本名=橋本健吉(はしもと・けんきち)
明治35年10月29日—昭和53年6月6日
享年75歳(克行院健翁蘭堂居士)
東京都渋谷区広尾5丁目1–21 祥雲寺(臨済宗)
詩人。三重県生。中央大学卒。大正末期から昭和初期にかけて『詩と詩論』ほかの前衛詩誌で活躍、いわゆるモダニズム詩人、前衛詩人の代表格とされる。代表的な詩集に『白のアルバム』『黒い火』などがある。ほかに『円錐詩集』『ガラスの口髭』などがある。

白い四角
のなか
の白い四角
のなか
の黒い四角
のなか
の黒い四角
のなか
の黄色い四角
のなかの
黄色い四角
のなか
の白い四角
のなか
の白い四角
白
の中の白
の中の黒
の中の黒
の中の黄
の中の黄
の中の白
の中の白
青
の三角
の髭
のガラス
白
の三角
の馬
のパラソル
黒
の三角
の煙
の
ビルディング
黄
の三角
の星
の
ハンカチイフ
白い四角
のなか
の白い四角
のなか
の白い四角
のなか
の白い四角
のなか
の白い四角
(単調な空間)
昭和53年『VOU』160号編集後記には北園の病の回復を願う思いが書き記されていたが、急遽、〈今号の発行を待たずに1978年6月6日午前6時55分肺癌のため逝去されました。慎んでご冥福を祈ります。1978年6月8日〉との小片が挟み込まれた。
モダニズム詩人北園克衛の〈言葉を色や線や点のシンボルとして使用する〉ことを主題とし、〈意味によって詩を作らない〉で〈詩によって意味を形成〉したこの実験は従来の詩の概念を破壊してしまったが、昭和10年に創刊した主宰誌『VOU』はその活動を美術や音楽、映像にまでひろげた。中でも写真を詩に位置づけた「プラスティック・ポエム」は北園の詩理論の解明に重要な役割を果たすものであった。
都心の憂鬱が充満したかのような秋雨の夕景、大樹の翳りに静謐さを漂わせた寺域。黒田長政や有馬頼義の墓がある塋域に鎮まる墓群が広がる。
故人の痕跡、風景を想像しながら、ひとつひとつなぞって歩く。小1時間ほどの歩みの先に雨滴の滲んだ黒御影の碑。〈新しいカンバスの上にブラッシで絵を描くように、原稿紙の上に単純で鮮明なイメジをもった文字を選んで、たとえばパウル・クレエの絵のような簡潔さをもった詩〉を書いた詩人の墓。「橋本家 詩人北園克衛ここに眠る」。北園克衛の詩選集「グラス・ベレー」を編訳、出版したジョン・ソルトの名を添えた卒塔婆がみえた。
——突然、百舌鳥の鳴き声が気をざわめかせて、冷たい雨に闇が迫ってきた。
|