5 父がいない

 我に返ると父がいない。そりゃそうだ。父は車で逃げたのだ。父は無事だろうか。しかし、高台から民宿のあったところを見下ろすと、何も見えないが、ものすごい轟音とともに、ガラスの割れる音や何かが引き倒される音がしている。おそらく津波は民宿や母屋を洗い、裏山の崖のどこかまで押し寄せたのだろうと思った。

 とりあえず第1波は過ぎ去ったようだ。しかし津波は第2波の方が大きいことも多いと叔父は言っていた。今、崖の下におりて父を捜すことは危険だ。それよりも、第2波がとんでもない大波なら、この高台とて安全ではない。どうする?

 これ以上逃げてしまうと、仮に無事に父が助かっても、はぐれてしまう。何より、父を置き去りにしてしまったため、バツが悪い。覚悟を決めて、今いる高台に残ることにした。

 そんなことを言っても、高台で待っていようがさらに逃げようが、置き去りにされた父からすれば大差ない。故事の「五十歩百歩」そのままだ。それでも、何もしないよりましなので、父を大声で呼び続ける。

「おーとーおーさーあーんー!」

「こーこーだーよー!」

 闇に向かって叫び続ける。声も枯れよとばかりに叫び続けた。


 右上の高台、ここから200mぐらい離れた灯台に続く道には無事に逃げられた島の人々が集まりだしているのが分かる。しかし、逃げ遅れて家に取り残された人の悲鳴も眼下の稲穂地区から聞こえる。

 逃げてから5分ぐらいしただろうか、気がつくと海からはゴロゴロという異音は聞こえなくなった。

 遠くの海岸から人の声が聞こえる。訛りが強いので父ではない。何人かの漁師が、自分の船の無事を確認しに海岸におりていったように聞こえる。

 父の姿は相変わらず見えない。申し訳ないことをした。そう思う反面、2人で津波に飲まれてしまえば申し訳が立ったのかといえば、そうとも思えない。仮に父が死んでしまったとして、この死に様は、長い闘病生活の果てに死ぬのとどちらが辛いのだろう?父を連れだしてこんなことになってしまい、母には申し訳ないことをした。闇夜を見つめながら、いろいろなことを考えた。

「生きるときも死ぬときも一緒だよー」

 いまさらそんな調子のいいことを闇夜に向かって発してみる。心の中で「嘘つけー」と叫んだ。

 津波の第2波が来たようだ。しばらく静まりかえった海から、再びガランガランという破壊音が聞こえる。目の前で何が起きているかは音で推測するしかない。音から考えて、第1波と同じぐらいの規模で波が襲来している。ただし、今度は波の音より破壊音が多い。第1波が作った瓦礫を第2波が掻き混ぜているのだろう。こんな中に放り出されたら、漂う柱や板きれにぶつかって、とても無事ではいられない。

 続けざまに比較的大きな余震も発生した。もう父の命はなかろうと、観念した。そのとき!遙か眼下に人影が見えた。白い浴衣。幽霊ではない。父だった。

「畜生め、濡れちまったい。」

 奇跡の生還を遂げた父の第1声としては、あまり感動的ではなかった。履いていたサンダルは流された。濡れた浴衣に眼鏡。右手にはしっかりと財布。すごい格好だ。父はガラスなどが散乱しているであろう、瓦礫の中をハダシで歩いてきた。にもかかわらず、無傷だった。死に神も見放す強運だ。

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