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「禁断」 「パラレルイラスト館・エントリーナンバー2」をモチーフにしたパラレル小説です 目次
1.コードネーム『Tidus』 「まだ、着替えて無かったのか」 「うん…、あと、少しだけ」 声を掛けられた少年は、少々派手目の衣装に身を包み、無心に手元の小冊子に目を落としていた。 アーロンは軽く溜息をついて見せ、部屋の隅にきちんと畳んでおかれた折り畳み椅子をひとつ引き出し、腰掛ける。 ……こういったことは珍しく無かった。 デビュー当初はもちろん、もはや横に出る者もいないトップアイドルとなった今でも、少年――『Tidus』は、過密スケジュールの中の貴重な空き時間を割いて、自らの出演番組の台本チェックを欠かさない。 殆どが音楽番組やバラエティ番組であったから、それは絶対に不可欠なことでは無いのだが―――事実、多くの若手アイドル達が最も軽んじる作業であったが―――『Tidus』は、決して妥協しなかった。 流れをしっかり把握して番組に臨む―――当然のことのようでいて軽んじられているその作業を、しっかりとこなした『Tidus』は、ブラウン管には非常に聡明そうに映った。 目も覚めるような美少年の、そんな努力家な部分が、彼をトップアイドルへとのしあげたのかもしれない。 ぼんやりとそんなことを考えながら、手持ちぶさただったアーロンは、胸ポケットからタバコを一本取り出そうとして―――はっと手を止めた。 少年と一緒の時は、吸わないようにしている。 容姿と、ダンスと―――歌。 それらを売り物とする少年の「商売道具」である喉に、紫煙は悪影響を及ぼしかねない。 (―――毎日の決まり事を忘れかけるとは、俺も大分疲れているようだ) 事実、時刻は午前2時。本日最後の番組収録が、先程ようやく終わったところだった。 「いいよ、吸っても」 不意に少々笑いを含んだ声が飛んできて、アーロンは驚いて少年に目を向けた。 『Tidus』は視線を台本に落としたまま、 「待たせてんのに、気を遣わせちゃ悪いからさ」 気を遣っているのはどっちだ、と言い返したくなる台詞である。 「……マネージャーに、余計な気を回すものではない」 言いながら、椅子に座り直し、脚を組む。黒の上下に身を包んだ長身の彼は、その仕草が非常に絵になった。 『Tidus』は何かを言いたそうに目を上げてこちらを見たが、おもむろに台本を閉じると、ぱっと立ち上がった。 細い腰のラインが映える、多少露出の多いその衣装がふわっと揺れた。 「今日はおしまい。着替えてくるから、ちょっと待ってて」 その小さな後ろ姿を見送って、アーロンは溜息をつく。 トップアイドルだというのに、まるっきり傲ったところが無いどころか、人一倍、他人に気を遣うその姿は、時に意地らしい。 優しすぎるのは、この世界で生き抜く上での障害にもなりかねないのだ。 聞けば、最近デビューした新人アイドル・リュックなどは、我が儘放題であるという。 『Tidus』にその十分の一程でも、我が儘な要素があったなら、アーロンも少しは安心して見ていられるのだが…。 本当に、『Tidus』という少年は………。 (いや、「ティーダ」か) 『Tidus』というのは当然芸名……いわばコードネームのようなもの。 横文字の名前でデビューするアーティストは、最近では珍しくもない。 『Tidus』の場合、「神秘的かつ謎めいた雰囲気」を、と事務所が命名した。 コンセプトに合わせて本名非公表としているが、実は本名をアルファベット変換しただけ、という、単純極まりないコードネームであった。 それだけ、デビュー当初、あまり期待されていなかったということでもある。 ルックスが良く歌って踊れるアイドルなど五万といる。『Tidus』も、そこそこ売れればいい方だろう、と。 だが良い意味で期待を裏切り、『Tidus』がエイブスプロダクションの看板スターとなり得たのは、まれにみる強運と、その人柄によるところだったのだろう。 (―――そうだ。優しすぎる繊細で脆い部分は、いくらでも俺がフォローしてやれる) アーロンは思う。 ティーダは今のままで良い。 純粋で、優しい。裏方スタッフにも気遣いを忘れない、そんなティーダを、彼は気に入っていたから。 いや……愛して、いたから。 「お待たせ!」 フードの上着に半ズボンというラフな格好で戻って来たティーダは、アーロンと目を合わせて軽く笑った。 仕事上、常に派手な衣装を身に纏ってはいるが、普段の彼は素朴で動きやすい服を好んだ。 「行こ、アーロン」 そのまま控え室を出ていこうとするのを、アーロンは素早く呼び止める。 「忘れ物だ、ティーダ」 「あ」 アーロンが指し示した先に、帽子とサングラスを見つけて、ティーダはてへ、と舌を出した。 顔を隠さずに外へ出ることは、トップアイドルであるティーダには自殺行為だ。 例えそれが、駐車場までの僅かな道のりであったとしても。 「…これでよし、と」 耳まですっぽり隠れる帽子を目深にかぶり、薄い色味のサングラスをかけたティーダは、ちょっと見には本人とは判断がつきかねた。 「行こう」 軽やかな足取りで部屋を出ていくティーダの後に続きながら、アーロンは心の隅でチラと思う。 こんな変装まがいのことをさせずに、外を歩かせてやりたい。 誰の目も気にすることのない平凡な生活を、送らせてやりたい。 それはトップアイドルのマネージャーの思考としては言語道断であったが、 トップアイドルを愛する一人の男としては、切なる願いだった。 「何してんの、アーロン?」 いつになく足取りの重たいマネージャーを訝って、少年が無邪気なようすで振り返るのを、多少の胸の痛みと共に視線の隅に捉え、アーロンはそこで思考をシャットアウトした。 車は、テレビ局の地下駐車場に停めてあった。 黒塗りの、ごくありふれた国産車。アーロンの愛車だ。 朝晩のティーダの送り迎え、分刻みのスケジュールの中での移動……。それらの大抵はこの車で済ませていた。 ティーダを助手席に乗せ、車は夜の道へと走り出す。 「アーロン」 二人きりの時、最初に口を開くのは大抵ティーダだった。 特にラジオも音楽も鳴らさない静かな車内に、まだ少年っぽいあどけない声が響く。 アーロンは前を見たまま黙って先を促す。 「今日、聞いちゃった」 「……何をだ?」 「オレの悪口」 「………」 「いい子ぶってて、気にくわない子だって。そんな風に、見えるのかなぁ」 アーロンはチラと隣に目をやった。 車内でも帽子を深くかぶってサングラスをかけたままのティーダの表情は伺い知ることはできない。 「頑張って…るんだけどな……」 心なしか涙声になっている。 二人きりの時、ティーダはごくたまに、こうして弱音を吐いた。小さな身体で、必死に涙をこらえるその姿は、アーロンの胸を痛くした。 「言いたい奴には、言わせておけ」 抱き寄せたい衝動を抑え、アーロンはステアリングを握ったまま、囁くように言う。 普段の彼には滅多にない、優しい声色だった。 「お前が頑張ってるのは、俺が知ってる。頑張ってるから、トップでいられる。 努力もしないで陰口を叩くような人間の言葉などに、耳を傾ける必要はない」 「……うん……」 視界の隅に、頬を伝う涙。 赤信号で車を停めたアーロンは、手を伸ばし、少しだけ、少年の髪に触れた。 「着いたぞティーダ、起きろ」 心地よいアーロンの声がすぐ傍で聞こえ、ティーダは目を覚ました。 いつの間にか、眠ってしまったらしい。 車内の時計を見ると、午前3時半。 都内の主なテレビ局から、大体車で1時間以内に到着できる場所に、ティーダの自宅マンションはあった。 管理の行き届いたその高級マンションに、半ば押し込められるようにして暮らしている。 両親はいない。母は早くに亡くなり、放浪癖のある父は、行方知れずになっていた。 愛されない子供だった。その自覚は、ティーダにはしっかりとあって、人の愛に対し、何処か諦めたようなところがあった。 けれども人一倍、誰かに愛されたがってもいた。 しばらく焦点の合わない目でぼうっと車の天井を眺めていたティーダは、やがて自分を見下ろすアーロンの顔を視界に認めた。 「今日もまた、眠っちゃった…」 「仕方あるまい。疲れているんだ」 それでも、ティーダは残念で仕方なかった。送り迎えの車の中。アーロンと二人だけで話ができる数少ない時間だというのに、睡眠時間として浪費してしまう自分が、毎日とても……悔しかった。 「明日は朝6時半に迎えに来る。ろくに眠れんかもしれんが…。ベッドにはちゃんと入っておけ」 「うん」 素直に肯き、シートから身を起こしたティーダは、でもどうしても、そのまま車の外に出たくなくて、アーロンの顔を見た。 「アーロン」 「何だ」 「……キスして」 アーロンの瞳が、一瞬揺れる。 「……駄目だ。何処でフラッシュが光るか分からんだろう」 ティーダの小さな胸は、ぎゅっと痛んだ。 「撮られたっていいよ。キスしてよ」 ―――我が儘だ。それは自分で痛いほど分かっていた。 撮られていいはずが無い。 事務所から恋愛禁止令を出されているにも関わらず、マネージャーと「そういう仲」だなどと知れたら、それこそ、『Tidus』の存続の危機だ。 それだけではない。きっとアーロンも仕事を続けることができなくなる。 自分の一方的な我が儘で、好きな人にまで、迷惑をかけることなどできない…。 「………ごめん……」 すがりたくても、できない。 ティーダの瞳の端から、涙の粒が滑り落ちた。 痛くて痛くて、堪らない。 ―――と、不意にアーロンの手が頬に触れ、直後、ティーダの唇は塞がれていた。 「……んっ……」 ―――熱い吐息。 「アー…ロ…ン…っ」 強く押し当てられる唇。 アーロンの太く大きな腕が、ティーダの細い身体をきつくきつく、抱き寄せる。 「んん……ッ」 そのままシートに倒れ込みながら、むさぼるように、キスは続く。 「アーロン……あーろんっ」 ティーダはアーロンの首に手を回し、自らも激しく彼の唇を求めた。 ―――もうどうなってもいい。 甘いキスで疼いた下半身を抑えることは、もう理性では不可能だった。 半分自ら脱いだ服の下から現れた滑らかな肌に、アーロンの唇が落ちる。 首筋に、胸の突起に……下腹部へと。 「あッ…」 狭い車内で、ひどく窮屈な格好ではあったが、互いを求め、二人は重なりあう。 「ティーダ……」 自分を呼ぶその低い声に、ティーダは体中で応える。 「ッは…んっ……アー……ロ……」 突き上げる、甘い痺れ。 脚を開いてのけ反り、アーロンを全身に感じる。 「あッ…ああっ」 ただただ、夢中で。 だから、二人は気付かなかった。 車外で何度か光った、カメラのフラッシュがあったことに。 |
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