本名=黒田三郎(くろだ・さぶろう)
大正8年2月26日—昭和55年1月8日
享年60歳
鹿児島県鹿児島市唐湊2丁目19番 唐湊墓地
詩人。広島県生。東京帝国大学卒。戦時中、現地召集で南洋の島々で過ごした。戦後はNHKに入局し、昭和22年『荒地』創刊に参加。結核の闘病を続けながら作品を発表した。30年には最初の詩集『ひとりの女に』でH氏賞を受賞。44年NHK退職後、文筆活動に専念。『小さなユリと』『失はれた墓碑銘』などがある。

僕はまるでちがってしまったのだ
なるほど僕は昨日と同じネクタイをして
昨日と同じように貧乏で
昨日と同じように何も取柄がない
それでも僕はまるでちがってしまったのだ
なるほど僕は昨日と同じ服を着て
昨日と同じように飲んだくれで
昨日と同じように不器用にこの世に生きている
それでも僕はまるでちがってしまったのだ
ああ
薄笑いやニヤニヤ笑い
口をゆがめた笑いや馬鹿笑いのなかで
僕はじっと眼をつぶる
すると
僕のなかを明日の方へとぶ
白い美しい蝶がいるのだ
(僕はまるでちがって)
無類の大酒飲みで、酒の上でのほら話はともかくも暴言や失敗は数知れなかった。そんな酒豪のイメージとは相容れないのだが、元来病弱体質であったのか、長い間、肺結核との闘いがあったからたまらない、そのうえ糖尿病から胃潰瘍まで患ってしまった。昭和55年1月8日午後3時53分、入院先の東京女子医科大学附属病院で、下咽頭がんに冒された一人の市民である風のような詩人黒田三郎は死んだ。
〈小さなユリが寝入るのを待って 夜毎夜更けの町を居酒屋へ走る〉誰かさん、飲んだくれで〈たかが詩人〉の誰かさん。夜の道をひとり風に吹かれて帰ってゆく。ああ、落ちてくる紙風船を打ち上げて打ち上げて、群衆の中を歩き疲れて、詩人さんは帰ってゆく。
谷間を埋め尽くした墓石群がすり鉢の底から這い上がるように山の中腹までせめぎあっている。爽やかな風を楽しみながらのぼっていった先にある詩人の墓所。額の汗を拭きながら振り返ってみると、ああ、やっぱりここは鹿児島だ。霞んではいるが、錦江湾にむかって開けた方向に桜島や開聞岳がうっすらと望んで見える。
——供花も何もない殺風景な「黒田家之墓」、土地の習わしでもあろうか台座部分がかなり高くなっていて、その根っこのところにひとむらの青草が喜々として輝いている。碑裏に父や兄の名に並んで三郎の没年月日が刻んである。〈ろくでなしの飲んだくれ〉と自省した詩人の中を大急ぎで駆け抜けていった、瞬くような一生の〈ひとつの席〉がくっきりとあった。
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