能因 のういん　永延二〜没年未詳(988-?)　別称：古曾部入道

俗名橘永�ﾄ(ながやす)。法名は初め融因、のち能因に改称した。父は肥後守橘元�ﾄ(もとやす)かという。子に元任と女子一人がいる。
大学に学び、文章生となるが、長和二年(1013)頃に出家し、摂津国に住む。諸国を旅し、奥州・伊予・美作などに足跡を残した。ことに陸奥旅行での作「都をば霞とともにたちしかど秋風ぞふく白河の関」は名高い。家集には馬の記事が多く見えることなどから、馬の交易のため各地を旅していたとみる説がある（目崎徳衛）。歌は藤原長能に学び、歌道師承の初例とされる。長元八年(1035)の関白左大臣頼通歌合、永承四年(1049)の内裏歌合などに参加。和歌六人党の指導的立場にあり、また源道済・藤原公任・大江嘉言・相模ら多くの歌人と交流をもった。自撰の家集『能因集』がある。著にはほかに私撰集『玄々集』、歌学書『能因歌枕』がある。後拾遺集初出。勅撰入集六十六首。中古三十六歌仙。

能因塚 大阪府高槻市古曽部町。能因の墳墓と伝わる。

「能因集」　桂宮本叢書三・私家集大成二・新編国歌大観三・新日本古典文学大系二十八

　春 5首　夏 1首　秋 2首　恋 2首　雑 11首　計21首

春

長楽寺にて故郷の霞の心をよみはべりける

よそにてぞ霞たなびくふるさとの都の春は見るべかりける（後拾遺39）

【通釈】遠くからこそ、霞棚引く懐かしい都の春は眺めるべきであるよ。

【語釈】◇長楽寺　桓武天皇の勅願により、比叡山の延暦寺の別院として平安京の東郊に建てられた寺。円山公園そばの小高い丘の上にある。

【補記】大江正言・嘉言兄弟と「故郷の霞」を題に詠み合った歌の一つ。正言はこの時「山たかみ都の春を見わたせばただひとむらの霞なりけり」と詠み、後拾遺集に掲出歌と並んで入集。いずれも「距離（デスタンス）」を置いてこそ麗しいと見る、新しい風景美の発見である。

正月ばかりに津の国に侍りける頃、人のもとに言ひつかはしける

心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春のけしきを（後拾遺43）

【通釈】情趣を解する人に見せたいものだ。ここ津の国の難波あたりの春のありさまを。

【語釈】◇津の国　摂津国。今の大阪中心部と兵庫県の一部を併せた国。能因は同国の古曾部（現高槻市）に長く住み、難波は馴染みの土地であった。

【補記】能因の代表作の一つとされてきた歌。「心あらむ人」は、もののあはれを解する人ということだが、暗に歌を贈った相手を指してもいる。人と共感を分かち合いたいという、詩歌制作のおおもとのモチーフとなる心情を詠んだ歌である。「津の国の難波わたりの春のけしき」と言っているだけで、何ら具体的な描写のないことが現代の読者には物足りないが、古人にとってはこれだけで十分だったとも言える。難波には広大な干潟があり、春となれば海上には霞がたちこめ、水辺の蘆原は若葉が萌え出る。――当時の風流人の間には、そうした原風景的なイメージがあまねく共有されていたのであった。

【他出】能因集、新撰朗詠集、後六々撰、古来風躰抄、定家八代抄

【主な派生歌】
心なき我が身なれども津の国の難波の春にたへずもあるかな(藤原季通[千載])
津の国の難波の春は夢なれや葦の枯葉に風わたるなり(*西行[新古今])
心あらん人のとへかし梅の花霞にかをる春の山里(藤原俊成[新千載])
春といひし人に見せばや津の国の遠里をのの秋萩の花(藤原俊成)
心ありて見るとしもなき難波江の春の気色は惜しくもあるかな(寂然[風雅])
見せばやな志賀の辛崎ふもとなる長柄の山の春のけしきを(慈円[新古今])
心あらん人のためとや霞むらん難波のみつの春の曙(後鳥羽院[続古今])
見せばやな海づら遠くかすみゆく難波の御津の春のあけぼの(武田信玄)

夜さくらをおもふといふ心をよめる

桜咲く春は夜だになかりせば夢にもものは思はざらまし（後拾遺98）

【通釈】桜の咲く季節は、夜さえ無ければ、夢の中でまで思い悩まずにすむだろうに。

【補記】昼間に見た桜が、夜になっても心を占め、夢の中にまで侵入して、千々に思いを乱す。業平の「世の中にたえて桜のなかりせば」を敷衍しているが、夜の闇の中に咲く花の幻影がひときわの余情を添える。

賀陽(かや)院の花ざかりに、忍びて東面の山の花見にまかりありければ、宇治前太政大臣聞きつけて、「この程いかなる歌かよみたる」など問はせて侍りければ、「久しく田舎に侍りて、さるべき歌などもよみ侍らず。今日かくなんおぼゆる」とてよみ侍りける

世の中を思ひすててし身なれども心よわしと花に見えぬる（後拾遺117）

これを聞きて、太政大臣、「いとあはれなり」と言ひて、被物(かづけもの)などして侍りけりとなん言ひ伝へたる。

【通釈】現世を捨てる決心をした身ですけれども、修行の心が弱いと花に見られてしまいました。

【補記】藤原頼通の邸宅賀陽院の花盛りにこっそり花見に行ったのを頼通が聞きつけて、どんな歌を詠んだのかと聞いてきたのに応えた歌。

山里にまかりてよみ侍りける

山里の春の夕暮きてみれば入相の鐘に花ぞ散りける（新古116）

【通釈】山里の春の夕暮に来てみれば、山寺の晩鐘の響きとともに桜の花が散るのであった。

【補記】のどかな春の一日の終りに桜の終焉が重なり、それはまた盛春という季節との別れでもあった。後世多くの模倣歌を生み出すが、多くは初瀬を舞台としている。都人の多くはこの歌に山深い長谷寺の鐘の音を聞いたようだ。家集の詞書は「やま寺の春の暮」。

【他出】能因法師集、定家十体（幽玄様）

【主な派生歌】
夕附日かすみの西にかたぶきて入あひの鐘に春ぞのこれる(土御門院)
暮れかかる入会の鐘の声きけば寺もふる木の花ぞちりける(他阿)
のどかなる入相の鐘はひびきくれて音せぬ風に花ぞちりくる(鷹司清雅[玉葉])
初瀬山をのへの花はちりはてて入逢のかねに春ぞくれぬる(尊円[新拾遺])

夏

津の国の古曾部といふ所にてよめる

わがやどの梢の夏になるときは生駒の山ぞ見えずなりぬる（後拾遺167）

【通釈】我が家の庭の梢が夏になって盛んに葉の茂るときは、生駒山が見えなくなってしまうのだ。

【補記】「古曾部」は大阪府高槻市古曽部町。能因出家後の隠棲の地。なお『能因集』では結句「やまがくれぬる」。

【主な派生歌】
きのふこそ花もちりしかいとはやも梢の夏に成りにけるかな(宗尊親王)
わが宿のこずゑの夏に春ならぬ春をみせたる遅桜かな(松永貞徳)

秋

永承四年内裏歌合によめる

嵐吹くみむろの山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり（後拾遺366）

【通釈】嵐が吹いて散らす三室の山の紅葉は、龍田川に浮かび流れ、まさに川面を飾る錦であった。

「みむろの山」と大和川 奈良県生駒郡三郷町。能因の歌の「龍田の川」はこの辺りを流れる大和川を指したと思われる。

【語釈】◇みむろの山　もとは神の降臨する山を意味する普通名詞で、みもろの山とも言った。ここでは奈良県生駒郡三郷町の龍田大社背後の山。◇龍田の川　生駒郡三郷町あたりを流れる大和川をかつてこう呼んだらしい。現在は生駒山に発し斑鳩町で大和川に注ぐ川を龍田川と呼んでいる。紅葉の名所。なお「たつ（裁つ）」は錦の縁語。◇錦　金銀ほか様々な色の糸を使って織り成した華麗な絹織物。紅葉を錦に喩えるのは、古今集以来の和歌の常套表現（下記参考歌参照）。

【補記】永承四年(1049)十一月九日、後冷泉院が後京極殿において開催した歌合。四番、題は「紅葉」、左勝。

【他出】永承四年内裏歌合、後六々撰、定家八代抄、百人一首

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
龍田河もみぢみだれて流るめりわたらば錦なかやたえなむ
　　柿本人麿「拾遺集」
龍田川もみち葉ながる神なびのみむろの山に時雨ふるらし
　　紀貫之「後撰集」
から衣たつたの山のもみぢ葉ははた物もなき錦なりけり

【主な派生歌】
しぐれふるみむろの山のもみぢ葉はたがおりかけし錦なるらん(大江匡房)
嵐吹く船木の山のもみぢ葉はしぐれの雨に色ぞこがるる(藤原経忠[新勅撰])
嵐吹く大江の山のもみぢ葉は生野におれる錦なるらん(俊盛法師)
秋にあへぬみむろの山のもみぢばは草葉をかけていつしぐれけん(藤原為家)
紅葉ばは立田の河の水のあやにかさねておれる錦なりけり(二条為藤)

津の国に侍りけるころ、道済が許につかはしける

夏草のかりそめにとて来(こ)しかども難波の浦に秋ぞ暮れぬる（新古547）

【通釈】夏草の刈り取りの頃、ほんの一時と思ってやって来たけれども、そのまま長居して難波の浦で秋が暮れてしまった。

【語釈】◇夏草の　夏草を刈るということから「かりそめ」を導く枕詞として用いている。作者が夏に難波に来たことを暗示し、また蘆が伸びた夏の難波の浦の景を描いてもいる。

【補記】摂津国にいた頃、源道済に贈ったという歌。

【他出】能因集、定家十体（濃様）、歌枕名寄

恋

題しらず

ねやちかき梅のにほひに朝な朝なあやしく恋のまさる頃かな（後拾遺788）

【通釈】寝屋近くの梅の匂いで、朝ごとに不思議なほど恋心のまさる頃であるよ。

【補記】『能因集』では「早春庚申夜恋歌十首」中の春二首に見える歌。季節の風物に寄せて恋情を詠んだ連作である。

早春庚申夜恋歌　秋

虫のねも月のひかりも風のおともわが恋ますは秋にぞありける（能因集）

【通釈】虫の鳴く声も、月の光も、風の音も、私の恋心がつのるのは秋であったよ。

【補記】これも前歌と同じく「早春庚申夜恋歌十首」中の歌。

雑

源為善朝臣身まかりにける又の年、月をみて

命あれば今年の秋も月はみつ別れし人にあふよなきかな（新古799）

【通釈】命があるおかげで、今年の秋も月は見ることができた。けれども、死に別れた友に再会する時はないのだ。

【語釈】◇源為善　後拾遺集に歌を載せる歌人。長久三年(1042)十月一日没。◇あふよなきかな　「よ」に「世」「夜」を掛ける。

題しらず

瑞垣にくちなし染めの衣きて紅葉にまじる人や祝(はふ)り子（新勅撰573）

【通釈】瑞垣の内で梔子染めの衣を着て、紅葉に混じり込んでいるのは、神に仕える乙女たちであるよ。

【語釈】◇瑞垣(みづがき)　神社の垣（普通石垣）、ひいては神域を言う。◇くちなし染め　梔子で染めた、赤みを帯びた濃い黄色。◇はふりこ　祝子。神に仕える人。

【補記】新勅撰集神祇歌巻軸。くちなし染めの黄と紅葉の赤という配色が鮮烈。

しかすがの渡りにてよみ侍りける

思ふ人ありとなけれど故郷はしかすがにこそ恋しかりけれ（後拾遺517）

【通釈】恋しく思う人があるわけではないけれど、しかすがの渡りまでやって来て、故郷はやはり何と言っても恋しいのだった。

【語釈】◇しかすがの渡り　愛知県宝飯郡の豊川河口あたりにあった渡し場。交通の難所だった。◇故郷　ここでは後にしてきた都をいう。◇しかすがに　渡りの名に「そうはいうものの」の意を掛ける。

常陸にまかりてよみ侍りける

よそにのみ思ひおこせし筑波嶺(つくばね)のみねの白雲けふ見つるかな（新勅撰1303）

【通釈】もっぱら遠くから思い遣ってばかりいた筑波山の嶺にかかる白雲を、今日ついに見ることができたのだ。

【補記】筑波山は常陸国の歌枕であり関東の名山。

【参考歌】「万葉集」（柿本朝臣人麿歌集出）
鳴る神の音のみ聞きし巻向の檜原の山を今日見つるかも

みちのくににまかり下りけるに、白川の関にてよみ侍りける

都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関（後拾遺518）

白河の関

【通釈】春霞が立つのとともに都を発って来たけれど、白河の関ではもう秋風が吹いているのだ。

【語釈】◇立ち　旅に発つ意だが、「霞が立つ」意を掛ける。◇白河の関　福島県白河市旗宿。奥州三関のひとつ。

【他出】能因集、後六々撰、古来風躰抄、時代不同歌合、六華集、源平盛衰記、太平記、十訓抄、古今著聞集

【参考】「白氏文集」巻九「出関路」（→資料編）
蕭条去国意　秋風生故関（蕭条たる国を去る意　秋風は故関に生ず）

【主な派生歌】
都にはまだ青葉にて見しかども紅葉ちりしく白河の関(*源頼政[千載])
都をば花を見すてていでしかど月にぞこゆる白川の関(足利義満[新後拾遺])

出羽の国にまかりて、象潟といふところにてよめる

世の中はかくても経けり象潟の海人の苫屋をわが宿にして（後拾遺519）

【通釈】人の世というのは、こんなふうにしてもどうにか暮らせるものだったよ。象潟の海人の小屋を自分の住まいにして。

【語釈】◇象潟(きさかた)　出羽国由利郡象潟。かつて潟湖があり、名高い景勝の地。

【補記】能因集では詞書「いではのくにに、やそしまに行きて」とあり、第三句は「久堅の」（「あま」の枕詞）となっている。

【他出】能因集、五代集歌枕、歌枕名寄

【主な派生歌】
さすらふる我が身にしあれば象潟や海士の苫屋にあまたたび寝ぬ(*藤原顕仲[新古今])

　

わび人は外(と)つ国ぞよき咲きて散る花の都はいそぎのみして（能因集）

【通釈】私のような落ちぶれた人間には、辺境の国が合っている。花が咲いては散るように栄枯盛衰の激しい都は、せわしないばかりで。

【語釈】◇外つ国　辺境の国。ここでは出羽国。

東国風俗

月草に衣はそめよ都びと妹を恋ひつついやかへるがに（能因集）

【通釈】月草で衣を染めなさい、旅の都人よ。東(あずま)の地に残してゆく娘を恋しがりながら、もはや帰るべき時が来たのだと、その娘(こ)に知らせるように。

【語釈】◇東国風俗　東国の古歌謡風の歌。「風俗」は「くにぶり歌」のこと。◇月草　露草の古名。花汁を衣に摺り付けて藍色に染めた。うつろいやすいものの喩え。

【本歌】古歌集出「万葉集」
月草に衣ぞ染むる君が為まだらの衣摺らむと思ひて

陸奥国にまかりける時よみ侍りける

夕されば汐風こしてみちのくの野田の玉川千鳥鳴くなり（新古643）

【通釈】夕方になると、潮風が海から吹いて来て、陸奥の野田の玉川に千鳥が寒そうに連れを恋うて鳴いている。

【補記】「野田の玉川」は陸奥国の歌枕。今の宮城県塩釜市玉川。この歌は能因集に「想像奥州十首」の一首としてあり、かつて旅した地を回想しての作である。

【他出】能因集、続詞花集、時代不同歌合、釈教三十六人歌合

【主な派生歌】
光そふ野田の玉川月きよみ夕しほ千鳥よはに鳴くなり(後鳥羽院)
みちのくの野田の玉川見渡せば汐風こしてこほる月影(順徳院[続古今])

京にのぼりて、はやううゑし松の蔭にすずみて詠之

幾とせにかへりきぬらむ引きうゑし松の木蔭にけふ涼むかな（能因集）

【通釈】何年ぶりに都へ帰って来たのだろうか。昔移し植えた小松が大きく育った木陰に、今日こうして涼むのだ。

【補記】陸奥への長旅から帰って来ての感慨。

九月十三夜の月をひとり眺めて思ひ出で侍りける

更級(さらしな)や姨捨山に旅寝してこよひの月を昔見しかな（新勅撰282）

【通釈】更級の姨捨山に旅寝して、今宵十三夜の月を昔見たのだったよ。

【語釈】◇九月十三夜の月　いわゆる「のちの月」。八月十五夜と共に賞美された。

【補記】東国を旅した折、信濃の国の月の名所、姨捨(をばすて)山に旅寝して見た月を思い出している。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
我が心なぐさめかねつ更科や姨捨山に照る月を見て