退去強制命令等取消請求事件

訴 状

原告 F
原告 *****・ダイちゃん
原告 *****・ダイちゃん法定代理人親権者 F

被告 法務大臣
被告 広島入国管理局主任審査官

請求の趣旨

1 被告法務大臣が、1993年3月22日付けで原告らに対し告知した、出入国管理及び難民認定法第49条第1項による異議申立を理由なしとした各裁決は、これを取り消す。

2 被告広島入国管理局主任審査官が、原告らに対し、1993年3月22日付けでなした各退去強制令書発付処分は、これを取り消す。

3 訴訟費用は、被告らの負担とする。
との裁判を求める。

請求の原因

第1、本件各処分に至る経過及び本件各処分

1 原告F(以下「原告F」または「F」とする)は、フィリピン国籍を有する女性であり、原告ダイちゃん(以下「原告ダイちゃん」または「ダイちゃん」とする)は、原告Fと訴外一(以下Aとする)との間の子である。

2 原告らの経歴等

(1)Fは、1962年11月24日、フィリピン共和国バララフィルタース郡ケソン市において父****ダガン・ピオ、母****アンダヤ・セサリアとの間に出生した。当地での修学を終えた後、就労していたが、日本国ヘの入国を強く希望するに至った。しかし、悪質なブロ−カ−の介在により、本名では希望に沿えないと言われたため、やむを得ず本名を用いず諸手続を行なった。そのような経緯を経て、Fは、1988年8月10日成田空港を経由して日本国に入国した。Fは、入国後、東京方面に一時滞在していたが、その後、大阪方面に移転し、そこで飲食店に勤務して稼働していた。
 1989年10月頃、Fが勤務していた飲食店に訪れたAは、Fと知り合い、京阪神の名所旧跡を共に訪れるなどの交際を重ね、深い関係を結ぶ間柄になった。

(2)FとAが知り合った時には、Aは大阪に勤務していたが、1990年8月、勤務先からの転勤命令に基づいて広島支店に勤務するようになった。それにともなってFも広島を訪れた。Aとしては、意外な行動であったけれども、Fの助力となるよう努め、Fが同市内に居住できるようにした。
 Aは、同年年末頃、Fは実は法律的には日本に滞在することが出来ない状態に立ち至っていることを聞き出し、2人で2人の将来を話し合い、Fが一度帰国し、再び日本に入国出来るように努力することとなった。
 そこで、Fは帰国準備のために広島から大阪に向かい、入国管理局ヘの出頭に備えた。しかし、FとAはFに妊娠とおぼしき兆候が見られ、またそれまでの2人の関係からFが妊娠しているかも知れないと考え、一度産婦人科の診断を受けてみることとし、再度広島にFが来ることとなった。そして、Fは、1991年2月28日、広島市中区所在のA産婦人科を訪れ、診察を受けた結果、妊娠3月であることが判明した。この新しい事態を前にして、FとAは、再び2人の今後の身の振り方を相談しなければならなくなった。

(3)2人の悩みは、つぎのようなものであった。すなわち、Aにおいては、Fと知り合った当初は妻帯し、2人の子を持っていたのであるけれども、Fとの関係が深まるにつれて現在の妻と離婚し、Fと婚姻していくことを考えはじめるに至っていた。
 しかしながら、妻との離婚の話はなかなか進展せずにいた。他方、Fにおいては、Aが 「妻と離婚して結婚する」などと話していたこともあったことからAとの関係を続けてきたのであるが、Aの離婚の話しが進まないことから、すぐに婚姻できるものとも考えていなかった。そのようなことから2人での間では、Fにおいて妊娠中絶するベきかどうかが何度も議論されてきた。
 しかし、Fは、厳格なカトリック信者であり、妊娠中絶すること自体自らの信仰に背馳するものと考えていたこと、生まれてくる子どもは、Aの子であり、つまりは日本人の子であり、日本で育つ資格を持っていると考えたこと、また、何よりも生まれてくる子どもには胎児の問に抹殺されるような罪は何一つないと感じられていたこと、そして、AにおいてもこのようなFの信仰と感情はとてもよく理解できたし、自らも共感するものであったことなどから、Fの宿した子どもについては、この子を無事出産し、FとAの2人で責任を持って日本人として育てようと決意したのである。そして、F自身については、既に妊娠していることから母体の安全を第一に考え、無事出産してから入国管理局ヘ出頭をすることとしたのである。

3 胎児認知届

(1)右のような経緯からFは、Aとの間の子の出産に備えることとなった。Aも前記の2人の決意に基づき、Fの生活を支えると共に生まれてくる子どもにとってもっともよい方策は何かを知人である崎阪冶氏に尋ねるなどして調べた。その結果、生まれてくる子供が胎児である間に認知すればその子は出生の当初から日本国籍を有することが出来るということを知るに至った。
 そこで、AとFは、崎阪氏のアドバイスにより、まず、母親であるFの出生証明書を取り寄せる手続きを開始した。AがFの宿している胎児を認知するために必要な添付書類としては、本来的には母親の承諾書だけがあれぱよいとも解されるのであるが、それまでの実例などから考え、また、Fの出生地がピナトゥボ火山の噴火によって大混乱を極めているとの情報も寄せられていたため、右書類の取り寄せを早めに行い、その到着を待って胎児認知届をしようと考えたのである。
 FとAが右の取り寄せの手配を開始したのは、出産予定日である1991年9月15日には1月半以上の余裕を持った時期なのであったが、同年9月になっても右書類はFらの元に届かなかった。そこで、Aは、右書類の到着を待っていたのでは胎児認知が時間的に間に合わなくなる危険性があるのではないかと考え、右書類なしのままに手続きをすることとした。Aは、同年9月5日、胎児の母親であるFの承諾書を添えて、Fの居所であった広島市中区役所を訪れるが、ここではFの外国人登録がなされていないことなどを理由に受理せず、Aの本籍地あるいは居所の役所に赴くように指示された。
 日を改めた9月7日午前2時過ぎ頃、Aは、自らの居所を管轄していた広島市西区役所市民課戸籍担当窓口に赴き、母子手帳及びFの承諾書を持参し、Fの胎児についての胎児認知届をしたい旨告げたが、母子手帳記載のFの住所が西区にないことなどを理由として受付されなかった。出産予定日が切迫し、次第に焦燥感を募らせたAは、翌週である9月12日に再度西区役所市民課に訪れ、前記のFの承諾書及び母子手帳を提出し、胎児認知届を出し、また口頭でもFの子を認知する旨告げたところ、右区役所職員は、母親の出生証明書が必要である旨告げたので、Aは、前記火山噴火等の事情を話し、到着すれば直ちに提出すると述べたところ、右職員はA提出の承諾書等を預かり、それらをコピーした上、Aに返還した。右手続きをもって、胎児認知届が受理されたものであるのかどうかAには即断し難かったが、後日これは受付でも受理でもないとの見解を区役所は公的に明らかにした。
 しかしながら、同日段階で西区役所はAの届を受理しない正当な理由は全くなく、右見解は違法、不当であり、西区長は、同年9月12日付けのAの胎児認知届を受理しなければならないのである。
 そこで、Aは、1992年9月30日、広島家庭裁判所に対して同日の胎児認知届を受理すべきことを命じる旨等の審判を求めて、家事審判を申し立てたが、右申立は1993年3月30日同裁判所裁判官によって却下された。
 しかしながら、Aは、これをも不服として同年4月22日、広島高等裁判所宛に即時抗告を申し立て、現在その審理中である。

(2)ところで、前記1991年9月12日付けでのAの胎児認知届が受理されていないという扱いをされてしまっていたところ、Fは、1991年9月18日、原告ダイちゃんを出産した。したがって、ダイちゃんには戸籍面上は、出生時からの日本国籍は付与されていない扱いとされてしまったのである。その出産後である同年9月末頃にかねて取り寄せ手配中のFの出生証明書がFの出生地より送付されてきたので、その翻訳文を添付して、追完書類として同年9月30日に西区役所に提出したところ、西区役所では追完としては扱わず、新たな認知届として受理されてしまったのである(その後1992年2月21日付けで追完届の提出を言われ、それに応じたために戸籍面上は2月12日に認知届がなされたことになっている)。もちろん、右戸籍面上の記載は、前記の広島市西区長の違法不当な9月12日付け胎児認知届の不受理を前提とするものであり、かつまた客観的真実とも異なるものであるので、Aは、前記申し立てと同時にその記載の訂正を求めている。

(3)以上の次第であるので、Aの即時抗告が認容されることになれば、原告ダイちゃんは、出生の時である1991年9月18日に遡って日本国籍を取得することになり、つまりは日本人として生まれたことになる。そして、原告Fは、その日本人たるダイちゃんを出生後養育してきたということになるのである.

4 本件各処分

 原告らは、1992年8月31日、広島入国管理局入国審査官によって出入国管理及び難民認定法第24条第1号に該当すると認定され、原告らが口頭審査を申し立てたところ同年10月28日同局特別審査官によって右各認定には誤りのない旨判定され、それらに対して原告らが法務大臣に対する異議を申し立てたが、法務大臣は1993年3月22日右異議に理由がないと裁決した。
 同日、被告広島入国管理局主任審査官は原告らに対して退去強制命令書発付処分を行った。そして、同日原告らは収容され、同月24日仮放免されたが、本年4月22日、本件各退去強制令書に基づく執行がなされることが予定されている。

第2、本件各処分の違憲・違法等

1 ダイちゃんに対する退去強制は、憲法22条及び26条並びに市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)24条1項に違反する。
 ダイちゃんは、現在1歳7ヶ月の子供であり、今後、基本的人権を基調とする社会の一員として、自己の個性と能力を発揮できる人格に成長してゆく地位を有するものである。そして、ダイちゃんが右のような人格に成長してゆくためには、本件の具体的事情からして、扶養の意思と能力のある父親Aのごく近くにあって、養育ないし教育を受けることがもっとも適切である。
 子供が親から受ける右のような利益について、憲法22条及び26条は、幸福追及権及び教育を受ける権利の一内容として保障する。また、1979年8月4日、条約第7号として批准されたB規約24条1項は、すぺての児童は未成年者としての地位に必要とされる保護の措置であって、家族、社会及び国による措置についての権利を有するとしている。
 ダイちゃんに対する退去強制は、Aのダイちゃんに対する養育及び教育を実質的に不可能ならしめ、かつダイちゃんの養育ないし教育を受ける権利を侵害するものであって右各条項に違反するものというベきである。

2 原告らに対する退去強制は、憲法24条及び98条2項並びにB規約23条1項及び離散家族の発生を許さない国際慣習法に違反する。 
 ダイちゃんは、FとAとの間の子である。この親子が1個の家族を構成することは否定できない事実である。
 ところで、家族が社会の自然かつ基礎的な単位であることについては特に異論のないところであるが、B規約23条1項は、これを法的に承認し、家族は、社会の自然かつ基本的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利を有するとする。その趣旨は、人権の保障を十全ならしめるため、個人の人権のほか、その個人が属する家族を保護するというにある。また、かかる理念は、憲法24条も承認するところである。
 ところが、原告らが退去強制されると、原告らとAは遠く離れて住まざるをえなくなり、家族間の精神的、物質的な助け合いも思うように出来なくなる。かかる事態は、まさに右各法条に違反するものである。
 また、右各法条が家族を一個の単位として保護すベきとしていることの中には、当然家族離散となる措置をしてはならないとする趣旨を包含していると解される。家族離散と退去強制については、すでに、1938年の国際連盟「困窮外国人扶助に関するモデル条約第3条」においても、「送還が家族員をその意に反して離散せしめる結果となる場合」には送還を行ってはならない旨規定しており、その趣旨は今や国際慣習法となっている。本件各処分は、原告らとAを離散させるものであって、これらB規約、国際慣習法に明らかに反する。さらに、日本が締結した条約及び確立された国際法規の誠実な遵守を義務づけた憲法98条2項にも違反するというべきである。

3 原告らに対する退去強制は、憲法22条の個人の尊重及び幸福追求権を侵害し、B規約7条の「非人道的な取扱い」に該当する。
 原告らは、現在、Aの援助で生活を維持している。Aはダイちゃんについて、「成人までは正真正銘の日本人として全責任をもつ」と固く決意している。Fも、Aに対し、ダイちゃんに日本の教育を受けさせ、誇り高い日本人として育てる。私は命がけである。どんな苦労もするつもりである、と強く訴える。
 かかる固い絆で結ばれた家族が、相互に励まし合い、助け合っていくために共に暮らすことは、まさに憲法22条が保障するところである。さらに、B規約7条は国家権力による非人道的取扱いを禁止しているが、原告らに対する退去強制は、この非人道的取扱いに該当する。したがって本件退去強制は、憲法22条のほかB規約7条にも反するものといわなければならない。

4 原告らに対する退去強制は、憲法31条及びB規約22条の適正手続保障規定に違反する。
 憲法31条の「法律の定める手続」及びB規約7条の「法律に基づいて」とは、単に形式的名目的に法律に従うことを意味するのではなく、その法律の内容が適正であることをも要求する趣旨であると解すべきである。したがって、本件において、退去強制の処分をなすことは、法定の手続に従っているだけでなく、追放することが真にやむを得ない場合に初めて許容されるというべきである。
 原告ら及びAが固い絆で結ばれている家族であることは前述したとおりである。したがって、日本人であり日本に住居を有するAとともに、原告らの生活の本拠もまた日本に存するのである。かかる原告らに対し退去強制することは到底やむを得ない場合にあたるとはいえない。Fに不法入国という事由があるにせよ、右のような家族の実情を考慮するならば、退去強制もやむなしと云うにはあたらないというべきである。
 さらに、ダイちゃんに対する退去強制は、国際連合が、1989年11月20日第44会期において採択した「子どもの権利に関する条約」に、明らかに抵触する。同条約9条は、「子どもが親の意思に反して親から分離されないこと」と、同18条は「親双方が子供の養育及び発達に対する共通の責任を有するという原則の承認を確保するために最善の努力を払う」と、そして同27条は、すべての子どもに対して、身体的・心理的・精神的・道徳的及び社会的発達のために十分な生活水準を受ける権利を規定しているのである。これらの規定はすベて、子どもが次代を担う一員として処遇されるべき権利を有するとの理念に基づいている。かかる理念は、当然、適正手続条項の「法律」の内容適正の解釈においても考慮されなければならない。
 したがって、子どもの権利に関する条約の右各条に抵触するダイちゃんに対する退去強制は、やはり憲法31条及びB規約22条に反するというべきである。

5 原告らに対する退去強制は、憲法32条、B規約14条に違反する。
 憲法32条は日本人のみならず外国人に対しても、裁判を受ける権利を保障し、B規約14条も公平な裁判を受ける権利を、すベての者に保障している。そして、ここで保障されているのは、行政手続ではなく「裁判」手続であること及び当事者が訴訟活動を具体的に遂行することであると解される。ところで、Aは、1992年9月30日、広島家庭裁判所に対して、広島市西区長は、1991年9月3日Aがダイちゃんについてなした胎児認知届を受理しなければならない等を申立ての趣旨とする家事審判の申立を行ったところ、1993年3月30日、これらを却下する審判があったので、同年4月22日、広島高等裁判所に即時抗告の申立てをなし、裁判を進めているところである。Aの右申立は、ダイちゃんが日本国籍を出生時に取得していたかに関するもので、もしこれが認められると、ダイちゃんについてはもちろん退去強制処分をなすことができなくなるし、Fについてもダイちゃんの母親として在留資格を得られる可能性が高くなる。
 しかるに、右申立の結果を待たずに、原告らを退去強制することは、右申立てにかかる裁判によって、ダイちゃん及びFと身近に暮そうとするAの裁判を受ける権利を奪うだけでなく、Aと一体的な関係にあるダイちゃん及びFの裁判を受ける権利をも実質的に侵害するものというベきである。
 よって、原告らに対する退去強制は、Aが進めている裁判との関連において憲法32条及びB規約14条に違反する。

第3、裁量権の逸脱ないし濫用

1 原告らに対する各本件退去強制令書発布処分は、法24条によるものである。
 ところで、法24条は、「次の各号の1に該当する外国人については、次章に規定する手続により、本邦からの退去を強制することができる。」と定めているが、その法意は、出入国の問題は歴史的事情等が複雑に絡んでおりかつ人道上の問題とも深いつながりを持つので、形式的に退去強制事由を定め形式的にこれを執行すると種々の不都合が生じることになるから、退去強制するかしないかについて裁量の余地をもうけたものである。法50条1項3号もこれを受けて、仮に法24条各号に該当する者であっても「法務大臣が特別に在留を許可すベき事情があると認めるとき」はその者の在留を許可することができると定めている。

2 そして右裁量にあたっては、前述した事情のほか次のような事情が考慮されなければならない。

(1)ダイちゃんは、婚外子といえどもダイちゃん自身にはなんらの責任はなく、当然のことながら両親に監護、扶養、教育をされ、尊厳ある個人として成長する権利を有するものであるし、逆に両親も互いに協力をしてダイちゃんをそのような個人として成長させる義務と権利を有するものである。仮に婚外子だからといって、子に両親双方からの養育を受ける権利がない、また一方の親には養育をする義務及び権利がないとしたならぱ、嫡出子と比ベて平等原則に反するばかりではなく、尊厳ある個人としての成長を全く阻害するものとして憲法の基本原理そのものを否定することになる。
 そして本件の場合、父Aは、ダイちゃんを自らの近くにおいて養育し、その成長を見届けることを切望しており、その意思も能力もある。もっとも、現在はAと原告らは大阪と広島と別れて暮らしているが、これはたまたま本年4月にAが大阪に転勤になったためであって、原告らは現在仮放免中で行動範囲を広島県内に制限されているが、入国管理局の許可さえ得られれば、Aは原告らを直ちに大阪に呼び寄せるつもりで
いる原告らを退去強制処分とするのは、この親子の絆を国家が切り離すことであって、それは著しく人道に反し、甚だしく正義に反するものと断ぜざるをえない。

(2)しかもAは、前述のごとくダイちゃんの胎児認知の効力を認めるよう現在裁判中であり、もしこの裁判において胎児認知が有効とされたならばダイちゃんは日本国籍を有する者ということになる。それゆえ、仮にAの訴えが認められたとするのなら、日本国籍を有する者を国外に強制的に追い出すという極めて重大な人権侵害の結果を生じるのである。そのような可能性があることを十分に承知のうえでなされた本件退去強制処分は、言うまでもなく著しく正義に反するものである(なお、本件各退去強制令書が発付されたのは、本年3月22日で、広島家庭裁判所で審判が下されたのは同月30日である)。

(3)また、ダイちゃんは日本人であるAの子であり、仮に有効な胎児認知がなされていないとしても、Aの非嫡出子であることには間違いない。
 そうだとすれば、仮にダイちゃんが日本国籍を有しないとしても、ダイちゃんは、法2条の2、別表2に定める「日本人の配偶者等」に該当する。ダイちゃんにおいては、Aの提起した前記裁判において実質的には日本国籍の有無そのものを争っているのだから、このような在留資格に基づく在留許可の申請をするべくもないが、法務大臣においては当然に、ダイちゃんがこのような在留資格を有する地位にある者であることを考慮
すベきなのにこれを怠った。

(4)そして、Fについては、ダイちゃんの母親である以上ダイちゃんとその処遇を同一とすること言うを待たない。

3 以上のとおり原告らに対する本件各処分は、著しく非人道的、かつ、正義に反するものであって、法務大臣が原告らに特別在留許可を与えなかったのは裁量権を逸脱濫用するものであり、本件各処分は違法である。

第4、結 語

以上の次第で原告らは、本件各処分の取消を求めて、本訴に及んだものである。

広島地方裁判所 御中



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