私と家族の近況



*あしがらみち*

2014年 前半分:最新は6月度


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6月度 (June 30, 2014)

 5月中ごろにはこんなに小さかったツバメの赤ちゃん ( 左:岐阜県郡上八幡市で撮影 ) も、6月上旬になると、もう嘴の黄色もなくなり、 ずいぶんと大きくなりました ( 右:広島県福山市鞆で撮影 )。 最近は以前ほどツバメがいなくなったと言われ、減少の理由があれこれ説明されていますが、 私の家の近くでは、たしかに飛ぶ姿は時々見かけるものの、巣は一向に見当たりません。


全く違う場所にあったこれら2つの巣の下の方の壁に付着している泥の形が、とてもよく似ている
事に驚きました。 巣の機能とは全く関係がなさそうなこの泥の意味はいったい何なのでしょうか?

 上旬には、尾道市から福山市にかけての美しい瀬戸の島なみの景観を眺めながら、レンタカーで2泊3日のドライブをしてきました。 あいにく、晴天には恵まれませんでしたが、 雨に逢うこともなく過ごせました。 2009年の春に、尾道から今治まで 「 しまなみ海道 」 をゆっくりドライブした事がありました* が、あのときの生口島、大三島、 大島あたりの景観の方が素晴らしかったように思います。  帰途に岡山に立ち寄り、孫たちに半年ぶりに会って、無事帰ってきましたが、2人ともぐったり疲れてしまいました。

 こういう体たらくの所有主とは逆に、今年はなぜか庭の樹木たちが元気で伸びが速く、例年は7月に剪定させる植木屋をひと月早く呼んで、庭もさっぱりしました。  庭の草取りに関しては、ふたりとも最近は腰や膝が痛くて、長時間しゃがんでの作業など自分ではやれなくなってしまい、今年からは遂にひと手を煩わせる始末となりました。  口にしたくいない言葉ですが、上記の旅疲れとあわせて、まさに 「 老いを感じ 」 ます。

 最近建つ家は、どこもほとんど庭がありませんが、40数年前に現在の土地に私が家を建てた頃は、ある程度の広さの庭を持ち、植木や草花を育てる事は、 誰にとっても当然のことでしたから、私の自宅の周囲には70坪近くの庭その他の露出した地面があります。 花壇の花を季節ごとに入れ替えるだけでも大変なのに、 これだけの面積に後からあとから生えてくるの草取りを繰り返す事は、「 アラ8 」 の夫婦にはもう無理だということなど、当時は夢想だにしていませんでした。  だいたい、80歳まで生きるとか、80歳の体力がどの程度かなんて、考えてもいませんでした。 でもそれが現実の問題となった以上、 今後も なんとかして何とか解決して行く しかありません。

 裏の田んぼに生まれ育っていたオタマジャクシたちが、28日の朝、一斉に蛙になりました。 体長1.5cmほどの小さな小さな草色のニホンアマガエルが、何十匹も、 垣根の隙間 ( 写真の右上部分 その向こうに、もう大きく育った稲が見える ) を通り抜けて私の家の敷地に入ってきました。 あまりに小さくて、指で捕まえると潰れてしまいそうです。  なぜか、2匹が物置の壁を上へ上へとあがって行きます。 上には金属製の屋根のほか何もないのに・・・陽が照ったら干物になってしまいます。 これから元気に育ってくれよと祈るばかりです。


* :このときは、倉敷⇒尾道⇒しまなみ海道の各島⇒今治⇒松山⇒大洲⇒佐田岬⇒八幡浜⇒(フェリー)⇒臼杵⇒国東半島⇒宇佐⇒ 中津⇒大分⇒門司⇒下関⇒山口⇒岩国⇒広島という、8泊9日のドライブでした。 たった5年前 ( 76歳と11カ月 ) なのに、随分体力があったものです。

5月度 (May. 31, 2014)


5月11日午後5時40分、静岡県御殿場市仁杉にて 「 ダイアモンド富士 」 を撮影。
田植えがすんだばかりの田に逆さ富士が写って、ダブルダイアモンドとなりました。
カラスもねぐらに帰るところです。 この種の撮影について練達のE氏の案内と指導で撮影。

 13日から3泊4日で、美濃市⇒郡上八幡⇒五箇山⇒白川郷⇒平瀬温泉⇒高山⇒下呂と、 岐阜県の北部一帯 ( 五箇山は富山県の西南部 ) をレンタカーでドライブ旅行してきました。  合計で300kmくらい走ったしょうか。

 驚いたこと:上記の7つの内、美濃市と、あえて辺鄙な集落と言わせていただく五箇山と平瀬温泉以外のすべてで、若い中国人旅行者の団体に数多く出会いました。  とくに、白川郷や高山市内の観光名所では 平日なのに観光客で雑踏する中、「 日本人観光客とどちらが多いのだろう? 」 と思えるほど、 前後左右から中国語が私の耳に飛び込み続けるのでした。 数は少ないが郡上八幡や下呂温泉のような所にまで彼らが来ていることも驚きでした。  バブルの頃、日本人の団体観光客も、欧米の観光地の隅々にまで殺到し、こんな風だったのかな・・・とふと考えました。  でも、これだけ多くの若者たちが日本を訪ね、見、聞き、理解して行くのであれば、それは今後の日中関係にとって決して悪いことではないでしょう。

 腹が立ったこと:五箇山は世界遺産の合掌造りの古民家が大切に保存されていて素敵でしたが、白川郷が過度の 「 俗化 」 と 「 商魂 」 によって見る影もないほど 「 汚染 」 されてしまった姿には、 悲しみを通り越して憤りさえ覚えました。 遠路 「 静かな古き良き日本のたたずまい 」 を期待して来てくれた海外からの旅行者たちに対して申し訳ありません。  カホルは幼児連れのフランス人若夫婦と話し込んでいましたが、気の毒で恥ずかしくて仕方なかったと言っていました。 白川郷は 「 もう世界遺産の指定を返上すべきだ! 」 というのが、私たち夫婦の意見です。

 世界遺産の合掌造りの家々のほとんどが、「 無統制・無秩序 」 に営利目的の民宿、飲食店、土産屋などを開業し、その結果、あちこちに看板が付けられ、調理場その他のための醜い張り出しが増築され、 エアコンの室外機*などが屋外に露出して設置されています。 観光客の車やバスを、集落のはずれの駐車場に停めさせて集落内に入れないようにしたのは良い判断ですが、 自分たちの乗用車や軽トラックは無造作に建物の周りにたくさん駐車させています。 これらすべてが合掌造りの古い建物が建ち並ぶ美しい景観を極度に 「 汚染 」 してしまっているので、これらを視野内に侵入させることなく景観を楽しんだり、写真を撮ったりすることが、 もはやほとんど不可能になってしまっているのです。

 「 白川郷に行ってみたい 」 ともし私の友人が言ったら、私は即座に 「 やめといた方がいいよ! 」 と言うに違いありません。 下呂温泉の宿で仲居さんにこの話をしたら、 「 白川郷は世界遺産に指定される前までは良かったんですよ 」 と言いました。 白川郷は政府からだか県からだか聞き忘れましたが、どこかから最近 「 叱られた 」 そうだとも言っていました。  当然でしょう。 でも、あそこまで 「 汚染 」 されてしまったのでは、もう手遅れで直しようもないのではと思います。

*:合掌造りの建物の美は切妻の面にあると思うのですが、その下部に掘立小屋のような張り出しを増築したら、すべてがぶち壊しです。  郡上八幡の街を観光した時、道路沿いの家ではエアコンの室外機をこげ茶色の細い格子目のケースで覆って目だたないようにしているのを見ましたが、こういう心遣いは白川郷にはないようです。

 自宅から数kmのところにある里山の林に 「 キンラン 」 がたくさん自生してきたというので、所有主のご案内で撮ってきました ( 写真下左 )。  キンランは以前は日本ではありふれた和ランの一種でしたが、 近年急激に数が減り、1997年に絶滅危惧 II 類( VU )( 絶滅の危険が増大している種 ) として掲載され、 各都府県のレッドデータブックでも指定されているとのことです。


 毎年5月の中旬になると、自宅の軒下のあちこちにハチが巣を作り始めます。 今年もふつうのハチの巣1つと、小型のスズメバチの巣 ( 写真上右:ハチの体長は3cm以上 ) 2つを見つけ、 まだ成虫 ( 女王蜂 ) が1匹しかいなくて、造営中の巣も小さなうちに始末することができました。 ほかにどこか他所にある巣から飛来したスズメバチの女王数匹も処分しました。

 庭のナツハゼの樹の地味な花房が彼らにとっては大好物らしく、大小さまざまのハチが一日中蜜を吸いに来るのです ( 「 ナツハゼ、スズメバチ 」 と入れて検索すると、 いくつも報告が出ています )。 近日、この結構大きな樹は、植木屋に頼んで掘り起こして抜き、花がスズメバチを呼ばない樹に替えてもらおうと考えています。  スズメバチ退治は、毎年行ってきて、もう6年目でだいぶ手慣れてきたとは言え、やはり怖い作業で、やり終えるとホッとします。

4月度 (Apr. 30, 2014)

 自宅から数km離れた古い神社の裏手にある植木畑に、まだそれほど大きくない 「 ケンロクエンキクザクラ ( 兼六園菊桜 ) 」 の樹が8本ほどあります。  日本国内でもそう多くは見られない珍しい種類のようです。 ひとつの花に菊の花のように250〜300枚もの花弁があると言われています。  この資料には 「 ( 前略 ) 加賀前田家が京都御所から賜ったもので、1928年( 昭和3年 ) に国の天然記念物に指定されましたが、1970年 ( 昭和45年 ) に枯れてしまいました。  しかし、老衰が進み枯れてしまう前になんとか後継樹を育てようとした佐野藤右衛門という方が、朝早く切った菊桜の枝を口にくわえて金沢から京都まで帰ったそうです。  その時に接木に成功したものが現在の兼六園菊桜です ( 後略 ) 」 と書いてあります。

 今私が見ているこの樹は、もしかしたら、この新しい樹から更に接ぎ木で育てられた天然記念物の孫かひ孫なのでしょうか?  付近のソメイヨシノより3週間ほど遅れて満開となりました。


4月1日、まだツボミは小さい。


4月5日、もうすぐ開花しそうにふくらんだ深紅のツボミ。 若葉はひと足先に出そろっている。


4月19日、その後さらに2週間も待たせた後、遂に満開の花を
まぢかに見せてくれた。 想像していたよりは小さい花だった。


ツボミは深紅(左)、花弁は外側はうす紅(右)で芯の方は星形の紅色。
花弁は最後には白色に近くなり散る時は花全体が椿のようにポタリと落ちる(下)。


 28日には、有名な群馬県館林のつつじと、栃木県足利の藤の花を日帰りで観てくるという欲張りなバスツアーに参加してきました。  カホルは長時間バスに乗るのが好きでないというので、娘と2人連れで行きました。 実は、館林は亡母が明治の末から昭和の初めにかけて生まれ育った町で、生前は、 つつじの話になると母はいつも館林のつつじの自慢をしたものでした。 私はそれを聞くたびに 「 そのうちに必ず観に行くからね 」 と言っていたのでしたが、 母の死後ちょうど5年経った今、その約束が果たせました。 母が自慢しただけあって、見渡す限りの古木群に咲き誇る色とりどりのつつじの花は、それは見事なものでした。

 近くに在る 「 足利フラワーパーク 」 では、咲き始めた藤を中心とする様々な美しい花を観る事が出来ました。  花の写真にご興味があれば、ここでご覧ください。 4月は、近くの野山も、自宅の庭や花壇も、 色とりどりの花や新緑の芽で満ち溢れ、一年で一番美しい月です。 寒気も和らいだし、ウォーキングが楽しい季節です。

 4日の各紙朝刊に次のような記事が出ています。 「 人間ドック学会が、極めて健康な状態とされた人たちのデータを解析した結果、 血圧やコレステロールなどの値について、健康診断で正常とされている数値の範囲を大幅に緩めるべきだとする調査結果を発表した 」 というのです。  この表を見て、今まで薬を飲まされ、節制を強いられてきた人の中には 「 なんだ? 俺は正常だったのか! 」 と、呆然としたり、 腹を立てたりする方もいらっしゃるかも知れません。 私だってBMIを25以下にするには、 あと3.6kg以上やせなければ・・・と必死になってもう5年以上も懸命に努力してきたのに、27.7までは許容値となると、 逆にあと3.6kgまでは肥ってもいいという事になります。 何だこりゃ

 その新基準値の詳細はネット等で調べて頂くとして、この新基準値の表には、 30〜44歳、45〜64歳、65〜80歳の基準値しか示されていないという事実が、私には何とも印象的でした。

 つまり、男女とも 「 81歳以上の人は、もう人間ドックなど受けて寿命を延ばそうと考える必要もないし、血圧がどうの、 コレステロールがどうのという数値の心配などしなくて結構です。 好きなように余生をエンジョイして適当なところで死んでくだされば・・・ 」 という事のようです。  私もこの考えには賛成なので、今後はそういう風に生きてゆく事にします。  でもそう生きた結果として 「 寝たきり 」 で長く生き続けたりする・・・これだけは無いようにするためにはどうすべきか・・・これは実に難しい宿題です。

3月度 (Mar. 31, 2014)

 早くも3月が終わったとなると、今年も1/4が過ぎたということです。 上旬には早めに税の申告を済ませましたが、昨年の医療費が一昨年のそれの半分くらいに減っている事、 しかも夫婦両名とも年の後半にかけて医者通いが顕著に減ってきていることが分かり、これはあまり意識していなかった事実だけに嬉しい事でした。  実際、一昨年は国の保険制度の赤字に大いに貢献しているような気分で、夫婦そろって憂鬱だったのです。

 先月、理研と小保方さんについて、少し書きましたが、その後、とんでもない方向に事態が発展してしまいました。  彼女の研究報告にかかわる幾つかの指摘のうち、他人の論文の相当長い部分ををコピペ ( copy & paste ) して自分の論文に 「 無断で 」 組み込んでしまうという行為、 これは、ちょうど10年ほど前 ( ということは彼女がまさに大学生だった当時 ) 私が某有名大学の臨時講師をしたときに体験した、 学生たちによる 「 不快きわまるレポート作成法 」 と類似の所業です。  あの当時から既に、こういう 「 剽窃行為 」 が、有名大学でも、学生たちの少なくとも1割くらいの間で平然と行われるようになっていたのです  3月14日の理研の調査委員会の発表では、彼女は 「 コピペがやってはいけないことであるという認識がなかった、申し訳ありません 」 と言ったとのことです。

 当時はもう、時間がたっぷりあった私は、怪しいと睨むと徹底的に原報を探しあて、すべてに 「 この前半部分は○○氏の△△という論文の何ページ目の丸写しですね 」 と赤い字で書き込んで、落第点をつけて返しましたが、その厳しさがかえって不評を買ったらしく、翌年はもう講師に呼ばれませんでした。  この不快きわまる、しかし真剣に考えなくてはならない体験の詳細はここに書いてありますので、是非お読みください。

 携帯電話は、隔年の3月ごとにキャリア ( 電気通信事業者 ) を乗り換えていますが、その時期が来たので、今回は au から SoftBank に乗り変えました。  老夫婦は必要に応じて自宅のパソコンでメールとネットをやれば、それ以上外出先でスマホを操る必要も興味もありません。  ゲームなんて貴重な人生における時間の浪費としか思いませんから、端末としては 「 ガラケー 」 を電話とショートメールに使えればそれで十分です。  乗り換えは店頭で手続きを待っている1時間がもったいない気もしますが、2年使って外観も電池もだいぶくたびれてきた端末は電話番号はそのままでピカピカの新品になります。  もちろん 「 ¥0で! 」 です。 さらに、キャリアと取り扱い店と期日を選ぶと、これでよく儲かるなと感心するほどのキャッシュバックが付いてくることさえあります。

 自治会 ( 地域によっては 「 町会 」、「 町内会 」 などとも言う ) の役員も1年勤め終わって、この3月いっぱいでお役目から解放されました。 次の人への引き継ぎも終わり、正直ホッとしました。  以前は81歳にもなれば役員になどされる事はありませんでしたが、この高齢化時代、私の隣組 ( 23世帯 ) だって数えてみれば、なんと居住者の半数以上が65歳以上の高齢者です。  定義上も立派な 「 限界集落 」 です ( この自治会の中にも新興住宅地域があり、そこには若い夫婦や子供たちが多く住んでいますから、全体を平均すれば限界集落ではありません )。  ですから、脳と足腰が丈夫なら、いくら高齢になっても役員への就任を断ることなどできないのです。

 自治会の中に置かれていた 「 老人会 」 は、今年3月をもって廃止と決まりました。 高齢化が進むと老人会がなくなる 何故 クイズみたいですね。  私の住む地域の各世帯は老人だらけとなり、世帯主はほとんどが65歳以上 ( =高齢者 ) になってしまいました。 老人など、もう珍しくもなんともなくなり、 自治会と老人会とは実態も使命も事業内容も多くが重複してしまい、両者の区別がつかなくなって、老人会の存在意義がなくなってしまったからです。 恐ろしいような話です。  敬老の日に自分 ( 自治会 ) が自分 ( 老人会員 ) を招いて祝ってあげるなんて、マンガにもなりませんから・・・

 50年ほど前のこの地域では、70歳を過ぎて死んだら、珍しい長寿で目出度いと、葬儀の際小銭が撒かれ、子供たちが争って拾いました まさに 「 古希 」 です。  5年ほど前までは90歳になると市がお金を出して画家に肖像画を描かせて贈ってくれました。  こんな風習や制度も、住民の最近の急速な長寿化につれ、当然廃止されました。 毎年敬老の日に行われていた市主催の送迎バス付きの祝賀会もなくなりました。  市の財政上の問題もさることながら、祝われる高齢者の数が急速に増えすぎたのが主因でしょう。

 平成27年には、また別の自治会役員のポストが、( それまで生きていれば ) 83歳になるはずの私に順番で回ってきます・・・・・・


3月21日、自宅付近の川岸の早咲きの 「 はるめき桜 」 の並木が今年も満開。 私どもにとっても絶好の散歩道です。


2月度 (Feb. 28, 2014)

 幸いにしてリカバリー後のパソコンは、当然ながらそれ以前よりずっとサクサク動いてくれるし、自分の体調もまずまずですし、もう暫くはこのホームページを続けていられそうです。  8日に伊豆の戸田までタカアシガニを食べに行こうという気が起きて計画し予約していたら、あの大雪のおかげでやむなくキャンセル。  午後には自宅の簡易ガレージの屋根が雪の重みで倒壊するのではないかと心配になるほどの積雪となり、やむなく雪の降る中、雪下ろし。 翌朝は二人で自宅前の道路の雪かき・・・と、 かれこれ半世紀ぶりかな?と思い出しながらの慣れない肉体労働でした。

  でも、こんなことを冬の間じゅう毎日のようにやらなくてはならない地方もあるのですから、それに較べたらこの老体でも頑張らなくては・・・ なんて思っていたら、一週間後にまた大雪に見舞われ、同じ苦労をもう一度味わわされました。


 机の上のペン立てに入っているボールペンのうちの1本を何気なく見ていたら RIKEN kobe と書いてあります ( 写真上左 )。  2008年の5月に、大学の同期会が神戸で開催されたとき、終了後翌日に神戸在住の旧友が連れて行ってくれ、半日がかりで見学したのが、ポートアイランドにある理化学研究所の 「 発生・再生科学総合研究センター 」 でした。  そこでこのボールペンと一緒に頂いてきた 「 放射線を当て遺伝子を変異させたというアサガオの種 」 を今も毎年自宅の庭で育て続けています。  「 何代目かに変異が現れると思うから楽しみに 」 とか聞いたように思うのですが、まだ何も起きていないようです( 写真上右:2013年7月の6世代目 )。

 そうか。 あそこがあの有名な小保方晴子博士が STAP細胞を研究している施設だったんだなと、ボールペンのお蔭で、新聞報道からひと月近く経った今頃になって気がつきました。  彼女がハーバードから戻ってこの研究所に入ったのは2011年ですから、もちろんあの当時はそこにはいなかったのですが。

 下旬には小田原市の 「 梅まつり 菓子展示会 」 を観に行きました。  5年ほど前、旧東海道を日本橋から京の三条大橋まで歩いた時、中都市から過疎とも言える小さな町に至るまで、 どこにも必ず古い店構えの小さな ( たまには大きな ) 和菓子屋さんが旧街道沿いのところどころにあって、それぞれ特色のあるお菓子を並べていました。  私は甘いものは苦手な方なのですが、話の種にと思い、買い求めては写真を撮り、歩きながら食べたりしたものでした。

左は菊屋本店の采女の杖衝 ( うねめのつえつき ) 11.8,2009、右は笹井屋のなが餅 10.27,2009 ともに三重県四日市市

 小田原もそうですが、かつて茶道が盛んだった城下町では、江戸時代以来、和菓子文化が発達してきました。 伝統のわざを受け継ぐ和菓子職人たちが、 地方の歴史、文物や季節を表現した美しい名物和菓子を創り出し、伝えてきたのです。

小田原市の 「 梅まつり 菓子展示会 」の展示品のひとつ。 2.21,2014

 この後、カホルの?回目の誕生日のお祝にと、近場の温泉に一泊旅行に行ってきました。

  
1月度 (Jan. 31, 2014)

   新しい年を迎え、また例年のように年賀状をたくさんの方から頂きました。 もう頂けないだろうかと半分諦めていた、病を得たと聞く友人からの、見覚えのある筆跡で書き込みのある賀状を受け取ると、 「 ああ、よかった。 まだこれだけの文章と文字が書けるのなら・・・ 」 と嬉しくなります。 肉筆の大切さを改めて感じました。

 今年は寒さのためか梅の開花が遅れていますが、下旬になってようやく、地域の紅梅が見ごろになってきました。


 2年余り前に使い始めたパソコン ( Windows 7 ) の朝の起ち上がりが、新年早々なんとなく不調になってきたかと思っていたら、12日の朝突然起ちあがらなくなりました。  メーカーのサービス部門に電話して状況を説明したら、今までの似たケースでは何とか上手に治す手助けをしてくれたのに 「 今回は諦めてください。  リカバリーしかありません 」 との非情なご託宣でした。 幸い、データのバックアップは毎日真面目に実行していたので、それからまる2日半かかって、何も失わずに 元と全く同じ ( というか、更に良い ) 状態にまで復旧させることができました。

 この苦労のおかげで、パソコンの知識の面ではだいぶ勉強になりましたが、思いがけぬ災厄のショックとストレスで、ようやく治りかけていた昨年暮れ以来の胃の不調が、 また悪化して、ひどい目に会いました。

 中旬には運転免許の更新の前に行われる 「 高齢者講習 」 を受けました。 前々回 ( 4年前 ) は視力、判断力、反射神経など、すべてが30歳レベルと褒められて得意になったのでしたが、 前回 ( 2年前 ) は実年齢相応より少し良い程度となり、そして今回は認知能力のテスト ( これはほとんど満点 ) 以外のほとんどの項目で 「 実年齢者の平均並み 」 にまで低下してしまいました。  今後よほど注意深く運転するように心がけないとなりません。 それにしても、一緒に講習を受けた人たちの中に一人、恐ろしいほど認知能力や運転技能が低下している方がいたのですが、 その方も 「 修了証明書 」 をもらえたのには驚きました。 これは 「 講習であって試験ではない 」 からだそうです。 結果は警察はもちろん家族にも伝えない 「 個人情報 」 なのだそうで、 あの程度の方が、誰にも気づかれず、制止もされずに街中を堂々と運転することがあるのかと思うと、今後、車であろうが徒歩であろうが、外出するのがすっかり怖くなってしまいます。

 同様の心身の衰退はもし長生きすれば自分にとってもやがて現実のものとなることでしょう。 それを少しでも遅らせようと、幾つかの検定への挑戦を考えており、 昨年は一つ合格しました。  「 日本酒検定 」 です。  日本酒には以前から関心があって、地元の酒蔵主催のきき酒大会で1等賞を得たこともありましたが、昨年は醸造の実際、化学、歴史、法律など、おもに知識の面を真面目に勉強し、 検定に合格しました。  他にも、資格には関係ありませんが、 文研の国語力テスト を毎月ネット上で受験しています。  国語常識と漢字の二つがありますが、できない問題があると口惜しいし、これは面白いですよ。



 
約50万年前、太平洋上の大きな火山島が北上してきて本州にぶつかってくっつき、伊豆半島になったそうです。
 その時、接合点付近が隆起してできたのが箱根外輪山の北に位置する矢倉岳のあたりだと言われています。
 早朝、矢倉岳の向こうに沈もうとしている真冬の満月を撮りました。


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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました


この先です。