私と家族の近況
私と家族の近況

*あしがらみち*

2003年 前半分:最新は6月度

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6月度(June 27, 2003)

 5月末日に、このホームページの訪問者が、のべ10,000名を超えました。 こんな地味なページですから、5年半かかって、 ようやく1万です。 でも、嬉しいことでした。

 24日には、経済同友会のご要請で、同会の産業懇談会の6月例会に出掛けて行ってお話をしました。  代表のすぎやまこういちが 「 一票の格差を考える会 」 の設立の意図について話し、事務局長の私が、これまでの3年半の活動の経緯について説明しました。  講演の後の討議の中で改めて感じたことですが、大企業のトップの方々の中でも、聡明な人たちは、この問題に限らず、 日本の政治と社会の改革全般について、大変前向きで大胆な 「 とらわれない 」 考えを持っています。  これに対して既成の 「 革新 」 諸勢力は、近年急速に鈍くなったというか 「 とらわれ 」 迷走しており、 以前のように両者を単純に 「 保守対革新 」 と対置することはできません。  両者は近づくどころか、遠くですれ違い、いつのまにか逆転してしまってさえいるというのが、 私の偽らざる印象です。

 当日の講演の要旨は 「 一票の格差を考える会 」 のホームページに、そのうちに掲載します。  会場は、最近立派に改装された丸の内の日本工業会館で、以前の古色蒼然たる古い建物の記憶しかない私には、 非常に印象的でした。 昔の建物のイメージを適度に保った、素敵な改装だと思いました。

 先月予告しましたが、15日から20日までは、自宅→長野→新潟→福島→東京→自宅と、毎日200kmほど車を飛ばして一回りし、 温泉に浸かりながら写真を撮ってきました。 高速道路を飛ばすスピードには、やはり快感があります。  車の嫌いなカホルは、新幹線で合流しまた新幹線で帰って行くという、少々贅沢な旅でしたが、息子が旅費にと大金をくれたので、 それに甘えた格好になりました。 撮った写真のごく一部を、先月撮ったものとあわせて、ここに載せてあります。  旅行中遭遇し、考えさせられたことについても、新しい随想 を書きました。  2月から4月まで、事情あって筆を擱いていたので、このところ一気に、いろいろ書きまくっています。

 カホルは14日に、長いこと習っている声楽の発表会に参加しました。 聴衆の前での本番では、 練習のときの実力の半分も出なかったようです。 でも、年齢に関係なくいつまでも努力を続けるのは立派なことです。  私は娘と一緒に6年生の孫も連れて行き、その姿を見せておきました。

5月度(May 31, 2003)

慌しかった市長選挙が終ってみると、やれずに放っておいたことが沢山ある事に改めて気がついた。  まず、毎年3月に受けている成人病検診を延期していたので、これを片付けた。 幸い今年もどこと言って悪いところはなかった。  胃カメラの画像を指差しながら、医師が 「 これは35歳の胃袋ですね 」 とお世辞を言った。  そうなのだ。 だから良く飲みよく食うので、どうしても体重が増えてしまうのだ。  それを減らそうとウォーキングと室内での腹筋運動、腕立て伏せ等に連日励まざるを得ない。  そうすると、また腹が減り、ビールも飲みたくなる。 何かおかしな悪循環だ。  カホルも何の異常もなかった。 1本も虫歯がなく全部歯が揃っているので 「 これは表彰ものです 」 と言われて自慢げだった。

 「 フリーマンの随想 」 の執筆もまた再開した。 いろいろな分野の問題について、頭の中では構想が沸騰している。  慌てず、一つづつ毎月末に書くつもりなので、どうぞ宜しく。

 月半ばにはカホルと静岡県掛川市の奥にある、とても静かな温泉に泊って来た。 携帯の電波も届かず、 テレビも電話も使わない。 部屋で寝転がっていると、うぐいすと 「 もりあお蛙 」 の鳴き声のほかは、一切物音が聞えない。  あちこち回っていろいろな美しい花を見ることができ、かねてから一度乗りたいと考えていた天竜浜名湖鉄道にも全線乗った。  ぜひ訪れたいと考えていた龍潭寺の庭園もゆっくりと見て、久しぶりに命の洗濯ができた。

 ゴルフも3カ月ぶりに再開したが、もちろん結果は良くない。 毎月末に開かれる大学同期の月例懇親会にも、3カ月ぶりで出席した。 幸い、友人たちも皆元気だった。 ウォーキングの会への参加も再開した。 こうして何もかもが、一斉に昨年の生活に戻っていった。  例年ならそろそろ欧州に半月くらい一人旅をする時節なのだが、選挙で忙しくて計画も完成していない。  南欧だからテロもSARSも余り心配していないのだが 「 まあ、秋までゆっくり考えるか 」 と決めた。  その頃までには EURO も安くなっていてもらいたいものだ。

かわりに6月に、国内をぐるりと一回り、1週間ど長距離ドライブ旅行してみようと考え、プランを練っている。  10年前在米中は、1日にぶっ続けに5時間、500km近くは運転しても平気だったが、もうそんなことは出来ない。  体力も気力もない。 それに日本の道は狭くて混んでて分かりにくくて危険だらけだ。 金はかかるが楽な高速道路主体にするが、 それでも、カホルは運転が嫌いだから私がほとんど一人で運転することになる。 1日300km以内という計画になるだろう。

 21日には71歳になった。  71歳になってしまったことはちっとも目出度くないが、ここまで夫婦揃ってどうにか健康で生きてこられたことは、 確かに目出度いではないかと、子供たちが小田原のレストランに招いて祝ってくれた。  こうして久しぶりにのんびりとしたひと月が終った。 蛙の大合唱に気づき、自宅裏の田んぼを見たら、もう田植えも終っていた。

追記 3月末の足柄神社の例祭では、神輿の市内巡行の責任者 ( 宰領長 ) などという不似合いな役目を担当し、終日 「 はっぴ 」 姿で、地方都市に何百年も伝わる伝統行事の一翼を担った ( 写真中央が私 )。  幸い怪我人も出さずに無事終って 「 神社総代 」 の任期も今月で満了し、正直ホッとした。  と思ったら、その慰労会が5月に立て続けに3回 ( うち1回は何と一泊旅行 ) も開かれ、 少々驚いた。 この種の地域社会の役職も今月限りで今後当分お役御免だ。 

4月度(Apr. 29, 2003)

4月27日深更、私が1年半にわたり後援会代表として推し続けてきた男 「 桜井孝一 」 は、南足柄市の市長選で落選しました。  まことに残念な、しかも、予想もしなかった大差での敗北であり、ご支援くださった皆様には、本当に申し訳ありませんでした。  皆様のお心尽くしに、心からお礼申し上げます。

私としては、自分が 「 本当に立派な人間だ 」 と思える一人の友人のためだけに、特に最後の数カ月は、 すべての時間を捧げて一途に働くという、生まれて初めてとも言える貴重な体験をしました。  全力を出し切らなかったという悔いは全くありませんし、天地に向って恥じるような言動は一切致しませんでした。  残り少ない人生に、良い思い出を、また一つ加えることができました。

またその中で、多くの旧友と交わりを復活し、新しい素敵な人たちもたくさん 「 友 」 に加える事ができました。  一文の得にもならぬことに対し献身的に連日働く人たちや、 上司の不当な圧力を拒否し抗議する勇気のある人たちなどを見ることは実に感動的なことでした。   それにしても、このまちの将来がどうなることか、目下は見当がつきません。

敗因はいくつもあるでしょう。 でも、それはこれからゆっくり考えますし、 今の時点で、またこの場で語るべきではないかも知れません。  もう一度、皆さんのご友情に深く感謝して取りあえずのご挨拶とします。

お詫び(March 8, 2003)

昨年もこの欄に何度か書いたように今度の地方選挙で、私は、ある市長立候補予定者を推す後援会の代表になっており、あと2カ月を切った今、 昼も夜も週日も週末もない、たいへんな多忙さに見舞われています。 それでも、ホームページを書いて載せるくらいの時間は有るのですが、 かんじんの書く内容がないのです。 毎日の今の生活を書いてみても、関係ない人には全く興味がないことだし、 他陣営の言動について論じたり自分の主張を述べたりしたら、下手をすると問題とされたりしかねません。

と言う次第で、お恥ずかしいことですが、2、3、4の3カ月は、「 私と家族の近況 」 を休載とします。  4月27日が終わったら、その期間の哀歓や怒りも含め、一切を吐き出します。 今の私のささやかなストレス解消法といえば、 選挙が終わったらすぐに行こうと考えているポルトガルへの長い旅のスケジュールを立て、夢を紡ぐことくらいしか有りません。

1月度(Feb. 5. 2003、 Feb. 9 追加 )

このコラムは、いつもは、毎月末日プラスマイナス1〜2日に掲載してきましたが、 今度の1月分は、1週間近く遅れてしまいました。 理由をここで書いてみても仕方ありませんから、書きませんが、別にインフルエンザに罹ったわけでもありません。 このあたりは田舎なので、何ごともまだ流行おくれのようで、周囲にも患者は見当たりません。

1月4日に息子と孫と3人でいつものウォーキングコースを歩いたときには、例年なら既にチラホラ咲き始めているはずの梅の花を、 全く見ることが出来ませんでしたが、中旬、下旬と次第にほころび始め、月末には満開になっていました。  (  右のカットは、小田原地方の代表的な梅 「 白加賀 」:鈴廣社長の鈴木博晶氏より )

2月になると、このあたりでは、今度は杉の花が満開になり、歩くと私は、 からだじゅうが痒くなるのです。 何しろ、この付近の山には、 関東地方の杉花粉情報のための定点観測器が設置されているほどの花粉の 「 名所 」 なのです。

今年は箱根の山に降る雪もいつもよりは多く、朝、雨戸を開けると、新雪が朝日に輝いて、それは美しく、 私の目を毎朝のように楽しませてくれます。 しかし、美しいものには棘があると言いますが、 この写真の中腹の黒っぽい部分はすべて、恐ろしい杉の植林なのです。

先月、毎日数通づつもワーム入りメールが来るようになったと書きましたが、調べたら、すべてある特定の友人からのものでした。  彼に連絡し、翌週、彼が駆除を実施したら、とたんに来なくなりました。 調べる方法は、そのメールを選択し (  開けるのではない )、 左上のファイル、プロパティと順に開いて詳細タブを開け、英文の記録を読むのです。  悪意なく送られてくるウイルスメールの場合、この方法で隠されている送信者や発信地を知ることができます。

ガスパリーニ氏から、また一つ、をからかった面白いジョークが来ました。ご覧ください。  ところで、この種の政治的社会的ジョークですが、日本の方は、概してマジメでジョーク馴れしていない方が多いせいか、しばしば  「 作者の立場や意図、社会的背景などを真剣に追求 」 して考察を披露したり、「 そうだ。本当に悪いやつだ 」  と同調して興奮したり、 逆に、「 失礼だ。怪しからん 」 と怒ったりなさる場合があります。 上記のジョークだって、ブッシュはNO、戦争もNOの人が作ったのか、ブッシュOK、戦争もOKの人が作ったのか、 私は五分五分だと思っています。

 要するに、ジョークはあくまでジョークなのです。 もちろん、時の話題や人間の本質を衝いているからこそ面白いのですが、 面倒くさいことは一切考えずに、からかわれたご当人も含めて皆で 「 アッハッハ 」  と笑って済ますのが、日本以外では普通のように思います。  米国の友人の中には、 他人が自分をからかって作ったジョークを印刷したTシャツを作って、友人たちに配った人さえいました。

「 ブッシュは本当に怪しからん。 お前はそう思わないのか 」 と詰問したりなさらないでくださいね。  いや、私だってそうは思っているんですが、それとこれとは別なんです。 ( 本当に怪しからんブッシュ一味に、 改めて立腹したい方は、近刊のマイケル・ムーア著、松田和也訳 「 アホでマヌケなアメリカ白人 」 をご一読ください。  これは、ジョークではありません。 私の在米時の体験からも、おおむね真実だろうと思われます。 怖いことです ) 

「 私と家族の近況 」 というテーマからは、すっかり脱線してしまいましたが、脱線ついでに話を続けます。

まだクリントンが大統領の頃、彼の顔を大きく印刷したゴルフボールが町で売られていました。 その箱の説明文を以下にご紹介します。  日本だったら、たちまち 「 悪い冗談だ。 悪質な個人攻撃だ! 」 と怒られるところでしょうが、 全くそういうことはありませんでした。  私は、クリントンがもしゴルフコンペを主催したら、このボールをまとめ買いして参加者に配るのではなかろうかと、当時、想像しました。  憤慨するより 「 他人が作ったジョークを自分がジョークとして使い返す 」 方がスマートだとは思いませんか。

抜け目のない ずるのウィリー印ゴルフボール (クリントンのことを、あえてビルといわず、ウィリーと呼んだ)

効能: フック、スライス、ボギー、池ポチャ、バンカー入り、国家予算赤字、国際収支赤字、失業、ホームレス、地球温暖化、健保負担増大、 不景気、(実際の、あるいは想像される)すべての社会問題

対象症状: 怒り、フラストレーション、ストレス全般

最大の効果を得るには: ドライバーを用い、満身の気力をこめて、リベラルにボール上の顔をスクウェアに叩く。

* この製品をご使用いただけば、スコアが改善することを保証します。

* スコアの悪化、窓ガラスの破損、観客の負傷、等々につき、当社は責任を負いません。

  ( ボールには 「 罪のないウソであることを保証します 」 と、小さく書いてありました )

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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました

この先です。