第2部 アラン・カルデック自伝
──孤独と休みなき戦いの日々(『遺稿集』第四章「自伝的ノート」から抄訳)
第10章 手相占いは正しいのか?
一八五七年五月六日、カルドヌ夫人宅にて。
ルスタン氏のお宅でのセッションで、カルドヌ夫人にお会いする機会があった。彼女は手相を見る名人だということだった。
私は、「手相それ自体に意味があるわけではない。ただし、透視能力を持っている人々にとって、手相が、真実を見抜く為の、ある種のきっかけにはなり得るだろう」と、ずっと思っていた。すなわち、「手相は、一つの口実――注意を集中させ、意識を研ぎ澄ます為の手段――であろう」と考えていたのである。その意味では、カードや、珈琲の飲み滓、鏡等と同じ役割を果たしているはずである。経験を積むにつれ、私はこの考えが正しいという確信を深めていった。
いずれにしても、カルドヌ夫人が「一度いらっしゃい」と言うので、ご招待に応じることにした。以下が、彼女が私に言ったことの要約である。
「あなたは数多くの優れた資質と高い知性に恵まれています。卓越した判断力があり、インスピレーションを理性で判断し、統御することが出来ます。本能や欲望を抑え、直観を、方法論、理論に従わせることが出来ます。『心の法則を明らかにしたい』と、ずっと思ってきました。絶対的な真理を探し求め、芸術を愛しています。
あなたの文体は、正確、緻密で、よいリズムを持っています。ただし、時には、正確さを、多少、犠牲にしても、詩的な表現を取ろうとすることがあります。
かつては、単なる観念的な哲学者だった為に、他者の意見に譲ることが多かったようです。現在では、明確な信仰に裏打ちされた哲学者として、断固たる立場をとり、また、一派をつくりたいと思っています。
思いやりと分別に溢れています。他者を助け、慰め、救うことが大好きです。また、独立心が旺盛です。
感情が激しくなっても、直ぐ元に戻れます。
ご自分に託された使命を遂行するのに極めて適した能力を持っています。孤立して仕事をするよりも、多くの人と協力しつつ、彼らを導きながら仕事をすることの方が得意でしょう。あなたの考えは、眼差しに表れます。
ここに、霊的な司教冠が見えます。大変はっきりと見えますが、あなたには見えますか?」
「私には何も見えません。その司教冠は何を意味するのでしょう? 私が司教になるということでしょうか? 仮にそうだとしても、今世で司教になることはないでしょう」
「霊的な司教冠と言ったことに注意してください。それは、精神的、宗教的な権威を意味するのであって、現実に司教になるかどうかとは関係ないのです」
ここには、カルドヌ夫人が言ったことをそのまま書いたにすぎず、それが正しいかどうかを判断するのは私の任ではない。
だが、あるものは正しいように思われる。私の性格と傾向性に関する部分である。
ただし、明らかに間違っている部分もある。それは、私の文体について彼女が述べた箇所である。彼女は、私が、正確さを犠牲にしても詩的な表現をとる、というようなことを言った。しかし、私には詩人の資質はない。
私が何よりも重んじ、好み、大切にするのは、文体の明晰さ、正確さ、簡潔さであって、それらを詩的表現の為に犠牲にすることなど決して有り得ない。むしろ、私は、「明晰さを重んじるあまり、詩的な感情を犠牲にし過ぎる。その為に文体が乾いている」と言って非難される程なのである。私は、常に、想像力に訴えるよりも、理性に訴えることを選んできた。
霊的な司教冠に関しては、まだ『霊の書』は出版されたばかりであり、霊実在主義の理論は、その端緒が示されたにすぎない。今後、それがどのような展開を見せるかは予断を許さないのである。この本の元となった啓示の送り手達それ自体に、私はそれほど重きを置いているわけではない。むしろ、その教えの内容の方が大事だと思っている。
カルドヌ夫人は翌年、パリを離れた。彼女に再会したのは、それから八年後の一八六六年のことであった。この間に、事態は大分進展していた。彼女は私に言った。
「私が予言した(霊的な司教冠)のことを覚えていらっしゃいますか? 見事に実現したではありませんか」
「実現したですって? 私はサン・ピエトロ寺院の玉座に鎮座ましましているわけではありませんよ(笑)」
「そういう意味ではない、ということも申し上げませんでしたか? 今や、あなたは、世界中の信奉者から認められた、霊実在主義の主導者ではありませんか。あなたのお書きになった書物によって、実に数多くの人々が目覚めたのです。信奉者は、既に何百万人にも達しているはずです。霊実在主義の運動において、あなた以上に権威を持つ人間がいるでしょうか?
ですから、あなたは、自ら求めずして、ごく自然に、最高の精神的地位を得たのです。あなたと同時に、或は、あなたの後で、仮に他の人達がどのような仕事をしたとしても、あなたが霊実在主義の創始者である事実には変わりがありません。つまり、あなたは事実上、霊的な司教冠をかぶっている、つまり、最高の精神的指導者である、ということなのです。
どうですか? 私の言っていることは正しくないですか?
手相による占いも当たるということが、お分かりになったのではないでしょうか?」