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10.遭遇 その男は、翌日もやって来た。 カウンターで事務の仕事をしていたイサールは、入り口のドアが開く気配に目を上げ、昨日の客の姿を認めると、業務用の笑顔を作って出迎えた。 「いらっしゃいませ」 無造作に羽織った黒のロングコートにサングラス。何処か近寄りがたい雰囲気を纏ったその客は、軽く肯いてイサールのいるカウンターの前に腰を下ろした。 「昨日の物件、吟味して頂けましたか?」 「…ああ…」 アーロン、というその名を、イサールは当然知っていた。 先日の『Tidus』誘拐事件の報道は勿論だが、それ以来、社長のジェクトが幾度と無く口にしている名前だ。 つい先日も、社長室のソファに寝そべって、忌々しそうに言っていたものだ。 『オレの息子を夢中にさせといて、自分はどっかへ消えちまいやがって…。 アーロンて野郎、見つけたらタダじゃおかねぇ』 それは、秘書を勤めて数年、今まで一度として見たことのなかった、父親としてのジェクトの姿で。 イサールは何とはなしに、微笑ましく思ったものだった。 勿論、ジェクトがずっと息子の『Tidus』の事を気に掛けていたことは承知していたが、彼の心を一層『Tidus』へと向かわせたのは、例の報道を見てからだ。 アーロン。 報道のままならば、息子を誘拐した憎むべき相手。 けれどもジェクトは、『Tidus』はアーロンに惚れているのだと言った。 アーロンも、『Tidus』を愛しているのだと。 『だから腹が立つんだよ』 そう言い捨てて、社長は「父親の顔」を歪めた。 頭の片隅で回想に耽りながら、イサールはチラリと目の前の男の顔を見た。 ある程度年齢を重ねた者だけが持つ厳かな雰囲気を漂わせた、端正な面立ち。 視線に気付いたのか、男は健常な方の目を上げ、イサールを見た。 「……何か?」 「あ、いいえ……」 イサールは慌てて手元の資料に目を落とす。 ……怪しまれてはいけない。 昨日電話で社長から、『アーロン』が再び現れたら、何としても客として引き込んでおくようにと、再三言われていたのだ。 「物件の事なんだが」 イサールの態度を別段怪訝がる風も無く、隻眼の男は低い声で続ける。 「もう幾つか無いだろうか?」 「あ、はい、ええと……」 イサールは資料をめくる。 「確か、2人暮らしをされるのに丁度いい、庭付きの一軒家をお探しでしたよね」 「ああ……」 男が肯いたその時。 「っざけんなよ、てめぇ!!」 突然、第三者によるけたたましい罵声が店内に轟き、2人は揃って、何事かと入り口を振り返った。 入り口のドアを足で蹴るようにしてその場に立っていたのは、他でもない―――― 「しゃ…社長!?」 目を丸くして叫んだイサールには目もくれず、ジェクトはずかずかと大股でカウンターまで近付くと、椅子に腰かけていた男の襟首をひっ掴んだ。 「ああっ、だめですよ、社長!!お客様なんですから――――」 イサールは立ち上がって大声を出したが、今のジェクトの顔色からして、到底その言葉が耳に届いているとは思えなかった。 突然の襲撃に遭った隻眼の男は、多少当惑した表情を浮かべはしたものの、別段慌てる様子も見せず、挑むようにジェクトの目を見返した。 「…これは一体、何の真似だ?」 イサールは頭を抱える。 男のその態度は、間違いなく社長の神経を逆撫でしたに違いない……。 思った通り、ジェクトは更に目の前の男の襟首を締め上げ、噛み付かんばかりの勢いで自らの顔を近づける。 「お前なぁ!オレの息子をあんなになるまでほったらかしにしやがって、自分は新しい女と2人暮らしってか?あぁ!? のんびり物件探しなんぞしやがって……。ふざけるにも程がある!!」 ぐいぐいと揺さぶられながら、サングラスの男は迷惑そうに瞳を眇めた。 社長と呼ばれているこの男、自分の店に立ち寄った客に向かってこの態度、一体何事か。 「何の事か分からん。お前の息子など俺は―――」 知らん、と。そう言いかけて………。 彼の頭によぎったのは、街頭で見たワイドショー。 『Tidus』移籍。スピラプロダクション。社長は父親。インタビューVTR……。 ボサボサの、長い黒髪。 目を見開く。 「お前は……ティーダの、父親、か?」 「だから最初っからそう言ってんだろうが!!」 「そう、か……」 男は、ふ…と笑みを浮かべた。 「何が可笑しい!?いい加減頭に来た、一発殴らせろ!!」 「うわっ、ダメですってば、社長!!」 ジェクトが腕を振り上げたのと、イサールが叫んだのはほぼ同時。 それに被さるようにして、隻眼の男の、場違いなほど穏やかな声。 「ティーダは、愛されているようだな」 そう言って目を伏せた男の鼻先で、殴りかかろうとしていたジェクトの手がピタリと止まる。 「……お前」 「……どうした?殴らないのか?」 多少笑いを含んだ左目が、サングラス越しにジェクトを見上げる。 ジェクトは顔を顰めて、男の襟首を掴んでいた手を離した。 「殴られたいのか?」 「……いや」 「だったら、弁解のひとつでもしてみろってんだ」 ジェクトの手から解放され、衣服を整えながら、男―――アーロンは、ゆっくりと立ち上がった。 そうしてもまだ、ジェクトの方が頭一つ分ほど上背があった。 「威勢が良いだけでは無かったか。なかなか聡いようだ」 「お前、誰に向かって物を言ってんだ?…やっぱり殴らせろ」 「駄目ですよ、社長!!」 イサールはハラハラとカウンター越しに手を伸ばす。このアーロンという男、何処まで社長の神経を逆撫でれば気が済むのだろう! 「確かに俺は、家を探していた」 ジェクトの暗赤色の瞳を見据えながら、やっと穏やかにアーロンが口を開いた。 「だがそれはティーダと暮らすためだ。お前が言うような、他の誰かと暮らすためではない」 真摯な………真摯すぎる、その瞳。 「俺にはティーダ以外、何も無い」 そう言って何処か遠くを見るような目をしたアーロンは、そこにティーダの姿を投影していたのだろうか。 ジェクトは黙ってその様子を見つめていたが、やがて拗ねた子供のようにフイと視線をそらし、 「……で?家買って、いつ、ティーダと暮らすつもりだったんだ?」 「それは……」 初めて、アーロンが口ごもった。 「世間じゃお前、誘拐犯なんだろ?ティーダはめでたくオレんトコに移籍して、国内外の大スターだ。 家だって、オレの大豪邸で何不自由ない暮らしをさせてやれる。 そんなティーダと、お前、いつ一緒に暮らすつもりなんだ?」 アーロンは黙っている。 「誘拐事件のほとぼりが褪めたらか?ティーダが引退して落ち着いたらか? そんなこと言ってる内になぁ、ティーダは他の男のモンになっちまうぞ?」 「俺、は――――」 握りしめたアーロンの拳が、小刻みに震えている。 「お前、案外先のこと考えてねぇだろ」 ジェクトはやれやれと首を振った。 「それだから、色々要領が悪ぃんだよ。きっと幾つになっても出世しねえタイプだな」 アーロンは力無くジェクトを睨み、またフイと視線を逸らす。 「出世になど興味は無い」 「そりゃあオレだって同じだ。けどまあ、オレの方が要領が良かったっつうことだ」 そう言って、ジェクトは黙ってこちらを見つめていたイサールに目を向けた。 「今日は店じまいだ、イサール。3人で飲みに行こうぜ」 「え?あ、はい……」 イサールは、気分屋の社長のこういった態度には慣れっこだった。 勿論、店じまいとは言っても、他の社員に後を任せて、本来の終了時間まで営業は続けるのだ。 社長の気分でいちいち閉店していては、どうあっても年商100億は弾き出せないだろう。 いそいそと仕事の引き継ぎを済ませたイサールを伴い、ジェクトとアーロンは並んで夕刻迫る街へと消えた。 その日、ティーダは午後11時に仕事を終え、例の大豪邸に帰宅していた。 ジェクトの計らいで、ティーダには午前様となるような仕事は入らないことになっていた。 ティーダは素直に、有り難いと思った。 「お帰りなさいませ」 例によって家政婦2人に出迎えられ、用意された暖かな夕食を食べた。 心がホッとするような、そんな感覚。 夕食の後、学校のプール程の広さがあろうかという浴室で、一日の疲れを落とす。 (凄いんだよ、オレん家) ティーダは、誰かに話したくて仕方が無い。 ………誰に? (ひっろい庭があってさ、プールみたいな風呂場には噴水まであって。 ステンドグラスの入った窓に、ふかふかの絨毯に………) ………話したい。 話がしたい、アーロンと。 離れていた間の、積もりに積もった沢山の話がしたい……。 寝支度を整え、ぼんやりと窓の外を見ていたティーダは、部屋のドアがノックされたことに気付いた。 「入るぜ」 いつ帰宅していたのか、ジェクトが顔を覗かせる。 ティーダは振り返ろうとして、自分の頬を伝っていた涙に気付き、慌てて袖口でそれを拭った。 ジェクトに、気付かれてしまっただろうか。 「どうだ、もう慣れたか、ここには?」 部屋に入ってくると、ジェクトはベッドに腰を下ろし、ティーダを見上げて訊ねた。 「そんなにすぐ慣れっかよ。ここ、世間離れしすぎてる」 そう答え、ティーダは窓際の肘掛け椅子にすとん、と腰掛けた。 「まぁな。ここでの生活に慣れちまったらそれこそ、一般の生活に戻れなくなるからな」 ジェクトは首の後ろで両手を組み、天井を見上げる。 「別に問題ないよ。戻る予定なんて、無いんだし」 呟くように言ったティーダの目は、何処か遠くを見ていて。 ジェクトはそんなティーダの顔をチラリと見やる。 ………出来るものならオレが、アーロンの代わりになってやりたい、と。 ちらとそんな事を考えてしまった自分に苦笑しながら、ジェクトはパン、と膝を打って立ち上がった。 「移籍記念コンサート、やるぜ」 「え?」 突然仕事の話を切り出され、ティーダは我に返って、社長でもある父の顔を見た。 「スピラプロダクションの『Tidus』を、ファンの前に初お披露目だ。 場所は――――そうだな、ザナルカンドランド辺りで、どうだ?」 「――――――!?」 我知らず、身体が固くなる。 ジェクトはそれを察したのか、軽く微笑って、 「何もそんな身構えるこたぁねぇだろ?あちらさんには色々迷惑かけてるしな。 お前がコンサートでも開けば、良い意味で人も集まるし、恰好の罪滅ぼしになるんじゃねぇか?」 「でも――――」 口ごもって俯くティーダに、ジェクトは温かい視線を投げる。 「あそこに行くの、辛いか?」 ティーダはグッと顔を上げた。元来、父の前では頑固で強がりなのだ。 「いいよ、やる」 「おっし。それでこそオレの息子だ」 ジェクトはそう言ってニヤリと笑い、手を伸ばしてティーダの髪をがしがし、と撫でた。 ティーダはそれを多少鬱陶しく思いながらも、その手を温かい、と感じている自分に気付く。 『ずっとお前のこと、考えてたさ』 先日の父のその言葉に、多分嘘は無かったのだろうと。 ひどく穏やかな心の中で、そんな風に、思った。 「……で、そん時よ」 撫でていた手を引っ込め、ジェクトが言葉を継ぐ。 「え?」 「…………いや、何でもねぇ」 いつになく歯切れの悪い父のその様子を、ティーダは怪訝がる。 「何だよ」 見上げるその蒼い双眸を見つめ返して、ジェクトは一瞬逡巡した後、口を開いた。 「そん時、全部、白状してやれ」 「………」 何を、と問い返そうとして、ティーダにはそれが出来なかった。 ……既に明白だったからだ。 ジェクトはそんなティーダの様子を察したのか、今度は躊躇うことなく言葉を続ける。 「『Tidus』はスピラプロで新生する。エイブスプロでの、嘘ばっかりだった『Tidus』を、ファンの前で懺悔しろ。 『Tidus』はマネージャーだったアーロンが、好きで好きで、仕方なかったんだってな」 「そんな、の……」 ティーダはかぶりを振る。 「出来るわけ、ない。またアーロンに迷惑かける。またマスコミに傷つけられる。 それにそんなこと言ったらもうオレ、タレント活動なんて出来なくなるかもよ? そんなの、親父だって困るだろ?」 そう言って涙ぐむティーダの傍らに膝をつき、ジェクトはそっと少年の頬に手を触れた。 「何にも心配することなんてねぇ。オレが守ってやる。 こちとらスピラプロのジェクト様だぜ?そう簡単に、『Tidus』は潰させねぇよ。」 ぽた、と息子の頬を伝った涙を指で拭ってやりながら、ジェクトは続ける。 「お前の、したいようにしてみろ。言いたいこと、言ってみろ。 全部吐き出して、まっさらな『Tidus』を、そこから始めるんだ。 それで離れちまうファンがいたとしても、そいつは仕方ねえ」 「でも、でも………アーロン、は……」 なおも頑なに首を横に振り続けるティーダを、ジェクトはぐい、と抱き寄せる。 「黙ってたら、あいつはお前を迎えに来るのか? 嘘の『Tidus』のままでいれば、2人は幸せになれるのか? ……違うだろ?」 ジェクトの胸に、ティーダの涙が落ちる。 ……みんなの前で。 アーロンが好きだって。 大きな声で言えたら、どんなにいいだろうって。 ずっとずっと――――― ティーダはコテン、と、ジェクトの胸に額を預けた。 「けど、ホントのこと喋ったって、アーロンが迎えに来てくれるわけでも無いだろ……」 ジェクトはそれには答えず、ただ僅かに笑って、 「要は、お前がどうしたいかだ。オレが与えてやれるのは選択肢だけ。 社長のオレが、全部喋ってもいいって言ってるワケだからよ。 後はお前に任せるわ」 そう言うと、ジェクトはティーダの頬に触れるようなキスを残して立ち上がった。 「コンサートの日取りが決まったら、また連絡するからな」 ジェクトが部屋を出ていってからも、ティーダは肘掛け椅子に腰を下ろしたまま、動けずにいた。 今まで決められたレールの上を歩かされていたティーダに、突如与えられた大きな選択肢。 あれも駄目これも駄目と、八方塞がりだったエイブスプロ時代とは、もう違う。 ジェクトは、好きにしろ、と言ってくれた。 けれどもそれは、自由なようでいてその実、これ以上に難しい事はない。 特に『Tidus』クラスのタレントとなると、それは顕著だ。 (ザナルカンドランドでの、コンサート……。) ティーダは膝の上で握った自らの手に目を落とす。 先日の、観覧車前広場での一連の出来事が頭をよぎった。 自分をかばうようにして立ちふさがったアーロンの、大きな背中。 その直前まで、繋いでいた手。 一緒に暮らそうって、言ってくれたこと。 全身が痺れるような、甘い抱擁。 (アーロン、オレ………) 切ない想いが、怒濤のようにティーダの胸を駆けめぐる。 今度はオレが、アーロンのこと助けたい。 アーロンのためにオレが出来る最善の選択は、何? ティーダはぎゅっと、自分の肩を抱いた。 |
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