本名=北畠美代(きたばたけ・みよ)
明治36年10月5日—昭和57年3月18日
享年78歳
青森県青森市古舘6丁目2 共同墓地
小説家・児童文学者。青森県生。実践女学校(現・実践女子大学)中退。昭和15年深田久弥と結婚したが、深田の女性関係が原因で、のち離婚。離婚と同時に深田の代作(深田の作品のほとんどが八穂の原稿であった)を公表。以後、方言を駆使した郷土色豊かな作品を描く。『鬼を飼うゴロ』で野間児童文芸賞受賞。『十二歳の半年』、小説『もう一つの光を』などがある。

いま、こしなわで、おばばとつながって、お父ゥの死んだことも、お母アのよめに行ったことも、おばばの目がつぶれたことも、自分が二十すぎたことも、なんにも知らないで、ミカンをしゃぶっているトミ姉。
トミ姉でなければできない、すんばらしいことってのは、こしなわで、おばばとつながりたがることか。
(な、ポンチ)
ポンチは、目をつぶってうずくまる。
おばばは、西へも北へも東へも南へも、くびをまわして、あいかわらず、うたう。
〝あったりまえに 風がふく
あったりまえに 屋根の日が
西へいざなって ゆくではないか ″
ごく、あたりまえなこの歌は、いつ知らず、すこしずつかわって、いずれは、たまどごがひょこになるように、でっかく、ずっきりと身にしみるものになりそうだ。
それが、
(なぜだか、いまは、てんでわからないが、な、ポンチ。)
耳のおくに住みついた小鬼に、おらはあごをしゃくる。小鬼ポンチは、両足をだいて、つのとしっぽをすっと出し、するっとひっこめ、さもまったくわからなそうに、
『ン、な。』
ン、ン、ンウと、ぐるりのカヤに風が鳴り、遠くのカヤまでつたわってほえる。
(鬼を飼うゴロ)
脊椎カリエス療養中に投稿した作品を仲立ちに、深田久弥と暮らすようになった。あふれる文才の八穂の提供する原稿は数々の理由から深田久弥の名で発表された。しかし、宿痾の脊椎カリエスの後遺症や深田の不倫による裏切りや離婚は八穂を少なからず苦しめた。離婚後は代作を世間に知らせて、以後の作品は北畠八穗の名で発表していった。
祖母、母の影響でキリスト教に親しみ、受洗はしなかったのだがキリスト者として信仰を深め、自宅の一角に建てた小屋で日曜学校を開いたりもした。性格は激しく、わがまま放題を貫いてきたのだが、昭和57年3月18日、川崎市虎ノ門病院分院で閉塞性黄疸症のために死去した。
私が死んだら、庭にある桃の木の下に埋めて欲しいといっていた八穂だったが、小さな陶器の壺の中におさめられた遺骨は、内弟子の白柳美彦が亡くなるまで10年もの間、鎌倉山自宅の二階床の間に安置され守られていた。
平成4年白柳の病没後、八穗の遺骨は詩人立石巌に抱かれ鎌倉山の自宅より帰青し、古舘大柳の共同墓地に埋葬された。のち道路拡張工事の余波で十字路の真ん中にあった墓を浜館6丁目付近の旧道隅に移転されて今がある。
某建設会社の移転供養碑がある共同墓地、遠く正面に八甲田の山並、送電線の向こうには入道雲をかぶった岩木山が曇って見えた。昭和4年に父慎一郎が建てた大ぶりの無骨な自然石の碑、ここに八穗は眠っている。
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