草野心平 くさの・しんぺい(1903—1988)


 

本名=草野心平(くさの・しんぺい)
明治36年5月12日—昭和63年11月12日 
享年85歳 
福島県いわき市小川町上小川植ノ内42 常慶寺(真言律宗)



詩人。福島県生。中国広東嶺南大学(現・中山大学)中退。昭和3年活版刷りの初詩集『第百階級』を刊行。全編蛙をテーマにしたもので、以後も、蛙の詩を書き続けた。10年には、中原中也らと詩誌『歴程』を創刊。『蛙の詩』で読売文学賞受賞。62年文化勲章を受章。詩集『母岩』『富士山』『定本蛙』などがある。







さむいね
ああさむいね
虫がないてるね
ああ虫がないてるね
もうすぐ土の中だね
土の中はいやだね
痩せたね
君もずゐぶん痩せたね
どこがこんなに切ないんだらうね
腹だらうかね
腹とつたら死ぬだらうね
死にたくはないね
さむいね
ああ虫がないてるね
                             
(秋の夜の会話)



 

 〈中原よ。地球は冬で寒くて暗い。ぢゃ。さやうなら〉——。ともに詩誌『歴程』を創刊した仲間、中原中也を悼んで草野心平はこう詠んだ。心平独自の宇宙観、「天」を意識した鮮烈な生命観を見る思いだ。
 〈詩人とは特権ではない。不可避である。詩人草野心平の存在は、不可避の存在に過ぎない〉と高村光太郎がかつて評した25歳の詩人は、60年後の昭和63年11月12日午後3時40分、急性心不全のため、所沢市民医療センターで死去した。
 ——〈死んだら死んだで生きてゆくのだ。おれの死際に君たちの萬歳コーラスがきこえるやうに。ドンドンガンガン歌ってくれ。しみつたれ言はなかつたおれぢゃないか。ゲリゲぢゃないか。萬月ぢゃないか。萬月はおれたちの祭りぢゃないか〉。



 

 福島県石城郡上小川村大字上小川(現・いわき市小川町)は春爛漫。
 〈ひるまはげんげと藤のむらさき。夜は梟のほろすけほう。ブリキ屋のとなりは下駄屋。下駄屋のとなりは-------〉。無人駅の小川郷、集落を流れる夏井川と下田川、小さな橋をわたると思い出の村道は立ち上がり、路地の奥に朽ち果てようとした生家はおぼろげに蘇った。
 菩提寺の常慶寺、観音堂の裏に古びれた草野家の塋域があった。墓石と墓石のあいだに高さ50センチほどの小さな墓碑が顔を覗かせている。「草野心平」、自署彫り碑の翳りと光。朝と夜をつないでいる昔の日、憧れるものは永遠なれ、天にひばり、若葉は若葉、〈天下は実に春で。〉、飛行船のような雲がひとつ、ぽっかりと。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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