登山NO.0018 男 体 山( 男体山:2,484m ) 1990.6.3登山


 三本松から見た男体山( 1990.6.3 )
【男体山登山記録】

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NO.19 男体山登山記録

今から 13年程前、入社後の配属によって栃木県小山市に住んでいた頃、 当時の工場長とその有志で毎年行っていた男体山登山につきあわないかとの誘いがあったが、 その時は登山に対して苦しいだけのイメージしか持っていなかったため、お断りした覚えがある。
それが今は、如何にして男体山に登ったらよいかを時刻表とガイドブックにて一所懸命に調べているのであるからお笑いぐさである。
色々調査した結果、5時25分発の東海道本線に乗って新橋駅で降り、新橋から地下鉄銀座線に乗り換えて浅草まで行き、 そこから徒歩で東武線の浅草まで行って東武日光線の準急に乗れば、日帰りが可能であることが分かり、 早速梅雨入り前に実行することにした。

計画通りに順調に乗り換えも進み、東武日光から湯元温泉行きのバスに乗っていろは坂を登り、 中禅寺湖を左に見るようになってからすぐの所にある二荒山神社前でバスを降りた。
まずは腹ごしらえということで、バス停近くの店に入り、中禅寺湖を眺めながらうどんを食べ、その後大きな鳥居から参道を進んで登山口へと向かう。
男体山の登山は本殿そばの登拝門が出発点であり、その門をくぐるには門の前にある社務所で記帳した上、 登拝料 500円也を支払って " 日光二荒山神社登拝安全御守護 " と書かれたお札を頂いてから登る必要があり、 全国でも珍しい有料の山となっている。
このことについては、ガイドブックで読んだのにすっかり忘れていたものだから、 些か面食らってしまった。

門をくぐり、しばらく階段状になった道を登ると、すぐに男体山一合目遙拝所と書かれた大きな表示板と、 あずま屋風の建物が右手に見え、先ほどの登拝門とともに信仰の山であることを感じさせてくれた。
一合目からは、樹林の中の急登となり、足首を鋭角に曲げたままで直線の坂を登っていく形となって、 運動不足や寝不足の身体には結構応える。
三合目からは砂防工事用の林道歩きとなって、その道が石の鳥居のある四合目まで続いており、 また鳥居の横には車も停まっていたのでやや白けてしまったが、その代わり視界が開けたお陰で眼下に中禅寺湖を望むことができた。

鳥居をくぐって階段を登るとすぐに樹林帯に入り、暫く進むと手すりが付けられた道が現れたが、 そこが五合目で、ジグザグに道を登って五合目避難小屋を過ぎるとやがて樹林帯を抜け、 ガレた登りが続くようになった。
振り返れば、眼下に先ほど登り始めた二荒山神社の屋根が樹林の中に見え、その向こうには中禅寺湖が大きく拡がっており、 湖上を進む船の白い航跡までよく見えて、何か吸い込まれてしまいそうな感じさえ覚えたのだった。
ガレた道は、大きな岩のかけらが積み重なっており、少しでも足を滑らせれば落石を起こしそうで、 7月31日から 8月7日の間に行われるという夜間登山の時は大変だな といったつまらない考えも頭に浮かんでくる。

このガレた道は結構長い間続いており、七合目付近からは大きな岩も現れるようになって、 ガレは結局八合目付近まで続いていたが、道自体はペンキ印を伝っていけば良くて迷うことはない。
八合目にある滝尾神社を過ぎると、周りも灌木帯に変わって傾斜も緩くなってきたものの、九合目からは足元が火山砂礫となって滑りやすくなり、 また体力もそろそろ無くなりかけてきていたので大変苦しい登りであった。
ただ、九合目からは周囲の山々もよく見えるようになってきたのでやや元気づけられ、 特に左手に見えた奥白根山の多少雪を有した特徴ある形の山頂部分に、 雲の切れ間から光が当たっているのが見え、何かとても神々しく見えたのが印象的であった。
また、上を見上げると崖の上部左端に、太郎山神社のシルエットが見えてきたので、頂上が近いことを知らされ、 そこからひと登りで二荒山神社奥社に着くことができた。

奥社の前には二荒山神社奥社と彫られた立派な石柱とともに、 " 頂上 " とハッキリ彫られた石碑もあり、 そのため私の友人はそこが頂上と思いこみ、そのまま往路を戻ってしまったという笑い話もある。
本当の頂上は、奥社前を通って少し先の大きな太刀の所で、天を突き上げるようにして立っている太刀の横に、 字が薄れかけた頂上標識が置かれている。
頂上からの展望は抜群で、女峰山、帝釈山、大真名子山、小真名子山、そして太郎山といった日光の山々が間近に見え、 その後方には会津駒ヶ岳燧ヶ岳も認められる。

また手前に目をやれば湯の湖や戦場ヶ原、そして奥白根山がよく見え、 ぐるっと回って中禅寺湖の後ろには皇海山らしき山も認めることができた。
暫し展望を楽しんだが、やがて断続的ではあるがガスが上がってきて中禅寺湖を覆い隠し始めたので、 下山にかかり、志津小屋方面に向かって頂上から北に延びる尾根を下った。

途中、爆裂火口の跡を左下に見ながら進むと、道は急下降となり、やがて左側がガレた所に出て、 そこを過ぎると今度は右側がガレたようになっていて、遠目には美しい男体山も崩壊が進んでいることを思い知らされた。
ガレ場を過ぎて樹林帯の中を進んでいくと、やがて笹原に飛び出し、傍らに石像を見るとすぐに志津小屋の前に出た。
志津小屋は荒れに荒れており、とても 1泊するような雰囲気ではなく、 また小屋前にあった二荒山神社志津宮も荒れ果てたままの姿であった。

小屋を過ぎてクマザサの道を暫く進むと、すぐに林道にぶつかり、 ここからうんざりするほど長い林道歩きが始まった。
左に道をとってすぐに大真名子山への登山道を右に分け、また暫く進むと今度は太郎山への道が右に分かれるようになり、 その後は樹林帯の中を延々と歩くことになったが、この道では途中、梵字飯場跡で鹿を見ることができたのが唯一のハイライトであった。
最後は道を間違えて、だだっ広い農場のような所へ出てしまったりもしたが、どうにか三本松の一角に着くことができ、 観光客で賑わう駐車場を通り、バス停に向かった。
時間を見るとバスが来るまで大分間があったので、戦場ヶ原を散策することにしたが、そこから仰ぎ見る男体山の姿は大きく、 堂々としており、今一度山の姿に惚れ直してしまった。


男 体 山 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ 登山日:1990.6.3 天候:晴れ時々曇り 単独行 日帰り
登山路:二荒山神社前−二荒山神社−一合目〜五合目〜九合目 −男体山−九合目−志津小屋−太郎山分岐−梵字飯場跡−三本松
交通往路:瀬谷−(相鉄線)−横浜−(東海道本線)−新橋 −(地下鉄銀座線)−浅草・浅草−(東武日光線)−東武日光−(バス)−二荒山神社前
交通復路:三本松−(バス)−東武日光−(東武日光線)− 浅草・浅草−(地下鉄銀座線・京浜急行)−横浜−(相鉄線)−瀬谷
その他の男体山登山 男体山登拝門−一合目−三合目−五合目−八合目(瀧尾神社)−九合目−男体山(往路を戻る)
 (2009年9月5日 : 晴れ時々曇り(山はガス))     こ こをクリック
中禅寺温泉−遙拝所(一合目)−三合目−五合目−八合目(瀧尾神社)−九合目−男体山(往路を戻る)
 (2014年1月25日 : 晴れ後曇り)     こ こをクリック

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