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The Beatles Wings,George,Ringo ,& ... Pete
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1974年12月に出版されたビートルズ事典
を1975年に買ってもらい、白黒で掲載されたレコードのジャケットとそこに記載された文章を読みながらあれこれ想像していた日々を思い出します。
私の音楽好きはビートルズに始まり、ビートルズで終わる。
そう確信する今日この頃です。
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2024年 9月14日(土) Paul McCartney 写真展 「1963-64 ~Eyes of the Storm~」 at 東京シティビュー(六本木ヒルズ森タワー52階)
の感想。
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2024年 8月24日(土) 映画「ザ・ビートルズの軌跡 リヴァプールから世界へ」
の感想。
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2024年 6月24日(月) ムック本「ザ・ビートルズ 全曲バイブル 新版 公式録音全213曲完全ガイド」
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2024年 5月18日(土) John Lennon 映画「ジョン・レノン 失われた週末 The Lost Weekend」
の感想。
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2024年 3月13日(水) ムック本「ザ・ビートルズ アルバム・バイブル
新版 オリジナルアルバム全14作品完全ガイド」
の感想。
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2023年11月10日(金) The Beatles CD「1962-1966」、「1967-1970」、そして"Now And Then"
の感想。
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2022年 6月18日(土) 書籍「Paul McCartney THE LYRICS」
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昨年秋、英国で発売された時、読めもしないのに買ってしまおうかと思ったこの本。
やはり思いとどまったのは正解で、ポールの80歳の誕生日6月18日に日本語版が発売され、ボクも安心して読めています。
上下巻で900ページ以上の文章はもちろんのこと、数々の写真と共に語られる154曲。
読書をしながらその曲を聴く至福の時。
たまりません。
凄く素敵な一冊です。
曲を発売日順ではなくあえてアルファベット順に並べてあるその編集。
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2021年12月30日(木) Disney+で独占配信されたドキュメンタリー「McCartney 3, 2, 1」を観た感想。
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2021年11月25日(木) Disney+で独占配信された映画「Get Back」を観た感想。
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2016年 9月24日(土) 映画「Eight Days A Week - The Touring Years」
を観た直後の感想。
お勧め本
書名 :ザ・ ビートルズ・サウンド最後の真実
著者名 :ジェフ・エメリック/著 , ハワード・マッセイ/著 , 奥田祐士/訳
出版者 :白夜書房
出版年 :2006.12
ISBN :4-86191-221-0
書名 :パティ・ボイド自伝
副書名 :ワンダフル・トゥディ
シリーズ :−
著者名 :パティ・ボイド/著 , ペニー・ジュノー/著 , 前むつみ/訳
出版者 :シンコーミュージック・エンタテイメント
出版年 :2008.9
ISBN :978-4-401-63228-2
書名 :ビートルズ売り出し中!
副書名 :PRマンが見た4人の素顔
シリーズ :
著者名 :トニー・バーロウ/著 , 高見展/〔ほか〕訳
出版者 :河出書房新社
出版年 :2007.1
ISBN :978-4-309-20472-7
書名 :ザ・ ビートルズ リメンバー
副書名 :親友クラウス・フォアマンが語る本当のビートルズ
シリーズ :ノーウエア ザ・ビートルズ決定版シリーズ
著者名 :クラウス・フォアマン/文・絵 , 斉藤早苗/監修
出版者 :プロデュース・センター出版局
出版年 :2007.10
ISBN :978-4-938456-75-7
書名 :ビートルズが愛した女
副書名 :アストリット・Kの存在
シリーズ :幻冬舎文庫 こ−9−2
著者名 :小松成美/〔著〕
出版者 :幻冬舎
出版年 :2001.02
ISBN :4-344-40066-6
書名 :ミュージック・ライフが見たビートルズ
副書名 :
シリーズ :
著者名 :
出版者 :シンコーミュージック・エンタテイメント
出版年 :2010.11
ISBN :978-4-401-63477-4
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最終更新日 99年1月14日
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最終更新日 97年1月27日
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The Ballad Of John and Yoko
66年11月9日にロンドンの画廊で開かれていた彼女の個展のオープニング前日にJohnが現れたのをきっかけに69年3月20日に結婚した。
書籍"ビートルズ / レコーディング・セッション"(マーク・ルイソン著 90年7月20日初版 シンコー・ミュージック)68年5月30日の記録にヨーコ・オノが登場する。
ところが書籍"ビートルズ・ロッキュメンタリー 太陽を追いかけて"(星加ルミ子著 96年6月29日初版 TOKYO FM出版)の「第3章 エプスタインの死とアップル・コーの船出と難破」の節「初めて見たレコーディング風景」に"The Fool On The Hill"レコーディング初日(67年9月25日であろう)の記述がある。そして次節「オノ・ヨーコと初めて会った日」にそのスタジオの片隅に東洋人の姿を確認していることを記述している。そしてその年末にロンドンから送られてきた写真でその東洋人がオノ・ヨーコでJohnと近々結婚するらしいと記述している。その後、星加さんがオノ・ヨーコに次に会ったのは68年12月23日にアップルで行われたクリスマス・パーティ、そして72年の来日コンサートの時とのこと。67年末の写真は68年末の記憶違いだとしても67年9月25日に訪問した"The Fool On The Hill"のレコーディング時にヨーコ・オノがスタジオにいた事実は間違いないであろう。
さてJohnとヨーコがSEXをしたのは68年5月19日にケンウッドのJohnの自宅のスタジオで"TWO VIRGINS"をレコーディングを終えた明け方が通説である。さて67年秋頃にはヨーコはスタジオに頻繁に出入りしていた(セッションに参加し始めたのは68年春以降)のか、友人の一人として偶然招かれていただけなのか、どなたか真実を教えてください。
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ザ・ドリフターズ at 武道館 66年6月30日と7月1日
日本テレビの朝の番組"波瀾万丈"。96年8月18日は「加藤茶・・・幻ビートルズ前座丸秘映像公開!」でゲストの加藤茶さんの半生にあやかり、保管庫からその映像を探し許可を得てビートルズの来日公演で彼らが唯一前座として出演した66年6月30日(テロップで画面に表示される)の演奏映像が日の目をみた。
当初の出演時間は20分であったがそれが6分に、6分が2分にどんどん削られていったようである。そして迎えた66年6月30日の当日に「40秒になりませんか」。さてその映像では登場しセッティングに5秒。演奏に60秒。撤退に5秒。の計70秒の内容であった。
長さんの「ワン、ツ−、ワン、ツー、スリー、フォー」ではじまる"のっぽのサリー"。まだその時は高木ブーさんは今ストラップをかけてコードをギターにつなげるところ。荒井注さんのギターにはコードがつながっていない・・・ワイヤレスで飛ばしているのか・・・わけがない。アレ〜、この一際目立つギターの音って誰の音なんだろう・・・ジャズというかロカベリーの加藤茶さんのドラムにいかりや長介さんのベース。ステージ上には3本のギター。でもね〜、この音は???・・・さて彼らは実際に演奏していたのでしょうか?。ステージ裏にサポート・メンバーがいて演奏していたのでしょうか?
その立ち位置はPaulとGeorgeのギター・アンプの前にあるマイク・スタンドで、いかりや長介さんのカウントそして仲本工事さんのボーカル。その下手側後方に高木ブーさん,そして荒井注さん。Johnのギター・アンプの前にあるマイク・スタンド位置にいかりや長介さん。間奏では高木ブーさんと荒井注さんがギター抱えてステージ下手から一往復。親指で弾き飛ばし続ける長身の長さんのベース姿ってなかなかカッコイイ。サビにあるアクセント位置のタイコのポーンで喉を前に突き出すように頭を後ろへ振り重心を左足にのっけながら右足を左足の前へ出し右足・左足と軽やかなステップで左斜め後ろへよろける。
お決まりのコケのあと、ステージ一段下のドラム位置からステージに上がった加藤ちゃんが「バカみたい」の後に、いかりや長介さんの「解散!」でステージを降りていく彼ら。
ところでブート・レーベルMaster Diskの"THE BEATLES JAPAN 1966"(MDCD 010/011)に6月30日のクレジットで前座の音源が収録されている。そこにあるドリフターズの最後は"解散!"ではなく"逃げろ!"版が収録されている。この音源と先のテレビで放送されたのでは、いかりや長介さんのセリフが違う。ブートのクレジットを信じるべきか、テレビでの案内を信じるべきか。
そのテレビ番組で気になった会話である。
福留氏「映像ごらんになりました?」
加藤氏「見たのですけど、全部カットされていました。」
福留氏「放送では、ビートルズの特集の中では出てこなかったのです。放送されなかったのです。」
という感じで66年当時の番組ではドリフのシーンは全部カットされ放送されなかった旨を言っている。
ドリフの映像は一瞬観客席が映る。ステージ向かって左側「ライオン」と書かれている場所が。その「ン」の字の上に白い服が並んでいる・・・その下には頭がなさそうでありそうでなさそう。6月30日の映像だと"If I Needed Someone"当たりがわかりやすい。7月1日の映像で"Nowhere Man"当たりであろうか。どちらかと言うと6月30日の方がよく似ている。観客の顔つき。ただしその上段に座っている人が白い上着を着ている・着ていないの差がある。「ン」の字の上2列目には、ドリフの映像は横に3人並んでいる。二人しかハッキリ見えないが高木ブーさん、仲本工事さんが微妙に立ち位置がズレた時に更に左側に一人、白い服が確認出来る。ところが6月30日のBeatles映像は横に二人である。一番左の人が上着を着た?のであろうか。またその白服の3人の一番右側のその上に白いジャケットを着た人がいる。しかしBeatlesの時は白くない。いずれにしても髪の毛の雰囲気、男女の区別などで6月30日かなというレベルである。注目するべき点にドリフの時もマイク・ホルダーがグラグラでズレていく。
その日にちは忘れたがNHK番組「日本を変えた来訪者ビートルズ」でいかりや長介さんは「ビートルズが出てこなくてじれている客が恐くて思わず「逃げろ!」と叫んでしまったと回想している。
加藤茶:「チョーさんが言ってましたね。"解散"って。"逃げろ"じゃなかったのですね。ボクはあの時、"逃げろ"って聞こえたのですけどね。」
日本テレビの放送内容を信じると6月30日が「解散!」、7月1日が「逃げろ」ということであろうか。6月30日のステージの後の反省会で
メンバー:「長さん、"解散"は難しいよ、言葉として」
いかりや:「そうか、ではストレートに"逃げろ"にしようか」
という会話があったのであろうか。
ところが雑誌"THE DIG"の96年2/3月号のビートルズ特集にある仲本工事さんのインタビューで「前座を勤めたのは1回だけだ」と断言している。
最後に当時のテレビ放送、Beatlesは7月1日の演奏であるが、前座はどうだったのか。6月30日の映像だったのか、Beatlesに合わせて7月1日に録り直したのか。ブライアンは前座の部分も持ち帰ったのか。はたまたドリフターズは1回だけの出演でブートかテレビのどちらかが嘘をついているのか、私の疑問は深まるばかりです。66年6月30日と7月1日のビートルズの前座で武道館で演奏した時のことを。
(疑問1)
ドリフは66年6月30日と7月1日(午前の部)の2回出演したのでしょうか?
=> どうやら2回出演したみたいですね。
(疑問2)
ステージ上のドリフは演奏していたのでしょうか?
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