源頼綱 みなもとのよりつな 万寿元〜永長二(1024-1097) 号:多田参河守

清和源氏。頼光の孫。美濃守正四位下頼国の子。母は尾張守藤原仲清の娘。和歌六人党頼実の弟。小一条院女房、中納言局を娶って仲正(仲政)をもうけた。頼政の祖父にあたる。
後冷泉朝に蔵人を務める。下野・下総の国守などを経て、三河守従四位下に至る。永長二年(1097)頃出家し、まもなく没した。
永承六年(1051)の禖子内親王歌合、嘉保元年(1094)の高陽院殿七番歌合などに出詠。能因・源経信・大江匡房・源俊頼ら当代著名歌人と交流があった。後拾遺集初出。勅撰入集八首。

俊綱朝臣のもとにて、晩涼如秋といふ心をよみ侍りける

夏山のならの葉そよぐ夕暮はことしも秋の心ちこそすれ(後拾遺231)

【通釈】青葉繁れる夏の山――楢の葉をそよがせて風が吹く夕暮は、「今年ももう秋だ」という気持ちがするのだ。

【語釈】◇俊綱 橘氏。実父は関白藤原頼通であるが、橘俊遠の養子となる。伏見に風趣を凝らした邸宅を建て、盛んに歌合・歌会などを催した。

【他出】「新撰朗詠集」「古来風体抄」「定家八代抄」「新時代不同歌合」

【主な派生歌】
風そよぐならの小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける(藤原家隆[新古今])
夏の夜はならの葉そよぐ風よりも月のかつらの影ぞ涼しき(藤原家隆)

宇治前太政大臣家歌合に雪をよめる

衣手に余呉の浦風さえさえてこだかみ山に雪ふりにけり(金葉278)

【通釈】余呉湖の浦風が袖に寒ざむと吹き付けて、気がつけば己高山(こだかみやま)には雪が降り積もっていたのだった。

【語釈】◇宇治前太政大臣 藤原師実。◇衣手 衣の手の部分。袖のこと。◇余呉(よご) 滋賀県伊香郡の余呉湖。◇こだかみ山 己高山・小高見山などと書く。伊香郡木之本町木之本の東にある山。山岳仏教の霊場として栄えた。

【主な派生歌】
旅衣夜はのかたしきさえさえて野中の庵に雪降りにけり(源実朝)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成18年07月19日