ってくれないことが辞任理由のひとつだと言った。安倍晋三に対する「すさまじいポジティブキャンペーン」を行ってきたサンケイ新聞としては安倍の辞任理由をこんなところに求めるより他になかったのだろう。幼稚なイデオロギー宰相と負けず劣らずのイデオロギー新聞とがまったく同様のいいわけと弁護をするところが可笑しい。

 続く文章もまた嗤える。

 安倍晋三首相は、参院選大敗の時点で本当は辞めたかったのかもしれない。それにしても、インド洋で海上自衛隊が給油活動を継続することに、「職を賭する」と大見得をきったばかりではないか。

 テロ特措法の期限が切れることは突然判明したことではない。去年の10月に他ならぬ安倍首相のもとで期限延長をしたときから分かっていることだ。「職を賭する」ほどに重要なものであれば、もっと前から手を打っておかねばならないことがらだったろう。これではまるで8月31日になって「宿題ができていない」と泣き出す小学生のようだ。(お坊ちゃま、晋三くんはずっとこれで通してきたのかな)

 ところで、サンケイ新聞は参院選前に「すさまじいポジティブキャンペーン」の一環として「何たる選挙戦」という特集を組んだ。その第一回のタイトルは「誰を利する『国家』なき迷走」。書き出しは「年金記録紛失問題、閣僚の相次ぐ失言などで苦境に立つ安倍晋三首相をほくそ笑んでいる国がある」で、結語は「参院選の『政策論争なき迷走』はいったい誰を利するだろうか」となっていた。内容は簡単、「北朝鮮につけ込まれないためには安倍政権を敗けさせてはならない」というアジテーションだった。

 あれを書いた石橋文登よ、今回の安倍晋三の惨状(面倒くさくなったら何もかも投げ出してしまうようなバカが日本国の総理大臣を務めているという状況)を見て、北朝鮮がほくそ笑んでいないかどうか、是非とも検証して欲しい。いくらイエローペーパー・サンケイに勤める身でも、ジャーナリストのつもりなら(それとも、ただのアジテーターか、呵々)それは当然の責務だろう。(9/13/2007)

 暗愚の宰相が突然辞任すると言い出した。すぐに連想したのは細川護煕だった。政権の投げ出し方がよく似ている。両人に共通するのは銀のさじをくわえて生まれてきた人ということ。おもちゃに飽きて放り投げれば、必ず誰かがその後始末をしてくれたに違いない。「やになっちゃったから、ぼく、もうやめる」、そういう言葉が聞こえてきそうだ。

 安倍晋三に話を戻す。仮にも一国の首相となれば、普通にはバカだとか、チョンだとかは言いにくいものだ。だが安倍には知恵も見識も認められなかった。だからほとんど誰でもが、安心して、「あいつはバカだ」ということができた。その点ではまことに希有の宰相であった。

 愚直という言葉がある。バカ正直という意味だ。その言葉には「愚かではあるが、その行動は信頼できる」というニュアンスがこめられている。ところが愚かであることには折り紙付きの我が宰相の行動はその信頼感すら抱けないものだった。おととい、安倍は国会において所信表明演説を行った。きょうはそれに対する各党の代表質問が始まる日であった。代表質問に向けて各党議員は控え室に集まり、さあこれからというとき、「首相が辞任を表明した」、「きょうの代表質問は延期になった」という知らせがもたらされたのだ。

 安倍晋三を人間のクズだと書いた。それをホームページに載せたとき、「書き過ぎだ」というメールをもらった。弔問する相手の名前も確認せず、平然と縁もゆかりもない人の名前をペラペラしゃべる男を人間のクズと呼ぶことに誤りはないと思うからその旨お答えをした。きょうの安倍の所行を見て、おそらくあのメールの主も納得していることだろう。社会人としては最低、最悪、それがこの国の総理大臣だというのだから絶句する。

 ・・・とここまで書いて、いかに安倍がバカでマナーをわきまえぬ人間のクズだとしても、ヘンだなぁと思い始めた。ニュースの中で与謝野官房長官がかなり意識的に「健康状態がよくない」と言っていた。手品師が右手に観客の注意を集めようとしているときは左手に注目すべきだ。きょう、ドタバタと辞任しなければならなくなったのは、それも政治家としての将来の可能性をすべて摘み取るようなことをしてまでも辞めなければならなくなったのは、与謝野が示した以外の理由があるのかもしれぬ。

 安倍はマスコミを恫喝することによって有利な報道を強いてきた。NHKの伝える内閣支持率がほとんどいつも新聞各紙の伝える値より数%高かったのはそのせいだろう。当然、業界関係者には相当に恨み辛みがたまっているだろう。「水に落ちた犬を叩く」のは昨今のマスコミの習性だ。楽しみに待つことにしよう。

 もうひとつじつに面白かったこと記録しておく。安倍晋三機関誌のようになっていたサンケイ新聞のサイトのトップページ。「首相、麻生幹事長に『議会での求心力ない』首相辞意」、「自民・大島国対委員長『説得したが…』首相辞意」の両見出しをクリックしても、呼び出されたページは真っ白。この状態が午後3時頃から約2時間ほど続いていた。よほどショックが大きかったのだろう、サンケイ新聞にとっては。

 サンケイ関連で、もうひとつ。村山富市が辞職した日だったと思うがサンケイ抄はかなり楽しげに村山の無責任を批判していた。それ以上のひどい辞め方をしたのだから、もっと辛辣に安倍批判をするに違いない。あしたのサンケイ抄が楽しみだ。(9/12/2007)

 30年以上前に読んだ記憶によれば、ディクスン・カーの「*********」のトリックはあっけないほど簡単なものだった。カーは事件の冒頭ただ一度だけ事実をありのままに書く。しかしそのあとからは事件に関するある事実について繰返し繰返し「ウソ」を書き続ける。書かれていることをきちんと読まなかった多くの読者は、繰り返される「ウソ」をそのままに信じるようになるため、事件を不可能犯罪としてとらえるようになるという仕掛け。

 6年前のきょう以降、かなり多くの人々がこのトリックに引っかかっている。いわゆる「テロとの戦い」がそれだ。ブッシュとカーの違いはブッシュは一度も「ありのまま」の事実を語ったことがないということのみ。繰返し繰返し「テロとの戦い」という言葉が繰り返されるうち、多くの人は「テロとの戦い」なる「戦争」が実体のあるものだと信じるに至った。

 しかし、問うてみるがいい。「これは戦争なのですか?」と。そして「敵は誰なのですか?」と。さらに「戦争の目的は何ですか?」と。なお「目的の達成はどのように判断できるのですか?」と。

 イラク戦争もいい加減な「戦争」だったが、まだそれは「イラクという国家とアメリカ+有志連合国の戦争」であり、「フセイン体制という敵」があり、少なくとも「大量破壊兵器の不拡散が目的であり、フセイン体制の打倒されたときが終結時」であった。ただ、その戦争の公表された「目的」が「不明確な実態のないもの」であったために、きょう現在、悲惨な状況に立ち至っていることは誰もが知るとおり。そもそもイラク戦争の「目的」の虚偽性は「テロとの戦い」という「ウソ」に由来している。

 ビンラディンの言葉から、逆説的な書き方になるが、いかにも「アメリカ的な非寛容な表現」を差し引くならば、その主張の核心は「我らの住むイスラムの世界を我らの手に返せ」ということに尽きる。彼らが「至上」と考えるイスラムの教えに従った社会運営の邪魔をするなといっているに過ぎない。アメリカが一番に考えている「市場」だとか「自由」だとかいう価値観を必ずしも最上位におかないからといって、アメリカにそれを「非民主的」というレッテルのもとに「考え直せ」と強制されるのは嫌だといっているだけのことだ。

 たしかに6年前のきょうの「犯行」は許すことのできない蛮行であり、もしその下手人がアメリカが公言しているとおりビンラディンであり、アルカイダであるというのなら、世界中のすべての人はビンラディンを処断し、アルカイダという組織の壊滅に協力することに異論はなかろう。

 しかし、ブッシュは何をしてきたか。ビンラディンは捕まっていないのではない。捕まえていないのであり、捕まえようとすらしていないという方が正しい。ブッシュがやったことは軍事予算を蕩尽するためにアフガンの民衆の上に爆弾の雨を降らせたことだ。さらに少なくともビンラディンにもアルカイダにも関係のなかったイラクに難癖をつけ、イラク民衆にも弾薬の雨を浴びせた、ただただひたすら軍需産業を潤わせるために。ブッシュもチェイニーもずいぶんフトコロが豊かになったことだろう。

 つまりテロリストという犯罪者を追いかけることよりも「テロとの戦い」という名の戦争が彼らの「目的」に適っていたということだ。それにより、かえって少なからぬ人々をテロリスト組織の方に追いやった。「テロとの戦い」はまったく意味のない「戦い」であり、逆に「テロへの勧誘」になっている。

 「テロとの戦い」などというものはない。それはアメリカのブッシュという「戦争犯罪人」の作り出した「ウソのプロパガンダ」だ。ただウソも百遍繰り返されると本当と思いこむ人が出てくる。(9/11/2007)

 きのう安倍がAPEC終了後の会見で語った「インド洋の給油活動に職を賭す」という言葉が波紋を広げている。けさからの報道の中であるいはと思わせたのは報道ステーションでの田勢康弘の話。「これは安倍首相が仕掛けた乾坤一擲の大技、柔道でいえば巴投げのような技ではないかと思う」。

 解散を匂わせることにより現況での解散を望まない自民党内は一気にまとまる。参院野党過半数は一方の現実に過ぎない。他方に衆院与党は三分の二超という現実がある。なるほど、給油活動がいったん終了しても、新法をたてて継続審議が可能ならば、「衆院可決→参院否決→衆院三分の二による再可決」というパスを通して同様の内容を復活することは可能だ。つまり「テロ特措法に職を賭した」のではなく、「給油活動に職を賭した」のだとして、言い逃れをすることは可能だ。田勢は「参院選であれだけの惨敗を喫しても総理の座に居座った、この程度のことで辞めるわけがない」とも言った。

 それにしてもなかなかよく考えられた筋書きだ。思い当たるのは日曜の朝の「時事放談」だ。今週は中曽根康弘と渡邉恒雄が出ていた。中曽根は「給油活動が終了することがあれば重大な首相責任だ」と言った。この発言は前日、土曜日から報ぜられていたが、一方の渡邉の発言は報ぜられていなかった。渡邉は「いったん終了しても時をおかずに再開できれば問題はない」と言っていた。知恵の出所がこのあたりだったのかどうかは分からない。しかし自民党奥の院のどこかでこの程度のシナリオがまとめられつつあったと考える方が自然だろう。ひょっとすると既に属国に堕したこの国のことだから、これは宗主国から与えられた「指示」かもしれない。確実に言えることはこれが安倍の知恵の産物でないこと、安倍晋三にはこんな構想力はない。

 この台本の唯一の懸念は安倍が台詞を憶えきり「しっかりと」演技することができるかどうかにある。なにしろ、安倍ときたら、きょうの参議院での所信表明演説で洞爺湖サミットに関わる部分(これは「キモ」だろうが)をあっさりと読み飛ばして見せた。こんな大根役者では陰の台本作者も気がもめることだろう、呵々。(9/10/2007)

 午前中、**のご近所周り。家に戻ると詩吟のお友達からの「出席」のご返事。けっして多くはないけれど、しっかりとしたおつきあいをしていたのだなと、ほのぼのした気持ちになった。

 夕刊にビンラディンの映像に関するニュース。微妙な書き方。

 9・11米同時多発テロから6年を迎えるのを前に、国際テロ組織アルカイダ指導者オサマ・ビンラディン容疑者のビデオ映像を7日、ロイター通信などが入手した。約3年ぶりの「新作」となる。米政府当局者は本人の音声と確認した。
 あごひげを黒く染めたとみられるビンラディン容疑者は「(旧ソ連の指導者)ブレジネフの過ちが、ブッシュ(米大統領)によって繰り返されている」と指摘。米国をアフガニスタン侵攻で失敗した旧ソ連になぞらえ、「イラク戦争を終わらせたければ、イスラムを尊重せよ」と米国民に改宗を呼びかけた。
 広島と長崎への原爆投下から62年を迎えたことや、「人々を痛めつけながら、依然として自由や人権を語る欧米の指導者たち」としてサルコジ仏大統領、ブラウン英首相にも言及。最近撮影されたことを示唆している。
 ロイター通信によると、米情報機関関係者は「初期段階の技術的な分析を行った結果、ビデオテープに収録されている声は、まぎれもなくビンラディン本人のものだと判明した」と語った。
 一方AP通信によると、米国土安全保障省は、テープの中に暗号化されたメッセージが隠されていないか分析を続けているが、今のところ米本土に対する差し迫った危険があるという情報は見つかっていないという。

 テロ特措法の延長問題、アメリカ下院の日本貢献決議、・・・考え合わせると、絶妙のタイミングではないか。ビンラディンはいつもブッシュがアシストを必要としているときに現れるように思われるのは錯覚だろうか。(9/8/2007)

 台風は昨夜からけさにかけて、小田原に上陸、栃木方面に抜けた。通勤時見た多摩川は河川敷のグランドまで濁流が覆い川幅いっぱいに流れていたが、帰宅時はもういつもの水路に戻っていた。武蔵野線から富士山がくっきりと見えた。

 石原都知事がこの春の知事選に際して公約としてかかげた住民税減税を撤回したという記事。知事選の序盤、浅野前宮城県知事の出馬宣言に対抗するため石原がまずサンケイ新聞にリークし書かせたニュースだ。サンケイはその日の朝刊に「石原都知事、個人都民税全額免除を正式に発表」という見出しを打った。文章読解力に乏しい低所得層を購読者にもつ新聞らしい記事で嗤ったものだった。

 その日、サンケイはこう書いた。

 都民税の所得割り部分が免除されるのは、生活保護を受けていたり、年金受給者などで同水準の収入しかなかったりする人。具体的には生活保護基準の年収166万円の単身者では1万9000円、同270万円の母子2人の家庭では1万8500円の減税になる。

 いったい、きょう、サンケイはどう書いているか。

 見送りの理由は、例えば、預金や不動産などの資産所有者でも、所得額さえ少なければ免除の対象になってしまう点。さらに試算の結果、1人あたりの軽減額も1カ月数百円から数千円程度となる見通しで、都は有効な政策ではないと判断した。
 都は当初、全額免除の対象を約60万人とし、年間約50億円の負担軽減になるとみていた。しかし、対象となる低所得者層のうち、真に支援を必要とする者は、そのうちの約20%(約16万人程度)と推計され、「1人当たりの軽減額は大きくなく、効果は限定的」(関係者)として見送りを決めた。

 売り込むときは数字を大きく見せるために年額で書き、騙しおおせ目的を達した後は月額で表示するというわけか。朝日には「減税額は1人あたり年1万円以下にとどまり」とある。(1カ月数千円ということはあるのか?)

 ぬか喜びをしたサンケイ読者よ、君たちはずっとだまされ続けるのだよ、サンケイなんぞを購読し続ける限り。呵々。(9/7/2007)

 週刊新潮の広告。珍しく政府自民党批判。これほどボロボロ、ボロボロと出てくれば、まるで取り上げぬでは足元が危なくなると思ってのことかと思ったら反対側に民主党攻撃。要はバランスをとったつもりらしい。しかし力の入り方は全然バランスしていない。以下、どれくらい手抜きをしているかを書く。

 まず総合見出しが「マヌケ身体検査で『次に危ない大臣』」。個別見出しは「遠藤より悪質という若林新農相側近の献金疑惑」、「『伊吹文科相』の事務所経費は『松岡より高額』の2億円」、「与謝野官房長官は先物業界から7500万円献金」、「遠藤前農相『組合スキャンダル』を官邸は知っていた!」、「問題企業の広告塔で高額講演料の舛添厚労相」。

 何を書くかと思えばこのていどかと大嗤い。若林の話は既にきのう一般紙すべてが取り上げているし、伊吹の事務所費の話なんぞは内閣改造前にスポーツ紙のサイトには書かれていたさ。与謝野が小林洋行に落選期間中の面倒を見てもらっていたことなど誰でも知っている。ついでに書けば小林洋行に行政処分が出ないのはヤメ検の則定衛を重役に招いたからか、経済財政金融特命大臣与謝野馨にたんまり献金しているからかと言われたのは一年前のいまごろの週刊誌ネタだった。遠藤のスキャンダルは会計検査院が指摘していたのだから官邸が知っていて当たり前で、だから「マヌケでバカな安倍晋三よ」と世間はあきれているんだよ、いまごろ知ったのかい、安倍並みだね。コムテックスのバカバカしい「経済講演会」に舛添が常連でいるのもホームページを見れば誰でも分かる。そこには講演会の常連講師の名前が出ている。竹村健一、日高義樹、浜田幸一、田原総一郎・・・ため息の出るような名前ばかりだ。

 朝刊には新潮が広い損ねたかあえて口をぬぐった鴨下環境相と上川少子化担当相の「事務的ミス」も載っている。自民党関係者にはカネや身辺に関して最近は過剰に厳しくなったという声がある由。それはたしかにそういう傾向はあるだろうが、だからといって1000万と200万の区別がつかないなどというのはあるはずがない「間違い」だろう。

 なによりこの「身体検査」という言葉、小泉内閣以来の言葉のような気がする。派閥からの推薦を拒否するからこそ「身体検査」などというものが必要になったのではないか。つまりぶっ壊される前の自民党ならば派閥段階で相応のことは派閥が責任を持って行っていたのだろう。派閥の中ではどんな弱点があるか、お互いよく分かっていたに違いない。推薦する以上、推薦者が内閣に迷惑をかけることがあっては派閥のメンツがつぶれる。派閥の「保証」は信用できた。だから小泉は意識してしっかり「身体検査」を行ったのだろうが、形をまねただけの安倍にはそういう認識がない。アホな模倣者が自らのバカさ加減を露呈しているとしたら、この惨状は必然だったということになる。(9/6/2007)

 きのう深夜、瀬島龍三が死んだ。1911年の生まれだから、ぎりぎり最後の明治人。陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校、しかも陸大は恩賜の軍刀組なのだから、大変な秀才だったに相違ない。マスコミはそろってその履歴を語り、ベタ褒めから少なからぬ疑問までいろいろに書いている。

 瀬島龍三という人物をイメージするとき、いつも思い出すものを書いておく。出典は共同通信社社会部編「沈黙のファイル−『瀬島龍三』とは何だったのか−」だ。

「服役者 日本人、瀬島龍三、1911年生まれ、日本富山県ミツザワ村出身・・・・・・瀬島龍三は1950年から第16収容所に収容されている。この時から生産現場で、左官として働いている。身体的条件では第3グループに属する。生産成績は良好である。毎月の生産性は103パーセントである。収容所の規律違反で注意を受けたことなし。考え方は反動的である。東京裁判で証人となったにもかかわらず囚人の間では一目置かれている。
内務省第16収容所管理部長、大尉 レシャノフ
収容所計画・生産部長、中尉 スリブキン」

 瀬島は関東軍将兵とともにシベリアに抑留され、56年8月に帰国している。この間、東京裁判においてソ連側証人として喚問のため一時帰国している。この「証言」行為について、長く右翼マインドの人々から瀬島は批判を浴びたし、いわゆる「シベリア抑留密約説」の背景ともなった。

 瀬島が「将」にはならず「参謀」に徹したのは、彼に目標を創出する才が徹底的に欠けていたからだろう。目標を設定してもらえば、あとは現況と可能性のすべてを緻密に分析した後、いくつかのプランを作成し評価項目を設定し利害得失に関する一覧をたちどころに作成してみせる。瀬島には事の善し悪しに関する視点は一切ない。ある意味でアイヒマンのような男なのだろう。それでも老境に至れば、自らに対する適当な正当化はするものだ。「仕事」が組織至上主義であったから、たまたま右翼っぽい発言がちょこちょこあっただけのことで、彼に信念や思想があったわけではない。

 後に語るようになった信念があったのならば、東京裁判の証人など引き受けるはずはない。「その時」権力が所在すると判断するところから「要請」があれば、それに従って手際よく問題を「処理」するマシン、それが瀬島龍三という人物だったのだ。(9/5/2007)

 休暇を取って役所関係の手続き。介護保険、国民健康保険、年金関係の廃止手続き。厚生年金関係は未払い請求が関係するらしく、住民票の除票だけではなく除籍抄本まで必要とするらしい。単純に廃止だけでかまわないと思うのだが、そうもいかないらしい。結局、年金については、除籍謄本が届くまでは手続きできず。午後、**司法書士事務所へ。**の家と土地の名義書換手続きについて。公正証書遺言があるのでかなり必要書類を少なくできる由。そのまま依頼してきた。よる、23日の「思い出を語る会」の案内状と宛名書き。あした発送。

 亡くなる二、三日前のことだった。ベッドサイドで少しばかり時季外れかなとは思いつつ、「夏は来ぬ」を歌ってやった。う〜のはな〜のにおおかきねに・・・、南明町時代、ママさんコーラスに加わっていた。その頃の歌だ。すると、まるで指揮でもするように両手を振った。いける、と思って歌おうとして、どうしても思い出せない歌があった。「しろきかいなにふ・く・よ」というフレーズとその部分のメロディーだけしか頭にない。前後もタイトルも分からない。「憶えている?」と尋ねると大きくこっくりはするものの静子さんが歌えるわけではなかった。なぜ、もう少し早くに思いつかなかったのか・・・、一緒に歌えたかもしれなかったのに・・・、ああ、「臍を噛む」とはまさにこのことだと涙した。

 その歌を調べてみた。インターネットはすごい。あっという間にそれが平井康三郎という人の作詞・作曲による、「ゆりかご」という曲だと分かった、メロディーも・・・

 なつかしい・・・なつかしいよ。南明町の家の庭の物干し、シーツを取り込みながら小さな声で――シズさんは音楽の先生だったから、どこかばつが悪かったのかもしれない――歌っていた情景、そんなシーンが、バーンと、よみがえった。・・・「白きかいなに吹くよ」というところと「黒きひとみに吹くよ」というところのメロディーは違う、そうだ、そうだ、そうだったと、そんなところもなんだかとてもなつかしく思い出した・・・。

ゆりかごにゆれて
静かにねむれ
風はそよそよと
白き腕(かいな)に吹くよ

ゆりかごにゆれて
静かにねむれ
風は夢をさまし
黒き瞳(ひとみ)に吹くよ

(9/4/2007)

 内閣改造があったのは先週のきょう。そしてきょう就任一週間にして農水大臣は辞任した。世間はまたしても農水大臣であることにあきれ、まさに字句通り「選りに選って」かような人物を大臣にする安倍晋三という暗愚の宰相のセンスを嗤っている。おそらくこれほどバカな宰相は当分出ないだろう。

 いまや安倍晋三の不始末の弁護一辺倒になったサンケイ新聞はこの「辞任」を朝のサイト記事で「安倍首相は更迭に踏み切った」と書き、未練たらたら「政治とカネの問題ばかり突っついているようでは、政治は空転するばかりだ」と書いた。自民党広報誌と化したサンケイとしては「多少のことは目をつぶれ」といいたいのだろうが、補助金をだまし取っただけではなく指摘された後も返還せずに平然とふんぞり返った組織の長が、その補助金を与える組織の長になるということは看過できる問題ではない。常識というものを持ち合わせない安倍晋三やサンケイ新聞関係者のセンスでは「この程度のことは当たり前」なのかもしれないが、いかになんでも世の中はまだそこまで腐っているわけではない。バカボンシンちゃんは手遅れとしても、愚かなサンケイの記者たち(そしてそういう記事を喜ぶサンケイの読者たち)も、そのくらいのことは憶えておくべきだ。

 与謝野官房長官はきょうの記者会見で「残念ながら森羅万象全部分かるわけではな」いと釈明したが、森羅万象などという大げさの言葉を使うほどのことではない。既に先週のうちから「会計検査院が指摘」ということは報ぜられていたではないか。「朱に交われば赤くなる」という言葉があるが「バカ」という病気も伝染するのかもしれない。(9/3/2007)

 **(母)さんの遺した日記ををあちらこちらと拾い読みする。

 圧倒的多数を占めるのは「来院者0」(来訪とは書かずに来院と書いている)の記載。あいまにちょっとしたメモがある。「**(上の息子)きょうは来なかった。デートかな?」、「入院以来始めて(ママ)**(父)さんの夢を見た。なつかしかった。でもすぐ目がさめた。」、「目をさましていながら、漢詩を見のがし、残念。」。朝5時からの「漢詩の時間」とその後の「皇室アルバム」がお気に入りだったようだ。杜甫、李白、蘇東坡、張継、羅隠、黄庭堅、・・・。ホーと思う。詩吟をやっていたから、なじみがあったのかもしれない。「今日は火曜日だけれど**(オレ)がきた。うれしかった。」、それに続けて、「こんなにべんべんと生きて、いつ、死ねるんだろ。」などと書いているところになると、思わず涙が出てくる。

 その日記は一般病棟から緩和ケア病棟に移る日まで続いている。不思議なことに緩和ケア病棟に移ってからはたった一度「5/」と書いただけしか記述がない。先日の**先生の話では、去年の暮れあたりからビリルビンの数値が上がり始めたということだったので、最初はその影響でものを書く根気がなくなったのかと思った。しかし直前の記述のほとんどがナースコールをした時間と内容、対応した看護師の名前になっているところを見ると、一般病棟では我慢との相談でナースコールをしていたのに対し、緩和ケア病棟はまったく対応が異なり、そのあたりのメモをとる必要がなくなったせいではないかとも思われる。本当のところは分からない。(9/2/2007)

 役所の手続きなどは来週。とりあえず入院中のお見舞い御礼から。**(母)さんの遺した日記で漏れがないかどうかを確認。リストを作ってから**(家内)と池袋へ。お返しの品を選んで、お昼を食べ、対になる花瓶を買って帰宅。

 病院へ行かない土曜日は久しぶり。時間はゆったりと流れる。ぼんやりと世界陸上の中継を見た。男子の棒高跳び決勝。山際淳司に棒高跳びの選手のことを書いたものがあったなぁ(「ポール・ヴォールター」――「スローカーブを、もう一球」所収)と思いつつ見入るうちに、たしか棒高跳びをそのまま詩にしたものがあったことを思い出した。記憶の糸をたぐりながら探し出した。こんな詩だ。

彼は地蜂のように
長い棒をさげて駆けてくる
そして当然のごとく空に浮び
上昇する地平線を追いあげる
ついに一つの限界を飛びこえると
彼は支えるものを突きすてた
彼には落下があるばかりだ
おお 力なくおちる
いまや醜く地上に顛倒する彼の上へ
突如 ふたたび
地平線がおりてきて
はげしく彼の肩を打つ
村野四郎「棒高飛」――「体操詩集」から

 「彼には落下があるばかりだ」、なんとまあ、老境にさしかかろうとする者には、辛い言葉か。(9/1/2007)

 よるの通夜までは少し時間がある。立花隆の「メディア・ソシオ・ポリティクス」を読む。立花はこんなことを書いている。

 この内閣改造は、この官房副長官人事を是正する絶好の機会であったのに、安倍首相は、的場官房副長官を据え置いた。これまた、今回の改造人事で最も訳がわからないところである。多分、安倍首相は、それがミスキャストであったという自覚がないのだろう。その根っ子には、安倍首相が官僚の世界にあまりにも無知であるということがある。・・・(中略)・・・マスコミの一部に安易に官僚批判をすることが正義であるかのごとく考える風潮が最近よく見られるが、もちろんそれは誤りである。
 これは考えてみればあたり前のことだが、政府はすべて官僚のかたまりである。世界のどこでも国家は官僚によってランニングされているのである。マンパワー的側面からいえば、国家機構イコール官僚機構である。制度上そうならざるをえないのである。最近、政治家と官僚の正しい関係は、何事であれ、政が官の上に立ち、官を好きなようにコントロールすることであるかのごときことがいわれることが多いが、それはむろん正しくない。それでは本来パブリック・サーバント(公僕)である官僚を、一部政治家のプライベート・サーバントにしてしまう。本来のパブリック・サーバントたる官僚は、誰に対して最優先の忠誠心を持つべきなのかといえば、むろん、時の政治権力保持者に対してではなく、それより永続的な生命を持つ国家に対してである。
 官僚は時の権力者が命じること以上に、国家理性が命じることに従わなければならないのである。政と官の関係は、なかなか複雑で、いちがいにどうあるのが正しいといいかねるが、ひとつだけ確実にいえることは、官僚を使いこなせない政治家は大成しないということである。官僚を使いこなすとは、官僚機構を使いこなすということで、それはとりもなおさず国家機構を使いこなすということである。官僚を使いこなすためには、国家理性の命ずるところがどの辺にあるのかをきちんと筋目立てて説明し、官僚を国家理性の言葉(論理)で説き伏せなければならない。・・・(中略)・・・安倍首相はこのあたりのこともわかっていない。ただただ権力的に官僚をおさえつけて自分の言うことをきかせることが「改革」だと思いこんでいる。これでは官僚の心がどんどん離れていくばかりだし、公約の公務員改革もうまくいくはずがない。

 読みながら二つの断片を思い出した。ひとつは福田恆存。「人間にとつて、對立が本質的でありうるためには、倒れたもの、あるひは倒しやすいものを敵としてはならない」という言葉だ。これに従うとすれば、もう安倍晋三などは「敵」とするに足らない存在になったのではないかということ。

 もうひとつはバンソーコー大臣の祖父である赤城宗徳が文藝春秋の昭和天皇追悼号に先帝の思い出(じつはそれは岸信介の思い出でもあるのだが)として書いたものだ。

 陛下には、岸内閣の農林大臣時代に、しばしば報告のためにお目にかかった。昭和三十二年のことだったと思う。
 「陛下、これまで非常に国民の食糧のことをご心配いただきましたが、ことしは豊作で、どこを見ても実りがいいようです。農民の復興の気持ちが一番の理由でしょうが、もう一つには、農薬が普及して、害虫がいなくなったことにもよりましょう」と、ご報告すると、陛下からおことばがあった。
 「ああ、そう。益虫はどうなんだろう」
 突然のことであり、なんとお答えしていいか困ったので、「然るべく措置しております」とお答えした。翌日の閣議でこの話をしたら、「国会答弁と違うのだから、そのような応答ではいけない。戦前なら即刻、辞表を出さなければならないところだ」と岸さんに注意された。「では、こんなとき、どのようにお答えすればいいのか」 と聞くと、「調査の上追ってご奉答申し上げますというのが、陛下にお答えするときの礼儀だ」といわれたことを記憶している。

文藝春秋1989年3月「大いなる昭和」から

 赤城が思い出というのは、当時まだ農薬一辺倒だった日本の農業に対し、生物学者であった昭和天皇には農薬による「公害」についての「先見の明」があったということなのだが、この「思い出」から読み取れるものはそんなちゃちな話ではない。

 「国会答弁と違うのだから、そのような応答ではいけない」。商工省の官吏からのし上がった岸は、ここで戦前レジームにおける官僚の性根を明らかにしている。つまり官僚は天皇に仕えるもの、「天皇の官吏」ということだ。安倍は強烈に岸を意識しているらしいが、天皇、国家理性、・・・という、際どい理屈を教わらなかったのだろうか。それこそが「保守主義」の中心軸であろうに。(8/30/2007)

 当たり前の話だが、ほとんどの人々の死生と世の中のことはつながらない。こちらの事情と意識は常に外界で起きることがらとは「独立」だ。たまたまきょう嗤ったことを書いておく。

 衆議院政治倫理審査会長、玉沢徳一郎が支部長を務める自民党岩手県第4選挙区支部が03年の政治資金収支報告書に領収書のコピーを使い回していた。例のバンソーコー大臣、赤城徳彦は同じ領収書を二重に使うというものだったが玉沢はすごい。じつに五重計上をしていたのだから。

 NHKのニュースは印刷会社が玉沢の事務所に宛てた通し番号「010987」の領収書五枚を放映した。日付は03年8月25日、9月25日、10月25日、11月25日(これのみ2枚)、費目は「ポスター」、「支部会報」などとなっていた由。嗤ったのはこちらの方ではない。政倫審会長を名乗ったところで、腐った政党の党員とあらば、この程度のことは日常茶飯のこととこちらは思っている。

 腹を抱えて嗤ったのはこのニュースを伝えたサンケイ新聞の記事だ。

【見出し】自民・玉沢氏が衆院政倫審会長退任へ 「収支報告書に誤り」

 自民党の玉沢徳一郎元農相(衆院政治倫理審査会長)は29日の町村派の会合で、政治資金収支報告書に誤りがあったとして、内閣改造に伴う国会人事を契機に、政倫審会長を退任したいとの意向を示した。収支報告書については同日中に訂正すると説明した。
 誤りがあったのは平成15年の政治資金収支報告書の政治活動費とされる。玉沢氏は記者団に「いま聞いた話で(詳細は)分からない」と述べた。

 いくらサンケイ新聞が自民党応援新聞だとしても、これは「誤り」ではない。最低限「改竄」、内容としては「ごまかし」という言葉で表すべきものだろう。

 森田実のサイトに近頃のマスコミは正気を失っているという趣旨の記事があった。参院選のさなかに森田のところに、「某新聞社の記者と名乗る者から、『自民党を勝たせたいので、その線での知恵をほしい』との電話があった」そうだ。これだけでもなかなかインパクトのある話だが、森田には、最近、同じ新聞社の別の記者から、「安倍改造内閣の名簿をつくってほしい」という電話依頼があったという。森田が「応じられない」と断ったところ、件の新聞の記者は「なぜですか」と執拗に食い下がった由。彼はそれに応じなかったようだが、もはや一部の新聞はそんなことまでするようになっているらしい。(「森田実の時代を斬る」8月20日(その2)から

 さて、森田が「世間で自民党寄りとみられている某新聞社」と書いたのは、読売新聞か、それともサンケイ新聞か。「なぜだ」と食い下がる話などは、いつぞや、「読売は感心しないからお断りだ」というと、インターホン越しであるのをいいことに、「ケッ、あんた、変わってんね」と捨て台詞を吐くや、門柱にツバを吐き、泥靴で蹴飛ばしていった読売新聞の勧誘員を思い出させる。頭の悪そうな顔をしたその勧誘員は、人の悪いオレが二階の窓から一部始終を眺めていたとは気づかなかったようだ。

 しかし、まあ、これほど身も蓋もない下品な物言いを恥知らずに繰り返す「記者」となると、森田宅に電話依頼した「犯人」はサンケイ新聞に違いない。(8/29/2007)

 きのう、よる10時少し過ぎ、**(母)、永眠。(死亡診断書上は22時20分)

 **(家内)と二人で看取ることができた。**(上の息子)と**(下の息子)は間に合わなかった。

 入院期間、2年2カ月。緩和ケア科に移ってから7カ月。**先生には年内もつかどうかといわれて、それから2年近く。先日の**先生の話も「驚異的」ということだったが、下り坂になってからは早かった。

 03年の**(弟)、05年の**(父)さん、そして**(母)さん。刻むように2年ごと。ありがたいことに**(家内)がいて、**(上の息子)がいて、**(下の息子)がいるけれど、やはり「ついに独りになった」という気持ちは打ち消せない。

 **(家内)と病室を片付けて、遺体を霊安室に運んだのは午前0時を回っていた。第一病棟から本館につながる回廊の窓からは十四夜の月が見えた。白く大きな月だった。

 体が弱かった。夜中に突然の発熱に見舞われ、背負われて医者に行くことがたびたびあった。たいていはたいしたことはなかった。それでも帰りも背負ってくれた。背中で夜空を見ると月が見え、不思議なことに月は追いかけて来た。「お月さん、ついてくるよ」というと、ほっとしたような声で「そう見えるだけよ」といわれた。そんなことを不意に思い出した。それまで出てこなかった涙が溢れるように出てきて、月は形を崩した。

 午後、新座で葬儀の関係の打合せ。いろいろのことを考えて、うちの4人だけの葬儀とし、30日、通夜、31日、告別式、火葬。(8/28/2007)

 午前中出勤し、半休で帰ってきた。食事を済ませてから病院へ。あまり大きな変化はない。

 内閣改造に関するニュースを病室で見る。まず朝のうちに伝えられた党三役に、小派閥とはいえ、そのボス二人(幹事長が麻生で、総務会長が二階)。かろうじてというか、多少安倍らしい(というのは子供っぽいということだが)意地を張って、政調会長を石原ボンボンにしているところが可笑しい。

 そして閣僚には町村を外相、高村を防衛相、伊吹を文科相、派閥の大小を問わず、そのボスを三人起用している。首相に対する衣を着せぬ批判をしていたメンバーである舛添を厚労相に据えたのは一見目を引くが、その手の発言をしながら選任したのは彼一人。同様の厳しい発言をしていた中谷元などの顔を想い出せば、舛添が一匹狼の無派閥だったからと合点が行く。

 最近読んだ「永田町vs.霞が関」の印象によれば、舛添の知恵が「世渡りレベル」を超えて「保守主義の要諦」に届いているかどうかは微妙なところだ。それでも、これほど絶望的な状況下では、ワラにもすがる気持ちで舛添には期待したいが・・・。

 可笑しいといえば、官房長官。なんと与謝野馨だ。人物として不足はない。安倍に「禅譲」した小泉はどんな感想を持ったことか、それを思うと可笑しくてならぬ。この人事で安倍には背骨がないということが万人に知れた。安倍にあるのはただの権力欲だけなのだろう。もはや安倍晋三はゾンビだ。(8/27/2007)

 水曜日の晩から病院に泊まり込んでいる。ちょうど**(母)さんへの巡回がある3時過ぎくらいに目が覚めてしまう。そのあと寝付けない。いろいろのことが次から次と想い出されて来る。あいまに胃のあたりに変な痛みがする。おととい、出勤した際に受け取った健康管理センターメールに「前庭部:粘膜不整:胃カメラの実施をお勧めします」とあった。根が小心だから、それだけのことで痛みが出てきたようだ。

 きのうの未明はかなり遠くの病室から「看護婦さん」というかなり緊張したトーンの女性の声が聞こえた。しばらくしてからそれよりはもう少し近い病室から泣き声のようなものが聞こえた。本人なのか、付き添いなのか、泣いているのか、夢にうなされているのか、・・・、分からない。

 緩和ケア科の病棟に移ってそろそろ7カ月になる。毎週土日には必ず来ていたが、昼間、それもせいぜい1時間か2時間程度しかいない。病棟はこぎれいで病室は広くゆったりしているから、ここが「死の病棟」だとはほとんど感じたことがなかった。だが病室にいる人はすべてもう「回復に向けた治療」を断念した人々だ。いくつかの部屋の住人はこの半年の間に入れ替わっているらしい。

 補助ベッドに横たわって天井と向き合った。天井にはほとんど注意を払わなかった。空調用のスリットや、医療器具かカーテンを吊すらしい金具とレールがついている。暗い部屋の中でそれは魚の骨のように見えた。**(母)さんはずっとこの天井を見つめ続けているのだ。さして不満な表情を見せなかったが、あまり気持ちのいい眺めではない。

 胃のあたりがいたずら顔に笑い始める。この部屋の住人として居住することを想像する。**(上の息子)も**(下の息子)も一本立ちした。いつ、なにが、どうなっても、怖いものはない。とは言いつつ、孫の顔くらいは人並みに見たいとか、イタリア・スペインくらいは行きたかったとか、ひたすら楽しみにしてきた定年後の読書三昧、・・・未練はタラタラだ。なかなか眠れぬ夜を二晩続けて過ごして朝を迎えることになった。(8/26/2007)

 きのう夜に入ったニュースは、ニュースとしての要件を100%満たしたものだった。「イヌがヒトに噛みついてもニュースにはならない、ニュースになるのはヒトがイヌに噛みついたときだ」という例の奴。

 小池百合子防衛相が訪問先のインドでの記者会見で「防衛大臣として留任しない」と宣言した由。理由がふるっている。「防衛省内でイージス艦情報流出事件に関する責任をとった者がいない、私はこの責任をとる」というのだ。誰でも知っていることだが、小池が防衛大臣に就任した時(7月3日)にはイージス艦情報流出事件の顛末は明らかになり一応の「解決」をみていた。したがってこのとってつけた理由を嗤わぬ者はおるまいが、譲って彼女の「自己申告」をそのまま認めるとすると、ではこの外遊は何だったのかということになる。

 きょう、帰国した小池は記者団に問われて、留任をしないことは安倍に伝えてある、そのことは前から決断していた、と答えた。小池はこの一月近くの間に、アメリカ、パキスタン、インドを訪問している。月末には大臣を辞めるつもりだったとすると、訪問の意図は何だったのだろう。まさか、「小池百合子でございます。このたび前任の久間に代わりまして防衛大臣に就任いたしました。月末には離任することになりますが、せっかくの機会ですから、お目にかかってお知り合いになっておきたいと思いまして、まいりました。歓迎していただけますわね、日本国の防衛大臣なんですのよ。ええ、ええ、こうしてお友達になりましたからには、これからはマダム・スシとお呼びくださいませ」などと挨拶して回ったわけではあるまい。

 沖縄の基地移転やテロ特措法延長などを考えあわせると空っぽの内容ではなかった訪米はともかくとして、日本の防衛大臣を迎えたものと信じていたパキスタンとインド両国政府は、会談を終えるやいなやじつはゾンビ大臣だったと知らされて、小池、ひいては現在の日本政府に対して不快感と不信感を抱くに至ったかもしれぬ。

 国民の一人としては、できるなら、日本という国は本来そういう国ではない、たまたま現在の安倍晋三が率いる内閣がこのような無礼千万なふるまいを平然と行う「醜い国内閣」であるというだけ、これは例外中の例外であると伝えたいものだ。(8/25/2007)

 朝刊にインドを訪問中の我が宰相が東京裁判の判事を務めたラーダービノード・パールの長男プロサント・パールと面会した記事が載っている。宰相は「判事は多くの日本人からいまも尊敬を集めている。ご遺志は日印関係を発展させることだったと思う」、「時を経てご子息にお目にかかれたのは感慨深い」と言い、パールは66年の訪日時に判事が岸と撮った写真を安倍に渡し「首相も岸元首相と同様に日印関係の発展に尽くされると確信している」と言った。同行筋は東京裁判をめぐるやりとりはなかったとしている由。

 ラーダービノード・パールはこの国で一番誤解されている人物なのではないか。今月初め出たばかりの中島岳志の「パール判事」を読んでそう思った。右翼マインドの人々からは「聖人」視され、左翼マインドの人々からは「反動」扱いされている。まず東京裁判判事として彼が執筆した文書のタイトルからして誤解されている。それはオフィシャルには「意見書」であって「判決書」ではない。ただきわめて政治的な意図の下に開かれた東京裁判の実態にからすれば「判決書」と呼ぶことに問題はない。

 問題は「判決書」にパールが書き記したことがらが正確に読み取られていないことにある。たしかに文庫本で上下二巻(「判決書」全訳部分は一巻と三分の二、ページにして1,400ページにもなる)、それを丹念に読むのは難しい。現に本棚の肥やしになったまま。しかし中島がこの本を著したことによりこれからはパール意見書を恣意的に利用し勝手気ままな嘘をつくことは難しくなったろう。

 中島は繰り返し、繰り返し、書いている。パールは日本が無罪だなどとは主張していない。訴追されたA級戦犯を有罪に問うための法はないと主張しただけである、と。

 ところで安倍晋三は知っていたのだろうか。パールは、安倍が忌み嫌う平和憲法を讃え、アメリカに追随する日本に警告し、その再軍備を批判していたことを。判事として来日した時を含めパールは4回日本を訪れている。その2回目の来日のとき、52年11月10日、法政大学で行った講演にはこんな言葉があるという。

 どうかこの美しい国土を、二度とふたたび破壊と殺戮の悪魔の手にゆだねないでいただきたい。"戦争によつて、または武装することによつて平和を守る"という虚言に決して迷つてはならない。私が日本を去るに際してみなさんに熱願するのは、ただこの一事である。

 安倍は自分の貧しい見識とそれを自覚できぬ天性の鈍感さに感謝すべきだ。もし彼にある程度の見識と常人並みの感覚、そして理解力があったなら、とても恥ずかしくていたたまれなかったはずだ。「畏敬」という言葉を知らぬ「愚かさ」は、ある意味においては幸福につながる「財産」だ。(8/24/2007)

 夕刊2面に2枚の写真が載っている。「修正前ぷっくり」と「修正後すんなり」。アメリカのニューハンプシャー州にある湖でカヌーに興ずるサルコジ大統領の写真だ。修正写真を掲載した「パリマッチ」はラガルデルなる防衛産業グループの傘下にあるとかで、修正経過についての取材に対し、「大統領の写真はいつも修正せざるを得ない」と答えた由。邦訳のニュアンスではサルコジの写真は身体的欠陥が多すぎるので修正なしには載せられないというようにとれてしまいそうだ。立っている写真ならチビであることを修正し、上半身裸ならば贅肉体質を修正し、正面写真なら垂れ目の猿ヅラと狡そうな目つきを修正し、・・・大変なことだ。それほどにナマの自分が恥ずかしいのか、サルコジは。恥じるべきはおまえの「外見」ではなかろうに。

 サルコジに投票する層は大きく二つに分かれていると考えられる。「支持層」と「浮動層」。

 支持層というのはサルコジの推進政策により多大な利益を得る階層。サルコジのバカンス費用を丸ごと負担したと伝えられる「ティファニー・フランス」社長アニエス・クロンバック、「プラダ」のフランス広報責任者真チルド・アゴスチネリ、あるいはこれらの会社に多額の投資をしている人々。そういえば大統領選直後の地中海クルーズも「友人」である実業家バンサン・ボレロのカネだった。さすがに没落貴族の裔だけあっておねだりがうまい。保つべきものを忘れた貴族が乞食以下の人間として醜態をさらすのは古今東西よく聞く話。サルコジ政治は賄賂政治そのものになるだろう。

 浮動層については書くまでもない。自分の首を絞める縄を嬉々として綯うような愛すべき愚民。こういう連中のおかげで働かずして食える階層にとってはじつにありがたい存在だ。ただ現代にあっては滑稽なことに彼らは自らを愚民とは思っていない。いっぱしの判断力を持つ人間と自分をみなしている。サルコジが醜いだぼ腹を修正させることにこだわったのは、愚民浮動層は見てくれとうわべの言葉で騙しおおせる手合いと見切っているからに相違ない。まあ、今のところはそうなのだが・・・。(8/23/2007)

 さあ、風呂に入ろうとタオルを手に取ったとき、電話が鳴った。病院から。かなり大量の下血があり、予断を許さないということだった。**(家内)と病院に来た。**(上の息子)も、**(下の息子)も来た。こんばんは病室と家族室に分散して待機のかたち。

 あしたは監査の最終日。品質の側はほぼインタビューを終了しているので速報版を病室で作成。完成させたら、家に戻ってファイルを送付する予定。眠い。(8/22/2007)

 面白いニュース。塩崎官房長官の松山にある地元事務所の女性事務員が政治資金を着服し、その隠蔽工作のために一昨年の選挙運動費用報告書に添付した領収書を政治資金収支報告書にも重複添付していたというのだ。「被害額」は626万円、塩崎事務所は彼女を懲戒免職にした由。

 塩崎の収支報告書にあの絆創膏大臣赤城徳彦同様の領収書の「二度のお勤め」がいくつか見られるという話は既に一月以上前に報ぜられていた。こんなうまい説明ができて塩崎もホッとしていることだろう。

 額面通りに受け取れば、単に塩崎事務所は使用人につけ込まれるほどにお金にルーズという話になるが、週刊新潮的に書けば、「殿を守るためならば――塩崎事務所ザンコク物語」くらいの見出しの記事になるだろう。これほど「おいしい話」でも自民党批判はしないのが彼の出版社の不文律だから塩崎は安心していていい。いや、書かぬのはあまりに見え透いた話で書かずもがなのことだからかもしれぬ、呵々。(8/21/2007)

 届いたばかりの「FACTA」9月号巻末の記事、見出しは「『防衛省の天皇』解任の裏側」。

 小池防衛相の「内閣改造直前事務次官更迭」の不思議についてひとつの答えを書いている。「火の粉が降ってこないうちに元凶を切るということ。守屋を早いうちに切って、"あの件"が防衛省を直撃しても、内閣への波及を食い止めたと安倍にアピールしたいのだろう」。ここで"あの件"というのは東京地検特捜部が8月後半から本格的に着手するといわれている「山田洋行」絡みの贈収賄のこと。

 山田洋行が商事、物産などの大手商社に伍して防衛装備分野で頑張っていられるのは防衛庁OB宮崎元伸前専務の「はたらき」による。宮崎の「はたらき」の中心は、89年以来3期18年参院議員をつとめた自民党田村秀昭を中心とする防衛ファミリーに対する「接待」。田村は防大1期生で航空自衛隊装備調達のドン。宮崎個人が自由にできるカネは年に1億。さらに山田洋行アメリカにその倍近いカネが交際費として送金されてきたという。山田洋行は不動産・貸しビル業が主体の山田グループの一社。内紛をきっかけに経理監査をして始めて、宮崎王国の乱脈ぶりが分かったらしい。守屋事務次官は夫婦共々かなり派手に宮崎の「接待」をうけており、ちょっとした「金環食」現象を呈しているようだ。これが小池がこの大晦にバタバタと事務次官更迭に走った理由ではないかという観測。

 アメリカの公定歩合引き下げやニューヨークの株価上昇などもあり、東証の平均株価は終値15,732円48銭、458円80銭の上昇だった。一服なのか、ある程度戻すのか。(8/20/2007)

 品質保証に移ってくる少し前のことだった。情報システム分野の開拓と称して闇雲にあちらこちらに営業的挨拶をしていたとき、防衛庁のあるセクションから携帯電話の秘話装置についての技術検討を打診されたことがあった。携帯のコネクタ部に外部アタッチメントのイメージで取り付けて、音声通話内容を暗号化できないか、そういう話だった。結果的にどこの会社が手を挙げたのか、実現できたのかなどについては何も知らない。

 もう忘れていた何年も前のことを思い出したのは、小池防衛相が守屋事務次官の「携帯に電話をしても返事が翌朝で、危機管理上どうかということがこれまでもあった」などと宣うているのを聞いたからだ。この話はいろいろな角度から嗤うことができるという貴重なもので、将来的には、この時代のこの国の政治屋さんを語る貴重なエピソードになるだろう。

 一番嗤えるのは、こういうことをマスコミに開陳する防衛大臣のセンスが「危機管理上どうか」と言えるのではないかということ。蛇足を承知で書くならば、「秘密事項を携帯電話で話すのか」などと気色ばんではいけない。防衛省も自衛隊も平然とPCのO/SにマイクロソフトのWindowsをそのまま使っている。そんなセンスで「安全保障」だの「防衛機密」だのといっている組織なのだ、女が男に深夜、携帯電話をかけ、「人事の睦言」を語るくらいは「あたり前田のクラッカー」かもしれない。

 さて、ただいくら小池のセンスが悪くとも、官邸の内諾なしに「守屋さん、あなたには辞めていただくわ、後任は西川さんにしますから」と言えるわけはない。しかし塩崎官房長官が居丈高になっているところを見ると塩崎が何も知らなかったこともまた確からしい。とすると「官邸」で内諾を与えたのはたった一人しかいなくなる。安倍晋三だ(論理的には的場順三官房副長官も残るが小池が的場にどんな相談ができるだろう)。塩崎が「人事検討会議は省庁で独断人事などが行われないよう、官邸主導、政治主導で人事を行うために導入された。そのことは小池大臣もご存じのこと」とばっさり切り捨てても、小池がひるむ様子も見せなかったということは安倍には話を通じているという自信があったからではないか。

 最大のボケは暗愚の坊ちゃん宰相だったのかもしれぬ、「この私に一任していただけますか?」、「(何のことやら分からぬくせに)わかった、一任するよ」などと。もちろん、これは想像。

 ところで我が宰相、インドネシア・インド・マレーシア歴訪に出発。インドではパール判事、チャンドラ・ボースの遺族と面談の予定とか。報道が「パール判事の遺族」と伝えているのがラーダービノード・パールの長男プロサント・パールだとすれば、安倍の思惑はみごとに外れるだろう。いや、はしっこい外務省スタッフのことだ、骨のありそうなプロサント・パールは避けているのかもしれぬ。(8/19/2007)

 けさはずいぶん涼しい。それでも蝉時雨だけは変わらないところが愉快。

 朝刊によると、おととい観測史上最高を記録した多治見ではきのうも40.8℃、三日連続で40℃を上回った。これも観測史上はじめてとのこと。夜中も気温が維持されるため蓄熱効果が認められるらしい。ここ一週間での熱中症による死者は既に十人を超えている。

 国立環境研究所は今年7月2日に「近未来の地球温暖化をコンピュータシミュレーションにより予測―暑い昼・夜の増加と寒い昼・夜の減少が顕在化―」という記者発表を行っている。研究所が行ったのは、「地球全体の大気・海洋のふるまいを計算するコンピュータシミュレーションモデルを用いて2030年までの温暖化予測を行い、特に極端な高温・低温の発生確率がどのように変化するかに着目して解析を行った。2030年ごろでは、温暖化の影響が十分に大きくなく、気候システムの数十年規模の自然の揺らぎによって温暖化の影響が覆い隠されるかもしれない。そのため本研究では、温暖化の影響が自然の揺らぎよりも大きくなるかどうかに注目した」(下線:発表原文)解析。

 答えは「近未来の温暖化による極端な高温の増加と極端な低温の減少は、自然の揺らぎによって覆い隠されることなく、世界各地で顕在化する可能性がかなり高い」(下線:引用者)というものだった。具体的にいうと、「81年から00年までは全国平均で年間5日だった『暑い夜』が11年から30年までは15日に増加し、『猛暑日』も5日から7―8日に増える」ということ。件のホームページには、ご丁寧に「このことは、温暖化は100年後の遠い将来だけの問題ではなく、現在存在する人々の多くが人生の中で影響を受けるようになることを示唆している」と書き、わざわざ下線を施している。

 つまり今後は一夏におおよそ数十人の人が熱中症で死ぬ可能性が顕在化するということだ。いや、高齢化がより進み、所得格差がいっそう広がる結果、おそらくこの数字はもう少し多くなると思った方がいいかもしれない。かくなる上は、同じホームページに出ている予測が外れる二つほどの可能性、@大規模火山噴火、A太陽活動沈静化に期待する他はない。人々の生活水準の向上は、現在のこの国の政治屋どもと愚かしい選挙民どもの状況から見て改善されることは絶対にないだろうから。

 いつものように**(母)さんのところに行く。眠っている。眠っているのは最近の常だが、ベッドのリモコンが手の届かないところによけてあり、サイドテーブルにビニールエプロンが置いてあるのが、何だろうと思わせる。看護師さんの話ではきのうの夕食から一人で食べられなくなったとのこと。

 アイスクリームが食べたいというので買ってくる。リモコンを持たせたが裏向きにしたり、何をしたいのかフックのところを口にもってゆく。こちらで起こしてやって、やっと食べられる姿勢に。匙がうまく使えない。食べさせてやろうといっても頑固に自分で食べるという。二口、三口、口に運んで結局それで終わり。**先生の言っていた意識障害の症状が現れてきたということか。

 こんなに急にこんなことになるものかと胸がつまる思い。(8/18/2007)

 週初めに書いた防衛省の事務次官騒ぎ、さすがに勘の鈍い安倍内閣も放置していては出血するばかりだと思ったのだろう、守屋次官を退任させ、後任を小池の推した西川でも守屋の推した山崎でもない第三の男にした。増田好平、75年入庁、防衛庁生え抜きだが、守屋とはそりが合わなかったと一部報道は伝えている。週末のニュースショーでどのように報ぜられるか楽しみだ。

 東証平均株価の下落は止まらない。きのうは前日から874円安の終値15,273円68銭。7年ぶりの下げ幅の由。各国の平均株価も軒並み大幅に下がっており、不安の連鎖が始まっている。先ほどアメリカ連邦準備制度理事会は公定歩合を0.50%引き下げ、年5.75%にしたという速報が流れた。これでニューヨークを含めて、各国市場がどのていど落ち着くか。できるなら来年の春まではなんとか現状で景気が維持されるよう祈りたい。退職金が確定するまでは・・・ということ。(8/17/2007)

 きょうからスタート。メールが約百通。ざっと一覧するだけで小一時間。少し飽きたところでイントラの謹告欄に**の細君の訃報を見つけた。

 旧姓は**といった。美人というよりは可愛い感じ、なにより職場を明るくする子だった。数年前に大腸ガンが見つかり手術と再発を繰り返していた由。享年48歳。思わず涙が出てきた。会社から帰って話すと、**(家内)は声を上げて泣いた。会社の運動会などで言葉を交わしたこともあり、二本松を通るたびに「**さん、ここだったよね」と話していたせいもある。わずかにそれだけ。しかし彼女は二十数年を経て鮮やかな印象を残している。そういう最期を・・・オレは迎えられるだろうか。

 久々の出勤の日が一番暑い日になった。熊谷と多治見ではこれまでの記録40.8℃(1933年7月25日山形)を上回る40.9℃になった由。今年から35℃を超える日を「猛暑日」と呼ぶことにしているとのことだが、40℃を超える日にも呼称が必要かもしれない。たとえば「酷暑日」とか。

 そして株価はサブプライム・ローンに端を発するニューヨーク株の下落を受けて、日経平均株価が一時16,000円を割り、終値で16,148円49銭になった。

 サブプライム・ローンそのものはアメリカの低所得者向け住宅ローン。問題はその住宅ローンを証券化して世界中に展開していること。低所得者向けのため金利は高い。したがって小分けされた証券はハイリターン。問題というのはそのリスクが証券化される際に見えなくなってしまうこと。経済実態以上に借金をして維持されているアメリカ経済に世界中が振り回されている構造。そして一方に絶望的な低所得にあえぐ人々がいるのに、使い切れないカネを「運用」しようとする富裕層がいる。その富は間違いなく新自由主義というイデオロギーにより低所得層から奪ったものだ。ほどなく新マルクス主義は復活し、思想のスタグフレーションが始まるだろう。(8/16/2007)

 香典の立替分を返すことなどあり、夕方、**と待ち合わせ。たまには自由な時間を楽しもうと早めに家を出た。とにかく暑い。国会図書館が休館なので日比谷図書館へ。いくつかの軽い確認案件にあたってノート。センスのいいパートナーがいれば、時間はかからないことを実感。

 朝青龍に対する処分。二人横綱になったからなのか、従来さして厳しい処分をしてこなかった相撲協会が、一気に二場所にわたる出場停止とその間の自宅謹慎処分というのは、ギャップが大きすぎるのではないかと思わぬでもなかった。もちろん発端となったのは怠業であるから朝青龍に非があることには明らかだが、仮病を理由にズル休みというのはどこにでも誰にでもある話だろう。逆に、出場停止の間、自宅と部屋と病院以外に行ってはいけないというのはいささか常軌を逸してはいまいか。これは「閉門」というよりは「蟄居」に近い。

 二宮清純は「日本相撲協会というのは公益法人、地方巡業は公への義務、それを嘘の理由をもうけて拒否するというのは、単に会社をさぼるような話ではない」と言っていた。それを聞いて協会の怒りはそのあたりからくるものと理解していたが、「月刊『記録』編集部」ブログの「朝青龍擁護と巡業をめぐる深い確執」を読むと、どうやらもう少し根の深い「感情論」が隠されているようだ。

 おおよそこんな話だ。大相撲協会の理事長は、現在、北の湖が努めている(02年〜)が、先代(98年〜02年)は時津風(元大関初代豊山)、その前(1992年〜98年)は境川(元横綱佐田の山)が努めていた。境川理事長は在任中にいくつかの改革を行った。その中に地方巡業の興行主体を伝統的な勧進元制から協会直営制にするというものがあった。理由は勧進元に暴力団が絡んだり、また勧進元の取り仕切り方によっては力士の稽古環境の悪化につながっていたことがあった由。この改革(これ以外にも年寄株の扱いなどがあった)に猛烈に反対したのが高田川(元大関前の山)だった。高田川は98年の理事選へ周囲の反対を押し切って立候補し、これがもとで高砂一門を破門された。

 その時、境川理事長が辞め、理事長のイスは時津風と北の湖で争われた。結果は時津風5票に対し北の湖5票、北の湖が辞退することによって時津風が理事長となったが、このとき高砂が時津風を支持したのに対し高田川は北の湖を支持した。地方巡業は時津風時代までは境川改革をうけて協会直営であったが、収益性の点では問題があったこともあり、北の湖が理事長になってから勧進元制に戻された。この巡業部を預かる副部長は、現在、境川改革に反対していた高田川が務めている。北の湖−高田川ラインにとっては勧進元制で行う地方巡業を高砂部屋の朝青龍が軽視することにはなにかしらカチンとくるものがあるのではないか。これがブログの指摘。

 いささかヒステリックな感じを受ける朝青龍処分、そして高砂親方の「子供の使い」のような右往左往などはこれらのことを念頭に置いてみると腑に落ちる気がする。(8/15/2007)

 きのう書いたことの続きになるニュース。ことは防衛相の事務次官人事。現在の事務次官は守屋武昌だが、就任は03年8月。自衛隊のイラク派遣や米軍の再編問題などをかなり強引に進める一方、相当に先を見た人事配備をしてきた強者でもある。一例は昨年の海上幕僚長と防衛大学校長の人事だ。それぞれに誰が就任したか(吉川栄治・五十旗頭真)よりは、メイクしなかった人名をあげておく方が記録になるだろう、前者は香田洋二、後者は中西輝政だ。

 もともと守屋は昨年やめてもおかしくなかったとされる。それが離任後までを睨んだ人事までやれたのは小泉−飯島の覚えがめでたかったからに他ならない。しかしここからが分からない。たしかに額賀−久間のつながりに小池という変な「接ぎ木」がされたいま、守屋の更迭は既定方針になったのかもしれないが、最大の課題であるテロ特措法の延長と取り組むためには守屋の留任という選択もあり得たはずだといわれている。

 分からないのはそれだけではない。アメリカによる信任をバックに留任を狙った小池は、いくらそれが盤石の支援になると確信しても、内閣改造を目前にしたこの時期に事務次官人事に着手する必要はなかったはずだ。ところが彼女はわざわざ渡米前に、通常の手順とされる現職次官との協議、正副内閣官房長官との人事検討会議を経ずに、後任(西川防衛省官房長)に内定を言い渡し、その後に守屋にこれを伝えようとした。実際には守屋とは連絡が取れず、報道後に守屋は知ることになった。手続きの問題だけではない。後任の西川は警察庁出身、生え抜きではない。庁から省に昇格した防衛省メンバーには積年の思いがあるという。三流官庁として有力官庁からの出向者に次官になってもらうことを、心は別にして頭で納得してきた彼らにとって、省として純粋「初代」事務次官こそ生え抜きからと思う気持ちは強かっただろう。小池はそれらを知らずにいたのか、それとも知りつつ無視したのか。

 「虎の威を借る狐」の発想で保身を図るほどの知恵がありながら、こんな簡単な知恵が出ないというのは不思議な話。小池百合子の狡さに舌を巻く一方で、逆に愚かさに唖然とする。とすると、訪米プランは彼女が考えたものではなく、誰かが書いたシナリオだったのかもしれない。そう考えると、この間の事実の説明がつく。まだ報ぜられていない何かがありそうな気がしてならない。(8/14/2007)

 神浦元彰のホームページ「最新情報」、10日から12日の記事が興味深い。

 神浦は「この厳しい時期に日本の防衛相が訪米すれば、アメリカは厚遇すると読」んで、「シーファー駐日大使に頼んで調整を依頼した」「小池氏の嗅覚に感心する」と書いている。日本新党を振り出しに、いつのまにか政府中枢に足場を築いた小池百合子に並々ならぬ野心が見て取れることは事実。上智大(野田聖子)、神戸大(高市早苗)などの「土着感覚」と一線を画するカイロ大学卒の経歴はダテではないのかもしれない。

 神浦はさらに、小池防衛相は「ワシントン到着後は防衛省職員との食事会をキャンセルし、ボルトン前国連大使ら十数人の米国人脈の集まりに変更した。ここでいうワシントンの防衛省職員とは、日本大使館で勤務している防衛駐在官(陸海空)たちのことである。アメリカの最前線で勤務する防衛駐在官よりも、政治的な野心に満ちた防衛相はシーファー大使がセットしたアメリカの要人たちとの親睦パーティーを優先している」。「守屋防衛次官の退任を決めた小池防衛相は、沖縄の普天間飛行場移転など、地元との調整に難航する政府内や自民党・国防族内の対立に、アメリカ側の不満を感じ取って動いた可能性が極めて高い。それを受けて、米側からは『従来の経緯を整理し、懸案を早く解決して欲しい』とのも声が聞こえていた(読売 同日 朝刊)という。これは今回の守屋防衛次官追放、自民党の国防族・解体を主導しているのは、アメリカのシーファー大使の演出のように見えてくる」。「そのシーファー大使の駒に使われた小池氏は、シーファー大使がセットしたアメリカ政界との人脈をアピールして、内閣改造で次期防衛大臣への続投を主張する。これが基本原型のアメリカ流・日本政界操作術である。安倍首相にはアメリカの威を振りかざす小池防衛相の続投を拒否出来る力はない」と書いている。

 おそらくこの見方は正しいだろう。これを見て「恐るべし小池百合子」と思うか、「結局のところ、アメリカの走狗として栄達を図る奸物に過ぎぬ」と思うか、それは見る者の見識をあらわす。神浦は「小池氏は権力闘争が何であるかご存じの様である。しかしこのようなタイプは権謀術数で一時的な勝者になっても、謀略と人の欲で得た地位は長続きしないというのが私流の考えである」と書いた。まったくその通りだと思う。(8/13/2007)

 よる9時からのNHKスペシャル「鬼太郎が見た玉砕−水木しげるの戦争−」を見る。

 軍隊は命令が全うされてこそ軍隊たりうる。だから命令を発する者がそれなりの人物でない場合は軍隊は限りなく滑稽な存在になりうる。水木が所属した部隊に着任した新任の少佐が「大楠公の精神に倣い」を連発したあげくに「総員玉砕」命令を下す。水木の所属する小隊は成り行きで玉砕し損ねる。それを聞き及んだ司令官は腹心の部下に命ずる、「玉砕命令は果たされねばならぬ、そのための全権を貴官に委任する」と。理不尽といえば理不尽な話だが、軍隊のプライオリティの最上位にあるものは「命令の貫徹」であり、この原則をないがしろにして軍隊は成り立たない。派遣された将校は、小隊長の責任を問い自決を強要する。二人の小隊長はそれぞれピストルをこめかみにあてみごとに自決する。

 ピストルを使えば自決し損ねるなどということはあり得ない。そのピストルを使って自決し損ねた軍人がいる。小隊長をつとめる尉官ではない。天下の陸軍大将、東條英機閣下だ。この大将さん、ピストルを腹に当てて、ぶっ放した。死ねるわけがない。死ねないどころか、占領軍に逮捕され、絞首をもって刑死させられることとなった。なんとまあ無様な死に方をしたものか。子々孫々、末代までの恥とはこのこと。かような祖父のどこが誇りうるものか知らぬが、その祖父の孫娘が先の選挙に立候補していた。もののみごとに落選したが落選の弁を問われて、「いまの若者に日本の誇りを伝えるため」と宣っておった。伝えるのは大将直伝の「恥知らずの心」か。

 思わず話が逸れた。水木の小隊には再び玉砕命令が下る。もともと国家の理不尽を体現するものが軍隊である以上、軍隊とは理不尽なものなのだ。だから国家の目指す方向は可能な限り理性的であり具体的でなければならない。(8/12/2007)

 10時過ぎに豊里を出て***(略)***伊豆沼のほとりのレストランに行く。伊豆沼を出発したのは3時少し前。築館のインターからはいる。下り車線はかなり渋滞しているようだったが上り車線は順調。国見峠と大谷で休憩。外環渋滞10キロの案内表示を見て久喜のインターでおりた。到着は7時半、帰りはあまり疲れを感じなかった。

 丸4日ぶりにネット環境に戻った。さっそく新聞各紙のヘッドを一覧。毎日のトップの見出しは「従軍慰安婦:フィリピン上院で決議案提出/日本に謝罪要求」だった。

 第二次大戦中の従軍慰安婦問題をめぐり、日本政府に謝罪などを求める決議案が11日までに、フィリピン上院に提出された。下院でも同様の動きがあり、同国の元慰安婦らがつくる団体などは同日、米下院本会議が7月末に可決した決議を評価するとともに、フィリピン上下両院での動きを歓迎する声明を発表した。
 決議案は日本政府の公式謝罪と補償や、フィリピン政府の医療支援などを求める内容。野党議員が7月末に提出した。過去にも提出例があるが、元慰安婦のフリア・ポラスさん(78)は「フィリピン議会が米議会と連帯することを願う」と訴えた。下院では今月中旬に野党議員数人が連名で提出する予定。

 MIXIのニュース一覧を縦覧してみた。MIXIニュースのソースは読売・時事通信が主だが毎日も対象になっている。ところがこのニュースは採られていない。どうやらMIXIというのはこの程度のセンスらしい。

 もっとも、サンケイ・読売は当然として、朝日・日経のサイトにも該当の記事はない。右翼マインドの人々、なかんづく「嫌韓派」・「嫌中派」を自称する瞬間湯沸かし器型の単細胞人士にとって、彼らが呼ぶところの「反日」がその主張の範囲を超えていくのは精神安定上よくないことに違いない。だからあの愚かしい意見広告にオランダ政府がどのように反応したかとか、アジア各国がどのように受け止めているかということはことさら無視をしたいことがらになる。「反日」新聞サンケイ・読売はかつての「プラウダ」そのものだから、都合の悪いことは報じない。また「右を見て左を見て」おずおずと紙面を作っている朝日・日経も安全第一だから、これを報じないのだろう。

 サンケイなどは「慰安婦決議」そのものが中国の陰謀であるという、あの意見広告の愚かしさを数段上回る愚かな記事を書いて、読者に媚びるていたらく。

 しかし現実は彼らの視野範囲や願望とはまったく無関係に時々刻々と動いている、当たり前のことだけれど。(8/11/2007)

注) 日経は8/13になって、この件の共同電を報じました。

 豊里に帰って、どこにも行かず、一日を過ごしたのははじめて。

 本は4冊持参。マイブームの朝河貫一のために阿部善雄の「最後の『日本人』」、愛想を尽かしつつある民主主義のために小山勉の「トクヴィル」、ベストセラーになっているらしい福岡伸一の「生物と無生物のあいだ」、もう一冊は「朝河貫一 比較封建制論集」。最後のものは阿部の本を読みながら、突然、参照したくなったときのため。

 まだお盆前ということもあって、さほど人の出入りもない。しかしとにかく暑い。豊里に帰って、暑さのために読書に集中できなかったのははじめてのこと。

 比較的読みやすい評伝ものを持参したのに、きょう一日で文庫本を百数十ページ、やっと「入来文書」研究に関するところまで。夜になっても蒸し暑さがなかなか解消しない。このうちにはエアコンなどという気の利いたものはない。まいった。(8/10/2007)

 **(義父)さんはずいぶん耳が遠くなったようで、かなりのボリュームでテレビを見る。離れた部屋でも普通の音量で聴くことができる。

 いわゆるワイドショーなるもの、音だけが聞こえてくる。「朝青龍問題」。もともとは診断書を提出し夏巡業を休んだ朝青龍がモンゴルに一時帰国し、彼の地でモンゴル政府主催の青少年向けサッカー行事に出場していたことが発端。「疲労骨折を理由に協会の公式日程を休みながら、帰国先でサッカーをするなど言語道断」と相撲協会は、先週、秋場所と九州場所の二場所の出場停止と九州場所千秋楽までの謹慎処分にした。騒ぎは今週まで続き、処分にショックを受けた朝青龍が軽度の鬱症状に陥り、診察をした医師がモンゴルでの転地療養も必要としたことが伝えられた。事実はたったこれだけのことなのだが、もともと土俵上のマナーに問題がある、横綱としての品格に欠けるなど、根強いアンチ朝青龍派(**(家内)などはその代表格)がいることから格好のバッシング対象になった。

 ワイドショーの取材はじつに行き届いていて、まず、朝青龍の父親が「力士がサッカーをしてはならないというルールがあるのか」と言っているとか、母親は「水を飲んだ場所でのルールに従うのが道理だ」と言っているとかというモンゴル国内での反響を取り上げ、続いてなんとかいう相撲解説者に「横綱の年収は2億円は下らないでしょう」とか、「高見山から白鵬まで高位に登り詰めた外国人力士がすべて日本人のお嫁さんを貰い帰化しているのに対し朝青龍はモンゴル人妻で帰化の意思も明らかにしていない、最初から出稼ぎ意識で横綱を張っている」と語らせ、あげくにモンゴルの投資銀行のホームページには朝青龍の兄の名前が出ていると繰り返し流す。母親の言葉を唯一のバランサーとして公正を装う一方、「事件」の本質(「休暇申請事由を疑わせる行動不届きにつき処分す」、処分に伴い負いたる「傷」もまた協会の判断による他なく、この問題は終始、朝青龍の問題に非ずして日本相撲協会の問題なり)にどのように関係があるのか分からないことを井戸端会議並みのセンスで取り上げている。

 そのワイドショー、「朝青龍問題」の次は「イルカの遡上」ときた。音声のみで聴けば、大の大人が声音を変えて喧喧諤諤する話とも思えず、失笑するのみ。(8/9/2007)

朱記部訂正します。

ネット環境がないと肝心のことが確認できませんねぇ。記憶に頼る話になると、最近はとみに記憶が悪くなって・・・。以上、いいわけ。

 立秋。きょうから金曜日まで休暇を取って豊里へ。10時前に出発したのに、所沢インター近くの交差点で工事。クロスする道路のことを考えたならば、交通整理要員を5名はたてるべきところ3名。浦所バイパス方向からの右折車の裁きができていないから、すさまじい渋滞になっている。インターにはいるまでに30分以上を要し、やっと入った関越は新座の料金所の手前からずらっと並んでいる。外環にはいるまでに40分。これならいっそ久喜あたりまで下を行った方がはるかに早かったかもしれない。

 東北道は順調に流れていた。那須高原で昼食休憩。携帯に**のお母さんの訃報。早朝のことらしい。**と**・**にメール。携帯メールはインプットが面倒。小一時間休憩することになった。

 仙台宮城でおりて永昌寺へ。方丈さんにご挨拶をして墓参り。**のうちによって豊里着は7時。渋滞があったり、あちらこちらに寄ったりで、かなり疲れた。

 帰省は田舎を持たなかった身にはいいもの。とくに家内の実家はこの時期は涼しいし、ここに来れば快眠・快食・快便とすこぶる居心地がよい。難点は風呂にシャワーがないことと、ネットワーク環境がないこと。この二つが解消されるなら半月や一月は居てもいい。

 その問題の風呂、すでに竈は捨ててガス、浴槽はタイル張りからステンレスに変えている。そういえば新座の家もステンレス浴槽だった。思わず知らず、ステンレス浴槽につかる父・母の姿を連想する。**(義母)さんが亡くなって8年と少し。**(義父)さんの一人暮らし。

 この国にはいまいったいどれほどの一人暮らしの老人がいることか。田舎ばかりではない、都会にも一人暮らしの老人は充ち満ちている。一人一人の老人の孤独を足しあわせたら、どれほどの量になるのだろう。たしかに一人暮らしは老人に限った話ではない。そして人間は本質的に孤独なものだ。だが本来の意思とは必ずしも一致せずして、当然視されるようにして一人暮らしでいる。では、**(義父)さんをどうするのだというと、どうすべきかということさえ浮かばないのだけれど。(8/8/2007)

 参院選の結果が出て、慰安婦決議があったあたりからのMIXIやら、あちらこちらのブログやらを興味深く眺めてきた。さすがに右翼マインドの人々も、相当のおバカさんでも、手ひどいパンチを顔面に食らったということぐらいは分かるらしい。それでもノエル=ノイマンのいう「沈黙の螺旋」(この言葉は「現代」8月号の辺見庸「潜思録」で知った。以来、その本を探しているがアマゾンの古本にも引っかからない)に陥らないところはなかなか見上げたものだ。

 必死の気持ちで「仲間誉め」し、「現実」から喰らわされた痛棒の痛みを癒そうとしている。それを嗤う気持ちはさらさらない。しかしそれでも嗤いを禁じ得ないのは書いている内容がいかに何でもお粗末だからだ。少しばかり時間が経って自分が書いたものを読んだら、あのゾンビさんたちも自分たちの立ち小便の痕跡に鼻をつまむだろう。臭いが耐えきれないだけではない。ちょっとばかり「現実」が強固な実態を見せるや、立ち小便でも何でもしてしまうという自分たちの情けなさが耐えられなくなるはずだ。

 「沈黙の螺旋」ではなく「無意味の螺旋」。

 「沈黙の螺旋」は、時に、論理をよりいっそう研ぎ澄ますことがあるものだが、「無意味の螺旋」はますます彼らの脳みその腐敗を進行させるだろう。

 あしたは440キロのロング・ドライブだ。もう寝なくては。(8/7/2007)

 夜、**の社員クラブで、***(略)***という顔ぶれで飲む。あまり厳格に利用資格を問われないらしく社員が仲介しなくとも入れる由。高くはない、というよりは部屋、料理、酒、サービス、総合すれば安い。

 9時過ぎまで歓談、「あと一時間」と二次会に誘われたが、いつもだらだらとつきあわない***さんを見習って帰ってきた。君子の交わりは水の如く淡し。どちらかというと濃厚な酒が好みであったが、嗜好が変わったか? 呵々。(8/6/2007)

 朝刊記事に今回の中越沖地震のデータと柏崎刈羽原発の設計値に関するデータが載っている。

 新潟県中越沖地震で、東京電力柏崎刈羽原発で観測された揺れは、04年の中越地震の最大約10倍に上ることがわかった。3年前は、揺れが設計時の想定値内に収まったが、今回は想定値の2倍近い揺れだった。東電幹部は「中越地震で大丈夫だったのだから、耐震性は問題ないと確信していたことは否めない」としている。
 04年中越地震は、震源は原発から約28`、深さ約13`、マグニチュード6・8。原発がある刈羽村では震度6弱を記録した。今年の中越沖地震は、震源は原発から約16`、深さ約17`、マグニチュード6・8。震度6強を観測している。
 東電によると、04年中越地震の観測データで現在残っているのは5、6号機分。
 地震で天井クレーンに3カ所の破損が見つかった6号機では、設計時の最大地震動の想定値(水平方向)は、地下3階で263ガル(ガルは加速度の単位。1ガルは1秒間に秒速1aの加速)、1階338ガル、4階471ガル、天井部785ガルと地表から離れるほど大きくなっている。想定値は国の耐震指針に基づいて設定した。
 04年中越地震では、それぞれ59ガル、64ガル、85ガル、140ガルで、想定値内だった。しかし、今回の中越沖地震では336ガル、459ガル、731ガル、1459ガルで、想定値の1・3〜1・9倍。3年前と比べると約5〜10倍だった=グラフ。5号機でも、3年前の揺れと比べると約6〜8倍の大きさだった。
 東電幹部は「中越地震でもあのような揺れで収まったという自負があった。今回の地震で大きな被害が出ている以上、過信と言われても仕方がない」と話す。
 新潟県の斎田英司・危機管理監は「想定外の地震に見舞われた原因を国の責任で解明してほしい。耐震基準も見直しが必要だ」と求めている。

 いかに危ない橋を渡っていることか。いつも思うことだが、これが製鉄所なり、石油化学プラントというなら、何も心配はしない。しかし原子力発電所となれば、それはそういう施設とはまるで性格の違う施設だということ。そのことはチェルノブイリの子供たちを思い出せば、誰にでも分かることだ。(8/5/2007)

 大敗を喫してなお総理の座に居座る男の言動を見ているうちに思い出した本がある。エーリッヒ・フロムの「悪について」。**(実家)の本棚にあるはずと思って、**(母)さんのパジャマを洗濯機に放り込んでから小一時間探したが見つからない。こちらの本棚にもない。青を基調にした薄手の箱入りだったはずだが見つからない。ないとなるとよけいに読みたくなるが、仕方がない。

 記憶によれば、フロムは人間の成長を阻害する性向として、「ナルシシズム」、「近親相姦的固着性」、「屍体愛好(ネクロフィリア)」をあげていた。

 安倍晋三という男には気味が悪いほどこれらが当てはまる。

 まずナルシシズム。ナルシシストというのは、ふつうには「うぬぼれや」さんのことだが、安倍の「国造り」に関する使命感などはナルシシスト的特徴をよくあらわしている。ひとことで言ってしまえば、使命感という主観性はあるが、対象たる「国造り」の内実という客観性はゼロだ。外箱はあっても箱の中身はない。しかし彼自身は「使命感を持っている自分」の姿に陶然としているふしがある。「・・・わたくしがお約束いたしました国造りに向かって・・・」、視線をあらぬ方向に向けてこう語る様は、見ているこちらにとっては気味が悪い。

 近親相姦は安倍の内閣の基本的ポリシーになっている。基本的に安倍の世界は祖父の岸信介が彼に吹き込んだ戦前レジームを安住の地とする閉じた世界になっている。安倍にとって、その安心を乱す歴史上の新しい状況はすべて恐れの対象なのだ。だからそういう固着した世界観を共有する者としか話はできないし、また理解力もその枠を超えることができない。安倍が「お友達内閣」を作り、霞ヶ関の高級官僚とサシで会うことを嫌うのはそのために他ならない。(もちろん、学歴コンプレックスというのも大きい要素としてあるのだろうが)

 最後にネクロフィリア。ネクロフィリアは必ずしもアブノーマルな屍体性交にだけ現れるのではない。本来生き生きした活発なものに向かうのが自然である人間の気持ちを、屍体に代表される動かないモノ、自分に刃向かわないモノ、ぎりぎり譲歩したとして、生意気な口をきかないモノにのみ向かわせることができるという性向のことを指す。政治家であるから、いまのところ、こういったところは隠されているようだが、有力な論敵に対したときの彼のじつに子供っぽい攻撃性にはその片鱗が現れている。

 安倍晋三とその内閣はこれからさらに厳しい状況にさらされるだろう。この興味満点の人物をじっくり観察できるというのはまことに楽しみなことだ。(8/4/2007)

 品質管理学会の事業所見学会に参加。JFEスチールの千葉工場(正確には東日本製鉄所千葉地区)。600メートルの完全自動、連続鋳造・熱間圧延プロセス。これがあるのはJFEの他は新日鐵とPOSCOの三社である由。転炉から鋼板の巻き取りまでの一貫プロセスを直接見たのははじめて。暑さを忘れる2時間だった。

 夕刊一面トップは「減る賃金 増える残業」の見出しで07年度版労働経済白書の紹介。

 賃金面では、80年代や90年代の景気回復期と、02年からの今回の景気回復とで賃金上昇率を比較した。
 今回の景気回復では、景気の谷だった02年第1四半期に比べ、06年第4四半期の賃金は従業員500人以上の大企業でも0.3%増でほぼ横ばい。100〜499人の中堅企業では1.2%減、5〜29人の小規模企業は5.3%減と、むしろ悪化した。物価上昇率を反映した06年平均の実質賃金は、前年に比べ0.1%減った。
 これに対し、80年代の景気回復は小規模企業のデータがないが、大手や中堅でみると、83年第1四半期からの回復時は賃金が9.1〜5.0%上昇。86年第4四半期からの回復期には、18.7〜14.1%増えた。93年第4四半期からでは8.4〜3.9%増だった。
 一方、06年の労働時間は残業が5年連続で増え、総労働時間は前年比0.5%増の年間1811時間だった。若年層を中心に労働時間が短いパートが増えたものの、働き盛りの30代や40代の正社員に仕事が集中。週60時間以上働く人の割合を96年と比べると、35〜39歳が19.6%から21.6%に、40〜44歳が16.3%から21.2%に、45〜49歳が14.9%から18.3%に上昇した。

 「解説」にはもう少し刺激的な話が書かれている。

 バブル経済崩壊後の長期不況を経て、日本経済は小泉前政権下の02年2月から、戦後最長の「いざなぎ景気」を超える景気回復局面に入った。企業の経常利益は01年度からの5年間で1.8倍に増え、役員賞与も2.7倍、株主への配当金も2.8倍に激増した。
 ところが、労働者への報酬はこの間に3.8%減少。過労による精神障害の労災認定件数は06年度に過去最高に上った。

 一般勤労者の給料が減少する中、2〜3倍増の高収入を得ている高額所得者への累進税率は所得税においてはかつての70%(1984〜87年の8000万以上)から順次引き下げられて40%(1800万以上)に緩和され、住民税に至っては累進制は撤廃され、200万であろうが数千万であろうが一律10%になってしまった。つまり高額所得者の税負担は一貫して軽くなっているということだ。

 また、恒久対策として導入したはずの定率減税がことし全面撤廃されたにもかかわらず、特例措置として実施されていた配当課税や株譲渡益課税はことしも10%の特例税率が維持された(本来は20%)。

 そして出てくる話は「消費税率」のアップの話ばかり。この国は所得の多寡に応じて応分の社会的責任を果たそうという基本的な考えを既に捨て去っている。(8/3/2007)

 阿久悠が亡くなった。きのう未明のこと。作詞曲は五千曲を超える由。

 作詞家の名前はあまり意識されないものだ。だから阿久悠の名前を憶えた最初の曲は「ジョニイへの伝言」か、「五番街のマリーへ」だったと思う。「ジョニー」ではない、「ジョニイ」。阿久悠自身も「ジョニー」と書いて訂正されることがよくあったという。理由はこの歌は曲が先行していて、出だしの4音が「ジョニー」というよりは「ジョニイ」だったと彼は「愛すべき名歌たち」の中で書いている。

 このふたつの曲は歌詞からではなくメロディーに惹かれるところから頭に入った。「いい曲だなぁ、ペドロ&カプリシャスかぁ、こういう曲が普通に日本でできるようになるにはどれくらいかかるのかなぁ」。

 ペドロ&カプリシャスの最初のヒット曲「別れの朝」に、「やっと日本にもこういう曲を書く人が出てきた」と喜びウド・ユルゲンスの作と知り落胆した経験から、ふたつの曲の作者が都倉俊一という日本人だと知ったのはずいぶんしてからだった。

 「ジョニイ」も「マリー」も「外国人」だと思いこんでいた。とくに「五番街のマリーへ」のイントロは秀逸で、「ロック・ローモンド」を借りて懐かしさを誘い、一気に「五番街」という国籍不明の街に想いを運び去るという仕掛けになっていた。

 その作曲が日本人によるものと知ってハミングするうちに歌詞がごく自然に染みてきた。それはたしかにいままでの「歌謡曲」とは違っていた。身の回りのどこか、時代が変わっているのに掬い取られていないところを掬い取っている歌詞だった。阿久悠の詩はほぼ我々の世代をみごとにカバーした。あえていえば「通俗的に」。というわけでカラオケで選ぶと阿久悠になってしまう。ただ本当に好きなのは、なかにし礼のいくつかの曲(「別れの朝」はなかにし礼)になる。

 少しだけこのニュアンスの違いを書いておく。

 たとえば「ジョニイへの伝言」の彼女は「友だちなら/そこのところ/うまく伝えて」という、自分の道を行く決然とした姿勢はあるが、それを伝えずにはおれないところがべったりとしていて鬱陶しい。少しも「歌謡曲」の引力圏から脱しているわけではないのだ。対するに「別れの朝」の彼女は「一人残るわたしは/ちぎれるほど手を振る/あなたの目を見ていた」と自己観察をする。訳詞という事情もあるのかもしれないが、こちらは際立つ「孤独」の余韻を残して味わい深い。似たような対比は北原ミレイが歌った「ざんげの値打ちもない」と「石狩挽歌」にも見ることができる。

 月曜日には小田実が亡くなった。火曜日にはイングマール・ベルイマンが、そしてミケランジェロ・アントニオー二の亡くなったニュースが伝えられている。順番に扉が閉じて行くような心地。(8/2/2007)

 赤城農水相が「辞任」した。新聞各紙の正午時点での書き方をそのまま書き写しておく。

【朝日】 安倍首相は1日、首相官邸に赤城徳彦農林水産相=衆院茨城1区選出=を呼び、赤城氏の政治資金をめぐる問題を受けて辞表を提出させ、受理した。
【毎日】 赤城徳彦農相(衆院茨城1区)は1日、首相官邸に安倍晋三首相をたずね、政治団体の事務所費をめぐる問題や参院選惨敗に影響した責任を取り辞表を提出、首相もこれを受理した。
【読売】 赤城農相(衆院茨城1区)は1日午前、首相官邸に安倍首相を訪ね、自らの政治団体の不適切な会計処理により政府や与党に迷惑をかけ、参院選惨敗の原因を作ったとして、辞表を提出した。
【日経】 赤城徳彦農相は1日午前、首相官邸で安倍晋三首相に農相を辞任する辞表を提出し、受理された。
【東京】 赤城徳彦農相は1日午前、自らの政治団体の事務所費問題をめぐり、安倍晋三首相に辞表を提出、首相は受理した。
【サンケイ】 安倍晋三首相は1日午前、首相官邸に赤城徳彦農水相を呼んで会談した。この席で赤城氏は辞表を提出し、首相もこれを受理した。

 安倍が赤城を呼んだのか、赤城が安倍を訪ねたのか、いずれであるかにより「更迭」されたのか、「辞任」したのかがわかれる。NHKよる7時のニュースは「呼んだ」と報じていたし、なにより赤城自身、「官邸で辞表を書いた」と言っているから、安倍が赤城を呼び、辞表を書かせたというのが「真実」だろう。辞任するために自ら官邸を訪れたというなら、いくら赤城が知恵の足りない坊やでも、また安倍が睨みのきかないバカにされきった任命権者であったとしても、「辞表」の紙切れくらいは懐に入れていただろうから。とすると、毎日と読売の記事は「真実」を伝えていないし、第一報を「・・・呼び、提出させ・・・」と書きながら夕刊(3版)に「赤城徳彦農林水産相は1日、首相官邸に安倍首相を訪ね、自らの政治資金をめぐる問題を受けて辞表を提出し、首相は受理した。政府高官は、首相が赤城氏を呼んだとしており、事実上、更迭した形だ」などと修正した朝日は何を恐れてこのようなことを行ったのか。
 
 しかしそれよりなにより、今頃、馘首にするくらいなら、なぜ選挙前に馘首にしておかなかったのか、こちらの方がもっと大きな疑問だ。

 「戦力の逐次投入が最悪の選択」であることは、少しでも仕事をしたことがある者は誰でも知っていることだ。この場合に即していうならば、守勢に回ってから部下を馘首するのはリーダーの弱さの表れととられるし、また、実際そういうリーダーに人望は集まらない。

 いくら安倍が思慮の足りないウツケだとしても、最低それくらいのことは分かっているだろう。それでなお、きょうの更迭劇。論理的に考えられこととしては、こういうことぐらいか。つまり、安倍はかなり早い段階から敗北を覚悟していた。しかし続投の意思もまた固めていた。選挙に敗北しながらの続投宣言には強烈な批判が出るだろう。どうするか。よし、その時は赤城をスケープゴートにしよう。すべては赤城が悪い、赤城の馘首を差し出して、自らは逃げ切ろう。そのように安倍は考えていた・・・と、こういうこと。そう考えると、安倍が赤城を擁護し、選挙期間中も引っ張り続け、いまこの段階で衆目環視の中で打ち首、獄門にした理由が説明できる。

 この仮定の弱点は安倍が選挙期間中に「わたしをとるのか、民主党の小沢さんをとるのか」と政権選択的な演説をしていたという事実。きのう、自民党総務会後のインタビューで野田毅は「誰でもない、ご自分がそうおっしゃったのだから(その「政権選択選挙」に負けて続投はないだろ)」と苦笑いをしていた。たしかに敗北を覚悟しながら言う言葉とは思えない。でも、ホンマモンのアホならば、あり得ない話ではない。(8/1/2007)

 アメリカ下院本会議は従軍慰安婦に対する日本政府の公式謝罪を求める決議を採択した。

 日本人である以上、このような決議を外国の議会がすることに対する感情的な反発を覚えざるを得ない。とくにアメリカなんぞに偉そうにいわれる筋合いなどあるものかとも思う。

 思えば、この国は、安倍晋三が機会あるごとに終わらせると宣言している「戦後レジーム」のもとで、営々と前の戦争の後始末を行ってきた。そのすべての場面で「日本」という国が得た高評価は、「戦前レジーム」に連なるものとしてではなく、「戦後レジーム」が生み出すもので築き上げたものだ。戦後、日本が世界中で得た尊敬のほとんどすべては(おカネによるものであったと揶揄することはできるとしても)戦争を放棄した平和主義の経済大国という看板で得たものだ。

 それが、なにゆえ、このような恥辱を受けるに至ったか。それは間違いなく「戦前レジーム」への復古を訴える連中がことあるごとに繰り返す発言と愚行によって、我が国が勝ち得たリスペクトをリセットしてきたことによる。今年初めからこの決議に至る過程でも同じことが見られた。安倍晋三に代表される愚か者たちがどれほどこの国の国益を損なったことか。真に「反日的」なのは彼らだ。

 さて、ではその「反日的な新聞」はこのニュースをどのように伝えたか。嗤える部分だけを引いておく。

【サンケイ】 決議案の共同提案者は下院議員総数435人のうち167人に上ったものの、決議案が採決された際に本会議場にいたのは、わずか10人程度。発声による投票の結果、出席者から異論は出なかったため採択された。
【読売】 外交委員会で6月26日に39対2の賛成多数で採択された。共同提案者は30日現在で167人に達した。この日の決議は、手続きを簡略化し、下院(定数435)の定足数(218)未満でも審議できる「議事規則の適用停止」が適用された。実際に出席した議員は数人で、発声による投票で異議は出されず、議長が可決と認定した。

 採決時、議場には多くとも10人程度しかいなかったようだ。「エッ、これで採択か?」と、誰しも、思う。いくつかのマスコミサイトを調べてみた。北海道新聞のサイトにこんな記事があった。

この日の採決は発声方式で行われ、本会議場の議員から異議は出されず、議会規則が定める「三分の二以上の賛成」と認定された。

 国会図書館が発行している月刊「リファレンス」の2004年5月号に「アメリカ連邦議会上院における立法手続き」という記事が載っている。その中から「発声投票」に関する部分を書き写す。

 上下両院とも、表決の方法には次の3つがある。@発声投票(Voice Vote)、A起立(分列)投票(DivisionVote:一般的にはStandingVote)及びB記録投票(Recorded Vote)である。
 記録投票は、憲法及び上院規則に基づく表決方法であるが、発声投票と起立投票は、慣行に基づく表決方法である。また、発声投票と起立投票は、記録投票の場合と異なり、定足数の存在は問題とされない。なお、上下両院とも、重要な問題については、発声投票の後、ほとんどの場合に記録投票の実施が要求されており、起立投票は実際には稀となっている。

(1)発声投票
 各院とも、ほとんどの問題は、まず発声投票にかけられる。発声投票では、議事主宰者は、最初に賛成者に対し「賛成」(Aye)と応えるよう求め、次いで反対者に「反対」(No)と応えるよう求める。議事主宰者は、どちらの声が優っていたか判断し、賛成(又は反対)が多数と認める旨を議院に通告する。この議事主宰者の認定は暫定的なもので、これに対して、議員は、起立投票又は記録投票の実施を求めることができる。議員からの要求がなければ、議事主宰者は発声投票の結果を最終的に議院に宣告する。

 北海道新聞の「議会規則が定める『三分の二以上の賛成』と認定された」という部分までは確認できないが、簡略化手続きをとることが了承されたため、採決にそなえて議場内に残った議員の発声で議決されたこと、発声投票後の記録投票の実施が見送られたということは「重要な問題」という認識が議員の中になかったか、あえて日本政府にダメを押すようなことは避けたか、そんなところだろう。

 ところでサンケイの有元隆志という記者は「わずか10人」で採決されたことがどうして有効なのかについて素朴な疑問は持たなかったのだろうか。また、ワシントンに駐在しながら、下院の評決方式について何も知らずに記事を書いたのだろうか。世の中の基準では有元のような記者は「無能」かつ「不勉強な」記者ということになるが、サンケイ新聞ではこれが海外特派するに足る優秀な記者の能力なのだろうか。新聞が新聞だけに「これがサンケイ新聞のレベル」なのか、「この記者がとくにバカ」なのか、いったいどちらか、にわかには判じ難い。(7/31/2007)

 安倍晋三が「改革か逆行か、成長か停滞か」というコマーシャルコピーを絶叫した、参院選の結果を記録しておく。投票率は全国で58.64%。04年が56.57%、01年が56.44%とのことだから、関心が高かったということだろう。なにしろ、**(上の息子)が投票に行ったくらいだったのだから。

選挙区 比例区 当選数 改選議席 新勢力 改選前
自民 23 14 37 64 83 110
民主 40 20 60 32 109 81
公明 2 7 9 12 20 23
共産 0 3 3 5 7 9
社民 0 2 2 3 5 6
国民新党 1 1 2 2 4 4
新党日本 1 1 0 1 0
諸派 0 0 0 0 1 1
無所属 7 7 1 12 6
73 48 121 119(欠2) 242 240(欠2)

 新聞各紙のサイトのけさのトップ見出しを書き抜いておく。

朝日 自民、歴史的大敗 民主躍進、初の参院第1党
毎日 参院選:自民歴史的惨敗 安倍首相は続投表明
読売 与党惨敗・過半数割れ、民主第1党に…安倍政権に打撃
日経 自民惨敗37議席、民主躍進60議席・参院選全議席確定
東京 自公惨敗首相は『続投』 民主、第一党に躍進
サンケイ  安倍首相、改革へ続投表明

 他紙が読売を含めて「惨敗」の言葉を使う中、「惨敗」とも「大敗」とも書けず、「敗北」の言葉すら使えなかったサンケイ、受けたショックがよほど大きなものだったことが読み取れる。

 04年の参院選は、少なくとも議員数だけからいえば、自民党は敗北したわけではなかった、たった1議席を失っただけだったから。しかし、今回の選挙はまさに「歴史的」という形容に恥じない「立派な敗北」だった。前回の参院選の翌日の日記を見ると、議席数では敗北を喫しなかった自民党がじつは得票率では敗北していたことが分かる。

 夕刊掲載の得票率を書き写しておく。(01年の値はこちらで補足)

選挙区 比例区
2001年 2004年 2007年 2001年 2004年 2007年
自民 41.0 35.1 31.35 38.6 30.0 28.08
民主 18.5 39.1 40.45 16.4 37.8 39.48
公明 6.4 3.9 5.96 15.0 15.4 13.18
共産 9.9 9.8 8.70 7.9 7.8 7.48
社民 3.4 1.8 2.28 6.6 5.3 4.48
国民新党 1.87 2.15
新党日本 3.01
諸派 2.5 0.80 2.5 2.15
無所属 10.4 10.2 8.59

 得票率では民主党はさほど大きく伸びたわけではないこと、比例区では自民党も善戦していることなどが分かる。前回、自民党は選挙区・比例区共々にすさまじい落ち込みをしていたのだから、これは意外といえば意外。ひょっとすると20%から30%のどこかに自民党の「岩盤」があるのかもしれない。

 しかし、日本医師会の武見敬三が落選し、「余人を以て代え難い」と引退から一転出馬した自公連立の連結器たる草川昭三(敬三・昭三・晋三、ただの偶然だろうが、妙に可笑しい)まで落選した。既にこの岩盤も変質し始めたのかもしれない。(7/30/2007)

 自民党に逆風とはいわれていた。週刊新潮などは「『30台の大敗』か、『意外に負けない』か」という苦心の見出しをつけていた。権力相手ならば「チンチン」でも、「お手」でも、「ゴロニャ〜ン」でも、何でもしてみせる太鼓持週刊誌、どんなに悪くても30台はなかろうと思ってつけた見出しだったのだろう。しかしどうやら冗談でもなんでもなく40を切りそうな状勢、「幇間誌」の今週号の吊り広告が楽しみなことだ。

 にもかかわらず、安倍晋三、はやばやといくつかのテレビに出て「続投」を主張していた。まだ票が開ききっていない段階で「敗軍の将」が早々とお出ましになるものかとあきれながら見た。中身はパープリンのくせに、いや、だからこそのことか、この男、無類の出たがり屋さんらしい。

 そのひとこま。病気療養中のせいか、往年の切れ味のない筑紫哲也が質問していた。対する安倍は訊かれたことにはまったく答えられず、壊れたレコードのごとく空疎な言葉を羅列していた。「この男、ホンマモンのアホや」と感心した。(・・・と、ここまで書いて、愕然とした。ふつう、何をどのように答えたかは書けるものだ。しかし無意味な言葉の羅列というのは記憶には残らないようだ。あれは録画しておくべきだった、どれほどひどい男が首相になることができたのか、貴重な記録になったのに)

 それにしても、この段階での「続投」宣言とはね。ならば、よい。我が宰相には是非とも続投に固守していただきたい。誰がなんと言おうと総理の座に固執してもらいたい。内閣支持率が30パーセント台から20パーセント台になろうと、さらには10パーセント台に肉薄しようと、絶対に総理の座を降りないでいただきたい。がんばれ、シンゾウ。権力の座を明け渡すな。かつての「三木おろし」のようなクーデターが起きても、キゼンとして総理の座にしがみついてもらいたい。その方がよい。いずれ、お神輿の担ぎ手が一気に離れ、てっぺんから地べたに叩きつけられ、二度と総理の座をうかがう力がなくなるほどに複雑骨折するがいい、ちょうどおまえの祖父が安保騒動のために、総理の座から転げ落ち、二度とお座敷がかからなかったように、同じ轍を踏んでくれ。

 じつは感心したのは安倍ばかりではない。片山虎之助の敗戦の弁。こちらは皮肉ではない。型どおりといえば型どおりの言葉ではあったが、リアルタイムに聴いた者のハートに「気持ち」の伝わる挨拶だった、と書いておく。(7/29/2007)

 シマンテックの「インターネットセキュリティ」のパターンファイル更新サービス期限があしたで切れる。ひと月ほど前から「警告画面」が現れて更新しろと催促をする。

 死ぬまでに真相を知りたいことが三つほどあるが、その一つは「ウィルス」製造者と「アンチウィルス」製造者の関係だ。まだパソコンソフトがフロッピーで供給されていた頃、コピー防止のための「プロテクト」という技術があった。プロテクト屋はほとんど当たり前にプロテクト解除ツールを作り、平然とそれを商品として一般販売していた。

 たしかに最近の「ウィルス」は愉快犯型から経済利益追求型に重点が移っているから、もはや「アンチウィルス」の需要を創り出す必要はなくなったのかもしれないが、このビジネスを育てる過程で「マッチ・ポンプ」をやった人間・業者がいなかったかどうか、やはりあの世に逝く前には知りたい。

 まずメインマシンのインターネットセキュリティをアンインストールし、新規に購入した「ノートン360」をインストール。シマンテックの印象はかつてよりは悪くなった。去年10月、通常アップデート後にノートンゴミ箱が機能しなくなった。解決までには1カ月半かかった。トレンドマイクロやコンピュータアソシエーツで起きたことが、規模と致命度は別としてシマンテックにも起きた。価格も高い。ソースネクスト製品のような安かろう悪かろうに手を出す気はないが、それでもいささか高すぎる。

 それでもノートンにしたのはユーティリティの一部機能に未練があるから。新規購入したのはモバイルと**(家内)のノート3台までワンパッケージでカバーできるから。バラバラとそれぞれに更新をするよりは新製品を買った方が安い。

 こだわったノートンユーティリティは結局削除されてしまった。これで、次回の更新、シマンテックが高いようならば、いつでも乗り換えられる。つなぎで使ったカスペルスキーは丁寧な作りで、見ようと思うと何をやっているかの詳細がきっちり見える。実効性はともかく最短一時間でパターンファイル更新というのは何となく気持ちがいい。ノートン360は日単位管理、しかも見ようと思っても何をやっているかほとんど見せない。どうもシマンテックはピーター・ノートンに惹かれたパソコン利用者のハートを忘れてしまったようだ。

 3台のインストール、レジストリのリフレッシュ、デフラグなどを繰り返すだけで半日作業。(7/28/2007)

 朝刊に「安心?『年金特別便』」の見出しで、今年12月以降に年金被保険者と受給者全員に送る「年金特別便」に関する記事が載っている。

 ポイントは現在の案では加入年金の種類と月数のみの通知にとどまり、厚生年金の場合支給額を決定する重要なベースである「いくら払ったか」にあたる数値が記載されない見通しであることだ。これに対する社保庁の弁解は次の通り。「優先順位の問題。5000万件の問題で加入履歴が抜けていることへの不安が大きい。標準報酬まで送ると分量が多くなる」。与党はどう弁解しているか。自民党は「あくまで案。今後さらに検討する」としているが、騙すことが最大の目的と考える安倍自民のこと、選挙さえ終われば原案で強行するに違いない。公明党は「『標準報酬とは何か』など、一般の人が理解できる説明をつけないと混乱に拍車がかかるだけ」と説明している由。バカを言ってはいけない、「標準報酬」など、説明パンフレットを一枚同封すれば、某外相の言い方を借りれば「アルツハイマーの人でも分かる」。

 ではなぜ「いくら払ったか」を明示したくないのか。記事にはこんな例が紹介されている。

 仙台市の元会社員斎藤春美さん(49)は、勤務先が社会保険料として給与から天引きした額のうち3割弱しか国に納めていなかったことを知り、国と会社を訴えた。
 裁判で会社側は30万円の月給(標準報酬月額)について「社保事務所の指導に従って、94年から2年さかのぼって(標準報酬月額の)最低ランク(当時8万円)に引き下げ、減額した保険料を支払った」と証言した。

 保険料として天引きしながら会社がそれをくすねてしまうとはひどい話だが、この会社は「社保事務所の指導に従って」と説明している。どういうことか。記事の続きにはこうある。

 ある社会保険労務士は「社保は徴収率が大切なので企業の経営が苦しくて保険料を滞納すると、社員らの給料を低く届けるよう指導することがある。社保の記録間違いも多く、社労士が訂正させた例もある。標準報酬の確認は大切だ」と話す。

 例の分母をごまかす話に似ている。判決と原告のコメントも記事に書かれている。

 仙台地裁は会社に保険料の差額の返還を命じたが、国の責任は問わず、記録も訂正されない。
 斎藤さんは、特別便について「これでは会社側が保険料負担を減らそうと虚偽の申告をしていたら、不正に気づくことはできない」と見る。

 おそらく会社が返還した金額はくすねていた額そのままだったろう。そしてこの間の利息と不正に中抜きをしたことに対する賠償はなかったろう。しかし社保事務所(国)が不正を指導したのだとしたら、返還金を納付してもらい、その金額による給付を約束すべきだ。それが原状回復というものだ。

 社保庁と与党が「いくら払ったか」を通知することから逃げているのはこのような問題が露見することを回避するために違いない。(7/27/2007)

注)朱記箇所訂正します。

 分母をごまかす話というのは一年ほど前、話題になった、徴収率をアップするために納付免除を乱発したやり方のことです。

 今回のこの話は、分子が減らないように、本来、企業が負担する分を減額してあげたということです、社会保険事務所が企業に不正をするように「指導」したというわけ。

 たぶん、おおよそ、こういうことでしょう。

 厚生年金の保険料は本人と会社が折半です。仮に厚生年金分の保険料が1万円天引きされていたとすれば、会社負担も1万円。あわせて2万円が納付されます。このとき会社の経営が苦しいため滞納気味だったとします。ここで社会保険事務所が「じゃ、会社負担を5千円にしてあげるから、納めてね」というと、会社負担に見合う本人負担も5千円になります。会社はまさかそんなとんでもないことを指導されているとは言えませんし、なにより、天引きの1万円マイナス5千円イコール5千円を、本人にはいわずにネコババできるというわけです。ねっ、グッド・アイデアでしょ?!

 警視庁管内で過去最大の被害額という振り込め詐欺の記事が朝刊に載っている。手口も経過も手垢のついたような事件。八王子在住の73歳無職の男性にこの4月のはじめに電話があった。長男を名乗り、「ガソリン相場で損をした。友達から借金をしたが、きょうまでに返済しないといけない」。最初は200万、そして今月10日までに31回、その都度、80〜300万を振り込んで、その総額が5000万。

 どのように考えても迂闊としか言いようがないが、騙される人は騙されるし、騙す奴は騙し続ける。通常、犯罪にあって被った損害は雑損控除として申告できるが、詐欺被害の場合はこの対象とはならない。詐欺というものは被害者側にも不正利得に対する隠れた意思があると看做されるからだそうだ。もしそうだとすると、振り込め詐欺の被害は雑損控除の対象になるはずだと主張できるのだろうか。

 おりしも参院選挙運動期間中。けっして自民党の政策によって報われることのない階層にありながら、自民党に投票する人々は、どこか、振り込め詐欺の被害者に似ている。騙されて自分の首を力一杯絞めながら、そのことに気づかない。まあ他人の迂闊につけ込むことがなくて他人以上の生活ができるという仕掛けは被害者がそれと気づかぬうちは「金の卵」、大切にしておくべきか。(7/26/2007)

 三越と伊勢丹が経営統合を目指して提携交渉を始めているという。三井住友銀行ができてもう何年にもなるのだから別に驚愕の提携話などとは思わない。だいたい、彼の業界状勢がどうだとか、三越ブランドがどうだとか、伊勢丹のセンスがどうだとか、そういうことは全然分からない。だから、「へぇー」という以外に興味もない。ここではずいぶん昔にラジオで聴いた話をひとつ書いておく。

 末廣亭に通う落語家のタマゴのうち誰かがこんないたずらをした。当時、デパートの屋上に出るあたりの売り場は園芸関係とか、ペット関連と相場が決まっていた。彼は伊勢丹の屋上近くのペットショップに通い詰め、鳥かごのオウムだか、九官鳥に広告コピーを覚えこませた。芸を覚えた鳥は自分の前に人が立つと必ずこう言った。・・・「オカイモノワ〜、ミツコシ、お買い物は〜、三越」・・・。(7/25/2007)

 さわやかな、まるで秋のような朝だった。武蔵野線の電車からは夏富士が見えた。白雪のない富士は緑がないだけ異様な山に見える。頂上あたりから左にひとはけ白いスジが見えた。

 サンケイ新聞の新企画「何たる選挙戦(1)誰を利する『国家』なき迷走」を嗤いながら読んだ。

 書き出しは「年金記録紛失問題、閣僚の相次ぐ失言などで苦境に立つ安倍晋三首相をほくそ笑んでいる国がある」で、揚げ句は「参院選の『政策論争なき迷走』はいったい誰を利するだろうか」となっている。要は「北朝鮮につけ込まれないためには安倍政権を敗けさせてはならない」というわけだ。いま暗愚の総裁(選挙戦だから、あえて「宰相」とは書かない)が時に声を裏返すほどヒステリックに叫んでいる「我々は負けるわけにはゆかないんです」という言葉に似ている。言語表現に不自由な安倍は気がついているのだろうか、その言い方は前提に「負ける可能性が高い」というニュアンスを含んでいるということを。頭の悪い奴が考えつく言葉は相似るものらしい。

 サンケイ新聞がうろたえる原因はたったひとつだ。自民党が参院選に敗北するかもしれないなどということではない。安倍晋三が負けるかもしれないということ、その可能性にうろたえているのだ。安倍晋三が総理の座から転げ落ち、あわせて岸信介的な「改憲イデオロギー」が再び自民党のハートの中心から追い出されることが心配なのだ。なにしろ「改憲イデオロギー」が内閣の中心に座り直すためにほぼ半世紀を要したのだから。

 それなら、そうと書けばいいのに、あまり知的レベルの高くないサンケイ読者に向けて、これもまた知的レベルの高くない記者が書くから思わせぶりな書き方になり、なおその効果を高めるつもりで北朝鮮ヒステリーを持ち出したというわけか。サンケイレベルにあわせて、ひとこと。靖国神社問題でサンケイはどう主張していたか、外国に干渉される筋合いはないと言ってきたではないか、では、選挙の投票に外国の影響を配慮する筋合いはあるのか、と。あまり程度のよくないチャチャだが、この程度が柔軟対応戦略。(7/24/2007)

 夜、社内セミナー「失敗に学ぶ」に招いた、東大大学院工学研究科の**先生と月亭で会食。

 日立時代はハードディスク開発を担当していた由。IBMとの「開発戦争」の話はなかなか面白かった。最初の戦いは耐衝撃性だった。300ガルを目標になんとかクリアすると相手は350ガルを達成、目標値を積み上げた年にIBMはあっさりと土俵を静粛性に切り替えてきた。静粛性でやっと逆転した先に待っていたのは、ハードディスク部門の日立への売却。オチはこれではない。「IBMは収益力と技術力を二軸にとって第一象限のものだけを残すんです」。日立はその後この部門の赤字に苦しむことになった由。「まるでレノボですね」と言うと、「そう、その通り」。

 話し好き、話題は最近の東大生の質の問題、技術系教室から霞ヶ関に進む連中の頭脳程度の話、・・・、セミナー講演以上に面白い2時間半だった。(7/23/2007)

 週末の週間ニュースを見ながら思った、原子力発電所も火力発電所も東京電力にとっては違いはなかったようだ、と。地震対応について映像のどれを見ても、こととしだいによってはこの時代にとどまらず数十年から百年以上、事故被害と影響が残る施設を運転しているという緊張感を東京電力の職員に見てとることはできなかった。もっともそれは東京電力に限った話ではないらしい。おとといの毎日のサイトにはこんな記事が載っていた。

 新潟県中越沖地震により東京電力柏崎刈羽原発(同県柏崎市、刈羽村)で火災が起きたが、原発を持つ国内の電力会社すべて(10社)で、地震に伴って火災が発生した場合の具体的対応を定めていないことが19日、毎日新聞の調査で分かった。東電を含め多くの社は地震と火災で別々にマニュアルを作成していたが、東電は十分な対応ができず、鎮火まで約2時間かかっている。地震による火災発生への準備不足が浮き彫りになった。
 国の指針は、原発火災について、原子力事業者に発生防止や影響軽減措置を求めている。調査では、自衛消防隊の有無▽地震に伴う火災発生時のマニュアルの有無▽地震に伴う火災時の訓練の有無−−などを聞いた。
 自衛消防隊は全社が組織していたが、地震に伴う火災への具体的な手順を定めたマニュアルを持つ社はなかった。各社は「地震と火災のマニュアルを関連付けて対応する」(中国電力)、「どんな火災でも自衛消防隊が初期消火にあたる」(日本原電)、「地震と火災が仮に同時に発生しても対応できる体制はある」(東北電力)と答えた。
 しかし、東電の火災では、地震の混乱で消火に参加したのは4人にとどまり、地元の消防署の到着も遅れた。消防署は「出動要請が多く到着が遅れる。到着まで自衛消防隊で対応してほしい」と伝えたという。
 調査によると、各社とも火災発生時に外部の消防隊が来ないケースは想定していない。地震に伴う火災に注目した訓練も、東電福島第2原発以外はしていなかった。
 北海道電力は、地震による原発事故発生を想定した訓練すら未実施だった。「原発は十分な耐震性が確保されていることが前提で、地震による大きなトラブルや事故は発生しないことになっている。そうした訓練は想定しようがない」という。
 東電の火災を受けた対応については、「地震による火災の初期消火態勢の徹底を社員や関連会社に通知した」(九州電力)「(東電の火災の)調査結果を踏まえて対応を検討したい」(関西電力)などと答えた。

 北海道電力の回答が嗤える。原発は十分安全だから、トラブルや事故は絶対発生しない、したがって、あり得ないことを想定した訓練など考えようがないのだそうだ、よほどバカな広報部員が回答したのだろう。「父よ、彼らを赦し給へ、その為す所を知らざればなり」というところか。こんな意識で原発は運転されているのだ。(7/22/2007)

 山田深夜の「電車屋 赤城」読了。よくできた小説。深い感動があるわけではないが泣ける読み物だった。幾度か目頭を熱くしながら読み終えた。

 泣いたのは小説そのものではなく、この小説が思い出させた幾人かの人たちのプロフィールが主人公赤城と部分的に重なったからだ。何回か募集された希望退職で辞めていった人々。思い出すのは不思議に試験屋さんが多い。試験部門や設備保全部門はこの時代特に損な役割を担わされている部門だ。

 ものごとを多面的に、あるいは深く考えることの乏しい現在、「何も起きないのが当たり前」を支える仕事にはなかなかスポットライトはあたらない。逆説的に言えば、完璧に仕事をこなすほどにその仕事をする人は評価されなくなってしまう。それはいまに始まったことではないが、昔はそういう仕事をきっちり評価する見識を持った人が部門に一人や二人はいたものだ。いまは少ない。嫌な時代だ。

 以下、この本から二カ所。現場の班長原口の言葉と主人公赤城の言葉。

「『仕事のやり方』なんか覚えなくていい。『仕事のあり方』を学べ」

「ともかくあいつは、自分の意思で存在しているわけじゃない。いろんな奴の思いで生かされ、消えてゆくんだ。−−人間も一緒かもな」(ここで「あいつ」というのは赤城がその整備に精通している旧型電車のこと)

(7/21/2007)

 朝の「森本毅郎スタンバイ」、村上世彰に実刑というニュースに金曜日のコメンテーター伊藤洋一がこんなコメントをつけていた。村上は自分をプロ中のプロといっていたが、ああいう形で露出するファンドマネージャーはプロとしては珍しい方に属する・・・と話をはじめ、「儲けちゃいけないんですか」という村上の言葉をとらえて「たとえばジョージ・ソロスなどは儲けたカネで東欧市場の育成など投資をきちんとやっている」という指摘をした。「投機」と「投資」か。以下は電車の中で連想した話。

 永らえば恥多し。ただし「徒然草」には「命長ければ辱多し」(7段)とある。たいていの本にはちゃんと注釈がつけてある、出典は「荘子」と。しかしそれまであたる人はさほど多くはないらしい。たしかに兼好法師の書きようで首尾は一貫し、それはそれで悪い話ではない。だがきちんと原典に当たる人にはちゃんとご褒美が待っている。以下はその「荘子」に書かれている話。

 堯が華の地を訪問すると、そこの役人が「あなた様が長命でありますように、あなた様がお金持ちになりますように、あなた様に男のお子さんがたくさん授かりますよう」と言った。しかし堯はそのすべてに「お断りいたします」と答えた。役人が「これらは世人が皆、望むことですのになぜですか」と問うと、堯は「多男子則多懼、富則多事、壽則多辱(男の子をたくさん持つと心配が多く、金持ちになれば面倒なことが多く、命が長ければ恥も多くなる)」と答えた。

 すると件の役人は「わたしはあなたを聖人と思いましたが、いまのあなたは君子というところですね。男の子が多くてもそれぞれの能力に応じて職を与えればよいだけ、金持ちになっても人々にそれを分け与えればよいだけ、聖人はもっと自由自在の心で世をあるがままに受け止め、世に飽きたなら白雲に乗って天にゆけばよい、子供やカネや健康についての悩みがなければ、長生きをしても恥をかくことばかりなどということはありませんもの」と言った。

 「富而使人分之、則何事之有」、役立てて、何かを育てるためにカネを使う。たしかに「儲けちゃいけない」ことはない。しかし儲けたカネを散ずることが肝要。累進税率を批判して、「額に汗して働いても税金にガッポリ持って行かれては労働意欲がそがれてしまう」などという、最近の安手の成金には分からない話かもしれない。(7/20/2007)

注)この挿話は、「荘子」の「外篇」の「天道篇」にあります。

 村上世彰に懲役2年(執行猶予なし)、追徴金11億円の判決。

 好きか嫌いかと問われれば、堀江貴文同様、村上世彰も嫌いだ。「価値」の実際的な生産を伴わない活動によって法外な利益を手にすることには大きな疑問があるし、その観点からは世の中を悪くしているのは彼らだという気持ちは抑えがたい。

 しかし、それでも、今回の立件、今回の判決には同意できない。検察当局の腹一つで、なんとでもなってしまう、つまり非常に恣意的な法律運用がされていると思うからだ。

 判決文には「ファンドなのだから、安ければ買うし、高ければ売るのは当たり前と被告は言うが、このような徹底した利益至上主義には慄然とせざるを得ない」というくだりがある由。本当にこのように書かれているとすれば、この国の裁判所はいつからモラルについてまで裁く権限を持つに至ったのだろう?

 政治家にはモラルがかけらほどもないのに、裁判官はひたすらモラルを求める、ずいぶんバランスの悪い恐ろしい国になったものだ。(7/19/2007)

 月曜日に発生した地震は「新潟県中越沖地震」という名前になった。地震被害について伝えるニュースはいつものごとくで、凶事による騒がしさに煽り立てられて浮き浮きとはしゃぎ回る子供のようだ。今回の地震はまた原発詐欺師どものウソの衣を何枚かはぎ取ってみせることだろう。どれくらいのことが出てくるかはハゲタカマスコミいかんだが・・・。

 一番深刻な問題は、従来の「設計用限界地震」の想定を上回る規模だったことだ。原発の設計に際しては二つの地震想定をしている。ひとつが「設計用最強地震」、もうひとつが「設計用限界地震」。ATOMICA(原子力百科事典)によれば、「設計用最強地震」とは「歴史地震を基本として将来敷地に影響を与える活動度の高い活断層による地震を考慮し、これらの地震のうち敷地に与える影響の最も大きいもの」であり、「設計用限界地震」とは「地震学的見地に立脚し設計用最強地震を上回る地震であり、敷地に影響を与える最も大きな地震」を指す。そして「設計用限界地震」は「活断層によるもの、日本列島及びその周辺海域の地震発生区域ごとの地震規模上限のもの及びマグニチュード6.5の直下地震を考慮し、これらのうち最大のものを想定する」ことになっている。

 今回の中越沖地震のマグニチュードは6.8だった。東京電力は柏崎刈羽原子力発電所の直下には活断層はないとしていたから、設計用限界地震はマグニチュード6.5としていたのだろう。しかし04年10月23日の中越地震のマグニチュードは6.8であったし、95年1月17日の阪神淡路地震のマグニチュードは7.3であった。原発関係者はこの十年の間、惰眠をむさぼっていたのだろうか、それとも詐欺師の本領を発揮して「騙した者勝ち」を決め込んでニヤニヤと笑っていたのだろうか。少なくとも原子力安全保安院は最低限マグニチュード想定値を7.3以上に変更する必要があるはずだ、早急に。

 いま気になるのは中部電力浜岡原子力発電所のことだ。東海地震は既にいつ起きてもおかしくない時間帯に入っており、最悪でマグニチュード8クラスを予想されている。浜岡原発1号機と2号機の耐震設計は震動加速度450ガル、3号機と4号機は600ガルとしているが、おとといの地震で柏崎刈羽原発敷地では680ガル、柏崎市西山町池浦観測点では1000ガルを超えていた。マグニチュード6.8でここまでの振動加速度があったのだ。マグニチュード8のとき、どれほどの値になるか、素人には分からない。

 浜岡原発について中部電力は静岡地裁の耐震計算書開示命令を拒み、即時抗告、東京高裁は地裁命令を取り消した。原発詐欺師どもは自分たちのお粗末な舞台裏がばれることを恐れているに違いない。(さすがに中部電力も1・2号機の耐震性にはまったく自信がないようで、きょう現在は「定期保守」を理由にして運転を止めている)

 浜岡で事故があれば、浜松、静岡などは深刻な影響を受けるだろう。名古屋までの距離はさほど遠くない。この地域の人々はほとんど気づかずに毎日ロシアン・ルーレットをやらされている、中部電力という会社のなかば経営、なかばメンツのために。(7/18/2007)

注)東京電力の発表した、地震観測記録値と設計値についてはこちら

 終日、日科技連のセミナーを受講。「品質トラブルの未然防止」。FMEAとFTAの概要を説明したもの。技法については品質初心者向き、事例紹介から大枠の対処法については管理職向きという印象。

 イワキに寄って修理依頼したメガネを受け取る。フレーム両脇の傷の補修、とれてなくなっていたダンヒルロゴ、頼みもしないところまで神経を通わせているのだなとうれしくなった。少し気になったのは修理してもらったろう付け箇所がごくわずかだが外まで盛り上がっていること。当節、職人の腕についてはなかなか期しがたい。それについてはふれずに「ありがとう」と言って帰ってきた。

 テレビ朝日にいた泣きぼくろの丸川珠代が参院選に自民党から立候補している。その丸川が、きのう、期日前投票に新宿区役所に報道陣を従えて出向いたところ、選挙権がなく投票を拒否された由。(「スポーツ報知」の記事。祝日でもできるの?、あるいはそもそも期日前投票には身元確認を兼ねた投票所案内葉書はいらないのか?、などの疑問はあるが)

 理由は03年6月から04年6月のニューヨーク勤務ののち、帰国に際して転入届を出しておらず、選挙人名簿に登録がなかったため。報知は「帰国してから今年4月まで、どこに住民税を払っていたのかも疑問となる」と書いた。あの竹中平蔵同様の住民税脱税嫌疑をかけられたわけだ。さすがにまだ候補者段階では自民党議員さんのように「法律に則って適正に処理しております」という弁解ではまずいと思ったらしく、源泉徴収票のコピーを取材陣に提示したそうだが、いかんともしがたいのは3年以上にわたって選挙と名のつくものに足を運んでいないという事実が明らかになったこと。投票経験もなしに立候補というのは見上げた根性だ。

 先月のFACTAの記事「絶句する安倍夫妻の『公私混同』」にこんな一節があった。

 5月16日、安倍は首相官邸にテレビ朝日アナウンサーだった丸川珠代を招き、自民党公認候補として東京選挙区からの参院選出馬を要請した。「首相から声をかけていただき、光栄です」。丸川は面会後、官邸の玄関ロビーで即席の出馬会見に及んだ。出馬要請は首相の公務ではない。一政党にすぎない自民党の総裁としての党務だ。それを堂々と官邸を舞台に敢行し、記者会見までさせて何とも思わないのはいかにも無神経だ。
・・・(中略)・・・
「人生いろいろ、会社もいろいろ」など永田町の常識を超えた自由奔放な国会答弁を繰り出し、ちゃらんぽらんにも見えた前首相・小泉純一郎。この「変人」は首相と党総裁、公私の峻別には意外に厳格だった。
 05年8月19日。小泉は「郵政解散」を受けた衆院選に広島6区から出馬するライブドア社長・堀江貴文(当時)と面会するため、自民党本部に足を運んだ。あえて官邸を避ける配慮だった。ホリエモンを公認も推薦もしなかった。最低限のけじめと危機管理だった。安易に官邸に招き、公認のお墨付きでも与えていたら堀江逮捕で政権は吹っ飛んでいた。

 安倍晋三がいかに宰相の座にふさわしくない人物であるかを一事であらわしている話だ。(7/17/2007)

 **(家内)は4時起きで岩盤浴。それぞれに朝湯につかり、朝食をとり、毛布・タオルケット・購入したゴザなどの岩盤浴ツールを梱包し、宅急便に預ける。9時45分のロビー集合までは部屋でゆっくりと思っていたら、9時を回るやせっつくように掃除方のおじさん・おばさんが押し寄せた。仕方なしにロビーで待機。同じように追い立てられた人たちが集まり、バスは集合時刻前に出発した。2泊3日とは言い条、中日だけが文句なしに使える日で、着いた日と経つ日に意識的に行動しない限り、「湯治」というイメージからは遠い。

 バスは田沢湖に向かい、昼食をとり、ゆっくりと湖を一回りして、余裕たっぷりに14時発のこまちに乗る。盛岡までが約30分、盛岡・大宮はきっかり2時間。けさ、10時13分に発生した柏崎方面の大地震の影響もなく16時43分に大宮に着いた。

 夜は連休中、留守番がてら来て、論文まとめをしていた**(下の息子)、車を返しに来た**(上の息子)と夕食。(7/16/2007)

 アイマスクを忘れてきたため、4時過ぎに目が覚めた。いくぶん東寄りだから日の出が早いのだろう。早めに寝付いたはずだが熟睡感がない。

 **(家内)は精力的に岩盤浴と入浴を繰り返している。行き交う人々にはそう思ってみるせいか、ガン相がめだつ。ビール、清涼飲料などの値段はかなりへんぴな山中にも関わらず同じ。バイキング形式の朝夕食も味付けにクセはなく野菜も多めで文句はない。ただ食堂の従業員は無愛想というほどではないものの、気が利かず、無口。黙っていても客が来る場所にありがちなパターンといえぬでもない。

 岩盤浴のお供をしつつ、傍らで送っておいた「『驕る日本』と戦った男」を読了。ポーツマス条約成立の舞台裏と朝河貫一の生涯について紹介した本。おととしの秋だった、本屋の平積みで手に取った。著者の清水美和の名前が記憶にあった。東京新聞のサイトにあった中国事情を伝える記事、いいレポートを書く女性記者がいると思っていた。美和は「みわ」ではなく「よしかず」、男だった。あの記者が書いたものならということと、勘違いが面白くて買ったところがあって、朝河貫一にはなかなか眼が行かなかった。ずっとストックになっていたが「入来文書」を知り、矢吹晋の講演を聴き、矢吹先生からはいろいろ関係資料を送っていただき、読む気になった。

 続けて「日本の禍機」を読んでいる。文語文はさほど苦手ではないがすらすらとはゆかない。しかも一ページごとに考えさせる内容を含んでいる。

 優れた知性にはどこまでのものが見えるものか、恐ろしくなる。なにより1908年の段階で日本がどのような災いの種を胚胎しつつあり、それへの対処をどのようにすべきであり、どのようにすべきではないのかを、精緻に分析し、条理を尽くして書いている。暗殺されたとき伊藤博文の鞄にはこの本が入っていたという。大隈重信もこの本を読んだはずだが、朝河の言葉は活かされなかった。伊藤ならば、と思わぬでもないが、おそらく伊藤が永らえていても結果は同じだったような気がする。(7/15/2007)

 台風が近づく中を玉川温泉へ。大宮11時22分発のこまちに乗る。雨にけぶる窓外の緑はなにやら水墨画を連想させて魅力的。13時57分田沢湖着、バスで約一時間、3時15分、玉川温泉着。

 岩盤浴というのが売りで予約はおおむね半年先までうまっているらしい。微量ラジウムを放射する「北投石」という岩石があるのはここと台湾台北の二カ所だけとか。これが岩盤浴の効能とどういう関係にあるのかは不明。

 大浴場も普通の温泉とは違っている。部屋に備えの案内書から写しておく。「かけ湯(42℃)」「気泡の湯:源泉50%(42℃)」「源泉100%(39℃)」「ぬる湯(39℃)」「あつ湯(44℃)」「蒸気湯/箱蒸し(48℃)」「打たせ湯(41℃)」「浸頭湯/寝湯(41℃)」「露天の湯(42℃)」。これらが中央通路の両側にずらりと配置されている。いかにも湯治のための温泉という感じ。

 部屋にはテレビがない。それに備えて持参したワンセグチューナーもだめ。久しぶりにテレビもラジオもネットもない「沈黙の夜」。朝河貫一の「武士道とは何か」を読む。(7/14/2007)

注)朝河貫一「武士道とは何か」:「比較封建制論集」柏書房(2007)に収録されています

 **(家内)、一年目検診の結果。「明らかな再発転移を認めません」。一安心。でも、できるなら、「明らかな」ではなく「明らかに」と書いて欲しかった。

 MIXIでトラブルを起こした。赤城農水相の釈明会見ニュースにつけられた一群のコメント日記のいくつかにレスコメントをつけた。中のひとつから、わんさと威嚇的な書き込みが押し寄せた。昨夜、寝る前になって、問題のレスコメントをコピーしてくれた奴がいた。「こんな書き方をしたかなぁ」などと思ったが、もともとどこか心の中に変な「ホットスポット」があって、ブレーキがかからぬ時があることは自覚している。しかし、それにしても、日記ならばともかく、他人様の日記へのコメントとしては、ちょっとばかりひどすぎた。「これなら、オレでも怒るなぁ」。

 素直に謝らなければと思い、件の書き込みを削除して詫びた。こういうときは言葉数が多いとかえって誤解を招く。最小限の言葉に留めた。

 **さんや**さんは日記を「友人まで公開」にしたらとアドバイスをくれたが、首を差し出したときに、さらに噛みついてくるか、そういうことはしないのか、ローレンツの挿話などを思い出しつつ、それが知りたくて、あえて「全員に公開」のままにした。最初にレスを寄こしたのは非常に紳士的なもの。こうなるとまさに「汗顔の至り」で身の置き所がなくなる。いまのところイナーシャが大きいのは一人くらい。(7/13/2007)

 **(同僚)さん、出勤。きょうが二日目なのだが、三重での会議があり、退院後初。見舞いを除けば、会社での対面はほぼ4カ月ぶり。

 検査入院と聞いて、「うちのお袋はさ、検査入院のはずがさ、そのままになっちゃった」と茶化した。ところが3月末に検査入院したまま、3カ月超の入院になってしまった。不用意な冗談はいうものではないとずいぶん後悔した。

 原因はCTを撮るために使用した造影剤アレルギーだとか。「検査当日だぜ、まれにアレルギーをおこされる方がいて、数十万例に一例は亡くなる方も・・・っていわれたのは。入院してるし、じゃ、やめますという気にはならないし、まっ、オレがそれにぶち当たるなんて思わないもんね・・・」。ヨードアレルギーによる膵臓の炎症、十二指腸壁からの出血、大量の出血で一時、全量の四分の一近くを失い海外出張中の息子さんまで呼ばれた由。

 9月末までの延長なのだが引き継ぎができていない。人勤とは再延長申請の協議。もちろん本人が来年3月までやる気になってくれればの話。

 「ひとやま越えてから、見舞いに来てもらった直後、また危なくなって・・・、便所で倒れた、ラッキーだったのは、なんとかナースコールを押していたこと、駆けつけた看護婦さんが他病棟のベテランで、その人からいいアドバイスがあったこと、それで担当医の体制が少し変わったこと、・・・、どれか一つ条件が欠けてたらアウトだったかもしれないってさ」。

 Such is the life. 人生というのはそういうものの集積の上にあるようだ。(7/12/2007)

 安倍内閣の「年金対策言い訳委員会」がちょっと変わった「問題」を指摘している。年金保険料を給料天引き会社経由で納付していたと思っていた勤労者の中に年金を受け取れない人が出るかもしれないということ。つまり勤め先の企業が天引きした分を国に納付せずポケットに入れてしまっていたといいたいらしい。塩崎官房長官は「法律改正が必要ということであれば、可及的速やかにその法律を作らなければいけない」と述べたと報ぜられている。ずいぶんすごい例があるものだと思いつつ、どうやらこれは別の不都合をカムフラージュする煙幕なのではないかと思い当たった。

 多くの企業がここ十年くらい前から「年金代行返上」をやってきた。「代行方式」とは国の所管分である基礎年金部分の保険料を国に納付せず、企業の厚生年金部分と合算して運用してきた方式。株価の低迷が続きメリットが出ないどころか逆に企業負担が重くなったために、少し前、かなりの会社が「代行」を返上するようにした。問題はそのときの「移管額」が社会保険庁の「言い値」になってしまい、実際の納付実績額と一致していない例が相当大量にあるのではないかという疑いがあることだ。

 先月送られてきた予測年金支給額、事前の自己試算額よりも50万ほど少ない。いずれ今回の騒動が一段落したら確認に行こうと思っていた。言い訳委員会と塩崎が言っているのはその大騒ぎへの予防線なのではないか。つまり会社ネコババという極論の陰に、「期間の錯誤」ではなく「金額の錯誤」という「不都合にしてポピュラーな事実」を隠そうとしているのではないかということ。

 年金問題は安倍内閣にすべての責任があるわけではない。しかし今回の騒ぎの発端以降の無策とゴマカシはすべて安倍晋三の無能と無力に責任がある。安倍ではこの問題のまっとうな解決は何一つ実現できない。まず彼はゴマカスことばかり考えていて解決することを何一つ考えていない。こじれにこじれた年金問題をよりいっそう解決困難にするばかりだ。

 拉致問題同様、無能なくせにしゃしゃり出て、事態をよりいっそう解決困難なものにするのは安倍晋三の得意技らしい。(7/11/2007)

 近藤弥生足立区長は来年度からの区内各校予算の「傾斜配分制度」を見直すとしたそうだ。

 先週末、昨年実施した区独自の学力テストの際、区立小学校で障害のある児童3人の成績を保護者の了解を得ないまま集計から除外していたことが露見した。この学校ではテスト中に間違った答えを書いている子の机を先生が指でトントン叩き見直すよう知らせたり、テスト前に過去問を集中的にやらせるなどもしていた由。おかげで一昨年72校中44位だったこの学校、昨年は堂々のトップになった。

 過去問は明らかな不正とは言い難い(しかしそれほどに過去問が有効というのは、よほど出題する区教委が手抜きしているということを意味している)が、試験監督が誤答を知らせて回ることはいかになんでも正当な行為とはいえないだろう。もっともこれに対するこの学校の抗弁は「全然気がつかない子もたくさんいた」というもの。区の統一テスト程度の問題で誤答するような「素朴な子」なら、机を叩くぐらいでは「アッ、間違えてる」と気がつかない方が多かろうと妙に納得しないでもない。

 学校のもくろみは分かっている。不正であろうといかがわしい方法であろうとどんな手段でもいいからまずトップの座をとることだ。そうすれば潤沢な予算配分が確保できる。区内で一番の小学校にはどんどんとレベルの高い子が集まる。障害のある子や勘の鈍い子はその学校では歓迎されない(「招かれざる客」を他校に転校させるために「競争」してイジメを行うかもしれぬ)だろうということが周知される。もうこれだけで「いいサイクル」が確立する。そののちはこんないじましい手段はとらなくてもすむだろう。あとはトップの座をねらう不埒な学校がかつて自分がやった不正をやらないように、ありとあらゆる手を尽くして監視すればよいのだ。ひょっとすると、今回のスキャンダルは一昨年トップだった学校が44位からのし上がったこの学校を怪しんで嗅ぎ回って暴き立てたのかもしれぬ。

 先週の日曜、一日のTBS「報道特集」に出た杉並区の名物区長山田宏は「適切な競争がないと社会は腐敗します。学校も腐敗します。競争は社会を浄化し透明度を高め、資源を最適に配分する。複雑な文明社会ではそれ以外、方法はない」と言っていた。バカなことをいうものだと嗤って番組を見たものだ。

 山田区長、憶えておくがいい、「社会も、学校も、競争の有無とは無関係に腐敗するものだ」と。単純な物差しで優劣を測り、それにより競争結果を算出しようと考えたその瞬間に、裏をかいて不正な評価を得ようと悪知恵を絞る者が「競争」してあらわれるのだ。

 競争原理一本で世の中がよくなるなどと思う愚かな競争原理主義者をこの世の中から駆逐するにはどうしたらよいか。妙案は浮かばない。競争原理主義者が競争してこの世の中を悪くするのに任せ、彼らの自滅を待つか。しかしそんなことをすれば、彼らが死滅する前に我々の社会は社会として成り立たなくなるだろう。(7/10/2007)

 あの「サンケイ」、といっても「サンケイスポーツ」のサイトにさえ、こんな記事が載っている。

 この日(8日)午前、首相はフジテレビの「報道2001」に民主党の小沢一郎代表(65)らとともに生出演。話題が、7日に発覚した赤城氏の事務所費問題になり、野党側から辞任要求の声が出たときだった。
 「2005年(平成17年)は年間で9660円、月800円ですよ。月800円で、辞任要求ですか!?」。首相はそう言って、野党の辞任要求に応じる考えがないことを重ねて表明、赤城氏を擁護した。
 赤城氏の両親の実家(茨城県筑西市)を所在地とする政治団体「赤城徳彦後援会」が、事務所費として政治資金収支報告書に記載してきた経費は10〜17年の8年間で計7600万円。事務所費は毎年変動し、首相が言及した「光熱費」は17年は9660円だったが、それ以前は16年が12万円、15年が92万円、14年は96万円、13年も110万円と高額だった。
 一番安かった年度の分だけを例に出した首相に、小沢氏は苦笑い。新党日本の田中康夫代表(51)には「一国の首相が、800円という金額まで具体的に説明するのは、いじましい気がして悲しい」と皮肉られていた。

 犯罪者は心理的な証拠を残す。Aについて当然語られて然るべきaを語らなかった者がBについてaと同格のbを事細かに語るというのは、aを語れば自らの犯罪のすべてが白日の下にさらされる事情があることを意味している。安倍が赤城を「たった800円」と弁護するのは、松岡には「たった***円」ではない語り得ぬ深い事情があったことを物語っていると考えられる。

 それはそれとして、先日来、安倍の「釈明」会見の映像を見てきて誰でも気がつくことがある。こういうとき、安倍は瞬時たりとも、質問者の方を見ない。なるほどいまはテレビ時代だ、映像に入らない質問者の目を見て答えずとも、カメラの向こうの視聴者に視線を向けて答えるということもありかもしれない。しかしそのカメラすら安倍は見ていない。ウロウロと視線を斜め上に泳がせて答える。眼を見てしゃべることができないとき、人は嘘をついていることが多いものだ。(7/9/2007)

 「久間失言」の火がいつものごとく本質論議は露ほどもなされないうちに消されたと思ったら、こんどは赤城農水相の事務所経費問題が持ち上がった。松岡還元水大臣が躓き、緑資源機構汚職の摘発で窮地に立つ予感のために「自殺」したその後任が同じ問題で躓くようでは洒落にもならない。

 いちばん迷惑し、腹を立てているのは公明党だろう。閉幕した通常国会で政治資金規正法論議の際、領収書の金額の件のみならず対象とする団体(資金管理団体に限定)について、野党の「こんなザル法では意味がない」という指摘に「それでも一歩前進だ」と強弁してきたのは、ひとえに「やったふり」ばかりの姑息な姿勢に終始する安倍晋三に妥協したからに他ならない。

 指摘の正しかったことは「ちゃんと説明する」といいながら「領収書提出は法に則って」と言い抜けたり、件の赤城の実家に「おかれている」はずの「幽霊のような政治団体」が資金管理団体ではないから「違法ではない」とする「陳弁」が証明した。なるほどカネに汚い自民党がこだわった理由はこういうことだったか、「公明党の眼は節穴だなぁ」と人々は嗤っている。公明党よ、これでも、安倍晋三にくっついてゆくのか、それともそろそろ安倍を見限るための方策を検討し始めたか。(7/8/2007)

 我が暗愚の宰相が「消費税あげないなんて、一回も言っていない」と言ったのはおととい夜の日本テレビだった由。年金問題に関係して国庫負担分の財源問題について問われ、民主党は財源について逃げていると主張しようとして例の好きなしゃべり方をしてしまったらしい。もともとこのパープリンのお坊ちゃんは「・・・なんていっぺんも言ったことがない」とか、「どこにも、・・・なんて書いてない」とか、「いつ、・・・って言ったか」とか、そういう言い回しが殊の外、好きなのだ。これらは「いつ、言った、何時、何分、何秒」という子供のケンカのセリフに似ている。子供っぽいというか、成蹊大学まで出て(というほどの大学じゃないが)、所詮、そのレベルから上にはゆけなかった、バカボンくん。

 一夜明け、さすがに「作戦上、まずかった」と気がついて、きのうの夜はテレビ東京で「消費税あげない可能性もある」と軌道修正した。バカボンくんには日本語の使い方がよく分からないのだろうが、この言い方は「あげる可能性」の方が大きいけれども「あげない可能性」もないわけではないというニュアンスになる。

 その昔の政治屋は政治屋とはいえ、もう少し、日本語の使い方がうまかった。いまは亡き高田渡はその「老獪」なる政治屋の言い回しをからかって「値上げ」という歌を作った。

値上げは ぜんぜん考えぬ/年内 値上げは考えぬ
当分 値上げはありえない/極力 値上げはおさえたい

あたりから始まり、

値上げがあるとしても今ではない/なるべく値上げはさけたい
値上げせざるを得ないという声もあるが/値上げするかどうかは検討中である

と、変わり、

値上げを認めたわけではない/すぐに値上げはしたくない

と、微妙にトーンを変え、

値上げもやむを得ぬ/値上げにふみきろう

 これを数ヶ月かけて、徐々に言ったわけだ。無理なんだろうなぁ。バカボンくんの言語能力では。それにしても、こんな奴が首相かい。つくづく、この国は堕ちたものだね。(7/7/2007)

 一年前のきょうは**(家内)の手術だった。二年前のきょうは**(父)さんが逝った。

 **(家内)は二回の手術を行い、いまのところ、転位再発の所見はない。人間というのはつくづくバカなものだと思う。喉元過ぎればなんとやらで、最近はもう元の生活が戻ったものと思っている。しかしいつ転位が発見されるか、それは分からない。少なくともここ数年はその可能性について忘れることは許されない。だからいつそういうことになってもいいくらいに手許の時間を大切にしなければならない。

 この間、ふらりと寄った先で、懐かしいレコードを聴かせてもらった。ムスタキの「Ma Solitude(私の孤独)」。会社に勤めてまだそんなに経っていない頃だったから、もう三十年以上も昔のことになる。テレビドラマ、「バラ色の人生」の主題曲に使われた曲。寺尾聰と仁科明子、転がり込んだ謎の美女・香山美子・・・、そんなレコードを取り出した奴のたくらみはおおよそ分かっているのだが、その日はどういうわけか、思い出はそちらには向かわなかった。**(父)さんが浮かんだ。あの信じられないくらい寂しい背中を思い出した。いつのまにか、そういう歳になったということかもしれない。(7/6/2007)

Ma Solitude(私の孤独):「想い出ジュークボックス」に書くつもり。

 新党日本の荒井広幸(参院比例区)と滝実(衆院比例代表近畿ブロック)が離党して無所属で政治活動を続ける考えを表明した由。代表の田中康夫が党内合意を得ずに憲法改正に関する見解表明を行ったことが離党の理由だという。

 少なくとも荒井の離党理由は誰の目にも明らか。もし参院選で自民党が過半数を割り込めば、自分の「商品価値」があがると踏んでのこと。郵政改革の理念で自民党をスピンアウトした荒井は去年の首班指名では安倍晋三に投票し、日本新党と新党日本(ああ、ややこしい)の統一会派解消のもととなった由。

 いずれにしてもいまやグズグズ政党に逆戻りした自民党への復党は時間の問題に違いない。荒井よ、小泉に反旗を翻したオマエの背骨はどこに行った。また、軟体動物に逆戻りかい。(7/5/2007)

 夕刊にルドンの「眼をとじて」が紹介されている。ルドンを知ったのはいつの頃だったのだろう。たぶん「国民百科事典」だった。「狂人」をテーマにしたデッサンから強烈な印象を受けたのだと思う。それは円山から下山するときに迷い込んだ医大分院(*)の裏庭で見かけた人の雰囲気をよく表していた。

 すごくきれいな人だったけれど、こちらの視線と言葉がその人の存在に突き当たらない。空気だけがそこにあって、その人の体を突き抜けてゆくような変な感じ。あのときの感じをそのデッサンは思い出させた。あれはこちらが入院患者と思って見たせいだったのだろうか、それともあの人からは子供に見えたせいだったのだろうか。

 ハノーファーのCeBit調査に出張した帰り、パリで週末を過ごしたことがあった。オルセーの二階の小さな展示室にルドンのコーナーを見つけたときはひどくうれしかった。あのときは小一時間以上、心ゆくまでというのには少しばかり足りなかったけれど楽しんだ。パステルのものがすごくいいのを知った。**(家内)と行ったときは期待していたわりにはなぜか身が入らなくて楽しめなかった。こんど行くときは絶対に別行動にしてじっくりと見よう。

 ・・・こうやって書いてくると、たまらなく、もう一度あのデッサンが見たくなった。石版画のいくつかは粟津則雄の本(**)に入っていたが、あのデッサンは収められていなかったと記憶する。いったい何という題名だったのだろう。(7/4/2007)

*  札幌医科大学分院のこと  当時精神科が入っていた(1983年秋、閉院)
** 粟津則雄の本  「ルドン」 美術出版社(美術選書) 1966 のこと

 まさか二日続けて「久間失言」のことを書くことになるとは思わなかった。久間防衛相が辞任した。きのうまで、安倍は「アメリカの考え方を紹介しただけ、辞任の必要はない」と言い、本人も「野党の罷免要求など、よくあることだ」と言っていたにも関わらず、突然の辞任。

 辞任の理由は「選挙で足を引っ張ることになっては申し訳ない」からだそうだ。選挙を目前にすると、突っ張ってばかりではだめというアドバイスも入るのか。それとも平和政党の看板は簡単に下ろせない公明党あたりから「強い要望」でもあったのか。

 後任はなんとまあ小池百合子首相補佐官。とにかくマスコミネタになればそれでよいという感覚が透けて見える。まあたしかに自衛隊はアメリカ軍の下請けができればそれでよいのだから、防衛大臣の識見が高かろうが低かろうがどちらでも変わりはないというならそれまでだが、それにしてもちょっとお手軽すぎないか。(7/3/2007)

 久間防衛相の「失言騒動」に関するニュースを見聞きしながら、ずっと以前にNHKBSが行った「地球法廷」なる企画を思い出した。その視聴者コメントに下記のようなことを書いた。

 わたしは、広島・長崎以後の核兵器開発には批判的であり、かつ、核の均衡論にも賛成しない立場です。しかし、最初の原爆の使用に関しては、上にあげた二つの理由により、間違った選択であったとは言えないと考えます。
 このような問題について、「根拠」というのはなかなか提示できませんが、昭和天皇の敗戦の言葉に「敵はあらたに残虐なる爆弾を使用し」というフレーズがあったことが、「戦争の早期終結に役立った」ことの傍証になると考えます。
 原爆の引き起こす惨状に対する配慮が、当時の米国政府にあったかどうかについては否定的ではあります。また、米国政府に戦後の世界の主導権を握る野心がなかったとは言えないでしょう。だとしても、いまこの時点からさかのぼって、その政治判断を云々する場合には、実際に広島・長崎で起きた結果すべてを勘定に入れることは、「歴史における後知恵」というべきものを割り引いて考えなければ、フェアな態度とは言えないと思います。
 もちろん、スミソニアン博物館における原爆展示があのようになったことは、現在の米国の閉鎖性を物語る残念なことではありますが・・・。

(文中の「上にあげた二つの理由」を示すファイルがどうしても見つからない)

 タイムスタンプを見ると97年4月8日となっているから十年ほど前のことになる。このようなコメントは珍しかったのだろう、書き込みをしてしばらくした頃、NHKの番組担当から電話がかかってきた。電話口で「間違った選択だと言えない」最大の根拠として、当時、戦争を終結したくてもできないでいた昭和天皇と宮中グループの背中をドーンと押したのは広島・長崎に投下された原爆であり、原爆の投下がなければ昭和天皇は「ご聖断」を下すことはできなかったろうというところまで話すと、相手はそそくさと電話を切った。NHKとして、番組で「優柔不断なヒロヒト」の話をされては困ると考えたのだろうと、しばらくの間、折々、思い出し笑いをしたものだった。

 閑話休題。

 字数制限の中で書いているので、「そもそも無差別爆撃が不当であること」は書いていない。もし無差別爆撃に関する議論を留保するならば、論理的にはアメリカがいまも理由とする「原爆がより多くの人々の生命を救った」という主張を一定程度認めざるを得ない。その意味では、表現は別として、久間発言をにわかに否定する気にはなれない。(もともと自民党政府は対日無差別爆撃の立案者カーティス・ルメイに勲章を与えている。つまり自民党という政党は「無差別爆撃を容認し、かつ褒め称えた」政党だ。とすれば、久間の原爆投下が「しょうがない」という発言はその延長線上にあるのだから、それほど突飛な発言ではないのかもしれぬ)

 久間発言の嗤える部分は「しょうがない」という理由に「ソ連の北海道侵略」をあげたことにある。当時のソ連に「北海道侵略」の能力があったと考えるようなら防衛相としての適格性はない。(7/2/2007)

 久間防衛相が、きのう、麗沢大での講演で先の大戦での米国の原爆投下についてふれ、「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理でしようがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」、「日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった」などと語ったとかで、ちょっとした騒ぎになっている。

 どうやらいまの議員連の思考様式は床屋談義レベルを一歩も超えるものではないらしい。プログラムでいえばスパゲッティ・プログラム。もう変数定義も設定値もアルゴリズムもグチャグチャに作り込まれていて話をほどき直して整理することも難しい。

 大分類は三つに分けられるだろう。@アメリカの思惑、A硬直した日本の体制、B原爆の破壊性に関する無知。そしてそれぞれの大項目はいくつかの中間的な問題から構成されていると考えられる。

 @についていえば、戦後処理における戦略優位性の確保、アメリカ軍自体の損耗率をいかに抑えるか、アメリカはそれぞれについて検討しただろう。Aについていえば、頑迷な陸軍、敗戦を見切った重臣グループ、大元帥ヒロヒトのおよそ元首らしからぬプライオリティ選択。Bについていえば、アメリカ自身開発完了したばかりの原爆の実像について正確な理解がなかった、・・・、これらのことをきちんと腑分けして語らなければならないこと、そういうことがこの国の政治屋にはまるきりわかっていない。

 あえて久間風にいえば、ヒロヒトの「御聖断」は原爆が引き出したものだ。しかも二発も落とされないうちは決断できなかった。その程度の天皇だったのだ、ヒロヒトは。(7/1/2007)

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