占領軍検閲期間における朝日新聞の検閲言及報道

 

*朝日新聞戦後記事見出しデータベース1945〜1999 を「検閲」等のキーワードで検索し、さらに関係するものを選択した
*日付から記事全文にリンクしている。記事全文はマイクロフィルムと縮刷版から新字新仮名に置き換えて入力したが、判読しがたい部分は赤字で、補った部分は青字で表示した。

日付 見出し 記事概要
1945/08/21(火) 信書の検閲停止
流言蜚語防止に自戒
天皇陛下の有難き思召によって信書の検閲は二十日全国に指令を出し、即時停止することとなったので一般国民生活もこれによって一段と明朗化すると思う,然し検閲が停止されたからとて流言蜚語をとばすことは国内を混乱させ社会秩序を棄すことになるから、各自は特に現下の時局を冷静に認識して自戒し、国家機密を洩らしたり流言蜚語をとばしたりせぬよう特に注意していただきたい
1945/09/08 (土) 新聞、ラジオは検閲
武装解除は来月十日迄
・・・・・、東京その他の放送局は聯合軍の監視の下に放送を許可される、しかし新聞、ラジオは検閲を受けることになる模様で、このため特殊の訓練を受けた米軍の検閲班がすでに横浜に到着している
・・・・マックアーサー元帥代弁者の語るところによれば、米占領軍当局は日本諸学校の統制権を接収する筈であるという、また日本の諸新聞は近く米陸軍によって検閲を受けることになろうと述べた
1945/09/09 (日) 「もしもし」に御注意
外国向郵便物を米軍が検閲
逓信院では米軍進駐に伴い一般電話の使用に関し米軍当局が通話の内容につき傍聴することあり、また外国向け郵便物についてはその都度検閲を行う故電話使用者および外国向郵便物発送者の注意を喚起している
1945/09/15 (土) 同盟通信社業務停止
米軍司令部の命令
同盟通信社はマツクアーサー司令部の命令により十四日午後五時をもってその業務一切の停止を命ぜられた
1945/09/16 (日) 国内報道に限定
米軍司令部の命令
同盟通信社の業務
同盟通信社は連合軍最高司令官マツクアーサー元帥の命令により十四日午後五時半からその業務一切を停止したが、一五日午前十時連合軍最高司令部検閲主任フーバー大佐は河相情報局総裁、大橋放送協会会長、古野同盟通信社長を招致、日本の新聞通信、放送の報道振りに不満を表明した後、同盟に対し国内活動に限り業務再開を許す旨、マ元帥の命令として申し渡した・・・・・
1945/09/17 (月) 「対等感を捨てよ」
 マ元帥 言論統制の具体方針
連合国最高司令部は十日、新聞記事その他報道取扱に関する具体的な指示を通告した
一、事実に反しまたは公安を害するべき事項を掲載しないこと
二、日本の将来に関する論議は差支えないが、世界の平和愛好国の一員として再出発せんとする国家の努力に悪影響があるが如き論議を掲載しないこと
三、公表せらぜらる連合国軍隊の動静および連合国に対する虚偽の批判又は破壊的批判乃至流言を掲載しないこと
同指令部は十四日、同盟通信社に対しニュースの撒布停止を指令したが翌十五日同盟通信社長、日本放送協会会長および情報局総裁等を招集し今後の宣伝に対する厳重な警告をした。指示の内容は日本に対する言論統制の具体的方針を明確にしたもので一般の言論に対しても同様の規制が行われるものとみられる
1945/09/21 (金) ニッポン・タイムス 二十四24時間発行停止
1945/09/21 (金) 社告 朝日新聞東京本社が9月15,16,17日附掲載記事中「真実に反し又は公安を害すべき事項を掲載せざること」に違反したとして18日午後4時〜20日午後四時まで新聞発行停止を受け、19日、20日附新聞を休刊したことの社告
1945/09/23 (日) 連合軍司令部より
新聞紙法を指示
日本の全刊行物に適用
日本における新聞の自由を確立するという連合軍総司令官の目的に沿うために日本に対する新聞規定が発表された、この新聞規定は新聞に対する制限ではなくして、自由な新聞の持つ責任とその意味を日本の新聞に教え込むためである。、而してニュースの真実性および宣伝の払拭という点に重点が置かれており、、本規定はニュース、社説並に全新聞紙に掲載される広告は勿論、この他日本において印刷されるあらゆる刊行物に適用される
1945/09/25 (火) 「快男児」検閲保留 東宝映画「快男児」は近く公開されることになっていたが、検閲の結果、24日保留と決定した
1945/09/26 (水) 「報道の自由」確立
最高司令官
方針を明示
政府統制から解放
最高司令官は日本政府に対し、各新聞社ならびに新聞通信社に対する直接乃至間接の統制を差控えるよう命令した、右命令は「新聞界の政府からの分離」と題し、日本国民に対し真実かつ統制を受けないニュースを保障しようとする最高司令官の明示的意図に基いている
1945/09/30 (日) 新聞、言論の自由へ
制限法令を全廃
連合国司令官「新たなる措置」通達
日本政府はマツクアーサー元帥の指令により新聞並に通信の自由に対する一切の制限を即時撤廃するよう命令された、右命令に基き日本政府は新聞、映画、郵便、電信、電話その他書面によると口頭とを問わず一切の意思表示の方式の自由に対して制限を課する総ての法令を撤廃しなければならぬ
1945/10/06 (土) 東京五紙に事前検閲 連合軍最高司令部では去る九月十四日以来同盟通信社発行ニュースの事前検閲を実行しているが、新聞通信の事前検閲制度を東京五紙に拡張実施することとなり、五日午前十一時総司令部検閲係長ピータース大尉は朝日(東京)、毎日(東京)、読売報知、日本産業経済および東京新聞の五社編集局長を招集、来る八8日より実施する旨を通達した
1945/10/07 (日) 軍事検閲を撤廃
マツクアーサー元帥は日本の新聞ラジオを除く軍事検閲を撤廃した 本措置は即時効力を発する
1945/10/11 (木) 郵便等に検閲制
連合国軍の命であす閣令公布
戦時中施行された親書に対する検閲は終戦間もなく去る八月二十日廃止されたが、このほど連合軍最高司令官の命により再び検閲が郵便物、電報及び電話通話に対し行われることとなり、・・・・政府は十日の閣議でこれに必要な閣令案を決定し、逓信院で連合軍検閲当局の要求に従って通信検閲について協力することとなった・・・
1945/11/09 (金) 言論暢達阻害せず
マ司令部新聞検閲方針を表明
日本に新聞に対する検閲規定は、元来占領軍に反感を起させるような記事をなくするだけの目的をもったものであって、言論暢達や日本の民主主義促進に役立つ記事を制限するような意図はない、・・・連合国を批判する記事は検閲を受けることになっており、東京にある連合国軍事使節団の要求または抗議があれば差止める・・・
1946/01/31 (木) 未検閲映画上映禁止 連合軍総司令部二十九日発表によればマ司令部は同日日本政府に対する覚書で聯合軍民間検閲部の検閲を経ない日本映画の公開を禁止した・・・
1947/06/06 (金) 検閲の緩和を考慮
教授学生の渡米を準備 ボールドウィン氏談
米国公民自由連合理事ロージャー・N・ボールドウィン氏は・・・総司令部の検閲緩和は時期の問題であり、それはマックアーサー元帥の決定による、新聞のみならず、ラジオ、映画、演劇、紙芝居の検閲が緩和されるのは時間の問題である、出版物に検閲については全国の四千二百に上る新聞雑誌のうち八百五十が事前検閲を受けているが、新聞に対する事前検閲は近く緩和の可能性がある、また国際郵便に印刷物の輸送が禁ぜられているがこれも撤回して差支ないと思う、等と述べた
1948/04/08 (木) ”米著作品検閲せず” マ元帥 ハ氏に回答 アメリカの著作品は占領政策を批判したものといえどもなんらの検閲統制を受けるものではない
1948/04/15 (木) 新聞も事後検閲へ
総司令部近く緩和の方針
総司令部の検閲制度は漸次緩和されており、日本の新聞はこゝ数ヶ月内に事前検閲を受ける必要がなくなるものと見られる、もっとも「占領政策」に対する破壊的な批判と共産党宣伝」の機会を最小限にくい止めるために事後検閲制度は今後も継続されよう、
1948/07/16 (金) 新聞の事前検閲廃止 総司令部は15日日本の大新聞16社、大通信社3社に対する事前検閲を廃止した、しかし総司令部では事後検閲制度によりこれらの新聞通信社の使用する記事の内容には引続き注視を怠らず、もしプレスコード違反のあった場合は警告を発すべく従って発行停止と言うこともありうることである、その他の小新聞、通信社三十五社に対しては従来通り事前検閲が行なわれるが、民間情報局長ブラットン大佐によればこれらに対してもまた十日以内に事後検閲が適用されるはずで、この中には共産党機関紙「アカハタ」も含まれている

歴史と「書かれたもの」