物理地学の基礎:演習問題と解説

5-5 マントルの断熱温度勾配

地表付近の地温勾配は 20~30 °C/km ですが,マントルでは2桁小さい 0.3~0.5 °C/km と考えられています.このマントルの地温勾配は,主に熱力学やマントル対流などの理論的考察により得られています.また,マントルの温度分布はその他の実験的手段によっても推定されています.例えば,マントル捕獲岩に含まれる,ある種の鉱物組成から推定する方法(地質学的温度圧力計)や,高温高圧実験によりマントル物質の相転移を観察する方法などです.このページでは,マントルの温度分布を示すと考えられる断熱温度勾配について,熱力学に基づいて考察します.

熱対流の模式図(左:物質の流れ(流線),右:温度分布)

熱対流: 以前のページで扱ったように,熱伝導で熱が移送されるときは必然的に温度勾配は大きくなります.しかし熱対流の場合は,移動する物質が熱を運ぶので,原理的には温度勾配はゼロでも熱は効率よく移送されます.右図は熱対流の様子の模式図で,左は物質の流れ(流線)で右は温度分布を示します(実際の数値実験図は,例えば,瀬野 (1995), p.13; Fowler (2005), p.360,に載っています).図はあくまで模式図ですが,温度分布には,表面と底面付近の温度勾配が大きく薄い領域(熱境界層)と中心部の温度勾配がほとんどゼロとなる領域が現れます.しかし,マントルでは深さによる圧力の増加に伴い温度は上昇し,断熱温度勾配の状態になります.

断熱温度勾配: 物質を断熱状態で圧縮するとその温度は増大し,膨張の場合は低下します.いま,マントルのある深さの岩石が断熱的により浅い位置に上昇したとします.すると,圧力が低下するのでその温度は低下します.その低下した温度が回りの岩石の温度と等しい場合,マントルは断熱温度勾配にあるといいます.一般に熱対流では,対流の速度が熱拡散の速度よりも速い場合は断熱温度勾配になることが理論や実験から知られています.実際マントルでは,特徴的距離 \(\ell\) を 100 km とすると,熱拡散の特徴的時間 \(\tau\) は熱拡散率を \(\kappa\) = 10-6 m2/s として, \[ \tau = \ell^2/\kappa = (100\times 10^3)^2/(1\times 10^{-6}) = 1\times 10^{16}\ \mathrm{s} \approx 3\times 10^8\ \mathrm{yr}. \] となり,およそ3億年です.一方,マントル対流の速度を地表のプレート速度と同程度の 10 cm/yr とすると, 100 km の移動に 106 yr (百万年) かかりますが,熱の拡散よりはずっと速いことが分かります.

断熱過程: 以下,断熱過程を熱力学の基礎の範囲で記述します.温度 \(T\) の系が熱 \(Q\) の微小量 \(dQ\) を吸収すると系のエントロピー \(S\) の増加 \(dS\) は, \begin{equation} dS = \frac{dQ}{T}, \label{eq01} \end{equation} で表わされます.断熱変化では, \(dQ\) = 0 より \(dS\) = 0 ですが,その場合の温度 \(T\) と圧力 \(P\) の関係を求めるために,まずは \(dS\) を次のように展開します. \begin{equation} dS = \left(\frac{dS}{dT}\right)_P dT + \left(\frac{dS}{dP}\right)_T dP. \label{eq02} \end{equation} 式中,括弧の下付き添字はその変数を一定のまま微分することを示します.式 (2) の第1項は式 (1) より \[ \left(\frac{dS}{dT}\right)_P dT = \frac{1}{T}\left(\frac{dQ}{dT}\right)_P dT, \] ですが, \(dQ/dT\) は単位温度あたりの熱量,即ち系の熱容量ですので,定圧熱容量 \(C_P\) を用いて式 (2) は次のようになります. \begin{equation} dS = \frac{C_P}{T}dT + \left(\frac{dS}{dP}\right)_T dP. \label{eq03} \end{equation} 式 (3) の第2項を系の体積 \(V\) と関係付けるために,次のエントロピー \(S\) とギプスの自由エネルギー \(G\) との関係式を使用します. \[ dG = VdP - SdT. \] これより, \[ S = -\left(\frac{dG}{dT}\right)_P, \quad V = \left(\frac{dG}{dP}\right)_T. \] これらの \(S\) と \(V\) を,それぞれ \(P\) と \(T\) で微分して次の関係式が得られます. \[ \left(\frac{dS}{dP}\right)_T = -\left(\frac{d}{dP}\left(\frac{dG}{dT}\right)_P\right)_T = -\left(\frac{d}{dT}\left(\frac{dG}{dP}\right)_T\right)_P = -\left(\frac{dV}{dT}\right)_P. \] この結果を式 (3) に代入して \(dS\) は次式となります. \begin{equation} dS = \frac{C_P}{T}dT - \left(\frac{dV}{dT}\right)_P dP. \label{eq04} \end{equation} さらに,次式で定義される体積膨張率, \[ \alpha = \frac{1}{V}\left(\frac{dV}{dT}\right)_P, \] を用いると式 (4) は次のように表わせます. \begin{equation} dS = \frac{C_P}{T}dT - \alpha V dP. \label{eq05} \end{equation} ここで, \(dS\) = 0 として,断熱過程における温度の圧力勾配を与える次式を得ます. \begin{equation} \frac{dT}{dP} = \frac{\alpha VT}{C_P}. \label{eq06} \end{equation}

マントルの断熱温度勾配: 式 (6) をマントルに適用するために,体積 \(V\) を密度 \(\rho\),熱容量 \(C_P\) を比熱 \(c_p\) (単位質量当たりの熱容量) に変換します.系の質量を \(M\) とすると, \[ V = M/\rho, \quad C_P = c_pM, \] の関係を用いて,式 (6) は次のようになります. \begin{equation} \frac{dT}{dP} = \frac{\alpha T}{\rho c_p}. \label{eq07} \end{equation} さらに,式 (7) を深さ \(z\) に対する温度勾配 \(dT/dz\) に変換するためには,マントルはリソスタティックな状態(→「4-4 弾性体の力学と断層運動」を参照)にあるとして, \begin{equation} \frac{dP}{dz} = \rho g, \label{eq08} \end{equation} とします.但し, \(g\) は重力加速度です.すると, \[ \frac{dT}{dz} = \frac{dT}{dP}\frac{dP}{dz}, \] ですので,式 (7) と (8) から求めるマントルの温度勾配は次式となります. \begin{equation} \frac{dT}{dz} = \frac{\alpha gT}{c_p}. \label{eq09} \end{equation}

ポテンシャル温度: マントルのある深さの岩石が断熱的に地表まで上昇したときの地表での温度をポテンシャル温度といい,深さによる温度の違いを補正した温度となります.地殻は,地表まで断熱的に上昇してきたマントルが溶融して形成されると考えられています.そのさい,マントルのポテンシャル温度が高いほどメルトの量が多くなります.海嶺では,ポテンシャル温度が約 1300 °C で厚さ約 7 km の海洋地殻となりますが,ホットスポットでは約 1400 °C と高いので地殻は約 20 km と厚くなると考えられています.このように,ポテンシャル温度の概念はマントル対流の研究分野だけでなく,岩石学や火山学の分野でも広く用いられています.

深さ \(z\) で温度が \(T\) のマントルのポテンシャル温度 \(T_P\) は式 (9) を積分して次式となります. \begin{equation} T_P = T \exp\left(-\frac{\alpha gz}{c_p}\right), \label{eq10} \end{equation}

問題5-5-1

(1) 上部マントル付近を想定し,式 (9) を用いてマントルの温度勾配を見積もります.体積弾性率 \(\alpha\) = 3×10-5 1/K,温度 \(T\) = 1400 °C(1673 K),比熱 \(c_p\) = 1000 J/kg K,重力加速度 \(g\) = 10 m/s2 としてマントル温度勾配を計算しなさい.

(2) 深さ \(z\) で温度が \(T\) のマントルのポテンシャル温度 \(T_P\) を与える式 (10) を,式 (9) を積分することで導きなさい.また,深さ 200 km で 1400 °C(1673 K)のマントルのポテンシャル温度を,問い(1)と同じ定数を用いて計算しなさい.

参考文献: