栗本 薫/中島 梓 くりもと・かおる/なかじま・あずさ(1953—2009)


 

本名=今岡純代(いまおか・すみよ)
昭和28年2月13日—平成21年5月26日 
享年56歳(中島梓)❖梓薫忌 
神奈川県横浜市西区元久保町3–24 久保山墓地



小説家。東京都生。早稲田大学卒。昭和52年評論『文学の輪郭』で群像新人文学賞、53年『ぼくらの時代』で江戸川乱歩賞、56年『絃の聖域』で吉川英治文学新人賞など受賞。小説家としては栗本薫、評論・音楽活動や私生活においては中島梓として多岐にわたって活動した。ほかにシリーズもの『グイン・サーガ』『魔界水滸伝』『伊集院大介』、闘病記『転移』などがある。








 

 そうやって私たちは重大なものを見失い、滅びに瀕するようになったのだ。それは自分たちの責任でもあるのだから、私は、それで人間の文明がいったん滅びたとしても、それはそれでいいのではないか、と思う。恐竜も滅びた。バッファローはアメリカ人たちが数年で全滅させた。トキも人間の必死の努力にもかかわらず自然界から消滅しかかっている。とっくに消滅してしまった動物も植物もたくさんいる。「人間」という種だけが、そのような運命をまぬかれなくはならない、と信じる理由にはならない。私自身だってそうだ。どれだけ頑張って抗ガン剤治療をしても、あるいはガンにならなかったところで、あと20年、30年、いや、場合によってはあと数年もすれば私は必ず死ぬ。
 これまで生まれてきた人間はすべて死んでいったのだ。それをどうして、そんなにおそれ、拒むのだろう。「死んではならない。貧乏ではいけない。無名ではいけない.幽明で金持ちで、健康で不死でなくてはならない」と云わぬばかりの、なんといったらいいか西欧文明の「人間至上主義」といったものが、私は恐ろしい。いつも私の頭のなかには、風のようにふっと亡くなっていった藤井宗哲さんの姿がある。それでいいではないか——何もくやむことのない一生。それが60年だったとして、何をおそれたり拒否することがあろう。 60年「も」生きてこられたのだ。愛する人を置いてゆくのは辛いが、どうせいずれは遅かれ早かれそうなるのだ。ガンならガンでかまわない。というより、「いまの私」というのは「ガンをかかえた私」なのだ。それを否定しようとは思わないし、何がなんでもそれをなくしてやりたい、とも最近思わない。たまにお腹をなでて「ガン太郎君たち、大人しくしてね」と話かけてやるが、いずれ末期になればこやつらも暴れ出すだろう。それが自分の運命なのだったら、それはそれで受け入れようと思う。


 
(転移)


 

 〈私はといえば、実に、たしかに、天性のストーリーテラーであった——つまり「お話作り人」であった。私の頭の中にうかんでくる、ありとあらゆる壮大なドラマの万華鏡に、私の頭と手が追いつかなかった。〉と記したほど、止まることのない〈物語に書かせられている筆記機械〉として濃密膨大な物語をひたすらに紡いできたのだが、平成19年秋ころから感じていた体調の異変は入院手術のあとも好転せず、すい臓がんは肝臓にまで転移していった。抗がん治療を受けながらの苛烈な闘病生活、日々の思いや行動を文章として、遺書として意識を失うまで書き続けてきた闘病記『転移』。21年5月17日にキーボードで打たれた文字の最終行は「ま」の一文字。このあと意識が遠のいてしまったのかリターンキーに指をのせたまま九つの改行マークが連なる。昏睡状態に陥った9日後の5月26日午後7時18分、昭和大学病院で栗本薫と中島梓、二人の足音は消え去った。





 

 寂しく冷たい風が吹いている。山襞のままに造成された墓地の夥しい墓群を覆う青い空に浮かぶ白い雲、飛翔する鳥影はスローモーションのように西方へと去って、幽明界を異にした人々の喜びや悲しみ、怒りも、かぞえきれないほどに刻まれた時の中で密やかに漂っている。横に逸れると吉田健一や村岡花子の墓所もある墓参道に並んだ茶屋のひとつ「からす茶屋」脇の細い階段を幾重にも下ってゆくと、すり鉢状に窪んだ底に中島梓の眠る墓があった。月命日には必ず墓参に訪れるという夫今岡清が献げたと思われる花が微かに揺れている「今岡家之墓」、早い朝の青白い陽射しが優しく墓域に注いでいたが、陰翳を濃くして沈んだ黒御影の墓誌に目を寄せてみると法名・中島梓、没年月日、俗名今岡純代と刻されてあった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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