私と家族の近況
私と家族の近況



*あしがらみち*

2013年 前半分:最新は6月度


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6月度 (June 30, 2013)

 今月は、数十年前の現役時代の二つの旧職場の仲間の方たちとの同窓会のような集まりが、たまたま2回続きました。  若い頃、日々苦楽を共にした方たちと良い思い出を今も共有し続けていられる幸せ、全員が今も元気に暮らしており、一緒に集まって旧交を温めたいと考え、 かつての上司だった私にも声をかけて招いてくださるという幸せ、それが2週連続であった・・・感謝の気持ちでいっぱいです。

 かつての日本では、大多数の企業の職場には、現在多く見られるようなカサカサした利益と効率の追求一本槍の職場とは異なり、「 共同体組織 」 的な意識、 雰囲気が豊かに存在していましたから、全員が退職し離れ離れになった今も、30年も40年も昔 「 同じ釜の飯を食った 」 仲間たちが、年に1回か2回、 喜んで自主的に集まろうという気持ちになるのでしょう。


小田原城の 「 あじさい花菖蒲祭り 」 にて

 去る2月に受けた人間ドックでは、幸い、悪いところはどこもないと言われましたが、それでも80歳を超えると、このような会に出席した時に、 それ以前とはまったく違う心境になっている自分に気づきます。 70歳台までは、この種の会合には毎度気楽に出席し、 会が終わると 「 ではまた次回・・・ 」 と口にして気軽に別れたのですが、80を超えてからは、「 もしかすると今回が最後の出席かもしれない 」 と本気で思うようになり、 「 一期一会 」 と言うか、一種格別の緊張感を抱いて出席し、帰途につくようになってきたのです。

 ともあれ、かつての現役時代は日本中が総じて右肩上がりの全盛期でした。 苦しかったけれど楽しく働けた40年余りの歳月でした。  元気でこれらの会に今後も毎回顔を出せるよう、日々節制努力をしていれば、私の 「 健康寿命 」 も自ずと延びてゆくのではないかと思います。

 書き忘れていましたが、順番が回ってきて、去る4月1日から1年間、地元自治会の組長を担当することになりました。 こういう公職にも、 80歳あたりで定年、お役御免という制度があってもよいのではと思うのですが、そういう提言は、とりあえず自分がお勤めを終わった後でするべきかと考えて、とにかくやり始めました。  広報等の各戸配布、地元の清掃活動のリーダー、夏祭りや文化祭の準備・運営・・・と、これからどんどん忙しくなりますが、老骨に鞭打って微力を捧げるつもりです。

5月度 (May 31, 2013)

 当家の裏手には田んぼがずっと奥の方まで、ゆるやかな段々状に広がっています。 冬の間はただの乾いた草地だった田には、5月の声を聞くと耕運機が入り、用水の水が引かれ、 それが浸み込むとまた水が引かれ、再度耕運機が入り ( 写真1 )、最後にようやく満々と水が張られます。 するとどこからともなく蛙たちがやってきて夜な夜な大合唱し結婚と産卵に励みます。  昼間はその蛙たちを狙ってか、鴨たちがこれもどこからともなく飛んできます ( 写真2 )。 そして田植機によって田植えが行われ ( 写真3と4 )、短い5月が終わりました。  夕映えの田圃の水の中には、もう沢山の小さなオタマジャクシが元気に泳いでいます。








 昨年10月以来、苦しみ続けてきたカホルの肩痛と腰痛は、懸命の体操やウォーキングの甲斐あってか、5月後半になると7カ月ぶりに回復の兆しが見えてきました。  一方、私の帯状疱疹後神経痛もだいぶ治まってきたので、ようやく両名揃って食事や買い物に行けるようになり、我が家にもようやく遅い春がやってきたように思えましたが、 25日に甥の結婚式に出席するための東京往復をしたら、また痛みがぶり返したり・・・一日も早く国内旅行ができる程度に回復したいものです。  私の方も、中断していた家財の整理を再開しました ( ここまでに 「 ようやく 」 という同じ言葉を3回も使ってしまいました。 長く苦しい 「 冬 」 でした )。

 21日には、めでたく ( もない? ) 81歳の誕生日を迎えました。 あちこちに小さな問題点はありますが、同年齢の人の中では健康で丈夫な方だと言えるでしょう。  今後も三浦雄一郎氏の言う「 健康と体力と気力 」 の維持のための努力を続けたいと思います。

4月度 (Apr. 30, 2013)

 2月に1年半ぶりで人間ドックの検査を受けました。 以前にも書いたと思いますが、75歳を過ぎたら、その医療機関から毎年自動的に送られて来ていた 「 次回の人間ドック受診日についてのご通知 」 が来なくなり、受診は任意となって、自分で毎回予約を取らないと受けられなくなりました。  「 75歳以上になったらもう適当なところでお亡くなり頂いて結構です。 わざわざ長生きさせるための予防的努力を当方からお勧めすることは致しません 」 「 どうしてもお受けになりたければそちらから申し込みなさい。やって差しあげます 」 ということのようです。  一般論、理屈としては納得できる話ですが、感情的にはちょっと口惜しくもあったので、その後も自分から申しこんで毎年のように受診してきました。

 さて、今年の結果ですが、「 どこにも特に大きな問題はないが、眼底検査と便の潜血検査の結果に若干不審な点があるから専門医による精密検査を受けなさい 」 ということでした。  そこでまた眼と大腸の精密検査を3月から4月にかけて受診し、結局、両方とも全く問題なしという最終結果でした。 こんな丈夫な体に産んでくれた両親と、 永年、食事などにいろいろと気遣ってきてくれてきた妻に感謝しながら、「 やれやれ 」 と、それでもホッと安心しましたが・・・ 考えてみれば毎日8種ほどの薬を服用して高血圧や高血糖を抑えているお蔭でもあり、これらがなければ、とうに倒れていた可能性大です。

 歳を重ねるにつれ、上記の口惜しさも次第に薄れてきて、今では 「 さて来年は受診しようかどうか・・・ 」 と考えるようになりました。  「 もうそろそろこんな検査は止めて、今後は何も調べてもらわずに生き、天命のままに病気に罹って人生の最期を迎えようかな 」と考え始めています。

 話は変わりますが、昔から抱き続けてきた希望の一つに 「 孫と2人で差し向かいで酒を呑みたい 」 というのがありました。 孫が20歳をすぎないと出来ない話ですが、 最近ようやくそれが可能となり、ついに実現しました。 実現してみれば、別にどうという事もない数時間でしたが、以前から孫たちに語り伝えておきたいと考えていた 「 私の祖父や父が私に与えた 『 遺訓 』 」をじっくり話すことが出来、彼もそれをしっかりと理解してくれたようなので、その点では有意義な数時間でした。

 先月に続き、今月も箱根の温泉に一泊してきましたが、カホルの神経痛には効果はありませんでした。 気ながに療養するしかないようです。  4月の声を聞くや、自宅の庭にはチューリップ、フリージァ、石楠花、その他十数種の美しい花々が咲き乱れましたが、写真に撮ってみると、腕前が悪いせいか、 ここに載せるほどの画像は得られませんでした。  下の写真は無数の小さい花をつけた満開の 「 どうだん 」 越しに撮った富士山です。 残雪は、もうだいぶ少なくなってきています。


3月度 (Mar. 31, 2013)

 「 一票の格差を考える会 」 の事務局長として、2000年9月以来13年近く、いろいろの活動をつづけてきた私にとって、今月は、まさに記念すべき素晴らしい1カ月でした。  日本各地の高等裁判所で、次々に出された 「 昨年12月の衆院選挙における一票の格差は憲法違反である 」 という判決ばかり・・・ 中には 「 この選挙は無効である 」 とまで踏み込んでくれた判決も2つありました。

 一票の格差とは何か、なぜ一票の格差があってはいけないか、などの多くの質問や反論に答えるために 私が2004年に書いたページがありますので、ご覧頂ければ幸いです。

 それにしても各政党や国会議員たちの対応の遅さ、醜さは見るに堪えません。 彼らの判断基準は 「 どういう選挙制度に改めることが公正か 」 ではなく、 「 どういう選挙制度にしたら自分たちが当選しやすいか ( 或いは当選しにくくなるか ) だけなのですから、国会議員たちの議論の中から良い方向が打ち出される望みなど殆どないと考えられます。

 異常に寒い冬から3月に入ると、一気に4月、5月並みの暖かい日が続いたので、例年なら寒緋桜、河津桜、春めき桜 * ( 下の写真はこの順 ) と順に咲きだしてくる桜の花が、 今年は3月の10日頃に一斉に開花してしまいました。


 染井吉野も、当地では例年は3月下旬に開花し、4月1日頃満開を迎えるのですが、今年は3月18日ころ開花し、24日にはもう満開となってしまいました。

 桜のほかにも、モクレン、椿なども3月に入ると一斉に咲きだしました。 足柄古道沿いにそびえるこの巨大な白モクレンの老木も、例年は4月1日あたりが見頃なのに、 今年は3月中旬に満開となりました。


 私たち両名の体の痛みは、「 暖かくなるにつれて治りますよ 」 という医師たちの言葉を信じてはいるものの、一向に良くなる気配もなく、3月もまた憂鬱な毎日でした。  「 腰痛の人は全国に推定で2800万人いることが、厚生労働省研究班の調査でわかった。40〜60代の約4割が悩んでいた 」 という報道も最近目にしました。

 藁にもすがる思いで近場の温泉に泊まりがけで浸かってみたりもしたのですが・・・医学とその周辺の技術とは、まさに日進月歩だと思っていましたが、 こんな神経痛ひとつすぐには治せないのが現実のようです。 それとも、私たちは長く生き過ぎてしまったのでしょうか。 もっと早く75歳くらいで死んでいれば、 こんな神経痛などで医療機関や保険制度にご迷惑をかけ続けずに済んだものを・・・


小川の土手に立ち並ぶ河津桜から水面に落ちた花びらを水鳥たちは争って食べる ( 3月17日 )。

*: 「春めき桜」は2000年3月に品種登録された比較的新しい桜です。 カンヒザクラとシナミザクラの交雑種の一つとされています。

2月度 (Mar. 3, 2013)

 今年冬は当地も異常に気温が低く、毎年、年末に咲き始める自宅のすぐそばの斜面に咲く水仙が、漸く見ごろになったのは年が明けてから大分経った2月の中旬、 紅梅よりは咲き始めの遅い白梅がほころび始めるのも、例年なら正月早々なのに何とこれも2月10日前後でした。 この調子では桜の開花も今年はだいぶ遅れてしまうのでしょうか。


 私どもの体の痛みは、相変わらず続いています。 車も病院通い以外はほとんど乗らないので、小型のハイブリッド車のためもあってガソリンがちっとも減らず、 2カ月ぶりにスタンドに行ったら、円安のため値段が急騰しているのに気付き驚く始末です。

 身の周りはこのように良くない話ばかりで、良いい話と言えば、1年半ぶりに人間ドックに行って胃カメラを飲んだら、医師が 「 この胃袋はとても若々しく綺麗だ。  ガンにもなりにくい胃だ 」 と言ってくれたことくらいです。



明け方に西の山に沈もうとする満月

 
1月度 (Jan. 31, 2013)

 2人ともそれぞれ体に痛みを抱えているのに、鎮痛剤で抑えながら、大晦日から2泊3日で会津若松のそばの東山温泉の旅館に泊まり、 市内、周辺を観光してきました。 ご承知のように、会津若松市は今年のNHKの大河ドラマ 「 八重の桜 」 の舞台なので、街中、 もう 「 八重の桜 」 一色と言ってよいほどでした。

 同じ福島県でも、東部 ( 浜通り )、中部 ( 中通り ) では全く雪が見られなかったのに、 奥羽山脈を越えた西部のこのあたりは深い雪に覆われていました。 放射能も山脈に遮られてか、この辺りまでは余り来ず、 都内と同程度だと言っていました。  福島第一原発近くの大熊町からは、3千人近くの方たちが会津若松市に避難して来て、仮設住宅に住んでいました。


 ごたぶんにもれず不景気と原発事故の影響で、ここでも観光客はまだまだ以前の状態には戻らず、 目抜きの商店街もシャッターをおろしてしまった店が多く、この大河ドラマに再起を賭ける意気込みは大変なものでした。  お蔭でこのドラマを観るための予備知識はたっぷり仕入れることができました。

 何も準備せず、誰もお客が来ないお正月、自宅に居ないで旅に出て、家の外で迎えるお正月というのは、生まれて初めての体験でした。  旅館任せ、タクシーの運転手任せ、観光バスのガイド任せの3日間はのんびり出来た事は事実なのですが、 体調不良の老体にとっては結構心身の疲れも伴うもので、来年も同じような事をしますかと問われたら、首をかしげざるを得ません。  そもそも、2人ともこんな健康状態では、来年の事など口にする資格はないのかも知れません。

 「 帯状疱疹後神経痛 」 に悩まされている私は、その後もなかなか外出すらままならないので、 暇つぶしに WINDOWS 8 の入った小さなタブレットパソコンを買ってみました。  ボケ防止にもなる筈だと考え、解説の本も買ってきて一生懸命勉強し、毎日いじくりまわしています。  2月から Wi-Max も使えるようになるので、外出先でもインターネットその他が自由にできるようになるはずです。  それにはまず 「 どんどん外出できる健康な体になること 」が先決です。

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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました


この先です。