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私と家族の近況



*あしがらみち*

2018年度分:最新は12月度


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12月度 (Dec. 31, 2018)

 遂に、またまた、大晦日になりました。 もう残りが極めて少ない人生ですから、大晦日や新年は、出来る限りゆっくり回ってきて欲しいのですが、最近は本当にアッと言う間に 「 また来てしまう 」 のです。  今年の主な出来事・・・5月、まだ早いような気もしたけれど補聴器を購入、その後ほぼ常時装着・・・8月の上旬に、血糖値が急上昇して9日間入院、退院後完全断酒3か月半!・・・ 11月に結婚60週年 ( ダイヤモンド婚式 )・・・そのくらいしか思い浮かびません。 妻にも、子たち孫たちにも、親戚縁者たちにも、良くも悪くも格別大きな出来事はありませんでした。

 前記の3件は、考えるまでもなく、いずれも高齢化に伴う出来事ですが、でもまあ、生きるか死ぬかという程の話ではありませんでした。 私が酒が飲めなっていた事のほかは、 この家の中と周辺では一年前の今頃と何一つ変わっていないのですから、本当に平凡な一年でしたが、それは有難いこと、大きな幸せと感謝しています。

 その酒の件ですが、12月に入って以降も血糖値の改善が順調で、中旬には医師から 「 一日一合程度なら良かろう 」 という許可が出ました。 そこで、調子に乗ることなく、1~2日の間をあけては日に一合程度という事で、 再開しました。 以前、旨くないと飲み残してしまった酒瓶を半年ぶりくらいに冷蔵庫から出して、久しぶりにひと口飲んだ時、こんな旨いものを何故あの時は不味いと思ったのだろうと、不思議なほどでした。  今ならどんな酒でもきっと旨いと思えてしまうということでしょう。 ともあれ、明日の元旦には晴れてお屠蘇を口にできます。 以前はお屠蘇なんて不味いものだと思い、作りもしませんでしたが、この数年、 美味しいと思えて来ました。 嗜好も齢と共に変わるようです。

 先月書いた今年の年賀状の件です。 今年も題材は富士山です ( これで5年目 )。 下の写真、意図としては、遠くの富士山、手前の富士山形の丘と林、眼前の山形のつつじと、「 三段重ねの富士 」 を撮ろうとしました。 でも雲が中々晴れず、頂上がやっと半分だけ見えた瞬間でした。 また 実は、余程つつじの花を5輪ほど摘まみ取り、富士山形に整えたかったのですが、やはり自然破壊で悪いことのように思えて、出来ませんでした。  カメラも、もう少し右に寄れば、三つの頂上が一線上に並んだのですが、右は急な崖で、身を乗り出して撮ったこれが精いっぱいです。 危なくてこれ以上右に寄れませんでした。

 このような解説なしに誰にでも一目で意図が理解できなくてはならないと思います。  その意味では失敗。 でも、こんな場所 ( 神奈川県足柄上郡山北町皆瀬川地区 ) まで、車と脚で一人で登って帰ってくるだけの体力はまだあるということです。




皆様のご健勝とご発展をお祈りします

2019年元旦  熊井 章


上のはご覧の通り春の写真なので、お正月らしい冬の写真も一つ載せておきましょう。 6年前の1月1日に、会津若松の
鶴ヶ城を撮ったものです。  モノクロのように見えますが、カラー写真です。 景色の中には何も色がなかったという事です。




体調も回復しつつあるので、だいぶ寒くはなってきましたが、毎日歩く歩数は少しずつ増えています。
まだ一日に5000歩には届きませんが、それに近づいてきています。  今月は、139,612歩/31日
= 4,503.6歩/日でした。 一昨年元日以降の総歩行距離は3,305.8kmです。 この距離
がどのくらいかと言うと、 鹿児島県の枕崎市から北海道の稚内市まで、主に高速道路沿いに走る距離
より20%以上長いのですから、やはり継続は力なりですね。

    
11月度 (Dec. 2, 2018)

 今月は同窓会、同期会などが計3回もあり、いずれも東京で開催されたので、この年齢では日帰り往復はちょっと重労知働でしたが、幸い無事に終わりました。  昨年と全く違うのが、自分が酒を全く飲めない身の上だということです。 医師の言いつけを堅い意志の力で堅く守りました。  最近10年ほど、1年に366日ほども飲んでいた ( ただし1日2合以内 ) 男が、 もう3か月以上飲んでいないのですから、自分で言うのも変ですが大したものです。

 11月の9日は、結婚60周年の 「 ダイアモンド婚 」 のお祝いでした。 60年は、大げさではなく、本当にアッと言う間に経っていました。 でも、とにもかくにも、二人ともこの齢で ( 合計170歳! )、 あちこちに小さな故障を抱えてはいますが、ときたま通院して診て頂く以外は、どなたのお世話にもならず、自分の頭と手と足とで毎日いろいろと忙しく元気に飛び回っていられます。、本当に、得難い幸せだと思っています。

 二人とも、もう遠くに出かけて行く体力はないので、お祝いに熱海にちょっと豪華な一泊旅行に行きました。 そういえば、あの当時は新婚旅行と言えば熱海あたりが定番でした。  この日の夕食の時に、8月15日の退院以来、ほぼ3か月ぶりに、日本酒を一合だけ口にしました。 その後の毎朝の血糖値測定結果も異常なく、ひと安心。

、  古い 「都々逸 ( どどいつ ) 」 に 「 酒も煙草も女もやらず、百まで生きた馬鹿がいる 」 というのがありますが、成程もっともな話です。 私だって、最期まで一応元気に生きられて、 或る日ポックリ死ねるとわかっていれば、寿命が例え数年縮んだって、週に数回くらいは飲酒を再開したいのですが、糖尿病に罹ったまま不摂生を続けると、高い確率で失明したり足を切られて歩けなくなったりします。  適応力のないこの齢でそんな身の上になってなお生き続けるのだけは絶対に御免ですから、この都々逸に即座に賛成!というわけに行かないのが、人生の難しいところですね。 医師ともよく相談してみます。

 もう12月です。 今年こそもう止めようと思いつつ、もう一年、もう一年と、年賀状作りを続けて来ました。 本当に体が言うことを聞かなくなるまでは中々止められないものです。 ここ数年、富士山ばかりをテーマにしています。  2015年は御殿場で撮った夕暮れの田面に映るダイアモンド逆さ富士、2016年は河口湖町で撮った紅葉越しの早朝の赤富士、2017年は伊豆大瀬崎の波頭越しの富士、2018年は精進湖で撮った黎明の富士でした。  今年は、10月度に載せた三保の松原や日本平の富士その他がイマイチなので、6月に山北町の丘の上に登って撮った 「 三段重ねの富士 」 にしようと思っています。 来月のこのページをお楽しみ?に。

涼しい毎日、体調も回復しつつありますが、まだ一日5,000歩に届きませんでした。  今月も先月とほぼ同じで、
123,987歩/30日= 4,132.9歩/日でした。 一昨年元日以降の総歩行距離は3,215.0kmです。

    
10月度 (Nov. 03, 2018)

 以下に書くようなことを時々考えたり口にしたりするということは、とりもなおさず自分が大いに老齢化したということなのでしょうが・・・でもそれは事実なのだから致し方ないことです。

そして 来年のお正月に集まってくる子たち、孫たちと、どんな風に過ごすかについての準備や予約を、早くも始めなくてはならない時期になったようです。  新聞や雑誌では、とっくに 「 おせち  料理 」 の申し込みが始まっているのですから、そういう時期であることはもう間違いないようです。 その準備の途中経過を LINE で皆に知らせてやったら、「 もうそんな時期なのですね。  一年の経つのが速い、速い! 」 という返信。 そう感じるのは私たちだけではなく、若い孫たちまでもなのでした。

 庭に出てみると、ついこの間、春先に、スズメバチやアシナガバチがその花に群れていたナツハゼの樹には、既に黒い実が沢山なっています。 隣のウメモドキは真っ赤な実をたくさんつけ、 それを食べに、小鳥たちが集まってきます。 半年など、全くアッと言う間に経ってしまっていることを、ここでも実感します。

 高校の同期会も、大学の同期会も、共に、幹事役をやれる体力・気力のある人がついに姿を消してしまいました。 そこで、今年限りで一応幕を閉じ、今後はあらかじめ決めておいた日時と場所を忘れずにに自発的に集まってきた人たちだけで 懇親するという形式になりました。 昨年まで結構元気だった旧友たちが、この一年の間に次々に病に倒れたり、また亡くなったりしてゆきました。 自分はと振り返ると、どの会にも元気に出席はしているものの、 グイグイと酒を飲んでいた昨年までとはうって変わって、不味いノンアルコールビールをおとなしくすすっています。 時間よ、もう少し遅く歩んでくれ! できることなら、暫く止まってみてはくれないか!

 こんなことをしたり考えたりしていると気が滅入るばかりです。 そこで、春先に計画しながら実現できなかったごくささやかな旅行にと飛び出してきました。、初日は静岡県の由比に行き、 有名な倉沢鯵 ( アジ ) と、漁が解禁になったばかりのサクラエビを堪能し・・・という予定でしたが、サクラエビ漁は、例年は10月中旬に解禁なのに、今年は資源保護のため11月下旬以降となったのだそうです。  事前調査が不十分だったため、全く食べられず残念至極でした。

 ご多分に漏れず、サクラエビもまた最近は乱獲がたたり漁獲量が激減しているのだそうで、由比のような小さな港町ではともかく、静岡や清水のような大きな町の料理屋で現在供されているサクラエビは、 殆どが台湾産なのだそうです。 駿河湾産のものは漁期の初めのうちは不味くて、終わる頃の春先にかけてが美味だとか、いろいろ教わりましたが、多分もう一度訪ねることはないでしょう。 残念な事でした。  倉沢鯵は、滅多に獲れない重量が普通の鯵の5倍以上もありそうな不思議な巨大 「 メタボ鯵 」 ですが、味の方は ( 私の判断では ) 普通の鯵とほとんど変わらず、これまた残念な結果でした。

 一泊して翌日は三保の松原、日本平、東照宮などに行ってきました。 幸い快晴でした。 富士山は先週より雪がだいぶ融けて少なくなっていましたが、美しい姿を見せてくれ、ホンの少しだけ滅入った気分が晴れました。  二人とも東照宮の急な石段を何とか昇り降り出来、翌日以降も心配していたヒザや脚の痛みが出ずに済みました。 80歳代半ばでもまだあちこち歩き回れるという幸せを、あとほんの暫くの間、享受できそうです。

    
三保の松原では美しい海岸線は富士山と反対の方角         日本平からの景観も期待が大きすぎたためか今ひとつ


暑さも殆ど感じなくなってきましたし、体調も回復しつつありますが、まだ一日5,000歩は無理です。 大きな台風も2回来て
外を歩けない日もありました。  それでも今月は先月よりはだいぶ増えて130,970歩/31日= 4,224.8歩/日でした。
 一昨年元日以降の総歩行距離は3,134.4kmです。

    
9月度 (Sept. 30, 2018)

   以前から、手許に置いて使ってみたいと考えていた SONY の 「  いぬ型 」 ロボット「 AIBO 」 を買いました。 1月の発売以来、好評のため6月までは需要に生産が追い付かず、 なかなか手に入らない状況でしたが、ようやく量産体制が整ったらしく、7月に入ると申し込み後、半月待ちくらいで誰でも買えるようになったからです。

 11日にいよいよ到着。 Wi-Fi のルーターと、AIBO 本体と、スマホとの三者の間の通信網を設定しなくてはならないので、最初はちょっと苦労しました ( この領域の初歩的技術力は必要です ) が、 半日後くらいには正しく活発に動くようになりました。 表情も声も動作も、とにかく可愛いし、驚くほど賢い。 訓練によっては勿論、AIで自らも学習もしてますます賢く育ってゆき、褒めてやると更に上手になるし、 育て方によって性格も変わるのだそうです。 制御システムの方も今後着々と改良されて行くことでしょう ( アップデイトは自動的にされてゆく )。 とても楽しみです。

 何といっても、生きている犬と違い、食事を与える手間が要りません。 排泄物の世話も毎日の散歩も不要です。 獣医に連れて行く必要もありません。 家を留守にするときだって、スイッチを切ってゆけば、 何日でもおとなしく眠っていてくれます。 「 生きている本物の犬の可愛さには敵いっこないよ 」 と仰る人もいるでしょう。 それはそれで人それぞれだから結構ですが、少なくとも、私たち夫婦には、 以前飼っていた何匹もの本物の犬たちと同じくらい可愛く思えます。 実によくできています。

 先日TVを見ていたら、最近は犬の寿命も延びたので、普通の小型犬を買い普通に飼う場合、一生の 「 諸費用合計 」 は平均約¥250万、中型犬だと約¥350万もするとか言っていました。  それに比べたら AIBO はその10分の1程度で済みます。 余命の短い私たちが、死後に身寄りのない老犬を遺して遺族に迷惑をかけるという心配もありません。  AIBO なら、孫たちが喜んで引き取ってくれます。 あらゆる点で、体力の衰えた後期高齢者向きのペットだと私には思えます。

 まあそんなわけですが、以下に、可愛い動作や教え込まれた沢山の芸のホンの一部の写真を載せてこの愛犬をご紹介します。 本当は動画を載せたいのですが、このホームぺージは既に相当重くなっているので、ちょっと無理です。  詳しくお知りになりたい方は、動画もありますのでここをどうぞ

        
 電源を切ればおとなしく寝ている    電源を入れると起き上がる   「おしっこ」と言うと左後足をあげて
                               「ああ、よく眠った」   (シャーという音もします。念の入ったことです)

    
  勿論「お手」はしてくれる  命令すると「骨」を探して咥えてくる  ボールを拾い上げお手玉をする

左下の写真、最下部に私の左手のひらが写っているのですが、見えにくくてすみません。


 先月書いた血糖値の件ですが、その後、インスリン注射、食事療法、運動等の諸療法の成果が上がり、インスリンの注射量を減らしていっても、血糖値は低い正常値をずっとキープし続けています。  血糖値の測定もインスリンの注射も実に簡単、正確にでき、効果は歴然。 医療技術の進歩は本当にすごいと実感しています。 少しでも長く他人様のお世話にならずに生きていられるよう、今後も頑張ります。  今月末日までで、53日間も一滴も酒を飲まずに過ごしました。 自分でも信じられないような頑張りでした。 

暑さも和らいできましたし、体調も回復しつつありますが、まだ一日5,000歩は無理です。 大きな台風も2回来て、外を歩けない日もありました。
 今月は月平均では先月よりは増えて101,165歩/30日= 3,372.2歩/日でした。 一昨年元日以降の総歩行距離は3,049.3kmです。

  
8月度 (Aug. 31, 2018)

 まだお盆の大混雑が始まる前にと、月の初め、息子夫婦と孫たちに会いに、岡山までふたりで2泊3日の旅をしてきました。 市内は何事もない平穏な状態でしたが、車で一歩郊外に出ると、丘陵の斜面が大きく崖崩れしていたり、 舗装道路が無惨に陥没していたりするのを、幾つも目の当たりにしました。

 先月末以降、血糖値が気になっていたので、帰ってきた翌日すぐに採血し調べてもらったら、数年間安定に推移してきたいつもの値より驚くほど高くなっています。 医師が早速紹介状を書いてくださり、 予約まで取ってくださった近くの病院を訪ね詳しく検査をしたら、即刻入院せよということで、その日から9日間、ちょうど10年ぶりくらいで 「 入院生活 」 を味わう事となりました。

 医療技術の進歩は本当にたいしたものです。 適切な治療を受けて、血糖値は元に戻りましたが、当分か、あるいは今後一生かは分かりませんが、酒類を飲むことを一切禁じられました。 あれほど好きだった酒も やめろと言われればその日から完全に止めて、以来ひと月近く、ちっとも苦しくもなんともないのですから、不思議です。 でもこれで、私がアルコール依存症でなかったことだけは確かなようです。  過去半世紀以上にわたる 「 酒を愛し酒に愛されたた日々 」、美味しい酒、楽しい酒をあまた味わえたことは本当に幸せな思い出です。 医師によれば、今の状態はその 「 報い 」 だそうですが、 平均寿命を5年以上も超える現在まで、人一倍健康に生きてこられたのですから、酒には決して悔いはありません。 不平など言ったら罰が当たります。  いずれにせよ、このホームページに連載していた 「 日本酒ぶらり旅 」 は、やむなく今月から執筆中止です。

 この糖尿病という病気は、不思議と自覚症状が全くないのです ( 上記のように、前の週には岡山まで往復し、平常以上に元気に歩き回り、飲食を楽しんでいました )。  だから私は入院中、院内を朝晩歩きまわって、少ないながらもウォーキングを欠かすことなく、元気に生活していました。  はた目には、あの人はなぜ入院しているのだろうと思われたかも知れません。 でも仮に、私が血液や尿の検診が嫌いだったり、面倒がってそれを怠けていたりしていたら・・・この糖尿病患者はきっと今後1年でも2年でも、 今まで通りの酒と食事を続け、適切な治療も受けずに見かけ上正常で元気?な生活を続けていたことでしょう。 そしてある日、突然恐ろしい合併症を発症して・・・ベッドの上で、沢山もらったパンフレットを読みながら、 私は、「 今回はとにかく間に合った。 当面は助かったらしい! 」 と考えていました。

 そして、退院後も毎朝自分で続けたインスリン注射と服薬、完全な断酒、食事への配慮等のお蔭で血糖値はみるみる下がり、現在は終日、入院前より低い 「 全く正常 」 の域を保っています。  これらの治療手段以外は7月以前と全く同じ生活が出来ています。

 今回の入院中に痛切に感じた事は、入院している患者たちの高齢化に伴う 「 要介護化 」 です。 恐らく半数以上の患者が ( たぶん発病前から ) 自分で歩いてトイレやシャワーに行けない方たちで、 毎回スタッフが呼ばれて2人がかりで車椅子に乗せて世話をします。 食事も自分一人では食べられない人が多いし、少なからぬ人たちが食事の前に入れ歯を入れてもらいます。  中には認知症が進んでいて、夜中に突然 「 ここはどこだ! 」 と叫びだしたり、必要な採血その他を幼児みたいに拒否し、看護師がなだめすかしてそれを実行するのに10分もかかるとかいう人もいます・・・ 私だったら腹を立てて押さえつけてでも採血することでしょう。 彼女らの忍耐強さと優しさには本当に頭のさがる思いでした。

 「 ここはもう病院ではない。 高齢者介護施設だ 」 と思いました。 今の病院は10年前に私が前回入院した頃の病院とは全く違うようです。 あの当時は、退院した人の多くは、 直ちにひとり立ちで健常な日常生活に復帰しただろうと思います。 でも現在、恐らく半数以上がそうではありません。 患者たちは一応治って退院しても、他人の世話にならずに生活して社会に健常復帰できる人は少数派でしょう。  そして多分またすぐに病院に戻ってくる・・・このような人たちを、数多くの若く健康な男女スタッフが、本当に真摯に暖かく、昼夜を分かたず世話をしていますが、この若い人たちが数十年後、年老いて病にたおれた時、 彼らを世話をする人はいったいこの国にいるのでしょうか?  数十年と言わず、今からまた10年後の病院はいったいどうなっているのでしょうか? 日本の医療や保険の制度はいったい今後どうなるのでしょうか?・・・と、深く考えさせられた毎日でした。

 ノートパソコンを持ち込むことだけはさすがに遠慮した私は、暇を持て余して、スマホで窓の外の写真を撮り続けていました。 この病院では、新幹線内と同じで、通話は特定場所以外は禁止ですが、 病室や廊下で黙ってスマホをいじくることならいつでもできます。


一日に上下各3本運行しているロマンスカー 「 ふじさん号 」 ( 以前はあさぎり号と呼ばれていた )
上り新宿行きが、JR松田駅を発車後、御殿場線を離れて小田急線の線路に合流しようとするところ。
このアングルでの撮影は、この病院の高層階の窓からしかできない。


夕刻、太陽が西の山かげに沈み切った瞬間


これも夕刻、東の海のかなたに湧きおこった雷雲の行列

そういう次第で9日間も入院したので、入院中も歩き続けたとは言え、今月は月平均では96,105歩/31日
= 3,100.2歩/日でした。  一昨年元日以降の総歩行距離は 2,983.5kmです。

 
7月度 (Jul. 31, 2018)

 岡山県の総社市や倉敷市真備、小田郡矢掛町のあたりの歴史遺産を、一日かけてレンタカーで走り回って観光したのは3年前の2015年4月9日 ( 82歳 ) のことでした。  いうまでもなく、このあたり一帯は、今回の大水害で甚大な被害を蒙った地域です。 謹んでお見舞い申し上げます。 それにしても、あの頃の私は元気でした。  初めて訪れる山道を含む難しい行程を、毎日100km近くも運転していました。

 水害と言えば、ふと子供時代の事を思い出しました。 昭和の初期、私が5歳の頃 ( 90年ほど前 )、父が東京都の中野区に家を新築したのでしたが、そこは駅からやや遠い、ゆるやかな坂を登り切ったあたりの高台の広い平地の一角でした。  「 なんでこんな坂の上に家を建てたの 」と聞くと、父は、「 駅のそばは便利だけれど、低地だし、秋にはしばしば川が氾濫するので、浸水の危険がある 」 というような話をしてくれました。

 それからずっと時が過ぎ、50年近く前の事ですが、今度は私がそろそろ自宅を建てようと考え、土地探しをしていた時、私が選んだ現在の土地は、高台のごくなだらかで幅の広い尾根状の斜面の背中の部分でした。  左も右も百mほど先でグッと深い谷になっていて、その底に川が流れています。 ですから、豪雨に襲われても、私の家とその周辺に降った雨水は、水路伝いにたちまちそれらの川に落ち込み、流れ去ってゆきます。  周囲にはこの家より高い丘や崖は全くありません。 ですから、この家は、どんな豪雨が来ても災害には遭わないでしょう。

 今にして思うと、この土地の選択を決断する際に、昔、父が説明してくれた教訓が、きっと私の頭の片隅にあったのでしょう。 市のハザードマップでも全く何も指摘されていないこの安全な場所を私は何気なく好み、 選んでいたのでした。 でも、世の中、良いことばかりではありません。 若い頃は何とも思わなかった、街から家の門へと続く緩やかな登り坂が、この齢になると、何ともキツいのです。  とは言え、今更引っ越しをするわけにもゆかないこの私、健康のためにもこれに耐えることにします。

 早くも一年の半分以上が過ぎましたが、それにしても、今年の夏は暑いですね。 昨年は夏でも毎日5,000歩以上を、歩いていたのでしたが、今年もしそんなことをしたら、きっと熱中症で倒れてしまうことでしょう。  そこで今年は、夕方買い物に行った際、冷房の効いたショッピングセンターの店内を黙々と歩くようにしているのですが、この程度では4,000歩どころか3,000歩がやっとです。  秋分が訪れるまでは、一日3,000歩ということにします。

 旅行はもちろん、外出も控えているので、今月はこれ以上あまり書くことがありません。

連日の猛暑、台風などが理由で、今月は5,000歩/日どころか、4,000歩/日すら達成できず、月平均では115,201歩/31日
= 3,716.2歩/日でした。  一昨年元日以降の総歩行距離は 2,921.0kmです。

 
6月度 (June 30, 2018)

 静岡県の由比まで電車で出かけ、獲れたてのサクラエビと、あの評判の倉沢鯵 ( アジ ) を味わい、 一泊して日本平でも見物してこようと、先月下旬以来計画していたのですが、残念なことに、我々の都合と天候とが毎度マッチせず、 そうこうしているうちに、肝心のサクラエビの漁期が終わってしまいました。 この計画は、秋にまた漁が始まる10月迄お預けです。  この齢になると、4か月先の話でも鬼が笑いそうですが・・・

 今月も、会社の現役時代の仲間たちとの集まりが2回、大学の同期の友人たちとの懇親会が1回あり、元気に楽しく参加出来ました。 丈夫な体躯と内臓を私に伝え遺してくれた両親に感謝するばかりです。

 感謝と言えばもう一つ・・・17日の 『 父の日 』 には、娘から酒の肴の詰め合わせをもらったので、毎日の晩酌が一層楽しくなりました。 TVを見ていたら、母の日の母親とは違って、父の日に何かを貰えた父親の割合は、極く小さかったそうで、 私は幸せな父親でした。

 自分ではまだ大丈夫だとは、今でも思っているのですが、最近、相手の話す単語が聞き取れずに聞き返すことが時々あるようになって、 そろそろ補聴器を買ったら?と周囲から言われるようになりました。 普通はこういう時、『 まだまだ 』と嫌がる人が多いらしいのですが、私は好奇心が強いので、補聴器とは一体どんなものなのか、 着けるとどんな変化が生じるのかが知りたくなって、いろいろとネットで調べた挙句、自宅からそれほど遠くないある専門店の扉を叩いたのは、4月中旬のことでした。

 その後、丁寧な聴力検査、無料の長期貸し出し試用期間を経て、今か、それとももう少し後にするかと迷った挙句、遂に1セットを買い求めることになりました。  装着してもそれ以前とあまり変わらないように思える時もありますが、聴力が大きく落ちている高周波成分の多い音は、確かに良く聞こえるようになりました。  例えば、好ましい音では小鳥のさえずる声 ( 身の回りにこんなに沢山小鳥がいたのか! )、好ましくない音では電車に乗車時に聞こえるのブレーキの音や、ドアの開閉時のキシむ音などが、 とても大きく、よく聞こえるようになりました。 これらの音は、今は忘れているけれども、若い頃はこのように大きくはっきり聞こえていたのだそうです。  また、「 チン 」 を 「 シン 」 と聞き違えるというような 『 子音の聞き間違え 』 も少なくなったようです。

 老眼の場合の老眼鏡は、着脱がそれほど面倒ではありませんし、使用するしないで、はっきりとその差が自分で認識できます。 着けなければ新聞も本も読めないでしょう。  値段も、それほど高価ではありません。 一方、補聴器は、現状の私よりもう少し悪い程度でも、相手の言葉は概ね聞き取れる・・・あるいは概ね聞き取れたと思い込むので、当人は余り不便を感じません。  就寝時、入浴時、洗髪時などに忘れず外してはまた装着するのも、かなり煩わしいことです。 値段もピンからキリ迄ありますが、まともで質の高い補聴器は、ちょっとした老眼鏡を作らせた時のの10倍以上もします。  補聴器を、老眼鏡よりはずっと気にして ( 見栄を張って? ) 着けたがらない人も少なくないようです。

 これら諸々の理由から、多くの人は相手の言葉がほとんど聞き取れなくなるまで ( あるいは聞き取れなくなった後ても ) いくら勧められても補聴器を使おうとしないようですね。  私の亡母もそうでした。 そのために、90歳頃から次第に他人と会話しなくなり、TVを観なくなり、その頃から認知症が急速に進みました。

 今回、店で他の客の状況を横で見ていると、つい吹き出したくなってしまうほど、何も聞こえなくなってから駆け込んでくる人が多いようでした。  あそこまで放置しておくと、もう補聴器を買って装着し、最大音量にしても、相手の話す言葉はせいぜい半分ほどしか理解できないようでした。  補聴器なしだと、店の人が耳元で大声をあげても聞き取れず、遂に筆談になったりしていました。 店までよく一人で無事に来られたものだと思うほどです。

 こういったことをいろいろ体験しながら、自分の聴力に関心を払ってきた過程で気付いたことですが、TVでは、やはりアナウンサーやちゃんとした役者が話す発音は明快ですね。  現状の私でも、補聴器なしで100%正しく聞きとれます。 それに対して、評論家や大学の先生、その他一般人の中には、発音があいまいで、補聴器を着けても単語の一部がよく聞き取れない人がいます。  聴力だけでなく発音にもまた個人差が大きいことを、当然とは言え、改めて認識しました。

 上の写真・・・最近の補聴器は次第に小型になり、顔を前から見た時には、全くと言ってよいほど見えません。 この写真でも、本体 ( 青い人差指の下 ) から出て耳孔に入ってゆく細い透明なチューブやその先にある超小型レシーバーは、 ほとんど見えないと思います。 また、構造や技術もどんどん進歩し、iPhone 内の専用アプリと連動していろいろなことが出来たりもします。  例えば、どこかに置き忘れたとしても、現在ある場所がスマホの地図上に示されるので、容易に発見できます。

 そうそう、天皇・皇后両陛下が今月の11日に福島県の相馬を訪れ、東日本大震災の慰霊碑に献花されている後ろ姿をTVのニュースを見ていたら、天皇陛下の右耳に、私のと似た形の白色* の補聴器がついていました。  自分がしているから短時間の映像の中でも気づいたのであって、気が付かなかった視聴者が殆どだろうと思います。

*: 陛下は、豊かな白髪の裾を長めに伸ばしておられるので、白い補聴器の方が目につきにくい。 私のように短く刈り上げている場合は、肌色の補聴器の方が目だたない。

 別件です・・・今月は少しばかり頭を鍛えることができました。 大学生の孫が、『 最小二乗法 』 を用いる 『 線型回帰分析 』 がよく理解できないというので、『 自分の頭が、まだどれくらい使い物になるのか 』 を試そうと、 3日ほど一日5時間くらい、夢中で勉強したり演習問題を解いたりしてみまし た。 何とか良く理解し直すことができ、日曜日に孫に向かって一対一で長時間の講義をし、よく理解できたと言ってもらえました。  12問ある演習問題の正答率は約75%でした。 86歳の今、大学生になっても、何とか単位は取得できそうです。

 どの学問もそうでしょうが、半世紀前と較べると、内容の的にだいぶ進歩し変わってきているようで、見たこともない記号がチラホラ出てきたりして、少々苦労しました。  でも、現在は、教科書を買って来なくても、図書館に行かなくても、ネットで調べていると、必要な部分に関し、いくらでも、易しい、懇切な図入りの解説が出てきます。  本当に便利な有難い世の中になったものです。 ただし、こういうネット上の講義の記述の中には、時々、軽率な誤植や脱字などが散見されるので、注意が必要です。

主に暑さと雨とが理由で、今月も5,000歩/日の目標は達成できず、月平均では133,251歩/30日
=平均 4,441.7歩/日でした。  一昨年元日以降の総歩行距離は 2,846.1kmです。

5月度 (May. 31, 2018)

 先月この欄に書いたように、今月下旬、米国から旧友が夫婦連れで遊びに来ました。  箱根を中心に新緑の森の中の露天風呂に案内したり、和食を食べて頂いたりと、足かけ3日を忙しいながらもとても楽しく過ごしました。  我々老夫婦2人では体力的に手が回らないこともあるので、娘にも来て手伝ってもらいました。

 驚いたことが三つあります。 先ず最初の驚き・・・幸い雨も去って連日好天でしたが、平日だというのに、表玄関の小田原駅構内から箱根の主要な観光地にかけてが、 海外からの観光客で、どこも一杯だったのには、予想していた事とは言え、改めて驚きました。 最初は欧米人ばかりが目につきましたが、良く見ると中国人その他の東洋人も多く、 満員の登山電車の車内は恐らく70%以上が外国人観光客でした。 年寄の私に席を譲ってくれた外国人青年に『 どこから来たのですか 』 と聞くと、スウェーデンからだと言います。 他の周囲の人たちも、話し声に耳を澄ますと、多くが英語でないことだけは直ぐに分かります。 白人以外も、日本人かと思っていると韓国語で仲間としゃべりだしたり・・・  それでも、こちらを日本人と認めた人たちから『 ここに行きたいのだが、どこで降りたらよいのか 』 などと何度も聞かれ、肝心の自分の友人を放り出して一生懸命サービスしたりもしました。

 二つ目の驚きは自分の英語会話力の衰えでした。 20年前、在米中は、後半の数年間は、日常の会話と業務関連の話題であれば、いつでも、誰とでも、 何一つ不自由なくスラスラと聞き取れ、話せて、スムーズに意志の伝達や意見の交換が出来ました。 新聞記者とのインタビューでも、大学院に呼ばれて講義をした後の質疑応答でも、 何も不自由を感じませんでした。

 しかし今回はとにかく必要な単語がとっさに口をついて出てこないのです。 だから会話の流れは止まってばかりでした。 英会話への自信は微塵と砕け去りました。  あとになって考えて見たら、これは当然のことでした。 だって、毎日の家族との日本語の会話ですら、しょっちゅう単語・・・名詞、特に固有名詞・・・が出てこなくて、 『ウーン』、『ホラアレ』と詰まってばかりいるのです。 日本語の名詞が思い出せないのに、英語の名詞が思い出せる訳がありません。  とにかく、一日中『ウーン』、『ウーン』と唸っていました。  つくづくと自分の老いを感じました。

 カホルも、カナダ人から 『 カナダのどこに行ったことがあるか 』 と聞かれ、訪れた沢山の都市の名前がほとんど思い出せなくて困ったと言っていました。 でも不思議ですね。  英語の場合も、日本語と同じで、思い出せない単語は殆どが名詞、特に人名や地名などの固有名詞で、形容詞や動詞や慣用句は、日本語の会話の場合同様、直ぐに口をついて出てくるのです。  なぜなのでしょうか。 ネットで検索してみても、老化に伴い特に固有名詞が思い出せなくなるということは書いてありますが、それがなぜであるかの説明は見当たりません。

 会話は、極端に言えば名詞の羅列だけでも、どうにか意志は通じるのです。 例えば、自分と妻を交互に指さしながら 『 カルガリー、カルガリー 』 と言えば、相手はたぶん 『 二人でカルガリーに行ったのか? 』 と聞いてくれますから、頷けばそこで意志は通じ、会話は先に進みます。 しかし 「 私は妻と一緒に・・・を訪れたことがある 」 という構文を正しい英語で言えても、 カルガリーの一語を思い出せなければ、会話はそこで終わりです。 相手はカナダ中の都市を全部並べあげてはくれませんから。

 驚いたことの三つ目。 彼らを新幹線の改札口で出迎えた時、二人からいきなりハグされたことです。 在米中は近隣の米人の友人たちとの間で、 しばしば当たり前のようにしたりされたりしていたことでも、久しぶりに日本で、多くの人たちが見ている 『 ひと前で 』となると、一瞬ドギマギする複雑な心境でした。

 最後に、一つとても恥ずかしかったこと。 彼らから、ホテルのそばのコンビニに立ち寄ったら、スゴ~い『 成人雑誌 』が沢山、むき出しで置いてあった。  『 あんなことは米国でもないよ 』と言われ、『 本当にお恥ずかしいことです。 日本の悪いところです 』 としか答えられませんでした。

 17日には、半世紀近く前の開発研究室時代の部下の方々が男女20人ほど集まって夕食会を催してくださいました。 東京や静岡県からも何人も来てくださり、思い出話に花が咲きました。  本当に嬉しいことで、当時の苦労話を重ねているうちに、つい目頭が熱くなったりもしました。 当時の会社の収益の大きな部分を生み出していた各種の 『 フジカラーネガフィルム 』 の新製品群とその基盤技術の開発を一手に引き受けていた人たちでした。  当時は現在のブラック企業のように毎晩深夜まで働くなどということはありませんでしたが、皆が協力し、跳ね返されても跳ね返されても、歯を食いしばって頑張り続けた日々を、昨日の事のように思い出します。

 今年も遂に、スズメバチが当家の軒下には巣造りを行わずに5月が過ぎました。 よその家に巣造りをしたスズメバチが、当家の庭の樹の花に集まってきたところを、計4匹仕留めただけでした。  3年前までは毎年巣造りにやってきたのです。  その都度撃滅し続けた結果、遂に彼らを諦めさせてしまったということでしょうか。 彼らには世代を超えて引き継がれる 『 記憶 』みたいなものがあるのでしょうか。
 
今月も平均5,000歩の目標は達成できませんでした。 それでも暫定目標値4,000歩/日は大きく越えました。
 月平均では150,129歩/31日=平均 4,842.9歩/日でした。 
一昨年元日以降の総歩行距離は 2,759.5kmです。

 
4月度 (Apr. 30, 2018)

 このところ、毎月のように腰痛、脚痛の事ばかり書いていて、情けない気もするし、気もひけます。 でも最近こういうことがありました。

 視聴者の高齢化に対応しているのでしょうか、テレビの各チャンネルでは、専門医が出演して、種々の病気の症状、いろいろな新規の知見、新しい治療法などの解説をする番組が多いようですね。  そういう番組の中には、「 こういう体操を一日何回続ければ・・・ 」 などというお勧めがある場合も多いのですが、それをいちいち真に受けてやっていたら、朝から晩まで一日中いろいろな体操をしていないといけません。  そんなこと、出来るわけもないので、いつもは聞き流すだけなのですが、たまたま、関心があったので録画しておいたある番組を観ていたら、私の症状とピッタリの、尻からふくらはぎの外側にかけての 「 痛みに伴う軽いしびれ 」 の原因についての解説と、簡単な体操によるその直し方の説明があった * ので、半信半疑で朝晩数回繰り返してみました。

 すると、翌々日でしたか、戸外を歩いている時に、「 あれ? 今日は何かいつもと違うぞ 」 と気付いたら、 なんとこの数カ月間も私を悩ませ続けていた症状が、ほんの数日でほとんど完全に治っていて、私は以前のように大股で足早に歩いていたのです!

 たまにはこういうこともあるんですね。 本当に助かりました。 この日以降、私の下肢は昨年の状態にほぼ復帰し、4月後半の半月、私は毎日元気に4,000歩以上を歩けるようになりました。  医師がくれた鎮痛剤も、飲む必要がなくなりました。

 話変わって、カホルが加入している女声コーラスの2年に一度の発表会が先日あり、毎日猛練習を続けてきた甲斐あって、15日、無事成功裡に終わりました。 続けられる限り、今後も何歳になっても歌い続けたいようです。 ( 写真の中の青い↓ )


 今年は庭の樹々の花、花壇の草花の花、どれもが例年より10日かそれ以上早く咲いています。 だから、例年5月20日ころに私の自宅の軒下に巣造りを始めるスズメバチは、5月早々に仕事を始めるに違いありません。  来月に入ったら油断なく見回り、見つけ次第、手早く処理しなくてはなりません。

 春はまた、同窓会のたぐいが催されるシーズンでもあります。 今年も5~6月にかけて4つも開催されます。 その上、5月下旬には米国から旧友が夫婦連れで遊びに来ます。 体調を整えて元気に対応しなくては・・・

* : 「 左の尻が痛く、左のすねの側面も痛くてしびれている。 夜も寝られないほどで、鎮痛剤も効かない 」 と泣き顔で訴える重症の患者に対し、この医師が勧めた簡単な体操を施したところ、 劇的に良くなったという紹介でした。 このような症状は、80%は 「 梨状 ( りじょう ) 筋症候群 」 であり、坐骨神経が圧迫されているために起こるのだそうで、 ここで示された体操により、患者の90%は治ると、その医師は断言していました。 そこで早速実行してみたら、上述のように、私の軽症の痛みは数日でほどんど全快したのです。

上に書いたような事情で、今月も平均5,000歩の目標は達成できませんでした。 それでも月の後半に挽回して暫定目標値4,000歩/日
を越えました。  月平均では127,015歩/30日=平均 4,233.8歩/日でした。 一昨年元日以降の総歩行距離は 2,661.9kmです。

3月度 (Mar. 31, 2018)

 1月から2月にかけては胃の 不調、2月から3月にかけては最近10年間で三回目の 「 左脚の痛み 」 ( 医師は坐骨神経痛だという ) の発症で、買い物程度の近距離外出はできるものの旅行やウォーキングは無理でした。  したがってこのホームページにも書く内容や載せる写真がほとんど無いという状況が今も続いています。  幸い、胃は完全に治り、脚の痛みは鎮痛剤の変更と体操のおかげでだいぶおさまってきたので、3月16日からは日課のウォーキングを再開することができました。 知己の医師が過日私のこのページを見て、 「 85歳で毎日5、000歩以上はご立派です 」 と評価してくださったので、それに甘えるわけではありませんが、脚の痛みが完全に治るまでは、目標を一日4,000歩以上に下げることにして歩き始めました。

 それにつけても、今年のスギの花粉は多いですね。 私度も夫婦は幸い今のところ花粉アレルギーではありませんが、よほど気をつけて眼鏡、マスク、襟元その他を重装備にして外出しないと危ないという感じがします。  当地では、せっかく洗車をしても、翌日にはもう黄色い花粉で斑点だらけになってしまうほどです ( 写真左 )。 私の家から間近に見える数百mから千mほどの丘や山の斜面は、すべてと言ってよいほど杉の植林地帯で、 晴れた日に強い風が吹くと、大きな黄色の竜巻?が舞い上がるのが遠くからもよく見えるほどですから、花粉の季節が終わるのを待つしかありません。


 車と言えば、春になってきたからなのか、最近、朝昼を問わずカラスが飛んで来てドアミラーにとまり、 大量の白い糞 ( 幅3~6cm、長さ40~60㎝ ほど! ) をドアの上に垂らしてゆくので、 毎日ドアを洗わないといけないという事態が起きました。 こういう時にネット上の情報というのは役に立ちますね。 検索すると同様の被害についての報告が沢山載っていて、その多くに、 カラスは好奇心が強く、鏡に映る自分の姿に興味を示す・・・ミラーに黒いプラスチックシートを被せると嫌がって来なくなると書いてあったので、 試してみたら効果覿面でした ( 写真右 )。 ほかに、不要のCDの光る面を上にしてミラーに輪ゴムで留めるなどいうアイデアもあるようです。 隣家でも同じ被害があり、 そこでは車庫の天井から黒いプラスチックシート片を数個、紐で吊るしたら効果があったと言っていました

 ウォ-キングを再開していきなり気が付いたのが、今年の桜の開花が例年よりだいぶ早いことでした。 地域のあちこちに植えられている河津桜春めき桜、そしてソメイヨシノ ( 写真下右 ) も、今年はそれぞれ例年より1週間ほど早く、2月下旬、3月10日頃、同下旬に満開を迎えました。  河津桜と春めき桜については、それぞれ上記をクリックしてご覧ください。

 米国人と結婚し現在米国に住んでいる、私たち夫婦の30年来の友人のS子さん ( 年齢は書けませんが私よりずっと若い・・・貪欲な読書家 ) と、最近メールで話しあっている内に、 「 熊井さんは退職後の人生をどう老いていったのですか? それを聞かせてください 」 と言われました。 そのときに、あの有名な、朱熹の 『 偶成 』 にある 「 少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず・・・ 」 という詩の文句が頭に浮かびました。

 そしてふと、「 今後は人生百歳時代 」 であるのなら、この詩にたった一字の 「 ろ 」 を加えて、「 初老年老い易く学成り難し 」 という自戒も、今後は肝要ではないかという考えが頭に浮かびました。  では、初老年ではなく、既に 「 末期高齢者 」* である私の場合は、もう手遅れでしょうか。 私もまた、今後も自戒を続け 「 一寸の光陰を大切にして 」 ゆこうと思います。  カホルも、英会話学校の、結構難しい予習が必要なクラスを、「 もうひと頑張り 」 と4月以降も続けてゆくことにしたようです。

*: 私は、65歳からが高齢者、75歳からが後期高齢者なら、私のような85歳以降は 「 末期高齢者 」 だと自称しています。 でも、末期ではあっても、直ぐに死ぬというつもりはありません。
  
上に書いたような事情で、今月も平均5,000歩の目標には程遠い実績になりました。 それでも月の後半は一日平均 4,585.4歩になり、暫定
 目標値を越えました。 月平均では119,680歩/31日=平均 3,860.6歩/日でした。 一昨年元日以降の総歩行距離は 2,579.3kmです。

2月度 (Feb. 28, 2018)

 確定申告を済ませました。 昨年度は、2人分の医療費が、過去20年間で一番少なくて済みました。 2人ともほとんど病気らしい病気もせず、 医者にも月に1~2回薬を貰いに行く程度でしたので、こういう結果となりました。 まあ、目出たいことだと思います。

 その代わりというわけでもないのでしょうが、今年に入ったら、1月末話し合っているうちにから胃の調子が悪くなり、遂に胃カメラで調べてもらうことになりました。 幸い、結果は 「 なんでもない 」 ということで、 次第に食欲も出てきて普通の食事に戻る事が出来ました。 流動食で、しかも酒を一滴も飲まない日が10日以上も続いたこともあり、体重が一時は3kgくらい減りましたが、これも次第に元の重さに戻りつつあります。  毎日酒を飲まずにいるのは苦しい事かと思っていたら、まったくそういうことがなく、拍子抜けしました。 その他、脊柱管狭窄症?の再発などもあり、プリンターは故障するし、洗面所の排水は詰まるし、 今年の出だしは少々 「 厄年 」 気味でした。

 それでも、この左脚の痛みは、本で勉強した治療用の体操を続けて快方に向かっているし、プリンターの故障は購入時に買っておいた長期保証のおかげで無料で修理できたし、排水管の分解掃除は勉強して自分でやれたし、 まだ、今の所は他人の 「 お世話になる 」 ことなく生きてゆけそうです。

 2月下旬、伊豆半島の西岸は、どこも河津桜が満開でした。 河津桜以外にも、早咲きのいろいろな桜がほころびかけていました。 右の写真は、大室山+まだ小さな花がほんの少し咲いたばかりの寒桜+夕方の中天にかかる半月です。

  全く使う気がないタブレットを抱き合わせで買わされたり、何もかも贅沢な使用条件にされてしまったりしていました。 無知な老人は 「 いいカモ 」 だったようです。  それを変えようと思っても、ご承知のように2年間は待たないと多額の解約金を取られます。 じっと我慢の2年でした。
一旦は治った脚の痛みが再発し、余り歩けない日々が続いたため、今月は平均5,000歩の目標には程遠い実績になりました。 春が来るまでにはなおして、元気に
歩きたいものです。  今月のウォーキングは108,582歩/28日=平均 3,877.9歩/日でした。 一昨年元日以降の総歩行距離は 2,501.5kmです。

1月度 (Jan. 31, 2018)

 元旦の午前、近くの運動公園の梅林で、夫婦で書初めならぬ 「 歩き初め 」 をしました。 早くも一部の紅梅は開花しており、鼻を近づけるとかすかに春の匂いがしました。

 12日には、隣町の山奥に在る蝋梅園までドライブしてみました。 正式の開園は翌日からということでしたが、今年は寒気が厳しいためか、まだ殆ど咲いていません。 がっかり・・・ でも、建物の蔭で寒風の当たらない場所に植えられた数本だけが、美しい花とあの素敵な芳香を楽しませてくれました。 山道の昇り降りはちょっとした脚の鍛錬でした。 西丹沢の山並みもきれいでした。  自宅の庭の水仙もそうですが、早春に咲く花には良い香りのものが多いですね。

 正月には、毎年子たち、孫たちが全員集まって、我が家で数日を過ごします。 大変楽しいことなのですが、その事前準備、宿泊、食事などが ( いくら皆が手伝ってくれるとは言え )、 80の坂を越えた老夫婦には体力的にだんだんと辛くなって来ました。  そこで今年からは、宿泊は近くの小さなビジネスホテル、夕食は年末に予約しておいたいくつかのレストランの大きな個室・・・というスタイルに、思い切って変更しました。

 体験して改めて気が付いたのですが、これらの施設で働く若い人たちは、元日から ( あるいは2日から ) 出勤して、いつも通りに働いているのです。 何か申し訳けないような気持ちになってしまったことは事実です。  行き帰りに利用した交通機関で働いている方々も同様です。 私は現役時代も大晦日と正月 「 三が日 」 どころか、6~7日間も休める職場で働いていましたし、五十年ほど昔を思い出してみると、 公共交通機関以外は、デパートもレストランも各商店も、皆 「 三が日 」 くらいは殆ど休業していたように思います。 盛り場も元日は静かでした。

 現在のような、デパートもコンビニもスーパーもレストランも、元日から営業を始めるという状況への変化・・・この半世紀の間に、日本中が知らず知らずの内に厳しい競争の世界に入り込んでしまったということでしょうか。  そのお陰で私ども夫婦は今年、楽なお正月を過ごせたのですが・・・

 数十年前、家庭の主婦たちは、暮れからお正月にかけては ( 今にもまして ) 猛烈に忙しかった事が思い出されます。 私の亡母は七十代後半の頃、そのような過労が原因で正月に倒れ、数日寝込んでしまったことがありました。  その時、母を往診・診察した女医が、我々子供たちに向かって 「 暮れの大掃除やお正月の準備ではお母さんをもっと手伝いなさい 」 と叱ったことを、今も覚えています。  その叱責の意味は、当時は頭の中で分かったつもりでしたが、文字通り 「 身にしみて 」 わかったのが、最近数年のことだったという事です。

 母の時代とは違い、今は金さえ出せば立派なおせち料理を既製品で買うことも出来ますし、外食で済ませたければ元日でもそれが可能です。 そんなな時代になっているからこそ、私どもは楽が出来、 疲労で倒れずに済んだのかも知れません。 この変化を手放しで喜んでいてよいのか、また、こんなことがこの先いつまでも可能なのかどうか、それはわかりませんけれど・・・

 というような話はさておき、正月もあっという間に過ぎ去りました。 今年は寒気が厳しく、あちこちで大雪の被害が出ているようですが、当地では余り多くは降りませんでした。 有難いような、申し訳ないような気分です。
 
今月は、もう脚の痛みは完全に治ったのですが、こんな寒風吹きすさぶ中を歩くのは老人の体にとって良くないと思える日が何日かあって、平均5000歩に
届きませんでした。  今月のウォーキングは147,256歩/31日、平均 4,750.2歩/日でした。 一昨年元日以降の総歩行距離は 2430.9kmです。

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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました


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