6 父の生還

 父はどのようにして九死に一生を得たのであろうか。父の話をまとめると次のようだった。

 僕が父を置いて走って逃げたあと、父は来るまで20mほどは逃げたようだ。しかし、津波に追いつかれ、船のように車は波に浮いた。そして、津波に運ばれた車は、50m先にある母屋の駐車場のシャッターに突き刺さって止まった。

 相変わらず車は浮いている。車の窓ぐらいまで海水がある。水圧のせいで、どんなに押してもドアはびくともしない。そのうち水が引きはじめた。引く波で、シャッターに突き刺さった車が、海に持っていかれそうになる。あわてた父は、数回、運転席からドアに体当たりした。ようやくドアは開いた。すると車内に水がなだれ込んできて、車が傾き沈みだした。急いで車から脱出した父は、1mほどもある海水の中を進み車から離れた。引く波の力で足下はおぼつかない。偶然、近くにあった柱に掴まった。

 本格的に波が引き始めると、それはすごいパワーだった。引く波は寄せる波とは比べものにならないパワーで、全てのものを海中に引きずり込む。父は柱に必死に掴まった。その様はまるで鯉のぼりのようだったという。翌朝、柱に掴まった父の腕には柱の形にくっきりとあざができていた。このことからも引く波の力が分かる。そんな中でも父は財布を手放さなかった。いい根性だ。そして、津波の第1波が引いて、水が膝下までひいたところで、父は高台にのぼった。そこで僕と再会できたというわけだ。


 

 ここに辿り着くまでには、奇跡に近い幸運がいくつかあった。

1 逃げるのが早かった。

  地震学者の叔父から、いろいろな話を聞かされていたため、もともと地震には敏感だった。
   そのため、的確な判断と迅速な行動が出来た。

2 車が母屋の駐車場のシャッターに突き刺さった。

  結果的にMさんの母家は稲穂地区で唯一壊れなかった建物だ。そこに車がぶつかり、シャッタ
   ーに突き刺さることで固定された。それで車から降りられた。もし、どこにも固定されなかっ
   たらひっくり返ったりしているうちに車ごと海中に引きずり込まれておしまいだった。実際に
  そうして命を落とした人もいた。

3 父が脱出した近くに柱があった。

  奥尻の漁村では、冬に吹き荒れる季節風をよけるために、家の周囲に風よけを張り巡らせる。
  父がしがみついていた柱は、その風よけをくくりつけるためのもの。強い風にも耐えるように
  されたこの柱は、父がしがみついたぐらいで倒れることもない頑丈なものだった。

4 車には父しかいなかった。

  僕が逃げたからと言えばそれまでだが、父は1人で車に乗っていた。水圧の関係でドアは開か
   ず、開けたら急速に車は沈む。両方のドアを開けて逃げ出すことも不可能なら、万一逃げられ
  ても、2人が柱に掴まることが出来たかはきわめて疑問。2人では車で逃げられなかったのだ。

 つまり、僕がとっさに1人で逃げたことから始まって、車が刺さった位置、柱の存在、全部まとめてこれらのの条件が1つでも欠ければ、僕らは無事ではなかった。

 米軍のテストパイロットにはライトスタッフ(正しい資質)というものが要求されるのだそうだ。で、そのライトスタッフとは何かというと、事故のときにとっさの判断で強運を引き込める力なのだそうだ。僕らにはライトスタッフがあったと思った。


 とにかく奇跡的な再会を果たした僕らは、手をつないで、高台をさらにのぼり、島民のいる灯台へ続く道へと向かう。荒れ地といっても7月なので自分の背丈よりも高い雑草が生い茂る。とにかくよじ登る。すると余震。右の山からがらがらという音。崖崩れらしい。ここまで無傷できて岩の下敷きでは洒落にならない。再び山を下りて遠回りした。昼間にまっすぐ歩くのの倍は歩いたろう。やっとの事で稲穂地区のみんなのいるところにたどり着いた。

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