小金沢連嶺( 小金沢山:2,014m ) 2000.12.29 登山


  小屋平北側の縦走路より小金沢山と富士山 ( 2000.12.29 )

【小金沢連嶺登山記録】

【小金沢連嶺登山データ】

フォト

初回登山


小金沢連嶺登山記録

丁度 10年ぶりの小金沢連嶺である。
本来ならば電車を乗り継いでJR中央本線塩山駅まで行き、 駅からタクシーにて登山口である裂石に行く予定であったのだが、 ついウッカリ寝過ごして予定の電車に乗る時間を逃してしまい、 結局車にて裂石までやって来たのであった。 到着時刻は 8時20分、 当初の予定通り電車を乗り継いでも ほぼこの位の時間に着くはずであるから、 やはり車は早くて便利である。

ただ問題は、当初狙っていた裂石から上日川峠、石丸峠、狼平を経て小金沢山に登り、そのまま南下して牛奥ノ雁ヶ腹摺山、黒岳を通過して湯ノ沢峠へと下り、 JRの甲斐大和駅に至る というコースをとっていたのでは 車の所へ戻れないということであり、 コース修正を余儀なくされることである。

寝坊した自分が悪いので文句も言えず、結局当初の予定通り小金沢山までは進み、その後は石丸峠に戻って、石丸峠から熊沢山を越えて大菩薩峠、大菩薩嶺を踏んで、 丸川峠経由にて車の所まで戻る というコースに変更したのであった。

車を止めたのは大菩薩嶺無料駐車場との看板が出ている孫子の旗という店の前で、出発したのが 8時25分。空は雲一つない青空で、本日の快晴を保証してくれてはいたものの、 まだ日は山の陰に隠れているため大変寒い。 確か 10年前にこのコースに挑んだ際も大変寒かった記憶がある。

道には最近降った雪が所々残っており、この冬最初の雪を踏みしめた (櫛形山でも小雪が降ったが積もるまでには至らなかった) ことを喜びつつ、 一方で山の上の方はどのような状況なのか と少々心配にもなりながら林道を進んだ。

冬季の林道閉鎖を示す遮断機の横から栗畑の中へと進み、地蔵茶屋の所で再び林道と合流した後、すぐにまた林道から離れて仙石茶屋の方へと進む。 治山工事のために作られた道を進んで 山の取り付きに着いたのが 8時44分 ここからは上日川峠までの登山道で、 もう過去に 5回ほど歩いているためコースの概要をほぼ覚えており、 足取りも進む。

所々樹林が切れて南アルプスの山々が見えるのだが、真っ白な三角形をした北岳を中心に、右に鳳凰山仙丈岳甲斐駒ヶ岳、左に間ノ岳 農鳥岳、塩見岳、荒川岳 と続く山並みは本当に見事である。
そしてその手前に甲斐の町並みが拡がっているのだが、 ここに暮らす人々は この南アルプスの山々をどのような思いで毎日見つめているのだろうか。 山好きには堪らない光景であるが、 そこに暮らす人々にとっては 山の様相の変化が四季の営みの目安となりはするものの、 かえって冬などはその厳しさを象徴するものとして 嫌がられることもあるのかもしれない。

道の雪は徐々に増えだし、登山道が先ほどの林道と最も接近する場所付近からは完全に真っ白な雪道となったのであった。
雪の上には人の足跡が 1つあるだけで、 それも本日のものではないようであり、 どうやら今日は私が一番乗りであるようだ。

上日川峠に着いたのは 9時42分。峠にある長兵衛山荘には誰もおらず、山荘前のベンチはみな雪で覆われている。この頃になると太陽は頭上に輝き、雪がキラキラ輝いて眩しい。
この山荘前の駐車場も南アルプスの格好の展望台となっており、 やはり北岳の存在が目立つ。

上日川峠からは大菩薩峠の方ではなく、林道と林道の間を下って大菩薩館の方へと向かう。
ここからは完全に雪の世界で、雪道の上に人の足跡は無く、 狸や鹿 ? などの足跡が道案内のように続いているだけであった。
完全に廃屋と化した大菩薩館の前を横切り林の中を進んで行くと、 いくつかの沢を横切ることになった。 確かこの道には石丸峠の由来となったといわれる石麻羅 (ここにあるのは場所を移された 2代目らしい) があるはずと思っていると、 それは道の左脇にしっかり存在感を示していた。 前回通った時はもっとササに埋もれていた気がしたが、 今回はその男性のシンボルの形をしっかり見せている。

雪道を調子よく進んでいくと、小さな沢を渡った所で突然雪の上に大きな足跡が現れた。直径が 10cm以上もあるので、思いつく動物は熊しかいない。 こんな冬場に と思ったが熊ではないという保証はない訳で、 慌ててザックに付けていたカウベル ? を手に持って、 カランカランと大きな音を立てながら進むようにしたのであった。 カーブを曲がる度に、あるいは小さなピークを登り切る度に、 目の前に黒い生物が現れるのではないかと 本当に恐る恐るの前進であった。

幸い大きな沢を越えたところからは足跡も消え去り、その後 2度とお目に掛かることはなかったのだが、出来たてホヤホヤの足跡には本当にリアリティがあって、 緊張感の漂う 10分程の時間であった。 でも本当は何の足跡だったのだろう。

やがて舗装された立派な林道を横切るとカラ松とササの斜面となった。10年前とほぼ同じ時期の登山だが、今回の方がササが刈り取られていて登りやすい気がする。 やがて再び林道に飛び出すことになったのだが、 10年前には 2回も林道を横切ることはなかったはずであり、 月日の移り変わりを感じた次第である。

林道を横切って再び斜面に取り付くと、この林道を切り開いたことによってかなりの好展望が得られるようになっており、南アルプスの山々は無論のこと、 左下には 10年前にはなかったダム湖の湖面がキラめいているのであった。

カラ松とササの斜面を息を切らせながらジグザグに登っていき、やがて先の方が明るくなって稜線の一部に飛び出すと、谷を挟んだ正面には小金沢山の大きな山容が見え、 その左には狼平のササ原が見えた。 ここは小屋平という場所である。
ここから石丸峠、狼平へと至る道歩きは、 このコースで私が最も楽しみにしていたものであり、 加えて雲一つない青空と太陽の輝きが大変嬉しい。

一旦左手の山に取り付き、樹林帯の中を進むと、やがて小金沢山の右手に富士山が見えてきた。
やや逆光気味ではあるが青い空に浮かぶ富士山の姿はいつ見ても美しい。

気持ちの良いササ原が拡がる石丸峠を越え、狼平へと進もうとすると、道は腰程の背丈のササに遮られたようになっている。
前はこんな風ではなかったがなあ と思って左上を見ると避難小屋の残骸が見えたので、 道が変わったこともあるか と思いそちらの方へいってみたのだが、 小屋横にあった標識も先ほどの道が正しいことを示していたのであった。

仕方なくササ原に戻ってササをかき分けながら進んでいったのだが、いく筋かあるササの道と合流したところで、小金沢山方面からの足跡を雪の上に発見したのであった。
こういう時に足跡に会うのは大変心強いもので、 この先の道も大丈夫であることの保証を得たような気持ちになり、 足にも勢いが出てきたのであった。 やがてササの高さも低くなると気持ちの良い岩場で、 ここからも南アルプスの好展望が得られたのであったが、 吹く風はかなり冷たく、じっとしているのが辛い (11時29分、11時42分発)

岩場から下って広々とした狼平を越えていくと、いよいよ小金沢山への登りで、ここもササが煩く、場所によっては背丈近くもあって、しかも雪が ササにのっかているところもあるものだから かなり苦労させられた。 やはりこの 10年間でかなり道も荒れたような気がする。

ササ原を抜けて樹林帯に入ると今度は一面の雪で道が分かりにくい。ただ先ほど発見した足跡が明瞭につけられているので大変助かる。暗い樹林帯の中を 喘ぎながら登っていくとやがて前方が開け、 小金沢山頂上に飛び出した。

三角点の横にはまたまた山梨百名山の標識。先日の櫛形山に続いての山梨百名山となったが、別に意識していた訳ではなかったので、ああそう言えば といった感じである。
小金沢山の山頂は南、西方面が開けており、 富士山雁ヶ腹摺山方面が良く見える。
時間は 12時28分 先に述べたように、ここから再び石丸峠へと戻るつもりであったのだが、 登ってくるまでのササ原歩きが煩わしく、 また暗い樹林帯歩きも何となく嫌気がさしたものだから、 散々迷ったあげくこのまま黒岳方面へと進むことにしたのであった (12時56分発) 先ほどから私を導いてくれた逆方向からの足跡が 黒岳方面から来たことを示していたことも 先に進む大きな決め手となったのであった。

この小金沢山からの道も最初は良かったのだが、やがてササが煩くなり始め、場所によっては完全にササの海に放り出されたようであった。昨年末の毛無山 ・ 雨ヶ岳を思い出す。 この道は単独で初めて歩くにはチョット勇気がいるかもしれない。

2つほどのピークを超すと牛奥ノ雁ヶ腹摺山で、小広い頂上には立派な標識があり、樹林の間からはなかなか見事な形の黒岳が見えた(13時26分)。ただ、富士山の方は もう完全な逆光でハッキリみえない状態だったのが残念である。

賽の河原を過ぎ、尾根筋を登っていくと南北に細長い川胡桃沢ノ頭で、ササとススキの原の中に 1本だけ立っている松の木 (だったと思う) 10年前のままである。 しかし、当時に比べて手入れのされていない庭を見ているような感じを受けたのは 気のせいだろうか。

いよいよこの縦走路最後のピークといっても良い黒岳への登りであるが、ここは展望の利かない樹林の中を黙々と登るだけである。 雪が結構多いため足を滑らせないように注意しながら登り続けると、 やがて目の前に白い看板が現れた。 何とそこには黒岳 (海抜 1987.5m) と書かれているではないか。
まだピークではないのに、昔の記憶と随分違うなあ と思いながら看板をよく見ると、 どうやらこれは大峠への分岐を表す標識らしい。 紛らわしいことこの上ないが、間違える人もいるのだろう。 この標識のすぐソバには、黒岳頂上はまだ先といった趣旨の板が吊されていた。

ニセ標識から 5分ほど登ったところが本当の黒岳頂上で、そこには一等三角点と 10年前と変わらない白地に黒い文字で書かれた標識が置かれていた (14時30分)
この黒岳は樹林に囲まれて全く展望が利かず、 寒い冬にはあまり居心地は良くない場所なので すぐに先に進むこととして 右に尾根を辿っていくと、 ピークを越えたところで目の前が急に開け、 気持ちの良いカヤトの斜面となった。
途中の岩場で休憩し、周囲を見渡すと 左の方へも道がつけられているのが目に入った。 そしてその先の高みにはいくつかの岩が点在しているのが見える。 近眼の私には、 最初何人かの人がその岩で休んでいるように見えたのだが、 全然動かないのでおかしいと思い 視度補正をしたカメラを通して見てみると、 それは岩の上に積まれたケルンらしく、 とんだ勘違いであった。

カヤトの斜面を下りきり、小さなピークを乗り越えるともうあとは一気に湯ノ沢峠への下りであったが、この下り斜面はかなりザレていて滑りやすく、 おまけに所々にある残雪が足下を危うくしているので 慎重を要する。
右の林の中に湯ノ沢無線中継所の立派なアンテナを見ながら慎重に下っていくと、 やがてトーテムポールを思わせる立派な標識が見え、 そこが湯ノ沢峠であった (15時17分) この場所は 2年前の南大菩薩縦走以来である。

さて、長い山旅もこれで終わりなら申し分ないのだが、ここからは気の重くなる林道歩きが待っているのである。
湯ノ沢避難小屋の前から水場への道をとり、一気に下る。 ここでこの日初めての人と会った。 恐らく避難小屋に宿泊するつもりなのであろう。
雪を蹴散らすように下って林道に出たのが 15時44分 ここから甲斐大和駅まで 2時間弱の林道歩きであったが、 本当に長く辛かった (17時23分着)

ようやく着いた甲斐大和駅からは列車で塩山駅へと戻り、塩山から車の置いてある孫子の旗まではタクシーを使って戻ったのであった。タクシーの運転手もこの時間に裂石に向かう私を 訝しく思ったようであるが、 グルッと回ってきたことを話したら半ばあきれ顔であった。

さて、この小金沢連嶺は 10年ぶりであったが、静かな山旅で大変楽しかった。
小金沢連嶺を最初に登ったのが 1991年1月4日。 それからの 1 Decade を括る山として再びこの小金沢連嶺を持ってきたのだが、 大正解であった。 この 10年間の間にほとんど変わらぬ自分の体力 ・ 気力を確認できただけでも嬉しい。


小金沢連嶺登山データ

上記登山のデータ登山日:2000.12.29 天候:快晴単独行日帰り
登山路:裂石−仙石茶屋−上日川峠−小屋平−石丸峠−狼平−小金沢山−牛奥ノ雁ヶ腹摺山−賽の河原−川胡桃沢ノ頭− −黒岳−白岩ノ丸−湯ノ沢峠−林道−甲斐大和
交通往路:瀬谷−八王子IC−(中央高速道)−勝沼IC−塩山−裂石 (車にて)
交通復路甲斐大和−(中央本線)−塩山−(タクシー)−裂石−(甲州街道)−高尾−三カ木−半原−厚木−瀬谷 (車にて)


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