大伴黒主 おおとものくろぬし 生没年未詳

伝不詳。姓は大友とも。『本朝皇胤紹運録』によれば大友皇子の裔で、大友姓を賜った与多王の孫。都堵牟麿の子。
歌からは近江国や同国志賀と縁が深かったことが窺われる。鴨長明『無名抄』によれば、黒主は神になり、近江国志賀郡に明神として祀られたという。一説に貞観八年(866)の太政官牒に見える大友村主(すぐり)黒主と同一人とする。これによれば、黒主はこの頃近江国擬大領で、円珍を園城寺(三井寺)別当とすることを要請した。大友村主は近江国滋賀郡大友郷に本拠を持つ氏族。
古今集初出、勅撰入集十一首。六歌仙。『新時代不同歌合』歌仙。

題しらず

春雨のふるは涙か桜花ちるを惜しまぬ人しなければ(古今88)

【通釈】春雨が降るのは、人々の思いが悲しみの涙となったのだろうか。桜の花の散るのを惜しまない人などいないのだから。

【他出】古今和歌六帖、俊頼髄脳、新時代不同歌合

【主な派生歌】
こよひ寝てあふみへゆくと見し夢のかなしと袖にふるは涙か(*源信明)
あかなくにかへる雲井に春雨のふるは涙か雁ぞなくなる(俊成卿女)
曇る夜の月を惜しまぬ人はなしふるは涙か秋のむら雨(木下長嘯子)

人をしのびに相知りて、逢ひがたくありければ、その家のあたりをまかりありきける折に、雁のなくをききてよみてつかはしける

思ひ出でて恋しき時は初雁のなきてわたると人知るらめや(古今735)

【通釈】あなたのことを思い出して恋しい時は、初雁が鳴いて渡るように、私は泣きながらあなたの家の辺りを行ったり来たりしているのだが、そうとあなたは知ってくれるだろうか。知ってはくれまい。

【補記】古今集仮名序は結句を「ひとはしらずや」とし、後世の『定家八代抄』『新時代不同歌合』なども同じくする。

【他出】古今和歌六帖、定家八代抄、新時代不同歌合、詠歌一体、三五記、悦目抄

【主な派生歌】
おもひいでてなきこそわたれ秋風にちぎりし空の初雁の声(俊成卿女)

題しらず

鏡山いざたちよりて見てゆかむ年へぬる身は老いやしぬると(古今899)

この歌は、ある人の曰く、大伴黒主が也。

【通釈】さあ鏡山に立ち寄って、その名のごとく鏡に映して見て行こう。年を重ねた我が身は老いただろうかと。

【語釈】◇鏡山 近江国の歌枕。その名の通り「鏡」に掛けて詠む。三上山北東の小山。古来信仰の山。

【他出】俊頼髄脳、五代集歌枕、人麻呂勘文、東関紀行、古今著聞集、新時代不同歌合、詠歌一体、歌枕名寄、平家物語(延慶本)、三五記、源平盛衰記、井蛙抄、了俊一子伝

 

近江のや鏡の山をたてたればかねてぞ見ゆる君がちとせは(古今1086)

これは、今上の御べの近江の歌。

【通釈】近江の鏡山――その名に因む鏡を立ててあるので、今から見とおせるよ、大君の千年にも及ぶ長寿は。

【語釈】◇鏡の山をたてたれば 鏡山に因む鏡を立ててあるので。◇かねてぞ見ゆる 予見できる。

【補記】左注の今上(きんじょう)は醍醐天皇。寛平九年(897)、同天皇の大嘗祭において「神あそびの歌」として歌舞に用いられた歌らしい。

【他出】人麻呂勘文、歌枕名寄、大嘗会悠紀主基和歌

【主な派生歌】
雪ふればかねてぞ見ゆる鏡山ちりかふ花の春のおもかげ(*二条為子[新続古今])

題しらず

白浪のよする磯まをこぐ舟の楫とりあへぬ恋もするかな(後撰670)

【通釈】白波の寄せる磯から磯へと漕ぐ船が楫をうまく操れないように、自分を抑えることのできない恋をすることだよ。

【語釈】◇かぢとりあへぬ恋 楫をうまく操れないように、制御できない恋。

【補記】万葉巻十七「白浪の寄する磯廻を榜ぐ船の楫とる間なく思ほえし君」(大伴家持)の誤伝か。

【主な派生歌】
おほしまやをちの塩あひを行く舟のかぢとりあへぬ恋もするかな(恵慶)

題しらず

玉津島ふかき入江をこぐ舟のうきたる恋も我はするかな(後撰768)

【通釈】玉津島の深い入江を漕いで行く船のように、底知れぬ、不安な思いのする恋をまあ私はすることだよ。

【語釈】◇玉津島 和歌山市の和歌の浦にある島(現在は妹背山と呼ばれている)。◇うきたる ここでは水の上に漂う不安定さを言う。

【補記】古今和歌六帖に作者不明記で載る。また古今集には壬生忠岑のよく似た歌「たきつ瀬にねざしとどめぬうき草のうきたる恋も我はするかな」がある。

【主な派生歌】
滝つ瀬にねざしとどめぬ浮草のうきたる恋も我はするかな(壬生忠岑)

志賀の辛崎にて、祓へしける人の下仕へに、みるといふ侍りけり。大伴黒主そこにまで来て、かのみるに心をつけて言ひたはぶれけり。祓へ果てて、車より黒主に物かづけける。その裳の腰に書きつけて、みるに贈り侍りける

何せむにへたのみるめを思ひけむ沖つ玉藻をかづく身にして(後撰1099)

【通釈】どうして波打ち際の海松(みる)に思いを寄せたりしたのだろう。潜って沖の藻を採る賤しい海人の身でありながら。

【語釈】◇志賀の辛崎(からさき) 滋賀県大津市唐崎。琵琶湖の西岸。禊ぎの場所。歌枕紀行近江国参照。◇みる 「祓へしける人」に仕えていた女の名。歌では海藻の一種である海松(みる)を掛けている。◇車より黒主に物かづけける 「祓へしける人」が車から黒主に褒美を取らせた。◇裳の腰 「裳(も)」は女が腰から下にまとった衣服。その帯をしめる部分、または結んだ紐を言うか。◇へたのみるめ 波打ち際の海松。女の名を掛ける。◇沖つ玉藻をかづく身 玉藻は海藻の美称。沖の深海に潜る海人を引き合いにして、己の身分の低さを言っている。

【他出】古今和歌六帖、袖中抄

つぐみ (二首)

我が心あやしくあだに春くれば花につく身となどてなりけむ(拾遺404)

【通釈】私の心は、どうしてまあこれほど浅ましく、春になると、花に執着する身となってしまったのだろうか。

 

咲く花に思ひつくみのあぢきなさ身にいたつきの入るも知らずて(拾遺405)

【通釈】咲いた花に執着する身の無益さよ。体に病が入り込むのも知らないで。

【語釈】◇思ひつくみの 執着する我が身の。◇あぢきなさ 不如意さ。無益さ。鳥の名「あぢ」を隠す。◇いたつき 病。花を思い煩うことを病気と言った。「たづ(鶴)」を隠す。

【補記】以上二首は鳥の名「つぐみ」を詠み込んだ物名歌。

【他出】古今集仮名序、奥義抄、袖中抄、和歌色葉、八雲御抄、色葉和難集、竹園抄、代集、三五記、和歌無底抄、和歌灌頂次第秘密抄(二位家隆口伝抄)

【主な派生歌】
桜花おもひつく身のはてはまたなほあぢきなき春の山風(宗尊親王)
あだなるは花もうらめし契りあれや思ひつくみの思ひはなれぬ(三条西公条)
花にのみ厭ひなれこし風の名を身にいたづきの春は来にけり(藤原惺窩)


更新日:平成15年01月07日
最終更新日:平成21年03月29日