木下順二 きのした・じゅんじ(1914—2006)                     


 

本名=木下順二(きのした・じゅんじ)
大正3年8月2日―平成18年10月30日
享年92歳 
散骨?不明



劇作家・評論家。東京府生。東京帝国大学卒。第二次大戦後『彦一ばなし』『三年寝太郎』などの民話劇、『風浪』などの史劇で認められた。また山本安英とともに劇団「ぶどうの会」を指導、民話劇「夕鶴」は代表作として知られる。ほかに『子午線の祀り』『ぜんぶ馬のはなし』などがある。



 イメージです。



つう   ああ、あの子供たちとももうさよならだわ……何度あの唄を一しょにうたって遊んだ
      ことだったろう……与ひょう、あたしを忘れないでね。あたしもあんたを忘れない。
     ほんの短い間だったけれど、あんたの本当に清い愛に包まれて、毎日子供たちと
     唄をうたって遊んだ日のことを、あたしは決して決して忘れないわ。どんなところへ
     行っても…… いつまでも……
与ひょう  つう  どこさ行くだ
つう    ね、ほんとにあたしを忘れないでね。その布、一枚だけは、いつまでも大事に持
      つ ていてね。
与ひょう  お、おい、つう
つう    さよなら……さよなら……
与ひょう  つう、おい、待て、待てちゅうに、おらも行くだ。おい、つう、つう ……
つう    だめよ、だめよ、あたしはもう人間の姿をしていることができないの。またもとの 空
      へ、たった一人で帰って行かなきやならないのよ。……さよなら 元気でね……
      さようなら……さようなら……本当にさようなら……

与ひょう  つう。つう。つう。どこさ行っただ? おいつう……   おい……  おい……  つうよう
      …… つうよう……

(夕鶴)

 


 

 国からの賞や勲章はすべて固辞、芸術院会員に推挙された時も〈一介の物書きでいたい〉と辞退した硬骨の演劇人であった木下順二。旧制五高(現・熊本大学)時代には馬術部の主将を務め、エッセイ集『ぜんぶ馬のはなし』を刊行するなど馬の研究家でもあった。晩年は耳鳴りに悩まされて外出もままならなかったという。平成18年10月30日午後9時53分に肺炎で死去したが、その一ヶ月後の11月30日、養女とみ子さんからご自宅玄関に張り紙で死亡のお知らせがあった。年を越した2月、「私の死後は、葬式をはじめお別れの会とか送る会など、一切の儀式も集まりも行わず、墓も作らず、私の母の遺灰と共に遺灰を海に流すこと。」と、遺言の一部が引用された手紙が親しい人々に送られてきた。



 

 昭和28年以来住まわれていた文京区向ヶ丘の黒板塀に囲まれたご自宅前を散歩の途中で時々通ることがあったのだが、写真でお見かけする端正な風貌のご尊顔についぞお目にかかることはできなかった。遺言にあったように遺灰がいつどこの海に流されたのかどうかは私に確かめるすべはない。木下順二の自宅から百メートルほどの距離に住んでいた山本安英は『夕鶴』の〈つう〉役を千回以上にわたって長年演じてきて、平成5年、順二と同じく92歳で亡くなり、文京区関口の寺に眠っているが、彼女の生前には決してほかの役者に〈つう〉役を演じさせなかったという生涯独身であった彼の想いは霊となっても、彼女の塋域に今もととどまってあるのだろうか。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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