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運命について

2009.01.10. 掲載
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目次
まえがき
1.運命とは
2.運命を認めるか
3.運命の種類
  1.持って生まれた運不運
  2.人生の途上での運不運
  3.人生の途上でのめぐりあわせ
4.運命への対処法
  1.持って生まれた運不運への対処法
  2.人生の途上での運不運への対処法
  3.人生の途上でのめぐりあわせに対して
  4.直感を高める方法
  5.ポジティブ思考とネガティブ思考
5.運命の法則
6.幸運と幸福
参考文献


まえがき

持って生まれた運不運や、偶然とは思えない運命的なめぐりあわせを見聞きしたり、自分が体験することで、運命というものを感じている人は多いだろう。私もその一人で、若いころから運命の存在を感じてきた。以前、「心に生きることば」の第8章に、運命を当てたのも、運命に関心があったからである。

今回、運命について、あらためてまとめてみたくなった直接のきっかけは、孫娘の誕生である。生後2時間を過ぎたばかりの孫から、強運を強く感じた。

そこで、この機会に運命に関する書籍を読み、Webサイトの記事も調べてみたが、満足できるものは少なく、結局は、自分の経験や生き方を基にして、自分の周りでの見聞も含めて、自分で運命について考えをまとめることにした。

このサイトには、自分の人生哲学を、心に生きることばとしてまとめて掲載している。その他にも、私の生き方について幾つかの記事を載せている。今回は、それらの記事にもリンクを張り、運命という観点から、私の生き方をまとめてみることにした。


1.運命とは

運命とは、人間の意思を超越して人に幸、不幸を与える力。その力によってめぐってくる幸、不幸のめぐりあわせ。運。と定義されている。運は、運命と同じ意味で使われるほか、幸運を指す場合があり、不運には、「不」が必要になる。

遭うと遭わざるは時なりという諺が示しているのは、運命は偶然のようだが、必然のように感じる、しかし、必然ではない不思議な現象であることを言っているのだろう。


2.運命を認めるか

幸運の経験、ツイている経験、不運の経験、出会いの経験、めぐりあわせの経験などから、運命を感じて来た人は多いだろう。ことわざにも、運、鈍、根があり、運が成功するための最も重要なファクターとして、運命の存在を認めている。しかし、運命は現在まで、科学では取り扱えない現象であり、運命を認めない人がいてもおかしくはない。私は運命のような、科学で取り扱えない現象であっても、それが存在すると直感的に思える場合には、直感に従ってきた。そして、できるだけ客観的、合理的に考えようとしてきた。

運命は科学で取り扱えない現象であるが、運命律ともいうべき法則があるのかもしれない。八卦や占星術などを含めた占いの類は、その法則を求めたものだろうが、私は占いを信じない。もちろん、遊びとしては占星術や手相なども楽しむが、それ以上のものではない。

また、スピリチュアル的な教えや、多くの宗教にも、運命の法則や原理が含まれ、教えの中心にあるのではないかと思う。人間は、運命の不思議を説明できる原理・法則を知りたいという欲望が強く、それを知ることで、運命にうまく対処し、不運から逃れ、幸運を得ようと願うのだろう。

しかし、私はその法則を知りたいとは思わない。なぜかといえば、それは簡単に分るものであるはずがないからであり、知らなくても不都合がないからだ。ハムレットのホレーショ君、この世の中には君の哲学では分らないことがあるんだよのことばで充分である。

科学の世界では、心理学者ユングなどが、シンクロニシティ(Synchronicity)という原理で、運命を説明しようとしたようだ。確かに、「虫の知らせ」のような「意味のある偶然の一致」を経験したことはあるが、私はそのような単純なもので説明できるわけがないと思う。

不思議な現象を認めることと、それを解釈することは別であり、不思議な現象を無理に解釈する必要はないというのが、私の考え方である。

しかし、このようにすれば幸運につながることが多い(確率が高くなる)というような経験則は有用だと考えている。いろいろな経験則があって良いし、それを紹介することも、良いことだと思っている。


3.運命の種類

運命は、先天的に持って生まれた運命と、後天的に経験する運命とに2分される。後天的な運命は、さらに、運不運のほかに、運不運に直接関係しない単なるめぐりあわせに、分けて考えることができる。

1.持って生まれた運不運

持って生まれた運不運は、親祖先などの血縁の関係が大きいが、生まれた時も、生まれた所も関係する場合がある。同じ親から生まれても、生まれた時代、うまれた順序で運命が異なることはよくあることだ。同じことは、生まれた場所についても言える。

良い星の下に生まれてきた者もいれば、悪い星の下に生まれてきた者もいると思いたくなることがある。山田風太郎のように神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺すと唱える人もいるが、うなずける場合も確かにある。

私の知っている者の中で、飛びぬけた幸運の星の下に生まれたと思ったのは孫娘であり、運命というテーマで、自分の考えをまとめ直しておきたいと思う動機になった。息子についても、私よりはるかに良い星の下に生まれた子だとは思ったが、孫はそれとは比べようもなく強運だと思う。

2.人生の途上での運不運

持って生まれた運命が平凡であっても、人生の途上でなぜか幸運に恵まれる人、逆に、不運に見舞われる人を見聞きしてきた。幸運、不運の浮き沈みの激しい人もいるのだろうが、その例はあまり知らない。

私は、生きていく過程で、なぜか幸運に恵まれてきた。その中でも最初の大きい幸運は、小学校4年を庄野学級で過ごせたことで、ここが全ての幸運の出発点だったような気がする。どれほど幸運だったかは、小学4年庄野学級仔牛の恋のクラス会現役最後のクラス会庄野学級古希クラス会に記した。

学校と言えば、高校生活を神戸高校で送れたことも幸運だったと今は思う。というのは、私の問題解決のスタイルのほとんどが、この時期に受験勉強を通して身に着けたものだからだ。当時の神戸高校の教育は、生徒の自発的な学習を重視し奨励する教育だった。そのような環境が、私に問題解決の技法を考え出させ、習得させたのだと思っている。

もう一つの幸運は、大学入試をを含めて試験で落ちたことがないことである。私の能力から考えると、これは幸運によるとしか考えられない。だから、その幸運に対して、いつも感謝をしてきたし、いつ幸運が離れても仕方がないと思ってきた。

身近な者の不運は、7歳で亡くなった妹54歳で亡くなった母である。それは、もちろん私にとっても不運だった。

3.人生の途上でのめぐりあわせ

最初は単なるめぐりあわせであったのが、そこから思わぬ幸運を得ることもある。人生では、このような運命が多いのではないかという気がする。

私の場合、このめぐりあわせから幸運を得たことが多い。その大きいものを時を追って挙げていくと、

まず最初は、小学4年を庄野学級で過ごしたことで、担任が良ければ、クラスメートも良く、時代、環境にも恵まれ、小中高を通じて、これほど思い出の多いクラスを知らない。私の幸運は、ここから出発したという気持ちでいる。

その次は、医学部を受験したことで、こどもの頃からの希望であるエンジニアの道を選んでいたなら、これほど思う存分に生きることはできなかったのではないかという気がする。

次は、第一外科を選んだことで、教授が就任数年後に、大阪厚生年金病院長に転出するという異例があったため、新しく曲直部教授が就任し、私たちはその一期生として活躍する場を得たことである。めまぐるしい心臓外科の発展の渦中にいて、阪大の心臓外科が、わが国のトップレベルにまで復帰していく時期を過ごせて幸運だった。

次は、妻と結婚したことで、私の人生で一番良かったことである結婚が、思わぬきっかけから、得られた。

次は、開業を決めたことで、大学紛争の最中に、心臓外科医として生きることは難しいと考えて、開業医の道を選んだ。私が人生で一番良かったことの2番目が開業であることを考えると、この選択も幸運をもたらしたと言える。

次は、赤軍の浅間山荘事件をTVで眺めたことから、開業地を変更したことである。その結果、妻の実家に近い大阪の郊外の、自然環境に恵まれた地で、自分がしたいと思う医療に携わることができた。

最後は、終の棲家のマンションを選んだことで、これもいろいろ思わぬ偶然が重なって、得られたものである。


4.運命への対処法

先にも書いたように、私は運命律ともいうべき運命の原理・法則はあるかもしれないとは思うが、現在までの哲学、宗教、スピリチュアル、占いなどの唱える原理・法則は認めない。そのような簡単なものであるはずがないし、分かる必要もないからである。

しかし、このようにすれば幸運につながる可能性が高いというような経験則は有用だと考えている。いろいろな経験則があって良いし、それを紹介することも良いことだと思っている。

これから紹介するのは、そのような経験則であり、そのほとんどが、私の72歳までの人生で行なってきたことである。こうすれば必ずうまく行くというのではなく、効果のある場合が多いという程度のものである。

1.持って生まれた運不運への対処法

私の持って生まれた運命は平凡なものだったので、ここに書くのは自分が行なったことではなく、自分ならこのようにアドバイスをするだろうと思う対処法である。

1)幸運を持って生まれた者の対処法

幸運を信じ、おごらず、幸運に感謝を持ち続けること
感謝の気持がなければ、不運に変わるかもしれない

孫の両親から、育児記録に書き込みを求められ、同じ趣旨のアドバイスを書いた。

2)不運を持って生まれた者の対処法

不運を受け容れ、不運でも幸福になれることを信じて努力をする
そうすれば、不運を幸運と思えるようになれるかもしれない

障害児の家族を診療して、幸・不幸は、運・不運と必ずしも相関しないことを学んだ。

2.人生の途上での運不運への対処法

1)幸運にめぐりあった時の対処法

幸運に感謝し、おごらず、不運を呼び込まぬように努める
おごる気持が不運を招くかもしれない

幸運の時こそ勝って兜の緒を締めよ」とか成功は失敗につながることがあると 思うべきだ。

2)不運にめぐりあった時の対処法

しようがないことはあきらめる
しようがあることをする
しようがあることがなければ、時が来るのを待つ

しようがないことはあきらめる」とは
しようがないことはしようがない人間あきらめが肝腎と考える。
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候という良寛のことばも同じ意味である。

しかし、あきらめるだけではなく、くよくよするな、なんとかなるという楽観的な
見方が加わったメイ・ファーズケ・セラ・セラの方がより有効だ。

しようがあることをする」とは
転んでもただでは起きないようにして、不運から学び、何かを得ようと努める。
できれば禍転じて福となすピンチはチャンスと言うように積極的に考える。

しようがあることがなければ、時が来るのを待つ」とは
オロオロ、ジタバタしないで、不運が去るのを待つ。
ツキが戻ってくるようにげんなおしとか、楽しいことをすると、意外と効果がある。
物はとりよう、考えようで、自分の都合の良い解釈をすることも効果がある。

3)幸運と不運は表裏の関係

「塞翁が馬」「禍福は糾える縄のごとし」の諺のように、スパンで考えると幸運か
不運か分らないことがある。

3.人生の途上でのめぐりあわせに対して

1)めぐりあわせを幸運に変える方法

したいことをする
目的意識を持ち続ける
めぐりあう機会を増やす
したいことに集中し熱中する
80点主義で行く
時間を惜しむ
無駄を大切にする
心に微笑を

したいことをする」とは
したいことをするのが生きる喜びの中で最大のものだから、これが何よりも肝腎となる。

目的意識を持ち続ける」とは
自分がしたいこと、関心のあるテーマをキーワードとして常に持ち、その情報に絶えずアンテナを張る。関心がないものは気がつかないからで、同時にテーマの範囲を拡げ、数量を増やして行く。

めぐりあう機会を増やす」とは
少しでも可能性があれば、ダメモトでやり、何にでも挑戦する思い立ったが吉日と、積極的に行動する。

したいことに集中し熱中する」とは
したいことに集中し、熱中状態になると、アイデアが次々浮かび、新しい発見があることが多い。

80点主義で行く」とは
100%ではなく、80%が達成できたら満足するという80点主義は、多くの場合に有効である。目標は120%、達成は80%で満足し、それ以上はもうけ、60%で最低合格と考える。熱中状態では、達成が120%、200%になることもあるが、これも幸運の一つだろう。

時間を惜しむ」とは
人は必ず死ぬ死ぬまでの残された時間が少ないことを自覚し、したいことが存分にできるように時間をできるだけ有効に使う

また、タイムリミットを決め、それを守ることは、熱中状態を生み、短い時間で成果を上げることができる。

無駄を大切にする」とは
無駄や遊びに効用があり、合理的実利一辺倒からは、満足感は生まれ難い。

心に微笑を」とは
笑う門には福来ると言われるように、楽しい状態は幸運をもたらしやすい。

2)めぐりあわせに含まれた幸運を逃がさない方法

運命の女神の前髪を掴む
決めるのは最後は直感

運命の女神の前髪を掴む」とは運命の女神は後ろ髪がない。だから、好機は一瞬に掴まなければ逃がしてしまうという諺である。一瞬で決めるのは直感によらざるを得ない。結局は、直感と決断力が重要になってくる。

4.直感を高める方法

直感が非常に重要な能力であることは分る。しかし、直感を高める方法が果たしてあるのか、あるとして、ことばで記述できるもなのなかは分らない。それを承知で、自分の経験から、直感を高めるのに少しは役立つと思われることを、リストアップしておく。

熟考の履歴
ひらめきの前に考え抜く段階があることを何度も経験した。いろいろな問題で、熟考を重ねた経験の痕跡が直感に作用する可能性があるのかもしれない。

虚心である
素直で、雑念や欲がない状態でなければ、直感は正しく働かないだろうと思う。

自分で考える
他に頼るのでなく、自分で考える習慣が必要だろう。

権威、流行、風潮から自由になる
自由になるとは、まずは既成観念を疑い、先入観を捨て、過去の自分の判断にもとらわれないこと。

ポジティブな考え方、生き方
私は楽天的に生きて来たと思っている。積極的、前向きな考え方、生き方の方が直感を育てるのではなかろうか?

自分を受け容れる
自分を、あるがままに受け容れることができるようになってから、直感が高まった気がする。

しかし、直感で判断するのは、理性で判断できない場合とか、直感が非常に強い場合に限るべきで、直感ばかりに頼るのは、占い、オカルト、スピリチュアルになってしまい、判断を誤る危険がある。

5.ポジティブ思考とネガティブ思考

世の中、ポジティブ思考讃歌で満ち溢れている。ポジティブ思考、プラス思考、積極思考ですべてが解決できるかのようだ。確かに、行動的であることは生きていく上で有用な場合が多いかもしれない。

しかし、ポジティブ思考をする者は、誤りや失敗を軽視したり、無視をしてしまいやすい傾向があり、失敗から学ぶことをしない傾向もある。その結果として、重大な失敗をしてしまう可能性がある。大きい成功の可能性と同時に、大きな失敗の可能性も高いと言えるだろう。ダイエーの没落、バブル景気の崩壊、現在の大金融危機についても、ポジティブ思考がもたらしたと言う見方もできるのではなかろうか?

もう一つの問題は、ポジティブ思考をしようとしても、誰もができるわけではないということである。これはかなり持って生まれたものがあるようで、ネガティブ思考をするタイプの人間に、ポジティブ思考をするように仕向けても、それは非常に困難なことがらである。

私は、少なくとも大学に入った頃から、楽天的に生きてきた。しかし、自分で努めてポジティブ思考をしようとしてきたことはなく、自然に身についたと言うのが正直な気持である。妻は、私の知っている限りでは、結婚した時から現在に至るまで、ネガティブ思考を続けている。その点では、私たち夫婦は両極端な思考パターンである。そのパターンがお互いに影響し合ったことは皆無で、増強も減弱もしていない。

そのほか、ポジティブ思考を勧めることが禁忌の場合がある。うつ病、うつ状態の人がポジティブ思考を勧められ、それに従おうとすれば、症状が悪化するだけではなく、最悪自死へ追い込まれてしまうことがある。何が何でもポジティブという安易な風潮は、危険である。

世間では、ネガティブ思考を否定する空気が強い。しかし、大きな成功の可能性は少ないかもしれないが、大きな失敗の可能性も少ないという堅実な面があり、これは大きなメリットである。ただし、悲観的な見方がさらに悲観的な見方を生み、それがどんどんエスカレートして、負のスパイラルを駆け上る可能性はあり得る。だから、どこかで、その悪循環を断つ必要はある。

典型的なネガティブ思考の妻と41年間過ごして来た。妻が心配をし、取り越し苦労で悩んでいる時間は可哀そうに思うが、忘れている時間の方が長く、心配の種が無くなれば治まるのだから、重大なことではなかった。それよりも、これほど違った考え方をする人間のいることが分かり、面白かった。だから、妻をポジティブ思考をするように変えたいという気はまったく起こらなかったし、変えようとしても無駄に終わったであろう。

このように、まったく相反する考え方をする者同士でありながら、相性は良かった。妻の現実的な考え方は私に幾ばくかのブレーキをかけたし、私の楽観的な考えは、妻の負の悪循環をしばしば断つことに役立った。そして、ネガティブ思考のために、妻に不運が舞い込んだということはまったくなかった。

人間が一人で生きていることはほとんどなく、他人との何らかの共同生活を行なって生きている。その場合、一人の個人の運命が、他の個人の運命に大きく関与する場合もありうることだろう。私のようなポジティブ思考の者と、妻のようなネガティブ思考の者が、結婚という共同生活を行なった場合の運命は、強い方の運命に従いやすいのではないかと考えるのは、ポジティブ思考の特徴かも分らない(笑)。


5.運命の法則

2.運命を認めるか、のところで、運命律ともいうべき法則があるのかもしれないが、現在までに唱えられてきた運命の法則は信じられないし、自分には必要ではないと書いた。しかし、世の中には多くの運命の法則が提唱されているようなので、その功罪について私の考えを述べたい。

運命の法則を説くものとして、1)八卦や占星術などを含めた占い、2)多くの宗教、3)スピリチュアル的な教義、4)自己啓発本、5)成功者の人生訓などがあり、最近では脳科学がらみの自己啓発本がベストセラーになっているようだ。

これらの中にある運命の法則は、それぞれの場での経験から得られたものや、お告げとか悟りの形で観念として得られたものであろう。いずれにしても、その法則が人の幸せに役立つ場合は存在価値はある。「鰯の頭も信心から」とか「信じるものは救われる」効果というものが、人間にはあるからだ。医療ではそれを「プラセボ効果」と呼ぶが、良いと信じると、確かに信じないよりも効果がある。

これらの運命法則が危険なのは、部分的に効果がある段階で留まらず、運命法則が人の生き方を支配し、命令し、脅迫する場合があるからだ。オウム真理教などはその最たるものである。良いことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれるとする因果応報の法則も、悪い事実の原因を悪い行いに求めるとか、良いとされていることをしなければ、悪い結果に陥ると脅すなど、人間の幸せに逆に働く場合がある。

巷の運命の法則は、人の幸せに役立つ場合には善で、人を不幸にする場合は悪であると私は考える。


6.幸運と幸福

人が幸運を求めるのは、幸運と幸福が近い関係にあるからかもしれない。成功した人は共通して、自分は幸運だったと話すそうだ。しかし、幸運必ずしも幸福ではない。幸運を得ながら幸福でない人がいれば、幸運とまったく縁が無くて、幸福な人もいる。不運でありながら、幸福である人さえいる。

人は幸運を求めているように見えるが、本当は幸福を求めているのではなかろうか。

幸福とは、自ら満ち足りていると感じている心理的状態である。幸福は極めて主観的な状態で、客観的な状態ではない。本人が幸福だと感じていれば、それはまさしく幸福である。

幸福が主観的なものであるとして、受けるより与えることが幸い愛されるより愛する方が幸いであり、足るを知ること、満足することが幸福につながると私は思ってきた。アミエルも日記の中で「幸福の本当の名前とは、満足である」と記している。

私がしみじみとした幸せを感じるのは夕食時であり、湧き上がる幸福感を感じるのは、したいことが達成できた時で、どちらも20年近く続いている。オマケの人生に入ってからは、したいことをしている間にも、しみじみとした幸せを感じるようになっている。

23〜4歳の頃「生きる意味」について考え続けて得た結論が、生きていることを喜び楽しむことだった。これは「幸福に生きる」と言い換えることができる。アランは人は幸福である義務を持つと言ったが、同じ意味だと思う。


参考文献

運命について書かれた書物を探したが、占い関係、スピリチュアル系、自己啓発本、成功者の人生訓などがほとんどで、それ以外のものは以下の4冊しか見つけることができなかった。その4冊も、このまとめの参考になるところは少なかった。

1.偶然性と運命 木田元 岩波新書 2001年
2.偶然からモノを見つけだす能力 澤泉重一 角川 one テーマ21 2002年
3.運命の法則 天外伺朗 飛鳥新社 2004年
4.偶然を生きる思想 野内良三 NHKブックス 2008年


<2009.1.10.>

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