江戸料理百選タイトル   

  

*** 第8回 ***

たらちね

「ざーくざくのばーりばり・・ちんちろりんのさーくさく」でお馴染み、夫婦の対照的な会話が面白く描かれた落語です。
長屋の住人、職人の八つあん(八五郎)が、言葉が丁寧すぎる嫁さんをもらいます。
新婚初日の朝ご飯のしたくをする初々しい新妻の様子。
ちょうど季節も十一月の今頃でしょうか。八百屋さんが葱をかついで通りかかります。
「ねぎやねぎ、岩槻ねぎ・・・えー、ねぎやねぎ」
長屋の朝は、天秤棒に荷をかついだ荷売りが来るので、朝ご飯の材料はその場でたちまち整います。長屋はとても重宝、八つあんのように独身者は大変便利で暮らしやすい場所です。
ただし独身者は使い走りや雑用を結構させられますが、そこも長屋の良い所でしょうか。
「困ったときはお互いさまだよ。長屋の大家は親も同然、店子は子供も同然なんだよ」
とこれは長屋の常識。
以下に『古典落語(上)』(興津要編、講談社文庫)より要約してご紹介します。

                   * * * * *

長屋の世話好きな大家さんが、店子の八つあん(八五郎)に嫁の話をもちかける。
「おまえはこの長屋で一番若いし、ひとり者も二,三人いる。ものがきちょうめんで、ひとに満足にあいさつもできないような人間だけれども、まことに竹をわったような、さっくりとした気質。そのおまえに耳よりのはなしがあるんだよ。
それ、この夏だっけな、家の前へ涼み台がおいてあったら、そこへおまえが湯の帰りに寄って腰をかけた、そのときにいた女をおぼえているかい?
もっともうす暗かったからねぇ。
その女は年は二五。器量は十人なみ以上の色白、小柄ないい女なんだよ。生まれは京都、両親はとうのむかしに亡くなってしまった。長いあいだ、一人っきりで京都の屋敷奉公。嫁にいったさきに、舅や小姑があって、いつまでもきゅうくつなおもいをするのはいやだ。気楽にさえ暮らせるなら、ああいうさっくりした親切そうなかたのところへ嫁にゆきたいとこういうんだが、どうだ、おまえ、もらう気はあるかい?
ただ、ちょっと・・・まあ、いわばきずがあるんだ。」

「そうでしょう。どうもはなしがうますぎるとおもった。・・・そんないいことづくめの女が、あっしのような者のところへくるはずがありませんもの・・・きずっていうと、横っ腹にひびがはいってて、水がもるとかなんかいうんですかい?」
「それは壊れた土瓶だ。そうじゃないよ。もとが京都のお屋敷者だろ、だから、言葉が丁寧すぎるんだ」
「いや、この間風の吹く日(し)に往来で会ってな、向うで言ったことが分からなかった」
「なんて言ったんです」
「今朝(こんちょう)は怒風(どふう)激しゅうして、小砂眼入すというんだ」
「へえー、たいしたことをいうもんですねえ。でも分からねえ」
「分からないで感心するやつがあるか。くやしいから道具屋の店先にたんすと屏風が置いてあったから、それをひっくり返して『いかにもすたん、ぶびょうでございます』っていってやったよ。・・・で、どうだね?」
「言葉が丁寧すぎる?いいじゃありませんか。乱暴なら傷だけど、そりゃ結構なことだ。まぁ、大家さんの世話だから、仕方ねぇや。いつくれるんっすか?」
お前も掃除して湯と床屋行って、ちゃんと用意して待ってろ。夕方には連れてくるから。
「思い立ったが吉日」とばかり今晩ということになりました。

「へへへ、ありがてぇ、ありがてぇ・・・あんなでこぼこ大家でも、おれに女房を世話してくれるんだから。おれなんざ、カカァなんか来ねぇと思ってたよ。金はねぇし、男前でもねぇし、稼ぎはねぇし、こういうところへくる女がいようとは思わなかったねぇ。ぞんざいなあっしとつれそってりゃ、どんな丁寧なものでも、じきにぞんざいになっちまうよ...」
早速八つあんは、まだ見ぬ嫁さんとめしを食うことまで思い浮かべ、一人にやにや。

「飯を食うのが楽しみだよ。『八寸を四寸ずつ食う仲のよさ』てなぁ。
お膳を真ん中に置いて、カカァが向こう側にいて、おれがこっち側...。おれの茶碗は、ばかにでっけえ五郎八茶碗(どんぶり茶碗)てえやつだ。そいつをふてえ木の箸で、ざっくざっくとかっこむよ。たくあんのこうこをいせいよくばありばりとかじるよ・・・・・
カカァはちがうよ。朝顔なりの薄手のちっちゃな茶碗で、銀の箸だから、ちんちろりんとくるね。きれいな白い前歯でもって、たくあんをぽりぽりとくらあ。ぽりぽりのさーくさく・・・さ。ふふふふ・・・
おれのほうは、ざーくざくのばーりばり。カカァのほうは、ぽーりぽりのさくさく、箸が茶碗にぶつかって、ちんちろりんの間(あい)の手がはいるよ。ちんちろりんのぽーりぽりのさーくさく・・・ばーりばりのざーくざく・・・ちんちろりんのぽーりぽりばーりばりのざっくざく・・・ちんちろりんのさーくさく・・・ばーりばりのざーくざく・・・」
「うるさいねぇ。この人は・・・八つあん、なにいってるんだい?」
長屋の壁は薄いから筒抜けだ。
「あっ聞えちまったかい。稽古してるんだよ、めしを食う・・・しかし、ありがてぇな」
そうこうしているうち、大家さんが嫁さんを連れて、直ぐに帰ってしまいました。
まぁ、なんとあっけないことでしょう。早くも二人っきりになりました。

「あ、いけねぇ...大家にお前さんの名前、聞くの忘れちゃったよ。
いま帰った大家は清兵衛ってぇんですよ... あっしの名前は八五郎ってんですが、あなたの名前をどうかお聞かせねがいたいんで...」
「父はもと京都の産にして、姓は安藤、名は慶三。あだ名を五光。母は千代女と申せしが、三十三歳の折、ある夜、丹頂の夢をみてはらめるが故に、たらちねの体内をいでしときは、鶴女と申せしが、成長の後これを改め「清女」と申しはべるなり。」
「へぇー。どうもおどろいたなあ。たいへんに長え名前だねえ。これへひとつ書いておくんなせえ。あっしゃあ、職人のことで難しい字が読めねえから、仮名でひとつおたのみ申します。」

やがて長い夜が明けました。
夫に寝顔を見せるのは妻の恥とばかりに早起きして朝ご飯の支度にかかります。
勝手が分からないので、例の丁寧な言葉使いで、やってきた振り売りの商人を
「そこなおのこ、そこへ直りゃ」と呼び止め、「価幾ばくなりや」などと混乱させてしまいます。
「あ〜ら、我がきみ、あ〜ら、我がきみ 」
「...また、なんか用ですかィ...ああ、眠い...その「我がきみ」ってぇのだけは、頼むからやめてくんねぇ...『我がきみの八』てあだ名がついちまうから」
「一文字草、価三十二文なり」
「ああ、銭かい? その火鉢の引き出しにあるから、だして勝手に使いねぇ。
いちいち聞かねぇでもかまわねぇんだから...すまねぇ、もうちょっと寝かしてくんねぇ... 」
すっかり朝ご飯の支度が出来上がりますと、またぴたりと三つ指ついて、
「あ〜ら、我がきみ、あ〜ら、我がきみ」
「...また始まった...これじゃ眠れやしねぇや...
なんです、なんべんもなんべんも「我がきみ、我がきみ」って、今度は何の用です? 」
「あぁ〜ら我がきみ、もはや日も東天に出現ましまさば、御衣になって、うがい・ 手洗に身をきよめ、神前仏前に御灯(みあかし)をささげられ、看経ののち御膳を召し上がってしかるべく存じたてまつる。恐惶謹言(きょうこうきんげん)。」
「お、おい、脅かしちゃいけねぇよ...飯を食うのが『恐惶謹言』なら、酒を呑むのは『依ってくだんのごとし』か 」

         ※『古典落語(上)』(興津要編、講談社文庫)より要約                               ♪♪♪♪♪

「たらちね(垂乳根)」は「母親」「親」にかかる枕詞。 言葉のていねい過ぎることから起こる滑稽噺。 江戸時代の終わり頃に、上方落語を江戸に移入したもので関西では延陽伯 (えんようはく) の名前が付けられています。
「ざーくざくのばーりばり・・ちんちろりんのさーくさく」のせりふで大いに笑った落語。
しかしこのコーナーをやるようになって新たな面を発見。
落語は学がないと聞けないぞ!!こりゃ〜たいへんだぁ。
この嫁さん「けさは風が強いので砂が目に入って歩きにくい」といえば良いものを、丁寧すぎてやたらに漢字の入った難しい言葉を使う。
サゲのところに出てくる「恐惶謹言」も普段使い慣れない言葉。手紙の最後に結ぶ言葉だが、嫁さんが京都生まれで自分の育ちの良さを言いたかったのかな。それに対して「依ってくだんの如し」と受けて応えた八つあんに、もうビックリ。八つあんは、自分も学のあるところを見せようと思った。すごく頭の回転が良い切れ者だ。この言葉を「酔ってくだんの如し」と思いたい。 「依ってくだんの如し」とは証文(契約書)などの終わりに用いられ、「以上述べたとおりである。」という意味。
お偉い人達はまさか普段からこんな話し方はしていないだろうに。この嫁さんと同じことを、私もついやっているような気がする。
あまり難しく考えないで『落語』は気軽に楽しんだ方がいい。


* 第9回『芋俵』へ♪ *

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