岡本宗好 おかもとそうこう 生年未詳〜天和二年(?-1682) 号:露底軒

生年は慶長十五年(1610)頃であろうという。家系・家業などは未詳。松永貞徳の門に入り、木下長嘯子の教えを受け、また日野弘資・中院通茂・飛鳥井雅章ら堂上歌人の指導も受けた。寛永十四年(1637)、関東に下向し、この時の紀行文『宗好道記』がある。寛文頃、江戸に住み着き、門戸を開いて諸大名旗本と交流した。水戸光圀の命を受けた山本春正を助けて私撰集『正木のかづら』を編纂するが、完成を見ないまま、天和二年(1682)四月十六日に没した。
天和二年(1682)以後の成立と見られる家集『露底集』がある(慶応大学所蔵。春の部のみ伝存。古典文庫に翻刻がある)。また『宗好詠草』(宮内庁書陵部蔵)がある。戸田茂睡編『鳥の迹』に歌を採られている。

以下には『露底集』(古典文庫五九一『近世初期諸家集 下』所収)および『鳥の迹』(近世和歌撰集集成一・新編国歌大観六)より、三首を抄出した。

立春

筆の海に今朝うつしても先づぞ見るさかゆく御代(みよ)の春といふ文字(露底集)

【通釈】筆の海、すなわち硯に、春となった今朝、真っ先にうつして見るのだ。栄えゆく御代の春という文字を。

【語釈】◇うつしても 「うつして」は「(海に)映して」「(硯に)移して」「(紙に)写して」と多義性を帯びる。

【補記】立春の朝の書初めに「春」という文字を写して当代の治世を言祝ぐ。飛鳥井雅章・日野弘資の合点(評価のしるし)を得た。

遠尋花

花にいさむ心の駒のなづむまで古里遠き春の山ぶみ(露底集)

【通釈】早く桜の花が見たいと、勇み立つ心の駒――その駒が行き悩むほどに、古里までの道のりは遠い、春の山歩きであるよ。

【語釈】◇古里 古い由緒のある里。この場合、古来桜の名所である里。◇山ぶみ 山踏み。山を踏んで歩くこと。

【補記】はやる心を「心の駒」と言いなし、桜咲く山里までの遠い道のりに行きなずむ思いを趣向を凝らして歌い上げている。中院通茂・木下長嘯子の合点を得た。

田家

(いほ)しめて住める田面(たのも)のあぜつたひめぐれば遠し近き隣も(鳥の迹)

【通釈】番小屋を作って住んでいる田圃――その畔づたいに巡り歩くと、隣近所も遠いのである。

【語釈】◇庵しめて 庵を自分の居所として。この庵は田を見張るための小屋。

【補記】田圃を横切るわけにはゆかないので、常に畔伝いに隣近所と往き来する。収穫期の農家の暮らしぶりを面白く観察している。


公開日:平成20年05月26日
最終更新日:平成20年05月26日