第2部 アラン・カルデック自伝
──孤独と休みなき戦いの日々(『遺稿集』第四章「自伝的ノート」から抄訳)

第11章 機関誌『霊実在主義』をおもしろくするには?
一八五七年十一月十五日、デュフォ氏宅にて、霊媒はデュフォ嬢。

――機関誌として『霊実在主義』を刊行したいと思っているのですが、上手くいくでしょうか? アドバイスをお願いします。ティドマン氏に協力を依頼したのですが、氏は、まだ財政的援助をするかどうか決めかねているようなのです。

「忍耐強くやれば成功すると思います。考え方としてはよいでしょう。あとは、案をよく練ることです」

――他の人に先を越されるのではないかと不安なのですが。
「急ぐ必要があるかもしれません」

――そうしたいのはやまやまです。しかし、時間が足りません。ご存知のように、現在、私は仕事を二つ抱え込んでいるからです。出来れば、それを止めて、心おきなく機関誌発刊の準備に専念したいのですが。

「当面、仕事を止めるべきではありません。時間というものは、つくり出そうとすればつくれるものです。動きなさい。そうすれば何とかなります」

――ティドマン氏の協力なしに動くべきなのですか?

「協力があろうとなかろうと、とにかく行動しなさい。彼のことは心配しなくてもいいでしょう。ティドマン氏が協力してくれなくても大丈夫です」

――まずは第一号を出してみようと思っているのです。それを続けるかどうかは、後でまた考えるつもりです。それでよろしいでしょうか?

「それでよいと思います。でも、一号だけではとても足りないでしょう。いずれにしても、まず第一号を発刊して、道を開くことが大事ですし、また必要でもあります。第一号を、念には念を入れてつくり、以後の成功の基礎をつくるべきです。不完全なものであれば、むしろ出さない方がよいでしょう。第一印象が、その後のあり方を決めるからです。

人々の興味を引くものでなければなりません。したがって、真面目な記事と面白い記事の両方を掲載すべきでしょう。真面目な記事は学識のある人々を引きつけ、面白い記事は一般大衆を引きつけるからです。真面目な記事が基本をなしますが、面白い記事もまた必要なのです。というのも、面白い記事がなければ充分に売れず、したがって、経済的な基盤をつくれないからです。
要するに、『堅苦しい記事ばかりではなく、肩のこらない記事も載せて、それなりの部数を売りなさい』ということです。そうすれば、この機関誌が、今後の仕事を進める上での強力な補助手段になるでしょう」

当時、私は、この機関誌の発刊を急いでおり、誰にも相談せずに、一八五八年一月一日に第一号を刊行した。当時、予約購読者は一人もおらず、出資者も一人もいなかった。全てのリスクを自分で負い、たった一人で発刊したのである。しかし、後悔はしなかった。結果が、当初の期待を遥かに超えていたからである。
第一号以来、途切れることなく発刊され続けた。そして、霊人から告げられたように、この機関誌は、私が仕事を進める上で強力な補助手段となったのである。

出資者を募らなかったのが、かえって私にとって幸いしたことを後で知った。というのも、もし、資金を誰かに出してもらっていたら、その人の考えや意志によって邪魔されて、私の自由が大幅に制限されることになっていたはずだからである。仕事自体はきつかったが、誰に対しても気兼ねすることなく、全て自分の意志で自由に進められることが有り難かった。