釧路と聞くと、すぐにイメージするのは港町ということ。最近だとこれに「地震」が加わるかも知れない。
数年前の釧路沖地震の時に、高台にあるNHK釧路放送局からのテレビカメラが一晩中、
"幣舞橋(ぬさまいばし)"を撮していたのが思い出される。
私がこの釧路を初めて訪れたのは、もう10年以上も前。大学卒業の年に3週間ほど、気ままに北海道一人旅をしたときだ。所持金は限りなく少なく、往復の交通費ぐらいしか持ち合わせないまま、北海道まで出かけた。親戚の家によっては「卒業祝い」と称して
小遣いをせしめ(なんて、悪どい奴だろうねぇ・・・)、そのお金を頼りに旅をすることを考えたのだ。
季節は冬。オホーツクには流氷が接岸している時期で、「こんな季節には観光客なんていないんだろうなぁ」と思っていたのだが、私と同じように「卒業記念旅行」のグループや一人旅の人も多かった。
網走と釧路を結ぶ釧網本線の途中に、川湯温泉という割と大きな温泉地がある。周辺には観光地が多いので、観光基地として利用する人も多い。
その時、私は網走から釧路に向けて列車に揺られていた。今日の宿を特に決めていたわけではなく、漠然と「釧路にでも行くかなぁ」と思っていたのだ。「釧路まで行けばホテルもたくさんあるし・・・」と気楽に考えていた。
ところがこの川湯温泉駅に到着して大勢の乗客が降りだしたのを見ていて、私もつい釣られて
慌てて降りてしまったのだ。
駅前から温泉街まではバス。私が最後の乗客だ。
川湯温泉に着いて「さて、どうしようか」と辺りを見渡すと、私と同じような年格好で、同じようにキョロキョロしている人が
3人。
そこに現れたのが、客引きのおじさんだった。
「あんたたち、宿決まってるのかい?」
「いえ、これからなんですけど・・・」
私が答えると、他の3人も首を縦に振る。
「あんたたち、グループで来たのかい?」
3人の内、1人は北大の大学院生で今年卒業するという人だった。あとの2人はグループで、彼らも今年大学を卒業するのだそうで、私を含めてみんな同じような状況での旅だということがわかった。
「4人相部屋で良ければ、2食付きで3500円で泊めてあげるよ。うちの風呂はね、1000人がいっぺんに入れるようなでかい風呂だから・・・」
おじさんの言葉を鵜呑みにしたわけではない。だが、みんな貧乏旅なわけで、そのおじさんの言葉は魅力的だった。多少、「危ないかなぁ?」という気持ちもあったのだが、結局その宿泊費に負けて、おじさんの車に乗せられて宿へ向かうことになった。
着いてみると、意外に立派なホテルだった。前日は網走のビジネスホテルに泊まったのだが、「いったい昨日は何であんなところに泊まってしまったんだぁ」と後悔するくらいだった。
部屋に荷物を置いてしばらくすると、おじさんがまた現れた。ホテルの喫茶コーナーでコーヒーをごちそうしてくれるというのだ。その上、「ちょっとおじさん、これから用事があってね、屈斜路湖まで行くんだけど、あんたたちも行くかい?」と言ってくれて、屈斜路湖まで連れていってくれた。おまけに白鳥の餌まで買って、私たちに渡してくれた。
そして翌日。今度は「今日は釧路まで常連のお客さんを迎えに行くんだけど、乗せてくけど、どうする?」とまで言ってくれた。
せっかく川湯温泉で泊まったので、摩周湖や硫黄山などを見たい(私以外の3人は最初からその予定だったらしい。私はガイドブックも満足に持っていなかったので、考えてもいなかったのだ)と言うことで辞退したのだが、こんなに暖かい世話を受けて、一同大感激だったのは言うまでもない。
そんなわけで「釧路」と言うと、どうしてもこの出来事を思い出さずには入られない。
釧路はその時以来の2度目というわけだ。
釧路空港からは釧路駅行きのバスに乗る。空港は小高い丘の上にあるので、空港を出るとすぐに山道を下る。下りきったところは、もう目の前が釧路湿原だ。この湿原の中をバスはしばらく走るので、車窓風景に飽きることはない。
飛行機に乗る前に、時刻表の広告で見つけたホテルに予約を入れておいた。ところが何かイベントでもあるのだろうか、最初の2軒は「すべて満室」と断られ、3軒目でようやく決まった。北海道でホテルを取るときに、こうした経験をしたことがあまりない。大体が最初の一軒目ですんなり予約が取れることが多いのだ。
もっともこれは私が北海道を訪れる時期にも関係しているのかも知れない。特別なイベント、例えば大学入試とかナントカ学会とか、雪祭りなどの特別なことがある時には、どこも「満室でいっぱい」ということもある。
駅前でバスを降り、ホテルへ向かう。予約を入れたホテルは駅から少し離れたフィシャーマンズワーフ(MOO)の近くにある。
チェックインを済ませ、荷物を置き、身軽になったところでまた外に出た。明日行こうと思っている「霧多布湿原・霧多布岬」方面の情報を収集しようと思ったのだ(「旅その6」を読んでね〜)。
さて町をブラブラしたり、MOOの中を見て回っている内に夕方になった。
今日の晩飯は、MOOの中で探そうと、歩き回っている内に決めていた。だが晩飯には、まだちょっと時間が早い。
この釧路は北海道ではもちろん、全国でも屈指の漁港の町だ。中でもサンマの漁獲高が多い。ちょっと変わったところでは、釧路川を上るシシャモ。シシャモが産卵のため川を上る時期になると、かつてはお母ちゃんやじいちゃん、ばあちゃん、子供まで、つまりは家族総出でザルを持って川に入り、シシャモを取ったりしたと言う話を聞いた。
夕陽は知らず知らずに、人をセンチメンタルな気分にさせるものだ(と断言してしまおう)。夕陽を見ながらあの時のこと思い出す。
あの時も4人でこの橋までやってきた。
この旅から戻ったら、4人ともいよいよ社会に出て行くのだ。みんなそれぞれの思いを抱きながらこの夕陽を見つめていたのだろうと思う。
そしてその時、私は何を考えて夕陽を見つめていたのだろうか。どんなことを考え、どんな思いでいたのか・・・学生生活への名残惜しさだったのか、社会へ出るという決意のようなものだったのか・・・今となってはもう思い出すことが出来ない。
気が付いてみると、もうあれから10年以上も経っていたのだ。その間の時間は長いようでもあり、あっと言う間に過ぎたようでもあり・・・。加速度がついたかのように時は流れて行く。だが、あの時私は、確かにこの場にいたのだ。
再びフィッシャーマンズワーフへ。
会社の人に頼まれた「チョコマロン」と言う六花亭(旅その4に登場します)の菓子を購入するためだ。フィッシャーマンズワーフには、この六花亭の直営店が入っている。
菓子を買って外に出てみると、雨が強くなっていた。
さすがにあきらめて傘を買おうかどうしようかと迷ったのだが、さっき見た天気予報だと東京方面は晴れている。あと1時間もすると空港へ向かうことになるのだ。
結局、今度はタクシーで駅まで戻った(なんで、こうして行ったり来たりしてるんだろう。いつも何処へ行っても、こんな「行ったり来たり」を繰り返しているような気がするなあ)。
あの時の釧路。
あの時、二人連れの彼らは「流氷に乗れるところが根室の方にあるらしいんです。明日は根室に行くことにしました」と言っていた。
夕食を一緒に取り、数回目の乾杯。何に対する乾杯なのかはもうどうでもよく、あえて理由を付けるならば互いの「未来のため」に乾杯を重ね、そして別れた。
同じホテルに泊まった大学院生は「明日は一旦札幌へ戻って、荷物をまとめてすぐに名古屋(彼の就職先が名古屋だった)に行かなきゃならないんです」と言っていた。朝、かなり早い時間に「これから札幌に帰ります。いろいろとお世話になりました。お元気で」と丁寧な挨拶を残して、旅立っていった。
私はと言えば、のんびり昼頃まで釧路の町中を散策し、昼過ぎの特急で札幌へ向かった。もう一度札幌へ寄って、親戚に顔を出してから帰ろうと思ったのだ(もちろん貧乏旅行だから、夜行列車で帰る)。
ほんの2日間の出会いだった。一緒に過ごした時間はあまりに短い。そして皆、またそれぞれが別々の目的地へ向かって別れて行った。そしてあれから10数年の時間が流れ・・・。
そんなことをぼんやり考えている視線の先には、霞む釧路湿原がある。
釧路の旅はいつの間にか、過去を訪ねる旅になっていた。