藤原興風 ふじわらのおきかぜ 生没年未詳

京家浜成の曾孫。正六位上相模掾道成の子。
昌泰三年(900)、相模掾。延喜四年(904)、上野権大掾。延喜十四年(914)、下総権大丞。最終官位は正六位上(尊卑分脈)。
寛平三年(891)、貞保親王(清和天皇皇子)の后宮(藤原高子)の五十賀の屏風歌を詠進。ほかに、寛平御時后宮歌合、昌泰元年(898)の亭子院女郎花合、延喜十三年(913)の亭子院歌合・内裏菊合などに出詠した。琴の師で、管弦に秀でたという。三十六歌仙の一人。百人一首に歌を採られている。家集『興風集』がある。古今集初出(十七首)。勅撰入集計四十二首。

  3首  3首  1首  7首  3首 計17首

寛平御時后宮(きさいのみや)の歌合の歌 (三首)

咲く花は千ぐさながらにあだなれど(たれ)かは春を恨みはてたる(古今101)

【通釈】咲く花は多種多様で、そのどれもが散りやすくはなかいけれども、だからと言って誰が春を恨み切ることができようか。

【語釈】◇千(ち)ぐさ 千種。種類が多いこと。古くは「ちくさ」と濁らなかったらしい。

【補記】この世の無常を認めたところで、花の美しさへの執着は断ち難い。耽美と理知の相剋は古今集の主要テーマの一つ。もとより恋の寓意を読み取ることも可能。寛平御時后宮歌合は寛平五年(893)以前、宇多母后班子女王主催の歌合(実際の催行者は宇多天皇であろうと言われる)。

【他出】新撰万葉集、興風集

【主な派生歌】
咲く花は千ぐさながらに時過ぎて枯れゆく小野の霜のさむけさ(宗尊親王)
花いへば千ぐさながらにあだならぬ色香にうつる野べの露かな(三条西実隆)
さまざまに心うつりて咲く花は千種ながらにあかずしぞ思ふ(後水尾院)
冬枯の草葉にも見よ色といへば千種ながらにあだの世の中(〃)
咲く花の千種ながらにうちなびきかぎりも見えぬ野辺の秋風(霊元院)

 

春霞色の千ぐさに見えつるはたなびく山の花のかげかも(古今102)

【通釈】山にたなびいている春霞の色が様々に見えるのは、その山に咲く花々の色が反映しているのかなあ。

【他出】新撰万葉集、興風集、古今和歌六帖、俊頼髄脳、色葉和難集

【主な派生歌】
夕霞たなびく山の春よりも色の千種にさけるなでしこ(順徳院)
明けわたる外山の花にうつろひて色の千草にたつ霞かな(藤原泰綱)
見わたせば色の千種にうつろひて霞をそむる山桜かな(藤原行家)
秋もまた色の千ぐさのおなじ野に霞みし花のかげぞ忘れぬ(津守国道)
春の色を千種にこめて天の原かぎりもしらず立つ霞かな(肖柏)

 

声たえず鳴けや鶯ひととせにふたたびとだに来べき春かは(古今131)

【通釈】声を途切れさせずに哭けよ、鶯。一年に二度でさえ来ることのある春だろうか。そんな筈はないのだから。

【語釈】◇来べき春かは 来るはずの春だろうか。「かは」は反語。

【他出】新撰万葉集、興風集、新撰和歌、古今和歌六帖

【主な派生歌】
今日暮れぬ霞む夕べの空よこれふたたびとだに春とては見じ(伏見院)
花もまだにほはぬ比の朝な朝ななけや鶯春と思はむ(鷹司院按察[玉葉])
やまやはるなけや鶯すみがまの煙も空にかすむけしきを(衲叟馴窓)
移り来てなけや鶯うららなる南のかたえ木のめ春風(冷泉為村)

寛平御時后宮歌合

(ちぎ)りけむ心ぞつらきたなばたの年にひとたび逢ふは逢ふかは(古今178)

【通釈】織女と彦星が逢瀬を約束した心はさぞ辛かったろう。一年に一度だけ逢うことは、逢ううちに入るだろうか。

【補記】初二句は「契る心ぞつらかりけむ」の気持で言う。

【他出】新撰万葉集、新撰和歌、古今和歌六帖、興風集、三十人撰、三十六人撰、俊成三十六人歌合、新時代不同歌合

【主な派生歌】
思へどもつらくもあるかな七夕のなどか一夜と契りそめけむ(藤原基長[新勅撰])
あかれじの心や深き七夕の年に一たびまれにのみ逢ふ(花山院[玉葉])
染めつくす峰の紅葉をいづる日のあからさまにしあふは逢ふかは(橘千蔭)

寛平御時ふるき歌たてまつれとおほせられければ、龍田川もみぢば流るといふ歌をかきて、その同じ心をよめりける

深山(みやま)よりおちくる水の色見てぞ秋は限りと思ひ知りぬる(古今310)

【通釈】奥山から流れ落ちてくる水の色を見て、初めて秋はもう終りなのだと思い知った。

【語釈】◇水の色 紅葉を流す水が紅く染まったと見なしての謂。

【補記】宇多天皇より古歌を奉るよう命じられた時、作者は「龍田川もみぢ葉ながる神なびのみむろの山に時雨ふるらし」という歌(古今集よみ人しらず)を書き、同時に同じ風情の歌を作って献上した。

【他出】興風集、古今和歌六帖、新撰朗詠集、桐火桶、了俊一子伝

【主な派生歌】
湊川秋ゆく水の色ぞ濃きのこる山なく時雨ふるらし(*西園寺実氏[新勅撰])
深山にも秋はかぎりになりにけりおちくる水の色かはるまで(土御門院小宰相)

題しらず

木の葉ちる浦に波たつ秋なればもみぢに花も咲きまがひけり(後撰418)

【通釈】木の葉の散る入江に波が立つ秋――それでこの季節には、波の花が紅葉と見まがうばかり色鮮やかに咲いているのだなあ。

【補記】波の花は白いという常識を覆し、秋には紅く咲くと見た。

寛平御時きさいの宮の歌合のうた

浦ちかくふりくる雪は白波の末の松山こすかとぞ見る(古今326)

【通釈】入江のあたりまで降り込んでくる雪は、白波が末の松山を越すかと見えるよ。

【補記】浦の岸辺まで真っ白に埋める雪を、東歌に詠まれた「末の松山波もこえなむ」の白波と見立てた。「末の松山」は陸奥の歌枕だが、比定地は諸説あり明らかでない。拾遺集には人麿作として入集。

【他出】興風集、新撰和歌、古今和歌六帖、拾遺集(作者人麿)、五代集歌枕、袖中抄、色葉和難集、歌枕名寄、桐火桶、歌林良材

【本歌】「古今集」みちのくうた
君をおきてあだし心をわがもたばすゑの松山波もこえなむ

【主な派生歌】
白浪のこゆらむ末の松山は花とや見ゆる春の夜の月(*加賀左衛門[新古今])
白浪のこすかとぞみる卯花のさける垣ねや末の松山(藤原長方)
しら浪のこえてかへると見えつるや雪に風吹くすゑの松山(慈円)
さざなみのこすかとぞみる唐崎や松のしづえにふれる白雪(澄覚法親王)
玉川の里の垣ねの卯の花はおよばぬ波のこすかとぞみる(二条道平[新千載])
松かげに咲ける桜は末の山したより浪のこすかとぞみる(小沢蘆庵)

寛平御時きさいの宮の歌合のうた (三首)

きみ恋ふる涙のとこにみちぬればみをつくしとぞ我はなりぬる(古今567)

【通釈】あなたに恋い焦がれて流す涙が寝床に満ちて海のようになりましたので、我が身は常に波に濡れる澪標(みおつくし)となり、身を滅ぼすことになってしまいました。

【語釈】◇みをつくし 「澪標」「身を尽くし」の掛詞。澪標は水路標識のことで、難波潟の名物であった。

【他出】新撰万葉集、古今和歌六帖、興風集、三十人撰、三十六人撰、定家八代抄

【主な派生歌】
年をへてつれなき人を恋ふる身は涙の河の身をつくしかな(能因)
きみゆゑに涙の川にゆらさるるみをつくしともなりはてねとや(藤原経家)
涙川あふせもしらぬ身をつくしたけこす程に成りにけるかな(慈円)
身をつくし忍ぶ涙のみごもりにこの世をかくてくちやはてなむ(藤原定家)
物おもふ涙の河の身をつくしふかきしるしは袖に見ゆらむ(中臣祐春[続千載])

 

死ぬる命生きもやすると心みに玉の緒ばかり逢はむと言はなむ(古今568)

【通釈】あなたのつれなさに私は死んだも同然です。その命が生き返りでもするかと、ためしに僅かの間だけでも逢おうとおっしゃって下さい。

【補記】「玉の緒」は短い物の喩えとして言う。先例に「さぬらくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと」(万葉集)。

【他出】興風集、古今和歌六帖、俊頼髄脳、綺語抄、和歌色葉、定家八代抄、歌林良材

【参考歌】作者不明記「新撰万葉集」
消えぬべき命も生くやと試みむ玉の緒ばかり逢はむと云はなむ
  紀貫之「貫之集」
ぬきみだる涙もしばしとまるやと玉の緒ばかり逢ふよしもがな

 

わびぬればしひて忘れむと思へども夢といふものぞ人だのめなる(古今569)

【通釈】恋しさに弱り切ってしまったので、無理にも忘れようと思うのだけれども、夢に見るとまた当てにしてしまって、つくづく夢というものは人をむなしく期待させるものだ。

【語釈】◇人だのめ 人に期待を抱かせること。むなしい期待と承知しつつあてにしてしまう、といったニュアンスで用いられることが多い。

【補記】「相手が自分を思ってくれるゆえに夢に現れる」との俗信があったので、夢が人に期待を抱かせると言うのである。

【他出】新撰万葉集、興風集、古今和歌六帖、定家八代抄

【主な派生歌】
おほかたはしひて忘れむと思へどもいかにせよとて袖の濡るらむ(源重之女)
いかにせむ今はたたえて春の夜の人だのめなる夢をだにみず(藤原家隆)

親のまもりける人のむすめに、いとしのびに逢ひて物ら言ひけるあひだに、親のよぶと言ひければ、いそぎかへるとて、裳をなむぬぎ置きていりにける。そののち裳もをかへすとてよめる

逢ふまでのかたみとてこそとどめけめ涙にうかぶもくづなりけり(古今745)

【通釈】再び逢う時までの形見として裳を置いて行ったのでしょうが、私の激しい涙に濡れてぼろぼろになり、今や涙の海に浮かぶ藻屑でありますよ。

【補記】箱入り娘と忍び逢いしたが、相手は親に呼ばれて裳を脱ぎ置いて去ってしまった。それを返す時に詠んだ歌。「かたみ」は思い出のよすがとなるもの。「もくづ」に裳を掛けている。

【主な派生歌】
かきつめて誰しのぶべきかたみとは涙の底のもくづなれども(俊成女)
夜な夜なのまくらのちりをもくづにて涙の床や海とならまし(頓阿)
かたみとて涙にうかぶもくづをばかへすをみても袖やぬれなむ(飛鳥井雅親)
そなたにもとめてやはみぬあふことのいまは涙のもくづなりとも(三条西実隆)
涙川うかぶもくづのうたかたもあはれはかなきかたみなりけり(木下長嘯子)

題しらず

夢をだに思ふ心にまかせなむ見るは心のなぐさむものを(玉葉1513)

【通釈】せめて夢は心の思うままに任せてほしい。夢であっても恋人を見るのは気が慰むものなのだから。

【補記】『興風集』に見える歌。

題しらず

逢ひ見てもかひなかりけりうば玉のはかなき夢におとるうつつは(新古1157)

【通釈】逢えたところで甲斐もなかったなあ。果敢ない夢にも劣る現実での逢瀬は。

【補記】先後関係は明らかでないが、おそらく下記参考歌を踏まえているのであろう。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
むばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり

題しらず

恨みても泣きても言はむ方ぞなき鏡に見ゆる影ならずして(古今814)

【通釈】怨みごとも泣きごとも、誰に向かって言おうか。そんな相手はもうどこにもいないのだ、鏡に映った我が身のほかに。

【補記】恋人に去られたのちの嘆き。『興風集』では「逢ふまでのかたみとてこそ」の歌の次に置かれている。

【主な派生歌】
雁がねのなきてもいはむ方ぞなきむかしのつらの今の夕暮(藤原定家)
恨みても泣きても何をかこたまし見しよの月の辛さならでは(少将内侍[続古今])

題しらず

山川の菊の下水いかなればながれて人の老をせくらむ(新古717)

【通釈】菊の下を流れる谷川の水は、一体どういうわけで、流れて、人の老いを塞き止めるのだろうか。

【補記】菊の露を含んだ川の水を飲んだ人が不老長寿を保ったとの故事に由る。不可思議な長寿の霊験を言祝(ことほ)ぎつつ、「流る」と「塞(せ)く」が意味の上で対となるところに面白みを出している。賀歌。算賀の屏風絵に添えた歌か。

【他出】興風集、古今和歌六帖、定家八代抄
(『興風集』は本文同一。『古今和歌六帖』は興風作で「山かげのきくのしたみづいかなればくむ人ごとにおいわたるらむ」。)

【主な派生歌】
山水に老せぬ千世をせきとめておのれうつろふしら菊の花(藤原定家[新千載])
老をせく菊のした水手にむすぶこの里人ぞ千世もすむべき(藤原定家)
天つ星光をうつすみかは水老せぬ菊のかげやせくらむ(順徳院)
よしの川はやくのとしをかへさめや菊の下水老をせくとも(後水尾院)
老をせくためしまでこそくみしらねこの谷川も菊の下水(霊元院)

貞保親王(さだやすのみこ)の、后の宮の五十の賀たてまつりける御屏風に、桜の花の散るしたに、人の花見たるかたかけるをよめる

いたづらにすぐす月日は思ほえで花見て暮らす春ぞすくなき(古今351)

【通釈】普段、むなしく過ごしている月日は何とも思えないのに、花を見て暮らす春の日だけは、少ないことが惜しまれてならないのだ。

【補記】賀歌。貞保親王の母で清和天皇の后である藤原高子の五十歳を祝う屏風絵に添えた歌。花見をする画中人物の立場で詠んでいるが、高子を春の美しい花に喩え、歳月を惜しむ意を籠めているのだろう。高子五十歳は寛平三年(891)に当る。

【他出】和漢朗詠集、興風集、俊成三十六人歌合、定家八代抄、新時代不同歌合

【主な派生歌】
まちをしむ花にまぎれし心からすぐす月日の春ぞすくなき(藤原為家)
桜花梢さびしくちりすきてのこれる枝に春ぞすくなき(九条師教[玉葉])
けふのこる花のかとりの白がさねあすたちかへむ春ぞすくなき(正徹)

題しらず

誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに(古今909)

【通釈】知合いが次々と亡くなってゆく中、私は生き残ってしまい、このうえまあ誰を親しい友とすればよいだろう。長寿で名高い高砂の松も、昔からの友ではあり得ないのに。

高砂の浦 古い絵葉書より
高砂の浦 古い絵葉書より [拡大]

【語釈】◇誰をかも 「か」「も」いずれも係助詞で、それぞれ疑問と詠嘆をあらわす。◇知る人 自分を親しく知る人。気心の知れた人。友人。◇高砂の松 高砂は播磨国の歌枕。今の兵庫県高砂市、加古川河口付近。古今集仮名序に「たかさご、すみの江のまつも、あひおひのやうにおぼえ」とあるように、古来松の名所とされた。当該歌については「山の惣名なるべし」(幽斎抄)と、歌枕でなく「山」を意味する普通名詞と見る説もある。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、興風集、三十人撰、三十六人撰、和漢朗詠集、俊成三十六人歌合、古来風躰抄、定家八代抄、百人一首、新時代不同歌合

【本歌】よみ人しらず「古今集」
かくしつつ世をやつくさむ高砂の尾上にたてる松ならなくに
【参考歌】紀貫之「貫之集」「拾遺集」
いたづらに世にふる物と高砂の松も我をや友と見るらむ

【主な派生歌】
高砂のをのへの松や君がへむ千代のともとはならむとすらむ(藤原俊成)
うき身をも思ひな捨てそ秋の月むかしより見し友ならぬかは(藤原隆房[続後撰])
高砂の松も昔になりぬべしなほ行末は秋の夜の月(*寂蓮[新古今])
いかにせむ鏡のそこにみづはぐむかげもむかしの友ならなくに(鴨長明)
高砂の松をともとて鳴く千鳥きみがやちよのこゑやそふらむ(藤原良経)
高砂の松もかひなし誰をかもあはれ歎きのしる人にせむ(藤原忠定[続拾遺])
冬きては雪の底なる高砂の松を友とぞいとどふりぬる(藤原為家[続拾遺])
友と見しよそのもみぢは散りはててひとりしぐるる高砂のまつ(藤原為家)
みよしのの吉野の宮はふりにけり松も昔の松やすくなき(順徳院)
月だにも老の涙のへだてずはむかしの秋の友とみてまし(一条実経[続拾遺])
子の日せし代代のみゆきのあとふりて松もむかしの春や恋しき(宗尊親王)
知る人と松をもいかがたのむべきうきよをいとふ友ならなくに(〃)
高砂の松を友ともなぐさまで猶妻ごひに鹿ぞ鳴くなる(尊円親王[新拾遺])
風かよふ松もむかしの友とてやおなじ軒端ににほふたち花(飛鳥井雅世)
年こゆる色やはかへむ高砂の松もむかしの沖つしらなみ(正徹)
さきやらぬ花の梢はたかさごの松を友とやつれなかるらむ(直明王[新続古今])
したふなよ松もむかしのとばかりにあだなる花の春の別れは(後柏原天皇)
君が代は雲井はるかに高砂の松もむかしの友づるのこゑ(三条西実隆)
高砂の松をためしも雪のけさいたづらにふる友とやはみむ(木下長嘯子)


更新日:平成16年02月11日
最終更新日:平成20年08月22日