黒田杏子 くろだ・ももこ(1938—2023)


 

本名=黒田杏子(くろだ・ももこ)
昭和13年8月10日―令和5年3月13日 
享年84歳(随琴院文春杏麗大姉) 
東京都文京区本郷5丁目27―11 法真寺(浄土宗)



俳人。東京府生。東京女子大学卒。昭和36年博報堂にはいり、「広告」編集室長をへて調査役。山口青邨に学び、「夏草」同人となる。56年「木の椅子」で現代俳句女流賞、俳人協会新人賞。平成2年「藍生」創刊、主宰。8年「一木一草」で俳人協会賞。28年「日光月光」で蛇笏賞受賞。句集に「水の扉」などがある。







白葱のひかりの棒をいま刻む

かの世とてこの世に似たり薄紅葉

ずんずんと冷え声明のこゑの中

一人より二人はさびし虫しぐれ

ひとはみなひとわすれゆくさくらかな

日光月光すずしさの杖いつぽん

とほき日の葱の一句の底びかり

長命無欲無名往生白銀河

月奔り出す一面の野分雲

ねぶた来る闇の記憶の無尽蔵



 

 おかっぱ頭でモンペ姿をトレードマークに「季語の現場に立つ」ことを創作の基本として日本列島の桜花をめぐる巡礼を行い、母に教えられた「花を待つ、花を見る、花にあそぶ、花をおしむと」いう心、「五感を使う」という心をもって優れた俳句を数多く読んだ黒田杏子。山口青邨に師事し、瀬戸内寂聴や鶴見和子、梅原猛、永六輔、金子兜太らとも親交を深めた。平成25年8月に脳梗塞に倒れてからは、後遺症のために歩行器での生活を余儀なくされ、出先では車いすの利用をしていたが、令和5年3月10日、飯田蛇笏、龍太の故郷である山梨県笛吹市境川の総合会館で「龍太を語る会」で講演した翌朝、宿泊先で倒れ、13日午後7時7分、脳内出血のため市立甲府病院で急逝した。



 

 金子兜太に「くろももさん」と呼ばれていた黒田杏子は、東京・本郷で開業医・齊藤家の次女として生まれた。東京女子大学入学後に俳句研究会「白塔会」に入り、山口青邨に師事、「大学セツルメント」に参加したことで知り合った黒田勝雄と結婚した。新婚生活以来五十余年を過ごした市川市から平成26年、76年ぶりに生誕の地本郷に戻ってきた。それから10年、令和6年2月末、毎年「一葉忌」が執り行われ、杏子自身も講演したことのある樋口一葉ゆかりの法真寺に夫黒田勝雄建之の墓碑が建った。本堂裏にある「本郷赤門前霊園」、左側の数列先に「花巡る いっぽんの杖 ある限り 黒田杏子」と黒御影石に刻まれた句にこそ彼女の自然に対する眼差しと力強い人生観が屹立してあるのだった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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