紫式部 むらさきしきぶ 生没年未詳

生年は天禄元年(970)、天延元年(973)など諸説ある。藤原兼輔の曾孫。雅正の孫。正五位下越後守為時の次女。母は摂津守藤原為信女。兄の惟規、娘の賢子(大弐三位)も勅撰歌人。
早く生母に死別、長徳二年(996)、越前守となった父の任国に同行する。その後単身帰京し、同四年頃、山城守藤原宣孝の妻となる。長保元年(999)、賢子を出産するが、二年後、夫と死別。この頃から『源氏物語』の執筆に着手した。寛弘二年か三年(1006)頃、一条天皇の中宮彰子のもとに出仕する。没年は長和三年(1014)、長元四年(1031)など諸説ある。著書に『源氏物語』『紫式部日記』がある。また自撰と思われる家集『紫式部集』がある。後拾遺集初出。勅撰入集六十二首。中古三十六歌仙女房三十六歌仙

「紫式部集」 群書類従274(第15輯)・桂宮本叢書9・岩波文庫・私家集大成1・新編国歌大観3・和歌文学大系20

  2首  1首  2首  1首  7首 源氏物語より 7首 計20首

一条院御時、殿上人、春の歌とてこひはべりければ、よめる

み吉野は春のけしきにかすめども結ぼほれたる雪の下草(後拾遺10)

【通釈】吉野はもう春めいた様子に霞んでおりますが、地面にはまだ固く凍りついた雪に覆われている草――そのように私は家で逼塞しております。

【語釈】◇結ぼほれたる雪の下草 ムスボホレは「水分が凝固する」「心が鬱屈する」の両義。宮仕えに悩んで実家に逼塞している作者を暗喩。

【補記】『紫式部集』の詞書は「正月十日のほどに、春の歌たてまつれとありければ、まだ出で立ちもせぬ隠れ処にて」。

題しらず

世の中をなになげかまし山ざくら花見るほどの心なりせば(後拾遺104)

【通釈】この世をどうして嘆きなどするだろう。花を見ている時のような心――忘我の境地――でいられたなら。

【補記】この歌は古本系『紫式部集』に「日記哥」として載るが、定家自筆本系統の『紫式部集』にも、紫式部日記にも見えない。

賀茂にまうでて侍りけるに、人の、郭公なかなむと申しけるあけぼの、片岡のこずゑをかしく見え侍りければ

ほととぎす声待つほどは片岡の杜のしづくに立ちや濡れまし(新古191)

【通釈】時鳥の声を待っている間は、片岡の森の梢の下に立って、朝露の雫に濡れていようか。

【語釈】◇片岡の杜(もり) 賀茂の片岡社の東側の丘を片岡山という。そこの森であろう。

【補記】上賀茂社に参詣した折、ある人が時鳥が鳴くだろうと言った曙、片岡の梢が(朝露に濡れて)面白く見えたので、興が乗って詠んだ歌。『紫式部集』の詞書は「賀茂にまうでたるに、ほととぎす鳴かなむといふあけぼのに、片岡の木ずゑおかしく見えけり」。

【本歌】大津皇子「万葉」2-107
あしひきの山の雫に妹待つと我立ち濡れぬ山の雫に

七月一日、あけぼのの空をみてよめる

しののめの空霧りわたりいつしかと秋のけしきに世はなりにけり(玉葉449)

【通釈】わずかに白んできた空は一面霧が立ち込め、いつのまにか秋の気色に時はなっていたのだなあ。

【補記】玉葉集巻四、秋歌の巻頭。秋になって初めての朝を迎える歌。ところが『紫式部集』では、藤原宣孝から「うち偲び嘆き明かせばしののめのほがらかにだに夢を見ぬかな」と夢で逢えないことを訴えて来たのに対する返歌となっており、「秋」に飽き、「世」に男女関係の意をこめている。

題しらず

おほかたの秋のあはれを思ひやれ月に心はあくがれぬとも(千載299)

【通釈】秋は概してしみじみと哀しい季節――そのことを思い遣って下さい。美しい月にあなたの心はふわふわ浮かれているとしても。

【語釈】◇おほかたの 世間一般の(私も例外でない)。◇秋のあはれ 秋に「飽き」を掛け、男に飽きられた(夜離れされた)女の悲しさをいう。◇月に心は… 「月」は自分以外の女をいう。

【補記】『紫式部集』の詞書は「又おなじすぢ、九月、月あかき夜」とあり、足が遠のいた男(宣孝か)への返歌となっている。

里に侍りけるが、しはすのつごもりに内にまゐりて、御物忌みなりければ、つぼねにうちふしたるに、人のいそがしげにゆきかふ音をききて思ひつづけける

年暮れて我が世ふけゆく風のおとに心のうちのすさまじきかな(玉葉1036)

【通釈】一年が暮れて、私もまた年を取るのだと思いつつ、夜更けの吹きつのる風の音を聞いていると、心の中のなんと冷え冷えと荒んでいることよ。

【語釈】◇世ふけゆく 「年を取ってゆく」「夜が更けてゆく」の掛詞。

【補記】玉葉集巻六、冬歌巻末。師走も押し詰まった晩、宮中の局に臥して詠んだ歌。『紫式部集』の詞書は「師走の二十九日にまゐる。初めて参りしも今宵のことぞかし。いみじくも夢路にまどはれしかなと思ひ出づれば、こよなう立ち慣れにけるも、うとましの身のほどやと思ふ。夜いたう更けにけり。御物忌みにおはしましければ、御前にも参らず、心細くてうち伏したるに、前なる人々の『うちわたりは、なほいとけはひ異なり。里にては、今は寝なましものを。さも、いざとき履(くつ)のしげさかな』と、色めかしくいふを聞き」。

東三条院かくれさせ給ひにける又の年の春、いたくかすみたる夕暮に、人のもとへつかはしける

雲のうへの物思ふ春は墨染にかすむ空さへあはれなるかな(玉葉2298)

【通釈】国母が崩ぜられて宮中で喪に服している春は、墨で染めたように霞む空さえも哀れ深い様子ですねえ。

【語釈】◇東三条院 藤原兼家女、詮子。円融院の女御で、一条天皇の母。長保三年(1001)閏九月崩。◇雲のうへ 宮中をいう。◇墨染(すみぞめ)にかすむ 墨で染めたように霞む。宮中の人々が皆喪に服していることを暗示している。

【補記】玉葉集では紫式部の作とするが、『紫式部集』によれば、夫宣孝の喪に服していた式部のもとへ、ある人が贈ってきた歌(初句は「雲のうへも」)。玉葉集の撰者(京極為兼)は、『紫式部集』を誤読したわけでなく、意図的に改変して式部による東三条院哀悼歌に仕立てかえたものという(岩佐美代子『玉葉和歌集全注釈』)。

はやくよりわらはともだちに侍りける人の、としごろへてゆきあひたる、ほのかにて、七月十日の比、月にきほひてかへり侍りければ

めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲隠れにし夜半(よは)の月かげ(新古1499)

【通釈】久々に再会して、面差しをその人とはっきり見分けることもできないうちに、慌ただしく帰ってしまった友よ――あたかも、ほの見えた月がたちまち雲に隠れるように。

【語釈】◇めぐりあひて 時が巡り、再び出逢って。◇見しやそれともわかぬまに 見たのはそれだったのかも判らないうちに。「それ」は月とともに昔馴染みの友人を指す。◇雲隠れにし 雲の中に隠れてしまった。人の行方が判らなくなることの比喩表現。◇夜半の月かげ 夜更けの月。あわただしく帰ってしまった幼馴染みの友人を、たちまち雲に隠れてしまった月に譬えて言う。百人一首では普通「夜半の月かな」。

【補記】「めぐりあひ」「雲隠れ」は月の縁語。『紫式部集』の詞書は新古今集にほぼ同じで「早うより、童友だちなしり人に、年ごろ経て行きあひたるが、ほのかにて、七月十日のほど、月にきほひて帰りにければ」。

【他出】紫式部集、定家八代抄、百人一首、女房三十六人歌合

【主な派生歌】
てる月のかくるるにつけて思ふかな雲がくれにしよはのかなしさ(源通親)
月影のそれかあらぬかかげろふのほのかにみえて雲がくれにし(源実朝)
めぐりあひておなじ雲井にながめばやあかで別れし九重の月(尊良親王[新葉])
たづねても人ぞたどらむ面影をみしや其ともおぼえざりせば(下冷泉持為)
あやしくもむすぼふれぬる心かなみしやそれともまだわかぬまに(烏丸光広)
いかにして思ひ出づらむ俤のみしやそれともわかぬ契りを(武者小路実陰)
めぐりこし月にとはばやこぞのけふ雲がくれにし人のゆくへを(本居宣長)
めぐりあひて見し夜の空もみづぐきに月かげながらうつしとめけむ(加納諸平)

とほき所へまかりける人のまうできて暁かへりけるに、九月尽くる日、虫の音もあはれなりければよめる

なきよわる(まがき)の虫もとめがたき秋のわかれや悲しかるらむ(千載478)

【通釈】なき声の弱ってゆく籬の虫も、止め難い秋との別れが哀しいのでしょうか。

【語釈】◇その人 前歌の幼馴染みの友人。◇秋のわかれ 秋という季節の終りと、友人との別れの両意。

【補記】千載集巻七、離別歌。『紫式部集』の詞書は「その人、とほき所へいくなりけり。秋の果つる日来たるあかつき、虫の声あはれなり」。「その人」とは、前の歌の「童友達」と同一人である。

浅からず契りける人の、行きわかれ侍りけるに

北へゆく雁のつばさにことづてよ雲のうはがきかき絶えずして(新古859)

【通釈】北へ帰って行く雁の翼に言付けて、遠い南の国からも私に便りを下さいよ。書き絶やすことなく。

【語釈】◇雲のうはがき 「うはがき(上書き)」は手紙のこと。漢籍の故事より雁は便りを運ぶ使いとされたので、雲の上で羽を掻くことに掛けてこのように言いなした。

【補記】『紫式部集』によれば、式部は越前へ、姉妹の契りを結んだ友人は西海(筑紫)へ行くことになった、その時別れを惜しんで詠んだ歌。「姉なりし人亡くなり、又、人の妹(おとと)うしなひたるが、かたみに行きあひて、亡きが代りに、思ひかはさむといひけり。文(ふみ)の上に、姉君と書き、中の君と書き通はしけるが、おのがじしとほき所へ行き別るるに、よそながら別れをしみて」。

題しらず

数ならで心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり(千載1096)

【通釈】ものの数にも入らない私だから、我が身を心のままに委ねることはできない――それはわかっているけれど、こうして我が身の境遇に支配されてしまうのが、心であったとは…。

【補記】心が境遇に押し流されていってしまうという不如意な状況を詠んでいる。『紫式部集』、初句は「数ならぬ」。

後一条院うまれさせたまひて七夜に人々まゐりあひて、盃いだせと侍りければ

めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそ千世もめぐらめ(後拾遺433)

【通釈】美しい月が射し込んで光を添えている盃――この満月が大空を永遠に巡るように、盃は皆さんの手から手へと巡って、親王のご誕生の栄えを祝福し続けるでしょう。

【語釈】◇めづらしき光 すばらしい月光の意に、親王誕生の栄光の意を掛ける。◇さかづき 盃に月を掛ける。◇もちながら 「(盃を)持ちながら」「望(もち)ながら」の掛詞。◇千世もめぐらめ 盃が一座の者の間を巡る意に、月が大空をめぐる意を掛ける。『紫式部集』は「千代をめぐらめ」。

【補記】一条天皇と藤原彰子の間の子、敦成親王(のちの後一条天皇)の出産祝いに際しての歌。親王の誕生は寛弘五年(1008)九月十一日。なお『紫式部集』の詞書は「宮の御産養(うぶや)、五日の夜、月の光さへことに隈なき水の上の橋に、上達部、殿よりはじめたてまつりて、酔ひ乱れののしりたまふ盃のをりに、さし出づ」。

【他出】紫式部集、紫式部日記、栄花物語、後六々撰、新撰朗詠集、古来風躰抄、定家八代抄

【参考歌】藤原為頼「拾遺集」
もちながら千世をめぐらむさか月の清き光はさしもかけなむ

失せにける人のふみの、物の中なるを見出て、そのゆかりなる人のもとにつかはしける

暮れぬまの身をば思はで人の世のあはれを知るぞかつははかなき(新古856)

【通釈】日の暮れぬうちは命があるとしても、明日は知れぬ我が身――そのことは忘れて、他人の死から人の世のはかないことを知るとは、それもまた果敢ないことではある。

【補記】新古今集哀傷歌巻末。『紫式部集』の詞書は「小少将の君の書きたまへりしうちとけ文の、物の中なるを見つけて、加賀少納言のもとに」。すなわち亡くなった小少将(源時通の娘。式部の女房仲間)が気を許して書いた手紙を見つけ、加賀少納言(不詳。小少将の親しい知人)のもとに贈った歌。

【本歌】紀貫之「古今集」
明日知らぬ我が身と思へど暮れぬまの今日は人こそ悲しかりけれ

源氏物語より

詞書は藤原定家撰『物語二百番歌合』から借りた。但し同書に収録されていない歌(末尾の一首のみ)は源氏本文より引用している。〔〕内には、掲出歌を詠んだ作中人物の名と帖名を記した。

源氏、中将ときこえし時、立ち給へる御車に、扇に書きつけて

心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花〔夕顔「夕顔」〕

【通釈】当て推量で、その方かと存じます。白露の光を添えた夕顔の花のように、輝かしい夕方のお顔を。

【語釈】◇夕顔の花 源氏の「夕方の顔」の意を掛ける。

【補記】光源氏の返しは「寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔」。

【主な派生歌】
夕顔の光をそへし白露の消えにしかげぞ面影にたつ(源通親[高倉院昇霞記])
心あてに露も光やそへつらむ月に色なき夕顔の花(源具親[千五百番])
たそかれにほのぼのみえし夕顔の花の露にや光そへけむ(西園寺実材母)
いとどまた光やそはむ白露に月まちいづる夕顔の花(津守国助[新後撰])
むらさめの露けき花の夕顔に光そへてもゆく蛍かな(飛鳥井雅有)
心あてに見し夕顔の花散りて尋ねぞ迷ふたそがれの宿(松平定信)

中将ときこえし時、かぎりなく忍びたる所にて、あやにくなるみじか夜さへほどなかりければ

見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちにやがてまぎるる我が身ともがな〔光源氏「若紫」〕

【通釈】今夜はお逢いできましたが、再びお逢いする夜は、稀でしょう――そんな果敢ない逢瀬の夢の中に、そのまま紛れ込んで消えてしまう我が身でありたいものです。

【語釈】◇夢のうちに はかない逢瀬を夢に喩える。

【補記】夏の夜、藤壺の中宮と密会した後。

【主な派生歌】
夢にだにあふ夜稀なる都人ねられぬ月に遠ざかりぬる(藤原良経[新後拾遺])
夢ならばまたも見るべき面影のやがてまぎるる世をいかにせむ(藤原忠良 〃)
思へただ逢ふ夜稀なるあけくれに露きえわびし人の面影(後鳥羽院)
消えわぶる霜の衣を返しても見る夜まれなる夢の通ひ路(*源通光)
おのづから逢ふ夜稀なる契をば忍ばずとても誰かしるべき(藤原信実[新拾遺])
まだ宵と思へばしらむ横雲にやがてまぎるるみじか夜の月(源有忠[玉葉])
見てもまた程なくあくるしののめにやがてまぎるる村雲の月(長慶天皇)
咲けば散る夜のまの花の夢のうちにやがてまぎれぬ嶺の白雲(*正徹)

三の口にて

憂き身世にやがて消えなばたづねても草の原をばとはじとや思ふ〔朧月夜「花宴」〕

【通釈】つまらない我が身がこの世からこのまま消えてしまったら、墓のある草の原を探し求めてまで訪れようとは思ってくれないのですか。

【語釈】◇三の口 第三の戸口。源氏物語原文は「弘徽殿の細殿にたちより給へれば、三のくちあきたり」云々とある。◇憂き身 辛い境遇の我が身。◇消えなば 姿を消したら。「死んでしまったら」の意を響かせる。◇草の原 埋葬地を暗示。

【補記】紫宸殿での花の宴のあと、光源氏が酔って弘徽殿(清涼殿の北にあり、皇后・中宮などが住む殿舎)のあたりを逍遥していると、細殿の三の口あたりで朧月夜の君に出逢う。名を問うたのに対し、女が答えた歌。

【主な派生歌】
思ひかね草の原とてわけきても心をくだく苔の下かな(藤原俊成)
消えはてむ草の原までとはずとも露の哀れはかけむとすらむ(藤原実定)
霜の下にかきこもりなば草の原秋の夕べもとはじとやさは(西園寺公経[千五百番])
霜枯れはそことも見えぬ草の原誰にとはまし秋のなごりを(藤原俊成女[新古今])
よしさらばきえなばきえねうき身世にとはれむものか草の原まで(藻壁門院但馬)
秋風やさてもとはまし草の原露の旅寝におもひきえなば(後崇光院)

須磨の浦にて

恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は思ふかたより風や吹くらむ〔光源氏「須磨」〕

【通釈】都恋しさに歎いて泣く私の声と区別がつかない、須磨の浦に寄せる波音――恋い慕う都の方角から風が吹くからなのだろうか。

【参考歌】凡河内躬恒「玉葉集」
浪たたばおきの玉藻もよりくべくおもふ方より風は吹かなむ

【主な派生歌】
袖にふけさぞな旅寝の夢はみじ思ふかたよりかよふ浦風(藤原定家[新古今])
おきの海をひとりやきつるさよ千鳥なく音にまがふ磯の松風(後鳥羽院)
袖ぬれていくよあかしのうら風におもふ方より月も出でにけり(〃)
あま人のもしほの煙なびくやと思ふかたより風も吹かなむ(花園院[新千載])
恋ひわびてなくねにまがへ友千鳥思ふかたよりせめてかよはば(宗良親王)
初雁も思ふ方をやしたふらむなくねにまがふ秋の浦波(三条実重[新続古今])
河浪のよる瀬にわたる村千鳥なくねにまがふ水の音かな(後崇光院)

紫の上かくれ給ひて後、昔の野分の夕べほのかなりし御面影、いまはのほどの悲しさなど思ひ続けて

いにしへの秋の夕べの恋しきに今はと見えしあけぐれの夢〔夕霧「御法」〕

【通釈】紫の上をかつて垣間見た秋の夕方が思い出されて懐かしい――それにつけても、臨終の時の払暁が夢のようにはかなかく悲しいことよ。

【語釈】◇いにしへの秋の夕べ 『野分』の帖、夕霧が紫の上を垣間見た秋の夕方を想起している。

【主な派生歌】
思ひいづることは現かおぼつかな見はてでさめし明暮の夢(弁乳母)
さめやする今はとみえし秋の夜の夢路かたしくさよの手枕(藤原家隆)
消えはつる夕べも悲し明け暮の夢にまよひし春の故郷(俊成女)

冬の夜、宇治にこもりゐてのころ、千鳥の鳴きければ

霜さゆる(みぎは)の千鳥うちわびてなく音かなしき朝ぼらけかな〔薫「総角」〕

【通釈】霜も凍りつく波打ち際の千鳥は辛がって啼く――その声が切ない明け方であるなあ。

【補記】宇治八宮の大君が臨終の床に臥していた時、薫が中君に詠みかけた歌。千鳥の声に、常不軽の法師の読経の声を暗示している。

【主な派生歌】
朝ぼらけなく音さむけき初雁の葉月の空に秋風ぞふく(真昭法師[続後拾遺])
霜氷る門田のおもにたつしぎの羽音もさむき朝ぼらけかな(藤原公衡[続後撰])
浪風に吹上の千鳥打佗びて鳴く音悲しき暁の空(源通光)
夕づく夜沢辺にたてるあしたづの鳴くね悲しき冬は来にけり(源実朝)
はま千鳥なくねかなしき明暮にたが衣々の袖のうら人(正徹)

あやしうつらかりける契りどもを、つくづくと思ひつづけながめたまふ夕暮、蜻蛉のものはかなげに飛びちがふを

ありと見て手にはとられず見ればまたゆくへもしらず消えしかげろふ〔薫「蜻蛉」〕

【通釈】目の前にいると見て手に取ることはできず、次に見た時には行方も知れずに消え失せた蜻蛉よ。

【補記】宇治の姫君たちとの苦しい恋の経緯をつくづくと思い続けていた夕暮、蜻蛉がはかなげに飛び交うのを見て薫が詠んだ歌。早世した大君や失踪し自殺したと思われていた浮舟を蜻蛉に投影している。

【参考歌】作者不詳「古今和歌六帖」
ありと見てたのむぞかたきかげろふのいつともしらぬ身とはしるしる
  湯原王「万葉集」「古今和歌六帖」
めには見て手にはとらえぬ月のうちの桂のごとき妹をいかにせむ


最終更新日:平成17年03月31日