江戸落語-2
   江戸料理百選タイトル   

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江戸の食生活

第1回 お花見  
 落語『貧乏花見』 
 名物『玉子焼き』 
第2回 たけのこ
落語『たけのこ』
『竹の子料理 1 * 2 』
第3回 そば
落語『そば清』
『霙蕎麦(みぞれそば)』
第4回 豆腐
落語『酢豆腐』
『豆腐料理いろいろ』
第5回 うなぎ
落語『うなぎ屋』
真夏の風物詩
第6回 秋刀魚
落語『目黒の秋刀魚』
江戸の魚ごよみ
第7回 いわし
落語『猫久』
『 酢烹(すしに)』
第8回 大根
落語『たらちね』
『大根料理いろいろ』
第9回 さつま芋
落語『芋俵』
『甘藷百珍』

* 第2 回 * たけのこ  

第 2 回 落語『たけのこ』 へ飛びます。


●これこれ可内(べくない)、今日の昼飯の采は何じゃ?▲でございます●ほ〜ぉ、とは珍味じゃが、いずかたよりか到来を致したか?▲到来は致しませんので●しからば八百屋にて買い求めたか?▲買い求めも致しませんので。●買い求めもせず、到来もせぬが、どうして家(うち)にあるな?・・・。さてどうなりますことか。

毎度お馴染みの『たけのこ』でございます。
この場で生の感動をお伝えできないのが残念です。落語が大好きの方やそれほどではない方も
まぁ、なにはともあれ、下男=可内(べくない)が仕えるお武家様と、隣りのお武家様が筍をめぐり知恵比べ。
どっちの方が一枚上手でしょうか。どうぞお付き合いください。


四季が産んだ初物買い
 四季に恵まれた日本に住む私達は、魚・鳥・野菜・果物など、季節に応じて「旬」を味わうことができ、食生活の面でも大変多くの恩恵を得ています。日本の食生活はそれぞれの四季の味を楽しむ処にある、といっても過言ではありません。
 その旬の味が、現代ではハウス栽培や・養殖・冷凍保存などのおかげで、身近に直ぐ手に入れ口にすることができます。便利な世の中になったにもかかわらず、何か物足りなさを感じます。先人が大切にしていた旬の味や知恵をその当時大変人気のあった「料理本」を基に見ていきたいと思います。

 そんな旬の出盛りを「初物を食うと75日長生きする」と江戸市民は我先にと買い求めたそうです。
初物の代表『初鰹』は、勝負に「勝つ魚」と縁起の良い魚として最も珍重されました。女房、娘を質に置いてでも食べたかったというくらい、その熱狂ぶりは大変なもの。値が高くなければ売り買いしないという江戸っ子の見栄っ張りが表れています。
 初物は珍重され、べらぼうな高値で売り買いされ、ついに幕府も初物買いに禁止令まで出すことになったのですが、一回の禁止令ではなかなか効果が出なかったようです。
天明年間(1781〜)十代将軍家治の頃には、一本が一両〜二両二分、高い物では三両もしました。当時高収入の職人(大工、左官など)の月収が約二両位、いかに高値であったかが解ります。
 ※1665年 寛文五年より数度にわたり一部食品の売出し期日、および初物の規制を試みる。
  1686年 貞享三年「野菜類初物禁止令(大陰暦)」が出された。
  1742年 寛保2年、魚鳥が加わる。
そんな高値の初物も一月もすれば、ばからしいくらいの安値になってしまいます。
実は私も「寿命が延びる」とかいいながら、初物を楽しみにしている一人ですが・・・。

タケノコのご紹介
 竹はイネ科の植物で、筍は竹林で栽培される。古くは「たかんな」「たかむな」とも呼ばれていました。
孟宗竹(モウソウチク)・破竹(ハチク)・真竹(マダケ)の若芽が食用になります。
「竹の子」は、竹の地下茎から出てくる若芽がちょうど竹の子供の様なので「竹の子」と名付けられ、
「筍」の方は、伸びが早くて地上に芽が出て1旬(10日)で竹になることから「筍」と名付けられました。
タケノコの10日間以内は「筍」で、その位で固く味が悪くなり、雨後の筍も味が悪い。それ以上日にちが過ぎたものは「竹」になるそうです。

タケノコの歴史
 孟宗竹(モウソウタケ)は最も太く背が高くなり、食用タケノコの代表です。原産地は、中国の江南地方で「江南竹」といわれ、八大将軍吉宗の時、琉球を通って薩摩の島津家へ移植された物です。その後島津家から京都の近衛家に送られたといわれます。江戸に入ったのは、寛政元年(1789)で山路次郎兵衛勝孝という侍が所用で薩摩へ行った際、江戸に持ち帰り荏原の戸越の屋敷に植えたのが初めといわれています。その後、栽培に成功し料理法を開発し、目黒不動尊門前町の茶飯屋と組んで売り出した『竹の子飯』は目黒の名物だったそうです。

 ※以上参考資料:『たべもの江戸史』永山久夫著 新人物往来社
         『古典料理の世界』吉川誠次著 日本書籍
         『江戸東京グルメ歳時記』林順信著  雄山閣出版

書物の中のタケノコ
 篠田統氏が『図説江戸時代食生活事典』(日本風俗史学会編・雄山閣出版)でタケノコについて書かれておられるのでご紹介します。
「モウソウチクが晩春から初夏にかけて掘り出されるのに対し、ハチクはモウソウタケに次いで出回り、マダケは最も晩生で、形も細長く、少し小ぶりで枝が多い。
  ほととぎす大竹藪を洩れる月夜 芭蕉
と詠まれた嵯峨の竹藪はマダケである。記録にタケノコの記事は見えるが、いずれもみなマダケやハチクである。モウソウチクは琉球や薩摩には早く入っていたらしいが、京都へは享保前後に島津家から縁家の近衛家に送られたのが最初らしい。また、『槐記』(享保十一年1726)に見える「朝鮮筍」というのもモウソウチクのようである。京都近郊のタケノコの名産地として『言継ぐ卿記』にもしばしば出てくる山科は、現在ではまったく住宅地と化してしまった。嵯峨から山崎にかけての西山丘陵は日本一の山地であるが、その歴史は比較的新しく、寛政(18世紀末)以来のものだという。
 江戸へモウソウチクが入ったのはずっと後れる。蜀山人は『奴師労之(やっこだこ)』(文化16年1818)の中で、若い頃大久保や染井にモウソウチク見物に歩いたことを記している。また講談本の『島鵆沖白浪(しまちどりおきのしらなみ)』によると、天保三年(1832)の吉原の大火の頃、モウソウチクは目黒と湯島の根生院にしかなかったという。」

 江戸時代の『筍料理』をご紹介します! ← クリック

※初物の鰹を詠んだ時世の句。
 目に青葉山ほととぎす初鰹    山口素堂
 鎌倉を生きて出でけん初がつお  松尾芭蕉


「筍」を題材の落語:『二十四孝(にじゅうしこう)』
親不孝な男が家主から『二十四孝(中国古来から伝わる孝行者の噺)』を聞かされた。
親孝行な男の噺で母親が寒中に筍が食べたいというので、雪の中を探しに行く。何とか食べさせたいが見つからない。しまいには涙が流れ、こぼれ落ちた涙から不思議なことに筍が出てくる。母親を蚊から守るため自分の体に酒を塗って寝たが、親孝行が天に届いたのか息子はまったく蚊に喰われなかったという。
この親不孝者が間違った解釈をし真似をしたところ、あくる朝、同じように喰われていなかった。得意になっているとその母親が一晩中、蚊を追い払っていたという。なんとも親不孝な噺である。


『竹の子公園』という可愛い名前の公園(東京都板橋区に在ります)を載せている
 『くまぷうホームページ』というサイトを見つけました。

 植えてある竹、及び笹 【マダケ、ナリヒラタケ、キンメイモウソウ、オカメザサ 、
 ヤダケ、クロチク、ホテイチク、シホウチク、コクマザサ 、カンチク、ラッキョウダケ、 等々】
 やぶ蚊が多いので行かれる方は、絶対長袖で完全防御をしてください。

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