私と家族の近況
私と家族の近況

*あしがらみち*

2003年 後半分:最新は12月度

***
12月度(Dec. 28, 2003)

   
 10月30日に丸の内の経済同友会で行われた一票の格差是正をめざしての座談会 「 投票価値の平等は民主主義の原点 」 が、 印刷されて、会誌 「 経済同友 」 の11月号 ( No.652 ) の5〜10ページに掲載されました。  この会誌をご覧になれる方は、是非お読み下さい。 司会はクレディセゾン社長の林野 宏氏。  座談のメンバーは松沢成文神奈川県知事、日比谷見附法律事務所の五十嵐啓二弁護士、 それに 「 一票の格差を考える会 」 事務局長という肩書きの不肖 熊井 章という超豪華メンバー?ですから。  写真を見ると、私だけが白髪、他のお3人は黒髪・・・これは止むを得ません。 そして、何しろ、この私がダークスーツを着て地味なネクタイを締めたのは、今年、これが3回目だったのです。

 冗談はさておき、その座談会の要旨を、同友会のお許しを得て、ここに掲載しました。  また、産経新聞紙上に、毎週水曜日に8回連続で全5段抜きで掲載していた 「 日本をゆがめる一票の格差 」 という記事 ( 意見広告 ) も、 無事、大晦日掲載文で終了となります。 この二つが、私の今の人生の中の、僅かなマジメな労働の部分です。

 ところで、年賀状は、今年も、メールとインターネットを開ける友人・親戚の皆様には、年賀ハガキを省略し、 デジタル画像による自作の年賀状を、ご自分のディスプレイ上でご覧頂くことでお許し願う事にしました ( 今年は300人のうち約3分の2にまで増えてきました )。   そうでない方には、ハガキに印刷して出しました。 郵政公社のインクジェット用の年賀葉書は、非光沢面ですが非常に画質がよいですね。 驚きました。 「 自画自賛 」 とよく言いますが、自分でも惚れ惚れするほどの美しい仕上がりでした。  自分で好きな文字を書き込めるし、写真も簡単に入れ替えられるし、 さらに署名を夫婦連名にしたり片方だけにしたりと、簡単に書き変えて少量多品種生産できるのは、 印刷方式や写真方式にはない長所だと思いました。

 それにしても、1年の経つのは速いですね。 ついこの間、しめ飾りを自分で作って飾ったばかりのような気がするのですが。  その速度が、年をとるごとにますます速くなるような気がして、この調子では、人生の最期も遠くはないように思えてきます。  いや、そう考えるのではなく、すぐまた次の夏がやってきて、また欧州のどこかに気ままな一人旅が出来るのだ! とポジティブに考えることにしましょう。

 先月に続いて、今月も忘年会が2回。それに大学の同期会が1回。 そしてゴルフは1回。 ゴルフは、寒い1、2月は休みます。  もう高齢者ですから、無理はしません。 そうそう、8月以来毎月報告している体重減らしの件です。  7月3日開始以来ついに、6カ月で6.5kg減らせました!  ベルトの穴は3つ縮まり、腕、肩、大腿部の筋肉は硬く盛り上がってきました。 9月末には肝機能がすべて正常値になりましたが、  11月末の採血では、血糖値も正常範囲に入ってきました。 来年も無理せず堅実に継続するつもりです。  あと2kgほど減らせれば、そのあとは横這い維持でよいでしょう。  そういえば、今年は一度も風邪を引かず、腹もこわさず、怪我もせず、歯を失うこともなく、健康に過ごせました。 感謝。感謝。  では、皆様、どうぞ良いお年を。

 
11月度(Nov. 30, 2003)

  
  議員の定数は 「 違憲状態 」 のままで、選挙は済みました。昨年夏、公職選挙法の一部が改正され、衆議院小選挙区の区割りについて 「 5増5減 」 が行われて、「 一票の格差 」 は、少し是正されました。埼玉、千葉、神奈川、滋賀、沖縄で1議席が増え、北海道、 山形、静岡、島根、大分では1議席が減ったのです。 これら10道県の選挙結果を見ると、民主党が11議席増、 自民党は追加公認の1人を含めても7議席減となっています。  ですから、もし 「 一票の格差 」 を完全になくすことが出来た上で選挙が行われたら、国全体の選挙結果は、 大きく異なったものとなっていたと想像されます。 どの党が勝とうが負けようが、 公正な土俵の上で行なわれた選挙で結果が出されるのが、公正な選挙というものです。  私は 「 一票の格差を考える会 」 の事務局長として、今後も微力を尽くす所存です。

 7月から始めているダンベル体操+ストレッチ体操+節酒+よく噛み節食の効果の続報です。  開始後4カ月半で体重は6kg減りました。 各種の肝機能と血糖値は、9月に、いずれも数値的に大幅に改善された後、 11月の測定では更によくなり、すべて基準値の範囲内に入りました。 目出たし目出たし!!  上腕部や腿、脚の筋肉も更に盛り上がってきました。 「 70歳を過ぎても筋肉はつくんだね 」 と、医師も感心してくれました。  体重は年末までにあと1〜2kgは減らすことが出来るでしょう。 そこまで減らせれば、その後は横這いの維持でよいはずです。

   
 中旬にはウォーキングの仲間たちと高尾山に行き2万歩ほど歩きましたが、紅葉は全くダメ。  その上、頂上は休日の盛り場のように人がいっぱいで、昼食のために座る場所を見つけるのに苦労するほどでした。  その代わりというわけでもありませんが、下旬に散歩した山北町や丹沢湖の紅葉は、それは素晴らしいものでした。  月末には、河津のバガテル公園を妻と共に訪れ、一面に咲き誇る秋バラの美しさを堪能してきました。

 今月は、高校と大学のの同期会が各1回、会社の旧職場の同窓会?が計3回と、賑やかでした。  健康でこれらに出席できるのは、本当に幸せなことです。

 私の家の前は、30年前に移り住んで以来、美しい広いミカン畑でした。 それが、ここに住むことに決めた理由の一つでした。  所が、今春ついに、樹はすべて切り倒され、宅地に造成されてしまいました。  現在、ひしめくように、争うように、10軒ほどの家が一斉に建築中です。 風通しも見晴らしも悪化し、全く情けない気持ですが、 どうすることも出来ません。 この狭い日本では、今までの状態が幸福過ぎたのでしょうか。

10月度(Nov. 1, 2003)

 いよいよ衆議院の総選挙も近づいてきました。 戦前は、女性であるというだけで参政権がなく、立候補も投票もできませんでした。  門閥や納税額次第で資格が得られる貴族院などというものも有りました。  これを 「 怪しからん 」 と思わない人は今ではごく少ないことでしょう。  しかし、現在でも、地方の有権者は1人が1票なのに、都市部の有権者は 「 2人で1票 」 なのです。  有権者の多くが、この最大の基本的人権の侵害、差別に、あまり腹を立てていないらしいのは実に不思議なことです。

 「 一票の格差を考える会 」 事務局長の私としては、総選挙を控えて自然と忙しくなります。 ゴルフの予定も幾つかキャンセルしました。  30日には、丸の内の日本工業クラブで催された、経済同友会主催の座談会に、メンバーの1人として招かれ、 参加して意見を述べてきました。  他のメンバーは松沢成文 神奈川県知事、日比谷見附法律事務所の五十嵐啓二弁護士で、司会はクレディセゾンの林野 宏社長でした。  この座談会の内容は近く公開されますので、そのとき、ご紹介します。

 「 一票の格差を考える会 」 としては、本当は、選挙前に、全候補者の 「 一票の格差 」 に対する考えを聴取し、 それをリストにして、選挙前に新聞紙上に発表しようと考えたのですが、公職選挙法上問題だということで、残念ながらあきらめました。  そのかわり、選挙翌週の11月12日(水) から、8週連続で毎週水曜日に産経新聞に、座談会形式の全5段の意見広告を出します。  この座談会の方のメンバーは、松沢成文 神奈川県知事、政治評論家の屋山太郎氏、作曲家のすぎやまこういち氏の3人で、 今月はこの関係の仕事にも時間を使いました。

 最近、大屋映子氏が新聞紙上で 「 またやってくる”違憲状態”の総選挙 」 と訴えていますが、まともな先進国では、どの国でも、 一票の格差が15%くらいになると、自動的に選挙区の区割り調整などが行われ、格差が修正されます。 これに対し、 日本でだけは、あいも変わらず2倍以上の格差が温存され続けています。 最高裁の裁判官でさえ、 裁判官や検察官出身の人たちだけは、全員これを擁護しているのですから、呆れた話です。  総選挙と同時に行われる最高裁裁判官の信任投票で、誰と誰に×をつけるべきかは、きわめて大切な判断です。

 7月から始めているダンベル体操+ストレッチ体操、節酒+節食の効果の中間報告です。 3カ月半で体重は3.5kg減りました。  ベルトの穴は5cmほど短い方に移りました。 各種の肝機能と血糖値は、いずれも数値的に大幅に改善されました。  毎日測っている血圧も少し下がり、上腕部や腿の筋肉が固く盛り上がってきました。 その正直な反映に、自分でもあらためて驚いています。  体重はまだまだ多いので、今後も継続します。 年末までにあと3.5kgは減らすことが出来るでしょう。

 
9月度(Oct. 7, 2003)

 9月分の報告が、1週間ほど遅れてしまいました。 そのわけは、9月後半からずっと、 スペインやポルトガルに、一人旅をしていたためです。 予めお断りして出かけようと思ったのですが、 長期間留守にすることを公表すると、留守中を狙う悪い人がいるかも知れないと考えて、殆どの方には黙って出かけました。  つい最近まで、日本は、こういう心配をしなくてはならないような国ではなかったのですが、残念なことです。

 それはともかく、無事に戻ってきました。 毎日、古い寺院や素朴で美しい田舎の村を訪ね、デジカメとフイルムで、 500枚以上の写真を撮りました。  その土地土地の美味しい料理を探して食べ、昼はビール、夜は白ワインを1本あけて、堪能してきました。  中級以上のレストランでは、1本千円するかしないかのハウスワインが、どこの店でもそれぞれ違う極上の香りと味わいであることに、 改めて感激しました。

 とくにポルトガルは、大都市でもイタリアやスペインのように怖いことはなく、夜、 ひとりで地下鉄に乗り、裏通りを歩いても、安心感がありました。  もっとも、腕時計も安物に変え、支払い用のカードは絶対に分からない場所に身につけ、質素な身なりで、 5千円程度の「身代金」以外は何も持たずに出かけるという、いつものやり方は、今回も常に守りました。

 スペインの町や村では、日本人の団体旅行者に会うことが多いのですが、ポルトガルの田舎の村を回っていると、 さすがに、ほとんど日本人に会うこともなく、ひとり旅の好きな私のような者には、それが大変嬉しいことでした。  もちろん、一人旅なので、バスの乗り継ぎや乗降のたびに、間違えないように緊張し、汗だくになりました。  危うく反対の方向に行くバスに乗りかけたことも、2度ほどありましたが、事前の綿密な調査、 僥倖とも言える運のよさ、それに土地の人々の親切にも助けられて、計画通りに移動できました。  スペインでもポルトガルでも、英語はホテルと中級以上のレストランでしか通じませんが*、 スペイン語やポルトガル語の単語を並べてわめき立て、手まねを援用すれば、何とか意思は通じ、いつも親切にしてもらえました。

*: 隣同士の似たような国なのに、ポルトガル人の英語のほうがずっと上手なことに気づきます。 国が小さいからなのでしょうか。

 あんなに食いまくり、呑みまくったのに、帰国して、恐る恐る体重計に乗ったら、 出発前と全く変わっていなかったので、これには大喜びでした。 時には重い荷物を引きずりながら、毎日2万歩近く歩いたことと、 朝晩、室内で30分ずつストレッチ体操をしていたことが利いたのでしょう。 なお、帰国当日以降は、また、出発前のように、 プッツリと酒は止めております。

*********************

 私が事務局長をしている「一票の格差を考える会」では、連続企画特集 「 日本をゆがめる一票の格差 」 を、 今日10月7日(火)から、毎週火曜日に産経新聞首都圏版に掲載する計画を立て、9月はその準備をしていましたが、諸般の事情により、 総選挙終了後直ちに開始という日程に延期いたしました。全5段の座談会記事として、8回にわたり毎週掲載します。

  ご期待の上、ぜひ、ご一読いただければ幸いです。

 座談会形式:出席者は神奈川県知事 松沢成文、政治評論家 屋山太郎、 作曲家 すぎやまこういち の3氏。 司会は元産経新聞論説副委員長の 花岡信昭氏です。

 産経新聞首都圏版は東北、関東、甲信越、静岡地区でお読みいただけます。毎回全5段:新聞1ページの3分の1の大きな紙面です。

8月度(Aug. 30, 2003)

 先月も書いたが、体重を減らそうという決意で、7月初めから、ストレッチ+ダンベルの運動を、毎日30分ないし1時間続けている。  アルコールもこの2カ月、ほとんど摂らない。 自分で言うのも変だが、なかなかの意思の強さだ。  生来の「はや食い」の私が、物心ついて以来初めて 「 ゆっくりよく噛む 」 ようにも努めた。 結果的に食事の量も相当減ってきた。  1カ月続けても体重は変わらないので、がっかりしかけたが、40日目あたりから次第に減りだし、60日間で約3kg減った。  横腹をつまむと、以前とは感触がはっきり違う。 「 よし! 続けよう! 」 という意欲が湧いてきた。

 しかし、考えてみると、なぜ自分はこんなことを始めたのだろうと疑問にも思う。 数年後のある日、 コロリと死ぬと分かっていれば、私は、その日まで旨いものを食いたいだけ食い、酒を飲みたいだけ飲むに違いない。  そうしない理由はただ一つ・・・ある日倒れて、死にはしないが 「 寝たきり 」 になって、 家族や周囲の方々にお世話になるというような状態で生き続けたくないからだ。  私の祖父も、父も、ともに77歳で、元気いっぱいなまま、ある日突然コロリと死んだ。 私も是非そういう風に死にたい。

 でも、自分もそう死ねるという保証はどこにもないから、もう人生も残り少ないというのに、こうして節制と鍛錬に励むことにしたのだ。  93歳の私の母は、数年前脳梗塞で倒れ、左半身麻痺になり、身の回りすべてを家族に介護される身になったが、その後、 周囲も呆れるほどのの強い意志と必死の努力を続けて、今はついにひとりで歩き回って、殆ど何でも出きるまでに回復した。  子や孫に連れられて旅行にまで出かける。 頭もしっかりしている。  尊厳死という言葉があるが、母は 「 尊厳生 」 を取り戻すために、あれほどの努力をしたのだ。 

 自分でも何か違和感を感じながらの私の今回の節制と努力も、やはり自分の将来の 「 尊厳生 」 の確保のための選択だと思う。  今回の節制と鍛錬のお蔭で私の寿命はたぶん幾らか延びるだろう。  でも、それは、私が恐れている 「 寝たきり 」 状態の到来を、ただ数年先送りするだけなのかも知れないのだ。  だがそれでは困る。 寿命が延びることは目的ではないのだ。 人生の最期まで健康に生き、「 尊厳生 」 を全うしたいと願いつつ、 今日もまた鍛錬をしている。 結果がどうなるかは運次第だ。

 そうそう、ただストレッチ+ダンベルの運動をしているだけではつまらないので、週日の毎朝9時半から東京TV ( 12チャンネル ) で やっている 「 極める 」 という番組を見ながらやっています。 あれは面白い番組ですよ。

 
7月度(July 29, 2003)

 中旬にカホルと4泊5日で利尻、礼文の2島を訪れ、帰りに富良野と美瑛にも立ち寄って有名な丘陵地帯と花畑を楽しんできた。  満開のラヴェンダーは壮観だった。 沿道の丘陵地の畑では、じゃがいもとそばの花が満開で美しかったが、 バスを降りるわけにも行かず、写真は撮れなかった。 撮った写真の一部はここでご覧下さい

 宗谷岬からはるか樺太を遠望し、終戦直後のソ連軍の無法な残虐行為が、 決して満州でだけ起ったことではないという事実を聞かされ、改めてはらわたの煮えくり返る思いだった。  こういう事実は、戦後ソ連により一度も釈明も謝罪もされていないのだろうと思う。

 それにしても、北海道の日本離れした広大で美しい風景を見て 「 ああ、戦後、北海道までソ連に奪われないで本当によかった! 」 と思わずにはいられなかった。 江戸時代にも本州の各藩から派遣された武士たちが、北海道本島のみならず、 北部の離島にまで駐在して、寒さと飢えで多くの命を落しながら、 ロシアほかの外国の手から守りきったのだということも知った。

 1945年8月には、日本が無条件降伏した1週間もあとなのに、多数の日本の民間人たちが一方的に攻撃され殺されていったという。  こういう悲惨な物語をバスガイドが一生懸命話しても、同じバスに乗っていた若い女性たちは、全く無関心で、 居眠りするか、おしゃべりするか、携帯をまさぐっているかである。 外の美しい景色にすらあまり目をやらない。  私が近寄ってまず両手を合わせ、冥福を祈った乙女たちの慰霊碑の前でも、ただ尻をむけ、Vサインして写真を撮り合うだけ・・・。  彼女らの祖母の世代の、同年齢で殺されていった 「 けなげで不幸な 」 乙女たちは、地下でどう思ってることだろう。  こうして悲惨な歴史は風化し消えて行くのだろうか。

 先月末 「 このまま体重を減らさないと糖尿になるぞ 」 との医師の注意を受け、今月はじめから週2回、 ストレッチ+ダンベルの運動1時間のシェイプアップ教室に通いだした。 他の5日も、自宅で30分、同種の 「 自主トレ 」 をしている。  もちろん、従来からのウォーキングもやめない。 夕食は野菜中心の低カロリーのものに改め、 ゆっくりよく噛むように努めて量を減らしている。 晩酌も原則中止とし、何もないと口淋しいので暑気払いはノンアルコールビールにした。  でも、あれは実にまずい

 こうやって、あちこちの筋肉が痛くなるほど毎日やっているのに、1カ月経っても体重はピクリとも動かないままだ。  いわゆる、水を飲んでも肥るタイプかも知れない。 まあ、忍耐強く頑張ってみるつもりだ。

2001年の1−6月分はここをクリックしてください。

2001年の7−12月分はここをクリックしてください。

2002年の1−6月分はここをクリックしてください。

2002年の7−12月分はここをクリックしてください。

2003年の1−6月分はここをクリックしてください。


ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。

***************

このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました

この先です。