竹腰家家臣小沢喜八郎実郡の末子として大阪に生まれる。名は玄仲、通称帯刀。十代の頃、尾張藩京都留守居番本荘家の養子となるが、のち小沢家に復す。三十歳の頃、冷泉為村に入門し和歌を学ぶ(のち、伴蒿蹊・澄月・慈延と共に冷泉門下の平安四天王と呼ばれることになる)。宝暦七年(1757)、鷹司家の家人になるが、明和二年(1765)、出仕を差し止められ、致仕。時に四十三歳。以後貧窮のうちに和歌に専念する。次第に堂上和歌への反発を強め、安永二年(1773)、五十一の年、為村に破門される(直接の原因は不明)。天明八年(1788)正月の大火により洛中の自邸を焼失し、以後寛政三年(1791)まで洛西太秦の十輪院に幽居する。この間、門下の妙法院門主真仁法親王(光格天皇の実兄)の訪問を受けた。寛政四年(1792)には洛東岡崎に移り、本居宣長・上田秋成・香川景樹などの訪問を受ける。享和元年七月十二日没(十一日とも)。七十九歳。京都北白川の心性寺に葬られた。
歌論『布留の中道』(寛政十二年-1800-刊)で「ただこと歌」を主張、当世の平語を用いて自然な感情・心をあるがままに表出することを説いた。その歌論・歌風は香川景樹・大田垣蓮月ほか多くの歌人に強い影響を与えた。歌書にはほかに『ふりわけ髪』など。家集には文化元年(1804)成立、同八年刊行の自撰家集『六帖詠草』、同集に洩れた歌を門人が編集して嘉永二年(1849)に刊行された『六帖詠草拾遺』があり、また自筆稿本『六帖詠藻』(静嘉堂文庫蔵)がある。
関連サイト:小沢蘆庵宅址
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「歌はこの国のおのづからなる道なれば、詠まんずるやう、かしこからんとも思はず、気高からんとも思はず、面白からんとも、やさしからんとも、珍しからんとも、すべて求め思はず、ただ今思へることを、我が言はるる詞をもて、ことわりの聞ゆるやうに言ひいづる、これを歌とはいふなり」(『布留の中道』)
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以下には『六帖詠草』『六帖詠草拾遺』(続歌学全書六・和文和歌集下・校註国歌大系一七・新編国歌大観九などに所収)より五十首を抄出した。『六帖詠草拾遺』より採った歌には末尾に[拾]を付して区別した。
春 11首 夏 8首 秋 14首 冬 2首 雑 15首 計50首
河上霞
水無瀬川かすみの水脈のあらはれて一筋深き
【通釈】遠く水無瀬川を眺めやれば、その流れの上に霞の水脈が現れていて、山の麓にひとすじ濃く漂っている。
【語釈】◇水無瀬川(みなせがは) 摂津国の歌枕。いまの三島郡島本町あたりを流れ、淀川に注ぐ。◇かすみの水脈(みを) 「かすみ」はここでは川霧のこと。春なので霧と言わず霞と言っている。「みを」は本来、船の通りみち。◇一筋深き 霞がひとすじ深くなっている。
【補記】水無瀬川の上を一条ただよう色深い霞。後鳥羽院本歌へのオマージュとも見えるが、詠風は新古今より時代の下った冷泉風(冷泉為相を祖とする冷泉家の華麗な歌風)に近い。青年期から壮年期にかけて作者は冷泉為村に学んだ。
【本歌】後鳥羽院「新古今集」
見渡せば山もと霞む水無瀬川ゆふべは秋となに思ひけむ
【参考歌】藤原家隆「壬二集」
二本の杉のこずゑや泊瀬川霞のみをのしるしなるらむ
雅成親王「続古今集」
月の入る梢はたかくあらはれて河霧ふかき遠の山もと
鶯
何ごとのはらだたしかる折にしも聞けばゑまるる鶯の声
【通釈】どんな腹立たしいことがある時でも、聞けば自然と微笑まれる鶯の声よ。
【補記】冷泉門を離れた蘆庵は、詞を飾ることや作為を排し、感情を率直・平明にあらわす「ただこと歌」を提唱した。そして我々の心は「夜昼移り移りて、しばらくもとどまらず、念々に思ふこと改まりゆく」(『布留の中道』)ゆえに、その時々の感情に拠った歌は清新である、と主張した。この歌などはそうした歌論に適った好例であろう。
二月余寒
ともすれば花にまがひて散る雪に梅が香寒き
【通釈】ややもすれば花と見まがわれて落ちてくる雪――その雪のために、梅の香も寒く感じられる、二月の空よ。
【補記】花と雪を見まがうのは旧来の趣向であるが、表現の工夫が新鮮な感覚を生んでいる。冷泉門にあった頃の作であろうか。いずれにしても蘆庵が「ただこと歌」の標語では括れない歌人であったことを示す一例である。
野梅
さしてゆくかたもなけれど香にめでて梅咲く野べは遠く来にけり
【通釈】どこと言って目指してゆくところもないけれど、香を賞美するうちに、梅の咲く野辺を遥々歩いて来てしまった。
【補記】題「野梅」は平安末期頃から見られる(それ以前は庭木として詠むのが普通だった)。掲出歌は題詠とは思えない、のびのびした詠みぶり。
小雨ふる夕暮からすのなくを聞きて
小雨ふる春の夕べの山がらす濡れて寝にゆく声ぞ淋しき
【通釈】小雨が降る春の夕方、烏が濡れながら塒(ねぐら)の山に帰ってゆく――その時鳴く声が寂しげである。
【補記】趣深い嘱目詠。これも蘆庵に言わせれば「ただこと歌」なのであろうが、感覚・感情が対象に浸透しているために、玉葉・風雅の繊細な詠風に近くなっている。「小雨ふる夕暮」云々の詞書は、題詠でなく即興詠であることを示すために付したのであろうが、蛇足というものであろう。
【参考歌】九条良経「秋篠月清集」「玉葉集」
夕まぐれこだかき森にすむ鳩のひとり友よぶ声ぞさびしき
伏見院「御集」
巣をまもる外面の森の夕がらす友なしになく声ぞさびしき
【主な派生歌】
夕烏かへる翅やしめるらむ小雨そぼ降る春の山畑(海野幸典)
雨の音のすれば桜の梢いかならむとて
春雨の音きくたびに窓あけて軒の桜の
【通釈】春雨の降り出す音を聞くたびに、窓を開けて、軒の桜の木の芽を見るのだ。
【補記】春雨が桜の開花を促すとの古来の常識を踏まえるが、歌われているのは日常のふるまいであり、平生の実情である。蘆庵「ただこと歌」の境地に達した作と言えよう。因みに蘆庵の桜花詠では「大井川月と花とのおぼろにてひとり霞まぬ波の音かな」などが世評高いものであった。
【参考歌】藤原顕季「堀河百首」「新勅撰集」
霞しくこのめはるさめふるごとに花のたもとはほころびにけり
尋花
柴人の鎌とぎさしてをしへつる山路の花を尋ねてぞ入る[拾]
【通釈】柴刈り人が鎌を研ぐ手を休めて、教えてくれた桜――その場所をたずねて山道を入ってゆくのだ。
【語釈】◇柴人 柴刈り(薪集め)を業とする人。◇鎌とぎさして… 鎌を研ぐ手を休めて、桜のある方を教えてくれたのである。
【参考歌】覚性法親王「出観集」
妻木こるしづをにとへば花は見ゆ朝日あたりの峰にとぞ云ふ
病める身はいとどあはれにおぼえて
来む春はいかでか見むと思ふ身になほ惜しめとや花の散るらむ
【通釈】来春はどうして見ることができようか――そう思う我が身に、なお一層惜しめというつもりで花が散るのだろうか。
まどろみもあへず目覚めて蝶のとぶをみて
惜しみかねまどろむ夢のたましひや花の跡とふ胡蝶とはなる
【通釈】散るのを惜しみかね、まどろむ夢の魂が桜の散った跡を訪ねる蝶となるのだろうか。
【補記】花を愛惜するあまり、夢のうちに身体を抜け出た魂が、蝶となって飛んでいるのだと見なした。
海辺落花
桜ちる春のみなとの追風に花つみそへていづる
【通釈】春、桜の散る湊では、順風を機に出港する多くの船が積荷に花びらを添えている。
【補記】追風が散らした花が、その風を出港の合図とする船の積荷に散り積もっている。心は華麗、詞は緻密な冷泉家の歌風。
苗代
種蒔きて
【通釈】種を蒔いてから何日経ったのだろう。水に浸って薄萌黄色の苗が生えている小田の苗代よ。
【補記】若苗を「薄もえぎ」色と言いあらわしたのは新鮮。
【参考歌】藤原隆信「六百番歌合」
面影は時雨の秋のもみぢにて薄もえぎなる神なびのもり
いとながき日のつれづれなるに、おぼえずうちねぶるほど、かをる香におどろきたれば、桐の花なりけり
みどりなる広葉隠れの花ちりてすずしくかをる桐の下風
【通釈】桐の木の下を風が過ぎると、緑色の広い葉に隠れている花が散って、涼しげに薫る。
【補記】清少納言は桐の花を「をかし」と賞賛し、古人にも愛された花に違いないが、この花を詠んだ和歌は前例を見ない。
桐の花 初夏、薄紫の花を咲かせる。甘い芳香がある。 |
新樹の風になびくを
きのふまで花にいとひし心さへ青葉にかはる風のいろかな
【通釈】つい昨日まで桜の花のために風を厭ったものだが、そんな心も、青葉をそよがせる風のおもむきを見て変わるのだ。
【補記】内容に新味はないが、詞つづきの品の良さに惹かれる。
【参考歌】盛明親王「拾遺集」
花ちるといとひしものを夏衣たつやおそきと風をまつかな
いかなるにか田歌きこえぬ日に
ひびきくる田歌も今は友となりて稀に聞こえぬ暮ぞ淋しき
【通釈】響いてくる田植え歌に今はもうすっかり馴れ親しんで、稀に聞こえてこない夕暮時は寂しく感じられる。
【補記】「夕に田歌うたふをききて」と詞書した歌「うづまさの杜にひびきて聞こゆなり四方の田歌の夕暮の声」とセットになった一首。詞書には「田歌」の一語を添えた。
【参考歌】二条為子「玉葉集」
吹きたゆむひまこそ今はさびしけれ聞きなれにける峰の松風
燭影写水
渡殿のともしの
【通釈】渡り廊下の灯火の影が、夕風の吹くたびに瞬いて、遣り水の流れに風もさながら反映している。
【語釈】◇渡殿(わたどの) 寝殿造りの建物をつなぐ渡り廊下。◇夕風ながらうつる 水に映る灯火の影が動くことで、夕風の動きもそのまま映っていると見た。◇やり水 遣り水。庭園の池に水を引き入れるための水路。
【補記】貴族の邸宅の雅びな夕暮の光景を描き、王朝物語の一場面を髣髴とさせる。冷泉風の艶な詠みぶりである。
けさ見し賤(しづ)の女(め)もややかへりけるなるべし、ここかしこの里より夕餉の煙たちのぼり、山路の末はるかに見えて人目絶えたるに、卯の花のみ河風に打ちなびきたる、いはんかたなく物淋し。家づとにと折りつつゆくままに暮れそへば、うちいそぐ黄昏にけさ見し老女にあひぬ
わがごとや老いて疲れししづの女がおくれてかへる小野の山道
【通釈】私と同じように年老いて疲れたのだろうか、賤の女がひとり遅れて小野の山道を帰ってゆく。
【語釈】◇しづの女(め) 卑しい身分と見なされた女。ここでは柴刈りを生業とする女。
【補記】ある年の四月、友人と洛北小野郷に遊山した際の道中記より。大原の里の手前で「馬に柴おふせ、みづからもいただきて、賤の女のあまた都にいづる」のに出逢い、その後寂光院にお参りした帰途、再び同じ女たちに出逢ったのである。
瓜
しづの
【通釈】農婦よ、おまえの家の門先の干し瓜を取り入れなさい。風が夕方になって出て、雨がこぼれて来た。
【語釈】◇ほし瓜(うり) 塩漬けにして干した瓜。
【補記】意図的に都雅を離れ、ひなびた主題を取り上げているが、調べには蘆庵らしい優しさがある。
夏眺望
山陰の青みな月の江の水に釣する小舟すずしげにみゆ
【通釈】山陰の青々とした水無月の入江――その水に浮かんで釣する小舟が涼しげに見える。
【語釈】◇青みな月 水無月(陰暦六月、晩夏)は梅雨の後なので満々と湛えた水が青々と見える。ゆえに「青水無月」と言った。掲出歌では「山陰の青み」(山の影が青く映る)の意がおのずと掛かる。
【参考歌】曾禰好忠「六華集」
旅人のは山のすそにやすらへばあをみな月も涼しかりけり
又あはたの夕日さすを
麓よりかげろひゆきて粟田山みねの夕日のかげぞ涼しき[拾]
【通釈】粟田山は麓の方から次第に陰ってゆき、頂のあたりを照らしている夕日が涼しげである。
【語釈】◇粟田山 京都市東山区。円山公園あたりの丘陵地。蘆庵が晩年住んだ岡崎の南。蘆庵はこの山の夕日の反照を好んで眺めた。
【補記】時間の推移とともに変化してゆく景を大きく迫真的に捉えて、玉葉・風雅の歌風に通じるものを感じる。蘆庵の「ただこと歌」が自然に向かって研ぎ澄まされる時、おのずと京極派の歌風(京極為兼に先導された歌風)に近づくのである。
幽棲秋来
霧りわたる苔路しめりてひややかに来る秋しるき庭の
【通釈】苔の生えた路は霧が立ち込めて湿っぽく、そのひややかな感じのうちに秋の到来がはっきりと感じ取れる庭の木陰であるよ。
【補記】繊細な感覚をはたらかせているが、歌はきわめて念入りに構成されており、その構成的なところに作為が見えがちである。やはり冷泉風の詠み口と言える。
ことしの手むけは地儀にやよせんとておもひ出づるままを
岡
我が庵に近き吉田のかぐら岡のぼりてぞ見る星合の空
【通釈】私の草庵から程近い吉田の神楽岡に登って眺めるのだ、七夕の星空を。
【語釈】◇かぐら岡 京都市左京区、吉田神社の鎮座する岡。蘆庵の住んだ岡崎の北にある。
【補記】地儀(地祇、国つ神のこと)に寄せた七夕歌七首より。他に「山」「野」「河」などに寄せて詠んでいる。このように身辺的な七夕詠というのも珍しい。
【参考歌】冷泉為尹「為尹千首」
ほどちかき吉だの宮のかぐら岡さて松風のこゑしぼりけり
あさがほのかれたるを見て
こん秋もなほ世にあらば
【通釈】もし来秋もまだこの世に生きていたなら、朝顔の花をはかないものとして再び見るのだろう。
【補記】「花をはかなと」には花の命に対する限りない哀憐の情が籠る。なお結句の「見め」の「め」は、係助詞「こそ」との係り結びによって、推量の助動詞「む」が已然形をとったもの。
玉まつる夕べ、おもふことありて
われ死なば我がなき
【通釈】私が死んだなら、私の魂は、来年の秋、誰が招いてくれるだろう。ただ野辺の尾花だけが風に靡いて招くのだろう。
【補記】同題二首の二首目。一首目は「我死なばわが父母のなき魂(たま)をむかへおくりて誰か祭らん」。陰暦七月の盂蘭盆会に際しての感慨。
遠村霧
衣うつ声は残りて夕霧にややかくれゆく山もとの里
【通釈】衣を擣つ音はそのまま残して、山の麓の里は夕霧にだんだんと隠れてゆく。
【語釈】◇衣(ころも)うつ声 布に艷を出すために砧の上で衣を擣つ音。「千声万声やむ時無し」(『和漢朗詠集』)とあるように、夜更けまで途切れずに続く。晩秋の風物とされた。
雲のさまざまなるをみて
波となり小船となりて夕暮の雲のすがたぞはてはきえゆく
【通釈】波のようになったり、小舟みたいな形になったりしながら、夕暮の雲の姿は、最後には消えていってしまう。
【補記】例えば蘆庵の友人であった上田秋成には様々な雲を「大幡小幡」などに譬えた有名な歌があるが、調べの高さでは掲出歌が比較を絶してすぐれている。古今集の優しい風姿を理想として修練を積んだ蘆庵の至り着いた境地である。
太秦にてひとりながめて
憂しとてもいかがはすべき心もて入りにし山の秋の夕暮
【通釈】憂鬱だとしても、どうしたらよいのか。自分の心で以て入った山で過ごす秋の夕暮よ。
【語釈】◇太秦(うづまさ) 京都市右京区。広隆寺がある。蘆庵は天明八年(1788)から数年間、この地に住んだ。
【補記】同じ詞書のもとに詠まれた五首のうちの最初の一首。
【鑑賞】「世を避けて山に入つて、その山に住み侘びるといふのは、平安朝以来限りなく繰り返された心である。今もそれだけで、それを説明的にいつてゐる。古今風である。しかしこの歌には古今集にはない真率さがある。それが調(しらべ)となつて出てゐる。後の香川景樹などに脈を引かせた詠み口である」(窪田空穂『近世和歌研究』)。
太秦の深き林をひびきくる風の
【通釈】太秦の奥深い林を通って響いて来る風――その音の骨身に沁みるような秋の夕暮よ。
【鑑賞】「この歌は、読む者に迫る力を持つてゐる。材料からではない。調(しらべ)からである。思ひ入つた心が、直ちに調となつてゐるのである」(窪田前掲書)。
又ある夕べに
山遠くたなびく雲にうつる日もやや薄くなる秋の夕暮
【通釈】遠くの山に棚引く雲に反映している夕日――その光も次第に薄くなってゆく、秋の夕暮よ。
【補記】「夕べに飛ぶ鳥を見て」と詞書した「とぶ鳥の行くかた遠く見おくれば霧にかくるる秋の夕暮」に続く一首。これも蘆庵風「ただこと歌」が京極風の叙景歌に近づいた一例と言えよう。
【参考歌】勧修寺経顕「風雅集」
月はなほ中空たかくのこれども影うすくなる有明の庭
あきのつきといふことを置きて
月ひとり
【通釈】月がただ独り天にかかって、土も透れとばかりに強く照るその光よ。
【補記】「あきのつき」の各文字を頭に置いて五首の歌を詠んだ連作のうち四首目。すなわち頭に「つ」を置いて詠んだのである。
秋月入簾
月清み
【通釈】月があまり曇りなく輝くので、簾の内側・外側の隔てもないほど明るく、くっきりとした松の木の影が二重に映っている。
【補記】明澄な月明かりによって、庭の松の木が簾と室内の床と、二つくっきりと影を落としているさま。
野分のやうにあらましく吹きたる風の音やみたるをながめて
見るがうちに秋風高くなりにけり松はなびかで雲のみぞ飛ぶ[拾]
【通釈】見ているうちに秋風は高くなってしまった。松の枝はもう靡かず、雲ばかりが飛ばされてゆく。
里月
里の犬の声のみ空の月にすみて人はしづまる宇治の山陰
【通釈】里の犬の声ばかりが月明かりに冴えて、人は寝静まっている、宇治山の山陰よ。
【補記】王朝和歌では犬を詠むこと稀であった。第三句の字余りと言い、これも京極派の影響が窺える一首である。
【参考歌】京極為子「玉葉集」
音もなく夜はふけすみて遠近の里の犬こそ声あはすなれ
伏見院「御集」
さよふけて宿もる犬の声しげし人はしづまる里の一むら
南の林の中にあまたのうなゐ子どもかしましく来るを見て
栗もゑみ柿も色づきうなゐらがほこらしげなる時も来にけり
【通釈】栗も笑うようにはじけ、柿も色づいて、童たちが得意そうにしている季節がやって来たのだ。
【語釈】◇うなゐ 垂らしてうなじにまとめた髪型。またその髪型をした子供。十二、三歳くらいまで。
秋のはてに田夫の鳥追ふいとまなしといひたるをたすくとて
小鳥おふ鳴子の縄に手をかけて竹のは山の夕日をぞみる
【通釈】小鳥を追い払う鳴子の縄に手をかけて、竹の茂る端山の上の夕日を見るのだ。
【語釈】◇鳴子(なるこ) 田畑に縄を張り、触れると音をたてる、鳥よけの仕組。◇竹のは山 竹の茂っている端山。
【補記】収穫期、農夫が「鳥を追い払う暇が無い」と言うので、助けを買って出たというのである。作者の暮らしぶりが窺われて面白い。
林下幽閑
もみぢ葉を尋ねて入れば山もとの林にひびく鳥の一こゑ
【通釈】紅葉を求めて麓の林に入ってゆくと、木々を響かせて鳥が一声鳴く。
【補記】題詠であるが、「ただこと歌」の趣のある一首。
冬たちて風の荒ましく吹くに
松にふく風もあらしになりにけり北窓ふたげ冬籠りせん
【通釈】松に吹く風も高く響き、嵐になったよ。北窓を塞ぐがよい、冬ごもりをしよう。
【補記】北窓は、夏の間は涼しい風を通すが、冬には冷たい風が吹き入る。身近な題材で冬の訪れを詠んでいる。
【参考】「詩経・七月」(→資料編)
塞向墐戸(向(まど)を塞(ふさ)ぎ戸(こ)を墐(ぬ)る)
雪のふりたる夕べ
降りつもる雪はうすゆき松竹もわかるるほどの夕ぐれの色
【通釈】降り積もった雪は薄雪、松と竹も区別できる程の夕暮の色よ。
【補記】「夕ぐれの色」は薄雪によって普段よりもほのかに明るい。
【参考歌】後水尾院「新明題和歌集」
有明の月と見しまに松竹もわかれぬ色ぞ雪にわかるる
竹窓夜雨
ふりおもる竹のしづくも音更けて雨静かなる夜の山窓[拾]
【通釈】雨で重くなる竹の葉の雫――夜が更けるにつれ、その音も趣深くなって、雨が静かに降り続ける、山の庵の窓よ。
【参考歌】慈円「新古今集」
あじろ木にいざよふ浪の音ふけてひとりやねぬる宇治の橋姫
山家朝
朝まだき立ち出でてみればわが
【通釈】早朝、外に出てみると、我が草庵の軒先に見える山に雲が分かれている。
【補記】何ということもない、まさに「ただこと歌」であるが、卑近な感じがせず、爽やかな開放感を感じる。
軒の松に烏の一声鳴くほどもなく市人のさざめきゆく音するを
我が松のこずゑのからす
【通釈】庭の松の梢に烏が鳴くと、里の市で商売する人々が家を出るのである。
【語釈】◇我が松 我が家の軒先の松。◇朝だちすなり 「朝だち」は朝早く家を出ること。「なり」はいわゆる伝聞推定の助動詞で、聴覚によって判断していることを示すのが本来の用法である。
朝にからすの声を遠く聞て
ものの
【通釈】物の音は遠いのがすぐれている。烏(からす)でさえ、遥か遠くから聞くと、趣深いのであった。
有女同車
朝がほの花の物いふ心地してみやびし
【通釈】朝顔の花が物を言うような気持ちがして、雅びであったあの女(ひと)の声が忘れられない。
【補記】たまたま車に乗り合わせた女が風流な歌などを口ずさんだのであろう。「妹(いも)」は女性を親しんで呼ぶ語。詞書からすると題詠のようであるが、他に例のない題である。
古人の言葉を題にてよめる中に
つくづくとひとりし物を思ふには問はずがたりぞ常にせらるる
【通釈】しんみり一人で物思いに耽っていると、ふと独り言をいつもしてしまうのだ。
【補記】同題二十三首の連作より。
この国はことばの海のおほ八島いづくによるも和歌の浦波
【通釈】この国は、詞の豊かな海に囲まれた大八洲。どこに打ち寄せるのも和歌の浦の波である。
【語釈】◇栂井一室 京都の歌人で、交友のあった栂井道敏。◇輝孝 不詳。一室の弟子。◇おほ八島(やしま) 日本国の古称。《おほ》に多い意を掛ける。◇いづくによるも和歌の浦波 どんな言葉でも和歌になる、ということ。歌枕和歌の浦を掛ける。
【補記】歌友であった栂井一室が亡くなった後、その弟子である輝孝が蘆庵のもとを訪れて、歌道の絶えることを憂える歌を詠んだ。それに対する返歌である。
この道も末の世のすがたに心寄する人のみ多ければ、それを歎きてよめる
すなほなる心詞ぞ行末にのこらん道のすがたなりける
【通釈】飾り気のない、まっすぐな心と言葉が、将来に残る歌の道の風姿なのである。
【補記】歌道の現状を歎いた連作七首より。「末の世のすがた」とは、新古今集以後の技巧に偏った歌風を言う。蘆庵はこのように自身の歌観を「すなほ」にあらわした歌を多く残している。
同
ことの葉は人の心の声なれば思ひをのぶるほかなかりけり
【通釈】和歌は人の心の声なのであるから、思いを述べるほかないのであった。
【語釈】◇ことの葉 平安時代以後、話し言葉に対する書き言葉をあらわす。すぐれた言語表現、特に和歌や手紙の文などを指すことが多い。
【補記】蘆庵のいわゆる「ただこと歌」の歌観を端的に詠んだ「ただこと歌」。
今の世の歌は
いにしへは
【通釈】遠い昔は、大根・生姜・韮・茄子・野蒜・干し瓜なども歌に詠んだのである。
【語釈】◇言えり 用語の取捨選択。歌語を限定して用いること。◇はじかみ 生姜。◇なすび 茄子。◇ひる 野蒜。◇干し瓜 瓜を塩漬けにして干したもの。
【補記】上代の歌謡や万葉集には上記のような食物を詠んだ歌が少なくない。
心
言ふことはみな心より出でながら心を言はんことの葉ぞなき[拾]
【通釈】言葉にして言うことは、すべて心から出るものであるのに、その心を正しく言う表現がないのだ。
【補記】心というものの捉えどころの無さを詠んだ歌。それはまた彼の提唱する「ただこと歌」が常に直面せざるを得ないアポリアであった。
寄国祝
蘆原やこの国ぶりのことの葉にさかゆる御代の声ぞきこゆる
【通釈】蘆の盛んに繁る国、この国のならわしである和歌に、繁栄する時代の声が聞こえるのだ。
老ののち独り住みにてあるをあはれがりて言問ひける人の、とほくゆくに
身の憂さをかたりてだにもなぐさめし君にさへこそまた別れけれ
【通釈】我が身の憂さをあなたに語るだけでも心が晴れたものだ――そのあなたとさえ、また別れてしまうのだ。
【補記】晩年独居していた頃、心配して訪問してくれた人が遠くへ移るに際して詠んだ歌。
銅駝坊(どうだばう)のあたりに、知る人の持たる家あり。いたづらなればとて、修理(すり)もせず荒れたるを、さながら借りて住みけるころ、人来ぬほどは心やりに琴かきなでて歌ひをるに、月の夜ごろ更けゆく折々は、壁のあれ間より狸這ひ出でて、庭草のしげみに見え隠るるもあはれにおぼえて、独りごちし
あなさびし
【通釈】ああ淋しい。狸よ鼓をうて、俺は琴をひこう。俺が琴をひいたら、狸は鼓をうて。
【語釈】◇銅駝坊 京二条の坊の唐風の呼び名。
【補記】「俳諧歌」として括られた歌群にある。
文月十日の夕さりつかたよめる
浪の上を漕ぎくと思へば磯際に近くなるらし松の音高し[拾]
これは病いとあつしうなりたるのち、床を端つ方にかへんとて、褥(しとね)にゐながら人にたすけられ移ろふが、舟にのれる心地すとて、例の松に秋風の聞こゆるままによめるになん。かくてくるつあした身まかられたりけり
【通釈】波の上を漕いで来たと思うと、もう磯際に近くなったらしい。松の音が高く聞こえる。
【補記】蘆庵臨終の歌。享和元年七月十日。
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成19年10月27日