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12.コンサート

瞬く間にその日は来た。
朝早くにザナルカンドランド入りしたティーダは、今日のために特設された野外ステージを眺めながらスタッフと打ち合わせをし、実際にステージに上がってリハーサルを行った。
現場にはジェクトも来ていて、多忙な身であろうにこの男、今日一日ティーダを見守るつもりでいるようだった。

リハーサルも無事に終わり、時刻は正午少し前。
午後3時のコンサート開始まで大分時間的余裕があったので、ティーダはトコトコと父親の元へ歩み寄り、声を掛けた。
「ちょっと、その辺散歩してきてもいいかな?」
……勿論、帽子にサングラスは忘れていない。
ジェクトは隣にいたプロデューサーに目配せする。
「あ、いいですよ。でも、1時半には戻って来て下さいね?」
ティーダはこくん、と肯き、ザナルカンドランド園内へと歩いて行った。
その後ろ姿をじっと眺めていたジェクトは、やがてポツリと呟く。
「……少し、緊張してんのかもな」
それを聞き及んだプロデューサーが頬を緩める。
「『Tidus』くんでも、やはり緊張するものですか」
ジェクトは軽く肩を竦めただけで、それ以上は何も言わなかった。

「オレ、ついて行きましょうか?」
園内へ歩いていこうとするティーダを、マネージャーのガッタが呼び止めた。
ティーダは振り向き、ゆっくりと首を横に振る。
「ちょっと、一人になりたいんだ」
ガッタがひどく心配そうな顔をしたので、ティーダは申し訳なくなって付け足す。
「行方不明になったりとかしないから、心配しないで」
そう言って微笑み、再び歩き出した。

見覚えのある風景の中を、ティーダは歩き続ける。
あの日は夜だったけれど、今日は正午に近い昼下がり。家族連れや修学旅行生などが目立つ、至って平和な園内の様子を、少年は何を見るともなく眺めていた。

…あの夜、アーロンと、手を繋いで歩いた。
『Tidus』である自分に、そんなことが出来るなんて思ってなかった。
楽しかったな……本当に。

今日は誰も握る者がいないその手を、ティーダはそっと口元に当て、はあっ、と息を吹きかける。
少し、寒かった。

一度きりじゃ、なくてさ。
ホントは、もっともっと、アーロンとああして歩きたかった。
もっともっと、楽しい話をして、笑い合って……
普通の恋人同士みたいに、毎日、逢いたかったな……。

涙が出るかと思ったのに、何故か平気だった。感覚が、少し麻痺しているのかもしれない。

「今日は」
突然背後から声を掛けられ、ティーダは飛び上がらんばかりに驚いた。
慌てて振り返ると、警備員の制服に身を包んで穏やかな微笑を湛えた、優しげな風貌の男が立っている。
「驚かせてしまったかな、申し訳ない」
男はすまなそうに言い、優雅な動作で会釈をした。
「あ…、確か……」
「ブラスカです。覚えていてくれましたか」
もちろん、と言おうとして、ティーダは慌てて自分のサングラスと帽子を確認する。…変装は完璧だったはずなのだが……。
「ああ、大丈夫。誰も君だと気付かないよ」
ブラスカはそう言って微笑う。
「私はね、一度逢った人なら、どんな格好をしていても分かってしまうものだから……」
ティーダはひとまずホッとする。それにしても、初対面の時も感じたが、このブラスカという人は、どことなく不思議な人だ。
「あ、ええと…この間は、色々良くして貰って…有り難うございました」
「どういたしまして」
ブラスカは穏やかにそう応え、ふと、真顔になった。
「色々、辛かったね?」
「………」
何と答えていいのか分からず、ティーダは目を伏せる。それを察したのか、ブラスカは話題を変えた。
「今日のコンサートには、娘が見に来ることになっていて」
「あ、そうなんスか?」
「君の大ファンなんですよ。私設ファンクラブの会長もしている」
「あ、それ、アーロンから聞きまし―――」
思わず自然に口に出してしまったその愛しい名前に、ティーダはビクッとして口をつぐんだ。
『俺の話をしているのか』、と。今にもその辺の木立からアーロンの姿が現れるんじゃないかと、そんな気がして。
―――急に泣きたくなった。
ブラスカはそんなティーダに、いたわるような優しい視線を投げかけ、やがて多少おどけた様子で、胸ポケットから手帳を取り出した。
「ここにサインして貰えるかな?娘が喜びます」
ティーダはハッと顔を上げる。
「あ、いいですよ」
慌てて肯き、ペンを取った。沈んだ気持ちを呼び起こすきっかけを与えてくれたブラスカに、心の中で感謝しながら。
「娘さん、お名前は?」
「ユウナといいます」
その名を頭の中で反芻して――――ティーダはある記憶に思い当たった。
ああ、そうだったのかと、ブラスカの面影を宿した一人の少女の顔を思い浮かべ、頬を緩めた。
“親愛なるユウナへ”と、そう書き添えてサインし、ブラスカに手帳を返す。
「有り難う。コンサート、頑張って下さい」
手帳を受け取ると、ブラスカはまた優雅に会釈をして、職務に戻って行った。

昼食時だったので、ティーダはレストランへと足を運んだ。
迷った末、アーロンと食事をしたあの店に入った。
レジで売られている『キマリ』ストラップも、あの日のままだ。
席についてメニューを選びながら、ティーダの心は過去の記憶を辿る。
……あの時は本当にお腹が減っていて……アーロンが注文してくれたボリューム満点の料理を、夢中で頬ばって――――
そんな自分を、アーロンは黙って見ていた。……優しい瞳で。
時折、「あまりがっつくと喉に詰まらすぞ」なんて、軽い皮肉を言ってきた。
―――だって、メチャメチャ腹減ってたんだもん。それに…、
早く食事を済ませて、アーロンと園内を歩きたかったんだよ。
不意に目頭が熱くなって、ティーダは慌てて頭を振った。
ダメダメ、こんなことで泣きそうになってたら到底、今日の告白は成功しない。
『Tidus』一世一代の大芝居を打つんだ、しっかりしなきゃ……

今日は軽めの食事を注文して、ティーダはぼんやりと窓の外に目をやった。

どうしてこんなに好きになったのか、今ではもう分からない。
初めて会った日――――マネージャーだとアーロンを紹介されたその日は、正直、怖そうな人だと思った。毎日この人と一緒に行動するのは憂鬱かもしれない、とさえ思った。
でもすぐに、アーロンという人の人間性に触れ、ティーダは考えを改めた。
いつも、どんな時も『Tidus』を守り、思いやってくれる。いや、アーロンは『Tidus』ではなくて、ちゃんと「ティーダ」のことを見てくれていた。
周りの大人達が、『Tidus』としての自分を強要したのに対し、アーロンだけは、一人の少年としてのティーダに接し、会話してくれたのだ。
そのことが本当に嬉しくて―――
いつしか、その想いは恋へと変わった。
許されるはずもないのに、どんどん、好きになった。
ティーダは隠し事が下手だから、当然、アーロンはそのことに気付いて。
控え室で、抱き締めて、キスされた。それが、ファースト・キス。
ごめん、と。ティーダは泣きながら謝った。オレ『Tidus』なのに、好きになってごめんね、と。
それを遮って、アーロンは何度も何度も、唇を重ねてくれた。ティーダは夢中で、彼に縋った。
誰にも言えない小さな恋はこうして実って……。それからは毎日、アーロンの顔を見られるだけで幸せで。
だから―――きっとそれ以上を求めてはいけなかったのだ。

欲張ってだだをこねた事の、これは罰なんだね。
全部オレが悪いのに、アーロンにまで沢山の迷惑をかけてしまった。
もう終わりにしよう。苦しむのは、オレひとりで充分だ………


レストランを出てからも、しばらく園内をあてもなく歩き回って――――
人生で一番楽しかった一時の想い出に勇気づけられ、ティーダはコンサート会場へと戻った。




会場には、沢山の『Tidus』ファンが詰め掛けていた。
『Tidus』はあまりこういったライブ感覚のイベントに出演することは無かったから、今回のこのコンサートは、ファンへの大きなプレゼントとなったようだ。
「今日は、来てくれて有り難う」
舞台に上がった『Tidus』に、黄色い声援が飛ぶ。
ティーダはそれに笑顔で応え、数曲の持ち歌と、華麗なダンスをファンの前で披露した。
軽やかなロックのビートに乗って、会場は大いに盛り上がる。
身体のラインがはっきりと分かる衣装に身を包んだティーダの、ほっそりしたシルエットが、舞台上所狭しと跳ね回った。
ジェクトは舞台の袖で、黙ってティーダの姿を見つめていた。
「今日の『Tidus』くん、いいですね」
そばでプロデューサーが耳打ちする。ジェクトは軽く肯いて見せたが、彼には息子が空元気で頑張っていることくらい、ちゃんと分かっていた。痛々しくて仕方がない。
(早く全部吐き出して、楽になっちまえ)
ただただ、そう願う。

「今日は、みんなに話しておきたいことがあるんだ」
一通り曲をこなした後、ティーダは呼吸を弾ませながら、会場に集まったファンを見渡してそう言った。
人々は黙ってティーダに注目する。
ティーダは一つ深呼吸して続けた。
「この前報道された事件のこと、なんだけど……」
その言葉に、会場にいたマスコミ関係者は色めき立った。
こういった場合のマスコミの対応は素早い。今日はコンサート風景の撮影が彼らの専らの仕事だった筈だが、『Tidus』の第一声から間髪おかず、カメラが一斉にステージの少年の姿を捉えた。
「あれ、誘拐事件なんかじゃありませんでした。本当はオレが、アーロンに逢いに行きました。どうしても会いたくて、仕事放っぽり出して、会いに行きました。」
まくし立てるように早口で一気に言ってのけると、会場一杯に、大きなどよめきが走った。
「だから、アーロンは誘拐犯なんかじゃ無い。オレを守るために、嘘、ついてただけです。…その前の新聞報道だって」
そこで言葉を切って、ティーダは深く息を吸い込む。
「撮られたの、オレです。キスしてたの、オレです。普通だよね?好きな人と、キスしてました」
ざわざわと、会場が揺れる。フラッシュが何度か瞬いたのは、マスコミか?
「でも事務所が……前いたエイブスプロが、事実を歪めたんだ。オレにはどうにも出来なかった。
でも、今、真実を話します。アーロンは、何も悪くない……」
いつの間にか、記者達がステージの周りに集まって来ている。
「『Tidus』くん、それ――――」
質問が飛んだが、ティーダは無視して続ける。
「訂正してあげて下さい、明日の記事で。アーロンは、犯罪者なんかじゃなかったって。
それと、シーモアもね」
付け足した言葉は、ティーダなりの優しさだった。
「でも―――」
記者達に口を挟ませないよう、ティーダは早口で先を急ぐ。
ここからが肝心。頑張らなきゃいけない。
「こういうこと、今告白出来るのは、オレがもうアーロンのこと、何とも思ってないから」
ティーダの口から出た思いがけない言葉に、舞台袖のジェクトは目を見開いた。
(おい…。何、言うつもりなんだ?)
ジェクトの動揺をよそに、ティーダは続ける。
「時間が経って、熱も冷めたっていうか…。ちょっと、軽はずみだったなって、今では後悔してる。だから、こうしてみんなの前で告白する心境になれたんだ」
(嘘だよ。ホントはまだこんなに、アーロンが好き)
心がずしっと重い。助けて欲しい。でも、もう誰にも、頼れない。
「もうアーロンは、全然無関係な一般人なワケだけど…、オレの一時の気の迷いで、犯罪者のレッテル貼られちゃったわけで、ちょっと、良心咎めて、さ」
少し口調が蓮っ葉な感じになったのは、声が震えるのを必死で抑えていたから。
大好きなアーロンを、もうこれ以上苦しめたくなかった。みんなの前でこう言えば、アーロンは、『Tidus』から解放されると思った。
もうオレのことなんて、気に掛ける必要、無いんだよ。
だって、『Tidus』は、もうアーロンのことなんて、何とも思って無いんだから。
アーロンは、別な、新しい人生、歩んでいいんだよ……
オレがいない、穏やかな人生をさ。
鼻の奥がツンとなった。
…駄目、ここで泣いたら駄目だ。後で、家に帰って思い切り泣けばいい。
ここで完璧に嘘をつければオレ、アーロンを救えるんだ……そうだよな?
だから、ね。
「だから今日、ホントのコト、話しました。これからはこういう事のないよう、気を付けます。
告白はこれだけっス。嘘ばっかりで、ホント、すいませんでした!」
(言えた。えらかったな、『Tidus』。頑張ったな)
ティーダは深々と、皆に向かって頭を下げた。
会場はシン、と静まり返っている。
(馬鹿野郎が……)
ジェクトは唇を噛んだ。
ずっと、こんなバカな嘘をつくことを一人で胸の内にしまっていたティーダを思うと不憫で、何も言葉が出てこない。
第一、こんな事を言われちまったら、奴は――――どうする?
ティーダはやがてゆっくりと顔を上げ、
「スピラプロダクションで、オレ、生まれ変わるから、頑張るから、どうか、これからもよろしく」
そう言ってもう一度、ぺこり、と頭を下げた。
ややあって、人々が徐々にざわめき出す。ファン達にとって、多かれ少なかれ、ショッキングな告白だったことには違いなく、会場は多少混乱の様相を呈していた。
……と。
「そこには、もう俺はいないのか、ティーダ?」
突然、会場に低い男の声が響き、人々のざわめきがピタリと止んだ。
ティーダは息を呑む。…そのまま、もう二度と呼吸出来なくなるのではないかと思うほどに、少年はその声に驚愕した。
激しく動揺しながらも、夢中で声のした方に定まらない視線を投げ、その姿を探す。
人々の列を掻き分けるようにして、男が一人、真っ直ぐステージに向かって歩いて来る。
「これからのティーダの傍に、俺はもう、存在できないのか?」
黒いコートを羽織った長身のその男の首に、緩く下げられた黒いネクタイを見つけた時、ティーダは堪えていた熱いものが、身体中にどっと溢れ出すのを感じた。泣き出しそうになった。
無意識に、何度か首を横に振る。
(何で?どうして、ここにいるの?ここに、来たの?
こんな所にいたら、駄目だよ。
今までと同じになっちゃうよ。
また、マスコミに、酷いこと言われちゃうよ。
逃げてよアーロン。ここから、早く逃げてよ……!)
しかしアーロンはティーダを真っ直ぐ見つめたまま、大股でステージに歩み寄って来る。
ステージ付近にいたマスコミ関係者が、近寄ってくるアーロンにカメラを向ける。
ティーダの瞳には、それらがスローモーションのように映った。
これから展開されるであろう、マスコミに取り囲まれて質問責めに遭うアーロンの姿を想って……
「駄目っ!!」
ティーダは夢中でステージを駆け下りた。


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