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8.別離

まず頭に浮かんだのは、マスコミからティーダを守ること。
記者達の容赦ない質問責めからティーダを守るために、自分が出来ることは何か。
そしてもう一つ。
「新しいマネージャー」からティーダを救ってやること。
ティーダを苦しめる元凶であり、少年の身体を滅茶苦茶にした憎むべき相手を、このままマネージャーとして留まらせておくなど、絶対に許せない。
この二つ。
―――この二つだけは何としても、俺がやらねばならないこと。
そう考えると、後は至って簡単に、己の取るべき行動は見えてきた。
ただ――――――
「一緒に暮らそう」、と。そう言っておきながら。
その言葉がどうあっても叶えられそうに無いこと、ただそれだけが、堪らなく辛かった。
……だがそれも、仕方のないこと。
今の自分に、選択肢などないのだ。

「下に、着いたら…」
「…え?」
間もなく地上かというその時、アーロンが呟くように言った。
抱き締める腕は、そのままで。
「黙って、俺の言う通りに合わせろ」
「??」
ティーダは何のことか分からず、アーロンの胸から顔を上げた。
「そうしなければ、お前を嫌いになる」
「え、なにそれ?」
嫌う、という単語がアーロンの口から出てきて、ティーダは狼狽えた。
…何?アーロンに嫌われるのは困る。困るよ……。
「…泣くな…」
ひどく泣きそうな顔をしてしまったのだろう。アーロンの両手が頬を包み込み、優しいキスが降ってきた。
「アーロンの…言う通り、って?」
それでも尚不安そうにティーダがアーロンを見上げたその時、ガクン、と揺れが来て、係員によって扉が開かれた。
「お疲れさまでした」
アーロンは黙ったまま、ティーダの手を引いて観覧車から降り立つ。
その後ろ姿が今にも自分の前から消えてしまいそうな気がして、ティーダはぎゅっとアーロンの手を握り返した。
…まだ閉園まで少し時間がある。あと二つくらい、一緒にアトラクション回って…今夜は二人で、何処かホテルにでも泊まって―――――
ティーダは一生懸命、楽しい思考に身を委ねようとする。
事務所の手の届かない何処か遠い街で、一緒に、暮らすんだよな?
アーロンはティーダを振り向かない。
出口の階段。
そしてその向こうに待っていたのは―――――
突如襲ってきた、まばゆいフラッシュの嵐。
記者達のざわめき、リポーターの声、テレビカメラが回る音………
ティーダは眩しさに思わずぎゅっと目を瞑った。
(な…に……?)
少年を背中にかばうようにして、アーロンは階段を降りていく。
「『Tidus』くん!やはり元マネージャーと恋人関係だったんですね!?」
「失踪したのは、駆け落ちですか?」
「仕事を放り出して…恋愛を優先させたってわけですね?」
矢継ぎ早に投げかけられる質問。
(何、これ?何で?…嫌…)
ティーダは訳が分からず、ただただ、アーロンの背中にしがみつく。
「『Tidus』くん!!黙ってないで答えてよ!!」
記者の一人が声を荒げ、ティーダはびくっと肩を震わせた。
どうしよう?どうすればいい?……怖い。
何とかしなきゃいけない。ティーダは必死で考える。
アーロンに頼っちゃ駄目だ。アーロンに迷惑かけない方法は。
方法は―――――
と、記者達の目前まで来たところで、アーロンが急に立ち止まり、大声を出した。
「『Tidus』に質問するのはお門違いだ」
それまで騒々しかった観覧車前広場は、一瞬にして水を打ったような静けさに包まれる。
ティーダは驚いて顔を上げ、アーロンを見た。
「俺が『Tidus』を無理矢理連れ出したのだからな」
(―――え?)
どよめきが一同に走る。
アーロンは平然と佇み、自分とティーダとを取り囲む人々の群を見渡した。
元々姿勢の良い彼がそうする様は、まるで人々を威圧しているかのように見えた。
やがて、記者のひとりが恐る恐る口を開いた。
「それは、貴方―――アーロンさん?未成年者誘拐ってことに、なりますよ?」
「―――ああ、そうなるな」
更にどよめきは大きくなる。テレビカメラが一斉に、アーロンに向けられた。
記者達は『Tidus』失踪が思わぬ大事件であったことを悟り、「誘拐犯」を前にして、少し後退した。
ティーダは声が出ない。
(何?誘拐って?だって、オレが―――オレが、アーロンに……)
「も、目的は何です?身代金とか…」
勇気を振り絞って、といった様子で、記者の一人が上擦った声で尋ねた。
アーロンは鼻で笑って、
「ただ一緒にいたかっただけだ。…マネージャーに金を積んだら、喜んで手引きしてくれてな」
どよめきと共に、一同が一斉に一点を振り返った。
皆の視線の先には、背の高い、20代後半くらいの整った顔立ちの男。
(成る程。あいつがマネージャーか)
アーロンはサングラスの奥の隻眼を眇めるようにしてその男を見た。それはさしずめ、獲物を狩る鷹の眼で。
「…ちょっと待って下さい」
思わぬ所から話を振られたシーモアは、やや慌てた様子で口を開いた。
「その人が言っていることは事実無根です。第一私は、彼とは今が初対面だ」
「一人だけ責任を逃れようなど、考えが汚いな」
アーロンは薄く笑って言い放つ。
「俺から金を受け取っておきながら、それは無いだろう」
「何を言うのです。そんな事実は無い!」
記者達は両者の問答を固唾を呑んで見守っている。
全く予想だにしなかった展開に、どうしたらよいのか考えあぐねている様子でもあった。
ティーダも呆然としていた。
やがてレポーターが気を取り直したようにテレビカメラに向かう。
「つまりこれは…現マネージャーが元マネージャーに、金で『Tidus』を引き渡した、と、そういう事になるようです。
以上、また落ち着き次第、現場からお伝え致します」
「違うと言っているでしょう!」
現マネージャー・シーモアが、レポーターに向かって訂正を求めたが、既に中継は途切れている。
やがてシーモアの携帯が鳴り出し、彼は急いで電話に出た。
「はい…ああ、リンさん…。いいえ、違います。私は何も……」
中継を見ていた会社側からの連絡なのだろう。シーモアは必死の弁解を試みている。
……と、記者のひとりが、呆然と佇むティーダに声を掛けた。
「今の話に、間違い無いかい?『Tidus』くん?」
ティーダは長い夢から醒めたような顔でその記者を見た。
間違い無いどころではない。間違いだらけだ。
アーロンは誘拐犯なんかじゃない―――――!
「…ちが……」
口を開きかけたティーダの腕を、アーロンがぐっと掴んだ。
「あ、こら、あんた、何してるんだ、離しなさい!」
記者がその動作に気付き、ここに来てようやく、ティーダを救おうとアーロンに飛びかかった。傍にいた何人かも、それに倣う。
アーロンは特に抵抗するでもなく、大人しく押さえ付けられた。
その瞳が、じっとティーダを見つめる。
――――俺の言うとおりに合わせろ。
先刻のアーロンの言葉が甦った。
―――そうしなければ、お前を嫌いになる――――
涙が溢れた。
ずるい。アーロン、ずるい――――
傍にいた記者が、泣き出したティーダの肩を優しく抱いた。
「可哀想に。怖かったんだね」
よしよし、と頭を撫でられながら、ティーダはその記者が思うのとは全く違う理由で、泣きじゃくった。


程なくパトカーが到着し、アーロン、シーモア、ティーダの三人は別々に警察に連れて行かれた。
アーロンは記者達の前で言ったことを供述として繰り返し、シーモアは徹底して否認した。
ティーダは、アーロンが言っていたことを、ただただ、肯定した。
結局、三人の供述がどうにも曖昧だということになり―――シーモアだけは知らぬ存ぜぬの一点張りだったが―――事件はうやむやのまま、三人とも釈放された。
エイブスプロダクションは特に、真相の追求を求めなかった。
いや、むしろ捜索の必要はないと警察に申し入れた。
事件は事務所内部のゴタゴタで、これ以上世間に恥を晒すようなことにはしたくない、と。
内部での解決を世間に知らしめるために、エイブスプロは、シーモアを解雇した。
最後まで、彼は事件との関連を否定し続けたが、一個人の名誉より、世評の方が、事務所にとっては何十倍も大切だ。

翌日、新聞・テレビは一斉に、「『Tidus』誘拐事件」を報道した。
2人の憎むべき男達に弄ばれた、可哀想な少年・『Tidus』。
元々の繊細そうなイメージも手伝って、『Tidus』はあっという間に薄幸の美少年に仕立て上げられた。
後はアーロンとシーモアへの、バッシング、バッシング、バッシング――――――

『Tidus』の新しいマネージャーにはルールーが就任した。
彼女が担当していた15歳の新人・リュックが突然の引退宣言を出しており、丁度手が空いていたのだ。
リュックはといえば、汚い芸能界に嫌気がさし、家業の紳士服店を継ぐつもりだという。
特に彼女に期待していなかった事務所は、別段引き留めることもせず、送り出したというわけだ。

アーロンは―――当然、ザナルカンドランドに留まることなど出来なかった。自ら辞するようにその職場を去った。
「どうか、元気で」
最後にブラスカが掛けてくれた言葉は、そんな内容だったように思う。
自らのマンションも引き払い、行く先を誰にも告げず、彼はその姿を消した。

――――こうして、一連の騒動は収束した。




「まだ着替えて無かったの?……頑張るわね」
控え室に顔を出して、ルールーは少年に声を掛けた。
時刻は深夜1時。相変わらずの過密スケジュールもようやく全て終了し、あとは少年をマンションに送り届けるのみとなっていた。
「あと10分したら終わりにする。先に車に行ってて」
ティーダは持っていた台本に目を落としたまま、無表情な声で言った。
「…そういうわけにもいかないわ。私は貴方のガードでもあるんだから」
ルールーはそう言い、近くの椅子に腰を下ろす。
ティーダは顔を上げ、彼女の動作を目で追っていたが、やがてすぐ、台本に目を戻した。
―――あの一件以来、ティーダは笑わなくなった。
いや、喜怒哀楽全ての感情が、抜け落ちたようになっていた。
もちろん、テレビカメラの前では笑って見せるし、表情豊かに振る舞ってはいたが、カメラが止まると途端に無表情になり、スタッフとも、必要最低限の事以外喋ろうとはしない。
世間では『Tidus』は以前より冷たい感じになった、などと評されるようになっていた。
しかしそれは美少年の新たな魅力として定着し始め、『誘拐事件』の過去を引きずる傷心の『Tidus』は、更なる人気を得ようとしていた。
『被害者』である『Tidus』の元へは、連日のようにファンから慰めや同情の手紙が届いた。
あの『誘拐事件』は、『Tidus』にとっては、プラスになったとさえ言えた。
「…ドラマの話が来てるの。恋愛ものなんだけど……どうする?」
唐突に、ルールーが口を開いた。
ティーダは台本から顔を上げない。
「……気乗り、しない」
「……でしょうね」
ルールーは手帳を開いて何事かを書き込み、またすぐにバッグにしまった。
「そろそろ10分経つわよ」
「…分かってる」
ティーダは本を閉じ、立ち上がった。
「廊下で待ってるわね」
ルールーがそう言うのを背中で聞いて、ティーダはロッカーへと向かった。
マネージャーのルールーとは、極めて事務的な付き合いだった。
彼女は優秀で、仕事は滞り無く、ティーダとの距離も程良く置いて接してくる。
有り難かった。今のティーダにはこれ以上無い程のマネージャーだ。
台本をしまおうとバッグを開いて、ふと固いものが手に当たり、ティーダはそれを掴んで取り出した。
―――携帯電話。
真新しいストラップが手元で揺れる。……『キマリ』のストラップ。
あの日からずっと、アーロンの代わりにそばにいてくれる、ティーダの宝物。
ぽろっと、涙が落ちた。
(アーロン…)
マスコミから守ってくれた。シーモアから救ってくれた。
ティーダのために、アーロンは精一杯のことをしてくれた。
けれど。
隣から、消えてしまった。
一緒に暮らすことは叶わなかった。
……今度はベッドでしようって、約束したのに…。
ティーダはロッカーの前でうずくまり、しばらくの間、泣いた。
泣きながら頬を寄せた『キマリ』のストラップが、涙で濡れる。

―――――アーロン、オレ、約束、守ったから。
だからオレのこと、嫌いになってないよな?

――――それだけが、ティーダの救いだった。




「『Tidus』、どうしてる?」
写真集発売に関する細かな打ち合わせの後、ワッカがルールーに尋ねた。
今日はティーダは同席していない。マネージメント面での打ち合わせだった。
「どうって、普通よ。よく働いて、いい仕事してるわ」
ワッカはルールーと同じ高校の出身で、彼女の一つ先輩にあたった。
高校時代より、二人は良い友人として親しく付き合っており、それもあってか、今日の仕事は終始和やかに執り行われた。
「相変わらず、冷めてんなぁ…」
ワッカは溜息をつく。
「寂しそうだとか、苦しそうだとか…そういうことだよ、オレがきいてんのは」
「それはあるかもしれない。でもあの子、隠すの上手だから」
ワッカは目を上げてルールーを見た。
「案外分かってんだ、あいつのこと」
「部外者のあんたにそんなこと言われたくないわね」
ルールーはワッカを軽く睨んで、
「日は浅いけど私、あの子のマネージャーよ」
彼女が優秀なマネージャーであることは、もちろんワッカも知っている。
「けど、優秀であることと、力になってやれることとは、また別なんだよなぁ…」
溜息混じりにワッカが言うのを、ルールーは手で制し、
「私は、あの子が今望む最も理想的な形で接してるつもりよ。
私が力になってあげられるのは、それくらいだから」
そう言って、手元のコーヒーカップを口に運んだ。
ワッカは小さく肯き、自分もコーヒーを一口、啜った。



「可哀想」
「何が?」
「『Tidus』が」
「ああ、そうだよねぇ。キッタナイオヤジ共にいいようにされちゃってさ。
あたしなら正気でいらんないね、きっと」
うんうん、と肯くクラスメイトを見ながら、ユウナは溜息をついた。
「違うの」
「何がよ?」
問われて、ユウナはかぶりを振った。
「なんでも、ない」
「ヘンなユウナ」
肩をすくめて、友人は自分の席へ戻っていった。
ユウナは机に頬杖をついて、再び溜息をつく。
(あの人…アーロンさん…一生懸命だった。
一生懸命、『Tidus』を助けようとしてた……)
父と一緒にあの場に居合わせ、一部始終を見ていたユウナは、マスコミを威圧するように見渡していた隻眼の男の姿を思い浮かべていた。
あの時アーロンの発した言葉に、何度、「それは違うよ、嘘だよ」と、叫ぼうと思ったかしれない。
それを思い留まらせたのは、隣できつくユウナの腕を掴んでいた父の手。
『彼の、決意だから』
ブラスカはそう言って、目を伏せた。
(『Tidus』、可哀想……)
…好きな人に逢えなくなるのは、辛いよね。
最近ブラウン管の向こうで、いつも寂しそうな瞳をしている『Tidus』。
(わたしじゃ、何もしてあげられないね、ごめんね……)
涙が出そうになり、ユウナは慌てて、二三度まばたきした。




無表情に、日々は過ぎていった。
ただ事務的に仕事をこなし、家に帰って眠るだけの日々。
「アーロン」という四文字を、口にしなくなってどれくらいが経つだろう?
ひとりの時、暇さえあれば『キマリ』のストラップを見つめて、ティーダはいつも心でアーロンに話しかける。
今、何処にいるの?元気?
時々は、テレビでオレのこと、見ててくれるのかな?
この間出したCD、一位になったよ。…知ってるかな?
―――アーロン、アーロン……
そして決まって、ポロッと涙を零した。
その時だけ、『Tidus』は『ティーダ』だった。
あとは全て、嘘の自分。
その内、ホントに全てが『Tidus』になってしまうかもしれない。
「アーロン」という四文字が、心の中からも消えてしまったら。

……その時、『ティーダ』は死ぬんだ……


自室のベッドで、着替える気力もなく帰宅したままの姿でウトウトしていたティーダは、玄関のチャイムで目を覚ました。
時刻は午前2時。人が訪ねてくるには、あまりに非常識な時間帯だ。
(……誰……?)
ぼんやりと上半身を起こしたティーダは、すぐにハッとした。
―――もしかして――――
「…アーロン?」
アーロンが…来てくれた?
オレのこと、迎えに来てくれた?
誰にも気付かれずに、何処か遠くで暮らすために。
今度こそ、一緒に暮らすために……。
涙が出そうになった。
チャイムは、間断なく鳴り続けている。
ティーダは、パッと起きあがり、玄関へ走った。
(何処だっていい。アーロンと一緒に暮らせるなら、何処だって――――)
事務所からは朝の迎え以外、むやみに玄関のドアを開けないようにと言い渡されていたが、ティーダは迷うことなく玄関のチェーンを外した。
(どこか遠くへ…オレを連れてって…)
――――扉が開かれる。
籠の中の小鳥が羽ばたこうとするように、ティーダは外の闇を見つめた。
暗闇の中、長身の男が立っている。
ティーダは目を凝らして男を見上げ―――――全く思いもしなかった人物の顔を認め、息を呑んだ。
「………!」
「よう。…久しぶりだな」
男はぼさぼさの長い黒髪を片手で掻き上げた。
「背だけは伸びやがってよ。相変わらず細っこいな、ティーダ?」
……この声を聞くのは何年ぶりだ?
「元気そう…でもねぇな。テレビで見た限り、生気がなかったもんなぁ」
「……今更……………んの……だよ」
ティーダは震えそうになる声を必死で抑えながら、やっとの思いで口を開いた。
「あぁ?」
「オレと母さん捨てて出てったクセに、今更、何の用なんだよ、親父!?」
絞り出すような少年の叫びが、深夜のマンションにこだました。


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