江戸町内の様子
夏の頃、日暮れになると、お店は仕事を止めて、板戸を少しおろし、往来一面に打ち水をまく。 家毎に涼み台を出し、家々の主人、妻や子供達みんな集まって涼み台に腰かけて夕涼みをする。
皆、浴場・夕飯・晩酌を済ませ、浴衣姿がとても涼しげ。昼間の炎熱もわすれ、四方山噺がはじまる。傍には煙草盆・団扇(うちわ)などが置かれている。真っ暗な夜になる迄の一家団らんの一時である。
川開き
五月二十八日の夜、両国橋の『花火の打ち上げ』(1613年、江戸で初めて花火があがる)を皮切りに、八月末まで納涼を求めて川遊びや船遊びがあちこちに繰り広げられる。
船には、何十人も乗れる大型の屋形(やかた)船や、四、五人位しか乗れない屋根船、二、三人だけしか乗れない猪牙(ちょき)船などがある。
富士詣で山開き
六月一日から二十日頃まで、頂上へ御来光を目指した。
天下祭
幕府によって行われた天下公認のお祭りで、江戸城中を通過することが許された。
天下祭とされた祭りは、山王祭(六月十五日)と神田明神祭(九月十五日)の二つだけ(根津権現祭は一年のみ)。 山王祭では象の出し物、山車も相当数出て豪華なものであった。
夏は祭りの季節、この他にも京都祇園祭(六月七日)など日本各地で祭りが行われた。
蚊帳
江戸では本所・浅草は蚊の名所とされ、次いで下谷辺りも多かった。陰暦の四月より、毎晩蚊帳を吊らないと眠りにつけないくらいひどかった。蚊帳がいらなくなるのは十一月になってから。夏の夕暮れ時、行水時、夕食時には、蚊遣りを焚いて防いだという。
蚊帳は雷除けとしても信じられていた。川柳に、蚊帳を吊ると子供がよく寝るといったものがある。
行水
現代の私達もシャワーで汗を流すように、行水は涼しくなる一番手っ取り早い方法であった。庭の隅などの日陰の場所に、たらいに水を張っての水浴びがよく見られるが、江戸の頃は人目は気にしなかったのか、なんとものどかな姿である。
暑中見舞い
毎年6月大暑の頃になると、御機嫌伺いの為、文や進物が送られた。この習慣はお偉い方々から長屋の連中まで身分の違いに関わることなく行われた。その進物の中身だが、銘酒・団扇(うちわ)・葛・氷砂糖・氷かけ菓子・砂糖漬け・干し菓子・果物桃瓜などが多かった。ちなみに現代の贈り物ランキングは
だそうだ。(調べ)
夏の物売り
朝顔
朝顔は中国から伝来し、入谷は名所として知られた。文化・文政頃から沢山の品種が作られ、園芸植物として流行した。幕末嘉永年間にはピークとなる。
江戸の人々は、毎朝くる朝顔売りから買い求め、二日、三日の眺めとして後はゴミのように捨てたという。また夏の朝の目覚まし代わりにも重宝がられ、品質改良された物は鉢に植えて贈り物にされた。
金魚
夏の初めより秋の初めまで市中を売り歩く。売り声は「目だかァ、金魚ゥー」
風鈴
風鈴売りの呼び声はない。一番の繁盛時はお盆の前後で、夕方の五、六時頃だったらしい。
その他、行商人から買い求めた
鈴虫・まつ虫・くつわ虫・きりぎりす等の声を、涼しさを感じるため虫かごを軒先に吊して楽しんだ。ホタルも売られていた。お盆には、皆飼っていた虫を放ったという。
夏の食べ物
水(冷水)・甘酒
夏になると水(冷水)の行商人が、冷水を売り歩く。この水は、深い井戸から汲んできた冷水に砂糖をいれたものであった。
また氷は、庶民には見ることが出来ない最高権力者だけのものであった。 甘酒は一年中売られていた。夏場の甘酒は、冷たかったのだろうか、温かかったのだろうか?暑い時に熱いお茶を飲んで汗をかくことで結構涼しさを呼ぶように、この甘酒は熱いものだったかも知れない。
ところてんや
ところてんやは、荷ない箱をかついで「ところてんやァ、かんてんやァ」と呼びながら、夏中江戸の町を売り歩いた。
白玉水売
白玉水売りは、ほおずき提灯(ちょうちん)を吊り荷をかつぎ、勢いよく向鉢巻をして「エひァら、ひァこイ、ひァら、ひァこイ」と呼び歩いた。紅白に作られた白玉、白玉が盛られた美しい瀬戸焼の鉢、山のごとく盛りあげられた砂糖、真鍮の朝顔の形の水呑みが光り輝かく。
麦湯店
夏の夜は江戸市中いたるところに見られたという。横行燈(あんどん)や短尺(たんざく)に「むぎゆ」とかなで書かれ、行燈の下には麦湯の釜・茶碗などが置かれ、浴衣の少女が湯を給仕した。
この他に桜湯・葛湯・あられ湯などがあり、菓子などは置いてなかったが結構、繁盛していたようだ。
※参考文献:『大江戸えねるぎー事情』(石川英輔著)講談社
『絵本江戸風俗往来』(菊池貴一郎著 鈴木棠三編)平凡社
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