7 広がる被害

 灯台の下には20名ほどの島民が集まっていた。車が1台だけのぼってこられた。あとは皆徒歩でここまで逃げてきたようだ。Mさんの家の人は全員無事だった。良かった。

 車のラジオは、今回の地震が日本海側を震源とする地震であること、津波が起きていること、地震が奥尻島に大きな被害をもたらしたことを伝えている。そんなことは分かっている。

 しばらくして、奥尻港付近で大規模な崖崩れが起きていることが報じられた。避難をしている人の中で中年の主婦がおろおろし始めた。この人の妹が洋々荘というホテルに勤務していたのだそうだ。港の付近にあるホテルなので港付近の崖崩れは心配だ。

 続いて、青苗付近では火事が起きていることが報じられた。青苗では今日の昼に寿司を食べたばかりだ。あの寿司屋は大丈夫だったろうか。

 ラジオが流れるのと同時刻、避難先の高台では、大騒ぎになっていた。せっかく津波の第1波を逃れたというのに、自分の船を見に行ったばっかりに第2波の津波にさらわれた稲穂地区の漁師が何人かいることが分かったからだ。せっかく自分が無事でも、親戚・近所が行方不明になってしまっては、出るのはため息だけになる。


 ところで、僕らが泊まっていた民宿にはもう1人、川崎に住む男性がいた。Mさんは、民宿の代表として客が行方不明になっていることに居ても立ってもいられないようだ。しかし、津波が繰り返し海岸に寄せている現状では、どうすることも出来ない。津波は第2波も収まり、今は第3か第4波がガラガラと瓦礫をかき回している。

 何も出来ぬまま、ただ海を見つめていると、僕が立っていた高台付近に人影が見えた。声もする。例の男性のようだ。みんなが大声で呼び、男性に方角を知らせる。どうにかこうにか、男性もみんなの避難するところまで辿り着いた。全身濡れているが、彼もまた無傷だった。誰かが彼に毛布を掛けた。男性は毛布にくるまったきりピクリともしなくなった。はじめはショック死したのかと思ったが、そうではない。寝ているのでもなさそうだが、意識があるようでもない。これが腰を抜かすと言うヤツだったらしい。男性は朝まで毛布にくるまったまま道に転がっていた。

 男性は、地震に気づかずにぐっすり寝ていた。そこに窓を割って津波が押し寄せてきた。何がなんだか分からぬままに、部屋の中で畳と泳いでもみくちゃにされた。引く波で窓から外に吸い出されそうになったが、畳が窓に引っかかったので、それに掴まったために、海に引きずり込まれずに済んだ。


 海には夜のイカ漁のためたくさんの船が出ていた。陸に残した家族が心配なのだろう。船は陸から見ても分かるほどに海を右往左往している。暗闇を20ばかりの明かりが蠢く。

 津波は海岸にひどい爪痕を残すが、沖合の船には影響がないらしい。しかし、流木が岸には漂っているのだろう。船は港に帰りたくとも帰れない。ラジオは、難を逃れた漁船が海に漂う被災者を助けていると報じた。

 余震が続く。時折ガラガラと崖が崩れる。奥尻には硫黄鉱山あとがある。ということは、火山島なのだろうか。父は、島の最高峰、奥尻岳が噴火するのでは、としきりに心配していた。津波はともかく噴火されたらひとたまりもない。しかし、結局噴火はしなかった。


 津波から1時間もしたころ、稲穂地区の若者数名が決死隊を編成し、屋根づたいに家に入り、必要な物資を取り出してきた。

「電池を持ってこい!」

「パンティーを持ってこい!」

 パンティー?何じゃこりゃと思ったら、奥尻では男女を問わず下着のことをパンティーと言うらしい。笑ってはいけない。ちなみに電池とは懐中電灯を指すようだ。

 決死隊はケガをしたり、避難先が分からなくて家にこもっている人たちも助け出して、連れてきた。皆、ずぶ濡れだ。

 泣きじゃくる老婆は、家の中に入ってきた津波で家の中で泳いだのだそうだ。その際、あまりの波の激しさでせっかく掴んだ孫の手を離してしまった。家から水が引いたときには孫の姿はなかった。自分が孫を殺したと泣いていた。

 またある人は、やはり家の中に水が入ってきたそうだが、1階の天井まで水が上がってしまい息が出来なくなった。渾身の力で天井をたたき破って天井裏の空気を吸って何とか生き延びたそうだ。

 その人の奥さんは家から津波に吸い出された。しかし、たまたま家の近くにある草にしがみついて、引く波に持っていかれずに済んだ。


 12時を過ぎるころ、ラジオの続報が入った。奥尻港の崖崩れにより、洋々荘が完全に生き埋めになったらしい。先ほどの主婦はさらに泣き叫ぶ。青苗の火事はますますひどくなり、我々がいる島の北端から島の南端の青苗を見やると空がうっすら赤く染まっている。ラジオは、地震のあと15分ほどで、島を津波が襲ったと報じた。間違いだ。地震から津波までは5分もない。

 気がつくと、僕の財布がない。どうやら、車から逃げるときに車に置いてきたようだ。その点、父はぬかりない。サンダルは流されてもしっかり財布は握っていた。僕が逃げるときに担いできたリュックサックには釣り道具しか入っていない。まったく役に立たない。火事のときに動転してやかんや枕を持って逃げる人のたぐい。そのままでは悔しいから、役に立ったといわんばかりにリュックサックの中の雨合羽を着てやった。おかげで蚊には刺されなかった。

 余震は続く。くたびれたが眠ることは出来ない。もう津波もおさまった。たぶん海岸におりても平気だが、降りる気はしない。そのまま朝になるまで長い夜が続いた。

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