大弐三位 だいにのさんみ 生没年未詳(999頃-1082頃) 別称:越後弁・越後弁乳母・藤三位

藤原宣孝の娘。母は紫式部。名は賢子(かたこ?)
長保元年(999)頃の出生と推定される。若くして上東門院彰子に仕える。藤原頼宗定頼ら摂関家の貴公子に愛され、また源朝任とも交際があったが、藤原兼隆の妻となり、親仁親王(のちの後冷泉天皇)の乳母を勤める。その後、正三位大宰大弐高階成章と再婚。長暦二年(1038)、為家を生む。寛徳二年(1045)、後冷泉天皇即位とともに、従三位典侍となる。
長元五年(1032)の「上東門院菊合」、永承四年(1049)の内裏歌合、同五年の「祐子内親王家歌合」などに出詠。承暦二年(1078)には、「内裏後番歌合」で息子為家の代詠を務めている。家集『大弐三位集』がある。後拾遺集初出。勅撰入集は三十七首。『小倉百人一首』『女房三十六人歌合』に歌が採られている。

「大弐三位集(藤三位集)」 群書類従274(第15輯)・桂宮本叢書9・岩波文庫(紫式部集)・私家集大成2・新編国歌大観3・和歌文学大系20

  3首  1首  2首  3首  2首 計11首

高陽院の梅の花を折りてつかはして侍りければ

いとどしく春の心の空なるにまた花の香を身にぞしめつる(新勅撰44)

【通釈】ただでさえ春は心がうわの空になりますのに、その上また贈って下さった梅の花の香を身に染み付けて、いっそう浮き浮きした気持ちになりました。

【語釈】◇高陽院(かやうゐん) 当時は藤原頼通の邸。二条城の東北にあたる。◇身にぞしめつる 「しめ」は「占め」(我が物とする)、「染め」(染み付ける)の掛詞。

【補記】頼通から梅の花を贈って来たのに対する返礼の歌。「心の空なるに」に相手の浮気心を暗示して皮肉を効かせている。頼通の返歌は「そらならばたづね来なまし梅の花まだ身にしまぬ匂ひとぞ見る」。

梅の花にそへて、大弐三位に遣はしける    権中納言定頼

こぬ人によそへて見つる梅の花ちりなむ後のなぐさめぞなき

【通釈】花の香に、いつまで待っても来てくれない人を偲びながら、我が家の梅を眺めていました。花が散ってしまったら、後はもう何も慰めがありません。

返し

春ごとに心をしむる花の()()がなほざりの袖かふれつる(新古49)

【通釈】春が来るたび、あなたの家の梅の花を心待ちにしていました。その枝に、誰が袖を触れてしまったのでしょう。私みたいに深い思い込みもなく、いい加減な気持で…。

【語釈】◇心をしむる 私の心を占める。◇花の枝 定頼の家の梅の花の枝。◇誰がなほざりの袖か… どこの誰がいい加減な気持で袖を触れて、花の香をうつしたのか。「私はまだ触れていないのに…」と男を非難してみせたのである。

永承五年六月五日祐子内親王の家に歌合し侍るによめる

吹く風ぞ思へばつらき桜花心とちれる春しなければ(後拾遺143)

【通釈】吹きつける風ってば、思えば無情なものよ。桜の花は春ごとに散るけれど、いつも自分の意思で散っているのではないのだから。

【補記】永承五年(1050)六月五日、関白左大臣藤原頼通の賀陽院において、祐子内親王(後朱雀天皇の皇女)が主催した歌合、一番「桜」左勝。

ほととぎすをよめる

待たぬ夜も待つ夜も聞きつほととぎす花橘のにほふあたりは(後拾遺202)

【通釈】待たない夜も、待つ夜も、おまえの声を聞いたよ、ほととぎす。橘の花の匂うあたりでは。

【補記】治暦二年(1066)頃、高陽院内裏で行なわれた皇后宮寛子主催の歌合に出詠された歌。ほととぎすは橘の花を好むとされたので、その花の匂うあたりでは、待とうが待つまいが、毎晩その声が聞えた、ということ。

題しらず

はるかなるもろこしまでもゆくものは秋の寝覚の心なりけり(千載302)

【通釈】遥かな異土、唐の国までもゆくものは、秋の夜、目が醒めて眠りに戻れない時の心であったよ。

【本歌】兼藝法師「古今集」
もろこしも夢に見しかばちかかりき思はぬ中ぞはるけかりける

【補記】秋の寝覚の悲哀の深さ、眠りに戻れない独り寝の淋しい心持ちの果てしなさを、唐土までの遥かな距離になぞらえてみせた。本歌により恋の風趣も薫る。千載集巻五秋歌下巻頭。

【他出】大弐三位集、続詞花集、詠歌大概、定家八代抄、新時代不同歌合、女房三十六人歌合、六華集

【主な派生歌】
天の原へだてぬ月をしるべにてもろこしまでも行く心かな(寂然)
うたた寝にもろこしまでも見つるかな夢はうつつに猶まさりけり(源季広[続後拾遺])
今日といへば唐土までもゆく春を都にのみと思ひけるかな(*藤原俊成[新古今])
心のみもろこしまでもうかれつつ夢路に遠き月の比かな(藤原定家[続古今])
月清みねられぬ夜しももろこしの雲の夢までみる心ちする(藤原定家)
大かたの秋の寝覚のながき夜も君をぞ祈る身を思ふとて(藤原家隆[新古今])
夢ならでまたもろこしのまぢかきは月みる夜半の心なりけり(*二条為子)
限りなく悲しきものは燈火の消えての後の寝覚なりけり(香川景樹)

中納言定頼かれがれになり侍りにけるに、菊の花にさしてつかはしける

つらからむ方こそあらめ君ならで誰にか見せむ白菊の花(後拾遺348)

【通釈】あなたの私に対する態度には薄情な面がありますが、それでもあなた以外の誰に見せましょうか、この白菊の花を。

【補記】通いが途絶えがちになっていた藤原定頼に、菊の花に挿して贈った歌。「うゑし時花まちどほにありし菊うつろふ秋にあはむとや見し」(大江千里『古今集』)のように、白菊はしおれてのち赤つぽく変化する様も愛でられた。「かれがれ」(「かれ」は「離れ」「枯れ」の掛詞)の後、二人の仲が復活する願いを白菊の花に籠めたのであろう。

【本歌】紀友則「古今集」
君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る

かれがれになる男の、「おぼつかなく」など言ひたりけるによめる

有馬山ゐなの笹原風ふけばいでそよ人を忘れやはする(後拾遺709)

【通釈】(詞書)途絶えがちになった男が、「お気持ちが分からず不安で」などと(手紙で)言っていたので詠んだ歌。
(歌)有馬山、その麓に広がる猪名野の笹原――山から風が吹き下ろせば、そよがずにはいません。さあ、そのことですよ。音信があれば、心は靡くもの。あなたのことを忘れたりするものですか。

猪名の笹原(摂津名所図会)
猪名の笹原(摂津名所図会より)

【語釈】◇おぼつかなく 恋人の変心を疑うときの決まり文句。◇有馬山 摂津国の歌枕。今の神戸市北区有馬町。古くは有間山とも書く。◇ゐなの笹原 猪名の笹原、または猪名野笹原。猪名野は今の伊丹市から尼崎市あたりの平野。万葉集の「しなが鳥猪名野を来れば有間山夕霧立ちぬ宿りはなくて」以来、有馬山とセットで旅の歌によく出て来る。荒涼とした原野のイメージで詠まれることが多い。◇風ふけば ここまでが「そよ」を言い起こすための序詞。風には男からの音信を暗示している。◇いでそよ さあ、そうですよ。「そよ」は風が篠原を靡かせる擬声語を兼ねている。◇人を忘れやはする あなたを忘れたりするものですか。「人」は婉曲に相手の男を指す。「わする」は恋歌の用語としては「恋人を捨てる」「気にかけなくなる」意に用いることが多い。

【他出】定家八代抄、百人一首、新時代不同歌合、女房三十六人歌合

【参考歌】作者未詳(摂津作)「万葉集」巻七
しなが鳥猪名野を来れば有間山夕霧立ちぬ宿りはなくて
  曾禰好忠「好忠集」
すはゑする小笹が原のそよまさに人忘るべきわが心かは

【主な派生歌】
もろともにゐなの笹原みち絶えてただ吹く風の音に聞けとや(藤原定家)
行き暮らす猪名の笹原そよさらに霰ふりきぬ宿はなくして(藤原為家)
風わたる猪名の笹原そよさらにうきふししげく露ぞ乱るる(九条教実)
うらみばや猪名の笹原とにかくにいでそよつらきふしのしげさを(宗尊親王)
鹿のこゑ虫の音もまだ有馬山ゐなの笹原そよや初雪(木下長嘯子)
荻の葉に秋風たちし夕べよりいでそよさらに誰か恋しき(〃)
暮るる日の猪名のささ原風たちぬいでそよ夏を忘るばかりに(中院通勝)
風吹けばいでそよ今もささがにの袖にかかりし暮ぞ忘れぬ(下河辺長流)
春風はそよとばかりの音もなし霞みわたれる猪名の笹原(契沖)

かたらひける人の久しくおとづれざりければ、つかはしける

うたがひし命ばかりはありながら契りし中のたえぬべきかな(千載910)

【通釈】このうえ生き長らえるかと疑った命は未だ残っているのに、約束し合った仲は絶えてしまいそうですよ。

【補記】親密な仲であった男が久しく音信を絶えたので贈った歌。

堀川右大臣のもとにつかはしける

恋しさの憂きにまぎるる物ならばまたふたたびと君を見ましや(後拾遺792)

【通釈】恋しさが、煩しい些事に気が散って紛れるものなら、もう二度とあなたにお逢いしましょうか。紛れなどしないから、またお逢いしたいのです。

【補記】堀川右大臣は藤原頼宗。日常生活がいくら煩わしくても、だからと言って恋しさを忘れることなどない。だからあなたとは何度でも逢いたいのです、という気持。

秋の頃、をさなき子におくれたる人に

わかれけむなごりの露もかわかぬに置きやそふらむ秋の夕露(新古780)

【通釈】別れを悲しむ名残の涙もかわかないのに、あなたの袖にはさらに秋の夕露が置き添っているでしょうか。

【補記】幼い子に先立たれた人に贈った哀傷歌。

上東門院、世をそむき給ひにける春、庭の紅梅を見侍りて

梅の花なににほふらむ見る人の色をも香をも忘れぬる世に(新古1446)

【通釈】梅の花よ、なぜそんなに美しく咲き匂っているのか。おまえを見て賞美すべき人が、すでに出家して、色も香も忘れてしまった世であるというのに。

【補記】万寿三年(1026)春、上東門院藤原彰子が出家した時の歌。「見る人」とは、本来その梅を賞美すべき上東門院を指す。

【本歌】紀友則「古今集」
君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る


更新日:平成17年04月10日
最終更新日:令和04年06月16日