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kinematopia2000.07


 「『ボーイズ・ドント・クライ』は、ネプラスカ州フォールズ・シティで、1993年に殺害された性同一性障害(心の性と身体の性が不一致)のティーナ・ブランドンの生きざまを追った作品。女性監督キンバリー・ピアースの初めての劇場用長編映画。ピアース監督の熱意と抑制が伝わってくる佳作だ」「自分の女性としての身体を嫌悪し苦悩するブランドンの内面を追求するのではなく、欲望に忠実に生きたために死ななければならなかった前向きな人間として描いている点が特徴。ヒラリー・スワンクの渾身の演技は、アカデミー賞主演女優賞にふさわしく、この難しい作品に痛いほどのリアリティを与えている」

 「ブランドンが女性の身体と知っても、自然に受け入れたラナを演じたクロエ・セヴィニーのさりげなく演技も印象深い。自由に生きているように見えたラナの母親が、ブランドンを『化け物』とののしった姿勢と、あまりに対照的だった。ラナの柔らかな感性と周囲の無理解という構図についても、考えさせられた」

 「札幌のまるバ会館で、動きの快楽!!アニメ祭りがあった。 山村浩二氏の9作品と、中村景子氏の5作品。メジャーなアニメ作品ばかり観ていた目には、はなはだ新鮮だった。凝縮されたアイデアが短い時間に次々と登場し、得した気分になった」

  「山村浩二氏は1964年、愛知県生まれ。『水棲』(1987年)は粘土を使った不思議な感覚のアニメ。ぎこちなさは残るが、めくるめくようなメタモルフォーゼが繰り返される。『ひゃっかずかん』(1989年)は、日本語と英語のしりとりを並行して進めていく。技法もアイデアも、かなり高度。感心した。『遠近法の箱』(1989年)は、過剰なコラージュの嵐。うまい」「NKHKで放送された『カロとピヨブプト』(1993年)シリーズ『おうち』『サンドイッチ』『あめのひ』は、丁寧な連作。きらりとアイデアが光る。『キッズキャッスル』(1995年)は、子供とともにイマジネーションの世界に遊んでいる。軽いタッチで変幻自在。ボイス・パフォーマンスで統一した音も、楽しさを倍加させている」「『バベルの本』(1996年)は、ボルへスの『幻獣辞典』にインスパイアされた作品。子供の目線に立ったタッチが印象的。『どっちにする』(1999年)は、子供たちとのワークショップでつくりあげた。こういう創作方法もあるのだね」「ヤマムラアニメーションの広がりを味わうことができた」

  中村景子氏は1966年、東京生まれ。寺山修司などの自主映画に関心を持って8ミリ作品を撮る。アニメーションは1992年から始めた。自主映画ではあまりお目にかかれないセンス。『トムとジェリー』的なテンポとファッショナブルな造形、そして毒を含んだエロティシズムを、おおいに楽しんだ」「まず『狼と3匹の子豚』(1997年)に圧倒された。わずか1分半の作品だが、彼女の魅力が凝縮された傑作」「『コヨーテの首飾り』(1993年)『まよいの森』(1994年)『ベティとペイニーペンギン』(1995年)は、それぞれ面白さを探っている作者のしぐさが感じられる。『おまけ・地獄的天使予告』(2000年)は、本当におまけのノリだったね」

  「『ジョン・ジョン・イン・ザ・スカイ』は、映画情報番組『シネマ通信』で、レポーターを担当しているジェファソン・デイビスが、自分の少年時代を振り返り、故郷ミシシッピーを舞台に、アメリカ南部の人々の自然な姿を描いた。父親が家族を抑圧する保守的な風土の下で、妻はヒッピーの自由を夢見、少年は空へのあこがれを募らせていく」「豊かな田園風景の中で生きている人を慈しむ監督の思いは伝わってくるが、作品としては芸がなさ過ぎる。構図は見えてくるが、人々の思いがいきいきと伝わってこない」

 「主人公のジョン・ジョンと知的障害者セオラが、喧嘩しながら苦労して飛行機をつくる過程は、もっともっとユーモラスに表現できたはず。登場するそれぞれの人物に多面性や屈折があれば、物語の味わいも豊かになったと思う」「少年時代をノスタルジックに回顧するだけでなく、自分や時代を批評する厳しいまなざしがほしかった」

 「奇抜なストーリー展開で、映画的な面白さを追求し続けるSABU監督。新作『MONDAY』でもその姿勢は徹底している。遺体のペースメーカーの線を間違えて切ったために死体が爆発するコントから、ダンスフロアでの爆裂踊りまで、しっかり笑わせておいてショットガンによる連続射殺へとテンションを上げていく」「遺書を書くシーンのギャグはシャープにして巧み。主人公に『この世に必要なのは銃なんかじゃない。ほんの少しの優しさと愛だ』と叫ばせて、警察だけでなくヤクザも銃を捨ててしまうクライマックスに抱腹絶倒した」「銃社会への批判ではなく、単純なお遊びとして存分に楽しめば良い」

「SABU作品で主役を続けている堤真一の演技は、今回もあっぱれと言うほかない。松雪泰子が妖艶な女を演じて魅力的。『アナザヘヴン』(飯田譲治監督)でも、凄みを見せていて将来有望だ。つかみどころのないおかしさを醸し出す野田秀樹にも感心した。さすがだ」「配役に文句はないが、ただひとつ暗黒舞踏の取り上げ方が気になった。ファンキーな悪魔のメタファーに使うのは、外国を意識し過ぎているように思う」

 「『フリーズ・ミー』(石井隆監督)。東北のある街で、3人組にレイプされた山崎ちひろは、悪夢から逃れるため都会でOL生活を始め、結婚を前提にした恋人と幸せな日々を過ごしていた。しかし、突然3人組が次々と現れ、恋人に過去をばらし、彼女を凌辱する。彼女は男たちを殺し、冷凍庫の中に死体をコレクションする。だが暑さの中で死体は次第に腐り、死臭を放ち始める」

 「久しぶりに堪忍袋の緒が切れた。石井隆お馴染みの薄幸な女シリーズだが、ストーリーがお座なりで、悲劇性が伝わっていない。だいたい、山崎ちひろ役の井上晴美は、スタイルは良いものの薄幸を耐えるというタイプではない。演技以前のミス・キャストだ」「一方、暴力的な男たちは、あまりにも誇張されていてリアリティがない。『鮫肌男と桃尻女』(石井克人監督)のように、思い切ってマンガチックに徹すれば、まだ救いはあるが、情緒的な悲劇性と効果が相殺されている」

 「ファシズムに染めあげられていく1935年以降のイタリアのフィレンツェを舞台に、国が対立し合う戦時下でもフィレンツェを愛し、自分に正直に生きる5人の女性たちと、親の愛情に接することのできない少年の触れ合いを気品にあふれる映像で描いた佳作『ムッソリーニとお茶を』。過酷な状況にありながら、けっして重くならず優雅さをたたえている。無邪気なほどに素直な人の横断的なつながりこそ、戦争を超える。フランコ・ゼフィレッリ監督に、これほど芯のあるユーモアのセンスがあるとは、正直驚きだ」「今回は、いつもの豪華さの押し売りがなく、イギリスとイタリアをともに愛する監督の心情が素直に投影されている」

 「大女優たちが、個性的にして貫禄のある演技を披露しているのが話題だが、シェールの輝きはやはり別格だろう。自由奔放にして、優しさに満ちたアメリカ人を演じ、圧倒的な魅力を放っていた。前衛的なドレスを着こなし、華麗に踊る。50歳を超えているとは、にわかに信じがたい」「孤独な少年ルカ役の新人・ベアード・ウォレスは、大ベテランに囲まれながら、爽やかな演技を見せる」

 「『ザ・ハリケーン』(ノーマン・ジュイソン監督)は、社会派作品。プロ・ボクサーのルービン・カーターが、警察の人種差別と証拠のねつ造によって殺人犯にでっち上げられ、22年かけて無罪を勝ち取るまでの感動作。2時間半近い長篇だが、ストーリーの運びは淀みがない。ボブ・ディランの『ハリケーン』で有名なように、実話である。アメリカは、今もずさんさな裁判によって、無実の人が何百人も死刑になり続けている国だ。無実にもかかわらず、犯人として死刑を執行される人間の気持ちを想像すると、身震いするほど恐ろしい。それが『人権の国』アメリカの実態」

 「ルービン・カーターも、検察の求刑通り『死刑判決』が出ていたら、世界に真実を知らせる前に殺されていたかも知れない。彼は、プロ・ボクサーとして有名だったので、本を出版でき社会の注目を集めたが、多くの人たちには、真実を広める手段さえない」「アメリカだけの話ではない。日本でも、部落差別を利用してとらえられ、証拠のねつ造によって有罪にされた石川一雄さんの『狭山事件』が、有名だ。どういうわけか、再審はことごとく棄却され、石川さんは犯人のままだ。これは、氷山の一角だろう。日本には何百人も冤罪に苦しんでいる人がいるはずだ」

 「ルービン・カーターを演じるのは、デンゼル・ワシントン。みずから役をかって出ただけに、いつも以上に熱がこもっていた。特訓したとはいえ、ボクシング・シーンの迫力には驚かされる。カーターの本を読んで感動し、カナダ人たちの救援を実現するきっかけとなる青年レズラ役のヴィゼラス・レオン・シャノンも印象的だが、デンゼル・ワシントンの気迫の前では、影が薄くなる」「でっちあげを行った警察、真実をさぐり無罪判決に導くカナダ人たち、その双方の掘り下げが不足しているので、いやでもカーターだけが全面に出てしまっている」

 「『カープの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』など独特の視点で世界を描き出す巨匠ジョン・アーヴィング自身が脚色、珠玉の『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』『ギルバート・グレイプ』のラッセ・ハルストレム監督と聞けば、期待しない方が嘘だろう。待望の新作『サイダーハウス・ルール』は、期待を裏切られなかった」「いつもながらのきめの細やかな演出、絵画のような映像が、心に染みてくる。孤児の分娩や堕胎を行う孤児院という、社会の矛盾が凝縮された場所を舞台にしながら、けっして暗くならず、ときに爽やかな風すら感じさせるバランス感覚は、ちょっと真似ができない」「お決まりの成長物語だが、これだけ丁寧につくられると批判する気になれない」

 「登場人物は多くを語らないが、その思いは伝わってくる。ウィルバー・ラーチ医師役のマイケル・ケインは、屈折した思いを抱きながら淡々と孤児たちの世話に人生を捧げている。ドビー・マグワイアは、過酷な運命にも関わらず純真さを失っていない主人公ホーマー・ウェルズを演じている。さりげない笑顔が魅力」「好きなタイプではなかったシャーリーズ・セロンも、飾り立てしない等身大の女性キャンディ・ケンドールになりきり、好感が持てた。そして何といっても、笑い、悲しむ孤児たちの表情が胸を打つ。最後の嬉しそうな寝顔が忘れがたい」

 「『グラディエーター』は、『ベン・ハー』を思い起こさせるような、久々のスペクタクル大作の誕生かと、期待を膨らませていたが、舞台の大きさに人間ドラマがついてこない空しさが残る失敗作だった」「リドリー・スコット復活ならず。彼の最高傑作なんて誉めていた人は、本当に作品を観たのだろうか」「『スターウォーズ エピソード1』(ジョージ・ルーカス監督)の目も眩むばかりのスケール感と比較するのは酷かも知れないが、CGを駆使して再現した古代ローマの遠景や壮大なコロシアムが生かされていない」「肉弾戦は見ごたえがあるものの、ストーリー展開は荒削りすぎる。特にラストの対決は笑止千万だ」

 「主人公マキシマス役のラッセル・クロウは、現代では難しい英雄的な人物を演じているが、人物像があまりにも表面的すぎる。父マルクス・アウレリウスを殺して皇帝の座を手に入れるコモドゥス役のホアキン・フェニックスの方が、まだ造形に厚味があった。ホアキン・フェニックスは、リバー・フェニックスの弟だが、着実に力をつけている」「ルッシラを演じたコニー・ニールセンは、もっと大胆な演技ができる女優のはず。抑制し過ぎて魅力が半減した」

kinematopia2000.08


 「『ロゼッタ』(リュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ監督)。なんという力技だろう。逆境をものともせず仕事を得るために闘うロゼッタから、カメラは片時も離れない。執拗に追い続ける。ロゼッタの苦しみ、ロゼッタの怒りに共鳴しながらも、ぎりぎりの距離を保ち続ける」「無駄な説明を一切省き、ロゼッタの身ぶりにすべてを語らせたリュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ監督の潔さ。映画への確信が眩しい」「クローネンバークが委員長を務めた1999年カンヌ国際映画祭でのパルムドール大賞獲得は、本当に意義深い」

 「暴力的なまでのエネルギーを内に秘めながら、アルコール中毒の母親を抱えながら、時折襲う腹痛に耐えて、仕事を求めて行動するロゼッタ。母親に裏切られ、職を奪われても彼女は弱音を吐かない。観る者の同情を拒絶する強さに満ちている」「そんなロゼッタが追い詰められ、優しく接してくれているリケの職を奪うために密告する」「ここで緊張の糸が切れたように、ロゼッタはガス自殺を試みる。しかし、ガスボンベが空になり、新しいボンベを買いに行く。重いボンベを運ぶロゼッタ。底抜けに辛いシーンだ」「つまずいて転び、リケに助け起こされることで、救済が訪れる」「ロゼッタ役のエミリー・デュケンヌの熱演が作品を支えていた」

 「子供たちの愛くるしい表情が忘れがたい『運動靴と赤い金魚』に続くマジッド・マジディ監督の新作『太陽は、ぼくの瞳』。1999年のモントリオール映画祭グランプリを受賞した」「テヘランにある盲学校に通う8歳の少年モハマドが主人公。妻を亡くした父は、祖母の反対を押し切り、再婚のためにモハマドを大工の修業に出そうとしていた。夏休みで故郷の村に戻ったモハマドは、家族の優しさに触れ、大自然の美しさに包まれる。しかし、幸せは長く続かなかった」「マジッド・マジディ監督は、過酷な現実を、神話的な結末で癒す」

 「盲目のモハマドの優しさ、感受性の豊かさにうたれる。風に光を感じ、石や植物の凹凸を点字に託して指で解読していく姿に、呆然とした。知らない世界を垣間見た感動。変化に富む自然が少年の内面と響きあう奇跡が、映像に焼き付いている」「『宝石』と絶賛されたのもうなずける。迷い苦しむ父親を演じたホセイン・マージゥーブのせつなさも胸にしみた。ラストの濁流でのぎりぎりの演技は、そのカメラワークの巧みさとともに高く評価されるだろう」

 「『サウスパーク 無修正映画版』(トレイ・パーカー監督)の過激なギャグに、最初は空いた口がふさがらなかった」「下ネタの連続、天国と地獄を往復しサダム・フセインまで登場するとんでもない展開のアニメ。しかし基本にある主張は『戦争反対』『検閲反対』と、いたって良識的だ」「あまりの下品さで社会問題化したTVのアニメ作品を、映画を武器に擁護するという不敵な作戦は成功した」「切り絵みたいに簡略化した作風だが、どういうわけか炎渦巻く地獄のCGだけが異様にリアル。ほとんどの人が落ちる地獄。『スポーン』(マーク・デッペ監督)以上に迫力がある。ぺらぺらでちょっとエロチックな天国との対比が素晴らしい」

 「ロッキー山脈に囲まれた、常冬の小さな町コロラド州サウスパークが舞台。カナダのコメディアン、テレンス&フィリップ主演のオナラ映画『燃えよコウモン』を見た小学生たちが、超下品なののしり言葉を連発、ギャグをマネた子供が火傷し病院が手術に失敗して死んだため、PTAが怒り狂った。カナダが悪いと主張し、ついには宣戦布告、子供たちの脳には汚い言葉に反応して電気ショックを起こすVチップを埋め込もうとする。コメディアンの処刑に乗じて世界を支配しようとするサタン。そのサタンを利用しようとするサダム・フセイン。子供たちがサタンを救い、世界を平和に戻す。毒のある笑いに染めあげられた荒唐無稽の極みで、うまくまとめた手腕は認めよう「本当は、もっと突き抜けてほしかったけれど」

 「『アシッドハウス』(ポール・マクギガン監督)は、『トレインスポッティング』(ダニー・ボイル監督)の原作者アーヴィン・ウェルシュが書いたオムニバス短編三部作。スコットランドのどうしようもない日常生活がコミカルにシュールに変ぼうしていく」「第一章『ザ・グラントン・スターの利益』の毒にぶっ飛んだ。不幸の連続にうちひしがれているボブが、いじわるで無責任な神によってハエに変えられながらも、ハエの特性を生かして個人的な復讐をとげる。その悪意にしびれた」「神をも恐れぬブラックなユーモアこそウェルシュの真骨頂だ。両親の屈折したセックス・プレーに驚き、母親にたたき殺される結末が底なしに悲しい」

 「第二章『カモ』。人の良いジョニーは誰の子か分らない子を身籠ったカトリオーナと結婚、妻に代わって子育てに熱を入れている。カトリオーナは上の階に引っ越してきた男に夢中となり、ことあるごとにジョニーを罵倒する。やがて妊娠し男に捨てられたカトリオーナが、よりを戻そうと帰ってくる。ジョニーは、静かに受け入れる。切実だが傷口は浅い」「第三章『アシッドハウス』は麻薬でトリップしていたココ・ブライスが雷に打たれ、出産した赤ちゃんと身体が入れ代わってしまうコメディ。つくりものの赤ん坊が、なんとも不気味。あのまま進んだら『チャイルド・プレイ』になったかも。面白いが、毒にしては甘過ぎる」

 「『マトリックス』のジョエル・シルバーと『コンタクト』のロバート・ゼメキスが共同設立したホラー映画専門プロダクション『ダークキャッスル・エンタテインメント』の第一弾作品『TATARI』(ウィリアム・マローン監督)。かつておぞましい生体実験を行っていた廃虚のバナカット精神病院で、大富豪が妻の誕生パーティを開き、肝試しの仕掛けを行う。しかし呪われた屋敷自体が目覚め人々は血祭りにあげられていく」「最初のタイトルからして、恐がらせようという意欲がありあり。カイル・クーパー的な手法を取り入れながら、恐怖の舞台へと誘う」

 「妻エブリン役のファムケ・ヤンセンをはじめ、派手めの女優たちをそろえ、個性的な男優たちが恐怖をもり立てる。ホラーの王道だ。観客を弄ぶように、ストーリーも捻ってある。そして何といっても挿入される幻想シーンのインパクトがすごい。夢に出てきそう」「『ジェイコブズ・ラダー』(エイドリアン・ライン監督)からのパクリも見られるけれど、許してあげよう」「似た設定の作品に『ホーンティング』(ヤン・デ・ボン監督)があるが、『ホーンティング』の空騒ぎに比べ10倍怖い」

 「ルネ・クレマン監督の傑作『太陽がいっぱい』を、『イングリッシュ・ペイシェント』のアンソニー・ミンゲラ監督がリメイクした『リプリー』。画家志望のディッキーをジャズ愛好家に変えて張りのある自由闊達な展開にしたほか、オペラや合唱を生かし、堂々たる作品にまとめた」「音楽が、あまりにも場面に合い過ぎていて窮屈な点はやぼったいが」「貧富の問題よりも同性愛の色合いを強くしたのはお国柄と時代の差だろう。リプリーがディッキーを殺して成り変わるお馴染みのストーリーを、憑依のようにみせれば、さらに重層的な味わいが出たと思う。傑作のリメイクは、どうしても点が辛くなる」

 「演技派のマット・デイモンだが、リプリーはうなるほどの出来ではない。むしろ、奔放なディッキー役のジュード・ロウが、美しく輝いていた。『恋におちたシェークスピア』では清楚な魅力を放っていたグウィネス・パルトロウに、信じられないほど華がない。『エリザベス』のケイト・ブランシェットさえ、存在感が乏しい」「豪華スターの競演としては、盛り上がりに欠けていた」

 「札幌の屋台劇場まるバ会館で、山崎幹夫氏の長編8ミリ三部作『極星』『猫夜』『虚港』が上映された。いずれも一筋縄では語れない。体験への好奇心とともに、そこに安住しない強靱な自己批判力が傑出している。個人映画の狭い枠を超えようともがきつづける、リアルと嘘を往復する自虐的な楽しみが、さまざまなバリエーションで展開されていた」

 「『極星』(1987年、75分)は、問題意識に沿って無理に物語を紡ぎ出すことを断念した後の、解き放たれた映像の力に支えられている。偶然に身をゆだねることで、記憶に深く浸ることで映画的な輝きが増してくる不思議。マイクを燃やすシーンに、山崎幹夫の暴力的な破壊衝動が集約されている」「ぎこちなさは感じるものの、自己に閉じこもらない個人映画の新たな可能性が開かれていく」

 「『猫夜』(1992年、80分)は、『極星』との連続性を意識して始まりながら、すぐに方向を転換し、カメラさえ友人たちにゆだねてしまう。それは、勇気に満ちた爽快な選択だ」「作家的な意図を持たない映像の心地よさ。物語的な収まりを断念した静けさに満ちている。突き放しているようで温かい。そうすることで、観る者の中にひそやかな物語を誕生させるという試みは成功している」

 「『虚港』(1996年、80分)は、捨て身の援助交際の盗撮フイルムまで駆使しながら、物語の創造と破壊を繰り返し、繰り返し見せつける。その虚構の重層の中から、私たちが置かれているリアルな気分が漂い出す」「ハリウッド的世界を象徴するミッキーとミニーの楽園からの脱出をモチーフに、インド映画の天真爛漫な世界へと唐突に突き抜けていく展開。シリアスをまとったギャグのセンスに痺れる」「そして、『グータリプトラ』(1999年)の自在な美しさへとつながっていく」

kinematopia2000.09


 「『マルコヴィッチの穴』は怪作の名に恥じないユニークさ。まず、とんでもない思いつきを発展させて、見事な作品にまとめあげたチャーリー・カウフマンの想像力に拍手を送ろう。そして、日常シーンとウィットに富む会話の積み重ねによって、次第にリアリティを高める手法を生かし切ったスパイク・ジョーンズ監督。CMやビデオクリップでの経験を、奇をてらうことなく、何気ない手付きで映画に持ち込み、映画の地平を広げている」

 「マルコヴィッチを体験することで自分の『男性』に目覚めたロッテを演じるキャメロン・ディアズは、ぼさぼさ頭ばかりが話題になるが、演技の素晴らしさを強調しておきたい」「ジョン・マルコヴィッチ本人も、渾身の演技だ。自分の頭の中に入った時に見る、すべてがマルコヴィッチに埋め尽くされているシーンは、俳優の虚栄を余すところなく表現して見事だった。トラウマを抱えるチンパンジーも、重要な役を演じていて忘れられない」

 「9つのオムニバス作品『チューブ・テイルズ』は、予告編が最高にかっこ良かったが、本編もテンポが良い。『ミスター・クール』(エイミー・ジェンキンズ監督)は、導入部としての軽いコント。回送電車の冷たさとその中の孤独が伝わってくる。『ホーニー』(スティーヴン・ホプキンス監督)は、セクシーな女性に挑発されてうろたえる中年紳士の物語。Hな話にサッチーや王室の映像を忍び込ませるアイデアが笑える」「『グラスホッパー』(メンハジ・フーダ監督)は、ドラッグを運んでいた青年の大いなる勘違い。ブラックだが、もう一ひねりほしい。『パパは嘘つき』(ボブ・ホスキン監督)は、地下鉄への投身自殺を子供とともに目撃しおびえる子供に『落ちた』と嘘をつく父親の姿が悲しい。背景に妻との離婚と子供との再会があるから。『ボーン』は、ユアン・マクレガー監督。アイデアは良くあるパターンだが、嫌味なくまとめるセンスはさすがだ」

 「『マウス』(アーマンド・イアヌッチ監督)は、もっともインパクトがあった。地下鉄に乗り合わせた魅力的な女性とのかかわりを、それぞれに妄想する乗客たち。その彼女が、突然大量のゲロを吐き、周囲を汚しまくる。汚物をなめる犬に熱演賞」「ジュード・ロウ監督の『手の中の小鳥』はしぶい。淋し気な老人の手の中で息を吹き返す小鳥。地上へと急ぎ、小鳥を空に放つ老人の姿にうたれる。『ローズバッド』(ギャビー・デルラ監督)は、子供の目線での心地よいリズムがあり、ささやかなファンタジーがうれしい」「最後の『スティール・アウェイ』(チャールズ・マクドゥーガル監督)は、『銀河鉄道の夜』だった。アクションシーンから始まって、感動的なドラマがあり、意外な結末へとつながっている。見ごたえのあるストーリー。ただ、やや宗教くさくなって、それまでのポップ感覚が一気に薄れた」「終着駅での失速は、評価が分れるだろう」

 「9月19日に、札幌のプレシャス・ホールでシアター・キノ主催『チューブ・テイルズ・ナイト』が行われ、アンダーグラウンド映画の代表作と若手自主制作作品が上映された。麻生知宏&中島洋監督の『YOURSELF』(1970年、8ミリ、約12分)は、2画面のマルチ上映。北大の構内で裸で8ミリを向け合った2つの映像がスピーディに駆け回る。荒々しい力がほとばしる。寺山修司にほめられたのもうなずける。居田伊佐雄監督の『オランダ人の写真』(1976年、16ミリ、7分)は、写真をコマ撮りしてアニメのように見せる。入れ子構造になっていく過程が刺激的で、古さを感じさせない。一つのアイデアをとことんまで追求する姿勢に感動した。この夜の最大の収穫」「同じ監督の『子午線通過』(1977年、16ミリ、5分)も、かなり凝った映像。どのようにして撮ったのだろうという疑問が膨らむ。小池照男監督の『生態系5番』(1988年、ビデオ版、16分)、『生態系9番』(1993年、ビデオ版、13分)は、ノイズ系の作品。目まぐるしく動く映像、神経を逆撫でする音楽が切れ目なく続く。5分くらいなら我慢できようが、15分となるとかなりきつい」「周りの人たちは耐えきれずに席を立っていった。ケミカル系のコンセプトなのかも知れない」

 「若手自主制作作品では、短編集『デジタル トンデンヘイ』(2000年、20分、菊池玄摩監督)が、奇妙な味わいがあって面白かった。長沼里奈監督の『威風堂々』(2000年、13分)は、思春期の女性のゆれる感性を定着しようとしているが、まだ手付きがぎこちない」「関原裕司監督の『We were born to die or kill』(2000年、7分30秒)は、ハードボイルドタッチのアクション作品。銃を使った緊張感は見事。センスの切れは抜群に良い。『moment』(2000年、11分)は、アメリカン・ショート・ショート・フィルム・フェスティバル2000in札幌でも上映されていた。吉田学園デジタルステージ札幌学生CG作品集は、3D作品が多かったが、あっと驚くような映像には出会えなかった」

 「『最終絶叫計画』(キーナン・アイボリー・ウェイアンズ監督)は、まず、何よりも宣伝のうまさを誉めておこう。『アメリカン・ビューティー』(サム・メンデス監督)に対するスピルバーグ監督の賛辞をパロディ化した上で『早くもアカデミー賞絶望!』のコピー。心地よいギャグだ。そして、映画の冒頭は『シックス・センス』(M. ナイト・シャラマン監督)の『お願い』のパロディ。最初から徹底している。ストーリーの基調は『スクリーム』(ウェス・クレイヴン監督)。そこに、さまざまな映画のパロディを詰め込んでいく。『スクリーム』自体が、ホラー作品のパロディの色彩が強いので、メタ・パロディになっているとも言える」

 「パロディ映画は、アイデアだけになりがちだが、『マトリックス』(ウォシャウスキー兄弟監督)のカンフー・パロディは、技術力も光っていた。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(エドアルド・サンチェズ、ダニエル・マイリック監督)の鼻水シーンは、抜群のギャグ。ラストのオチは、 『ユージュアル・サスペクツ』(ブライアン・シンガー監督)。この作品のオチ自体が、かなりいかがわしかったので、パロディ化が作品批評にすらなっていると評価するのは、深読みだろうか。ペニス殺人という下ネタさえ、ホラーのフロイト的解釈と深読み可能なのが、恐ろしい。オバカ映画に翻弄されてしまった」

 「 登場人物は、ほどほどのアクがあって、作品にふさわしい。ドリュー・デッカー役のカーメン・エレクトラは、『ベイウォッチ』のお色気を振りまいて惨殺されるし、セクシーなバフィを演じたシャノン・エリザベスは、首だけになっても熱演していた。ドゥーフィ役デイブ・シェリダンの危ない演技には、別の意味ではらはらしたが、ラストのどんでん返しで、帳消しにする巧みさだ」「そして、逸材は、シンディ・キャンベル役のアンナ・ファリス。本当は、彼女が最も怖い存在だ。ひょうひょうと、とんでもないことをやってしまう」「彼女の前では、マスクマンも形無し」

 「『ハピネス』(トッド・ソロンズ監督)は、ほのかな甘さに包まれた猛毒。監督の人徳なのだろうか。とんでもない出来事が続発するのに、登場人物は大騒ぎしない。事実を受け入れる。すべてが悲しくてユーモラスな日常の中に溶け込んでいる。犯罪者のセンセーショナルな告白は、意外なかたちで静かに行われる。映像はけっして騒がず、観る者に判断を委ねる」「監督の人間に対するまなざしの深さは、尋常ではない。ただ、あまりにも淡々としているので、時折かったるい気持ちになる。『たるさ』が、この作品の一つの持ち味なのは理解できるが」

 「三姉妹をめぐる物語に見えて、観終った後に圧倒的な印象を残すのは、姉妹の周りの人たちだ。妄想をいだきながらいたずら電話をかけ続けているアレンの焦躁が伝わってくる。しかし、アレンに関わる人物の方が、さらに屈折していることが、しだいに明らかになる」「人恋しいがセックスが嫌いなクリスティーナは、レイプした男を殺して細切れにして少しずつ捨てている。精神科医のビルは、幸せな家庭を築き良き父親であるが、なんと子供の友達を眠らせて犯してしまう。犯罪が発覚し、子供に静かに真実を話すシーンが秀抜」「監督は、どんな人物からも距離をおいて、やや斜めから優しくみつめている」

 「阪本順治監督の女性が主人公の初めての作品『顔』。主人公は藤山直美。藤山直美の存在感に対抗するように、配役がすごい。この濃さは、ただ事ではない」「豊川悦治、國村隼、中村勘九郎、岸部一徳、佐藤浩市。男たちは、とりわけ個性の振幅が大きい。それにしても、中村勘九郎が酔っ払って藤山直美を強姦したのには、心底驚いた。終った後、香典袋のままのお金を中村勘九郎に渡して『取っとけ』と叫ぶシーンにも、ひっくり返ったけれど」

 「自閉症気味の生活を送っている正子は、母が急死したことをきっかけに妹への長年の憎悪が爆発し、妹を殺して逃走する。逃走先で、さまざまな人々に出会い、心を解き放っていく。動くことがおっくうなしぐさを見せていた正子が、自転車を覚え、最後には海を泳いで逃げ続ける中で、軽やかさを身につけていく」「表情も豊かになっていく。この辺の変化は、藤山直美だけあって、さすがにうまい。過酷な状況の中での笑いも板についていた」

 「シナリオをつくらず、現場でスタッフ、キャストと話し合いながら7日間で7日間の物語を築いていく手塚眞監督の『実験映画』。撮る者と撮られる者という関係を象徴するカメラという対立性を乗り越えて二人は出会う」「コラボレーションでありながら、手塚眞の耽美性が全編を覆い、異様なまでに美しい映像が綴られていく。方法論的にも映像処理的にも、実験性にあふれているが、それが魅力となって映画を輝かせている」「稀に見る力強い美学に貫かれた傑作だね」

 「理由も分らないまま映画を撮影することになった男を永瀬正敏が演じる。自身も映像作品を発表しているだけに、カメラを持つ手付きが様になっている」「そしてミステリアスな美しさが際立つ少女役の橋本麗香『白痴』以上に、その美貌が忘れがたい。演技に堅さはあるものの、前向きな姿勢が眩しい」「時間をかけて、大きな存在になっていく気がする」

kinematopia2000.10


 「ゴダールが20年の歳月を注ぎ込んだライフワーク『映画史』。蓮實重彦氏が『20世紀が後世に誇れる何かがあるとしたら、とりあえずはゴダールの『映画史』しかないと自信をもって言える時が必ず来ると思う』とまで言っていた作品。大きな期待とともに不安も感じていた。第1章。『何も変えるな、すべてが変わるために』というブレッソンの言葉と『戻るは大事業、大難事』という詩人ウェリギリウスの言葉が浮かぶ。そしてヒッチコック『裏窓』のジェームズ・スチュワートが望遠鏡をのぞきこむシーンのクローズアップが続き、おびただしい映像が次々と重なる。音楽が、言葉が土砂降りのように降り注ぐ。とても、ついていけない。断片から断片へとつながる意味を考える間もなく変化する映像に打ちのめされた」

 「しかし、第1章、第2章の苦行を通過すると、展開はかなり分りやすくなる。ジュリー・デルピーがボードレールを読むシーンでほっとする」「そして、意味を言語化するのではなく、映像の変化に無心で身をまかせる面白さを知り始める。性と死をテーマとする映像の連鎖、サラエボの悲劇を批判する声から『無防備都市』などのイタリア映画へ、ヒッチコックへの率直なオマージュ。見なれたシーンの間にいかがわしい映像が紛れ込み、唐突に政治と映画がシンクロする快楽。思わぬ切り口から映画の歴史が示される」「通常の映像による歴史記述ではなく、映像的に編集された歴史、映像的な思考への誘いでもある。そう考えると、かえって言葉に頼り過ぎるゴダールが気になり始める。視野の狭さという限界も見えてくる」

 「ゴダールが切り開こうとした映画史の可能性を、さらに広げられるのではないかという気持ちになる。誰もが映像を編集することが可能な時代になったのだから。映画の裾野はもっと広く、編集の仕方はもっと深い。ゴダールがたえず自分に引き付けて映画を語ったように、誰もが映像とともに自分を表すことができる」 「そんな思考へと駆り立てる力が、この作品には充満している。浅田彰氏が言っているように『それを体験し、そこからどれだけ生産的な反響を引き出させるかが、われわれに問われている』のだろう」

 「ベストセラー・コミックの映画化『X-MEN』。ブライアン・シンガー監督は、冒頭で差別・隔離・抹殺の象徴であるアウシュビッツの場面を置くことで、ミュータントと人間の共存についての思索を促そうとしているかのようだ」「ミュータント集団が人類との主戦派と共存派に分かれて闘うという悲劇的な枠組みよりも、触れた人の生命力や能力を奪う『力』に悩むローグの姿が痛々しい」「他者と関係をもつ事を恐れる思春期の怯えともつながり、その苦しみが伝わってくる」「社会派的な展開に続いて戦闘が始まるが、ハリウッドの大袈裟なアクションシーンを見なれた目には、やや地味に見えた」「ただ、さりげない場面での心憎いCGには、にやりとさせられた」

 「キャスティングは、めりはりがあって面白い。パトリック・スチュワートとイアン・マッケランの老練な演技とともに、アンナ・パキン、ファムケ・ヤンセン、ヒュー・ジャックマンらが魅力的に演じている。ミュータントたち、それぞれの個性も自然に描き分けられているが、レベッカ・ローミン=ステイモスが演じたミスティークだけは、冷徹さ以外の性格がそぎ落とされている」「見事なプロポーションは印象に残るけれど、人物像は空虚だった」

 「前作『スターシップ・トゥルーパーズ』のいかがわしさについては、批判的だが、その毒の強さは認めたる。新作『インビジブル』は、最新のCGを駆使した透明人間への変化の映像に寄り掛かった駄作。コメディ化しがちな透明人間ものに恐怖を持ち込もうという狙いは、見事に外れた」「最初のこけおどしのシーンからして志が低い」「透明人間になることで、潜在的な暴力が目覚めるという設定もリアリティが薄い」「お得意の性的描写が意外に控えめ。最後は、ハリウッドお決まりのアクションシーンで、めでたしめでたし。どこにポール・バーホーベン監督らしい悪意があるのか」「『ショーガール』のラズベリー賞には異議があったが、今回は文句なく推薦したい」「ただし、ジェリー・ゴールドスミスの音楽は、かなり気合いが入っている」

 「見せ場は、透明化したゴリラの可視化、そしてケビン・ベーコン扮するセバスチャン・ケインの透明化と、可視化の失敗。皮膚が消え、うごめく内臓がむき出しになり、やかて骨だけになる。10年前なら驚いただろうCGも、今では迫力不足」「『ハムナプトラ』(スティーブン・ソマーズ監督)のミイラの復活シーンの方が、まだ印象的だった」「考えてみると、内臓から透明化して皮膚は最後に透明化するはず。皮膚から順に透明化するというシーンは、見せ物小屋の発想だ」「恋人同士だったセバスチャンとリンダが、葛藤もなく殺し合うのを見て、バーホーベン監督の病んだ心が透けて見える気がした」

 「『ブリスター!』(須賀大観監督)は、今年の夕張映画祭で見逃してから、ずっと気になっていた作品。期待を裏切らないハイテンションの映画だった」「幻のフィギュア『ヘルバンカー』を探す熱烈なフィギュアフリーク・ユウジとその恋人麻美、そして二人を取り巻くフリークたちの物語。フリークたちの生態をリアルに再現するかのように見せて、実はSFコミックの嘘くさい世界に引き込んでいく。その虚実の揺れがなんとも面白い」「フリークの映画だけに細部をとても大切にしながら、大きな虚構を楽しもうという監督の意気込みが、ビシビシ伝わってきた」

 「ユウジ役の伊藤英明は、はまり役。『クロスファイア』(金子修介監督)より、ずっといい」「コミック『ヘルバンカー』をはじめ、登場するフィギュアは皆オリジナル作品。その力の入れように驚く」「エネルギッシュな音楽もメジャーデビュー前の新人たちが参加している」「それぞれの分野の若い才能が結集し、ほとんど『おたく』的なこだわりで制作されただけに、その熱気は映像の隅々にまで行き渡り、心地よい感動を運んでくる」「掘り出し物のフィギュアをみつけた時のような気持ち。長く記憶されることになる作品だろう」

 「民族派パンクバンド『維新赤誠塾』のメンバー雨宮処凛と伊藤秀人を追った反天皇主義の土屋豊監督の作品『新しい神様』。元赤軍派議長・塩見孝也の誘いで北朝鮮を訪問し、『よど号』事件のメンバーに出会うなど、貴重な映像があるものの、この作品は右翼、左翼をめぐるドキュメンタリーとはいえない」「雨宮処凛に個人的な関心を持った監督が、彼女にカメラを渡し、彼女がレンズを通して監督の向けて真情を告白する映像が大半を占め、やがて彼女も監督に好意を抱き始める。最後に監督自身が彼女への愛を表明する。映画制作を通じて急接近する二人の関係を記録した恋愛作品といった方が、いいだろう」

 「『天皇陛下、万歳!』と叫ぶパンクバンド、北朝鮮の映像記録、一水会の会合、雨宮処凛、伊藤秀人、土屋豊による宴会(?)とさまざまな映像で構成されているが、圧倒的に面白いのは雨宮処凛のユーモラスなほどに率直な告白だ」「酷いいじめに会い、自己嫌悪から自殺未遂を繰り返していた彼女は、鮮やかな生き方を示す民族派に出会い、救われる。切実な選択をした自分を巧みに相対化しながら、そのときどきの気持ちを語りかける彼女の表情が魅力的。ただ、それが監督個人に向けたものであることに気がつくと複雑な思いにとらわれる」

 「彼女は、カメラに語りかけながら、民族派の思想から、少しずつ自律し始めているように感じる」「監督との恋愛が代替しているのかもしれない。彼女が求めていたのは、依存だから。だが彼女は依存から抜け出そうという欲望も持っている。この辺の微妙な揺れが、この作品を貴重なものにしている」「彼女以外の映像を大胆に刈り込むことで、ポップな作品になった。その点を物足りなく感じる人はいるだろうが」

 「『五条霊戦記』。源氏の再興を目指して育てられた遮那王(しゃなおう)こと源義経は、山にこもり日々武術、妖術の鍛錬を続け、五条大橋で平家武者を次々と切り『鬼』と恐れられていた。影武者・芥子丸(けしまる)と護衛僧兵・剛人(ごうじん)を連れ、殺戮を繰り返した。修業を続けていた弁慶は『鬼を退治せよ』という啓示を受け、義経を討つために京に戻る。対決を阿闍梨に邪魔されるが、源義経は断食行によって『一切の神仏は無用』と悟り阿闍梨を斬殺、弁慶との闘いに臨む。義経と弁慶の物語を、血なまぐさい濃密なアクション作品に仕上げるという果敢な試み。最後には、力対力のテンションの高い決闘が待っている」

 「過剰な暴力を描かせたら、右に出る者がなかった石井聰亙監督。強度に満ちた映像は、ぞくぞくする興奮をもたらした。新作は、たしかに力強いが、かつてのような途方もない逸脱を用意している訳ではない。激しくはあるが、呆れ返るほどのスピードや破壊はない」「最後に赤子が出てくるが、石井聰亙らしからぬ平凡さだった。ただ、浅野忠信の氷のように冷え冷えとした鋭さが、隆大介の熱い重さと対照的で、不思議な魅力となっていた。鉄吉役の永瀬正敏も、相変わらずうまい」

 「まるバ会館で宮崎淳作品集が公開された。『真空氷』(1990年8ミリ映画・24分)『BORDER LAND』(1999年16ミリ映画・15分)『FLIP LIGHT CRUISER』(1998年16ミリ映画・10分)『RAPID FIRE』(1996年ビデオ・10分)『PRASTIC TEAR』(1995年ビデオ・5分)『DESIER』『MOTION PHOTOGRAFFITI』(2000年)。 宮崎淳氏は1988年の卒業製作が第2回イメージフォーラムフェスティバルで大賞を受賞した。現在、東京造形大学非常勤講師。フィルムで試みた多重のイメージを組み合わせる先駆的な映像手法は、今日デジタルフィルムによる標準的なスタイルとして定着している」

 「『真空氷』は、炎をモチーフにした作品。イメージフォーラムフェスティバル1991の"エクスペリメンタル・イマジネーション賞"を受賞している。今見ると、丁寧ではあるが、きらめくような才能は伝わってこない。『BORDER LAND』は、時間軸を持った写真という感じ。冷たい映像は確かに綺麗だが、音楽がないので観続けるのがしんどい。『FLIP LIGHT CRUISER』は、都市と女性を描いてとても魅力的。ファッショナブルな映像のつながりに力がある。『RAPID FIRE』も速度に乗った映像のきらめきが美しい」「『PRASTIC TEAR』は、危険な香りの短編。唇と有刺鉄線が刺激的だ。『DESIER』はプロモーション・ビデオ。宮崎淳らしいのだが、一般のビデオクリップとしてみても違和感はない。それほど、彼の手法が浸透しているということだろう。『MOTION PHOTOGRAFFITI』は、日記的な写真のコラージュ。手馴れているが、何故か物足りない。満ち足りているからか」

  「MIX2000ムービーショーケース&クリエイティブ・カンファレンスが、10月5、6の両日、札幌のジャスマックプラザ・ガイアで開かれた」 「5日のムービーショーケースは、『第3回インディーズ・ムービーフェスティバル』の短編入選作18作品を一挙公開。クリエイティブ・カンファレンスでは、セッション1『日本映画、21世紀の戦略(若手監督、映画制作会社に聞く)』と題してBUGの佐々木邦俊氏がモデレーターを務め、 早川 渉(映画監督)、佐々木昭雄(カルチャー・コーディネーター)、 橋本申ニ(スタイリスト、インディーズムービーフェスティバル・ディレクター)の3氏がパネラーとして、意見を述べた。セッション2『ショート&インディーズが変える新しい映像スタイルと新市場』では、久保俊哉氏(マーヴェリック・クリエイディブ・ワークス代表)がモデレーター、西村秀雄(インディーズ・ムービープロジェクト実行委員会代表)、高橋敬子(アメリカンショートショート実行委員プロデューサー)、アンドリュー・トーマス(映像ディレクター)の3氏がパネラーとして参加、今後の可能性について意見交換した」

「『第3回インディーズ・ムービーフェスティバル短編入選作』をまとめて観た。【Part1】『e-st@rt』(15分、新井 澄司監督)は、近未来アンドロイドもの。手作りで未来のせつなさを表現しようと努力しているが、少し無理が目立つ。『Syo SyoN 〜ショション〜』(11分、野口 康一監督)は、銃への志向が露な17歳の生々しい感性が、お笑いすれすれの映像を切実なものにしている。『駒奴―コマンド―』(12分、西田 啓太監督)は、だじゃれ的なアイデアを最大限に膨らませた力強い怪作。将棋ギャグで笑いをとる才能は貴重だ。一押し。『BOX』(13分、元川 達也監督)は、観覧車の中に大金があったらという設定。時間差攻撃が生きていない」

 「【 Part2】『いずれ得る光』(15分、後藤 紀幸監督)は、とても力が入っている。ここにも銃弾が出てくる。見えない敵との闘い。しかし、緊迫感が伝わっていない。『Quiet Landing』(12分、大西 悟監督)の自分探しの映像はリリカルで気持ちが良い。やや一本調子ではあるが、静止画を取り込んだ映像センスは高く評価できる。『オ・ハ・ヨ』(13分、岩松 顯監督)の心象風景はストレートに響いてくる。孤独、ギャグ、暴力、空騒ぎ。現代を描く一つの手法だろう」

 「【Part3】『あの向こう側へ』(18分、谷 大将監督)は、野菜に目とまゆをつけただけのあまりにも素朴なアニメ。しかし、哲学的な領域にまで踏み込んでいく脚本力はあなどれない。どんな展開になるのかと引き込まれた。切れの良いオチを期待したが、ラストは弱い。『手と卵』(15分、那賀島 康晃監督)は、とぼけた味わいの粘土アニメーション。男性の鬱屈感を表現しようとしたのだろうが、構成力のレベルが低すぎる。『摩訶不思議』(10分、坂本 サク監督)は、貪欲に表現可能性を探ったCGアニメーション。華やかさがある。やや統一感に欠けるが、小さくまとまっていない点に、むしろ将来性を感じる」

 「【Part4】『逢いたくて』(13分、五藤 利弘監督)は、ストーリーが臭すぎて好きになれない。『ころし日和』(19分、山口 雄大監督)は、見る者を引き付けるコツを身に着けている。ブラックなユーモアの連続技は一段抜きん出ている。『夢みるユカタン』(8分、細野 牧郎監督)は、インディーズのパワーはあるものの悪いところにはまってしまった。何故入選したのか疑問。『無限の力 〜INFINITE POWER〜』(10分、小久保 美乃亜監督)は、中学校の文化祭のために製作したもの。しかし驚くほど良く出来ている。ストーリーのオリジナリティは置くとしても、カメラアングルの的確さには舌を巻く」

 「【Part5】『匂う女』(15分、奥村 悠気監督)は、着眼点は良かったし、男優の熱演は認めるが、アイデアを生かし切る前に終ってしまった。『PORTRAIT』(13分、小山 寛史監督)は、心中を試みたものの女性が生き残り、死んだ男性の写真が『早く死ね』と迫る。ラストも含めて良くある話。『海底の雫』(10分、後藤 紀幸監督)は、美しい題名には似つかわしくない駄作。『にこにこ女』(10分、岡本 泰之監督)は、題名からは想像できない世界へと飛躍する。小気味のいいブラック・コメディ。CGの出来も及第点だ」

  「6日のショーケースは多彩。まず『サッポロ・インディーズ・ムービー』と 東京の 『インディーズ・ショート』を対比する面白い試み。『Moment』(関原裕司監督)はお馴染み。ピコグラフ作品集は『都市生活者』『のるかそるか』『TIGHTROPE』『家裁くん』の4作。『都市生活者』のセンスが傑出している。『並木道』(小野寺圭介監督 )は、照れずに叙情に徹する姿勢が清清しい。『砂』(長沼里奈監督)。冷たく落ち着かない、もどかしい作品。その他『アルバイト北海道』のCM作品が紹介された」

 「東京からは個性的な4作品を紹介。『爆弾娘の憂鬱〜恋の放射能〜』(小林エリカ監督)は、核爆弾の少女が主人公。もっとも否定されている存在を主人公し、彼女が恋するという展開。しかし、普通の生き物は放射能ですぐに死んでしまう。ブラックで可愛らしくて不気味なミュージカル・アニメーション。丈和の音楽も効果的。『抜く女』(フカサワカズヒロ監督)は、わざと汚く撮っている。あえて下品さを狙ったギャグ。『モロヘイヤWAR予告編』(蔭山 周監督)は、戦闘シーンが続くものの、監督は内向きな気がする。『サッポロ』(清水史郎監督)は、考えるだけでなく実践した勇気は認めるが下品なだけの悪ふざけ」「札幌は仮想されたリリシズムに傾き、東京は痛々しいギャグにのめり込んでいる。共通の孤独を抱えながら、やがて出会うことになるのだろうか」

 「『CGアニメーション』は、4パーツ。『しょんべん公園』(塩畑泰男監督)は、ほんのお披露目程度。完成が待たれる。プロダクションI.G.制作の『DIGITALS』、『Little Terra』(Wilson Tang監督 )に続いて『ill』(gooddy監督)が上映された。センスの良い質感のCG。男性の動きがうまい。血の表現も秀抜。女性にもっと表情があると、さらに完成度が増しただろう」

 「 注目の 『Onedotzero - "Wow & Flutter" program』(約80分)は、日本初公開。1『B-Creatures extract』(Butler Bros監督)、2『Hell for Leather』(Andy Martin監督)、3『Two Squares 』(Dylan Kendle監督)、4『3space』(Alex Rutterford監督)、5『Most Photos』(Robert Le Merle , Kate Rodgers監督)、6『Music for 18 Musicians / Steve Reich』(Jeremy Hollister監督)、7『 Salaryman』(Jake Knight監督)、8『Snack & Drink』( Sabiston & Pallotta監督)、9『Tourist 』(Spin監督)、10『Slammer』(D-Fuse監督)、11『Untitled 』(Crooked監督)、12 『Consumer cultures / Tongue 』(Stephen Wolstenholme監督)、13『July + My Chocolate Bar』(Nick@tomato監督)、14 『Tokyo Fish Market 』(John Warwicker@tomato監督)、15『Thumbnail Express』(The Light Surgeons監督)、16『Virgin Conference films 』(Why Not Associates監督)、17 『Giovanni and Dusty + Tel Aviv City Symphony』(Grant Gee監督)、18『I Never Said It Was For Ever』(Honey Brothers監督)、19 『Jubilee Line』(Tim Hope監督)と、いずれも個性があるが、『Tokyo Fish Market 』と『Jubilee Line』が、とりわけ印象に残った」

  「『アメリカンショートショート』は傑作セレクト。『The Light of Darkness』(Michael Cargile監督)、『More』(Mark Osborne監督)、『Elevator World』(Mitchel Rose監督)の3作はすでに見ていた。『Herd』(Mike Mitchell監督)は、へたうま風のSF。ちょっと『マーズ・アタック!』(ティム・バートン監督)を連想させる悪ふざけ、いじわるさだった」

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 「『アンジェラの灰』(アラン・パーカー監督)は、映画を観ただけでは、『アンジェラの灰』という題名の意味は分らない。フランク・マコートの自伝的小説の前半部分を映画化しているから」「アイルランドでの貧しい家族の姿を手堅く描写するアラン・パーカー監督。アイルランドがあまりに暗く、アメリカがあまりに明るく描かれているのは、時代的な制約だろう。こういう『おしん』的な作品は、久しぶりだ」「確かに歴史的な真実ではあるが、次第に実感が伴わなくなっている。それでも、こうした作品で貧困と差別の過酷さ、そして希望を失わない少年のまなざしが描かれると、現在も同様な事実があることに気付かされる」

 「フランク少年を演じるジョー・ブリーン、キアラン・オーウェンズ、マイケル・リッジの素晴らしさは、いうまでもない。こういう作品は、子役で決まるといっても過言ではない。母親アンジェラ役エミリー・ワトソンと父親役のロバート・カーライルは、ともに不幸と屈折した心情が似合う側面を持っている」ロバート・カーライルの父親は、繰り返し繰り返し描かれてきた愚直で不器用な父親像なのだが、やはり胸に迫る」「ラストは、明るいが複雑な思いが残る。アメリカへ向かうフランクの笑顔に、次々に死んでいった兄弟たちの影がちらついてしょうがなかった」

 「『グリーン・デスティニー』(アン・リー監督)は、武術の達人たちが大自然の中で闘い、悲劇的なロマンスが繰り広げられる。闘いは壮絶の一言。そのすさまじさに圧倒された」「とりわけ、女性同士の闘いは、美しさと激しさが交差しながら、長い時間、息もつかせぬ格闘が続いていた。さらに、ロマンスまでも、格闘なしには進展しないほど、全編を闘いが支配している。格闘から抱擁につながっていく流れは、意外な官能性でため息が出た。絶えまなく移動して壮大で多彩な自然の表情に浸り、美意識に支えられた武術の高みを楽しみつつ、大時代的な悲恋を味わう」「一歩間違うと大味な作品になりがちな題材を、巧みに料理し、大作の風格を持たせることに成功している」

 「リー・ムーバイ役チョウ・ユウファとユー・シューリン役ミッシェル・ヨーの二人は、ベテランの貫禄。人間離れした技を見せても、場がしらけない」「予想外の存在感があったのが、イェン役のチャン・ツィイ。政略結婚を間近に控え、自由への憧れに胸を焦がす少女が、密かに学んできた武術を生かして、無謀な冒険を始める。華奢な身体ながら、その情熱が全身にあふれ、なによりも勝ち気で意志的なまなざしが印象的。可憐さと暴力性を兼ね備えたイェンを見事に演じていた」

 「ボーダーライン・ディスオーダー(境界性人格障害)と診断された17歳の少女が、精神科で過ごし交流する中で、次第に自分を取り戻していく『17歳のカルテ』(ジェームズ・マンゴールド監督)。スザンナ・ケイセンの原作に惚れ込んだウィノナ・ライダーが、製作総指揮と主演を務めている。17歳というのは、いかにも無理があるが、力の入った演技を見せる」「1967年という時代の精神医療への批判は、現在ではかなり克服されているので、個性や多様性を尊重しようという主張は、それほどインパクトがない」

 「ウィノナ・ライダーの演技が、ややきれいごとに流れている一方、アンジェリーナ・ジョリーが反抗的な少女像をくっきりと浮かび上がらせる。なかなかの迫力。アカデミー賞最優秀助演女優賞もうなずける」「ラストでのウィノナ・ライダーとアンジェリーナ・ジョリーの対決は見ごたえがあった。その他、ハリウッドの新進若手俳優たちも難しい役柄を掘り下げ、好演している」

 「『カル』(チャン・ユニョン監督)には、血がはんらんしている。複数の死体を切り刻み、パラバラにして人の集まる場所に捨て、気に入ったパーツを取っておいて縫合する。猟奇殺人ものがタブー視されている韓国で、猟奇殺人の王道を行く本格的なスプラッター・スリラーが誕生した。スーパーのエレベーター、高速道路、グラウンドなど、死体の発見されるシーンが素晴らしい。映像とストーリーに迫力がある」「韓国の警察には『現場検証』という言葉がないのか、と突っ込みを入れたくなる場面もあるが、展開が早く、意外性に富み、複雑な謎が散在し、飽きさせない。韓国映画の勢いが感じられる1作だ」

 「『8月のクリスマス』(ホ・ジノ監督)で共演したハン・ソッキュとシム・ウナが、全く違う役柄で登場する。刑事役ハン・ソッキュは最後に職業意識を失い、シム・ウナは弱々しく清楚なイメージが豹変する。ハン・ソッキュの俳優としての力量は、折り紙付きだが、スヨン役のシム・ウナは『8月のクリスマス』以上に美しくなり、演技もうまくなった。可憐に見えながら、底なしの男性嫌悪を内に秘め、殺人を楽しんでさえいる悪女を演じて、背筋を凍らせる」「心に大きな闇を抱えたまま理不尽に殺されるオ・スンミン役ヨム・ジョンアも、強く印象に残った」

 「馬肉的な質感の『カルネ』。あの衝撃は、忘れられない。そして、待ちに待った続編『カノン』(ギャスパー・ノエ監督)が完成した。予想通りのねちっこい感触。娘に恋をした父親の世界への憎悪と赤裸々な欲望が、独白となってこだまする。怒りは、叩き付けるような映像によって、増幅されていく。私たちは引きずられるように、彼の後をついていかざるをえない」「あらゆるタブーに頓着することなく、己の下品な感情をむき出しにする父親に、爽快感さえ感じた」

 「問題のラスト。いかがわしさとリアルさのぎりぎりのところで遊ぼうとするギャスパー・ノエ監督の真骨頂だろう。『Attention!』の点滅では笑いと期待がないまぜになった」「良識派の批判にも配慮したユーモアだ。近親相姦のシーンも巧みに回避している。そして2つの結末が用意された。血塗られた破滅と愛による救済。多くの観客は時間的な関係で、希望に満ちたラストと受け取ることだろう。ここにも批判をかわす狡獪な遊びがみえる」「ヤン・クーネン監督が『上映したら殺される』と警告した作品は、高い評価を得ることになった。天晴れ!ギャスパー・ノエ」

 「『風花』は、監督デビュー20周年の相米慎二監督、13本目の作品。北海道でのロケがとても良く生かされているからか、さっぽろ映画祭2000のオープニングを飾った。小泉今日子と浅野忠信の顔合わせ」「小泉今日子は落ち目の風俗嬢、浅野忠信はアル中の文部省官僚という意外な役どころ。二人とも、新しい魅力を見せた」「小泉今日子にとっては、アイドルから完全に脱した記念碑的な作品となった。目尻のしわが、とてもいい」

 「東京で生きている実感を失いかけ、死を望み始めた二人が、死に場所として北海道へと旅立ち、富田の実家に向かう。春の兆しを感じさせながら、なお雪深い山の中で、富田は睡眠薬自殺を図り、澤城は必死に介抱する」「大自然の癒し力が、二人を立ち直らせる...。こう書いてしまうと、つまらないストーリーになる。しかし、相米監督の緊密にしてとりとめのない映像、ユーモアに満ちた屈折した会話によって、不思議な味わいのラブストーリーに仕上がっている」

 「相変わらず、驚異的なペースで新作を発表し続ける三池崇史監督。好き放題、したい放題に独自世界を突き進んでいる。『漂流街 THE HAZARD CITY』も馳星周の原作を、自分の映像センスでねじ伏せた」「冒頭、日本の入国管理局のバスをヘリコプターで襲撃するシーンで、もう開いた口がふさがらない荒唐無稽さ。軍鶏に『マトリックス』させるために、わざわざ緻密なCGを使う不敵さ、クライマックスシーンになんと卓球を登場させる馬鹿馬鹿しさ。映像にセンスとパワーがなければ、投げ出してしまいそうになるが、そこは三池マジック、しっかりと楽しませてくれる」

 「登場人物の背景説明はほとんどない。しかし、誰もが生々しい個性を露出させながら、あばれまわる。チャイニーズマ フィア・コウ役の及川光博の冷え冷えとしたニヒリズムにぞくぞくした。13年ぶりに映画出演した吉川晃司は、新しいヤクザ像を映像に刻み込んでいる。蹴った缶がカメラのレンズに当たるというラストは、やや平凡」「一度はやってみたいシーンだとは思うが」

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 「『初恋のきた道』を観て驚いた。力強く熱気に満ちあふれた『紅いコーリャン』や、スタイリッシュで濃密な空間描写に徹した『紅夢』を突き付けたチャン・イーモウ監督は、まったく別の世界を紡ぎ出した」「町から赴任してきた若き教師と村の娘の恋を中心にした小さな物語。美しい自然描写の中で、けなげな恋が描かれる。いとおしく忘れがたい味わいを残す。映像は変ぼうしたが、テーマにふさわしい映像を作り上げる確かな手腕は変わらない」

 「チャン・ツィイーのデビュー作である。いち早くツィイーの才能を見つけたチャン・イーモウ監督の慧眼に感心する。私たちは、先に『グリーン・デスティニー』(アン・リー監督)の勝ち気で意志の強いチャン・ツィイーの演技を知っている。だから、『初恋のきた道』での素朴な笑顔やちょこちょこ歩きが、自然なしぐさではなく演技であることも分かる。それでも、彼女の愛くるしい表情は、私の胸をときめかせる」「ツィイーは、2000年の新人賞だね」

 「『鮫肌男と桃尻女』でさっそうと登場した石井克人監督が、独特のユーモアをさらに押し進めた新作『Party7』。アニメも音楽もかなりテンションが高い。何よりも心地よい空虚な笑いが、最高にポップだ」「ばかばかしい会話がえんえんと続く、バラバラの会話劇のような構成だが、ラストで帳じりを合わせる見事さに脱帽。映画から離れているようで、しっかり映画している」

 「会話劇を盛り上げているのは、コミカルなキャラクターに徹した俳優たちの努力のたまもの。浅野忠信は、どんな役にも難なく入り込んでしまうが、今回の役はそんな中でもピカ一だろう。『風花』での文部省官僚役よりも驚いた」「そして、特筆すべきなのは原田芳雄のおかしさ。これまでのハードなイメージを一変させている。くすりとさせるユーモアのセンスは持っていたが、今回は抱腹絶倒の演技」「60歳の原田芳雄、恐るべし」

 「『ことの終わり』『クライング・ゲーム』『インタビュー・ウイズ・バンパイア』で、濃厚にして屈折した愛を表現したニール・ジョーダン監督だが、今回はグレアム・グリーンの原作の味わいを保ちながら、戦時下の激しい不倫劇を気品に満ちた映像で描き出した。神の視点を加えた古典的な展開ながら、見終った後には狂おしい思いが残る。少しばかり胸が締め付けられるような気持ちになった」

 「『イングリッシュ・ペイシェント』(アンソニー・ミンゲラ監督)で、忘れがたい演技を見せたレイフ・ファインズ。ベットシーンを含めて、どんな場面でも品位を醸し出す存在感は貴重だ」「ジュリアン・ムーアは高級官吏の妻にしては、崩れかけた雰囲気が強すぎるものの、不倫の関係に溺れていく姿は説得力があった。マイケル・ナイマンの音楽が、悲劇を盛り上げるが、どの作品も同じように聞こえるのはいただけない」

 「『ホワット・ライズ・ビニース』は、ロバート・ゼメキス監督が、全身全霊でヒッチコック監督に捧げたオマージュ。ヒッチコック作品の変奏の嵐。その徹底ぶりに感心し、ときには口元が緩む。大きな仕掛けではなく、細部を積み重ねることで恐怖や謎を膨らませいく繊細な手つきは、ヒッチコックが乗り移ったように見事だった」「私はゼメキスと感性が合わず、評価が高かった『コンタクト』『フォレスト・ガンプ 一期一会』も、神経を逆撫でされて不快な印象を持った。しかし、今回は鏡を効果的に使う繊細な演出によって、するりと作品の世界に入り込むことができた」「ラストのホラーは、ヒッチコックからの逸脱だが、ゼメキスのお遊びとして許してあげよう」

 「ハリソン・フォードが、ノーマンという名前で登場したときから、ただならぬ展開が予想された。これまでの俳優像を利用して、意外性を高めていく知能犯的な配役だ。ハリソン・フォードにとっても、大きな位置を占める作品となっただろう」「そして、ミシェル・ファイファー。最初からラストまで、彼女の演技にくぎ付けになった。不安が増殖していく過程を、美しい表情の変化でみせる。『恋のためらい』とは、まったく別の新しいファイファーがいた。ぞくぞくするほど魅力的だ」

 「『ライオン・キング』の舞台演出で、高い評価を得たジュリー・テイモアの初映画作品『タイタス』。シェイクスピアの戯曲中、最も残虐と言われている『タイタス・アンドロニカス』を大胆に組み替えて、ケレン味に満ちたスキャンダラスな映像世界を構築している」「確かに果敢な挑戦であり、想像力の豊かさも認めるが、今一つ突き抜けた美しさに欠ける。残酷なシーンの手前で引き返してくるような躊躇が感じられる」「だから、ラストの希望もさほど心に響いていない。ピーター・グリーナウェイ監督に似ている面もあるが、知的な悪意は感じられない」

 「何と言ってもタイタス役アンソニー・ホプキンスの名演技をたたえなければならない。彼の存在感がなければ、この作品は総花的なイメージの乱舞に拡散していたかもしれない。強引な展開にリアルさを与える力には脱帽する」「個性的なキャステイングだが、ラヴィニア役のローラ・フレイザーが鮮烈に印象に残った。まずタイタスの従順な娘として可憐な美しさを見せる。やがて、彼女は強姦され、舌を抜かれ、両手首を切り落とされて、そこに小枝を刺される。血を吐きながら無言で嘆く悲壮な姿は、痙攣的な美しさに満ちていた」「文句なく残酷美と呼べるのは、このシーンくらいだろうな」

 「『クレイドル・ウィル・ロック』は、ティム・ロビンス監督、5年ぶりの新作。不況と労働者のストライキが続く1937年の荒れたアメリカ。マーク・ブリッツスタインが作曲し、オーソン・ウェルズが演出した舞台『ゆりかごは揺れる』は、政府によって初日前日に中止された。しかし危険を顧みず舞台を成功させようと立ち上がった人々が、奇跡の舞台を生み出す。この歴史的な実話を中心に、大資本家ロックフェラー、大富豪マザーズ、ムッソリーニの元愛人サルファッティ、メキシコ人画家ディエゴ・リヴェラなどなど、じつに多彩な人物が登場する」「広い視野で多面的に1930年代のアメリカを描こうという意気込みが感じられる。その意欲は貴重だ」

 「歴史を複眼的に取り上げようという狙いは理解できる。しかし、そのためには3時間は必要だろう。さまざまな魅力的な人物が登場し、俳優たちも熱演しているが、駆け足の展開ではやはり物足りない。もっとじっくりと人間を描いてほしかった」感動的な舞台をそれだけに終らせるのではなく、資本家たちの思惑に抗した表現者たちの誇りとして位置付けたかったのだろうが、多くの話を盛り込み過ぎて焦点がぼけてしまいがちだった」「たしか歴史の多面性は伝わるが、散漫な印象も残った」

 「『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(ラース・フォン・トリアー監督)は、第52回カンヌ国際映画祭のパルムドールと主演女優賞をダブル受賞した。ドキュメンタリー風の映像とミュージカルシーンの緊張した二重構造で、チェコからアメリカに移民したシングル・マザー・セルマの痛ましい悲劇が描かれる」「深々とした裂け目をつないでいるのが、セルマ役のビョークの演技を超えた身ぶりと歌声。アメリカ社会の絶望的現実と人間の尊厳に満ちた希望が、こんな形で映像化されるとは」「ハリウッド映画では、けっして到達できない奇跡的な高みが、実現している」

 「ミュージカルを愛しつつアメリカミュージカルの浅さ、いいかげんさを認識していたトリアー監督は、思いもかけない方法で、ミュージカルを蘇らせた。これほどまでにミュージカルを生かしながら、既存のミュージカルを、そしてミュージカルを生み出したアメリカを批判しえた作品は初めてだ」「ミュージカルの舞台に立つことを夢見ていたセルマは、最も過酷な場面で、その夢を実現する。想像するだに恐ろしいアイデア。そして、打ちのめされるラストシーンが、本当はセルマの勝利だということに気がつくのだ」「20世紀を締めくくるのにふさわしい傑作」


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Visitorssince2000.09.07