週末は忙しい。洗濯屋に出すワイシャツときのう煮出しておいたタヒボ茶をもって東京病院へ行き、**(母)さんの寝間着に持ち替えて新座へ。自分の洗濯物を取り出して**(母)さんのものをセットし帰宅。適当に昼食をすませて、溜まったゴミと郵便を整理し、レスし損ねたメールに返事を出して、合間に届く宅配便屋さんの応対をして、頼まれ品を引っ張り出して山王MP病院へ。本を読めるのは行き帰りの電車の中だけ。少し疲れている。あいかわらず下痢が止まらない。

 ありとあらゆることに「段取り」があるが、仕事の関係はずっとやってきて慣れているというだけではなく、関係者からの問合せやアラームがあるからあまり神経を使わない。家事は違う。ゴミも食材もワイシャツもアラームは出してくれない。出かける段になって燃えないゴミの日と分かってあわてて三箇所の袋をまとめ直したり、あり合わせのものでと冷蔵庫を覗いて納豆もタマゴもないと分かったり、クリーニング屋に行こうとして回収するプラハンガーを探し回ったり、・・・、とにかく手順の悪さに我ながら腹をたてることになる。そんなことに手足をとられ、起きたときの時間割はあっという間にベタ遅れになり、思うようにゆかないとイライラしてくる。

 家事と仕事の双方について段取りを意識するのはもともとさして性能のよくない頭脳には難しいこと。最近は特にオーバーヒート気味。だから、疲れる。だいたい暑さが去るいまごろは、例年、少し疲れが出るころだが、ことしは少しばかり積み増した疲れを覚える。ほんとうに疲れる。(9/30/2006)

 夕刊に新宰相の所信表明演説の全文が載っている。ざっと目を通しながら、初代文部大臣を務めた森有礼を思い出した。森は日本語を廃して英語を国語とするよう提言したことで知られる。日本語は論理的な記述に向かない遅れた言語、このような未開の言語を使用していては近代化に支障をきたすというような主張だった。それが祟ったのであろう帝国憲法発布の1889年2月11日、右翼の暴漢に襲われ、翌日死去した。

 論理的に語ることができない我が新宰相がめったやたらに英語らしいカタカナ言葉を濫発するとは、この文脈に大いに矛盾するが、おそらくそれはカタカナ言葉を使って英語表現に近づけ、無論理の内容にいささかなりとも論理性の匂いをつけたいと腐心してのことだろう。

 空疎な「所信表明演説」から、なにもそこまで大和言葉を嫌わなくても表現できないかと思う単語をあげておく。「財政収支プライマリー・バランス」、「タウンミーティング」、「ライブ・トーク官邸」、「カントリー・アイデンティティ」、・・・。いったい我が新宰相はどこの国のプライム・ミニスターなんだ?

 一読、腹を抱えて嗤ったのは、「新健康フロンティア戦略」。健康は辺境地域なのかい、それとも最先端医療を全国民に提供してくれるとでもいうのかい。まあ、これは所管官庁の役人が予算欲しさに上げた「戦略」のひとつで安倍には責任はないのだろう。だが「役所任せにはしない、官邸主導で行く」と言いながら、こんな言葉がヒョロッと紛れ込まされて気付かないのでは興醒めとは思わないのか。

 この演説で使われているカタカナ言葉は、すべて論理的で明晰な概念を伝えるためではなく、分かりやすく言ってしまえば身も蓋もないことを、そうとは分からぬように曖昧にしておくために使われている。たしかに醜いことを無知の霧の中に隠せば、一見、美しい自然現象として見せることはできよう。しかしいったん霧が晴れれば、そこに見えるのは醜い国そのものだろう。(9/29/2006)

 きのう書き忘れた新内閣の顔ぶれ確定後の東京市場、一気に390円42銭高の1万5,947円87銭。まずは慶賀と書いておくが、ニューヨーク株式の予想以上の高騰に引っ張られたと見るのが市場関係者の話。まあ安倍の対米従属を反映していると思えば不思議はない。

 新聞各社が一斉に安倍内閣の支持率調査結果を発表。支持率は高い方から順に、日経71%、読売70%、毎日67%、共同65%、朝日63%。スタート時の値としては小泉内閣、細川内閣に次いで歴代3位とのこと。女性の支持が際立って高い由。

 よる、病院から帰るときに、ふと安倍晋三の「美しい国へ」を買っておこうかと思った。いまこの時代のこの国の人々の約三分の二が支持をした宰相がどれほど中味の薄い、取るに足らない人物であったか、そのエビデンスをとっておくのも悪くはないと考えたからだ。文春新書で税込み766円。

 バカがバカであることを説明するためには、そのバカが書いた本を読んで逐一バカである部分をすべて説かねばならないわけではない。ネットには必ず「読みもしないで批判をするな」という常識論を書き立てる奴がいる。たしかにそれは正論ではあるが、世の中には立ち読みでパラパラ眺めれば批判できてしまう本も厳然と存在している。

 その昔、パソコン通信時代に渡部昇一を批判しようと「腐敗の時代」という本を買ったことがある。じつにムダな出費かつ不毛なことだった。渡部昇一ていどのバカならば、片言隻句をとらえてバカと断ずればそれで終わるものだ。それはちょうど寝ていても入れる三流大学の入試など、試験時間の三分の一もあればクリアして退出しても確実に合格できるのに似ている。

 結局「美しい国へ」を買うのは見合わせた。エビデンスを手もとに置いて何年後かに「ホラ、こんなバカなことを書いていた首相だったのだ」と嗤いたい気持ちはまだある。しかしいずれ時をおかずにこの本は古本屋の店先に一山100円の「ゾッキ本」として出るだろう。その時に買っても遅くはないと思い直したのだ。(9/28/2006)

 あまりにお粗末な記者会見に腹を抱えて嗤ったせいで、内閣の顔ぶれについて書かずに日記を閉じてしまった。日曜日に市井の半可通が予想した特徴はそのままあたった。わずかに外れたのは「八方美人」的に派閥バランスをとるのではないかとしたところくらい。総裁選でいちばん鋭く反対意見を述べた谷垣のところからはゼロ採用だったから。

 官房長官が塩崎恭久、外相が麻生太郎の留任。財務相が尾身幸次、・・・。どうでもいいから忘れたようだ。「理性の狡知」かもしれない。スポーツ新聞を含めてほとんどの新聞が「論功行賞内閣」だと書いている。「仲良し内閣」、「学園祭内閣」、・・・、などの形容もあった。選んだ連中(自民党員)も、選ばれた人物(安倍晋三)も「品格」にはほど遠い。これがいまのこの国だ。首相(安倍晋三)が「美しい国」を強調する気持ちも分かる。非常にねじれ、皮肉な状況で表現に困るが・・・。

 二昔ほど前の金余り時代、多くの企業が競うようにマッキンゼーに代表されるコンサルタント会社に自社の診断をやらせたことがあった。いちばんポピュラーだった診断は「御社はバランスがとれており、その点は評価できます。ただ、そのぬるま湯的なところがアダとなって、みんな仲良く共倒れにならないように手を打ちましょう」というものだった。新内閣にはこのご託宣がよく似合うだろう。

 コンサルタントを受けた会社がその後診断をどのように活かしたかは知らない。ただ失われた10年が訪れたことを考えると、活かしきれなかったのか、そもそも診断の使い回しで稼ぐコンサルが「ヤブ」だったのか、どちらかは分からないながら共倒れは起きた。この内閣の行く末も同じことになるのか。(9/27/2006)

 9時のニュースの時間中に安倍新総理の記者会見中継があった。安倍の表情は冴えなかった。目の下のたるみは51歳という年齢を考えれば老人性のものではなく、俗にいう疲れから来るクマなのだろう。さしたる工夫の見られぬあの組閣人事で考え疲れをしたはずはないから、所信を語るセリフを憶えるのに思いの外睡眠時間を削られたためではないかと想像。そうとすれば人生50年を過ぎれば記憶力の減退は恥ずかしいことではないのだからメモでもなんでも見ればよいだけのことだ。頭の悪さにコンプレックスがある者ほど長ゼリフだって憶えられるぞと誇示したくなる気持ちは分からないでもないが、そんなものはたわけた情熱だ。なぜなら安倍の年齢にとっての頭の善し悪しはセリフを憶える記憶力などではない。論理的思考力であり、洞察力だ。「若作り」にはなんの意味もない。

 記者との一問一答の最初がNHKの山下という記者(あの五つ子ちゃんのお父さん?、まだ、最前線にいるの?)だった。「具体的に」と聞いているのに、その答はまたまた「本文」中で使った言葉を繰り返すのみ。前総理も「具体的なこと」は語れない男だったが、それでも靖国のこと以外なら答えの言葉に変化はつけられた。安倍にはそれすらも適わないらしい。わけの分からない空疎な言葉を羅列したあげくのはてに「本文」に戻ってしまったのには嗤ってしまった。そしてほんの数分と立たぬうちに進行役が打ち切りを告げた。当意即妙の対応ができないことは安倍の数多い弱点のひとつだ。事前に質問ペーパーを提出させている由。よほど「想定外」に弱いらしい。

 そうそう、それでも具体的だった箇所があった。財政再建について語ったところで「隗より始めよという、わたしの給与3割、閣僚給与1割をカットする」と宣言して「どうだ」という顔をした。ものごとには大きなことから小さなことまである。「具体例」も同じ。マクロからミクロまでの中間をすっ飛ばしてプライベートに近い超ミクロな具体例を話されても、聞いている方は目が点になるばかりだ。具体的なイメージがないから唐突に自分の給与返上を思いついたのかと疑う者も多かろう。巻き添えを食う新大臣、いまならば就任の喜びで文句をいう気にはならない、か。(安倍が自慢する祖父・岸信介の「武勇伝」のひとつを思い出した。官吏一律一割減俸の話が出るや岸は反対する者の辞表をとりまとめて商工省大臣に詰め寄りこれを撤回させ名をあげた。昭和4年のことだったそうだ。オイ、話が逆だぞ)

 それにしても「しっかりと」という言葉が多かった。なにかというと「しっかりとやっていきたい」だ。よほど自分で自分を励まさないとならないようだ。粗雑な思考力と自信の不足。じつに心許ない安倍丸の出帆だ。

 総裁選出の日の株価を書いておいたから首班指名の日の株価も書いておこう。1万5,557円45銭。前日比76円36銭安。この組閣であしたはどうなるか。(9/26/2006)

 題名は忘れてしまったが、白土三平に、秀吉亡き後、家康以外の大物が次々と死んで、家康が権力を手中に収められたのは、彼の放った刺客の活躍によるものだったというプロットの劇画があった。その巧妙な暗殺の手口はツツガムシを利用したもので、証拠を残さぬ「秘術」という話になっていた。

 こんなことを思い出したのは党大会で代表に再選されたばかりの小沢一郎が党大会直後に検査と称して記者会見を欠席し入院したからだ。健康問題で小沢が代表を降りることがあれば、安倍政権の存続を分けるはずの来年の参院選のもつポテンシャルが一気に下がってしまう。逆にいえば、安倍にしてみれば丑の刻参りをしてでも除きたいのが小沢一郎ということだ。件の「秘術」の名前は「丑三つの術」だった。

§

 自民党の党三役が決まった。幹事長に中川秀直、政調会長に中川昭一、総務会長に丹羽雄哉。中川秀直は官房長官をしくじった男だ。辞めなければならなくなったのは女性問題ということになっている。女性問題は「エ・アロール(それがどうしたの)」な問題だ。あの時の最大の問題は、中川が件の女性のために彼女が嫌疑をかけられていた覚醒剤使用に関する捜査情報を当局から入手し、それを伝えていたということだ。不正な情報入手と漏洩は中川という人物の根本的な欠陥であり、少なくとも政府部内にはおけなかったのだろう。逆にいえば、このようなことは障りにはならないのが自民党のナンバー2という職だということ。はて、公私混同問題なしなのは幹事長職なのか自民党そのものなのか、どちらなのだろう。(9/25/2006)

 警句の中には間違って憶えられているものもある。「下手な考え休むに似たり」ではない。「下手の考え休むに似たり」が正しい。「下手」とは「知恵の出ない者」のこと。知恵のでない奴がいくら考えても時間を無駄にするだけのことという意味。

 安倍晋三が河口湖の別荘に引き籠もって人事構想を練っているというニュースを聞いて吹き出した。じっくり腰を落ち着けてのことかと思いきや、二泊三日の「転地療養」だというからますます大嗤い。

 結論から書けば、安倍新内閣の人事のサプライズは拉致担当大臣などの新設ポスト、それに塩・胡椒ていどの女性閣僚と民間登用。森派の重用はあるにしても、基本部分は八方美人のバランス人事に落ち着くことだろう。

 サプライズで注目を集めてコイズミ・マジック・ショーに引き込んだ前任者の真似をしたくとも安倍にはその能力もカリスマ性もない。華麗なテクニックがなければ、こけおどしの仕掛けに走るしかない。どうでも注目を集めたいと思うところがチンピラなのだが是非もない。思いついたのが「別荘引き籠もり」だったか。コイズミから受けたアドバイスは忘れるなよ、「下手の考え休むに似たり」だからな。(9/24/2006)

 寝た。いつものように5時半頃に目が覚めたが、・・・きょうは休みだ・・・、なんと幸せな気分か。次に目が覚めたのは7時少し前。起きようかという気も起きず、いぎたなくしているうちに8時を過ぎてしまった。8時間以上の睡眠は久しぶり。ほんとうによく寝た。

 週末は雨模様という週間予報は外れていい天気。リンゴ台風に似たコースをたどった13号が掻き回して呼び込んだ夏の空気を、キティ台風のようなルートをとるものと懸念された14号が小笠原諸島から北上、完全に吹き払ってくれた。土曜日なのでありがたみがないが、きょうは秋分の日。暑さ寒さも彼岸までとはじつによく言ったものだ。

 朝のうちに、タヒボ茶を仕掛けて、洗濯物をもち新座へ。とって返して溜めた食器類を洗い、昼をすませてから**(母)さんの病院へ。あまり痛みがないと言うのだが、ベッドサイドの手帳を見るとかなり頻繁に座薬をもらっている。年末年始の帰宅を望みにしてもう一度歩く努力を促してみた。「**(長男)、**(次男)、そろって、また、焼き肉パーティで年取りしようよ」。もう一度みんなで年越しができればいいのだが。

 家に戻って3時過ぎ。**(家内)の病院まで行けない時間ではないのだが、重たいものが腰から下につまっているような心地がしてパスさせてもらうことにした。

 あまり食べていないのに下痢が止まらない。(9/23/2006)

 きのう、東京地裁で入学式や卒業式における日の丸・君が代に対する起立・斉唱を義務づけた都教委通達を違憲とする判決が出た。

 朝刊には判決理由の要旨が載っている。その中にこんなくだりがある。

 入学式、卒業式で国旗を掲げ、国歌を斉唱するということは有意義ということができる。しかし、宗教上の信仰に準ずる世界観、主義、主張に基づいて、起立、斉唱、伴奏をしたくない教職員がいることもまた現実である。このような教職員に対し、懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱などをさせることは、いわば、少数者の思想・良心の自由を侵害し、行きすぎた措置だ。

 これは2年前の秋の園遊会において東京都の教育委員をしていた米長邦雄が「日本中の学校で国旗を掲げて、国歌を斉唱させるというのがわたしの仕事でございます」と言ったのに対し、今上が「やはり強制になるということではないことが望ましいと思います」と応えたことを思い出させる。きのうの判決はまさに今上の意見とぴったり重なっている。

 この問題のもうひとつの側面であり、より根源的な問題は、まず、国旗が日の丸であることに関しての是非、そして、国歌が君が代であることに関しての是非だ。左右を問わず対立なく許容できる国旗、国歌を定めるならばこの問題は解決できるのだ。国民の統合の印として使用するにも関わらず、それをわざわざ嫌がる人がいるものを選んで自分たちの「趣味」を押し通そうとしたところに最大の問題があるのだ。

 そういう「趣味」の連中は日の丸・君が代を受容できない人々に対して「そういう連中は日本人じゃない」、「そんなに嫌いなら日本から出て行け」などと平然と語る。まるで日本人である条件は日の丸印の君が代マークで、ここはオレの国だと言わんばかりの罵詈雑言。ずいぶん偉そうな口を利くものだが、いったい彼らにそんなことを主張する権利なり権限はあるのだろうか。

 彼らはもし選挙の結果で彼らの「趣味」とは異なる人々が権力を握り、彼らの「趣味」とは相容れない国旗、国歌を制定したときには「俺達は日本人じゃない」と言い、「俺達はこの国から出て行く」という覚悟ができているのだろうか。(9/22/2006)

 通常は新政権への期待からご祝儀相場になるものだが、皮肉なことに東証の平均株価は155円61銭下落した。これを経済面と外交面ともに不安な安倍の実力を考慮した結果だとするのはまだ早いかもしれない。しかし就任記者会見のサマリを読むと、「毅然として自信がない」ことが歴然と分かる。

 読み終えたばかりの野上忠興「ドキュメント安倍晋三」は90%が提灯記事、残り10%が安倍が失敗しそうなことに対する予防的いいわけ記事という政治的パンフレットだが、その提灯記事を額面通り真に受けたとしても、見えてくるのは安倍という人物は「自民党に関する専門家」であって日本という国の舵を取るための「政治に関する専門家」ではないということだ。つまりそれ以上のことはいくら提灯を掲げても書きようがなかった、と。野上さん、安倍からいくらもらったかは知らないがご苦労さん。

 野上は「私邸がデモ隊に囲まれ、新聞に包まれた火付き石(いったいどんなもののことをいうのだろう)が投げ込まれても、まったく動じない岸の姿に晋三は・・・」と書いている。60年当時、小学校の6年生だったが、安保騒動が山を越えてから起きた事件はよく憶えている。岸首相が暴漢に襲われた事件のことだ。テレビニュースの首相はいかにもだらしなかった。ギャーギャー声を張り上げるだけで、キリッとしたところなど微塵もなかった。新聞写真はもっと痛烈だった。何人かに手足を抱き上げられた男の顔は哀れな泣きっ面で、それが天下の総理大臣とはとても思えなかった。岸は安倍の回想する如く当時は悪人扱いだったせいもあって、しばらくの間、我々の小学生のあいだでは「岸みたいな奴だな」というのが「根性無しの腑抜け」と同義に使われていた。

 奥付によると野上は1940年生まれ。60年当時は二十歳になっていたはず。野上には潮垂れた野良犬のような表情の岸の写真の記憶はないのだろうか。また官邸で弟の佐藤栄作と抱き合い震えながら自衛隊の治安出動を要請したという「伝説」も知らないのだろうか。そういうものを総合すると、少なくとも火炎瓶の如きものを投げ込まれて悠然としている岸信介など、安倍以外の証言で裏付けをとらない限り書けない話ではないのか。提灯本はもう少しうまく書くことだ、野上さんよ。(9/21/2006)

 自民党総裁選の結果。いくら品格を失った時代とはいっても、これほど浅ましく勝ち馬に群がる社会現象はなかなか見られるものではない。それでも勝ち馬がディープインパクトのように文句なしの実力があり純粋に脚の速さを問うだけのものならば、そういうこともありかもしれない。だが安倍がそれほどのタマだとは群がって祭り上げた者たちもよもや思っておるまい。祭り上げたのはひとえに小泉時代の「勘違い下克上」がまだ続くと期待されているからだろう。「安倍さんていどでも総理になるのだから*年生議員のオレ(アタシ)でも大臣(副大臣・その他いろいろ)になってもおかしくない」という心理が働くのに違いない。

 さてその総裁選の得票数と得票率を記録しておく。

安倍 麻生 谷垣
議員票 得票数 267 69 66
得票率 66.4% 17.2% 16.4%
地方票 得票数 197 67 36
得票率 65.7% 22.3% 12.0%
得票数 464 136 102
得票率 66.1% 19.4% 14.5%

 安倍の圧勝といえば圧勝。しかし安倍陣営選対は「得票率7割台は確実、8割に載せる」と豪語していたのだから喜びも中くらいかと思った。ところがニュース映像で見る安倍の頬は引きつり、作り笑いの表情、満足のゆく勝利ではなかったのかもしれない。

 夜のニュースでは「安倍をバカ勝ちさせてはいけないというバランス感覚が働いたのだろう」などと解説していたが、おそらくこれは先週の安倍の参院選候補者再考問題が影響したためだろう。読み終わった野上忠興の「ドキュメント安倍晋三―隠れた素顔を追う―」によると、安倍と青木・片山とのバトルはシンクタンク2005・日本の設立の時にもあった由。

 安倍は陰湿な性格のようで必ず意趣返しをやる。誰でも知っている例は田中均に対する処置だ。単純に役人として閑職に追いやるだけでは気が済まなかった安倍は、家族会と救う会に魔女狩り検察官の役回りを命じ、一連の北朝鮮ヒステリーをマスコミに蔓延させ、拉致問題をはじめてオフィシャルなものにした功労者である田中を葬り去った。それは田中が「北朝鮮融和派(「融和派」というのは野上の本に出てくる呼称だがおそらく安倍からの受け売りだろう)」福田の手先として働いた故の報復だった。

 参院選候補者選考問題、これも安倍の参院自民党に対する報復粛正の前哨戦なのかもしれない。(9/20/2006)

 **(家内)の手術。休暇をとって終日、病室で待機。**(義姉)夫婦も来てくれた。約4時間。手術そのものは順調。**(家内)も気分は悪くないということで一安心。

 安倍の政権公約には一言も触れられていなかったロシアがサハリン2の開発認可を取り消したというニュースが朝刊一面に。

 ロシア天然資源省は18日、日本の大手商社が出資するロシア・サハリン州の石油・天然ガス開発プロジェクト「サハリン2」に与えた開発認可を取り消す決定をした。事実上の事業中止命令で、08年を目指していた天然ガスの生産・輸出に大幅な遅れが出る可能性が出てきた。
 環境保全を理由とする認可取り消しだが、事業への参入を狙って、サハリン2の筆頭出資者ロイヤル・ダッチ・シェルと交渉中のロシア政府系天然ガス独占企業ガスプロムの立場を有利にし、エネルギー部門への国家管理を強化する狙いがあると見られる。
 今回取り消されたのは、環境アセスメントに基づいて03年7月15日付で同省が与えた開発認可。取り消しの結果、生産や販売を含むプロジェクトの活動が当面すべて禁じられる見通しだ。

 「美しい国」になるのだから資源エネルギーには頓着しないというのかもしれないが、三井物産は25%、三菱商事は20%を出資している由。まさに国益のかたまりのような部分。ネット右翼のパープリンあんちゃんたちと同様、靖国問題だとか拉致問題のような「反共イデオロギー」がファイトを掻き立てるものには「毅然」として騒ぎ立てられるが、「反共」が絡まないと丸出だめ夫というのが安倍の実像なのか。

 少しばかり目端が利く奴は安倍に注進するがよい。サハリン2の最大の出資者は記事にもあるとおりシェルだ。シェルとテキサスの石油屋ブッシュ家とのあいだにどんな利害があるかは分からないが、「とりあえずそのあたりに泣きつく手があります」、と。しかし忘れてはいけないのは先日の北朝鮮国連制裁決議の際の教訓だ。アメリカ、就中ブッシュは信頼できるパートナーではない。せいぜいまたまたハシゴを外されないように注意することだ。

 北朝鮮といえば、きょう、対北朝鮮金融制裁の発動を閣議決定。今月初めのヒル国務次官補の訪中の前後から中国は表向き経済制裁に慎重な姿勢をとりつつ、めだたない形で北朝鮮への実効的な送金パイプを絞り始めたという報道がある。つまり経済制裁の効果がかなり期待できるという見込みがたったという結果なのかもしれない。

 そういう観測があったなら、ではなぜ安倍新内閣のハレの初仕事にしないのか。なにもレイムダック内閣の最後の閣議決定にしなくともよいではないか。それはおそらくこの経済制裁が奏功しない場合、拉致問題だけで道を開いた安倍にかなりのダメージを与えることになりかねないことを懸念したのだろう。経済制裁が奏功すれば、その時政権を担当している安倍の手柄。なかなか効果が見えなければ、「あれは前内閣のやったことですから」と責任逃れできる。このウロウロがこのバタバタなのだ。「毅然としている」が「自信がない」という、嗤える構図。

 ここまで面倒をみてもらったとなると、安倍は、当分のあいだ、小泉に足を向けて寝られないに違いない。(9/19/2006)

 **(家内)、山王メディカルプラザ入院。連休最終日、交通事情が予測できないので、駅まで車で出て電車乗り継ぎでゆく。日医とは明らかにコンセプトの違う病院。病室は個室。なにより静か。いろいろな検査があるので、こちらは病室で持参した野上忠興の「ドキュメント安倍晋三―隠れた素顔を追う―」を読む。まだ半分までゆかないがどうやら提灯本らしい。

 「拉致の安倍」はその通りだろうが、それが安倍の「優しさ」から出ているかのように書くのはどうだろう。北朝鮮による拉致がなんの罪もない人々に過酷な運命を強いていることは事実でこれに政治家として立ち向かうことは評価できるが、そういう人間が一方で統一教会の合同結婚式に祝電を送り、一貫してその広告塔の役割を果たしているのはどういうわけか。

 韓国にいる日本人とその家族は約2万人、そのうちの約半分は統一教会の信者で、さらにその半分にあたる5千人が合同結婚式により結婚した日本人とその子供だという。韓国の統一教会信者には無料の結婚紹介所感覚で「入信」した低所得層が多く、合同結婚式は本人の意思に関係なく相手を選ばれるため、日本以上に地方格差の大きい韓国の後進地域に嫁いで悲惨な生活を強いられている日本人女性が多い由。これも形を変えた「拉致」だろう。

 拉致に準ずる「犯罪行為」に安倍は祝電を送り続けている。「優しさ」や「ヒューマニズム」というキーワードではこの矛盾するふたつの事実は説明できない。合理的説明が可能なキーワードは「反共イデオロギー」だ。「反共」だから北朝鮮の国家犯罪を糾弾するし、「反共」だから統一教会の犯罪に荷担するわけだ。合同結婚式で嫁いでゆくのは個人の自由意思だという理屈もあろう。しかし既に幾人もの被害者が悲惨な境遇から帰還できないでいることが客観的に分かっていて、なおそのお先棒を担ごうというのは「反共」の「信念」があればこそのことだろう。

 野上の視野には朝鮮半島の北半分は入っているが南半分は入っていないようだ。いや、そもそもそういう遠近感が野上というライターにはないのかもしれない。(9/18/2006)

 10時15分からBS1でオンエアされた「それは9・11から始まった−対テロ戦争の内幕−」を見終わったところだ。

 制作はWGBH(ボストン公共放送:どうでもいい冗談だがJISキーボードのカナモードでキーインすると「敵国」になる)。番組はおびただしいホワイトハウス・CIA・国防総省・国務省の現・前・元関係者へのインタビューからなっている。

 内容のほとんどは既に報ぜられていたり、お茶の間ウォッチャーでも頭さえ回転させていれば想像のつくことだから驚くほどのものではない。だが大方こんなことだろうと思っていたことが、関係者の生の証言で確認されるというのは貴重だ。

 要約すると、911の直後からブッシュ政権はイラク戦争を考えていた、その中心人物はチェイニー副大統領であり、ラムズフェルド国防長官だったというものだ。さすがに911を奇貨として、彼らはその前からもっていたフセイン打倒の野望を果たしたのだというところまでは踏み込んでいないが、アフガン攻撃とイラク攻撃はまったく違う動機によるものだということは明らかにしている。

 番組の面白さは、チェイニーやラムズフェルドというタイプの人間は外部の敵と戦うことよりも自分たちの利害に関わる内部の敵と戦うことに全力を傾ける、内部抗争に勝つためには自分たちが忠誠を尽くすべきものをボロボロにすることなどなんとも思っていない獅子身中の虫だということが、じつによく分かることにあった。

 あしたは**(家内)の入院だ。早く寝なくちゃ。(9/17/2006)

 最高裁がオウムの松本智津夫の訴訟能力を認め、弁護側の特別抗告を棄却した結果、松本の死刑が確定した。これがきのうの夜のトップニュース。

 結論から書けば、出るべき結果が出ただけのこと。死刑制度が存在する以上、松本智津夫の死刑は動かし難く、それ以外の判決が出たならば、この国の法治制度そのものの存立が危うくなっただろう。それはそうだとしても高裁から最高裁に至る経過は弁護側だけではなく裁判所側もお粗末そのものだった。高裁の裁判官にとって松本智津夫の「病状」は頭痛のタネだったに違いない。結局、裁判所は公正さを捨てて、社会の潜在的ニーズに応えたのだと思う。

 この事件の番記者、降幡賢一は朝刊にこう書いている。「私たちは一人の『極悪人』を『神』と信じて操られた特異な集団が起こした特異な事件だと考えて、彼らを厳罰に処し、残った者は社会の『異端者』として監視し、行動を規制することで『安心』を得たつもりになっていないだろうか」と。まさにその通り。ただそれははっきり言ってこの国だけではなく人間の社会にはできないことだ。それだけの余裕を持てないのが現在の大衆社会だ。

 彼はこうも書いている。「『救済者』を名乗って人々に君臨しようとし、化学兵器を使って社会に無差別大量殺人を仕掛けたこの男には、彼のみが知りうる未解明の『闇』の部分が残っているのに、一連の事件の真実をえぐり出すことより、被告に生命をもって罪を償わせることの方を優先させてしまったように思える」。これも正しいと思う。しかし松本を生かしたとしても、その「闇」なるものが解明できるとは思えない。むしろもっと別の角度からの解明を考えるべきだと思う。

 オウムにはいくつもの疑問がある。なぜサリンだったのかなどというつまらない疑問に始まって、ロシアからの武器の調達はどのようなルートから可能になったのか、国松警察庁長官の狙撃のねらいはなんだったのか、村井秀夫の殺害の背景はどのようなものだったのか、・・・、不思議なことばかりだ。どうも我々は個別の事件に目を奪われて、オウムが犯した犯罪の全容や背景、遠近を見失っているような気がしてならない。「心の闇」という言葉にこだわっているとそれが分からない。

 なぜやったのかではなく、どのようにやったのかというアプローチも可能であり、意味があるはずだ。たとえば、あれほどの信者を食わせること、パソコン製造からラーメン屋までいろいろ行われていた経済活動、そしてサリン製造プラントのようにかなり神経を使う必要のある施設の建設と維持、それらを破綻なく動かすためにはそれなりのマネジメントが必要なはずだ。資材の調達から人員の配置、組織を動かすための資金の流通、それらが個別に統一なく行われていたはずはない。それでは行き詰まってしまう。しかしオウムはそういうレベルでは破綻しなかった。誰が、どのような組織が、それを行っていたのか。こうしたアプローチは、別に裁判手続きによる必要はない。自然に浮かぶ疑問の輪を丁寧にほぐせばよい。その気になりさえすれば、教祖の「心の闇」の解明よりははるかに簡単にできるはずだが、そういう疑問に答えるレポートはあるのだろうか。

 犯罪捜査に専心し、せいぜい動機の解明までを担当する警察当局はともかくとして、オウムのおかげで仕事が確保された公安調査庁などは、漫然と「アーレフはまだ危険だ」などと言うのではなく、「かつてオウムのロジスティックを担当したメンバーがそのまま組織内にいていつでも活動できる状態にあるから危険だ」というような調査データを添えた判断を公表すべきなのだ。(9/16/2006)

 竹中平蔵が小泉内閣の退陣とともに議員辞職するとのこと。週刊文春の最新号の目次には、「安倍新政権のワナ」という特集のトップ記事として「サプライズ・竹中続投で広がる『格差地獄』」とあった。あいかわらず間抜けな見出しだこと。間抜けな見出しという点ではいつも嗤わせてくれる週刊新潮の広告にも「麻生1位、安倍3位だった面白演説」とあるが、ヤフーのみんなの政治なるサイトの人気投票によれば、麻生が1位で、谷垣が2位、安倍は断ペコの3位になっていると「きっこの日記」にあった。安倍の人気はどうやら局地的なものあるいは作為的なものなのかもしれない。

 さて竹中。彼がほんとうに「改革派」なのかどうかは分明でないが、少なくともアメリカ型の人物であることは確かなようだ。とすれば彼はこれからも政界・学会・実業界をトンビしてまわるのだろうか。ビジネスマンとしては誠実さに欠けるようだから失格。研究者としては「翻案型」、というよりは横のものを縦にして、それがいかにも自分のオリジナリティであるかのように宣伝することがうまい人だから世渡りには困るまい。ただ三日続ければ止められないという乞食稼業で権力欲を充足させていた身としては、金銭欲の充足だけでは不満が鬱積するのではないか。会見の折、涙ぐんだのは、ポストを得られぬ悔しさだったのか、はたまた失う権力を惜しんだためか。

 竹中には権力によって身を肥やしているという噂がいつもつきまとっていた。その場合、権力の座から下りることは一般的に言って危険だ。とすれば噂の真偽についてはいずれ知れる。(9/15/2006)

 安倍がジャパニーズ911を災厄への契機として定着させるかどうかは、よほどレベルの低さを露呈するようなことがない限り、来年の参議院選挙にかかっている。

 それに関連して安倍が「参院選の候補者をもう一度見直して決定しなければならない。総裁が判断したことには従ってもらわないといけない」と発言したため自民党内はちょっとした騒ぎになっている。

 昨日の朝刊によると、自民党の改選議席数は65、選挙区は45で既に40人は公認されている。参院のドン青木の下で調整をしている片山の「誰かが恣意的に決めているんじゃない。理解できない、何を言っているのか」という言葉は安倍の下心を明らかにしている。差し替え候補のすべてが津島派となれば、安倍の意図は明白だ。大局的には衆議院のみならず参議院の議員も党中央の鼻息だけに汲々とする大政翼賛会型ロボット議員にしようということなのだろう。

 「総裁が判断したこと」という言い方は小泉流を意識してのことだろうが、小泉は青木の全面的な協力を得てそれを実現してきたわけだから、青木の面子を潰しておいて「安倍ナダレ」といわれるような現今の勢いだけで同じことができるかどうかは疑問だろう。それとも安倍はかつて野中の寝首をかいた青木に擬せられるような「裏切り者」をだれか確保したのだろうか。

 翼賛会型ロボット議員という言葉で思い出したことがある。安倍晋三は岸信介ばかりを語る。父の安倍晋太郎については総理になり損ねた事実を語るばかりだ。安倍の姓を大切にする気があるのなら、もう一人の祖父である安倍寛について語らないのは異様だ。安倍寛こそ清廉潔白で「昭和の吉田松陰」と尊称された政治家で、翼賛選挙では非推薦で立候補し、東条内閣による選挙妨害の中を当選した人物だった。その頃、岸はその東条内閣の商工大臣を務めていた。

 「美しい国」が「昭和の吉田松陰」と呼ばれた人物への思慕ではなく、「昭和の妖怪」と呼ばれた人物への思慕により導かれようとしているのは面妖な話だが、誰もそういうことを指摘する者はいない。他ならぬ安倍晋三が語らないからだ。(9/14/2006)

 FACTAのメルマガ臨時版が「ほんとか?」というニュースを伝えてきた。見出しは「安倍氏が10月にも日中首脳会談」、これくらいならばさほど驚かないが、「代償には『台湾切り捨て』カードか」とあるのには驚いた。書き出しは次のとおり。

 政権発足後も、中国に対して強硬外交を展開すると見られてきた安倍晋三新首相が「サプライズ外交」に踏み切ろうとしている。就任早々の10月にも北京を訪れて胡錦涛国家主席と首脳会談を行い、その途上でソウルに立ち寄って盧武鉉韓国大統領とも会談する構想で、水面下では日中韓の複雑な駆け引きが始まっている。
 小泉首相の靖国参拝で冷え切っている日中関係を劇的に改善させるには、日中双方が国内を納得させるに足る大義名分が必要となる。安倍氏は靖国問題を曖昧にする代償に、台湾問題でカードを切る用意があるようだ。

 記事は安倍のねらいを三点あげている。ひとつめは「自民総裁選で対立軸となったアジア外交で先手を取ること」、ふたつめは「本音では日中関係の悪化を危惧している米ブッシュ政権の不安を払拭できること」、最後が「来夏の参議院選挙をにらんで、このサプライズ外交を攻勢の目玉にすること」。

 この記事の信憑性を支えるデータとしてあげてあるのは、ドーハで行われたアジア協力対話外相会議での麻生太郎・李肇星対談の動き、8月15日の小泉参拝に対する中国の反応、李登輝の来日発表と突然の延期(新政権発足前に李登輝・安倍会談の予定が安倍側からキャンセルされたためだという)などだ。

 もしこの「サプライズ」が実現されるならば、安倍内閣はまずまず以上の支持率に支えられて滑り出すことになるだろう。ただこの記事の末尾はなかなか面白い書き方になっている。

 このFACTA報道で「台湾切り捨て」カードが問題視されれば、安倍氏を非難する声も出るとみられ、劇的な豹変を国内外に説明する言葉遣いは「極めて微妙でファジーにならざるをえない」。このため直前に折り合えなくなる可能性もまだ残っている。

 ライターのエクスキューズかもしれない。しかしおそらくこれは安倍周辺からの意図的なリークだ。知恵の出元がどこかは分からないが、このリークは観測気球で、反応を見ているのだ。観測の対象は国内の自民党内の台湾派、いちおう、右翼団体、フリー・チャイナグループも含むつもりかもしれないが、あくまでメインは「安倍晋三本人」だ。

 安倍が祖父の亡霊やその体現者たるゴッドマザー安倍洋子に対するマザーコンプレックスをどのくらい払拭できているのか、まだ保育器の中のお坊ちゃんなのか、現実政治家として立てるのかどうかを「観測」しているのだ。答えはすぐにも出る。興味津々、成り行きを注視しよう。(9/13/2006)

 一夜にして空気が入れ替わり、一気に秋が来た。そういう感じの朝だった。半袖のワイシャツではなく長袖、背広を着ての出勤。

 72年の日中国交正常化交渉において、当時の周恩来首相が「日本の中国侵略は一部の軍国主義者によるもので一般の日本人も戦争の被害者だった」という論理で対日賠償請求権を放棄したことについて、おとといの総裁選公開討論会の席で安倍晋三は「文書としてそんな文書は残っていない。交わした文書がすべてだ」と発言した由。

 おそらく安倍は、靖国参拝に対する中国のクレームの根拠が「一部の軍国主義者」という限定にあるとすれば、それを認めないことにより内政干渉と切り返せると考えたのだろう。ワンウェイの論理で語れることがらはそれでよい。ただ世の中にはツーウェイの構造になっていることがらもある。残念ながら外交的なことがらのほとんどは単純なワンウェイの問題ではない。つまりひとつことを切り抜けることだけを考えて、他のことを顧みない発言はだいたい論理的に崩れるものだ。

 周恩来が現実的な解決のためにこしらえた「理屈」が「侵略をしたのは軍国主義者、日本国民は中国国民同様の戦争の被害者」という理屈だ。「詭弁」と言えば「詭弁」に違いない。だが、三千年以上の歴史を持つ国の宰相の「智慧」でもある。

 この「仮構」により互いの面子を保ちつつ、日本は戦後賠償を逃れ、中国は日本から経済支援を得た。所詮、「詭弁」であり、「仮構」である以上、文書にはしなかっただけのことで、そういう「大人」の汚い取引を嫌うならば、「子供」に戻って「おまえが悪い、謝れ」、「おまえだって悪い、謝らん」と言い合い、再度どつきあいの喧嘩を始めるまでのことだ。そういえば子供の喧嘩によく出てくる科白に「そんなこと言ってない、いつ、言った、何月、何日、何時、何分、何秒?」という文句があるが、安倍のこの言葉はどこかそれに似ている。いい歳をしてバカなことを言うものだ。

 そもそも安倍は「交わした文書がすべてだ」などといえるような仕事をしてきたのか。911の直後、出演したニュースステーションで「ビンラディンの犯行である根拠は」と問われ安倍は「同盟国のアメリカがそう判断しているようだから(信用する)」と答え、アフガン攻撃への自衛隊支援を要請されるや、「同盟国であるアメリカがそうだといっているのだから証拠など必要ない」などと答えて、小泉内閣の官房副長官としてテロ特措法を作り、自衛隊のインド洋派遣を推進してきたのではなかったか。自国の兵員の生命に関わる任務を口頭説明を根拠に決定したやり方と「交わした文書がすべてだ」という四角四面の文書主義とはどのように整合するのだろう。それとも「交わした文書がすべて」、所詮、自衛隊員の生命など鴻毛の如くに軽いものだから口先の説明が唯一の根拠でも十分というのが本音か。

 出来レースの茶番を演じている谷垣もさすがにこれには呆れたのだろう、きょうの記者会見で「日中関係は今まで多くの人の議論の積み重ねがあった。それを全部無視して『紙に書いてなかった』と言うのは本当の意味での信頼関係をつくっていけるのか。率直に言って疑問だ」と言った由。

 谷垣には一国の宰相が心得るべき基本があり、安倍にはそれが決定的に欠けている。歴史は、基本のないオポチュニストが宰相という要職を担うことは間違いだと、教えている。(9/12/2006)

 マスコミは911・五周年を取り上げている。たしかに911は21世紀の世界を形作る大事件だったと思うが、この国にとってはちょうど一年前の911総選挙が21世紀のこの国を規定する「事件」になりそうな気がする。

 2005年9月11日の総選挙がこの国にとって災厄の始まりだったということになるのか、あるいは一部の記憶のよい人々の脳裏に留められただけの選挙になるのか、それはまだ分からない。「気がする」などと書いたのはきょうのところは「なりそう」というだけで確実に「なる」とは断言できないからだ。

 近々首相の座に坐ると予想されている安倍晋三が、これからも北朝鮮のアシストを受け続けて(安倍晋三を宰相候補に押し上げた最大の功労者は北朝鮮だ)数年近くもその座を占めることがあれば、あの郵政選挙は比較的長い災厄の始まりになるだろう。つまりあの愚かしいワン・フレーズ・イレクションに小泉が勝利したことは、一つの可能性を開き、三つの事実を明らかにした。一つの可能性とは、安倍に宰相の道を開いたことであり、三つの事実とは、ひとつめ、目眩ましをひとつ喰らわせればこの国の選挙民はたやすく引っかかること、ふたつめ、この国の選挙民の平均値は安倍程度の知力のリーダーでも御することができるレベルにあること、みっつめ、したがって安倍は安心して民主主義を愚弄することができるという確信を持つことができること。最後の項目はあるいは「自由からの逃走」への憧れとして、比較的多くの国民の無意識の「望み」であるのかもしれない。

 しかしまだ確実に「なる」とは断言できない。安倍は既に言われている来年の参院選にしくじるかもしれない、あるいは北朝鮮の繰り出すいくつかのアシストの扱いを誤るかもしれない。もしかするとこの冬から春にかけて民主党の前原を襲ったような椿事が経験なき好戦論者の足をすくうかもしれない。できるならこちらの方を期待したいところだが、適わぬならば災厄の道もまたよし。愚かさが悲劇を招来するのはありふれたことながら、それを観察するのはなかなか楽しいものだ。「バカだねぇ、ほんと、バカ」、寅屋のおいちゃんの気分だ。(9/11/2006)

 安倍晋三の政権公約を読んでみた。時間はかからない、要点のみを箇条書きにしたものだから。あくまで要点なのか、これが全部で他には何もないのかは分からない。これ以上、これ以外、何もない可能性は非常に大きいと思うが。

 「具体的」とうたった政策は全部で6項。「1.政治のリーダーシップを確立」、「2.自由と規律でオープンな経済社会」、「3.健全で安心できる社会の実現」、「4.主張する外交で『強い日本、頼れる日本』」、「5.党改革:新たな時代の責任政党のビジョン」、「6.『戦後レジーム』から、新たな船出を」。まあコイズミ流にいえば、所詮、「公約」などというものは窮すれば「この程度のもの」と呼び捨ててよいものなのだから、あれこれいっても始まらないが、安倍晋三という男も、そのスタッフ、ブレーンも頭が固いなということは、一読して誰にでもすぐ分かる。(頭の悪さまではこのパンフレットでは分からない)

 ひとつだけ例をあげておく。「対ロ外交」ないしはそれを示唆する部分がどこにも見あたらないことだ。あえていえば、4の(2)に「開かれたアジアにおける強固な連帯の確立」というのがあるが、「中国、韓国等近隣諸国との信頼関係の強化」と書いてあるだけだ。このパンフレットを見た森喜朗は「なぜロシア外交がないんだ。安倍晋太郎の遺産ではないか」と言ったそうだが、安倍事務所は「もう印刷してしまった」と答えた由。

 貝殻島付近で漁船が銃撃され、乗組員一人が死亡、拿捕された事件から半月以上も経っている。「強い日本」だとか「頼れる日本」をめざして外交を展開するつもりがあるのなら、これは絶対に取りこぼすはずがないことがらではないのか。ところがそれにつながるはずのことが一言半句もない。羊頭狗肉とはこのこと。

 おそらくこのパンフレットの原稿はずいぶん前から準備されていたのだろう。推敲もしたに違いない。一定のプロセスを経て確定文書になっていた。安倍事務所が「もう印刷してしまった」と言ったのはそういうことだろう。しかしこれではまるで官僚答弁だ。官僚は一般的には優秀で取りこぼさない。だからいい。取りこぼしておいて、そのことが明確になっても、「前に決めたことだから」と墨守する、これはビューロクラシーの最悪のパターンだ。

 論戦になったとき安倍がどれほど頭の悪さを露呈するかの好例が一年ほど前、テレビで見られた。あの日、安倍は可哀想になるくらい荒井にやりこめられた。司会者があわてて論を転じて安倍を救っていたっけ。当意即妙の論戦が苦手でも必ずしも頭が悪いと決めつけることはできない。しかしそういう人はそのあとできちんと自分の考えを再構築するものだ。それができないどこまでもバカな人、そういう人は教条主義者になる。教条主義者の最大の弱点は状況の変化だ。漁船員の死は安倍とそのスタッフ、ブレーンにはただの「外乱」に過ぎなかった。彼らがノイズとして無視したという事実に彼らの無能さが露呈している。

 佐藤優によると東郷和彦はよくこんなことを言っていたという。「僕は若い頃、よく父(東郷文彦、外務事務次官、駐米大使を歴任)と言い争ったものですよ。父は僕に、『外交官には、能力があってやる気がある、能力がなくてやる気がある、能力はあるがやる気がない、能力もなくやる気もないの四カテゴリーがあるが、そのうちどのカテゴリーが国益にいちばん害を与えるかを理解しておかなくてはならない。お前はどう考えるか』とよく聞いてきたものです。僕は、能力がなくてやる気もないのが最低と考えていたのだが、父は能力がなくてやる気があるのが、事態を紛糾させるのでいちばん悪いと考えていた」(「国家の罠」から)と。この指摘は正しい。安倍晋三がこの最悪のカテゴリーに属するタイプだということが、現在のところの最大の心配。

§

 風呂上がり新聞を読んでいた**(家内)が「阿部謹也さんが亡くなったって」と言った。

 安倍晋三のくだらない政権公約文書やアメリカ上院情報特別委員会の報告書(旧フセイン政権とアルカイダにはなんのつながりもなかったというものらしい)などに眼を奪われて、社会面に中程度に出ていた記事を見逃していた。

 **(息子)が入学した年、阿部謹也が学長をしていると聞いて、その昔、読んだ「ハーメルンの笛吹き男」を持たせてサインをいただいた。**(息子)にはこの本は学長の出世作になった本だからその初版本にサインを下さいと言ったら悪い気はしないなどと下世話なことを言って、渋るところを頼み込んだ。電話を受けた阿部学長は学長室に新入生を招じ入れ、「お父さんが、ね、なにをされているの」などと言いながら快くサインをしてくれたと聞いた。

 あの本を買ったのは会社に入ってまもなく相模原浄水場監視制御システムをまとめていた頃のことだった。このまま会社生活を続けるか、文科系の大学に入り直して思うところのテーマとじっくり取り組むか、これが最後と悩んでいた頃、あの本を読んだ。内容には心から揺さぶられたが、阿部がそれをまとめるためにどのような日を送ったかを読んで足がすくんだ。いまもどちらの選択がよかったのか分からない。足をすくませるようなことを書いた阿部のサインは甘くも苦くも人生のひだになっていて、どこか初恋の人からもらったただ一通の手紙のようになった。

 一読者、碩学の死を心から悼み、合掌。(9/10/2006)

 オーマイニュースを見ていたら、魔女狩り新聞サンケイの発行部数偽装に関する記事が出ていた。

 サンケイ新聞が新聞販売店に強要している「押し紙」についてのものだ。手っ取り早く書くと、サンケイ新聞は発行部数を過大に見せかけるために、新聞販売店に実購読数をはるかに超える部数の発注を強要し、その補償として「完納奨励金」、「部数別奨励金」、「販売奨励金」、「普及奨励金」、・・・(これらが記載されたサンケイ新聞の販売店に対する社印入り請求書のコピーが出ているが、興味深い費目のオンパレードで嗤わせる)などの奇妙なカネを割り戻しているということ。

 「押し紙」というのは強要した発注部数から実際の販売部数を引いたもの。つまり最初から売れない新聞のこと。この最初からムダ刷りと分かっているものは、サンケイ新聞あたりになると、凄まじい部数になるらしい。資源の無駄遣いであることは誰の眼にも明らかだが、ブッシュびいきのサンケイ新聞のことだから、資源の無駄遣いこそブッシュ精神の発露とでも考えているのかもしれない。

 こういう押し紙による発行部数偽装はサンケイ新聞に限らないのかもしれない。ただサンケイ新聞の台所は恒常的に赤字(フジテレビからの「輸血」がなくては三ヶ月ともたないとの話もよく聞くところ)なので、割戻金の率が低く、販売店に強いる「痛み」が極端に大きいことは十分に予想される。記事には2002年春までサンケイ新聞の販売店をしていた人物が押し紙によって受けた損害の賠償を求めて提起した訴訟の話が書かれている。さすがに財界の暗黒面で生まれ育った会社だけのことはある。「サンケイ残酷物語」は形を変えていまも続いているというわけだ。立派、立派。

 魔女狩り検察官として強面するためには発行部数がそれなりにある全国紙のフリをしたいのだろう。サンケイ新聞が販売店虐めをしても、なんとかまとまった発行部数をでっち上げようと狂奔するのはそのためにほかならない。ところがそれほど無理をしているにも関わらず、サンケイ新聞の公称発行部数は中日新聞にまだなお及ばない。つまりサンケイ新聞は全国紙のふりをしているが実は地方有力紙以下の実力しかない。もし押し紙による不正行為がなければ、弱小地方紙にも及ぶかどうか・・・。惨め、惨め。(9/9/2006)

 朝刊に気になる記事が出ている。外務省から補助金を受けているシンクタンク財団法人日本国際問題研究所が自らのホームページに掲載していた英語論文をサンケイ新聞の批判記事により閲覧停止にしているというもの。朝刊には件の論文(表題:日本はいかに中国を想像し、自国を見ているか)の要旨が載っている。こんな内容だ。

 中国と日本の外交関係は70年代以降最悪の状態だ。だが日本国内では自国が国家主義的、軍国主義的、タカ派的に見られているとの認識は薄い。
 「普通の国」の追求がタカ派的ナショナリズムに勢いを与えているのは明らかだ。日中関係の問題は、中国やアジア諸国を日本と同等の国としてみなせなかった歴史に根がある。小泉首相が毎年の靖国参拝にこだわったことは物議を醸し出した。過去にも靖国カルト(崇拝)を復活させようとした国家主義的な首相はいたが、中韓の反発ですぐに撤回した。
 「普通の国」提唱者やタカ派的国家主義者は、靖国カルトを復活することで歴史を取り戻そうとしている。中国にとっては過去の戦争に対する罪の認識と後悔の念が欠けているように見える。
 靖国問題が外交的に騒がしい場所である以上、日本の政治的見解が海外で理解されることはないだろう。

 論文の指摘はごくまっとうなものだ。サンケイ新聞にいちゃもんをつけられて震え上がった佐藤行雄理事長は「『靖国カルト』など不適切な言葉遣いがあった」と陳謝したらしいが、英語論文だとすれば "Yasukuni cult" とは単に「靖国信仰」あるいは「靖国崇拝」を「流行」のニュアンスをこめて表した単語の選択で格別「不適切な」言葉とは思えない。わざわざ「靖国カルト」と翻訳することの方が意図的で不自然だ。(大方、程度の低いサンケイ記者が翻訳して恫喝のネタにしたのだろう)

 小泉の靖国参拝についていえば、今週の小泉メルマガに五百旗頭防衛大学校長が「靖国参拝一つで、どれほどアジア外交を麻痺させ、日本が営々として築いてきた建設的な対外関係を悪化させたことか」と書いたくらいで、低学歴・低所得のパープリンちゃんたちを除けばむしろ平均的でまともな意見だ。

 記事によれば、サンケイ新聞は8月12日付けの朝刊コラムで「中国などの日本攻撃をそのまま正しいかのように位置づける論旨」と書き、「現在の日本の外交や安保の根本を否定するような極端な意見の持ち主に日本の対外発信を任せる理由はなんなのか」と問うたとのことだが、外務省が与えているのは「補助金」であって丸抱えの研究所ではないのだから、この批判は的外れだ。(どこか右翼屋がカネ欲しさに難癖をつけるやり方に似ているところがいかにもという気がする)

 記事には「研究機関だから様々な意見があっていい。論文を閲覧できなくしたり佐藤氏が謝ったりするのは過剰反応だ」という「外務省幹部」の意見とワシントン・ポスト(電子版)の「自民党の加藤紘一元幹事長宅の放火事件とともに、ナショナリズムの高まりに後押しされ、思想統制が本流になりつつある」とする社外記者の記事が添えられている。こちらの方は匿名だから多少割り引いて読まねばならないが、少なくとも魔女狩り検察官を気取り始めたサンケイ新聞を警戒する必要はありそうだ。(9/8/2006)

 サンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフのスーベニールショップによったときのこと。ガラス細工のお土産品が並べられたところに、こんな注意書きがあった。"Handle with care, at your own risk" なるほどね、これがどこかで立ち読みした「グランドキャニオンの展望台には柵がない。谷を覗き込みたければ崖の端のギリギリのところまで行ける。転落の危険は自己責任で引き受けるのだ」という考え方なのだなと思ったものだった。

 吉野家が牛丼を復活する由。今月18日から。18日は午前11時からで100万食が売り切れ次第終了。来月と再来月は1日から5日、一日100万食を同じ条件で。毎日体制になるのは12月から。当面並みと大盛りはありだが特盛りはなしとのこと。吉野家のとったブランド戦略はみごとだったが、復活のシナリオもまたみごとだ。稀少感をアピールして、その都度、マスコミを煽り、徐々に盛り上げようとしているのだろう。

 かなりの人は吉牛の味は米国産牛でしか出ないというPRにのせられている。飢餓感は食欲を過剰にかき立てるものだ。空腹時に喰うものはうまいに決まっている。大昔、数回食べた記憶でいえばそれは単なる口上、280円(大盛りは440円だったそうだから、ここにコストマジックがあることは明らか)の値段が「安かろう、危なかろう」の米国産牛でなければ実現できないというのが真相。

 報ぜられるアメリカの食肉業の実態から考えて、BSEの潜在的危険は両国政府が認めている以上の確率で潜在しているのは間違いのないところ。今度は並みが380円で大盛りは480円。勘ぐるに100円もの値上げは買い付けに際して吉野家がつけた安全管理要求プレミアムのコストかもしれない。280円なら評価できた吉野家の味、リスクつき100円アップで「うまい」と唸らせるかどうかは微妙だろう。

 それでも、宝くじに当たらないのだからBSE当たりくじを引くこともないだろうと考えるのなら喰えばよい、"Eat with care, at your own risk" ということだ。(9/7/2006)

 ジョージ秋山の「パットマンX」を何度も思い出させる一日だった。藤子不二雄の「パーマン」ではない。パットマンはマントもヘルメットもパーマンそっくりなのだが空は飛べない。あくまで地面の上を三輪車でキコキコとこぐのみなのだ。

 秋篠宮妃紀子、男児出産。8時27分、身長48.8センチ、体重2558グラム。愛子内親王よりはひとまわり小ぶりなようだ。皇室にとっては41年ぶりの男子、現在の皇室典範に従えば第三位の皇位継承権者、常識的に考えると次次代の天皇ということになる。それが「帝王切開」(もっともシーザーは出生時に「帝王」になると知れていたわけではないけれど)で生まれたのだから、マスコミの取り上げ方がハイになるのは分からないではない。

 可笑しいのはこれで皇室典範の改正は見送りになるという見方が有力になっていること。少なくとも皇室の存続を重要なものと考えるなら、もう少し真面目にリスクを考えるべきだろう。凶事は慶事のモト、慶事は凶事のタネというのは真理だ。とすれば、いまこそ、凶事に備えるときなのだ。

 まず次代の天皇については二重化されており、とりあえず最低限のリスク保全はなされている。次次代については、きょうの親王の生誕により今上の兄弟ないし叔父まで逆上る必要が少なくなったとはいえ、未だにシングルシステムで、今後、デュープレックスシステムに改善される可能性はあまり高いとは言えない。(徳仁、文仁と二重化されていたからこそ、きょう、男児を得ることができたと認識しなくてはならない

 システム信頼性によるリスクの大幅改善が実現されていない以上、システム規約を改定することはリスク管理の上からは必須である。つまり皇室典範の改正によるプロトコルの変更はリスクが顕在化する前に行っておかなければならない。

 夜のニュースなどを見ていると「ゆっくり時間をかけて」などという声があるが、この程度のリスク管理が迅速かつ的確にできないようでは話にならない。(9/6/2006)

 7時少し過ぎに正門の警務で鍵をとり、だいたい7時10分にパソコンが稼働状態になる。7時半を始業時刻にすることにして、それまでメールニュースを手がかりにあちこちのサイトを見て歩く。けさは日経BPのSafetyJAPAN、古森義久のコラムを読んだ。タイトルは「『普通の国』日本を歓迎する―米有力論客の論文の重み」。

 サンケイ論説委員のものを読むと、「クラクラする」ことがある。論旨が酩酊していることが多いからだが、けさ読んだものにはそういう印象は持たなかった。

 古森はジョージ・ウィルなる「アメリカの有力な論客」が「日本は憲法9条を改正し、国際社会における他の普通の国と同様に、安全保障上の必要な処置がとれるようにすべきだ」と主張していることを紹介している。その上で古森は、同様の主張はいままでにもあったからそれほど注視するには値しないが、今回は違うと書いている。少し書き写しておく。(太字・下線は引用に際して施したもの)

 だがウィル氏は今回の論評で日本が憲法を改正して、「普通の国」になることが米国の利益に合致する、ときわめて明確に主張していた。
 「(日本が現行憲法の矛盾を解消することは)米国民にとっても重要である。なぜなら東アジアが米国にとって重要だからだ。さらには膨張する中国と錯乱したような北朝鮮がこの地域の安全保障を紛糾させているからだ。そのうえにこの地域で有害な反米主義がなく、米国への協力に意欲のある経済大国はきわめて少ないからだ。そうした国は日本だけともいえるのだ」。
 米国にとって東アジアで本当に頼れる大国は日本ぐらいだからこそ、日本が安全保障や軍事での例外的な自縄自縛を解いて、「普通の国」となることは米国への大きな利益となる、というのである。だから論文のタイトルも「日本の軍事を解放する」としたのだろう。この思考の背後には、日本がたとえ軍事面でいままでより強くなっても、成熟した民主主義国として米国の同盟国、友好国にとどまるだろう、という信頼感が存在するといえる。だから「より強い日本」は米国にとっては有益なプラスというわけである。
 ウィル氏がこうした日本信頼論を説くことは日本にとっても大きな意味がある。まず同氏はアジアや日本の専門家ではなく、米国の政治や外交の全般にわたり、強い発言力を持つからだ。そのうえにウィル氏はこれまで日本に対しては冷淡な態度をとってきた。1998年に例の日本糾弾の書『ザ・レイプ・オブ・南京』が米国内で出版されたとき、ウィル氏はその内容を全面的に擁護する論文を発表していた。そのうえで「日本は侵略を認めず、謝っていない」という中国側の主張にほぼ同調していたのだ。そうした人物が中国の膨張に備えるためにも日本にもっと軍事的な役割を担ってほしいと求めるようになったのだ。

 ウィルはアメリカ人であるから、それがアメリカの国益に適うかどうかということは関心事であろう。なんの不思議もない話でどうということもなさそうだ。ウィルが政権内の有力者だとでもいうのならともかく、注視すべきだという論拠はどんな理屈によるものか、繰り返して読んでみたが見あたらなかった。

 ところでこの平凡な話にいたく心を動かされたかのように書いている古森は、もしかつて反日的なことを主張していた中国の「有力な論客」が「中国の国益に適うから、日本はこれこれのことをすべきだ」と書いたならば、その時、暗にそうすべきだというニュアンスを潜ませて、「この動きは重視すべきだ」と書くのだろうか。

 読んでいてクラクラはしなかった、「やはりサンケイ論説子は頭が不自由なんだなぁ、可哀想にねぇ」とは思ったが。(9/5/2006)

 堀江貴文を被告とするライブドアグループの証券取引法違反事件に関する公判が始まった。堀江はスーツ姿ノーネクタイで東京地裁に入り、法廷ではネクタイも締めていた由。

 罪状認否では勝手が分からずにウロウロした場面があったものの、「そういった種類の犯罪は行ったことはありませんし、指示したこともありません。最初から悪意に満ちており、こういった起訴をされたことを心外に思います」と陳述し、全面否認したそうだ。

 裁判は新しく取り入れられた集中審理方式、3ヵ月程度で結審する予定とか。(9/4/2006)

 **(母)さんの病院へ。月が変わったのでテレビ番組表が欲しいという。いつもナースステーションにおいてあるPR誌に載っているものを利用していた。切れたのか、それとも週明けになるのか分からない。仕方なく売店にテレビガイドのようなものを買いに行く。先週、新聞広告の見出しでチェックしようと思っていて買い忘れた週刊現代があった。親孝行はするものだ。

 見出しは「あのジェラルド・カーティスがTV収録前に大放言:安倍晋三は頭も心も体も弱い政治家」。ジェラルド・カーティスは「代議士誕生―日本式選挙運動の研究―」で知られることになった政治学者だが、TBSの「時事放談」で野中広務との対談収録前にこんなことを言っていたという記事。

 昨日、安倍氏と会って二人で話したが、彼の話からは政権を担う宰相としてのアジェンダやパッションが見えなかった。
 安倍氏は性格が弱く、体も弱い。総理になる政治家はタフネスが必要だが彼からはエネルギーが感じられない。彼は弱い政治家だ。
 安倍氏は年金と医療をやりたいと話していた。しかし具体的な政策が見えない。

 多くの人は安倍晋三に若さと新しさを感じているようだが、安倍はいまどき珍しいイデオロギー政治家だと思う。安倍は父の遺志を継いで総理をめざすというPRの場面でのみ父・安倍晋太郎を語るが、政治家として何をするかということになると父については語らず祖父の岸信介の名前しか出てこないという。つまり晋三にとっては晋太郎はダシに過ぎない。

 安倍晋三の本質は岸信介のイデオロギー部分のみを抽出したコピーだというところにある。だから「憲法改正」の主張のあとは、年金も、医療も、経済も、・・・全部、すっ飛ばして「美しい国」に行ってしまうのだろう。安倍がアジェンダもパッションもない、ひよわな虚弱児にしか見えなかったのは、イデオロギーで鎧ったその内側がまったく空虚であったからに違いない。(9/3/2006)

 夕方5時からのBSフォーラムを見る。申込み多数で聴講できなかった「8月15日と南原繁の言葉を考える」。問題は「反戦」でも「護憲」でもない。基本的には自分が現在生きている時代と世界について深く考え、対話によって共有するものを築き上げてゆく努力ができるかどうかということなのだ。だが、そういう努力が成立する基盤はもはや失われたといっていい。

 単なる思い付きや思い込み、浅知恵や猿知恵、・・・、「そういう気がする」という程度のものを金科玉条にしていることのいかに多いことか。そんなものが時代の支配的空気になろうとしている。コンプレックスの裏返しで自分の行動を決め、それに固着することを「ブレない」とか「毅然」の語で自己陶酔的に語るさまには、どこかマザーコンプレックスのような匂いがつきまとっている。

 衣食住のほとんどを親の遺してくれたものに依存している事実に気付かないのはそれらが失われた状態を知らず、想像したこともないからだろう。そんな連中と「対話」が成立するのだろうか。いや、我慢してそんな連中との「対話」をしたところで、所詮、サルはサルで人間にはなれないのではないか。飢えなければ分からないのなら、もう一度飢える状況まで堕ちた方がいいのかもしれない。(9/2/2006)

 朝刊に加藤紘一の実家に放火した男の記事が出ている。記事には「堀米正広(65)=東京都新宿区歌舞伎町二丁目」とある。なかなかいいところにお住まいのようだが、所属していた右翼団体「大日本同胞社」の事務所に住民登録がありますということか。

 とかく「自供」というものは報道ベースになれば、バカバカしいものになってしまうのが常だが、「(所属していた右翼団体で)閑職となり、死にたいと思った」、「借金もあった。当時発言が目立っていた加藤氏の自宅で死ねば、右翼らしいと思った」などというのを読むとリストラされた老右翼の哀感がにじみ出ていて涙を誘う。

 「右翼らしく」などと言ってもどのようにすれば「右翼らしい」のか皆目見当がつかなかったのは、思想に殉ずることなど端から考えたことがなかったことの証左。切腹の作法も知らぬ武士のようなものと言ってさしあげたいところだが、「もののふ」というには職業右翼の垢が染みついていたようだ。

 この際、業界関係者は「職業右翼さんにも失業手当を」と訴えたらいかがか、呵々。(9/1/2006)

 品保部会は予想通り長引いて、三重工場を出たのは12時少し前。なんとか12時09分の特急に乗って名古屋へ。昼食をとる時間はなし。伏見の駅売店でサンドイッチを買って支社へ駆け込んだ。懇談は比較的順調に進んで5時前に終わったが、**さんや**さんなどと立ち話をした関係で6時10分ののぞみになった。関東方面で地震があったとかで少し遅れている。

 のぞみに揺られながら、きのうの「その時 歴史が動いた」を思い出している。テーマは「サンフランシスコ講和条約」。番組は吉田茂が推し進めた戦後外交政策を扱ったもの。「現在」という地点から見るならば、それは彼の外交官としての識見からなされたギリギリの政治決断であって十分に評価すべきであるという主張にまったく異論はない。「クレオパトラの鼻」を語りたくなるほど、「現在」につながる「結果」は悪いものではなかった。

 あえて番組にクレームをつけるとすれば「単独講和」ということばをそのまま使用していたことか。南原繁が主張した「全面講和」論に対したのは「片面講和」論だった。名は体を表す。そして実態を現す言葉を使うことこそが、歴史に限らずすべての場面で次の選択や決断を的確ならしめる。「敗戦」ではなく「終戦」と呼ぶことが、この国の戦後のある部分を誤らせたと知らなくてはならない。

 番組は最後に「寛大な条件による講和」の代償として吉田が秘密裏に提示した「基地の提供」について、その秘密外交が戦後民主主義のどこかにきずを残したとまとめていた。この指摘は間違っていない。しかし、天国とやらがあって、そこでは吉田とても人格が丸くなっているとしても、おそらく彼はその批判に対しては「阿世」と退けるに違いない。ただこうは言うかもしれない。「それは冷戦が終わるまでのことだった。ソ連が崩壊し冷戦が消えてなくなったとき、我が後輩たちは知恵の限りを尽くし、擬制の体制である安保条約を解消し、自立自存の体制に移行する努力をするべきであった。おまえたちはいったい何をしていたのだ」と。

 そろそろ品川に着く。(8/31/2006)

 3時前に工場を出て、新横浜から新幹線に乗る。横浜線では雨だったが、小田原を過ぎるころには薄日。ふと「沈まない夕日」のことを思い出した。

 四日市に着いたのは7時前だった。***(中略)***

§

 2016年夏のオリンピックの日本からの候補都市、JOC委員は33対22で東京を選んだ。なんとまあ想像力に欠けた選択かと嗤いたいが、所詮この国の知性のレベルはこの程度のものと思えば順当なところ。伝えられるところ、他の立候補都市はシカゴ・ロサンゼルス・ローマ・ドーハ・ケープタウン・リオデジャネイロなどが予想される由。「五輪」の「五」になにがしかの意味を認めるとすれば、これまで開催のないアフリカと南アメリカにそろそろ優先権がまわるような気がする。

 それでもなお都民がオリンピックの開催を望むなら、まず開催地の決定投票が行われる2009年までには都知事を取り替えておくべきだろう。「第三国人」などという発言は、この国ではともかく、他国ではレイシズム発言のバリエーションと見なされるであろうから。(8/30/2006)

 もう20年ほどまえに読んだトム・クランシーの「レッド・ストーム作戦発動」は中央アジアから始まっていた。石油とイスラム教が第三次世界大戦の発火点になるという想定だった。この設定はいまも新鮮さを失っていない。それどころか先年の上海協力機構などの動きを見ていると、既にこの地域に対するアメリカと中国・ロシアの間の影響力の綱引きが始まっていることは陋巷の民にすら分かること。

 小泉首相はきのうからウズベキスタンを訪問している。たぶん総理大臣のウズベキスタン訪問は戦後はじめてのことのはず。彼の地に総理を引っ張り出したのは、こんな背景があってのことで、外務省もやるべきことはやっていると評価したい。もっとも各局のニュースを見ていると、「子の心、親知らず」らしく、小泉自身は単なる卒業旅行の延長のような気分。その愚かさが伝染してか、同行記者団が伝えてきたのは「小泉首相は意中の総裁候補を明言しないかもしれない」などということ。

 もっと嗤ったのは、今ごろになって、加藤紘一に対する右翼テロについて「言論の自由を封殺するようなことは厳に慎まなくてはならない」などとコメントしたこと。なぜいままでこれにふれなかったかと問われて、「いつも聞かれたことに答えている、これについては質問がなかったからだ」と応じた由。きのうの朝刊に若宮啓文が「テロとの戦いはどうした、足元の右翼テロとは戦わなくてよいのか」と書いていたのを読んだ番記者の誰かが「そういえばそうだ」と質問したのだろう。緊張感を欠いた狎れあいがまかり通っているということだ。何から何まで絶望的に頓珍漢になった、この国は。

 マスコミよ、ウズベキスタン訪問の目的と意図、そして成果についてレポートしろよ。バカボンの安倍が次の自民党総裁になることはよく分かったよ。そんなボンクラでも我が国の宰相が務まるほどにこの国は堕ちた。その堕落の片棒を担いだのはバカマスコミ、おまえたちだ。それでも、たまには仕事をしたらどうだ。(8/29/2006)

 西日本支社の品保メンバーと懇談のため9時50分ののぞみに乗る。雲が切れたのは由緒ある校舎の建て替えでもめた豊郷あたりになってから。降り立った大阪はまだ夏の真っ盛りという暑さ。週末、一気に過ごしやすくなった関東から来ていささかうんざりしながら、支社に入る。

 3時過ぎには終わってしまうのではと思っていたが「感想戦」が長くなり、結局5時近くまで。6時少し前ののぞみに乗車。

 見るともなく見ていた車内の電光ニュースで、共産党の政治ビラを葛飾のマンションに配布し住居侵入罪に問われた事件に対し、東京地裁が無罪判決を出したことを知った。

 これも高裁までゆくと、また、有罪になるのか。郵便受けに入るおびただしいビラ、宅配ピザ・寿司、住宅売買、消費者金融、墓地、英会話、・・・マンションの各戸に配布する場合、あれはすべて住居侵入になるのか。それとも政党ビラの配布のみが犯罪なのか。公明党や自民党のビラを配布しても犯罪なのか。共産党だから犯罪だということはなかろう。とすると検挙されていない犯罪は大変な量になる。

 立川の事件もこの葛飾の事件も、マンション住民が警察に訴えたという「まことしやかな説明」がついている。先年の立川の時は、裁判公開の原則にも関わらず、証言台をついたてで囲ませその陰に隠れて証言をするという「異常な証人」だった。今回の「告発者」がどんな人物で、どのように検察側証言をしたのか興味があるが、おおむねこういう事件の「告発者」は物陰から人を撃つことを得意にしているらしい。立川事件の証人は証言するに際して、「私を知ってほしいという気持ちはないし、治安が悪化したので何が起きるか予知できない」と主張したそうだが、はるかに面体を晒したくない強姦事件や痴漢事件などの被害者にこのような「配慮」はされているのだろうか。それとも「告発者」には公安関係者のように「顔が割れては困る」特殊な事情でもあったのか。(8/28/2006)

 木曜日の続き。書き残した三つ目の「愛国を歩く」は「上」が日本編、「中」が中国編、「下」が韓国編になっていた。

 水処理の仕事で中国や韓国に出張していた頃、「韓国は日本の10年前、中国は日本の30年前と思うとよい」ということをよく聞いた。最近、両国はそれぞれに急速に経済を延ばし、相応のところまで迫ってきた。仔細に見れば、三国の経済の実相はずいぶん違うのだが、共通するのは目前に現出した過酷な「格差社会」だ。

 三国ともそれぞれの国における負け犬とその予備軍たちがナショナリズムに飛びついている。

 日々の鬱憤をどのように晴らすか。「上」に紹介されていた雨宮処凛を例にとれば簡単だ。「アトピー性皮膚炎でひどいいじめを受け、自分は誰にも必要とされていないと感じていた」彼女が、もし「醜いアヒルの子」であったなら彼女は難なくデフレスパイラルから抜けることができただろう。しかし彼女は自分の中のどこにも「白鳥的なもの」を見出す才能も、創り出す才能も見つけられなかったから、「英霊を戦争犯罪人呼ばわりするやからは、即刻日本から出ていけ」といういささか空想的な「排除ソング」を歌い、「仮想敵」を押し下げ、相対的に自分を押し上げたと「錯覚」するによって、同様のポジションにいて苛立っている負け犬たちを糾合し、救われたのだ。(本当に救われたのかどうかはまた別の話)

 惨めな負け犬ナショナリストは日本だけではない。中国の反日青年(彼の国では「憤青(フェンチン)」という由)も似たような事情を抱えていたし、韓国の若年層失業率は高く、「大学は出たけれど」状態が続いている。彼らはともに「傲慢な日本」を抽象的に思い描いて「反日愛国心」を拡大再生産している。「仮想」性の点では雨宮処凛のお友達になりうるだろう。

 三国の中で社会の閉塞性がいちばん顕著なのは日本だろう。それはやはり日本が中・韓両国よりはまだ何年か先を歩いているという証明なのだろうか。(8/27/2006)

 朝刊に「自衛隊派遣『恒久法いる』安倍官房長官」の見出し。きのうの朝刊には「日本版NSC(国家安全保障会議)」の設置について安倍氏公約というのが出ていた。さらにサンケイのサイトには「日本版CIA(中央情報局)」の設置について安倍が「次期首相就任を見据え」て検討中という記事も。

 さすがに軍国宰相をめざす安倍晋三だけのことはある。たとえばこれが経済のこととなるとせいぜいが再チャレンジ支援、それも先週あたりの記事によると「安倍官房長官は、自らが掲げる『再チャレンジ支援策』を資金面で支えようと、民間金融機関に協力を要請する。事業の失敗から再起を目指す中小・零細企業 を後押しするため、担保によらない融資の拡充などが柱となる」という程度。「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」には、ごくごく控えめに「『要請』だけで、民間企業の経営に介入できるなら・・・でも、できるかも知れないのが、日本というところも悲しいところですが・・・」とあったが、まったく同感。

 このコントラスト、なかなかのものだが、共通するのは「発想の貧しさ」。まず「戦う政治家として頑張るぞ」というリキの入った場面でも「日本版***」しか構想し得ず、「経済でも頑張ります」という場面はひたすら「協力のお願い」を思いつくのみなのだ。

 さあこれからという場面でさえ「日本版***」と「民間頼み」しか思いつかないとしたら・・・。いったいこの国はどうなってしまうんだろう。そうか、安倍晋三は日本版エイプ・ブッシュなのか、呵々。(8/26/2006)

 ちょっと前にはポップス曲で使われ、最近はキャノンのEOSのコマーシャルで使われているホルストの組曲「惑星」は7曲で構成されている。かつてレコードジャケット(もう死語になったか?)には「なぜ地球と冥王星がないのか」について必ず説明が書いてあった。地球がないのはもともとこの曲は占星術によるイメージをもとに作曲されているからであり、冥王星がないのは彼が作曲した頃にはまだ発見されていなかったからだと。

 冥王星の発見は海王星の摂動から予測された。この予測を発表したのは火星に「運河」を「発見」して火星人の存在を「予測」したあのローウェルで、ホルストが「惑星」を完成させた年のことだった。ここまで書いているレコードジャケットはなかろう。さらにもしホルストに天文学への関心がもう少しあったならばどうなっていただろうかなどと想像する者は・・・、よほどの暇人に違いない。

 プラハで開催されている国際天文学連合の総会で惑星の定義が確定し、冥王星が「惑星」から「矮惑星」に「降格」したというのがけさのトップニュース。もともと学的な概念などは近代合理主義のひとつの手法に過ぎないのだから、自然存在物の分類先がどこになろうと大方の人々にとってはさしたる話ではないはずだ。それがこれほどの扱いになるのは「スイキンチカモクドッテンカイメイ」という「呪文」がよほど人口に膾炙しているからだろう。

 夜のニュースを見ていたら、最近の「惑星」のCDには「冥王星」があると言っていた。2000年にホルスト研究の専門家で作曲もやる人物が作ったのだそうだ。余計なことをしたものだ。今回の惑星定義にアメリカは強く反対した由。発見者がアメリカ人であったからだそうだ。ヨーロッパではホルストのオリジナル版がこれからも尊重されるだろう。しかし進化論の記述さえ教科書から削るアメリカのことだから、彼の国の教科書には「プルートー」は残り、この組曲も「惑星−冥王星つき−」で演奏されるのかもしれない。

 この国ではどうなるか。アメリカの属国となっている現実に従えば「蛇足バージョン」、比較的この国に多い原典忠実派に従えば「オリジナル尊重」、さて。(8/25/2006)

 三つのコラム、「動く民営郵政―岐路に立つ地域網―」のみが上・下できのう、残るふたつ「愛国を歩く」と「『好感』のありか」は上・中・下できょう終わった。思うほど絡むことはなかったけれど、一段と加速しつつあるこの国の空洞化だけはあちらこちらに顔をのぞかせいた。

 まず「民営郵政・下」はかつての自民党支持組織の中核であった「全国特定郵便局長会」の現況レポートだが、あっさりまとめてしまえば特定郵便局にもリストラが迫られているということ。特定郵便局長の働く姿勢を問うような口ぶりもあるが、なんのことはない稼ぎの善し悪しだけがものさしであることは明らか。エクスパックをいちばん売っているのが日本橋にある特定郵便局であるのは地の利であって、元都市銀行店長のセンスであるかどうかはにわかには判じがたい。都市部の特定郵便局が勝ち組で優良、地方の特定郵便局が負け組で整理対象、「自然現象」でなんの不思議もありはしない。

 特定郵便局に限った話ではないことは「民営郵政・上」に書かれている。北海道天塩郵便局職員による郵便物の配達は来年3月で打ち切られる。

 約20年前、地元を走る国鉄ローカル線が廃止されたとき、「代替のバスがあるから不便にはならない」と言われたが、結局はバスも大幅減便となった。ここ数年は行政機関の出先機関廃止や企業支店の撤退も相次いだ。いまは町内の道立高校の統廃合も浮上している。郵政公社は「廃止後も郵便物の遅配などは生じない」と言う。しかし、天塩町町内連合会の塩谷鉄雄会長が気に病むのは、郵便局員とその家族が町を去ることだ。集配廃止で天塩郵便局の職員は20人から3〜4人に減ると見込まれる。「人が減れば、町の活力がなくなり、どんどん寂れてしまう」。商工会メンバーは「集配業務がなくなれば、次は郵便局そのものをなくす動きになるはずだ」と警戒する。

 小泉の時代に始まった話ではなく、戦後の日本は地方を住みにくくして都市集中を促すことにより経済成長を続けてきた。いまはまさにその仕上げの段階。既に地方は高齢者のみが住むゴーストタウンで、「故郷(ふるさと)」は死ぬのを待っているようなものだ。

 都市に流入した人々の多くは、巧妙に進められた非正社員化政策により、いまや安価な労働力源になっている。「自己責任」と「自由競争」は彼らにかけられた催眠術だ。人間としての紐帯は断ち切られているから、彼らはほとんど催眠術師のかける暗示にのせられてますますアトム化している。

 「『好感』のありか」には目覚めているつもりの催眠者たちの惨めなまでの群衆行動がレポートされていて慄然とさせられるが、所詮、彼らは「好感」と「反発」の中を浮遊して資本社会の中で「消費」されてゆく「亜人間(人間もどき)」なのだ。(8/24/2006)

 文藝春秋の最新号目次は「独占掲載:戦う政治家宣言/この国のために命を捨てる 安倍晋三」となっている。安倍論文を期待して買った人はがっかりしたことだろう。単なるインタビュー記事なのだ。目次は本来なら「独占インタビュー」というタイトルで、官房長官談「編集部」とでもすべきだったろう。たしかに安倍にまとまったものが書けるだけの能力があるかどうかは疑わしいから、こんなものにしかならなかった事情は分からぬでもないが。

 小見出しは以下の通り。「日本外交大勝利の舞台裏」、「極秘プロジェクトチーム」、「ドキュメント七・五」、「拉致問題への取り組み」、「万景峰号をめぐる対応」、「安保理決議は九十五点」、「北朝鮮の真意とは」、「北朝鮮の暴発あるのか」、「靖国参拝をめぐる議論」。これで終わり。

 これが次期宰相になろうという人物が現下の情勢に対する見方と展望を語って、「戦う政治家」として「この国のために命を捨てる」という「宣言」をしたピンからキリまで、すべてらしい。これに見る限り、安倍晋三の「政治家としての資産」は「対北朝鮮」と「靖国参拝」(これはさらっと「解説」した程度、上坂冬子レベル)で終わりッ、ということ。寂しいもんだ。

 なによりアメリカに梯子を外されたあの不様な安保理決議を「大勝利」と位置づけるところなんぞは、噂に聞く大本営発表に一脈通じていて「なんだ、また、こんなお粗末な夜郎自大がまかり通ろうとしているのか」と思わせる。

 どれくらいのお粗末さかのサンプルをひとつだけ記録しておく。いずれこんな人物が首相に適任だと言っていたこの時代の日本人の愚かさを嗤う時が来るだろう。

 かつて総理の前でブリーフィングしたとき、「北朝鮮は暴発するかもしれない」と発言した外務省の高官がいました。「国家の暴発」をあえて定義すれば、相手国の攻撃を受ければ、一週間以内、あるいは一カ月以内でもいいのですが、そうした短期間にその国が確実に滅ぶことがわかっていて、相手に戦争をしかける、ということになるでしょうか。私はその高官に聞きました。
「古今東西、そういうことをおこなった国はありましたか」
 彼は答えられなかった。

 北朝鮮が暴発するかどうかと問われて絶句した外務省の高官が誰だったかは分からない(田中均か?)。

 安倍は自慢げに「彼は答えられなかった」と言っているが、その高官がその例を知らなかったから絶句したわけではなかろう。あまりに安倍の知識と思考力が貧弱だと知って、思わず絶句したというのが真相だったのではないか。

 日本人なら誰だって知っているさ、暴発して「確実に滅ぶことがわかってい」る戦争に突っこんでいった国のいちばん身近な例は。他ならぬ我が国だったのだから。たしかに一週間以内にも、一カ月以内にも滅びはしなかった。しかしシミュレーションによって短期間に確実に負けることを知りながら(猪瀬直樹「昭和16年夏の敗戦」など)、戦争を仕掛けたもっとも身近な例が大日本帝国だった。

 それまで安倍は「です・ます口調」で語りながら、ここだけ「彼は答えられなかった」と語り口を乱している。ここが見得の切り所と我を忘れて上擦ってしまったのだろう。大根役者にはありがちな話だ。

 おそらく安倍は馬鹿でも知っていることを知らない底抜けの大馬鹿であることを満天下に晒したことに未だに気付いていない。安倍晋三よ、十回のうち一回でいいから、自分は何も知らないバカかもしれないと思った方がいい。かつて福田康夫官房長官の下で見習いをしていたときに、「君になにが分かる、黙っていろ」と一喝されたことがあっただろう。まず自分には宰相としての識見など爪のアカほどもないことを自覚することだ。(8/23/2006)

 朝刊に三つの特集コラムが始まった。ひとつは「愛国を歩く」、もうひとつが「動く民営郵政―岐路に立つ地域網―」、そして「『好感』のありか」。三つをあわせ読むと、いまなにが起きつつあるかが見えてくる気がする。少なくともきょうの三編はそういう内容だった。

 いずれも「上」になっている。「下」で終わりなのか、「中」があるのか、あしたないしはあさってで終わるのか、それとも来週、再来週と続くのか。連載が終わったら書くことにしよう。

 きょうは国際面の見出しを書き抜いておく。紙面右上から流し順。「クルド人虐殺、審理開始/フセイン被告、認否拒否/遺族『死刑でも不満』」、「韓国、北朝鮮スパイ拘束/原発など撮影/盧武鉉政権下で初」、「市場で爆発10人死亡/モスクワ」、「ロシア、借金完済/パリ・クラブへ2兆円」、「列車が衝突/横転し火災/エジプト」、左肩の囲み記事は「イスラエルオルメルト政権/求心力低下/予備役兵、異例の抗議/閣僚セクハラ・・・」、コラムは「アジアの街角/中国・珠海」、「地球24時/アントニオ猪木氏/平壌に到着」。

 イスラエルの予備役の抗議は期待通りの成果を上げていないこと。たしかに「当初の目的である拉致されたイスラエル兵の奪還」も「イスラエル北部へのロケット弾攻撃の阻止」も達成されていない。しかも政権内部では、カツァブ大統領が公邸の女性職員に関係を強要し、オルメルト首相はエルサレム市内の高級住宅を相場を大幅に下回る低価格で購入し、ラモン司法相がセクハラで辞任、ハルーツ参謀長は戦闘開始直後に保有株の売却を行った。この1か月で百人以上の戦死者を出しているのに「兵士の命よりは株の方が大事なのか」と言われれば、返す言葉はなかろう。これらから見ればイスラエル政権首脳にとっては今回の軍事行動は既定方針に従っただけの予定行動であったことがうかがえる。(8/22/2006)

 ほんとうに久しぶりに飲み会に参加。ビール、芋焼酎、ちょっと得体の知れない酒・・・など、別に顔ぶれがよかったわけではないのに、珍しく実力以上に飲んだ。だがどこか頭の芯が冴えていて酔えなかった。「あの時以来?」などと問われて、微苦笑。

 再試合の結果は4−3で早実。大会市場2校目の三連覇か、27回目の出場にして初優勝か。どちらにも勝たせてやりたい気があったが、決まってしまってみるとやはり北海道に肩入れしていたようだ。いいではないか、君たちは立派に二・五連覇したのだから・・・と、これでは「酸っぱい葡萄」だ、と、これも微苦笑。

 丸谷才一がどこかに書いていた、「させていただく」という言い方が猖獗を極めていると。謙遜しているように装いながらどこか強引に押し通す、そんな感じがたまらなく厭だというような話だったなぁと、麻生太郎の総裁選出馬宣言を聞きながら思い出した。「・・・推薦人の方々の支持を受けて、総裁選を戦わせていただく・・・」、まあなんとも凄まじい日本語だ、と、これはただ苦笑。(8/21/2006)

 朝のうちに**(母)さんの病院へ行き、1時の試合開始とともにテレビの前に座り込んだ。

 劇的な逆転劇がうち続いた夏の甲子園大会の最後の試合は一転して投手戦になった。ヒットはそれなりには出ている。貧打戦ではない。しかし駒大苫小牧の田中も早実の斎藤もここぞというところはしっかりと押さえる。

 ちょっと目を離した8回表、ワンアウトから苫小牧の三木がセンターオーバー、バックスクリーンに入るホームランで先制。その裏、同じワンアウトから早実の桧垣が左中間にツーベース。苫小牧のレフトの中継エラーで三塁。そこでセンターへの大きな犠牲フライ。その後はいろいろなことがありながらも、延長15回の表裏を終わって1−1の引き分け。決勝戦の引き分け再試合はあの三沢−松山商業以来、37年ぶりのこと。

 あえて書けば、8回のレフトの中継エラーがきょうの駒大苫小牧の勝利をなくしたわけだが、そんなことはどうでもいい。ナイスゲーム。(8/20/2006)

 追加手術のすすめに従って事前検診を受けるために**(家内)と****へ。午後の予約ということで受付開始の11時半前に青山に着くように出発。比較的早い順番と思っていたが呼ばれたのは2時過ぎ。「予約」というわりには長い待ち時間だったが、佐藤優の「国家の罠」を持参したのでさほど退屈はしなかった。

 去年買ったときにざっと流し読みしたままにしていたが、水曜日の拿捕事件に刺激されて少し背景を知っておきたくなった。随所に面白い話がはめ込まれているが、うまく整理された話をひとつ。

 冷戦の終結後、外務省の中には基本的には日米同盟を土台にはするもののその上にどのような味付けをするかについて三つの「潮流」が「外部からは極めて見えにくい形」で出てきたというのが佐藤の分析だ。

 第一の潮流は、今後アメリカの一人勝ちが続くと見通した上で同盟関係をより強化しようという考え方に立つもの。「具体的には、沖縄の米軍基地移転問題をうまく解決し、日本が集団的自衛権を行使することを明言し、アメリカの軍事行動に直接参加できる道筋をきちんと組み立てれば、日本の安全と繁栄は今後長期にわたって保証されるという考え方である」。佐藤はこれを「狭義の意味での『親米主義』」と名付けている。

 第二の潮流は、冷戦という深刻なイデオロギー対立が解消したために、「かえって日米欧各国の国家エゴイズムが剥き出しにな」り、不安定化するという見通しの下に「日本は歴史的、地理的にアジア国家であるということをもう一度見直し、中国と安定した関係を構築することに国家戦略の比重を移し、その上でアジアにおいて安定した地位を得ようとする考え方」。佐藤はこれを「アジア主義」と呼んでいる。

 第三の潮流は、冷戦の終結を反共主義も含めたイデオロギーの終焉と見て、アジア・太平洋地域は「日本、アメリカ、中国、ロシアの四大国によるパワーゲームの場になったのだから、それに向けた外交を新たに構想すべきだという考え方だ。

 佐藤自身はこの第三の考え方に親近感を持っているようだ。その証拠にこの潮流に対して彼はこんな書き方をしている。「第三の潮流は『地政学論』である。『地政学主義』とせず『地政学論』としたのは、この考えに立つ人々は、特定のイデオロギー(イズム=主義)に立つ外交を否定する傾向が強いからである」とそれまでのスッキリとした記述がわずかに濁っている。

 日本の対ロシア外交はこれらの三つの潮流の中でこの十数年、漂流してきたことになる。第一の考え方に立てば、「アメリカとの同盟関係さえ強固であれば、後のことはなんでもうまくゆく」ということになるからロシア外交に心を砕くことはないし、第二の考え方に立てばユーラシア大陸国家であるロシアの特殊性を可能な限りヨーロッパに押しとどめておくために、中国・韓国・北朝鮮とどのような協力関係を築くべきかという問題に取り組まなければならない。第三の考え方について佐藤はこう書いている。

 ・・・(略)・・・最も距離のある日本とロシアの関係を近づけることが、日本にとってもロシアにとっても、そして地域全体にとってもプラスになる、という考え方である。
 この「地政学論」の担い手となったのは、冷戦時代、「日米軍事同盟を揺るぎなき核として反ソ・反共政策を貫くべきだ」という「対ソ強硬論」を主張したロシア語を専門とする外交官の一部だった。さらに、彼らは日本にとっての将来的脅威は・政治・経済・軍事面で影響力を急速に拡大しつつある中国で、今の段階で中国を抑え込む「ゲームのルール」を日米露三国で巧みに作っておく必要があると考えたのである。「地政学論者」の数は少なかったが、橋本龍太郎政権以降、小渕恵三、森喜朗までの三つの政権において、「地政学論」とそれに基づく日露関係改善が重視されたために、この潮流に属する人々の発言力が強まった。

 小泉政権はどれを採ったか。ポピュリズム・ポリティシャンには脳みそはない。それでも小泉は自分に脳みそがない自覚は持っていたから、いちばん想像力も創造力も必要としない発想法を意識的に採った。佐藤が言うところの「親米主義」、それをいちばん「奴隷的」に採用したわけだ。

 次期総理といわれる安倍もそれを踏襲するだろう。最悪なのは安倍には脳みそがないという自覚がなさそうなことだ。「戦略」に関する本を書きながら「アングロサクソンを頼りにするのがいちばん」という経験則にしがみついた岡崎久彦を思い出す。自分には「戦略」を考え抜く脳みそも、それと心中する胆力もないくせに偉そうにペラペラとしゃべるキンタマのない軽輩。

 なんにでも御利益のあるはずの「アメリカとの同盟関係」は北方海域で操業する漁民の安全に役立っただろうか? 無能な政府の毅然として空疎な政策のもと、漂流する対ロシア外交の波間に漁船員は命を失ったのだ。(8/19/2006)

 小泉首相が靖国参拝を行った日の夕方、かつての盟友を厳しく批判していた加藤紘一の鶴岡市にある実家・事務所が炎上した。敷地内で腹を切って倒れていた男が放火したらしいというのが警察の見方。男は右翼団体「大日本同胞社」の事務局長で前日から現場を下見をしていた由。

 おととい、東京新聞の記事で西村正雄のインタビュー記事の中の「現役財界人は右翼が怖くて取材に応じない云々」というくだりを読んだとき少し大げさなのではと思ったが、既に時代はそういう段階に入りつつあるのかもしれない。(8/18/2006)

 佐藤優の「国家の罠」は鈴木宗男に連座する形で「国策捜査」の犠牲になった男がその不当を訴えた本だが、別の見方をすれば北方領土に関する外交の解説書にもなっていた。

 結論から書けば、主にロシア側の状況が我が方に有利にはたらいて、ゆっくりではあったが現実的なステップを踏んで進捗しそうであった北方領土交渉は、小泉政権のお粗末な対応で振り出しどころか観客席まで戻されてしまったということだ。小泉外交は別にアジアのみで手ひどく失敗したわけではない。対ロシア外交においても成果はおろか、橋本政権、小渕政権によって積み上げてきたファウンデーションまでもぶち壊してしまった。他のコイズミ「壊革」同様、それを煽り立てたのはマスコミであり、ナショナリスティックな感情論に駆られ、ただただ「毅然たる姿勢」に拍手し続けた愚民ども・・・。

 きのう未明、貝殻島付近で根室漁協所属の「第31吉進丸」という船がロシアの国境警備庁の艦艇から銃撃を受け、乗組員一人が死亡、拿捕されるという事件が起きた。麻生外相は駐日臨時大使ガルージンを呼び、「毅然たる姿勢」で「日本固有の領土内での事件発生を容認できない」ことと「関係者の処罰を求める」と申し渡した由。こういう事件が発生した以上、「毅然たる姿勢」は示さねばならないが、こんな事件が起きる環境を放置したこと自体が政権の致命的な失敗だろう。

 わが宰相と北方領土というとすぐに頭に浮かぶのは、昨年だか一昨年だかに視察したときの映像だ。これまでの首相の視察はすべてヘリコプターを使うものだったのに対し、小泉は巡視艇による視察を主張した。理由はテレビ取材が可能になるから。たしかにニュース映像は充実していた。例の調子で「ずいぶん近いんだねぇ、もっとはっきり見たかった、霧がかかってたからね」と話してご満悦の様子だった。で、わが宰相はその後なにをしたか。どうやらマスコミに露出することだけが主目的だったらしく、官邸が北方領土問題について何をしているのか、あるいはしようとしているかのニュースは絶えてないままに、きのうを迎えたというわけだ。

 「二島先行返還論」は二島で終わらせることを意味していないにもかかわらず、「四島耳をそろえて」でないというだけで否定するバカ者どもの多かったことよ。その雰囲気を知って小泉は問題を放り投げたようだ。「毅然たる姿勢」の「パフォーマンス外交」などこんな程度のものだ。ネットに遊弋するプチ・ナショなパープリンちゃんたちは、誰に、何に腹を立てたらいいのか、分かっているのだろうか。(8/17/2006)

 東京新聞朝刊社会面に元興銀頭取の西村正雄のインタビュー記事が載っている。ある角度からの小泉靖国参拝批判になっているので、書き写しておく。

 西村さんは、小泉首相の靖国参拝が残したものとして、「本来は国内問題である靖国問題を首相自身の言動で国際間題にし、アジア外交の致命的失敗を招いた」と分析。日本やインドなどの国連安保理常任理事国入りで共同提案国になったのが、アジアではブータン、モルディブ、アフガニスタンの三カ国だけだったことを例に、「日本はアジアで孤立している」と話した。
・・・(中略)・・・
 小泉首相は「(靖国という)一つの問題で意見が違うから首脳会談を開かないことは、理解できない」と中国を批判。これに対し、西村さんは「首相も郵政民営化という一つの問題で、意見が違う政治家を追い出した。同じ『一つの問題』でも中国にとっての靖国の方が深刻だ」と主張。また、経済同友会が靖国参拝自粛を提言した際、小泉首相が「『商売のことを考えてもう行ってくれるな』という声もあったが、政治は別」と話したことについて西村さんは「日本は経済で世界に頁献し経済活動が実質的な外交を担っているのに、『商売人』と見下す首相なんて聞いたことがない」と、激しい口調で語っていた。
 財界人の多くは、靖国問題への個人的な発言を控えているのが現状だ。経団連常任理事などを務めた西村さんは「現役財界人は右翼が怖くて取材に応じないと聞き、『そんなにだらしねぇのか、今の現役のやつらは』と反骨精神に火がついた」と発言の動機を説明した。
 自分のおいの安倍氏は次期首相に最も近い位置にいるとされる。官房長官就任まで安倍氏が顧問を務め、安倍応援団″の色彩が濃いともみられた自民党若手の国会議員連盟に対しては、「過去の戦争を肯定するなど歴史認識が欠如している議員もいる」と指摘。「靖国神社参拝を正当化する理屈は、国内では通用しても国際的にはまったく通用しない。次期首相は、過去の戦争責任を自覚して現実的な外交を優先すべきだ」と言い残している。

 じつにいちいちもっともな説。「一つの問題」に対する指摘などは口先ばかりの屁理屈で言い逃れをしているコイズミの自己矛盾をみごとについているし、「反骨精神」のくだりなぞは、おかしなことに、よほど翼賛選挙に公然と反旗を翻した安倍寛を彷彿とさせる。

 西村は安倍晋太郎の異父弟、晋太郎・正雄はともに東大の法科。引き比べて晋太郎の息子三人は少なくともおつむの方はパッとしない(末弟で岸家の養子になった信夫がまあ慶応の経済で一応の格好がつくか。晋三が信夫の政界入りに反対し、さらに徹底的に妨害したのはコンプレックスの由)。「唐様で書く三代目」を証明しているのか。(8/16/2006)

 イタチの最後屁とでもいうのが適切なのだろう、既に死に体の小泉首相が最後の晴れ舞台のつもりで靖国参拝を行った。一部に伝えられるところによれば、中国と韓国にはきょうの首相参拝は通告済みで、両国駐在の大使を呼ぶ時刻についてまでスケジュールが組まれていた由。ここまでくれば靖国神社に早朝から張り付いていたマスコミ関係者の空騒ぎだけが妙に可笑しなものに見えてくる。

 一週間ほど前、「公約は生きています」、「公約は守るべきものです」という言葉が伝えられたとき、記憶のよい人は思い出したに違いない。いつぞやの国会で菅直人の質問への答えに窮して「この程度の公約を守らないことは大したことではない」と答えたあの言葉を。

 滴水録に記録したその言葉はこんなものだった。「その通りにやっていないと言われればそうかもしれないが、総理としてもっと大きな事を考えなければならない。そのためにはこの程度の公約を守らないことは大したことではない」。

 つまりはこの程度の宰相だったのだ。この程度で宰相を務めたつもりでいた人物が靖国に参ろうが参るまいがもはやなにほどの出来事でもあるまい。人間が犬に噛みつけばニュースだが、犬が人間に噛みつく程度のことはニュースではないのだから。

 ほとんどの人はハイテンションのアナウンサーの声に幻惑され見逃したのではないかと思うが、よる7時のNHKニュースは、シンガポール外務省が「小泉首相の靖国神社参拝を遺憾に思う。シンガポール政府は靖国問題に関する立場を繰り返し表明してきたが、それに変化はない」として、「東アジア域内で緊密な連携関係を築くという大局的な共通利益に助けとはならない」という談話を発表したと報じていた。

 先日の中韓の「一回に限って次期首相の靖国参拝を許容する」という「クセ球」、そしてアジアの金融センターとなりつつあるシンガポールの「不快表明」を考え合わせるとき、内向きの議論ばかり繰り返しているこの国のまわりでなにが起きているか、暗澹たる思いがする。(8/15/2006)

 あすまで夏休み。少し寝坊をして起き、テレビをつけると、東京南部のほぼ全域で停電、JR・私鉄・地下鉄は運休、信号機も作動しないため手信号でさばいているというニュース。東電が原因の究明に手間取っていると聞き、瞬時、嫌な想像。

 プラントの多くは夏休み中に全停状態で定期点検をする。飛行機事故は離発着時に多い。受変電設備も同様。盆明けはまだだが定期点検を終了し、きょうあたりから操業準備として給電を開始するプラントもあるかもしれない。巷では2007年問題などといっているが、現場を支える技術力低下はもう数年前から始まっている。トリガーを引いたのがうちの関係者でないことを祈りたい気持ち。

 そんな気持ちで新座の家の火災保険の名義書換手続きやらなんやらのために家を出て、停電事故については忘れていた。夕方帰宅して、旧江戸川を航行していたクレーン船が275キロボルトの特高線を二回線まとめて切ったのが原因と聞いた。二回線構成とはいうものの鉄塔の両側に各々の回線を振り分けているに過ぎないから、この手の事故には役立たない。存外脆い体制が露わになった。(8/14/2006)

 中国と韓国が次期首相の靖国参拝を容認する意向を日本政府と与党に伝えているという。共同が報じたもので、配信を受けている地方紙のほとんどが報じているにもかかわらず、同じ配信を受けているはずのサンケイのサイトには見あたらない。また、朝毎読の主要紙にも。

 以下、東京新聞のサイトから。

【見出し】靖国参拝1回限り容認/中韓「安倍首相」念頭に
 中国、韓国両政府が、ポスト小泉の最有力候補である安倍晋三官房長官を念頭に、次期首相の靖国神社参拝について「在任中は再び参拝しない」との方針を明確にすることを条件に、就任後の最初の1回に限り容認する意向であることが12日、分かった。複数の日中、日韓関係筋が明らかにした。中韓側はこうした「共同対応」について水面下で意見交換した上、既に日本政府や与党側に非公式に打診しているもようだ。
 安倍氏は靖国参拝に強いこだわりを示しており、「条件」を受け入れる可能性は低いとみられるが、靖国参拝については事実関係を明確にしない戦略を取ろうとしている。今回の中韓による打診は一定の軟化と言え、今後の中韓と日本の対応によっては、悪化した日中、日韓関係の局面打開につながる可能性もある。

中国新聞のサイトは、さらに続けて

 中韓は北東アジアの安定、発展のためにも、小泉純一郎首相の靖国参拝で悪化した対日関係を、次期政権下で早急に改善する必要性があると認識。A級戦犯が合祀されている靖国神社への首相参拝に反対しながらも、参拝の意向が強い安倍氏が次期首相に就任する可能性が高い以上、一定の「譲歩」による現実的対応が不可欠と判断したようだ。
 同関係筋によると中韓は、安倍氏が四月に靖国参拝を済ませており、首相に就任した場合も年内の再参拝はないと分析。しかし来年は春季例大祭などに合わせ参拝する可能性があるとみている。
 その際に中韓に配慮し、以後は参拝しない判断を示せば、首脳相互訪問拒否などの対抗措置は取らない構えだという。
 ただ次期首相が中韓の意向を受け入れる形で靖国参拝自粛を表明すれば、国内で反発が広がる可能性もある。逆に在任中の参拝を継続すれば、次期政権下での日中、日韓関係の改善はさらに難しい状況となりかねない。

と伝え(いずれも末尾に「共同」としてある)、西日本新聞のみが独自取材と思われる次のコメントをつけている。

■中国側は否定
在京中国大使館のスポークスマンは12日深夜、中国政府が次期首相の靖国神社参拝を最初の1回に限り容認する意向との共同通信の報道に対し「全く事実無根」とのコメントを発表した。

 中国大使館は否定したようだが共同の報道はおそらく事実だろう。注目すべきなのは中国と韓国が共同歩調をとっているらしいことだ。これは相当のクセ球だ。ほとんどの日本人は、いまや夜郎自大的な感覚に陥っているから、これを中韓から日本に投げられた球とだけしか見られないだろう。

 しかしひょっとするとこれはアジア、特に東南アジアにおける日本の孤立化工作のある段階が終了し、次の段階に進めるために用意された踏み絵なのではないか。こういう事態を招いた小泉はむろんのこと、頭の悪い安倍や麻生はそのような可能性には気付いていないに違いない。(8/13/2006)

 先週だったと思う、週刊新潮の電車の吊り広告はこんなものだった。

「世紀の大誤報」――「昭和天皇」富田メモ
「徳川侍従長の発言」とそっくりだった!

 嗤った。「世紀の大誤報」と書いたすぐそばに「か」という字が小さく添えられていたからだ。「昭和天皇」富田メモ:「世紀の大誤報」、という塩梅。いつものように意地汚い新潮流なのだ。新潮社の社員が社章を隠す気持ちがよく分かる、なんともまあ恥ずかしい出版社だ。

 「世紀の大誤報」とは富田メモが捏造だということを言いたいのだろう。これに関するひとつの回答が文藝春秋の9月号に出ている。記事は「徹底検証:昭和天皇「靖国メモ」:未公開部分の核心」。半藤一利、秦郁彦、保坂正康の対談。さすがに年季の入った編集者、歴史家、ライターだけのことはあるやり取りで読ませる。結論は「信憑性の高い史料だと判断しています」(秦郁彦)ということ。

 対談には日経が報じた部分の前段部分が出ている。掲載に際して日経はかなり気を使ったらしく、この部分を伏せた。それがために史料価値を損なってしまったようだ。昭和天皇の苛立ちはこの前段部分から読み始めるとより鮮明になる。書き写しておく。

63・4・28B

Pressの会見
@昨年は
 @ 高松薨去間もないときで心も重かった
 A メモで返答したのでごつごつしていたと思う
 B 4・29に吐瀉したが、その前でやはり体調が十分でなかった それで長官に今年はの記者の印象があったのであろう
     =Aについては記者も申しておりました
A戦争の感想を問われ嫌な気持ちを表現したかった
 それは後で云いたい
 そして戦後国民が努力して 平和の確立につとめてくれたことを云いたかった
 "嫌だ"と云ったのは 奥野国土相の靖国発言、中国への言及にひっかけて云った積りである

4・28C

 前にあったね どうしたのだろう
 中曽根の靖国参拝もあったか 藤尾(文相)の発言。
     =奥野は藤尾と違うと思うが バランス感覚のことと思う
      単純な復古ではないとも

 なお、7月20日の滴水録に下記のように書いたところは、

・○○○○ ○係者もおり批判になるの○
(上記は横書き、欄外に縦書きで二行)
余り関係も知らす/そうですがが多い

以下の通りだった。

・干連質問 干係者もおり批判になるの意
(上記は横書き、欄外に縦書きで二行)
余り閣僚も知ら/そうですがが多い

 ここに出てくる奥野国土相の靖国発言とは「なにも中国の悪口を言うつもりはないけれど、ケ小平に国民が振り回されているのが残念ですよ」というもの、藤尾の発言とは日韓併合を「侵略された方にも責任があった」というもので、それぞれこの発言が原因で辞任、罷免されている由。最近は同種の発言をしても辞任も罷免もされない。隔世の感がある。裕仁が生きていたら、どのように見、どのように側近に語っただろうかと思う。

 先日のサンケイの社説のようなものに対しては、こんなやり取りもされている。

保坂  ・・・ところで、「昭和天皇は、松岡や白鳥は許していないけれど、他のA級戦犯の合祀は
     かまわないのだ」と誤読する人が、かなり多いんですよ。
半藤  《その上》とあるのに? 素直に読めばいいのに。

 サンケイ社説子の国語力の低さについてはこれで折り紙がついたと言えよう。文藝春秋あたりの記事に指摘されては無視もできず、今ごろ赤面しているに違いない。ああ、恥ずかしい新聞だこと。(8/12/2006)

 ロンドン警視庁がイギリス発アメリカ行きの旅客機爆破テロ計画犯を計24人逮捕した由。

 ブッシュはすかさず声明を出した。夕刊には「我が国がイスラム教のファシストと戦争状態にあることをはっきり思い起こさせた」、「我々は米国民を守るためさまざまな措置をとってきたが、いまだに完全なわけではない」とある。よほど今回のテロ計画摘発が嬉しかったのだろう。嬉しかった理由は未遂に終わり乗客の生命が守られたからではあるまい。疑わしくなりつつある「テロとの戦い」が再度クローズアップされたからに違いない。

 8日コネチカット州で行われた民主党の上院予備選挙で民主党にあって一貫してイラク戦争とテロとの戦いを支持し続けてきた現職のリーバーマン議員がイラクからの早期撤退を主張する新顔のラモントに48%対52%で敗北した。この秋の中間選挙ではイラク戦争が争点になることは間違いない。見えないテロとの戦いや泥沼のイラク戦争に対するアメリカ国内の苛立ちは大きくブッシュ陣営は苦戦を免れないと予想されている。

 ブッシュが苦境に立つと必ずこれを勇気づけるように「アルカイダ」が蠢動を始めるのはじつに不思議な現象だ。(8/11/2006)

 ふじみ野市の市営プールで小学2年の女の子が吸水口に吸い込まれ亡くなったのは先月31日のことだった。一時のエレベーター騒ぎは、ガス湯沸かし器の騒ぎを経て、プール騒ぎになっている。

 事故が起きたプールはよくある「流れる」タイプのもの。本来吸い込み防止の格子が取り付けられているべき吸水口の防護は半分に過ぎず、残りはそのまま露出していた。安全管理業務を受注した業者「太陽管財」は利ざやのみをポケットに入れ、「京明プランニング」なる下請け会社に丸投げしていた。この会社、ここ十年の間に2回落札を逃した以外は発注予定金額の99%という談合なしには実現し得ない落札金額で受注し続けていた由。そして後は想像の如くの無責任体制。

 小泉改革のスローガンは「民にできることは民に任せる」だ。それはそれでよい。しかし「任せる」プロセスが旧態依然で規制緩和の名の下に発注主体がなんの管理も行わず、「可能な限り安く買い叩いた労働力を使い、最低限必要な教育研修コストも負担せず、限界まで最大利潤を追う」民間業者のしたいままにさせるとしたら、現実はマーフィーの法則(起きる可能性のあることは必ず起きる)に従う。

 起きてから起きたことへの対策を考えるのが「規制緩和」のポリシーだとしたらどうすべきか。

 最近のはやりは「一罰百戒」だ。ふじみ野市役所の管理担当者と「太陽管財」及び「京明プランニング」の社長の身ぐるみをはいで被害者補償と施設改修・再発防止にあてることだ。賠償額はアメリカ流に「懲罰的賠償額」にすべきだ。彼らが全財産を失い、ホームレスになり、悲観して、自殺するくらいの額。

 あるいは最近の「殺人犯には死刑が当然」という風潮に従って「眼には眼」ルールを厳格に適用し、元請け・下請け会社の社長の親族からひとりずつを選んで死んだ女の子同様に吸水口に吸い込ませてもいいかもしれない。身内の無惨な死体を見れば、少しは自らの「効率経営」の招来する結果がいかなるものか骨身に染みるだろう。そういう「応報刑」が責任のとらせ方として定着してはじめて十分に「一罰百戒」が効果を発揮するに違いない。

 爾後、このように無責任な金儲けが絶えてなくなれば、それでよい。さあ、シケイだ、リンチだ。(8/10/2006)

 きのうからは一変、曇り空。東の空より西の方が明るい。家を出る頃に雨が降り出し、駅に着くまでにみるみる激しい降りになった。遠くからは雷。

 昨夜、寝しなに読んだ「きっこの日記」に紹介されていた松尾あつゆきの句がいくつかが浮かんだ。

わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ
すべなし地に置けば子にむらがる蝿
炎天、子のいまわの水をさがしにゆく
母のそばまではうでてわろうてこときれて
とんぼうとまらせて三つのなきがらがきょうだい
あさぎり、兄弟よりそうた形の骨で
あわれ七ヶ月の命の花びらのような骨かな
なにもかもなくした手に四枚の爆死証明
降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ

 松尾の略歴を写しておく。

1904(明治37)年 6月16日、長崎県北松浦郡佐々町生まれ。本名、小野敦之。
1908(明治41)年 4歳の時、長崎市の松尾家の養子となる。
1925(大正14)年 長崎市・飽の浦小学校、長崎中学校を経て長崎高商卒業。長崎商業学校教員。
1928(昭和3)年 荻原井泉水に師事。先輩に、屋崎放哉・種田山頭火、句友に内島北朗・近藤益男。
1932(昭和7)年春 長崎に山頭火を案内。
1942(昭和17)年 「層雲賞」を受賞。
1945(昭和20)年 長崎大浦食料営団に勤務中被爆。妻子4人も原爆で亡くす。
1946(昭和21)年 「原子爆弾の跡」22句を「層雲」に発表し、大きな反響を呼ぶ。
1948(昭和23)年 再婚を機に、長野県に転居。
1961(昭和36)年 長野県立松代高校(教頭)を最後に退職して長崎に戻る。
1972(昭和47)年 句集「原爆句抄」出版<長崎・藤木博英社>
1975(昭和50)年 句集「原爆句抄」出版<文化評論出版>
1983(昭和58)年 10月10日 長崎で没、享年79歳。

 あしたは長崎原爆の日だ。(8/8/2006)

 亭主関白ではなかったが、家事に関してはなにもしてこなかった。**(家内)に無理はさせられないので当分はフレックス体制でやろう・・・などと朝の電車の中で考えながら、思い出し笑い。ある日、妻が「あなたという人は、ほんとうに、縦のものを横にもしないんですから」と言った。夫は「なにを言うか、オレは、毎日、横のものを縦にしている」と応戦した。夫妻の名前は思い出せない。高名な翻訳家だった。上前淳一郎の「読むクスリ」で読んだと記憶するが、あの膨大なエッセーのどのあたりに書いてあったか。暇ができたら探してみよう。

 根津まで行くわけではないから退社は4時半。いなげやでレタス・トマト・バナナなどの買い物をして帰宅。夏空にしては澄み切った空。自転車を押しながら登る慈光幼稚園の坂、左手に黒い夏の富士がくっきり見えた。(8/7/2006)

 病院通いがひとつと思うだけでもゆったりした気分になる。ずいぶん久しぶりに日曜日らしい日曜日が来たような気がする。

 全国紙と準全国紙がすべて社説に広島を取り上げる中で、例によってサンケイの社説は異彩を放っている。テーマは「飲酒運転」と「パロマ事故」。サンケイ新聞はよほど核廃絶と平和が嫌いなのだろう。(8/6/2006)

 **(家内)、退院。午前中に***(略)***。午後、退院。約ひと月。

 センター長が着任して、これもひと月。新組織についての論議はぼちぼちというところ。

 辛く、厳しい、40日だった。

 朝刊から。見出しは「『中東情勢』絡み議論沸騰?」。

 「バラ色の話ばかり聞かされるが、この政権の誤った戦略と無能力さをふまえてみると、あなたが中心となった政策は失敗だった」――米民主党のヒラリー・クリントン上院議員は3日、中東情勢に関する上院軍事委員会の公聴会で、ラムズフェルド国防長官を痛烈に批判した。
 ヒラリー氏は「あなたやブッシュ政権のイラク、アフガニスタンに対するやり方には、理解も同意もできないというのが多数の常識だ」と切り捨てた。これに対してラムズフェルド長官はユーモラスに退けようと思ったのか、まず開口一番、「なんてこった」。
 だが、「兵力数が間違っていたというが、証拠はそう示していない。歴史が判断するだろう」などと論点を挙げて反論するうちに沸騰。最後はムキになって「バラ色になど描いていない」と反論した。

 歴史の判断などとっくに出ている。アフガニスタンにしろ、イラクにしろ、ラムズフェルドは失敗以外なにもしていない。現役の将官から公然と無能の評価をもらった国務長官は記憶の範囲ではラムズフェルドただひとりだ。もしも将来の歴史的判定に未定のものがあるとしたら、たったひとつ。これほど徹頭徹尾失敗し続けた国防長官が今後もラムズフェルドただひとりであるかどうかということぐらいだ。まあ、将来、よほど不細工な国防長官が現れない限りラムズフェルドのワースト王座は揺らぐことはあるまい。(8/5/2006)

 安倍官房長官がこの4月15日早朝に靖国参拝を行っていたとの報道。小泉は靖国参りをことさらに顕示して見せたが、安倍にとって靖国参りは隠れて行うほどに恥ずかしいことだったようだ。

 午前中の記者会見でうろたえた安倍は「靖国神社に行くか行かないか、参拝したかしないかを申し上げるつもりはない」と言い逃れ、これを訊いた小沢一郎は言下に「政治家が自分の信念で行くならば、堂々と公にしてゆくのがスジだ」と切り捨てた。

 きのうの日記に安倍晋三と亀田興毅を比較した。あれこれ書くほどのことはなかった。安倍晋三という人物の真贋はこの一事で知れてしまった、彼は件の拳闘家にも及ばぬ。(8/4/2006)

 昨夜のライトフライ級のタイトルマッチの件でマスコミは大騒ぎ。常にボクシング界に「話題」を提供してきた協栄ジムと視聴率(夕刊によれば40%を超えた由)に血眼のTBSの意図的な盛り上げに支えられた亀田興毅、本当のところ彼がどの程度強いのかということには興味があってテレビ観戦した。食わせ物という話もあるが、案外、オーソドックス。ビッグマウスであるわりには教科書的、逆にいえばタイトルマッチレベルにはまだまだ。

 試合は素人眼にもランダエタのように見えて終った。しかし判定は2−1で亀田だった。噛ませ犬相手にKO勝ちを続けてきた、それを真に受けていたせいもあって印象が一気に逆転したのだろう、スポーツ紙のみならず一般紙までが「疑惑」を書き立て、甚だしいのに至っては「タイトル」を返上しろとまで書いている。亀田自身が仕組んだのならともかく、判定の不当を選手にぶつけるのは本末転倒、おかしな話だが、それに気付かないのだからなにからなにまで「変」尽くし。いささか過剰にもてはやしておいて、風向きが変わるやよってたかってバッシングするというのはこの国の最近の風潮だ。

 思えば亀田興毅の人気は安倍晋三のそれにどこか似ている。どちらもこれといった実績も経験もないにも関わらずなんだかいかにも第一人者のような顔をしている。よく考えると、亀田はプロとして国内の有力選手とは一度も対戦したことがないし、同じように安倍も見習いを入れても官房長官以外の閣僚経験がない。心許ないことこの上ないが、さしたる知見をもたない素人のほとんどが、この御両人こそ次の時代のチャンピオンでありホープだと根拠もなしに思いこんでいる。玄人ほどその実力不足と見識のなさを指摘しているが素人の圧倒的な人気がそういう声をかき消している。「亀田、面白いねぇ」、「安倍、いいんじゃない」、という具合。バカバカしくてもうなにを言う気にもならぬ。これが時代の空気かい。

 さて、亀田にはちょっとしたバッシングが待っていたが安倍晋三が馬脚を現わす時、バッシングはあるだろうか。おそらくないだろう。買い被りすぎた安倍株が暴落するとき、人々は己が失ったものの大きさに気が動転し、置かれた状況の過酷さに青息吐息し、誰がその災厄をもたらしたかについて考える気にもならぬのではないか、と、そう思う。

 似たような例として近衛文麿がいた。近衛人気なるものがいかなるもので、いかなる結果をもたらしたか、それが国民に知れたのは敗戦後のこと、その時には彼は自殺していた。とすると、安倍晋三本人と彼をもてはやす連中が自らの愚かさに思い至ることは将来ともないのかもしれぬ。仕合わせな奴らだ。(8/3/2006)

 きのうだったと思うがニュースで気象庁の今月から来月にかけての中期予報が出ていた。おおむね平年並みということだったが、けさの森田正光の話は少し違っていた。森田の予想は東日本は概して涼しく03年と似たような夏になるのではないかというもの。03年に従うとしたら、暑いのは8月終わりから9月はじめの時期に限られることになる由。

 中期予報は地上から高空までの平均気温を算出しこれをもとに自動計算するが、ことしはオホーツク海の高気圧が強力なためにブロッキング機能を果たすのではないか、そういう場合は数値予報では平年並みと算出されるが経験的には北冷西暑型になる例が多い、これが森田のロジック。

・・・(中略)・・・

 なんだか急にスッキリした気分になって、帰り、久しぶりに池袋の本屋に寄った。それでもやはり重めの本を買う気にはなれず、退屈させることのない平岡正明の「志ん生的、文楽的」とちょっと贅沢のつもりで早川良一郎の「さみしいネコ」を買った。(8/2/2006)

 いつも通り4時過ぎに工場を出て、月刊「現代」9月号を買って電車に乗る。外務省条約局長、欧亜局長などを歴任し、鈴木宗男事件で外務省を辞めた東郷和彦に対するインタビュー記事から読む。A級戦犯として受刑中に獄死した東郷茂徳の孫。

 東郷は自分は基本的に国家主義者だと断ったうえで、「いま日本では、戦前の日本の名誉を回復しようという動きがあります。そのこと自体は、極東軍事裁判(東京裁判)で、日本の名誉のために開戦理由を明らかにした東郷茂徳の立場と相通ずるものがあります。けれども、対中強硬策を唱える一部の右の人々の論理には、英霊の志であった『東洋平和』の理念が著しく欠けている。英霊たちは子孫に名誉を守ってもらいたいとは思っていても、アジア諸国を敵に回して、仇を討ってほしいとは願っていないでしょう。なぜこのことに思いを致さないのか。これが一番納得できない」といっている。さらに「一度合祀したら、憲法20条があるから政府としてはなにもいう立場にないという。これはおかしい。A級戦犯の合祀について誰かが発言すべきだとしたら、靖国神社ではありません。説明責任は、勝者の裁きを引き受けつつも、独自の判断をしたうえで合祀のためにリストを提出した政府にあるのではないでしょうか」ともいっている。細かなところに論理上の瑕疵があるし、考え方が一致するわけではないが、おおむねまことに妥当な意見だと思った。

 ただ興味深く思ったのはこうしたメインの部分ではなかった。是非とも書き留めておこうと思った部分は以下。

 父も母も、祖父のことを口を揃えて、「意思が強く、自分の考えを絶対曲げない。不退転の頑張りを持っている人だった」と言っていました。私もずっとその人物像を抱いていました。ところが、母がガンで亡くなる直前、二人きりで話す機会があったとき、意外な話を聞いたのです。ちょうど、欧亜局の審議官から総括審議官(国会担当)にポストが変わるときのことです。母が「東郷茂徳が外交の仕事で一番大事だと言っていたものは何だか知っている?」とたずねてきました。「わからない」と言ったら、交渉の最後をまとめるときは、「51対49」、つまり、「最後は相手のことを51、自分のことを49で考えろ」と言うのです。とても驚きました。私のなかの祖父のイメージは「不退転の頑張り」ですからね。交渉は、遺恨を残さないように50/50に分けて先へつなげということはよく言われます。そうすることで、円満な国家関係を築く。しかし、祖父の考えでは、51が向こうで、49がこちらだという。母はこう言いました。「交渉の最終局面になると、当事者は相手と自分の国内と2つの交渉相手ができてくる。交渉当事者が国内で相手のことを最もよく理解できる人になる。その人が長期的な国益を考えて、最後のlを相手に譲ることを国内で主張することによって、最終的に自分の国にとって一番良い結果になる」。この考えには、深く考えさせるものがありました。

 世襲制には反発を覚える。またこうした「知恵」は世襲でなくとも受け継ぐことはできるとも思うが、血のつながった者であるが故にすっーと、心に留めることができる「知恵」、そういうものは貴重かもしれない。(8/1/2006)

 7時少し過ぎについて、木曜日に移動のために梱包しておいたコンテナを開け、片付け。久しぶりに南側の景色を眺められる。浅川が作った河岸段丘。向こう側に多摩丘陵が見える。会社に入った頃、いま見えるあたりは一面緑に覆われていた。有楽町の水技に移る頃にはふもとの方から少しずつ宅地造成が進んでいたがそれでもまだ稜線にまでは至っていなかった。

 新宿時代を経て工場に戻ったのは十年くらい前。西2号館8階南面、本部長室のすぐ隣。その時にはほとんどいまのような光景になっていた。いろいろなことがあったなぁと小さく吐息をもらしたとき、隣りの調達センターの女性が入ってきた。そういえば、昔は始業よりも小半時は早く出勤し、課員の机を水拭き、花瓶に花を活ける子もいた。もうそんな子は死に絶えてしまったよなぁと思いつつ、休めていた手を動かし始めた。変わったのは景色だけではなかった。

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 夕刊にはイスラエルが行った蛮行に安保理が重い腰を上げ議長声明を発したという記事。イスラエル空軍はレバノン南部カナにある避難施設を空爆し57人を殺した。そのうちの37人は子供であり、その中の15人は障碍児だった由。まさにナチス並みの蛮行。

 最初イスラエルは誤爆と言い訳し、続いてこの施設付近からミサイルが発射されたと自らのテロ行為の弁護を行った。いまやウソつきイスラエルの発表を信じるものはただイスラエル国民のみ。ほどなくそのイスラエル国民も自らの政府を恥じるようになるだろう。

 世界中の大多数の人々はイスラエル国民がどのようにして、何人殺されようと同情する気にはなれなくなりつつある。ヒズボラのミサイル攻撃にイスラエル市民が殺されてもお気の毒とは思いつつ、その何十倍もの人々がイスラエルの蛮行によって殺害されているということを知っているからだ。「たった十人か、もっと死ね、ユダヤ人、もっともっと死ね」と、そういう声が聞こえても、もはやオレは声の主を非難しようとは思わない。いずれもっと多くの人々がそう思うようになるに違いない。

 例によって議長声明の文言から「意図的な攻撃」、「非難」の語を削るように頑強に主張したのはいまや最大のテロ支援国家となったアメリカ合衆国だったことを記録しておく。夜のニュースで報ぜられたイスラエルの48時間空爆停止の発表は、時間稼ぎのためにこの地域を訪れ予定通りなにひとつやらずに帰途につくライスの間抜けぶりを糊塗するための茶番であることもあわせて。(7/31/2006)

 毎日、池袋を経由しながら、時間に追いまくられる感じで本屋をのぞくこともしていない。平積みの本を一覧し、書評欄に取り上げられていた本をパラ読みし、相性のいい書棚を物色し、読む時間の有無などは考えもせずに、面白そうと思えば買い込む、そういう時間がここ二月ほどまったくない。

 きょうこそは**(家内)の病院帰りに本屋に寄ろうと思っていたらメールが入った。お泊まりで一時帰宅を奨められた由。まさか電車で帰ってこいというわけにもゆかず、まず**(母)さんの病院に行き洗濯物を新座に持ち込み洗濯機に放り込んでから、車で根津に向かう。交通量は多いものの比較的流れていて小一時間で着き、帰ってきた。結局、楽しい時間はきょうも見送り。(7/29/2006)

 アメリカ産牛肉の輸入再開決定。事前に通告したうえで行った監査でさえ35施設中15施設(不良率43%!)に問題が指摘されたというのだから、アメリカがさかんに主張する統計的な安全確認なるものすら成立していない。

 もっと嗤えるのは輸入禁止措置がとられた際に輸入倉庫に留め置かれた800トンもの滞留牛肉の扱い。そのまま市場流通させて危険部位未処置のものが発見されでもしたら大変だし、かといって捨てるわけにも送り返すわけにもゆかないので、ほとぼりがさめた頃にこっそり出荷する予定なのだそうだ。

§

 イスラエルという国の犯罪性を現す話。12日以降、10箇所の国連施設がイスラエル軍から146回もの攻撃を受け、25日には空爆により4人が死亡した由。国連側は「攻撃を受けた施設の近くにヒズボラの活動拠点はない」、「施設には国連関係であることを示すUNの表示が掲げられ、存在は長らくイスラエル側にも知られていた」として明らかに「国連施設」であることを認識した上で、意識的に攻撃しているとしている。

 テロ国家であるイスラエルにしてみれば、テロ活動を隠れて行うためにはまず国連施設を叩き、関係者を殺害したうえでレバノン市民に対する好き放題の殺戮行動に出たいのだろう。地獄からヒトラーの笑い声が聞こえてくる。「だからユダヤ人を根絶やしにしておくべきだといったのだ」と。イスラエルよ、いまならナチスドイツを許すことができるのではないか、お前たちは彼らと瓜二つだから。

 それにしてもブッシュもライスも無能ぶりを晒し続けている。ブッシュの知能程度が低いことは知らぬ者もない話だが、ピアニストになるには頭が良すぎたなどという「神話」のあったライスも知能犯ではなくご面相通りの粗暴犯だったとは、ね。きっと、BSE牛を食い過ぎたんだろう。(7/28/2006)

 朝刊に取材を受けた広田弘毅の孫、広田弘太郎が「広田家を代表する考え」として、「合祀に合意した覚えはな」く、「いまも靖国神社に祖父が祀られているとは考えていない」と答えた旨が載っている。また「靖国神社に行くことはあるが、国のために亡くなった戦没者を思い手を合わせている。祖父は軍人でもなければ、戦没者でもない。靖国神社と広田家とは関係ないものと考えている」とも。

 これに対し、靖国神社広報課は「当神社では御祭神合祀の際には、戦前前後を通して、御遺族には御連絡は致しますが、事前の合意はいただいておりません」と回答している由。まさに個人情報保護法の精神に立てば論外のやり方だが、所詮カルト宗教団体とはこうしたもので、靖国神社も統一教会などと同じ穴の狢。自分たちの主張にためには勝手気ままに人の名を騙って毫も恥じることがない。そのやり方は人格に対するテロリズムといってよい。

 そうか、だから安倍晋三は靖国参拝にこだわり、統一教会の出店の行事にまで祝電を送っているのか。(7/27/2006)

 靖国参拝に関するこの週末の世論調査、きのうの朝日に続いて、きょうは毎日。まず、きのうの朝日から。次期首相の靖国参拝について:参拝する方がよい20%・参拝しない方がよい60%・その他/回答しない20%。きょうの毎日では、同じ質問に対して、参拝賛成33%・参拝反対54%だった。きのうの朝日の朝刊には同じ質問をこの1月28・29日に行ったときの数字も出ていた。その際には参拝賛成が28%・参拝反対が46%だったから、反対が一気に過半数を超えたのはやはり昭和天皇のA級戦犯合祀不快感報道が影響したからだろう。

 朝日の調査にはこの発言を重視するかどうかの質問があり、大いに重視する24%・ある程度重視する39%・あまり重視しない21%・まったく重視しない12%という結果だった。また、毎日の調査にはA級戦犯分祀に関する質問があり、分祀賛成は63%・分祀反対は23%だった。

 少しばかり薄気味悪さを覚えざるを得ない数字だ。今上がどのように考えているかは別にして、昭和天皇はおそらく自分を免責にするために行われた処置を蒸し返すことに不快感を持っただけのことだといってよい。「昭和天皇の発言を重視する」と答えた人々のうちどれくらいがそのあたりまでを考えたうえで答えているだろうか。(7/26/2006)

 夕刊にこんな記事が出ている。

 【ベイルート=吉岡一】レバノンのキリスト教右派で元国軍司令官ミシェル・アウン氏(71)が23日、朝日新聞記者と会見し、イスラエル軍の攻撃を自衛」として容認する米国の姿勢を、「無実の市民殺害を認めている」と厳しく批判した。また、シーア派組織ヒズボラによるイスラエルへのロケット砲攻撃は「当然の反撃」だと擁護した。
 アウン氏は、かつてのレバノン内戦でヒズボラの後ろ盾であるシリア軍と激しく戦った反シリア強硬派で、米国の支援を受けてきた。だが、06年2月にヒズボラとの電撃的な和解を実現した。シーア派の支持取り付けで大統領の座をうかがっているとされる。
 アウン氏はヒズボラを「テロリスト」とする主張を否定。「一度も市民の拉致、殺害をやっていない」と強調した。
 イスラエル軍の攻撃の引き金になったイスラエル兵2人の拉致を「純粋な軍事行動。兵士は戦時捕虜だとし、イスラエル軍は「ヒズボラの軍事力に反撃せず、市民ばかり殺している。死者の45%は子どもだ」と過剰な反撃を批判した。
 レバノンでは今年3月、シリア軍撤退とその後の民主化の進展で、対立してきた各派が一堂に会する「国民対話」が実現した。武装解除の条件も探ることになっていたという。しかし、今回の攻撃で「国民対話は崩壊する」と述べた。
 内戦末期、マロン派キリスト教徒民兵を率いたアウン氏はシリア軍との戦いに敗れ仏に亡命。05年のシリア軍撤退後に帰国し、直後の総選挙で21議席(定数128)を獲得した。

 アウンは必ずしも「敵性証人」とは言い難いが、少なくともヒズボラの黒幕とアメリカが認定しているシリアとは対立する人物ではあるようだ。その彼がイスラエルはヒズボラの軍事力に反撃することなく、無関係な市民を殺害しており、アメリカはこれを黙認していると非難している。

 巧妙なアメリカの宣伝ののせられている人は少なくないが、いずれ時が経てば、この21世紀初頭において、イスラエルがテロ国家であったこと、そしてアメリカこそが「テロ」のタネを世界中に撒き散らしているテロ支援国家だったことが異論なく認められるようになるだろう。(7/24/2006)

 テレビ朝日の「スクランブル」で東條由布子の「激白」なるものがオンエアされた。なんのことはない、ただの程度の低い右翼屋さんの戯れ言だった。

 まず、「今回のメモは昭和53年のこと、(昭和天皇が靖国参拝を)おやめになったのは昭和50年のことです。だから、A級戦犯の合祀が理由ではありません」ときた。たしかに昭和天皇が最後に靖国神社を参拝したのは75年(昭和50年)だった。ただ昭和天皇は75年まで毎年参拝していたわけではない。記憶によれば数年ごと、最近の記事によると敗戦後の参拝回数は全8回だった由。毎年続けていたものが75年を最後にぷっつりやんだのなら、「昭和50年の参拝の直後になにか理由があってやめた」という理屈も成立しようが、そうではない。思わせぶりなウソはつかぬことだ。

 続けて、「陛下がA級戦犯を嫌ったことなどない、その証拠にA級戦犯家族にはどうしているかという意味で宮内庁からは折々お菓子を賜った」と言った。はたしてそれが昭和天皇の意思によるものだったかどうかは問うまい。微妙なところだから、家族の人々が宮内庁からの「下賜?」を陛下からのものと言うなら「そうでござんしょ」と微苦笑するのみだ。こういうことをこと立てて主張するのはひどく卑しいことだと思うけれども、ここは最大限A級戦犯の家族の気持ちにたってあげよう。で、仮にそれが昭和天皇の意思だったとしても、それは公的なものではなく、私的、個人的なものだ。昭和天皇は東京裁判によって、就中A級戦犯を流し雛にすることによって、天皇の地位を保つことができたことをよく理解していた。だからこそ靖国神社がA級戦犯を隠れて合祀することによって東京裁判の無効化を主張したことが、どれほど現在の自分に影響を与えるかについて無関心ではいられなかったのだ。その中で流し雛になってくれた者の家族に秘かにある種の「礼」を伝えたかったとすれば、それが彼女が「もらったもらった」と連呼する「お菓子」なのだ。世の中の枠組みも知らずに手前勝手な解釈を吹聴するのは愚かなことだ。

 ここから東條由布子の話はほとんど笑い話に堕する。

 彼女は今上が昨年サイパンを訪れたことを取り上げ、「(天皇陛下が)サイパンにお参りになるのに、靖国神社にお参りならないのは残念です」、「天皇陛下がたった七人(東條由布子はたしかにそう言った、せいぜいこの程度の視野範囲の女なのだ)のために靖国をお参りしないのはおかしい」。

 まことにその通り。ただ出すべき結論が違っている。昭和天皇も今上もともに「たった七人(嗤える)」のA級戦犯のために靖国神社を参拝しないというなら、戦場に赴くことなくお気楽に死んだA級戦犯こそが身を引くべきだ。それが陋巷の民のメンタリティだ。それすら心得ず、偉そうにペラペラと語るのはおそらく「生きて虜囚の辱めを受けず」と命じながら自らは茶番の自殺劇を演じ、然る後に占領軍に捕縛された恥知らずの大将さんのご一族に固有のセンスなのだろう。彼女は恥というものを知らないらしい。

 ところで番組に出ていた、テリー伊藤よ、「今上」は「コンジョウ」ではない、「キンジョウ」だ。なんとまあ情けない国になったものだ。(7/23/2006)

 福田康夫、自民党総裁選への不出馬宣言。出る、出ない、出る、出ない、・・・、花占いの結果は「出ない」だった。マスコミに流布された予想とは逆の予想をしていた。ゴールデンウィーク直後の福田の訪米を宗主国による面接試験だと思っていた。ごく少数のサル面の政権幹部を除いてはアメリカも現在の「小泉外交」を評価するわけはないだろうから福田は面接試験に合格したのだろう。とすれば安倍はその結果通知をいつ、どのようなときに受けるのだろうと思っていたが、予想は完全に外れた。

 もはや宗主国アメリカは属国Nの総理は「練物」程度で十分と判断したということか。少しの歯応えもいらない、形だけそれらしければそれでよい。バカな国民がカマボコ宰相を担いでいっぱしの気持ちでいるならそれでよいではないかというわけだ。

 福田康夫、なまじの教養は人を臆病にするだけということか。そんな平凡な結論ならばとっくに知っていた。福田よ、誰が引き受けても難しいアフター・コイズミを安倍がしくじり、その時は再びお鉢が回ってくるとでも思っているのか。安倍が下りておまえが引き受ける場合にはそういうこともあろう。だがおまえにはその目はない。おまえはインタビューで答えているではないか、「歳も歳だからね」。(7/22/2006)

 きのうのA級戦犯合祀に対する昭和天皇の不快感表明の件、東京新聞を除く各紙が社説に取り上げている。既に新たな国立追悼施設の建立に舵を切っている読売を含めて各社が靖国神社の限界を指摘している中で、一社だけ「独自の主張」をしているのがサンケイ新聞。

 呉智英は「言葉の常備薬」の中でサンケイの校正部長の実名をあげてその国語力を嗤っていたが、サンケイ新聞は校正部長のみならず論説委員の国語力もないに等しいようだ。こんなくだりがある。

 メモでは、昭和天皇は松岡氏と白鳥敏夫元駐伊大使の2人の名前を挙げ、それ以外のA級戦犯の名前は書かれていない。
 靖国神社には、巣鴨で刑死した東条英機元首相ら7人、未決拘禁中や受刑中に死亡した東郷茂徳元外相ら7人の計14人のA級戦犯がまつられている。メモだけでは、昭和天皇が14人全員のA級戦犯合祀に不快感を示していたとまでは読み取れない。

 昭和天皇がどのような言い方をしたのか厳密には分からない。しかし「A級戦犯が合祀され、その上、松岡、白鳥までもが」という言い回しがほんとうに使われたとすれば、サンケイ論説委員の国語能力はゼロか、マイナスである。

 「そのうえ」という接続詞は広辞苑によれば「それに加えて」あるいは「さらに」という意味だ。サンケイが嫌う岩波の広辞苑だからではない。他のどの辞典を見ても「そのうえ」というのは直前の文に述べたことがらを受け、さらに同じ文脈において付け加え、強調することがらを述べるときに使われる接続詞であって、けっして前後の文脈のベクトルが異なる場面では使われない。サンケイのバカ論説氏よ、試みに「そのうえ」という接続詞を使って、後に続ける文章とその前の文章の主張が異なる例文を書いてみるがよい。うまく書けたらお慰みだ。

 昭和天皇の論旨はこうだ。松平永芳がA級戦犯を合祀したこと自体がとんでもないことであるのに加えて、その中に本来軍人でもない松岡洋右や白鳥敏夫のような外交官を祀るなどということは靖国神社の本旨を越えている。そもそも外交官とは外交をもって国の安寧に尽くすべきものであるから松岡・白鳥などは職務を全うし得なかった外道たちだ。そんな連中を勝手に合祀した以上、靖国には行かない。行けなくなった。

 サンケイの「メモだけでは、昭和天皇が14人全員のA級戦犯合祀に不快感を示していたとまでは読み取れない」という文章は根本的に間違っている。せいぜい書けるのは「昭和天皇が14人全員のA級戦犯に不快感を示していたとまでは言えない」であって、「A級戦犯合祀に不快感を示していた」という事実だけはどのようにしても否定できない。バカなことは書かぬことだ。いくらサンケイ読者の知的レベルが低いとしてもこんな「主張」を読まされては迷惑する。低品質の新聞だからといって中学生レベルにも満たない国語力のバカを論説委員にしておいていいはずはなかろう。(7/21/2006)

 日経朝刊のスクープ。見出しは次のとおり。「A級戦犯靖国合祀」、「昭和天皇が不快感」、「参拝中止『それが私の心だ』」、「元宮内庁長官88年、発言をメモ」。ここで元宮内庁長官とは富田朝彦(03年11月死去)のこと。

 トップ記事に添えられたメモの写真から原文を写しておく。

私は、或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取(ママ)までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私あれ以来参拝していない、それが私の心だ
・○○○○ ○係者もおり批判になるの○
(上記は横書き、欄外に縦書きで二行)
余り関係も知らす/そうですがが多い

 筑波とは筑波藤麿、松平の子とは松平永芳のこと。筑波藤麿と松平永芳のコントラストについては既に明らかになっていたことだから驚かない(逆にこんなことも知らずに靖国参拝の是非について語るバカ者がいることの方が驚き)が、昭和天皇が側近に対して、ここまで明確に語っていたこと、そして側近がそれをメモにとっていた(基本的に昭和天皇が記録することを許容、もしくは積極的に望んでいたと推測できる)ことに驚いた。

 昭和天皇は東京裁判によって自らの地位が保たれたことを明確に意識していた。つまりA級戦犯が確定することによって天皇制が救われたことを理解していた。したがって松平永芳の「合祀」という「愚行」が一歩間違えるなら自らの地位を脅かしかねない「火遊び」であるという認識を持っていたのだろう。彼の不快感はけっして平和に対する意識が生んだものではなく、自らの地位の安定を脅かす短慮に対するものだったと思う。新たな庇護者であるアメリカの作ったシナリオに裕仁は忠実であったというだけのことだ。(7/20/2006)

 6時半に家を出て、7時半前に席に着き、夕方4時過ぎに工場を出て、病院に向かう。おおむね面会時間ギリギリの7時まで病院にいて、8時半過ぎに帰宅する。炊飯器をセットし、風呂に入り、遅い夕食を独りでとる。これがここ一週間の日課。リズムが確立すればどうということもない。

 行き帰りの電車、なかなか本を読む気にはなれずiPodで音楽を聴く。きょうはちあきなおみを選んだ。レコード大賞曲、「喝采」。

 恋人を郷里に残して歌手をめざした女に彼の訃報が届く。葬儀が終わって再び去る女。茫然自失の女の心を表わす歌詞はこのようになっている。「・・・暗い待合室、話す人もない私の、耳に私の歌が通り過ぎてゆく・・・」。ムンクの「叫び」には背景に叫ぶ人物とは無関係に「普通に」佇む人の影が描かれている。その「無関係な人影」を取り去るとあの絵はたちどころに緊張感を失ってしまう。孤独な女の耳に「普通に仕事をしているときの自分」が歌いかけてくる、これこそ「自己疎外」だとずっとそう思ってきた。それは変わらないが、きょう、小さな「発見」をした。

 ちあきなおみは歌詞通りに歌っていない。「・・・暗い待合室、話す人がない私の・・・」、そう歌っている。耳を疑い三度繰り返して聴いた。しかしたしかに彼女は「・・・話す、人が、ない私の・・・」と歌っている。帰宅してすぐCDを取り出し歌詞カードを確かめた。歌詞カードには「話す人もない」になっている。「話す人がない私」と「話す人もない私」は同じようで違う。

 疎遠になった郷里の駅舎なら「話す人もいない」のは仕方のないことと思えるが、「話す人がいない」というのは郷里の駅舎にいるときに限定されない。そもそもこの世間に自分が話をすることができる人がいなくなった実感であるように思えてきた。「も」と「が」の違いはたしかにある。

 まず、ちあきなおみは意図して「話す人がない私」と歌ったのだろうか。彼女はいつもそう歌っていたのだろうか。それともこの録音の時だけのことなのだろうか。そうだとしたら、彼女はそこにどういうことを表現しようとしてそう歌ったのだろうか。「喝采」のCDを聴き比べてみよう、時間ができたら。(7/19/2006)

 サミットが終了し、議長総括には「核、ミサイル、拉致」が取り入れられた。わが宰相はよほど嬉しかったのだろう、終了後の晩餐会ではしゃぎまわり、またまたブッシュにたしなめられた由。ブッシュがコイズミを好きな理由がよく分かった。コイズミといると自分が「賢者」に見てもらえるからだ。

 ともあれ、はじめて拉致問題を総括に明記させたことの意義はある。眼に見えるほどの効果は期待できないとしても、ジワジワと北朝鮮にプレッシャーをかけるのには役立つことだろう。ただこの問題がどのように推移してきたかを各国が仔細に見ることでもあるならば、「日本という国には国際政治の基本に関する理解が根本的になっていない」と嗤うに違いない。こんな問題はとっくの昔に大枠は解決し、両国の実務者がシコシコと全体解決に向けてワークをしているはずのことだ。

 張本は大リーグでプレイする日本人選手を評して、「松井やイチローは本物だが、その他の選手がそこそこ活躍できるのは、チーム数の拡大のためにメジャーリーグがかつてよりレベルが低くなっているからだ」と言った。今回の「議長声明」に「拉致問題」が盛り込まれたということはまさにこれに似ている。

 サミットにはもはやかつてほどの有効性はない。目下のところ最大の問題であるイスラエルのレバノン攻撃・ヒズボラのイスラエル攻撃に手をつかねたまま、この一事を見ればそれは明らか。つまり、サル踊りのコイズミの提案を受け入れるほどにサミットは形骸化してしまった、主観を去り、客観的に見ればそういうことだ。(7/18/2006)

 朝刊の「時流自論」、藤原新也はこのように書き出している。

 「あれ、気恥ずかしくて、どこか穴があったら入りたいという気持ちでしたよね」
 小泉首相が米テネシー州メンフィスのプレスリー邸で、プレスリーの猿まね″をしたテレビ報道を見た知りあいの主婦の感想である。今もアメリカの半植民地として位置付けられている一国の長が、アメリカの有名芸能人の猿まねをして、それを評価する国はどこにもないばかりか、軽蔑されるのは誰の目にも明らかだからだ。
 当の礼賛を受けた米保守派メディア、ワシントン・ポストでさえ、その光景に以下のように言及している。
 If wise men say only fools rush in, then on this day, at least, President Bush heeded the wise men.(もし賢者が、愚か者のみがことを急ぐと言うなら、この日は少なくともブッシュ大統領は賢者の言うことに耳を傾けていた)。これはプレスリーのヒット曲「Can't Help Falling In Love」(愛さずにはいられない)の冒頭部分を巧みに引用したコメントだが、早い話、「小泉はすぐ興奮する愚か者だったが、ブッシュは冷静だった」と一刀両断に切り捨てているわけだ。
 すり寄られたアメリカでさえこうなのだ。日本と犬猿の仲である中国、北朝鮮、かつてルックイースト(日本を見習え)の標語を掲げたアジア各国、アメリカ嫌いの南米諸国や欧州の人々に、この光景がどのように映ったかは想像に難くない。

 そして藤原はこのように締めくくった。「・・・裸の王様ほど怖いものはないとつくづく思い知らされた一件ではあった」と。

 もう書き加えることはなにもない。誰だ、こんなコイズミを支持しているバカは。(7/17/2006)

 北朝鮮制裁決議が安保理で全会一致で採決された。採決の延期を受け入れたときの予感は当たった。中国が失敗した「説得のゴール」がそのまま「採決された決議の内容」になった。制裁色はみごとに抜かれた。官邸主導、小泉が卒業旅行気分で中東経由サンクトペテルブルグサミットに出かけている現在、実質的には安倍晋三がとり仕切ったのだろうが、彼の能力の限界がそのまま日本の限界になってしまった。威勢はいい、だがそれだけだ。いちばん大切な実を取ることはなにもできなかった。

 この一週間、バカなマスコミは「ロシアが棄権にまわり、中国は孤立する」と報じた。結果はどうだったか。イラン問題をバーターにした中国の打診に対し、アメリカはじつにあっさり「国連憲章第七章抜き」を認めてしまった。まるで去年の常任理事国騒ぎのリプレイ。孤立の危機に瀕したのは中国ではなく我が方だった。安倍晋三お得意の「毅然とした姿勢」で「第七章抜きの決議など無意味」と豪語し臨んだ「強硬一点張り」の外交、なんのことはない、拉致問題同様、今回も「結局、こうしかならない」ところに落ち着いてしまった。「竜頭蛇尾」と「膠着状態」は安倍のお得意技だ。

 この不様な失敗は陣笠議員レベルにも十分に予測できる程度のものだった。おとといの朝、たまたま見た「朝ズバ」で自民党の世耕弘成が「中国は最初議長声明だと言っていたんですよ、それを安保理決議を出すというところまでやったんだから大成功だ」と言っていた。無能な安倍のために早々と予防線を張っている・・・、飲んでいた牛乳を危うく吹き出すところだった。ものは言いよう、バカとハサミは使いよう。安倍と世耕のいずれがバカで、いずれがハサミか、呵々。

 日本は常任理事国としての資格試験を受け、芳しからぬ成績だったということになろう。ドイツも資格試験を受けている。あちらの方は既にイラン問題で常任理事国メンバーとともに十分の働きをしているようだ。彼我の差は歴然としている。安倍連れが総理にいちばんと思う連中が住む国、思うだに情けなくて涙が出てくる。(7/16/2006)

 5時に目が覚めた。きょうは中部支社でのQICS講習なので8時頃出ればよい。まだ眠れる。だが、最近は一度目が覚めるといろいろなことが思い浮かんで眠れない。起きて居間の片付けをした。**(家内)が退院するまでには少しはなんとかしておきたい。新聞やら郵便物やらを整理し、宅急便の再配達をネット入力し、しおれてきた生花とカビが生えたメロンを片付けたりなどしてから家を出た。

 9時26分東京発ののぞみに乗る。ほんの4ヵ月前、なんの悩みもなく、京都に向かったなぁなどと思うと、もうそれだけで涙目になってしまう。引っかかっているのは先に受けた***の検査結果。きょう、結果が知らされると言っていた。窓外に流れるのは夏の風景。せめてあと十年は欲しい。適わぬなら数年でもいい。五年では足りないが図々しいというならそれでもいい。

 空には夏の雲が浮かんでいる。・・・なにを考えているんだろ、雲の奴、大きな顔して空にぽっかり浮かんでる・・・絶えず流れてゆくお前たちにも、心なんてものがあるんだろうか・・・お前たちは知ってるかい・・・。やけに軽い歌が浮かんだ。まったく、お前って奴は・・・。(7/14/2006)

 朝刊に興味深い記事。見出しは「安倍氏秘書が300万円/ブローカーに工面」。

 00年に安倍晋三の下関の自宅、後援会事務所に火炎瓶が投げ込まれた事件の一審論告求刑公判で、検察は被告の暴力団員の犯行経緯について「99年の下関市長選の際、安倍氏が推した候補を支援した土地ブローカーに対し、当時の安倍氏秘書が300万円を工面したが、ブローカーはさらに安倍氏本人に金を要求。安倍氏が応じなかったため、暴力団と共謀して報復した」ものと述べたということ。

 記事はさらに続けて、「論告で検察は、土地ブローカーの小山佐市被告(68)が『安倍議員の地元秘書佐伯伸之氏(現・下関市議)と交際していた』としたうえで、『市長選で安倍議員が支持する候補者を支援して当選に寄与したとして、佐伯秘書に対し、絵画の買い取り名下に現金500万円の支払いを要求し、300万円を工面させた』と指摘。その後も『安倍議員に面会して金員を要求したが拒絶されたため恨みを抱いた』と述べ、親交があった工藤会系組長の高野基被告(56)と共謀して犯行に及んだと主張した」と書いている。

 字面通り読めば、安倍にカネを出せと言ったが断られたので恨みから火炎瓶を投げたということになるが、暴力団が政治家などにカネを要求する場合、ほとんどはきっちりとした「根拠」がある。弱みがあるからこそ安倍の秘書はカネを払ったのであり、それ以上のネタであるからこそ件のヤクザは安倍本人まで脅迫したのだ。暴力団は確実にカネになるとき火炎瓶を投げ込むなどの実力行使に出る。チンピラは恨みから実力行使をするかもしれないが、それなりに長い間この業界でメシを喰ったヤクザは恨みなどでは火付けはしない。ゆさぶりをかければカネになるカタい仕事であればこそ、はじめてやばい橋を渡る。

 安倍は既に自分は大物だから「毅然」としていればカネを払わずにすむと思ったのかもしれないが、おそらくそういうわけにはゆかなかったに違いない。ゲンナマで払ったか、あるいはカネの受け渡しがなかったとすれば、「安倍議員が支持した」市長が暴力団の推薦する業者に公共工事を落札させるなどの便宜をはかったのかもしれない。安倍のお膝元、下関の公共工事といえばいつも黒い噂がたえないことは天下周知の事実。(7/13/2006)

 極まれば転ずる。不断の努力で常に成長を続けてきたトヨタがいつどのようなことで変曲点を迎えるのか興味を持っていた。

 きのう熊本県警は現お客様品質部長、前・品質保証部長で現リコール監査室長、前々任の同部長という三代にわたる品保部長を業務上過失傷害の疑いで書類送検した。容疑内容はRV「ハイラックス」のリレーロッド(ハンドル操作を前輪に伝える機構の由)に不具合のあることを承知しながら8年間リコールの処置をとらず、04年8月には一家5名が重軽傷を負う事故を招いたというもの。

 夜のニュースなどによれば、この車種は88年のモデルチェンジで前部車軸にかかる重量が95キロ増えたがリレーロッドは従来設計のまま使用、旧モデルの安全基準(6万回の据え切り負荷をクリアするか否か)の確認実験を行わなかったなどの事実もあるらしい。結果的には04年10月にリコール届けをしているわけだが、その際トヨタは00年から後の障害件数11件のみを報告し、92年頃から国内外で発生していた80例ほどについてはふれなかったという。

 04年といえば三菱のクレーム隠しで大騒ぎをしていた時期にあたる。トヨタとしては現実に発生した事故の関係から隠すわけにはゆかず、それでも10年以上も「生切りなどユーザの使い方による問題」としてきた経緯から全容の報告をしなかったのだろう。

 国内での報道はあまりないが、つい最近、トヨタアメリカ社長がセクハラで訴えられた。絶好調のトヨタの足元にはいくつかの躓きの石が転がっている。案外、トヨタも転ぶときはじつにありきたりなことが原因となるのかもしれぬ。(7/12/2006)

 北朝鮮のミサイル発射に対して国連安保理での制裁決議案の取扱いがもめている。提案国である我が国は10日の採決要求を見送った。中国の北朝鮮説得工作の経過を見守るためということになっている。よく考えるとこれは本来天秤にかからないはずのことだ。

 中国の説得の内容は六ヵ国協議への復帰とミサイル開発の凍結程度のことで制裁条項を含む決議とはレベルが違う話。軍と外交の双方を金正日がしっかりコントロールできていればヒル国務次官補が再度北京の詰めたという「シグナル」を正確に読み取って中国の説得に応ずるはずだが、金剛山での南北融和演出・日本人記者団の平壌招待の時期にあえてミサイル発射実験を行ったことを考えればどうも金正日にその力がなくなっていると考える方が自然だ。かりに中国の説得がうまくゆかなかった場合、決議案はどうなるか。

 政府関係者は「中国も北朝鮮との交渉に失敗したが、拒否権は発動するでは通らない」と言ったそうだが、そのくらいまでしか読めないのでは市井の一般人以下だ。おそらくこの「政府関係者」とは安倍晋三のことだろう。底の浅い奴だ。そんな当たり前のことにふんぞり返っているときではない。その後のことを心配しなくてはならない。考えられるのは中国が拒否権をちらつかせて決議案の制裁色を抜きに来ることだ。反中国、けっこうだ、しかし、そのためにはもう少し頭を回転させなくてはならない。無教養な安倍には分からないかもしれないが、相手はこちらよりも二千年以上は経験を重ねた国なのだ。

 基本的にきょう現在、国際問題のテーブルの上にのっているのは、イランの核開発問題であり、イスラエル・パレスチナ問題だ。客観的に見れば北朝鮮のミサイル問題など日本以外の世界の国々にとってはたいした問題ではない。北朝鮮の後を追うようにミサイル実験を行ったインドに対して制裁決議をもちだしている国があるか。パキスタンはどういっているか。そこを他国に尋ねられたら日本政府は有効な答えができるだろうか。その程度の「感情論」と見なされかねないという自覚が日本にはあるか。その上で北朝鮮問題のプライオリティを他国に主張する「論理」を持っているか。

 少なくともそういう客観的な眼を片一方に持った上で制裁決議を取り扱わない限り、いつハシゴを外されるか分からない。ハシゴを外すのは中国でもロシアでもない。アメリカだ。去年の秋の「常任理事国騒ぎ」を思い出すがいい。あの時ドブに捨てたカネを授業料にする意識は持たねばならない。

 「中国の説得工作の結果を見守る」といった時点で決議案の帰趨は見えてしまった。できれば中国の説得工作が実ることを期待したい。そうすれば日本はばつの悪い思いをせずにすむだろう。不幸にして不調の場合、決議案はどうなるか。不調だった「説得のゴール」こそが「決議案の内容」になるだろう。答えはもう出てしまっているような気がしないでもない。(7/11/2006)

 ワールドカップはイタリアが優勝した。1−1で前後半を終え、延長線にも両チームスコアはなくPK戦で結着した。しかし、起き抜けのニュース映像はジダンのレッドカード行為を映したものだった。

 1−1で延長戦。その後半、マテラッツィにジダンが頭突きをかました、ボールを追いかけたプレイとはまったく関係のないところで。一人足りない戦いになったフランスはなんとか切り抜けたもののPK戦を3−5で失い自滅した。

 ジダンはこの大会後引退すると宣言していた。ワールドカップの決勝戦が引退試合。選手にとっては願ってもなかなか適わない舞台でなぜと誰しもが思う。そのジダンに我を忘れさせたのだから、マテラッツィの「言葉」は相当にひどいものだったのだろう。審判の買収やら八百長疑惑などいろいろな不正が伝えられるセリエAで鍛え抜かれた強者軍団イタリアにしてみれば会心の「プレイ」だったに違いない。

 技術の高さは当然のこととしてもはやワールドカップはそれを越えたこういう「プレイ」で戦われているとしたら、我がチームがそのレベルに達するにはまだ相当の時間を要するだろう。もっともそうまでしてあの黄金のカップが欲しいと思う日本人がどれほどいるかだが・・・と思った。しかしすぐに思い直した。最近の風潮からすれば、けっして望みなきにあらずだ。がんばれ、ニッポン、チャチャチャ。(7/10/2006)

 きのう同様、午前に**(母)さん、午後に**(家内)。病院というところは見舞いに行くだけでもなぜか疲れるところだが、一日にふたつの病院往復、それも連続となると疲れる。少なくとも**(家内)の方は順調。先のことを考えないならばなんということもないのだが。

 ニュースウォッチは軽め。それでもふたつくらいは疑問が浮かぶ。

 先週のニュースといえば、北朝鮮のミサイル発射と金英男の日本人記者会見ということになるのだろうが、後者のために日本人記者を相当数平壌に招いたタイミングでのミサイル発射というのは常識的に考えて最悪だろう。果たして金英男の会見日の前日、前座のかたちで会見した北朝鮮外務省の係官はミサイル発射に関する質問に対して、「我々外交関係の者はそういうことは分からない。ここは横田めぐみに関することを質疑する場だ」と当惑気味の表情で答えていた。いったいこの「非常識なタイミング」はなにを意味しているのだろうか。

 横田めぐみが死んだとされる平壌の第49病院(どこか「7の70たび」というマタイ伝のことばを連想させる)を日本人記者団に公開という報道に対して、ずいぶん久しぶりに蓮池透が出てきて「弟は横田めぐみさんが入ったのは平壌の病院ではなく中朝国境の病院だったと言っている」とコメントしていた。なぜ蓮池薫が直接出てきてコメントしないのか。拉致被害者、かつ、横田めぐみと近所づきあいをしていた本人が出てきて「あれはウソだ」と言う方がはるかに情報量があるだろう。どうしてマスコミは蓮池透などという伝達者への取材、しかも常に「今回の北朝鮮の発表データはウソだ」という限定された二次情報で満足しているのだろう。まさかこの国もえらい人の利益のために情報がコントロールされているなどという北朝鮮同様の事情がある、などということはないと信じたいが、いかにも不思議な話だ。

 そろそろ深読みをする人は「横田めぐみさんはやはり死んでいるのだ。横田夫妻がことさらに誘拐犯人を刺激する言葉を連発するのは既にそのことを蓮池夫妻から聞いていて、愛娘の敵討ちとして金正日体制の崩壊のための戦争を望んでいるからではないか」と思い始めている。(7/9/2006)

 目覚ましラジオはワールドカップ準決勝、ドイツ−イタリア戦が終わった直後の中継で始まった。結果は2−0でイタリア。スコアレスできてPK戦と思われた延長終盤に立て続けに2点が入った由。

 並行して入ったニュースは北朝鮮がミサイルを発射したことと、韓国の調査船が警備艦(韓国海洋警察庁というから海上保安庁のようないわゆる沿岸警備隊的組織所属なのだろう)を伴って竹島近海の排他的経済水域に入ったというニュース。「天気必ずしも晴朗ならず、波のみ高し」という印象。

 そのミサイル、起き抜けの時点では3発だったが、会社に着くころまでには6発、夕方に1発加わって、合計7発にもなった。3発目にテポドン、その他はすべて、短距離のスカッド、中距離のノドン。

 いくつかの国からの中止要請を受けながらあえてそれを無視する。夕刊の「素粒子」は「意地だか見えだか知らないが、撃つな、撃つなと言われりゃ撃ちたくなるものか、ミサイルは」と書いた。大局的に見れば愚かなことを意地になってする様はどこか我が宰相の靖国詣でに似ている。きっと小泉はこういう彼の国に親近感を覚えているのに違いない。

 7発目の発射が伝えられて後、記者会見した彼は「どういう意図があるにせよ、北朝鮮にとってプラスはないんですがね」と言った。我が宰相ならば、他国の利害に関する国際政治学者のようなコメントではなく、まず自国の安全と利害をどう考え、どのように対処するのかを語るのがスジだろう。本来なら即座に中国や韓国の首脳と連絡を取り、依頼するべきことを依頼し依頼されるべきことを依頼されて当然なのだが、それを思いつくことも実行することもできない、愚かな宰相の頭こそ構造改革すべきだ。(7/5/2006)

 **(息子)の運転で8時少し前に家を出た。意外に順調に流れていて9時半前に**病院に到着。指定の10時前に入院手続きを完了した。病室は5階、担当医は***先生。午前中は外来を診ているとかで、早めの昼食をとろうと病院を出た。食欲がわかない。向かいのそば屋でもりをたぐる。午後一番の説明としても時間があるのであたりを散歩してみた。立原道造記念館があったはずと行ってみたが、月曜日は休館。すぐそばの竹久夢二記念館も同じ。根津神社あたりをウロウロして病院に戻って待機。

 外来診療が延び、そのまま回診の時間につながって、結局呼び出されたのは4時半をまわっていた。***(中略)*** いくつかの書類への署名と捺印などあり終ったのは6時少し前。

 少し重い気分で**(母)さんのところにまわる。病院洗濯にしてくれと言ったのだが、四の五の言うのであきらめて洗濯物を新座の洗濯機に放り込んでから帰宅。8時半過ぎ。火のない家に独り帰るのは寂しい。疲れがのしかかってくるような気がする。飯を炊くのも面倒くさく、食欲もあいかわらずない。**(息子)から携帯に電話が入っているのに気づきコールバック。夕方の担当医の説明をざっと話したところで中田引退のニュースが入ってきた。なんとなく予感はあった。次期監督のオシムは「できるサッカー」と「やりたいサッカー」のギャップが大きすぎると言ったそうだが、中田にとって現実のチームはどのように見え、彼はどこに限界を感じたのだろうか。早く寝よう、きょうは。(7/3/2006)

 **(友人)は朝の便で帰京。こちらも早い便に振り替えたいところだったが、特割はキャンセルすると50%のキャンセル料、しかも新規のチケットは片道3万円ちょっと。4万近い新規出費に二の足を踏んで、残ったメンバーで釧路市内を歩く。釧路の人口は20万くらい。かつては太平洋炭鉱と漁業の町で活気があったらしいが、炭鉱は閉山、水揚げ高も減少の一途らしく、中心街の丸井今井には「閉店セール」の張り紙。これでデパートは一軒もなくなるのだという。なにか少し洒落たものを買うときには、これからは特急で4時間ほどかけて札幌に行くことになると**(友人)が言っていた。小泉改革とは「繁栄の中央集権」のことらしい。

 夕方の便で帰京。羽田は風向きの関係で滑走路変更があり30分ほどの延着。帰着は10時前になった。(7/2/2006)

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