第1章 シルバーバーチの使命
シルバーバーチが地上に戻って心霊的真理つまりスピリチュアリズムを広めるよう神界から言いつけられたのは、後にシルバーバーチ霊言霊媒となるべき人物すなわちモーリス・バーバネル氏がまだ母体に宿ってもいない時の事でした。
そもそもこの交霊会が始まったのは一九二〇年代の事ですから、シルバーバーチが仕事を言いつけられたのは一八〇〇年後半ということになります。
バーバネル氏が霊言能力を発揮し始めたのは一八歳の時でした。正確な事は分からないにしても、とにかく人間の想像を超えた遠大な計画と周到な準備のもとに推進されたものである事は間違いありません。
さて言いつけられたシルバーバーチが二つ返事で喜んで引き受けたかと言うと、実はそうではなかったのです。
「正直言ってあなた方の世界に戻るのは気が進みませんでした。地上と言うのは、一旦その波長の外へ出てしまうと、これと言って魅力のない世界です。私が今定住している境涯は、あなた方のように肉体に閉じ込められた者には理解の及ばないほど透き通り、光に輝く世界です。
くどいようですが、あなた方の世界は私にとって全く魅力のない世界でした。しかし、やらねばならない仕事があったのです。しかもその仕事が大変な仕事であることを聞かされました。まず英語を勉強しなくてはなりません。
地上の同志を見つけ、その協力を得られるよう配慮しなくてはなりません。それから私の代弁者となるべき霊媒を養成し、更にその霊媒を通じて語る真理を出来るだけ広めるための手段も講じなくてはなりません。
それは大変な仕事ですが、私が精一杯やっておれば上方から援助の手を差し向けるとの保証を得ました。そして計画はすべて順調に進みました。」
その霊媒として選ばれたのが、心霊月刊誌Two Worldsと週刊誌Psychic Newsを発行している心霊出版社Psychic Pressの社長であったモーリス・バーバネル氏であり、同志と言うのは直接的にはハンネン・スワッハー氏を中心とする交霊会の常連のことでしょう。
スワッハー氏は当時から反骨のジャーナリストとして名を馳せ「新聞界の法王」の異名を持つ人物で、その知名度を武器に各界の名士を交霊会に招待したことが、英国における、イヤ世界におけるスピリチュアリズムの発展にどれだけ貢献したか、量りしれないものがあります。
今はすでにこの世の人ではありませんが、交霊会の正式の呼び名は今でもハンネン・スワッハー・ホームサークルとなっております。
今私は「直接的には」という言い方をしましたが、では間接的には誰かという問いが出そうです。
一八四八年に始まったスピリチュアリズムの潮流は、その頃から急速に加速された物質文明、それから今見る如き科学技術文明という、いわば人間性喪失文明に対する歯止めとしての意義を持つもので、その計画の中にはモーゼスの「霊訓」のイムペレーターを中心とする総勢五十名からなる霊団がおり、「永遠の大道」のフレデリック・マイヤースがあり、さらに、これはあまり知られてはおりませんが、ブェール・オーエン氏の「ベールの彼方の生活」のリーダーと名のる古代霊を中心とする霊団がおり、
南米ではアラン・カルデックの「霊の書」を産んだ霊団がありそしてこのシルバーバーチを中心とした霊団がいる訳です。
この他にも大小様々な形でその大計画が推進され、今なお進められている訳です。
心霊治療などもその一つで、中でもハリー・エドワーズ氏などはその代表格(だった)と言うべきでしょう。日本の浅野和三郎氏などもその計画の一端を担われた一人でしょう。が、分野を霊界通信に絞って見た時、歴史的に見てオーソドックス(正統)な霊界通信は上記にあげたものが代表格と言ってよいでしょう。
そのうちマイヤースについて特筆すべき点は、こうしたスピリチュアリズムの流れを地上で実際に体験した心霊家としてあの世へ行っていることです。
そしてこのシルバーバーチに付いて特筆すべき事は、前四者が主として自動書記通信であるのと違って霊言現象の形で真理を説き、質疑応答という形も取り入れて、親しく身近な人生問題を扱っている事です。
体験した方ならすぐに肯(ウナズ)かれる事と思いますが、数ある心霊現象の中でも霊言現象が一番親しみと説得力を持っています。
もっとも霊媒の危険性と、列席者が騙され易いと言う点でも筆頭かもしれませんがそれは正しい知識と鋭い洞察力を具えていれば、滅多に引っ掛かるものではありません。シルバーバーチも自分が本名を明かさないのは、真理と言うものは名前とか地位によって影響されるべきものではなく、その内容が理性を納得させるか否かによって判断されるべきものだからだ、と述べていますが、確かに最終的にはそれ以外に判断のよりどころは無いように思われます。
こう見てきますと、シルバーバーチを中心とする霊団がロンドンの小さなアパートの一室におけるささやかなホームサークルを通じて平易な真理を半世紀以上にも亘って語り続けてきたことは、スピリチュアリズムの流れの中にあっても特筆大書にあたいする事と言ってよいでしょう。
しかし霊団にとっては、それまでの準備が大変だったようです。シルバーバーチは語ります。
「もう随分前の話ですが、物質界に戻って霊的真理の普及に一役買ってくれないかとの懇請を受けました。この為には霊媒と、心霊知識を持つ人のグループを揃えなくてはならない事も知らされました。私は霊界にある記録簿を調べ上げて適当な人物を霊媒として選びました。
それは、その人物がまだ母体に宿る前の話です。わたしはその母体に宿る日を注意深く待ちました。そして、いよいよ宿った瞬間から準備に取り掛かりました」
この中に出てくる「霊界の記録簿」というのは意味深長です。
神は木の葉一枚も落ちるのも見落とさないと言うのですから、吾々人間の言葉は細大漏らさず宇宙のビデオテープにでも収められているのでしょうか。
シルバーバーチの場合は、霊媒のバーバネル氏が生まれる前から調べ上げてその受胎の日を待った、というのですから、話の次元が違います。続けてこう語ります。
「私がこの人間のスピリットと、かわいらしい精神の形成に関与しました。誕生後も日常生活のあらゆる面を細かく観察し、霊的に一体となる練習をし、ものの考え方や身体上の癖を飲み込むようにつとめました。
要するに私はこの霊媒のスピリットと精神と肉体の三面から徹底的に研究したわけです」
参考までにここに出た心霊用語を簡単に説明しておきましょう。スピリットというのは大我から分かれた小我、つまり神の分霊です。それ自体は完全無欠です。
それが肉体と接触融合すると、そこに生命現象が発生し“精神”が生まれます。私達が普段意識しているのは、この精神で、普通、心と言っているものです。これには個性があります。
肉体が持つ体質(大きいものでは男女の差)、それに遺伝とか自分自身及び先祖代々の因縁など複雑に混ざり合ってそれが人生に色とりどりの人間模様を織りなしていく訳です。
シルバーバーチは続けてこう語ります。
「肝心の目的は心霊知識の理解へ向けて指導する事でした。まず私は地上の宗教を数多く勉強させました。そして最終的にはそのいずれにも反発させ、いわゆる無神論者にさせました。それはそれなりに本人の精神的成長にとって意味があったのです。
これで霊媒となるべき一通りの準備が整いました。ある日私は周到な準備のもとに初めての交霊会へ出席させ、続いて二度目の時には、用意した手順に従って入神させ、その口を借り始めて地上の人間に語りかけました。
如何にもぎこちなく、内容もくだらないものでしたが、私にとって実に意義深い体験だったのです。その後は回を追うごとにコントロールがうまくなり、ご覧の通りの状態になりました。今ではこの霊媒の潜在意識を完全に支配し、私の考えを百%述べる事が出来ます。」
初めての交霊会の時、議論好きの十八歳のバーバネル氏は半分ヤジ馬根性で出席したと言います。そして何人かの霊能者が代わる代わる入紳してインディアンだのアフリカ人だの中国人だのと名のる霊がしゃべるのを聞いて“アホらしい”といった調子でそれを一笑に伏しました。
その時「あなたもそのうち同じような事をするようになりますよ」と言われたそうです。
それが二回目の交霊会で早くも現実となりました。バーバネル氏は交霊会の途中で“ついうっかり”寝込んでしまい、目覚めてから「誠に申し訳ない」とその失礼を詫びました。すると列席者からこんな事を言われました。
「寝ておられる間、あなたはインディアンになっておられましたよ。名前も名乗っていましたが、その方はあなたが生まれる前からあなたを選んで、これまでずっと指導して来られたそうです。
その内スピリチュアリズムについて講演する事になるとも言っていましたよ。」
これを聞いてバーバネル氏はまたも一笑に付しましたが、今度はどこか心の奥に引っかかるものがありました。
その後の交霊会においても氏は必ず入神させられ、初めの頃ぎこちなかった英語も次第に流暢になっていきました。その後半世紀以上も続く二人の仕事はこうして始まったのです。
では当のバーバネル氏に登場してもらいましょう。入神中の様子について氏は次のように述べています。
「初めの頃は身体から二、三フィート離れた所に立っていたり、あるいは身体の上の方に宙ぶらりんの格好のままで、自分の口から出る言葉を一語一語聴きとる事が出来た。シルバーバーチはだんだん英語が上手になり、初めの頃の太いしわがれ声も次第に綺麗な声、・・・私より低いが気持ちの良い声・・・に変わっていった。
他の霊媒の場合はともかくとして、私自身にとって入神はいわば“心地良い降服である”。まず気持ちを落ち着かせ、受け身的な心境になって、気分的に投げ出してしまう。そして私を通じてなにとぞ最高で純粋な通信が得られますようにと祈る。
すると一種名状しがたい温かみを覚える、普段でも時折感じる事はあるが、これはシルバーバーチと接触した時の反応である。暖かいと言っても体温計で計る温度とは違う。おそらく計って見ても体温に変化はない筈である。やがて私の呼吸が大きくリズムカルになり、そしていびきに似たものになる。
すると意識が薄らいでいき、周りの事が分からなくなり、柔らかい毛布に包まれたみたいな感じになる。そして遂に“私”が消えてしまう。何処へ消えてしまうのか、私自身も分からない。
聞くところによると、入神はシルバーバーチのオーラと私のオーラと融合し、シルバーバーチが私の潜在意識を支配した時の状態だとのことである。意識の回復はその逆のプロセスということになるが、目覚めた時は部屋がどんなに暖かくしてあっても下半身が妙に冷えているのが常である。
時には私の感情が使用されたのが分かることもある。というのは、あたかも涙を流した後の様な感じが残っていることがあるからである。
入神状態が幾ら長引いても、目覚めた時はさっぱりした気分である。入神前にくたくたに疲れていても同じである。そして一杯水を頂いてすっかり普段の私に戻るのであるが、交霊会が始まってすぐにも水を一杯いただく。
忙しい毎日であるから、仕事が終わるといきなり交霊会の部屋にとびこむこともしばしばであるが、どんなに疲れていても、あるいはその日にどんな変わった出来事があっても、入神には何の影響も無い様である。
余りに疲労が酷く、こんな状態ではいい成果は得られないだろうと思った時でも、目覚めてみると、いつもと変わらない成果が得られているのを知って驚くことがある。
私の体験では、交霊会の前はあまり食べない方が良いようである。
胸がつかえた感じがするのである。又、いろいろと言う人がいるが、私の場合は交霊会の出席者(招待客)については、あらかじめアレコレ知らない方がうまく行く。余計な事を知っていると、かえって邪魔になるのである。」
バーバネル氏はシルバーバーチ霊の言わば専属霊媒です。かつては英米の著名人、例えばリンカーン等も出たようですが、それは一種の余興であって、本来はシルバーバーチに限られております。
いずれにせよ、バーバネル氏が二つの心霊機関紙を発行する心霊出版社の社長兼編集長であることは良く知られていても、霊言霊媒であることは日本はもとより世界でも意外に知られていないようです。
これは謙虚で寡欲なバーバネル氏が自分からそのことを喋ったり書いたりする事がまず無いと言う事に起因しています。シルバーバーチが絶対に地上時代の名前を明かさないと言う徹底した謙虚さが其のままバーバネル氏に反映しているのでしょう。
実は氏は自分の霊言を活字にして公表することにすら消極的だったのです。それを思いきらせたのが他ならぬハンネン・スワッハー氏でした。
ここで私が直接面会して感じ取ったバーバネル氏の素顔を紹介しておきましょう。
幸いにも私は1980年の暮れに渡英し、多くの心霊家に面会する機会を得ました。バーバネル氏とは新年早々の五日に心霊出版社で面会し、帰国する前日にお別れの挨拶にもう一度立ち寄りました。
女性秘書がドアを開けてくれて社長室に入った時、バーバネル氏が意外に小柄なのにまず驚きましたが、満面に笑みをたたえて、知性と愛情に溢れた眼差しでしっかりと私の目を見つめ、無言のまま両手を差し伸べて固く私の手を握り、左手でどうぞこちらへという仕草をされました。
そしてインターホンでスタッフや秘書にアレコレと(私のために)指示をされてから、ようやく私に向かって「二通目の手紙は(出発前までに)間に合いましたか」という問いかけがあって、ようやく会談が始まりました。
普通なら「始めまして」とか「お元気ですか」と言った初対面の挨拶があるところですが、そんな形式を超えた、あるいは、そんな形式を必要としない、心と心の触れ合いから入りました。
その前日に面会したテスター氏も、背恰好と言い年恰好と言いバーバネル氏と実によく似た老紳士で、その応対ぶりもそっくりで目と目が合っただけで通じあう感じでした。
むろんこれはお互いがスピリチュアリズムという思想において繋がっているからでしょう、が私がこれまで接触のあった英米の教育者から実業家に至る多くの外人で人格者と言える人物は、クリスチャンであろうと無神論者であろうと、不思議に東洋的なものを感じさせる雰囲気を持っていたのが印象的です。
バーバネル氏もテスター氏もまさにその通りで、私は何の違和感も無く、まるで親戚の伯父さんに出会ったような感じでした。二人は又大の仲良しで、お互いの名前を出すのにミスター(Mr.)を付けずに呼び捨てにします。それが却って親しみを感じさせました。
ついでに言えば、テスター氏の家の周辺には銀色をしたカバの木がそこかしこに見られました。それをシルバーバーチバーチと言うのです。バーバネル氏曰く、「テスターが二十数年前にあそこへ引っ越してきたのも意味があったんですヨ。」
テスター氏夫妻は数え切れない程シルバーバーチの交霊界に出席しています。
さてバーバネル氏とテスター氏が良く似通った紳士だと言いましたが、一つだけ大きく違うものがあります。それは声の質です。
テスター氏の声は風貌に似合わず細く澄んだ声で、かなり早口です。これと対照的にバーバネル氏の声は太くごつい感じで、ゆっくりとしゃべります。これはシルバーバーチの影響でしょう。
風貌もシルバーバーチの似顔絵に非常に似ている感じですが、シルバーバーチが憑ってくるとその感じが一段と強まり、声が一層ごつくなります。
そしてしゃべり方が一語一語噛みしめるようにゆっくりとした調子になり、英語のアクセントとイントネーションが明らかに北米インディアンの特徴を見せ始めます。
しかし同時に、何とも言えない、堂々とした威厳に満ちた、近づき難い雰囲気が漂い始めます。ハンネン・スワッハー氏はこう表現しています。
「が、一旦活字になってしまうと、シルバーバーチの言葉も其の崇高さも、温かさ、威厳の満ちた雰囲気の片鱗しか伝える事が出来ない。交霊会の出席者は思わず感涙にむせぶ事すらあるのである。シルバーバーチがどんなに謙虚にしゃべっても、高貴にして偉大なる霊の前にいることを吾々はひしひしと感じる。決して人を諌めない。そして絶対に人の悪口を言わない。」
これは十一冊の霊言集の内の一冊に寄せた諸言の中から抜粋したものですが、同じ諸言の中に興味深いところがありますので、次いでに紹介しておきましょう。
「霊媒のバーバネル氏が本当に入神していることをどうして確認するのかと言う質問を良く受けるが、実はシルバーバーチが吾々列席者に霊媒の手にピンをさして見るように言いつけた事が一度ならずあった。
恐る恐る軽く差すと、ぐっと深く差せと言う、すると当然、血が流れ出る。が、入神から醒めたバーバネル氏に聞いてもまるで記憶が無いし、そのあとかたも見当たらなかった。
もう一つ良く受ける質問は、霊媒の潜在意識の仕業で無いことをどうやって見分けるのか、と言うことであるが、実はシルバーバーチとバーバネル氏との間に思想的に完全に対立するものが幾つかあることが、そのよい証拠と言えよう。
例えばシルバーバーチは再生説を説くが、バーバネル氏は通常意識の時は再生は絶対にないと主張する。その癖入神すると再生説を説く」
この諸言の書かれたのが1938年ですから、すでに、40年も前のことになります。私が面会した時には再生問題は話題に上りませんでしたが、晩年はさすがの頑固なバーバネル氏も再生を信じ、記事や書物に書いておりました。
本題に戻りましょう。シルバーバーチが心霊普及の使命を言い渡され、不承不詳ながらも引き受ける覚悟を決めたことはすでに紹介しましたが、覚悟をきめなければならない重大な選択がもう一つあったのです。
それは、知識普及の手段として物理的心霊現象を選ぶか、それとも教説と言う手段を取るか、と言う事でした。ご承知の通り、物理的心霊現象は見た目には非常に派手で、物珍しさや好奇心を誘うにはもってこいです。
しかしそれは、その現象の裏側で、霊魂が働いていること、言い換えれば死後の世界が厳然と存在することを示すことが目的であって、それ以上のものではありません。
ですから、心霊現象を見て、なるほど死後の世界は存在するのだなと確信したら、もうそれ以上の用事の無いものなのです。霊界の技術者たちもその程度のつもりで演出しているのです。
ところが現実にはその思惑通りにいっていないようです。と言うのは、現象は見た目には非常に不思議で意外性に富んでいますから、人間はどうしてもうわべの面白さに囚われて、その裏に意図されている肝心の意義を深く考えようとしないのです。
例えば最近テレビではやっている心霊番組をご覧になればその点に気づかれると思います。
怪奇現象を起こしたり写真に映ったりする霊魂について、それが身内の人であるとか先祖霊であるとか自縛霊であるとか浮遊霊であるとか、いろいろ述べるのは結構ですし、その供養まで勧めるのはなお結構だとは思うのですが、しかし話はいつもその辺でストップし、その先の例えば死後の世界が存在する事の重大性とか、その世界が一体どんな世界なのか、又そう言う形で姿を見せない、その他の無数の霊達、特に優れた高級霊達は何処でどうしているのか、と言った疑問は一般から出てこないし、指導する霊能者の方からの解説もありません。
その点について一通りの理解を持った心霊家ならいいとして、何も知らない人が同じ番組を見たら、死後の世界と言うところは実に不気味で、陰気で、何の楽しみも面白味も無い、まるで夜ばかりの世界のような印象を受けるのではないかと案じられます。日本のテレビや雑誌に見る心霊の世界はおしなべてそんな傾向がある様です。
そこへ行くとスピリチュアリズムは実に明朗闊達、広大無辺、そして自由無礙。人生百般に応用が出来て、しかも崇高な宗教心も涵養してくれます。しかしそれは心霊を正しく理解した人に言えることで、実はそこまでに至ることが大変なのです。
その第一の、そして最大の障害となっているのが、スピリチュアリズムが一般の宗教に見るような御利益的信仰心の入る余地がないと言う事ではないかと察せられます。
人間は誰しも、理屈はどうでもいい、とにかくいま直面している問題、病気、家庭問題、仕事の行き詰まり等々を解決してくれればいい、と考えるものです。
それ自体は決して悪い事でも恥ずべきことでもないのですが、ただそれが解決すればもうそれでお終いと言う事になると問題です。
あるいは、その解決だけを目的として何処かの宗教に入信する、あるいは何処かの霊能者におすがりする、というのも困りものです。それでは何の進歩も無いからです。シルバーバーチもこんなことを言っています。
「私がもしも真理を求めて来られた方に気楽な人生を約束するような口を利くような事があったら、それは私が神界から言いつけられた使命に背いた事になりましょう。
私どもの目的は人生の難問を避けて通る方法を伝授することではありません。難題に真っ向から立ち向かい、これを征服し、一段と高い人間に成長していく方法を伝授することこそ私どもの使命なのです」
さてシルバーバーチは最終的に「説教」の手段を選びましたがこれは心霊現象の演出よりはるかに根気と自信のいる仕事です。何故困難な方を選んだのか、それをシルバーバーチ自身に語ってもらいましょう。
「自分自身の霊界生活での数多くの体験から、私はいわば大人の霊、つまり霊的に成人した人間の魂に訴えようとしました。真理を出来るだけ分かり易く説いてみよう。
常に慈しみの心を持って人間に接し、決して腹を立てまい。そうする事によって私がなるほど神の使者であると言うことを身を持って証明しよう。そう決心したのです。
同時に私は生前の姓名は絶対に明かさないと重荷を自ら背負いました。仰々しい名前や称号や地位や名声を棄て、説教の内容だけで勝負しようと決心したのです。
結局私は無位無冠、神の使徒以外の何ものでもないということです。私が誰であるかと言うことが一体何の意味があるのでしょう。
私がどの程度の霊であるかは、私のやっていることで判断して頂きたい。私の言葉が、私の誠意が、そして私の判断が、暗闇の迷える人々の灯となり慰めとなったら、それだけで私は幸せなのです」
「人間の宗教の歴史を振り返って御覧なさい。謙虚であった筈の神の使徒を人間は次々と紳仏の座に祭り上げ、偶像視し、肝心の教えそのものをなおざりにしてきました。私ども霊団の使命は、そうした過去の宗教的指導者に目を向けさせることではありません。
そうした人々が説いた筈の本当の真理、本当の知識、本当の叡智を改めて説く事です。それが本物でありさえすれば、私が偉い人であろうが卑しい乞食であろうが、そんな事はどうでもよいことではありませんか。
私どもは決して真実から外れた事は申しません。品位を汚すようなことも申しません。又人間の名誉も傷つけるようなことも申しません。私どもの願いは地上の人間に生きる喜びを与え、地上生活の意義は何なのか、宇宙において人類はどの程度の位置を占めているのか、この宇宙を支配する神とどのようなつながりを持っているのか、そして又、人類同士がいかに強い家族関係によって結ばれているのかを認識してもらいたいと、ひたすら願っているのです。
と言って別に新しい事を説こうとしているのではありません。優れた霊覚者が何千年も前から説いている古い古い真理なのです。
それを人間がなおざりにしてきたために私どもが改めて説き直す必要が生じてきたのです。要するに神と言う親の言いつけを良く守りなさいと言いに来たのです。
人類は自分の誤った考えによって今まさに破滅の一歩手前まで来ております、やらなくてもいい戦争をやります。霊的真理を知れば殺し合いなどしないと思うのですが・・・。神は地上に充分な恵みを用意しているのに飢えに苦しむ人が多過ぎます。
新鮮な空気も吸えず、太陽の温かい光にも浴さず、人間の住むところとは思えない場所で、生きるか死ぬかの生活を余儀なくされている人が大勢います。欠乏の度合いが酷過ぎます。貧富の度が過ぎます。そして悲劇が多過ぎます。
物質界全体を不満の暗雲が覆っています。その暗雲を払いのけ、温かい太陽の光が射す日が来るか来ぬかは、人間の自由意思一つに掛っているのです。
一人の人間が他の一人の人間を救おうと努力する時、その背後には数多くの霊が群がってこれを援助し、その気高い心を何倍にも膨らませようと努めます。善行の行為は絶対に無駄にはされません。奉仕の精神も決して無駄に終るような事はありません。
誰かが先頭に立って藪を切り開き、後に続く者が少しでも楽に通れるようにしてやらねばなりません。やがてそこに道が出来上がり、通れば通るほど平坦になっていくことでしょう。
高級紳霊界の神々が目にいっぱい涙を浮かべて悲しんでおられる姿を時折見かけることがあります。今こそと思って見守っていた善行のチャンスが、人間の誤解と偏見とによって踏みにじられ、無駄に終わっていることを見るからです。
そうかと思うと、嬉しさに顔を思い切りほころばせているのを見かけることもあります。無名の平凡人が善行を施し、それが暗い地上に新しい希望の灯を灯してくれたからです。
私はすぐそこまで来ている新しい地球の夜明けを少しでも早く招来せんが為に、他の大勢の同志と共に、波長を物質界の波長に近づけて降りて参りました。
その目的は、神の摂理を説く事です。その摂理に忠実に生きさえすれば神の恵みをふんだんに受け取る事が出来る事を教えてあげたいと思ったからです。
物質界に降りてくる時は、正直言って、あまり楽しいものではありません。光も無く活気も無く、うっとうしくて単調で、生命力に欠けています。譬えてみれば弾力性のなくなったヨレヨレのクッションの様な感じで、何もかもがだらしなく感じられます。どこもかしこも陰気でいけません。
従って当然生きる喜びに溢れている人はほとんど見当たらず、何処を見渡しても絶望と無関心ばかりです。
私が定住している世界は光と色彩に溢れ、芸術の花咲く世界です。住民の心は真に生きる喜びがみなぎり、適材適所の仕事に忙しく携わり、奉仕の精神に溢れ、互いに己の足らざるところを補い合い、充実感と生命力と喜びと輝きに満ちた世界です。
それに引き換えこの地上に見る世界は幸せであるべき所に不幸があり、光があるべき所に暗闇があり、満たさるべき人々が飢えに苦しんでおります。何故でしょう。
神は必要なものは全て用意してあるのです。問題はその公平な分配を妨げる者がいると言う事です。取り除かねばならない障害が存在すると言う事です。
それを取り除いてくれと言われても、それは私どもには出来ないのです、私どもに出来るのは、物質に包れたあなた方に神の摂理を教え、どうすればその摂理が正しくあなた方を通じて運用されるかを教えて差し上げるだけです。
ここにおられる方にはぜひ、霊的真理を知るとこんなに幸せになれるのだと言う事を、身を持って示して頂きたいのです。
もしも私の努力によって神の摂理とその働きの一端でも教えて差し上げる事が出来たら、これに尽きる喜びはありません。これによって禍を転じて福となし、無知による過ちを一つでも防ぐことが出来れば、こうして地上に降りてきた努力の一端が報われたことになりましょう。
私ども霊団は決してあなた方人間の果たすべき本来の義務を肩代わりしようとするのではありません。なるほど神の摂理が働いていると言う事を身を持って悟ってもらえる生き方をお教えしようとするだけです」
この物質界は霊界から見てそんなに酷いところなのだろうか・・・シルバーバーチの言葉を読まれた方の中にはそんな感慨を抱かれた方が少なくなかろうと思います。
が、シルバーバーチ等は霊言現象のせいで言葉に気を付けて表現している方で、一番ひどいのになると「地球はまるでゴミ溜めのようなもの」だと書いている霊もいます。
ここで参考までに有名な霊界通信のマイヤースの「個人的存在の彼方」を開いてみますと、第一部の第一章から地上生活に対して厳しい観察を述べています。
その表現も「このケチくさいチャチな時代」となっているのですから、およそ雰囲気は察せられると思いますが、この章は浅野和三郎訳では省略されておりますので、その中から部分的に抜粋して紹介してみましょう。
マイヤースは地上時代は古典学者であると同時に詩人でもありましたから、さすがに表現は穏やかですが、その意味するところは深長なものがあります。
「健全なる精神と健全なる肉体・・・古代ギリシヤ人が求めた理想、つまり、美と力への憧憬を今こそ地上人類を我が理想、我が憧憬としなければならない。
私は今、地球をいうなれば山の山頂から眺める立場にある。そこから見る地上は、招来に対する真の洞察、熱慮ある反省も持たぬ盲目同然の群集がただ右往左往するのみである。
幼児期の思考と夢が既に其の子の未来の原型を形成していると言う。あたかも陶器が焼窯に入れられて固く仕上げられる以前にすでに形が出来ているように、人間の未来も歴史的過去においてすでに変えがたい形体が造られ、それが現在と言う時を通りすぎ“永遠”と言う名の神の時刻の中に記録されていくのである。
それ故私は、今まさに幼児期にあってこれからの未来を形造りつつある人類に対し、古代ギリシヤが求めた夢と理想・・・心と身体の健全さ、美と力への憧憬を思い出してもらいたいのである。
私は決して人類に咎め立てする気も無ければ、いたずらに迷わせるために言うのではないが、現代人は人間とものを機械から截然(セツゼン)と切り離し、人生を“金銭”から切り離して考えるよう切望して止まない。
絶え間なく回転し、文化生活とやらの担い手である、あの怪物の如き機械のジャングルの中にあっては、健全なる知識を産み出す静思や瞑想の時も雰囲気も見いだせない。
一旦その現代の怪物・・・唯物主義と言う名の悪魔の最後の権化である機械・・・の虜になったが最期、いかに深刻な運命が人類を待ち受けているかは、まさに知る者のみぞ知るである。
二千年あまり前、神の御子イエス・キリストは地上に降りて肉体をまとい、その生きざまによって天像の美をこの世にもたらした。
この二十世紀においては唯物主義の申し子である“機械”が地上に降り、その教義が今まさに全世界を圧巻しつつある、そしてそれを人類は熱心に、強烈に信仰している。
が、ここにもう一つの怪物がいる。大都会と言う名の怪物である。現代の都会は人間の集まりであるより、むしろ一つの機械の如き性格を帯びつつあり、このまま進めばその機械が人間を振り回すことになりかねない。
恐ろしいのは、その人間の集団が一つの集団心理に巻き込まれて、一気に戦争に突入することである。
が、そういう極端な形はとらなくても、人口の増加とそれに伴って増えるであろう無能な人間、弱い人間、堕落した人間、そして精神病者などによって不幸が生まれ悲劇が広がる危険性が多分にある。
大都会と言う名の唯物主義と言う申し子は、ただ盲目的に質よりも量を求める。ただ機械的に人口を増やし、その結果不幸も増やす。
私は機械なんかぶち壊してしまえと言っているのではない。機械の本質を良くわきまえて欲しいと言っているのである。魂を持たぬ機械は、思考する動物である人間の僕であるべきであって、断じて主人の座に据えられるべきではない。
言い変えれば人間の生活と心に深刻なまでに影響を及ぼしている機械の力を人間自身がコントロールしチェックできるようでなければならない。
その上でならば、人間の霊的進化の為に、具われる力を思い切り発揮し、肉体と五感の喜びを健全に味わいつつ、近代文明がふんだんにもたらしてくれる洪水の如き機械製品恩恵に浴すれば良いのである」
この警告が第二次大戦前の1930年代に出ていたと言う事実は、我々日本人にもいろいろと示唆を与えてくれます。
警告通り日本は、マイヤースの言葉を借りれば「丘を駆け下りるように」戦争への道を突進し、そして敗戦を迎えました。
そして一時は目覚ましい復興ぶりを見せますが、今や機械化された現代社会、言いかえれば人間性を喪失した科学技術文明の悪弊に悩まされ始めていることは、心ある人なら先刻お気づきのことでしょう。
これは日本に限った事ではありません。世界の先進国と言われている近代国家はそうした文明病に悩まされています。
何故でしょう。何故人間は間違った方向ばかりに走りたがるのでしょう。
シルバーバーチの霊言に耳を傾ける前に私は、そうした人間の愚かさを非難し警鐘を鳴らし続けている数多くの良識ある知識人の一人である生化学者のセント・ジェルジ博士Albert Szent-Gyorgyiの意見を紹介したいと思います。
博士はハンガリー生まれで現在はアメリカに在住していますが、ビタミンCの発見者として知られ、1937年にノーベル賞を受賞しています。
最も博士は、受賞で得た“生涯のんびり食べていける程のお金を”、これは国民の税金だからという事で、社会に還元する方向でいっぺんに使い果たしています。
この事実一つだけでも博士のものの考え方がほぼ察しが付くと言うものですが、私の手元にある著書には特にこれからの若い世代の為に書いたThe Crazy Ape(狂った猿)と言う小冊子です。その前書きの中でこう述べています。
「人類が今まさに歴史始まって以来の最大の危機に直面している事、つまりこのまま行けば人類全体がそう遠からぬ将来においていっぺんに滅亡することも十分にあり得ると言う危険な時期に差し掛かっていることに、ほぼ疑いの余地はない。
なぜこんなことになってしまったのか、どうすればこの危機から脱することが出来るかについては、数え切れない程の意見が説かれてきた。
軍事的見地から、政治的立場から、社会的観点から、経済的角度から、科学技術の面から、はたまた歴史的見地から、それなりの分析が為されてきた。
しかしながら大きく見落とされている要素がある。それは人間それ自身・・・生物学的存在としての人間そのものである。
(中略)究極の問題は、果たして人類はおよそまともな人間のすることとは思えない、言わば狂った猿とでも言うべきふるまいをする現状を首尾よく切り抜けられるかと言う事である」
そして続く第一章の冒頭でこう述べています。
「人間はなぜ愚の骨頂とも言うべき振舞をするのか。それが私のこれから取り扱う問題である。ある意味では今日ほど人生をエンジョイできる時代はかつてなかった。
寒さに震えることも無い。空腹を耐え忍ぶと言うことも無い。病気でコロコロ死んでいくと言うことも無くなった。つまり生きていく上で最低限必要とされるものが全て充足されたのは現代が初めてのことであろう。
ところが同時に、自らこしらえたたった一発で人類全部を絶滅し、あるいは環境汚染によってこの愛すべき母なる大地を住めない場所にしてしまう可能性を持つに至ったのも、歴史上はじめてのことである。」
更に次の様な興味深いものの観方を提言して第一章をしめくくります。
「もし人間が真に愚かで有るとしたら、一体どうして地球上に発生してから百万年と言う歳月を首尾よく生き抜いて来れたであろうか。この問いに対しては二つの考え方が出来るように思う。
一つは人間は決してそんな愚かな存在ではない。むしろ地球と言う生活環境の方が人類が適応できないほどまでに進化してしまったのだと言う考えである。が、もう一つ、こう考えることが出来よう。すなわち人間は今も昔も少しも変わっていない。
人類と言うものは本来は自己破壊的なのだ。ただこれまでは、一度に絶滅させるほどの強力な武器を持つに至らなかっただけなのだと言うのである。確かに人間の歴史は無意味な殺し合いと破壊の連続であった。
それが人類全滅と言う事態に至らしめ無かったのは、殺人の道具が原始的で威力に欠けていたからに過ぎない。だからこそ、どんなに激しい戦争でも多くの生存者がいた訳である。が、現代の科学技術の発達で事情が一変してしまった。今や人類は集団自殺の道しかないのだ。
この二つの考えのどちらが正しいにせよ。とにもかくにもこの危機を切り抜けて生き延びるためには、一体どこがどう間違ってこんな事態に至ったかを見極め、そこから抜け出る可能性もしくは良い方法があるかどうかを早急に検討しなければならない。」
翻訳権の問題がありますので、余り多く紹介できないのが残念ですが、私が敢えてスピリチュアリズムに直接関係ない人の意見を紹介したのは、スピリチュアリズムに関係のない、勿論心霊を知らない人で案外スピリチュアリズム的な透徹したものの考え方をしている人が幾らでも居ることを痛感して居るからです。
論語読みの論語知らずと言う諺がありますが、心霊心霊とやたら心霊を口にする人、あるいはその道の本まで書いている人がまるで心霊の神髄を理解していないことが多いのはうんざりさせられます。
私は主義として心霊とかスピリチュアリズムと言うことを口にすることは滅多にありません。
そうしたものは自分の人生観やものの考え方の中で消化醗酵させておけばいいのであって、それが無形のエネルギーとして生きる力となり、人間性や生活態度に反映して行くのだと信じているからです。
やはり人間の全てを決するのはその人の日常生活ではないでしょうか。シルバーバーチもその点を繰り返して協調しています。
「唯物主義者や無神論者は死後の世界でどんな事になるのかと言う質問を良く受けますが、宗教家と信心深い人は霊的に程度が高いと言う考えが人間を永いこと迷わせてきたようです。実際は必ずしもそうばかりとは言えないのです。
ある宗教の熱烈な信者になったからと言って、それだけで霊的の向上する訳ではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それが全てのカギです。
祭壇の前にひれ伏し神への忠誠を誓い“選ばれし者”の一人になったと信じている人よりも、唯物主義者とか無神論者、合理主義者、不可知論者と言った宗教とは無縁の人の方が遥かに霊格が高いと言ったケースが幾らでもあります。
問題は何を信じるかではなくて、これまでどんなことをしてきたかです。そうでないと神の公正(Justice)が根本から崩れます」
少しわき道にそれたようですが、ではシルバーバーチは上記のセント・ジェルジ博士の提起した問題にどう答えるか、それを見てみましょう。シルバーバーチは語ります。
「人間はなぜ戦争をするのか。それについてあなた方自身はどう思いますか。何故悲劇を繰り返すのか、その原因は何だと思いますか。何故人間世界に苦しみが絶えないのでしょうか。
その最大の原因は、人間が物質によって霊眼が曇らされ、五感と言う限られた感覚でしか物事を見る事が出来ない為に、万物の背後に絶対的統一原理である“神”が宿っている事を理解できないからです。宇宙全体を唯一絶対の霊が支配していると言う事です。
ところが人間は何かにつけて“差別”を付けようとします。そこから混乱が生じ、不幸が生まれ、そして破壊へと向かうのです。
前にも述べた通り、私どもはあなた方が“野蛮人”と呼んでいるインディアンですが、あなた方文明人が忘れてしまったその絶対神の摂理を説く為に戻って参りました。
あなた方文明人は物質界にしか通用しない組織の上に人生を築こうと努力してきました。言いかえれば、神の摂理から遠く外れた文明を築かんが為に教育し、修養し努力してきたという事です。
人間世界が堕落してしまったのはその為なのです。古い時代の文明が破滅したように、現代の物質文明は完全に破滅状態に陥っています。
その瓦礫を一つ一つ拾い上げて、つかの間の繁栄では無く、永遠の神の摂理の上に今一度文明を築き直す、そのお手伝いをする為に私どもは地上に戻って参りました。
それは、私達スピリットと同様に、物質に包れた人間にも“神の愛”と言う同じ血が流れているからに他なりません。
こう言うと、こんなことを仰る人物がいるかもしれません。“イヤ、それは大きなお世話だ。吾々白人は有色人種の手を借りてまで世の中を良くしようとは思わない。白人は白人の手で何とかしよう。有色人種の手を借りる位なら不幸のままでいる方がまだましだ”と。
しかし、何とおっしゃろうと、霊界と地上とは互いに持ちつ持たれ合って進歩してゆくものなのです。地上の文明を見ていると、霊界の者にも為になる事が多々あります。
私どもは霊界で学んだことをあなた方に教えてあげようと努力し、同時にあなた方の考えから成る程と思うことを吸収しようと努めます。その総合扶助の関係の中にこそ地上天国への道が見出されるのです。
そのうち地上の全ての人種が差別なく混ざり合う日が参りましょう。どの人種にもそれなりの使命があるからです。其々に貢献すべき役割を持っているからです。
霊眼を持ってみれば、全ての人種がそれぞれの長所と、独自の文化と、独自の教養を持ち寄って調和のとれた生活を送る様になる日が、次第に近づきつつあることが分かります。
ここに集まられたあなた方と私、そして私に協力してくれているスピリットはみな、神の御心を地上に実現させるために遣わされた“神の使徒”なのです。私達は良く誤解されます。
同志と思っていた者が何時しか敵に回る事がしばしばあります。しかしだからと言って仕事の手を緩める訳にはいきません。神の目から見て一番正しい事を行って居るが故に、地上に無い霊界の強力なエネルギーの全てを結集して、その遂行に当たります。
徐々にではあっても必ずや善が悪を滅ぼし、正義が不正を駆逐し、真が偽を暴いていきます。時には物質界の力に吾々霊界の力が圧倒され、後ずさりをさせられる事があります。しかしそれも一時の事です。
吾々はきっと目的を成就します。自ら犯した過ちから人間を救い出し、もっと高尚でもっと気の利いた生き方を教えてあげたい。お互いがお互いの為に生きられるようにしてあげたい。
そうする事によって心と霊と頭脳が豊かになり、この世的な平和や幸福でなく、霊的な安らぎと幸福とに浴することが出来るようにしてあげたいと願っているのです。
それは大変な仕事ではあります。が、あなた方と私達を結び付け、一致団結させている絆は神聖なるものです。どうか父なる神の力が一歩でも地上の子等に近づけるように、共に手を取り合って、神の摂理の前進を拒もうとしている勢力を駆逐していこうではありませんか。
こうして語っている私のささやかな言葉が少しでもあなた方にとって役に立つものであれば、その言葉は当然それを知らずにいる、あなた以外の人々にも、私がこうして語っているように次々と語り継がれていくべきです。
自分が得た真理を次の人へ伝えてあげる・・・それが真理を知った者の義務なのです。
私とて、霊界生活で知り得た範囲の神の摂理を、英語と言う地上の言語に翻訳し、語り伝えているに過ぎません。
それを耳にし、あるいは目にされた方の全てが、必ずしも私の解釈の仕方に納得がいくとは限らないでしょう。しかし忘れないでください。私はあなた方の世界とは全く次元の異なる世界の人間です。英語と言う言葉には限界があり、この霊媒にも限界があります。
ですから、もしも私が語った言葉が十分納得が出来ない場合は、それはあなた方がまだその真理を理解する段階にまで至っていないか、それとも真理が地上の言語で表現し得る限界を超えた要素を持っているために、私の表現がその意味を十分に伝えきっていないのかの、いずれかでありましょう。
しかし、私はいつでも真理を説く用意は出来ています。地上の人間がその本来の姿で生きていくには、神の摂理、霊的真理を理解する以外にはないからです。
盲目で居るよりは見える方がいい筈です。聞こえないよりは聞こえた方がいい筈です。居眠りをしているよりは目覚めている方がいい筈です。
皆さんと共に、そう言った居眠りをしている魂を目覚めさせ、神の摂理に耳を傾かせてやるべく努力しようではありませんか。それが神と一体となった生活への唯一絶対の道だからです。
そうなれば身も心も安らぎを覚えることでしょう。大宇宙のリズムと一体となり、不和も対立も消えてしまいましょう。それを境に、それまでとは全く違った新しい生活が始まります。
知識は全て大切です。これだけ知っていれば充分だなどと考えてはいけません。私の方は全部お教えしようと努力しているのですから、あなた方は出来る限り吸収するよう努めて頂きたい。
こんなことを言うのは、決して私があなた方より偉いと思っているからではありません。知識の豊富さを自慢したいからでもありません。自分の知り得た事を他人に授けてあげることこそ私にとって奉仕の道だと心得ているからに他なりません。
知識にも一つ一つ段階があります。その知識の階段を一つ一つ登っていくのが進歩と言う事ですから、もうこの辺で良かろうと、階段の何処かで腰をおろしてしまってはいけません。
人生を本当に理解する、つまり悟るためには、その一つ一つを理解して吸収していくほかに道はありません。
この事は物質的な事に限りません。霊的な事にも同じことが言えるのです。と言うのは、あなた方は身体は物質界にあっても、実質的には常に霊的世界で生活しているのです。
従って物的援助と同時に霊的援助すなわち霊的知識も欠かすことが出来ないのです。ここのところを良く認識して頂きたい。あなた方も実際は霊的世界で生きている・・・物質はほんの束の間の影像に過ぎないのだ・・・これが私達のメッセージの根幹をなすものです。
その事にいち早く気付かれた方々がその真理の忠実な生活を送ってくだされば、私達の仕事も一層やり易くなります。
スピリットの声に耳を傾け、心霊現象の中に霊的真理の一端を見出した人々が、小さな我欲を棄て、高尚な大義の為に己を棄てて下されば、なお一層大きな成果を上げる事が出来ましょう。
繰り返しますが、私は久しく忘れ去られてきた霊的真理を、今ようやく夜明けを迎えんとしている新しい時代の主流として改めて説く為に遣わされた、高級霊団の通訳に過ぎません。要するに私を単なる代弁者として考えて下さい。
地上に霊的真理を普及させようと努力している高級霊の声を、気持ちを、そして真理を、私が代弁していると考えて下さい。その霊団を小さく想像してはいけません。それは大きな高級霊の霊団が完全なる意思の統一のもとに、一致団結して事に当たっているのです。
その霊団がちょうど私がこうして霊媒を使っているように私を使用して、霊的真理の普及に努めているのです。
決して難解な真理を説こうとしているのではありません。今地上人類に必要としているのは神学の様な大げさで難解で抽象的な哲学ではなく、いずこの宗教でも説かれている至って単純な真理、その昔、霊感を具えた教祖が説いた基本的な真理、すなわち人類はみな兄弟であり、霊的本質において一体であると言う真理を改めて説きに戻ったと言う事です。
四海同胞、協調、奉仕、寛容・・・これが人生の基本理念であり、これを忘れた文明からは真の平和は生まれません。協力し合い、慈しみ合い、助け合う事、持てる者が持たざる者に分けてあげる事、こうした倫理は簡単ですが繰り替えし繰り返し説かねばなりません。
個人にしろ、国家にしろ、人種にしろ、こうした基本的倫理を実生活で実践する時こそ、神の意図した通りの生活を送っていると言えましょう。
そこで私は二つの側面を持つ事になります。すなわち破邪と顕正です。まず永い間人間の魂の首を締め付けてきた雑草を抜き取らねばなりません。
教会が、あるいは宗教が、神の名のもとに押し付けてきた、たあいも無い、忌わしい、不敬極まるドグマの類を一掃しなければなりません。何故なら、それが人間が人間らしく生きる事を妨げてきたからです。これが破邪です。
もう一方の顕正は、誰にも分かり美しくて筋の通った真実の教えを説く事です。この破邪と顕正とは常に手と手を取り合って進まねばなりますまい。それを神への冒涜であると息巻いたり尻込みをする御仁に関わり合っている暇はありません」
シルバーバーチの交霊会の全体のパターンは、最初に「祈りの言葉」があり、続いて「説教」があり、その間に列席者との間の一問一答があり、そして最後に締めくくりの「祈り」があります。
質問は個人的内容のものから哲学的なものまで種々様々ですが、時にはすでに説教の中で述べた事と重複する事もあります。が、シルバーバーチは類をいとわず懇切丁寧に説いて聞かせます。
かつては週一回だった交霊会が晩年には月一回になったとはいえ、半世紀以上にわたる交霊会での応答は大変な数に上ります。その中から各章に関連のあるものを選んで章の終りに紹介しようと思います。
一問一答
問「昨今のスピリチュアリズムの動向をどう見られますか」
「潮にも満ち引きがある様に、物事には活動の時期と静止の時期とがあるものです。いかなる運動も一気にやってしまう訳には行きません。
なるほど表面的にはスピリチュアリズムはかなりの進歩を遂げ、驚異的な勝利を収めたように見えますが、まだまだ霊的真理について、全く無知な人が圧倒的に多数を占めております。
いつも言っているように、スピリチュアルズムと言うのは単なる名称に過ぎません。私にとってはそれは大自然の法則、言いかえれば神の摂理を意味します。
私の使命はその知識を広めることによって少しでも無知を無くすることです。その霊的知識の普及に手を貸して下さる者であれば、それが一個人であってもグループであっても、私はその努力に対して賞賛の拍手を送りたいと思います。
神の計画はきっと成就します。私の得ている啓示によってもそれは間違いありません。地上における霊的真理普及の大事業が始まっております。
時には潮が引いたように活動が目立たない時期がありましょう。そうかと思うとブームの様な時期があり、そして再び無関心の時期がきます。普及に努力することがイヤになる人もおりましょう。が、こうしたことは、神の計画全体からみればホンの部分的現象に過ぎません。
その計画の中でも特に力を入れているのは心霊治療です。
世界各地で起きている奇跡的治癒は計画的であって決して偶発的なものではありません。その治癒の根源が霊力である事に目覚めさせるように霊界から意図的に行っているものです。私は真理の普及について決して悲観的になる事はありません。
常に楽観的です。と言うのは、背後で援助してくれている強大な霊団の存在を知っているからです。私はこれまでの成果に満足をしております。地上の無知な人が吾々の仕事を邪魔し、遅らせ滞らせる事は出来ても、真理の前進を完全に拒む事は決して出来ません。
ここが大切な点です。偉大なる神の計画の一部だと言うことです。牧師が何と説こうと、医者がどうケチをつけようと、科学者がどう反論しようと、それは好きにさせておくが宜しい。
時の進展と共に霊的真理が普及していくのをストップさせる力は、彼らには無いのです」
問「死後の世界でも罪を犯すことがありますか」
「ありますとも!死後の世界でも特に幽界と言うところは非常に地上と似ています。住民は地上の平凡人とほぼ同じ発達程度の人達で、決して天使でもなければ悪魔でもありません。
高級過ぎもせず、かと言って低級すぎもせず、まあ、普通の人間と思えばいいでしょう。判断の誤りや知恵不足で失敗もすれば、拭いきれない恨みや憎しみ、欲望等に囚われて罪悪を重ねる事もあります要するに未熟であることから過ちを犯すのです」
問「人間一人一人に守護霊がついているそうですが・・・」
「母体における受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当たる霊がつきます。そしてその人間の死の瞬間まで、与えられた責任と責務の遂行に最善を尽くします。守護霊の存在を人間が自覚すると否とでは大いに違ってきます。
自覚してくれれば守護霊の方も仕事がやり易くなります。守護霊は決まって一人ですが、その援助に当たる霊は何人かおります。守護霊にはその人間の辿るべき道があらかじめ分かっております。が、その道に関して好き嫌いの選択は許されません。
つまり自分はこの男性にしようとか、あの女性がよさそうだ、とか言った勝手な注文は許されないのです。こちらの世界は実にうまく組織された機構の中で運営されているのです」
問「地上で犯す罪は必ず地上で報いを受けるのでしょうか」
「そういう場合もあるし、そうでない場合もあります。言わゆる因果律と言うのは必ずしも地上生活期間内に成就されるとは限りません。しかしいつかは成就されます。必ず成就されます。原因があれば結果があり、両者を切り離すことは出来ないのです。
しかし何時成就されるかという時間の問題になると、それはその原因の性質如何に関わってきます。すぐに結果の出るものもあれば地上生活中に出ないものもあります。
その作用は情状酌量と言ったお情けはなく、機械的に作動します。罪を犯すと、その罪がその人の霊に記録され、それなりの結果を生み、それだけ苦しみます。
それが地上生活中に出るか否かは私にも分かりません。それはいろんな事情が絡んだ複雑な機構の中で行われるのですが、因果律の根本の目的が永遠の生命である霊性の進化にあることだけは確かです」
問「霊界の何処に誰がいると言う事がすぐに分かるものでしょうか」
「霊界にはそう言う事の得意な者がいるものでして、そう言う人には簡単に分かります。大雑把に分類すると死後の世界の霊は地上に帰りたがっている者と帰りたがらない者とに分けられます。
帰りたがっている霊の場合は、有能な霊媒さえ用意すれば用意に連絡が取れます。
帰りたがらない霊ですと、何処に居るのか簡単に突き止める事は出来ても、地上と連絡を取ることは容易ではありません。嫌だと言うのを無理に連れてくる訳にもいかないのです」
俗に拝み屋と言う、霊界との取り次ぎのような商売をしている人がいます。頼めばどんな先祖霊でも呼び出してくれるようですが、上のシルバーバーチの答えを読めばそれが必ずしも信のおけるものではない事が分かります。
シルバーバーチは霊界にはスピリットの所在を突き止めるのが得意な霊がいると言っておりますが、実はそれとは別に、地上の拝み屋の様な低級な霊能者の処をドサ回りの様な事をしながら、声色を使ったりクセを真似たりして、信心深い人間をだまして面白がっているタチの悪い霊団がいる事も忘れてはなりません。
そんな霊にからかわれない為にも、正しい心霊知識を少しでも多く身につけたいものです。